心の中の訪問者

Written by NK

 

長野県志賀高原スキー場

 

「すごいわね〜。まるで降ってくるような星空よね・・・・・。」

「でも・・・・、何かいつもと違う・・・・・。

 怖いような綺麗さねぇ・・・・・・。」

「東京じゃあこんなに見事な星空は見る事できませんね。」

女の子が3人、澄んだ大気を通じて広がる星空に見入っていた。

だがその夜の星空はどこか妙だった。

特にどこが、というわけではないが何か心に引っ掛かるものがあった。

サクッ

ふと静寂を破って足音が聞こえた。

佇む3人のうちの一人が振り向く。

青みがかった銀色の髪に紅い瞳、抜けるような白い肌。

その紅い瞳が足音の主を捉えた。

男子生徒が一人、自分達の方へ歩いてくる。

しかしその眼は自分達を見てはいない。

「・・・・碇君・・・。」

振り向いた女子生徒、綾波レイが呟く。

サクサクと足音を立てて歩いてきた「碇」と呼ばれた生徒は、数メートルの位置まで

近付くと漸く星空を眺めていた3人の方に顔を上げる。

その漆黒の瞳がレイの紅い瞳を射抜く。

「やあ、こんばんは。」

視線が合ってしまったので仕方なく、という抑揚のない口調で挨拶をすると立ち止ま

りもせずに3人の横を通り過ぎ、宿舎の入り口に向かって歩みのスピードを速めた。

「相変わらず独特の雰囲気ですね。」

「本当ね、壱中を代表する美少女が3人揃っているのにまるで関心無しか〜。」

今正に建物の中に入ろうとする男子生徒を、いつの間にか残りの二人も見つめていた。

一人は艶やかな長い黒髪と眼鏡が特徴のおとなしそうな少女、山岸マユミ。

もう一人はショートのやや茶色がかった癖っ毛と、ややタレ眼気味で髪の毛と同じ色

の瞳を持つ元気が売りの少女、霧島マナ。

そして先ほどのアルビノの少女、明るく快活な綾波レイ。

この3人は衆目が一致して認める美少女であり、揃って2年A組である。

この事は他のクラスの男子生徒の垂涎の的であり、一人を除くA組男子の喜びでもあ

った。

「碇」と呼ばれた男子生徒は、フルネームを「碇シンジ」。

どことなく他人を寄せ付けない冷めた雰囲気を持ち、クラスメートと親しげに会話す

る姿を見た記憶もない。

黒い髪に線の細い中性的な容貌を持つシンジだが、その時折鋭い視線を放つ漆黒の瞳

が彼に独特の雰囲気を醸し出させていた。

いないようでいて、ふと気が付くと視界に入っている。

彼の存在を端的に語るとそうなる。少なくともレイにはそう感じられた。

彼は何処に行っていたのだろう?

シンジがやって来たであろう方向を見ても、ただ真っ暗な雪原が広がっているだけだ。

レイは何故か2、3言しか会話を交わした事が無いシンジの事が気にかかっていた。

それにスキー教室の初日、駅のホームから落ちそうになったレイを咄嗟の所で支え、

助けてくれた。

その時もお礼を言うレイに対してどうでもよさそうな表情をしていたが、その瞳はや

さし気なものだった。

だがそれがどういう意味を持つのか自分でもわからなかったが・・・・・。

「ううう・・・・・、寒くなってきたわね・・・・。」

マナが身体をブルッと震わせて言った。

「そうですね、そろそろ戻った方がいいかもしれませんね。」

マユミも賛意を示す。

「そうよね、このままじゃ風邪引いちゃうわ・・・・。」

レイも自らの腕で自分の身体を抱くようにして身体を震わせる。

3人は先生の眼を盗むようにコソコソと自分達の部屋へと向かった。

2泊3日のスキー教室も明日でお終いである。

昼間のスキーで疲れていた3人は布団にはいるとすぐに小さな寝息を立て始めるの

だった。

 

 

翌週・東京都下

 

