Shutdown

Written by tamb

「ねー、アスカぁ」
「なに?」
「あたし、綾波レイ!」
「どうしたの? 急に」
「あたし、綾波レイなの」
「知ってるわよ!」
「あたしって、綾波レイよね?」
「だから何よ! 早くこっちの制服買いなさいよ! スカートが短すぎんのよ!」
「なんでみんな、あたしのことリナレイって呼ぶの?」
「知らないわよ! そんなこと!」
「どうしてかなぁ?」
「アタシに関係ないわ!」
「そんなこと言わないでさぁ」
「なつくな! あっち行きなさい!」
「ふえ〜んアスカがいじめるぅ、しくしくしくしく」
「泣くなー!!」


「いっかーりくーん♪」
「ああ、え〜と、レイ。どうしたの?」
「あたし、綾波レイ!」
「……」
「どうして黙るの?」
「いや、別に」
「あたし、綾波レイよ!」
「……」
「どーして黙るのよー!」
「……いや、何でもないんだ」
「あたしって、リナレイなの?」
「……」
「なにかしゃべってー!」
「あ、リツコ先生。ちょっとレイを保健室に連れてってもらえませんか」
「レイ、いい子だからこっちにいらっしゃい」
「どこも悪くないのにぃ……」

 ずるずる


「相田君!」
「どうした? レイ」
「リナレイのリナって、なに?」
「……」
「どうしたの?」
「萌えという言葉を語るときに——」
「へ?」
「近代からポストモダンへの大きな流れの中で、サブカルチャーというジャンルそのものの概念が大きく変化していったということを忘れてはならない」
「ふえ?」
「ただし、そもそもこれは矛盾だ。サブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーという言葉がメインカルチャーとの対立概念から生まれたことを思えば当然だろう。文化そのものの拡散が著しい今、メインだのサブだのという概念は成立し得ない。しかしこれは、ここでいう所のいわゆるサブカルチャー、即ちヲタク系文化の死を意味するものではない」
「ほあ」
「つまり、単一の大きな社会的規範、即ちかつてはメインカルチャーと呼ばれていたものが効力を失い、無数の小さな規範の乱立に取って代わられたということなのだ」
「はう」
「萌えという言葉は80年代の終わりから90年代にかけて生まれたと言われている。これは特定のキャラに向けた虚構的な欲望といっていいだろう。そしてキャラ萌えというのは、物語とはほぼ無関係に、その断片であるキャラに思い入れ、感情移入していく消費行動だと理解できる。特徴的なのは、物語の持つメッセージや意味に大きな関心を持たないということだ。キャラこそが全て、初めにキャラありきなのだ。レイ、君はこれについてどう思う?」
「口からバズーカ」
「聞け! 人の話を!」


「すっずはーらくーん!」
「なんや」
「ねーねー、リナレイのリナって、なに?」
「……なぁ、レイよ」
「なに?」
「人間が生きて行く上で、忘れてはならんことが三つあるんや」
「そーなの?」
「一つは根性、もう一つは努力や。あとひとつ、なんやと思う?」
「……せーよく?」
違う。友情や。これを忘れなんだら、人間は人間らしく、人間として生きて行けるんや」
「ふーん」
「ええか。根性、努力、友情。この三つの言葉の前にあって、リナレイのリナがどーとか言うのは小さいことや。そうは思わんか?」
「よくわかんない」
「もっと修行せなあかん」
「あっ、ヒカリぃ。鈴原君がね、愛情はどうでもいいんだって!」
「ふ〜ん。そうなんだ……」
「ま、待ってくれ。誤解や。わいが言いたいのはそういうことやのうて……さ、さいなら〜」
「あっ逃げた!」


「ヒっカリぃ〜!」
「レイ、さぼってないで。真ん中だけじゃなくて隅っこもちゃんとホウキで掃いて。ゴミもしっかり取って。それが終わったら黒板と机を拭いて」
「ハイ……」


「カヲルくーん!」
「おやレイちゃん。どうしたんだい?」
「リナレイのリナの意味を教えて!」
「まず耽美という言葉の意味から教えてあげよう」
「やっぱいい。バイバーイ」


「おねーちゃーん!」
「なに?」
「あたし、綾波レイ!」
「私も綾波レイ」
「……」
「……」
「ね……ねーねー。あたしって、リナレイなの?」
「知らない」
「……」
「……」
「リ、リナレイのリナって——」
「知らない」
「……」
「……」
「……」
「私は本編系だから」
「……」
「……」
「お姉ちゃんとは話が弾まない……」
「……そう。良かったわね」
「あんまり良くないんだけど……」
「……」
「……」
「さよなら」
「……」