「やっば〜い!! これって間違いなく遅刻だよね〜!」

スキー教室から帰った翌週、綾波レイは口にトーストをくわえながら学校目がけて走

っていた。

低血圧な彼女は朝が苦手だ。

今日も一度は親に起こされたモノの、再び意識を失ってしまいこの状態を作り出して

しまっていた。

気が焦っているレイは、減速すらろくにしないで交差点に進入した。

突如視界に入って来る人影。

『ヤバイっ! ぶつかる!?』

レイは眼を瞑った。そして衝撃に備える。

しかし次にレイを襲った衝撃は、予想していたよりも遙かに小さく、激突の衝撃を吸

収してくれたものだった。

何かに包み込まれるような感覚・・・・・。

恐る恐る眼を開けるレイ。

それは白いシャツを着た人間の胸だった。

その人物の両手が彼女の両腕を掴み支えたのだ。

状況を理解したレイは、恥ずかしさに頬をピンクに染めてオズオズと視線を動かした。

迷惑をかけた相手を確認し、謝罪するために。

「い、碇君!」

極めて至近に知った顔を見つけ、さらにその相手が何となく気になる異性だったこと

を理解するや、彼女は真っ赤になって再び俯いた。

「大丈夫だった?」

あいかわらず感情の起伏の小さい口調で問いかけるシンジ。

「あ、ええ・・・・・。

 ご免なさい。周りをよく見ないで走っていて・・・・・・。

 それに・・・・・、ありがとう・・・・・・・。」

いつもの元気さは何処に行ったのかというオロオロした口調で謝罪とお礼を言うレイ。

フッと身体の自由が戻る。

シンジが両腕から手を離し、レイの身体を押しやって距離をとったのだ。

そして落とした鞄を手に取る。

「ならいいんだけど・・・・・。

 走るのはいいけど周りに注意しないと危ないよ。」

それだけ言うとシンジはレイを置いて歩き始める。

「えっ、あっ・・・・・、い、碇君、待ってよ・・・・・。」

置いて行かれそうになったレイは慌ててシンジの後を追う。

シンジはのんびりと歩いているようでも、そのスピードは結構速い。

一緒に歩こうとすると、どうしても小走りになってしまうレイ。

「碇君・・・・、歩くの速いんだね。」

レイが横に並びながら話しかける。

「そうかな・・・・?」

対するシンジは自覚がないのか、ちょっと小首を傾げるが歩行速度を落とそうとはし

ない。

「そうよ。

 だってあたしじゃ小走りになっちゃうもん。」

ちょっと口を尖らせて拗ねたような態度を取るレイ。

同級生達が思わず何とかしてあげないと、と思うレイの態度だが、シンジは全く興味

を示さずに冷静に言葉を返した。

「別に一緒に歩いてくれと頼んだわけでもないしね。

 僕には僕のペースがあるから。

 それより綾波さん、急いでいたのではないの?」

そのシンジの一言で我に返るレイ。

「あっ! いっけない、遅刻しちゃう〜!」

狼狽するレイを珍しく面白そうな眼で見ているシンジ。

だが口から発せられた言葉はいつもと変わらないものだった。

「遅刻? 何故遅刻するんだい?

 まだ授業開始まで15分はあるよ?」

学校はこの場所から歩いて5分ほどだ。

確かに充分間に合う。

「へっ???」

慌てて自分の腕時計に眼をやる。

確かに時計は8時15分を指していた。

「あ、あれ!?」

家を出たのは8時20分だったはずだ。

レイの家から学校まで歩いて15分。走れば10分ほどだった。

だからあれほど焦っていたのだ。

しかし、自分の腕時計もシンジの腕時計も8時15分を指していた。

何がどうなっているのだろう???

まさか母親がいつも朝起きれない娘にお灸を据えるため、家の時計を進めておいたの

だろうか?

確かにあの母親ならば、そういう悪戯をやりそうではある。

そういえば、焦っていて自分の腕時計を見なかったような・・・・・。

シンジは何やら目まぐるしく表情を変えるレイを見ながらも、歩みを止める事はなか

った。そのためレイが徐々に遅れてしまうにもかかわらず。

フッと人の気配が無くなった事に気が付いて周囲を見回すと、シンジはいつの間にか

かなり前を歩いている。

「あ〜! 碇君、何であたしを置いて先に行っちゃうの〜!」

ム〜と頬を膨らませながら、慌てて追いかけるレイ。

再び追いつくと、ハアハアと息を切らしながら恨めしそうな視線を送る。

美少女の視線を軽く受け流すと、シンジは表情を変えずに肩をすくめて見せた。

「そうは言っても、さすがにあそこで止まると遅刻するかもしれないからね。」

「だからって置いていくなんて非道いよ〜。」

この機会に何とか会話を成立させようとするレイだったが、シンジの方はまるでその

気がないらしく淡々と必要な事だけしか喋らない。

そのためレイの努力は空回りしてしまう。

そうこうしているうちに学校に到着する二人。

下駄箱で靴を履き替えると、シンジは職員室に用があると言ってレイと分かれた。

レイは何故かトボトボとした足取りで教室まで行くと、ガラッとドアを開けて周囲に

目もくれず自分の席に座った。

「なあに、どうしたのよレイ?」

隣の席のマナが、珍しく元気のないレイに訪ねる。

「えっ? 何が?」

いつもの元気さが感じられない表情で答えるレイ。

「レイ、あなたトレードマークの元気さは何処にやっちゃったのよ?

 何か気になる事でもあるの?」

「ハハハ・・・・、朝寝ぼけて時間間違えちゃって、ダッシュして来たから疲れちゃって。」

「え〜、レイってドジね〜。」

クスクスと笑うマナに、私は拗ねています、という表情を見せるレイ。

友人とのやり取りで漸く調子が戻ってきたようだ。

だが、シンジに相手にされなかったという落ち込んだ最大の原因は話せるはずもなく、

そんな事を何故悲しく思うのか自分でもわからないレイは自分の感情を理解できずに悩

んでいた。

そこにドアを開けてシンジが入ってくる。

相変わらず孤高を保つ雰囲気を発しているため、周りの子供達も特にいつも以上の関心

を持つでもなかった。

シンジは真ん中の一番後ろの席に座ると、レイの方を見るでもなく黒板をボ〜と眺めて

いた。

レイは何故か無性に悲しかった。

シンジが自分を見てくれない事に・・・・・・。

レイは気が付いているのだろうか・・・・?