「アスカ……」
「あらファースト。どうしたの?」
「私は綾波レイ」
「なんなのよ! 姉妹そろってわけのわかんないこと聞いてきて!」
「しかも本編系」
「だから何よ! イラつくわね!」
「本編の意味がわからないの」
「アタシにもわかんないわよ!」
「私は三人目?」
「何の話してんのよ! あんたはお姉ちゃんでしょ! どっちかと言えば一人目よ!」
「私は人形じゃない」
「あーもーむかつく! だれも人形だなんて言ってないでしょ!」
「碇くんが呼んでる」
「どこにシンジがいるっつーのよ!」


「碇くん……」
「え? ああ、今度は綾波か。どうしたの?」
「私は綾波レイと呼ばれているわ」
「……そうだね」
「でも本編系なの」
「そうみたいだね」
「本編系という言葉の意味は——」
「あ、リツコ先生、何度もすいません。今度は綾波を」
「お姉ちゃん、いい子ね。こっちにいらっしゃい」
「ま、待って。まだ話は」

 ずるずるずるずる


「相田くん……」
「ああ。綾波か。どうした?」
「私は本編系の綾波レイ」
「……それで?」
「本編って、何のことなの?」
「……」
「……」
「物語には一貫した歴史と世界観が必要であり——」
「え?」
「そこで使われる技術には、たとえ架空であっても裏付けがあり、それが説得力につながると信じられていた。そして、たとえ表に出ることはなくとも、ちりばめられた謎には必ず解答が用意されている。物語の整合性は常に保たれていなければならない。この一貫した世界観は、いわば大きな物語と呼ぶことができる。あらゆる作品において、大きな物語は必要なのだ。絶対にだ」
「あの……」
「そう信じられていた時代は、前世紀末から今世紀初頭にかけて終わりを告げた。それに理由はない。ポストモダンの到来によって旧来の世界は崩壊した、としか言いようがないのだ。そしてそれは、キャラ萌えという言葉が一般化した時期に一致する。言ってみれば、キャラ萌えの台頭と共に大きな物語は崩壊したのだ」
「ほあ」
「僕は君の妹に、単一の大きな社会的規範が効力を失い無数の小さな規範の乱立に取って代わられた、と言った。これを物語に当てはめれば、バックボーンのない無数のデータ、いわば小さな物語が多数集合して一つの物語を作っているということだ」
「はう」
「当然ながら、そこではオリジナルだのコピーだのという概念は希薄になる。事実上区別はつかないと言ってもいい。小さな物語の順列組み合わせに過ぎないからだ」
「わふ」
「ならば、優れた二次創作は作品としてオリジナルを越えることができる。越えることができたならば、それは既に二次創作とは呼べないのかもしれないが」
「……」
「それとは別に、製作会社が自ら二次創作的なコピー商品を作る場合がある。更に、オリジナルの中に二次創作的な要素を内包することすらある。登場人物の人格、いわばキャラのキャラが、大きな理由もなく複数設定されたりするのだ。キャラのキャラはキャラの命であり、存在理由であり、そしてキャラ萌えとは初めにキャラありきだったはずだ。では、これは何を意味するのか」
「……」
「単なる商業上の理由という部分を除けば、厳密な意味でのオリジナルなど有り得ないのだという、制作者の諦めにも似た悲痛な叫びともとれる。開き直りと言ってもいい。制作者も通って来た、他の作品をコピーするという道を歩むしかないという叫びにも思えるのだ。キャラのキャラなど自由に改変するべきだというメッセージかもしれないのだ。では、キャラ萌えにキャラのキャラは不要なのだろうか」
「……」
「綾波……」
「……」
「目を開けたまま寝るのはやめてくれないか……」
「ぐぅ……」