それが初恋というモノだという事に・・・・・?

 

例えレイの元気が無かろうが、シンジが周りに無関心であろうが、時間は黙って過ぎて

いく。

辛い授業の時間は終わりを告げ、ようやく昼休みとなった校内では生徒達が思い思いの

場所で好きな事をしている。

レイ、マユミ、マナの3人に学級委員の洞木ヒカリを加えた4人は、屋上に陣取ってお

弁当を広げていた。

なんとなくいつもと違う様子のレイに、ヒカリが声をかける。

「ねえ、どうしちゃったの綾波さん。

 朝から元気がないみたいだけど体の具合でも悪いのかしら?」

心配そうな表情で問いただされたレイは返答に困ってしまった。

「えっ・・・・、いや、何でもないわ。

 ちょっと身体が怠いだけで・・・・。」

とりあえず当たり障りの無さそうな返事をしておく。

「そうなんですか?

 でも確かに今日の綾波さんは少し変です。」

マユミもレイの顔を覗き込むようにして言う。

「風邪でも引いたんじゃないの〜?

 レイ、保健室に行って休んでたら?」

レイは友人達の心遣いが嬉しかったが、原因が原因だけに対応に窮していた。

でもここはみんなの心配に答えて早引けしたほうがいいかもしれない、などと考えて

実行に移す。

「じゃ、じゃあ今日は早く帰って寝ようかな・・・・・。」

何となく落ち尽きなく話すレイ。

「やっぱりいつもと違うわね。

 一緒に保健室に行きましょう、綾波さん。」

ヒカリがレイの腕を取って立ち上がらせ、引っ張るように保健室へ向かおうとする。

「行って来なよ、レイ。

 先生には私達が話しておくから。」

マナはそう言うとレイの後ろから押してレイの歩き出すのを促す。

友人達にこうまでされてしまってはレイも従わざるを得ない。

空になったお弁当箱をマユミにお願いして、ヒカリと一緒に保健室へと向かった。

 

 

「あら、どうしたの綾波さん。」

保健の先生である赤木リツコが入ってきた女生徒を眼にとめて振り向く。

「あ、朝から何か体調が悪くって・・・・・。」

いつもの元気なレイを知っているリツコは、確かに様子がいつもと異なる事に気が

付いた。

「顔色が良くないわね。

 ちょっとこれを挟んでみて。」

体温計を手渡す。

椅子に座って黙って体温計を腋の下に挟むレイ。

「ちょっと口を開けて。」

ペンライトを片手に口を開けさせると、レイの咽頭部を観察するリツコ。

「ちょっと腫れているわね。

 風邪の引き始めみたい。」

そういうとペンライトを消し、白衣の胸ポケットにしまう。

「洞木さん、私が見ているからあなたは戻っていいわよ。」

心配そうにしているヒカリに優しく声をかけ、教室に戻る事を促す。

「はい。

 綾波さん、お大事にね。」

そう言うとヒカリは保健室を出ていった。

「でも綾波さんがこんなにおとなしいなんて、本当に珍しいわね。」

「え〜、私そんなにいつも五月蝿いですか?」

「別に五月蝿いって訳ではないけど、今日はあなたの身体から発せられている元気さ

 がなりを潜めているみたいに感じるわ。」

そう聞くと確かにそうかもしれない、と思った。

そして今日のこの体調不良はシンジの事を考えたためではなく、風邪を引いたせいだと

考え始めた。

ピピッ

挟んだ体温計が時間を示す電子音を発する。

デジタルの数字が表した体温は、37.6度だった。

「やっぱり熱があるみたいね。

 今日はもう帰って休みなさい。

 担任の先生には私から連絡して置くわ。」

そして職員室に電話をかける。

幸い昼休みだったので、すぐにマユミがレイの鞄を持ってきてくれた。

レイはマユミにお礼を言うと、リツコに促されて帰途に着いた。

同年代の子供が学校に行っているため、制服姿の自分が目立ってしまう事を気にしなが

ら家へと向かうレイ。

しかし何となくボォ〜とした頭は、あいかわらずシンジの事を考えていた。

幸い朝のように事故に遭いそうな事態もなく、無事に帰り着いたレイはそのまま自室の

ベッドに横になる。

家にいた母親のユイが慌てて氷枕を用意して部屋に入った時には、レイはスヤスヤと眠

りに落ちた後だった。

ユイはそっと枕を交換すると、起こさないように静かに部屋を出ていった。

 

 

結局レイの風邪はそのままこじれてしまい、2日ほど学校を休む羽目になってしまった。

そして3日ぶりに登校してきたレイは、何となくシンジの姿を探してしまう。

だがシンジのいたはずの席がない。

あわててシンジがいた列の机を前から数えてみる。

1,2,3,・・・・・

おかしい、確かに7列だったはずだ。

だが何度数えても6列しかない。

それはつまり、シンジの机が無いという事だ。

マユミはレイが怪訝な表情をしている事に気が付いた。

何度も真ん中の列の席を前から順々に眺めている。

マユミはレイに近付き声をかけた。

「綾波さん、さっきから誰かを捜しているようだけど、どうしたのですか?」

「えっ、ああマユミ。

 あのさあ、碇君の席が無いんだけど・・・・。」

自分が休んでいる間に転校でもしてしまったのか、と思い親友に訪ねてみた。

確かあの日、シンジは職員室に用があると言っていた。

急に転校が決まったのかもしれない、と考えたのだ。

「ええっ、碇君という名前の人はこのクラスにいないですよ?」

「何よマユミ、ふざけないでよ。」

「私、ふざけてなんかいないんですけど・・・・。」

ちぐはぐな会話をしている二人にマナが近付いてきた。

「何話してんの?」

「あっ、マナ。

 マユミったら非道いのよ。

 碇君がクラスにいないなんて言うの。」

「レイ、あなたこそ何言ってるのよ。

 うちのクラスに碇っていう人はいないじゃない。」

「えっ・・・・・?」

レイは頭が混乱してきた。

最初はマユミがふざけているのかと思ったが、マナまでシンジの事を知らないと言う。

しかも二人の表情や声は真面目だった。

「あら、綾波さん。 

 もう具合はいいの?」

学級委員であるヒカリがやって来た。

そしてレイは最終確認の意味でヒカリにもおなじ事を訪ねる。

だが、回答は予想していたとおりそんな人はクラスにいないというものだった。

狼狽し、顔色が悪くなってきたレイを気遣う3人。

「ねえ、レイ。

 やっぱりまだ治っていないんじゃない?」

「そうですよ。今日も休んだ方がいいんじゃありませんか?」

「私から先生には言っておくから、帰って寝ていた方がいいわよ?」

口々にそういう3人。

レイは何としても確認したいと思っていた。

それにはやはり自分の眼で確認するしかない。

しばし考えたレイは、シンジの家に行ってみる事にした。

それなら今日は休んだ方が都合がいい。

「そうね、悪いけど帰るわ。

 ヒカリ、先生に言っておいてね・・・・。」

俯いてそう言うと(半ば演技だが)、レイは足早に玄関に向かった。

運良く先生にも会わずに学校から抜け出したレイは、記憶にあるシンジの家を目指し

て歩いていく。

『何か、何かおかしいわ。

 さっきのみんなの態度は、ふざけているというモノではなかった。

 本当に碇君のことを知らないようだった。何故?』

思い詰めたような表情で歩いているレイ。

シンジがいなくなって初めて気が付いた自分の心。

私は碇君が好き!

このまま訳もわからず会えなくなるのは嫌だった。

やがてシンジの家の番地を探し当てる。

だがそこは人気のない廃ビルだった。

あまりの出来事の連続でパニックになりかけたレイだったが、意を決して中に入って

みた。

ドアを開けようとした時、何か見えない壁のようなモノに行く手を遮られる。

おかしいと思って手を伸ばすと、確かに見えない何かが存在している。

見えない壁に沿って歩いてみると、廃ビルを半球状に取り囲むように何かが存在して

いる。

とりあえず叩いてみた。

拳に返ってくる衝撃は、何かが存在する事をレイに告げていた。

「何よ〜、これ・・・・・?」

レイは理解不能な障害物に眉をひそめる。

「これってバリアーっていうヤツ?

 まさか・・・・・、漫画やTVじゃあるまいし・・・・。」

考え込んでしまうレイ。

 

 