「鈴原君……」
「おう、綾波か。なんや?」
「本編系綾波レイの、本編という言葉の意味を教えて欲しいの」
「……なぁ、綾波」
「なに?」
「人間が生きて行く上で、忘れてはならんことが三つあるんや」
「努力、根性、友情」
「……よう知っとるな」
「妹に聞いたわ」
「そ、そんなら話が早いわ。努力、根性、友情。この言葉の前にあって、本編がどうなんちゅーのは——」
「人の生きざまと本編系の意味を疑問に持つことの間には、相互に関連がないと思う」
「い、いや、生きざまっちゅーか……」
「それにその理屈では、愛情は忘れてもいいことになる」
「そ、そういうことやのうてな……」
「他にも大事なことはたくさんあるわ。睡眠欲、食欲、性欲——」
「待て、綾波。わいの話を聞けや」
「……」
「睡眠欲、食欲、性欲。これは全て大事なことや。でもな、これは本能に近いんや。普通は忘れることなどあらへん。わざわざ言わんでもええことなんや」
「……」
「反面、人は楽をしたがる生き物や。努力だのなんだの、しなくて済めばそれに越したことはないと、ついつい思ってしまうんや。それは人間の生き方として間違っとる。わいが言いたいのはそういうことや」
「それはわかるわ。でもそれは、人の生きざまと本編の意味には相互に関連がないのではないかという疑問に対する解ではない。それに愛情の問題も——」
「あっ! イインチョ! そのゴミはわいが捨てに行くわ!」
「逃げた……」


「洞木さん……」
「あ、綾波お姉ちゃん。黒板をきちんと拭いてもらえるかしら。レイったらやることがアバウトでだめなのよ。見て。こんなに筋が残ってるもの」
「……」
「終わったら机も拭いて欲しいの。これもレイなんだけど、ほら、真ん中へんを丸く拭いてあるだけでしょう? これじゃ拭いた内に入らないわ」
「わかりました……」


「渚君……」
「やあ、お姉ちゃん。そこに座ってくれないか」
「……どうして?」
「君に耽美という言葉の意味を理解して欲しいんだ。耽美というのはね、美をこの世で最高のものと考え、ひたすら美的なものに耽ることを言うんだ。本来そこには、ホモとかヤヲイなどというものの入る余地はないんだよ。分かるかい? ……誰もいない」

*****

 リナレイは悩んでいた。自分の存在について、である。

 友人たちは皆、彼女のことをレイ、あるいは妹と呼ぶ。彼女は綾波レイという自分の名前が好きだった。

 しかしごく一部に——それは彼女が会ったこともない人々ではあったが——彼女のことを「リナレイ」と呼ぶ人々がいるらしい。
 自分は綾波レイである。なのに、なぜ「リナレイ」などと呼ばれなければならないのか。リナとはいったい何なのか。
 そもそも、双子の姉と名前が同じというのはどういう了見か。親の顔が見たいとはこういうことを言う、と彼女は思った。

 しかし、こんなことで悩むのは自分らしくない、とも思う。呼び方なんてどうでもいい。知りもしない人が自分のことをなんと呼ぼうが関係ない。そんなことで悩んでないで、もっと自分らしく、明るく元気に生きていたい。
 なんて呼ばれたって、あたしはあたしなんだから。


 本編系レイも悩んでいた。自分の存在についてである。友人たちは彼女のことを、ファースト、綾波、お姉ちゃんなどと呼ぶ。しかしごく一部に、本編系レイ、あるいは本編レイと呼ぶ人々がいることを知っていた。本編とは、ファーストとはどういう意味なのか。
 そもそも双子の妹と名前が同じというのは——。

*****

 二人のレイとアスカは、共に両親を知らなかった。そればかりか一年以上前の記憶すらなかった。気づいたときはここにいて、三人で暮らしていた。お互いをアスカ、レイ、ファーストと認識し、学校に通った。それが普通だった。

 生活費は定期的に政府から振り込まれていた。そのことについて担任のミサトに聞いたことがある。今はまだ教えられないと言われた。彼女はひどく悲しそうで、それ以上は聞けなかった。ただ、大人の世界にはそういうこともあるのだろうと思った。

 シンジは担任のミサトと暮らしていたし、一人暮らしをしているクラスメイト——例えばカヲル——もいた。親と暮らしていても、両親の揃っている者はひとりとしていなかった。だから彼女たちも、自分たちに親がいないことについて、疑問に思うことも疎外感を覚えることもなかった。

 そしてクラスメイトたちも、誰ひとりとして一年以上前の記憶を持ってはいなかったのだ。そういう人を集めているのだろうと、彼女たちは思っていた。大人になれば、きっとわかる。今、無理して理解する必要はない。そう考えていた。
 二人の綾波レイが自分たちの名前に、そして存在にそのものに疑問を感じるまでは。