シンジは1週間ほど拠点にしていた廃ビルの周囲にシールドを張り、自分の船のコック

ピットに座っていた。

シンジの船は全長6mほどの大きさで、上から見るとまるでエイのようなシルエットを

持っており、中央にコックピットが、そして翼のように張り出した両側には赤く輝く半

球状の構造物が付属している。

そして船全体が黒い色で塗られており、アメリカ軍のステルス攻撃機F-117Aに似ている

が垂直尾翼などはなく滑らかな曲面で構成された船体が美しい。

「タイムパトロール本部、こちらタイムパトロールIDNo.32995、シンジ=イカリ。

 特異点より72時間を経過するも、目標の無事を確認。

 任務終了とみなしこれより帰還する。」

「了解、イカリ大尉。

 因果律の揺らぎは収束し、状況の安定を確認した。

 帰還を認める。

 ご苦労様。」

「ありがとう。

 では現時点を持って作戦終了とし、帰還準備に入る。」

通信を終了するとシンジはコックピットから出て、船の周囲に置いてあるカプセルハウ

スを収納し、周囲に設置した警戒用センサーを撤去する。

そして全ての備品を船に収容して再びコックピットに乗り込み、今回の作戦で自分が関

与した人々の記憶操作(シンジに関する記憶の消去)の状況を確認した。

ディスプレイに現れる情報を素早く読みとっていたシンジの眼が一点で釘付けになる。

画面には、

『対 象 :綾波レイ

 記憶処置:実施済み

 状況確認:効果不十分、シンジ=イカリに関する記憶が残存』

との文字が赤く点滅していた。

「バカな・・・・・。

 確かにフォゲッターは作動していたはずだ。

 何故記憶が消えていないんだ?」

そして残りの人間のデータをロードしたが、レイを除いて処置は完璧だった。

首を捻って考え込むシンジ。

すると船のセンサーが警報を発する。

側面ディスプレイに眼をやると、シールドの外に問題のレイが立っているではないか。

「うーむ、対象が自分から出向いてくれたか。

 手間は省けたけど、何故彼女は記憶が残っているんだろう・・・・・。

 厄介な事に成らなきゃいいけどなぁ。」

シンジは船から下りると無痛注射器に記憶喪失薬をセットすると、レイが立っている

シールドの部分まで歩いていった。

トリコーダーで確認すると、レイは先ほどと同じ位置で考え込んでいるようだ。

そしてトリコーダーを操作して、シールドを一部解除した。

「やあ、綾波さん。

 こんな所に何の用だい?」

シンジはレイに声をかける。

「えっ!・・・・きゃぁ!!」

レイはいきなり声をかけられ、驚きのあまり尻餅を着いてしまった。

そしてシンジの姿を見て安堵の表情を浮かべる。

そんなレイを呆れたように見下ろしたシンジだったが、シンジを見上げたまま立ち上

がる気配を見せないレイに手を差し伸べる。

レイはキョトンとした顔をしたが、やがて嬉しそうに差し伸べられた手を取って立ち

上がった。

立ち上がりスカートのお尻に着いた土を払っているレイに再び質問するシンジ。

「で、綾波さん。何の用?」

その声に漸く自分がここに来た目的を思い出したレイ。

「ああ、そうそう。

 今日学校に行ったら、みんな碇君の事知らないって言うのよ。

 そんな人クラスにいないって・・・・・。

 ふざけているんじゃなくて、本当に知らないみたいなの。

 でも私はあなたのことを知っている。覚えている。

 だから確認しようと思ってここに来たの。」

そう言い終わったレイは、シンジが奇妙な服装をしているのに気が付く。

それはTVのSFドラマに登場する宇宙船の乗組員が着るような、スマートな制服の

ような服で濃いブルーを主体にしたモノだった。

「ねえ、碇君。

 何でそんな格好をしているの?」

「こんな所で話しも何だから、こっちに来てくれない?」

そう言うとシンジはレイを促して、シールドの中に入れる。

そして再びシールドを修復する。

レイはその光景に驚いている。今日は何度驚いた事だろう。

さらに目の前には飛行機とも宇宙船とも見える不思議な物体が着陸している。

「碇君、これは何?」

レイは黒い不明物体を指さして訪ねた。

「これは僕の船、タイムパトロール船・アーコン。

 簡単に言えば、宇宙船でもありタイムマシーンでもある僕の相棒さ。」

「タイムマシーン? 宇宙船?」

「そう、僕は29世紀から来たタイムパトロール隊員。

 そして僕の任務は君を事故による死亡から護る事。」

「何を言っているの?」

「僕達タイムパトロールは、歴史に影響を与えない事が前提だけど、不幸な死に方を

 した過去の人を助ける事を任務としている。

 まあ、偶に過去に行って良からぬ事をしようとする犯罪者を取り締まる事もあるけ

 どね。」

「碇君がタイムパトロールなの?」

良く理解できていないレイ。

「そうだよ。

 そして今回の僕の任務は君を助ける事だった。」

「えっ! 私!?」

さすがにレイの表情が引き締まる。

先ほどの話を信じれば、自分は不幸な死に方をするのだから。

「そう、記録では君は3日前の朝、交差点で飛び出し車に撥ねられて死亡したんだ。

 だから僕があの時君を受け止めて事故を回避した。

 まあそれで任務の大半は終了したんだけどね。」

レイは言葉を発する事もできなかった。

自分が本来3日前に死んでいるはずだったなど、普通は受け入れられまい。

「経験上、過去を変えて死んだはずの人を助けると、因果律によって時間はそれを修正

 しようとする。

 その因果律は歴史に影響を与える程度が大きいほど強く働くんだ。

 幸い君は歴史に影響を与える事がないので、大体前後2日程度気を付けていれば因果

 律も消失する。

 まあ大事を取って今回は前後3日間、君を陰ながら護っていたけどね。」

時折自分に向けられていたシンジの視線の意味を理解するレイ。

だがシンジの視線の中には柔らかく暖かいモノもあった事を思い出す。

それに昔の記憶は確かに存在していた。

「じゃ、じゃあ、私の持っている碇君に関する記憶は何?

 碇君が転校してきてからの記憶は何?

 碇君が私と一緒だったのは1週間だけだとしたら、この記憶は何なの?」

自分には確かにシンジとの過去の記憶があるのだ。

教室でぼぉっとしているシンジ。

無愛想だが話しかければ答えてくれるシンジ。

そしてシンジを見ている自分。

「それはダミー、つまり偽りの記憶だよ。

 僕はスキー教室の初日に君たちのクラスに潜り込んだ。

 全員に僕が以前から一緒にいたという偽りの記憶を植え付けてね。

 だから君と僕が一緒に共有した時間は1週間だけなんだ。

 そしてタイムパトロール隊員に関する全ての記憶を消去する装置を常に作動させて

 いたから、僕がアーコンから操作すれば完全に忘れてしまう筈だったんだけどね。

 今朝、君が無事な事を確認したから任務終了と判断して消去処置を行った。

 クラスのみんなが僕を覚えていないのはそういう事だよ。

 だが、どうやら君には通じなかったみたいだね。」

「嘘・・・・・、あれが偽りの記憶だったなんて・・・・・。」

両手を握りしめ、口の所に拳を持ってきて震えているレイ。

ではシンジに自分が感じた初恋も偽物だったのか?

いやそんな事は無い。

この1週間の記憶だけは現実のモノなのだ。

スキー教室の初日に感じた自分の気持ちは本当の筈だ。

「何故君が僕の事を覚えているのかはわからない。

 だが僕は自分の時間に帰らなければならない。

 任務は終了したから、規則通り君の記憶を消去しないといけないんだ。」

「嫌! 碇君の事を忘れるなんて嫌よ!

 あなたが本当に未来から来たのかなんてわからないけど、この1週間ずっと私を

 守っていてくれたんでしょう?助けてくれたんでしょう?

 だったらお願いだからこれからも私を守って!

 守って欲しいの、あなたに!

 もしどうしてもあなたが帰るのなら私も一緒に連れて行って!」

「綾波、君は自分が何を言っているのかわかっているのか?

 何故君は僕と一緒に行きたいんだ?

 まあ、理由はどうあれ過去の人間を僕の時代に連れて行く事は規則でできない。

 残念だろうけど、君が生きていく時間はここなんだ。

 それにこの時代には君の両親や友人達もいる。

 彼等と別れてしまってもいいの?」

シンジは感情の揺らぎを見せない瞳で冷静に諭す。

「お父さん、お母さん・・・・・・。」

そう言われてレイは両親を思い浮かべる。

髭面の強面のため誤解される事が多いが自分には優しい父ゲンドウ。

もう37歳になるのに一緒に歩くとどうみても年の離れた姉にしか見られない母ユイ。

特に容姿はそっくりだった。

そして友人である霧島マナ、山岸マユミ、洞木ヒカリ・・・・・・。 

自分の心に宿るかけがいのない人々。

確かにこの人々を捨てていなくなるわけにはいかない。

「君には君を待っている人々がいるんだ。

 その人達を裏切るのかい?」

「そ、それは・・・・。

 でも私、あなたの事が好きなの・・・・。

 あなたの事が好きになっちゃったのよ!!

 この気持ちはどうすればいいの?」

レイは眼を瞑り、俯き加減で一気に言った。

顔は真っ赤だ。

そして涙を溜めた瞳を見開き、シンジの事をジイィィィ〜と見つめた。

シンジは意外な展開に、珍しく驚きの表情を浮かべてレイを見つめ返す。

まさかこの短期間でこういう感情を持たれるとは思ってもいなかった。

それにこういう事態を防ぐために、周囲と最低限の関わりしか持たないように注意し

ていたのだが・・・・・。

どうやら今回のターゲットである綾波レイは、あらゆる意味で特別な存在だったようだ。

「君みたいな綺麗な女の子に告白されるのは嬉しい事なんだけど・・・・・・。

 しかし僕は君の想いに応える事はできないんだ。

 僕は29世紀、つまり君より800年以上も未来の人間だ。

 それにタイムパトロールである僕が時間法を破る事はできない。」

シンジの答えは、タイムパトロール隊員として当然のモノだった。

「じゃ、じゃあ、私はあなたの事忘れなければいけないの?

 二度と会う事ができないの?

 二度も助けて貰ったのに!」

「君を助けたのは任務だから気にしなくてもいいんだよ。

 でもやはり初日に助けた事も覚えていたんだね。」

「覚えているわよっ!