*****

 三人はいつもと同じように、仲良く連れ立って学校に向かう。

「ねー、アスカぁ」
「なに?」
「リナレイのリナって——」
「もうそんな細かいこと気にするのやめたら? それに、早く制服買えば?」
「あたしがこっちの制服買ったら、お姉ちゃんと見分けつかなくなっちゃうよ」
「……確かに」
「アスカ……」
「なに? ファースト」
「本編って——」
「いい加減にしなさい!! アタシも知らないわよ!!」

 ついにアスカが怒鳴る。

「そんなに気になるなら、ミサトにでも聞いてみなさいよ!」
「「そうする」」

 綾波姉妹は平然と答えた。アスカに怒鳴られた程度ではへこまないのである。

「……でもさ」

 唐突に、そして静かにアスカが口を開いた。

「……」
「アタシはあんたのことをファーストって呼ぶし」
「……」
「あんたたちのこと、双子だと思ってる」
「だってそっくりじゃん」
「ちょっと黙って。それで?」

 本編レイがリナレイをたしなめ、アスカに先を促す。

「確かにあんたたちはそっくりで、双子としか思えない。でもホクロの位置まで同じだなんて、いくら双子でも普通じゃない。性格は違い過ぎるし」
「だって、あたしはあたしで、お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん」
「ねえ、レイ」

 アスカは静かな口調を崩さない。

「どうしてファーストがお姉ちゃんだと思うの? あんたの方がお姉ちゃんかもよ?」
「……」
「それに、アタシはいったいなに? どうしてアタシはあんたたちと姉妹じゃないの? リナとか本編だけじゃない。ファーストってなに? どうしてアタシたちは何も知らないの?」
「……」
「……大人になればわかるって、そう思ってる。あんたたちもそうでしょ?」
「……うん」
「でもそれって、なんとなくそう思っているだけなのよ。もしかすると大人になんかなれなくて、少ししたらまた記憶がリセットされて、一からやり直しなのかもしれない。大人になればわかるって、そう信じ続けながら」
「アスカ……考え過ぎよ……」

 そう言った本編レイも、既に自分の言葉を信じてはいない。

「だといいけど……」

 アスカは薄く笑って言う。

「そんなありきたりなSF小説みたいなこと、あるわけないじゃん!」

 リナレイがいつもと同じように、元気に言う。
 しかしその声が震えていることに、誰もが気づいていた。誰もが自分の存在に疑問を感じていたのだ。
 自分たちは何処から来て、何処へ行こうとしているのか——。



「先生」

 放課後。教室の掃除を終えた綾波姉妹が職員室に行こうとすると、都合よく担任のミサトが歩いていた。二人はラッキーとばかりに呼び止める。

「あら、姉妹そろって。どうしたの? お腹でも減ったの?」
「ぺこぺこです」
「秘蔵のあんころ餅があるけど、食べる?」
「わーい。食べる食べる♪」
「私は、太ると嫌だから……」
「いいじゃん。お姉ちゃんもあたしといっしょにでぶになろーよ」
「ちょっとくらいなら平気よ。お姉ちゃん」
「食べようかな……。あ、そうじゃなくて、あの、本編——」
「リナレイのリナって——」
「一人ずつ喋りなさい!」

 顔を見合わせる双子の姉妹。
 アイコンタクトを交わし、姉が代表して聞いた。

「私たちは誰なのですか」

 ミサトがため息を漏らした。

「私たちは誰、か……」
「……」
「あなたたち、もう中二なのよね……」
「はい」
「そういう事が気になる年頃ね……。いいわ。作者に聞いてご覧なさい」
「……さくしゃ?」
「そう、作者。あたしが説明するよりいいと思うの」
「さく……しゃ……?」
「そうか。知らないのも無理はないわね」

 不意にチャイムが鳴った。

「そのことは明日にでも話しましょう。部活が始まるわ。あなたたちは帰宅部よね。今日はお帰りなさい。あんころ餅は持って帰っていいから。アスカにも分けてあげるのよ」
「……はい」