 好きになった人の事くらい・・・・・。」

「それが普通じゃないんだけどね。

 フォゲッターは正常に作動していた。

 本来覚えているはずがないんだ。」

「でもっ、私は覚えている。」

「そう、だから僕は君の記憶を消さなければいけない。

 ご免よ、でもそれが規則なんだ。」

そう言うとシンジは掌の上にゴルフボールより少し大きいクリスタル状の球体を乗せて

レイの方に差し出した。

レイの瞳がその球体に吸い付けられる。

突然、球体がチカチカと明滅を開始した。

するとレイの瞳がみるみる重くなっていく。

「・・・・・な・・・・なに・・・これ・・・・。」

もはやレイは意識を保つ事に必死だった。

「心配しなくていいよ。

 これは催眠クリスタル。単に意識を失うだけだ。

 そして次に目が覚めた時には、君は僕の事を覚えていない。

 もし万が一、再び僕と会う事があっても君は僕だとわからないだろう。」

そう言うシンジの声も、もはやレイの頭に入ってきていなかった。

視界がグニャリと歪むと、レイの視界はブラックアウトした。

崩れ落ちそうになるレイの身体を支え、シンジはその首筋に圧縮注射器を当て薬品を注入

する。プシュッという圧搾音と共に全ての作業は終了した。

これでレイの脳の中からシンジに関する記憶は全て失われ、この場所で交わした会話も忘

れたはずだ。

「さて、綾波さんを自宅まで連れて行って、しばらくアーコンを遮蔽して様子を見るか。

 そんな事は無いと思うが、用心に越した事はない。

 もしこれでも覚えているとなると、かなり厄介な事になる。」

そう言うとシンジはレイをコックピットに乗せ、アーコンのエンジンを起動させる。

そして重力制御装置を稼働させると、黒い船はフワリと宙に浮いた。

「船体遮蔽!」

シンジの命令でアーコンは遮蔽シールドを起動させる。

周囲の光や電波を船体に沿って屈折させ、後方で再び元に戻すこの装置は肉眼はもちろん、

この時代のあらゆるセンサー類を無効にする。

「防御シールドの範囲を通常状態に。」

この命令で廃ビル全体を覆っていた防御シールドを船体を中心に5m程に縮小する。

「さて、綾波さんの家の座標を入力。」

パネルを操作して座標を入力すると、アーコンは滑るように飛行を開始した。

ほぼ一瞬でレイの家の上空に到着し、意識を失ったレイを自分の部屋のベッドに転送する。

「よし、作戦終了。

 あとは意識が戻るまでこの座標で待機だな。」

シンジはレイの家に範囲を限定し、高感度集音センサーのスイッチを入れてシートに深く

身を預ける。

「でも何で綾波さんは全ての事を覚えていたんだろう・・・・。

 彼女は普通の人間ではないのかな?

 それとも何かの薬物の影響とか、特異体質みたいなものだろうか?」

そう呟くと、シンジは先ほどスキャンしたレイの生体データをタイムパトロール本部に送

信して分析依頼を行った。

全てはデータ解析とレイの覚醒が行われてからだ。

シンジはそう考えると静かに眼を閉じた。

 

 

『ここは何処だろう・・・・・・。』

レイはぼんやりと目に入ってくる景色を眺めていた。

頭が重い。

寝入りばなを起こされて寝ぼけているような感覚。

『・・・そうだ、ここは私の部屋だ・・・・・。』

しばらくぼぉっとしていたレイは慌てて起きあがる。

「私っ! 何で此処に!?    っ!!」

そこまで言ったレイを急に頭痛が襲う。

自分の頭を押さえて身を縮めるレイ。

「・・・そうか、学校から早退してベッドで眠ってしまったんだ・・・・・。」

ようやく思い出すとノロノロとベッドから起きあがる。

今日は母親のユイも父親のゲンドウも家にはいない。

時計を見ると2時を廻った所だ。

もうすぐユイが帰ってくるだろう。

制服のまま眠ってしまったので、着替えて制服をハンガーにかける。

Tシャツにプルオーバー、Gパンというラフな格好に着替えたレイは自分の机に座って

今日の行動を思い返していた。

・・・・学校に行ったけど、まだ風邪が治っていなくて結局帰った。

・・・・そして家に帰ってきて眠ってしまった。

確かにそれであっているはずだった。

しかし頭の奥でしきりに何かがざわめいている。

何か大事な事を忘れている。

そう思う心が湧き上がってくる。

だがどうしても思い出す事はできない。

モヤモヤした感情を払拭できず、どうしていいかわからないレイだった。

「ただいま〜。」

どのくらい時間が経ったのだろう。

階下からユイの元気な声が聞こえた。

玄関にレイの靴があったので帰っている事がわかったのだろう。

そしてトントンと階段を上がってくる足音がした。

カチャ

レイの部屋のドアが開けられ、ユイが顔を覗かせた。

「あら起きていたの?

 やっぱりまだ治っていないみたいね。

 今日はおとなしく寝ていなさい。」

「うん・・・・お母さん。

 ありがとう、そうするわ。」

レイは力無く笑うと、ベッドに身を横たえた。

「晩ご飯になったら呼ぶからね。」

そう言うとユイはドアを閉め、下に降りていった。

レイは横になりながらどうしても消す事ができないモヤモヤしたモノを持て余しながら、

必死になって何かを思い出そうとしていた。

「私は何を忘れてしまったのだろう・・・・・・。

 何かとても大事なモノだったような気がする・・・・・・。」

そのまま再び眠りに落ちてしまうレイ。

そしてレイは夢を見ていた。

夢の中でレイは一人の男の子に危うい所を助けて貰い、その男の子のことを気にするよ

うに目で追うようになっていた。

それはレイの初恋。

だがどうしてもその相手の顔も声も思い出す事ができない。

そして男の子は遠くへと行ってしまう。

何も伝える事ができない自分。

そこまででハッと目が覚める。

夢の内容は覚えていた。

だがやはり相手が誰だったのか思い出す事はできない。

「あなた・・・・・誰なの・・・・?

 何故私の心に住み着いているの・・・・・?」

力無い呟きがレイの口から発せられた。

 

 

「どうやら今度こそうまくいったようだ。

 でもそれでも朧気には覚えているんだな・・・・。」

シンジは安心半分、不安半分、といった表情でモニターを見ていた。

レイの記憶消去は成功したようだ。

少なくともシンジの事を覚えてはいない。

だがそれでも完全に消去できた訳ではなかった。

シンジは綾波レイという少女に興味を持っている自分に気が付いた。

もっとそれはレイのモノとは異なる、よくわからないものへの好奇心が主だったが。

「まあいいか。

 さて今度こそ自分の時代へ帰還するか。」

そう呟くと、アーコンの時空移動システムに帰還座標のデータを入力していく。

本来、こんなに長くこの時代に留まる予定は無かったのだ。

シンジにも元の時代に戻れば家族もいるし友人もいる。

できることなら早く戻りたかった。

「タイムパトロール本部、こちらタイムパトロールIDNo.32995、シンジ=イカリ。

 目標の記憶消去処置は完了した。

 これより帰投する。」

「了解、イカリ大尉。

 こちらでも目標の生体データをチェックした。

 記憶の消去は不安材料はあるものの成功したと確認した。

 帰投を許可する。」

「了解!

 これより宇宙空間に移動し時空跳躍を開始する。」

そう返答するとシンジはアーコンの慣性制御装置を作動させ大気圏を突破する。

そして10分後、衛星軌道上にその姿を浮かべていた。

「カウントダウン。

 時空跳躍まであと10秒。」

デジタルカウンターがゼロに近付いていく。

シンジはベルトを締め跳躍に備えるべく船体表面に装甲シールドを展開した。

「後5秒、4秒、3秒、2秒、1秒、スタート!」

コンピュータの人工音声が跳躍開始を告げる。

船体前方にタキオンビームを照射し、クロノ粒子を放出すると時空の裂け目を作り出し

その中へと船体を飛び込ませる。

シンジのこの時間での任務は終了した。

シンジは新たな任務が与えられ、様々な出会いを経験していく。

レイとの出会いもその一つに過ぎないのだ。

先ほどレイの生体データの解析結果が出た。

宇宙空間に出る間にざっと目を通した。

それによると彼女の母親、綾波ユイもかつてタイムパトロール隊員によって命を助けら

れたのだという。

母親もフォゲッターが効きにくい体質だったため、同じ薬物を注射された。

その際彼女は子供を身ごもっており、それがレイだった。

母親から体質を受け継いだレイは、胎児の時に曝露された薬品に対する抵抗性も合わせて

記憶を消去し辛い体質となっていたのだ。

シンジは思う。

自分を好きだと言ってくれた事は正直嬉しかった。

彼女のような女の子と一緒に過ごせたらどれほど楽しいだろう。

極短い間だったが、彼女を見ていたシンジはレイに好感を抱いていた。

だが彼女は全てを忘れて新たな人生を幸せに過ごして欲しい。

そもそも自分の姿は彼女が見ていた外見通りではない。

今回の任務に合わせてマトリックスを変化させ中学生の姿になっているだけで、本来は

24歳なのだ。彼女より10歳も年上である。

今回の事は肉体的な関係を持ったわけでもなく、お互いが強烈な思い出を作ったわけでも

ない。少女のほのかな初恋にすぎない。

全ては時間が解決してくれるだろう・・・・・。

そのために自分は彼女を助けたのだから。

また何時の日か出会う事があるかも入れない。

自分は彼女の事を覚えている。

それだけで充分だった。

その時はなるべく接触しないようにしよう。

そう考えるとシンジはワープ終了に備える。

彼もまた自分の生きる時間に帰ってきたのだ。

レイとの関係はこれで終わりだと自分に言い聞かせて、シンジは着陸準備を始める。

インターバルの後、また新たな任務が待っているだろう。

それがタイムパトロール隊員であるシンジの選んだ道なのだから・・・・。

 

 

10年後、レイは大学に進み薬学部の修士課程に在籍していた。

彼女は優秀で、卒業後は製薬会社に就職が内定している。

だが中学時代のある時期から、何故か異性に興味を示さずひたすら勉学に没頭する少女

になってしまい周囲を驚かせた。

元々明るかった彼女だが、あれ以来どちらかというと静かなタイプへと変わってしまい、

みんなで騒いだり遊びに行ったりということが苦手になったのだ。

そして研究室の同僚や教授の心配を余所に、今日も実験室に籠もって実験を行っている。

昼食にキャンパス内の食堂に向かおうとしたレイは、視界に何か懐かしい人を捉えた。

その人物を見た瞬間、心の奥底から湧き上がる愛しい気持ちと懐かしさを押さえる事が

できない。

だがその人物の名前はおろか、知り合いであるはずもない。

少なくとも記憶の中には無い人物だった。

しかし頭の中のどこかに引っ掛かっている人物とイメージが重なる。

自らの感情に驚いて俯いているうちに、遠目で見えた人物は人混みの中に入って見えな

くなってしまう。

レイは溜息と共にわずかに落胆の表情を見せた。

中学2年生のときから、何故かわからないが夢に出てくる顔も声も名前すらわからない

男性を慕っている自分を自覚していた。

周りの友人には何も話していない。

少女趣味と笑われる事がわかっていたから・・・・。

何となく引っ掛かって、これまで自分の前に現れた男性に言い寄られても恋人という関

係になることができなかった。

今度こそ何かわかるかも知れない、と何度思い裏切られてきたか。

したがって先ほどの人物を見失っても不思議と後を追おうとか探そうという気は起きな

かった。

いつもの事だと自分に納得させたのだ。

「でも、いつか私の心をこの呪縛から解き放ってくれる男性が現れるはずよね。」

そう呟いて一瞬湧き上がった感情を抑え込むと、レイはカフェテリアへと歩みを再開する。

建物の陰からレイの後ろ姿を見送るシンジ。

「よかった。ちゃんと僕の事を忘れているようだな。

 幸せにね、僕の事を好きだと言ってくれた人・・・・・。」

そう呟くとシンジは新たな任務を果たすために踵を返し、力強く歩み去っていった。