 二人は周囲に、はてなマークをおびただしく乱舞させながら教室に戻った。

「聞いて来た? どうだった?」

 教室で一人待っていたアスカが、綾波姉妹の手からあんころ餅を奪い取り、もぐもぐと食べながら聞いた。

「さくしゃに聞きなさいって……」
「作者? なにそれ。どういうこと?」
「分からないわ」

 もぐもぐ

「何の作者に聞くのかしら?」
「ぜんぜんわかんない」

 もぐもぐ

「試しに呼んでみよっか。ちょっと作者!」
「なんだよ。うるさいな。せっかく楽しく小説書いてるのに」

 アスカに呼ばれて、俺は渋々振り返った。

「用事があるならさっさと済ませてくれよ。俺も色々と忙しいんだ」
「……あんた、だれ?」
「なんだよ。呼び出しといて。作者だよ。何だと思ってたんだよ」
「……あんころ餅、食べる?」
「お、いいね。もらおうかな。お茶でも飲むか?」
「そうね。いただこうかしら」

 もぐもぐ
 ずずず

「で、何の用だ?」
「……」
「わざわざあんころ餅のおすそ分けに来たわけじゃないだろ?」
「良くわかんないんだけど……」
「……」
「つまりアタシたちは、あんたの作品だかなんだかの登場人物ってわけ?」
「そうだよ。知らなかったのか?」
「なによ! 登場人物たるこのアタシに対してその態度は! わざわざ出演してやってるんじゃないの! あんころ餅まで食べて!」
「お茶入れてやっただろ。それにもう明け方だ。静かに叫べ」

 実際、俺は近隣から変態だと思われているフシがある。無用なトラブルは避けておいた方が無難なことは間違いない。

「で、用事は何なんだ? 何かあったから来たんだろ?」

 静かに叫べという俺の言葉を解釈するのに苦心していたアスカは、健気にも立ち直った。

「リナレイのリナと、本編系レイの本編の意味を教えて欲しいってこの娘たちが言ってるんだけど、教えてくれるかしら」

 アスカが自分の背後を指さす。そこには本編系レイがいた。アスカの後ろに隠れ、怖々と顔をのぞかせている。さらにその後ろにはリナレイが隠れている。俺は思わず和んだ。

「隠れなくても平気だよ。取って食ったりはしないから。お前らもお茶飲むか?」

 俺は優しく声をかける。

「なによ。アタシに対するのとはずいぶん態度が違うじゃないの」
「俺はあやなまーだからな。属性に文句を言われても困るんだよ」
「あんたも大人なんだから、そんな露骨に態度に出さなくてもいいんじゃないの?」
「まぁそのことについては後で議論しよう。リナレイの話だったよな」
「はい」

 綾波姉妹がお茶をすすりながらこくりとうなずく。

「簡単な話だよ。かつてスレイヤーズというアニメーション作品があってな。出てくるキャラクターにリナ・インバースってのがいたんだ。CVは林原めぐみという有能な女性がやっている。君たちの担当も彼女だ」
「……CV?」
「そうだ」

 俺は言葉を切ってお茶を飲み、二人のレイを交互に見た。

「エヴァンゲリオンというアニメーション作品のキャラクターとして、君らは創造された。その中で、シンジの見た夢、あるいは願望として、綾波レイが転校生としてやって来るというシーンが描かれた。そのレイが君だ」

 俺はリナレイを指さして言った。
 三人とも、俺の言葉を理解しようと必死になっている。何かを思い出しかけているのだ。

「リナレイは、オフィシャルには転校生バージョンという。でも転校生レイは、いろんな意味でリナ・インバースを彷彿とさせる部分があったんだ。放映時期も近かったしな。それでリナみたいなレイ、つまりリナレイと呼ばれるようになったんだ」
「……」

 それから俺は、簡単にエヴァンゲリオンのストーリーを説明した。事細かに説明する必要はない。すぐに思い出すはずだ。

「思い出しただろ?」

 三人は黙りこくっている。だが思い出せないはずはない。なぜなら、俺はあらゆる場合において、本編準拠でFFを書いているからだ。そして、彼女たちが本編とかリナレイ、ファーストなどという言葉を知っているのが何よりの証拠だ。

「この娘は……」

 長い沈黙の後、本編レイが消え入りそうな声で言った。

「碇くんの夢……理想なのね……」
「違う!!」

 リナレイがびっくりするほど大きな声で叫んだ。

「あたしは碇くんの理想なんかじゃない。碇くんは、あたしなんかよりお姉ちゃんやアスカの方が好きなの! 悔しいけど、話してればわかるもん」
「それも違うわね」

 アスカがポツリと言う。

「シンジはアタシなんて見てない。ま、もっとも」

 彼女はひとつ息をついた。

「アタシもシンジなんて見てないけどね」
「お前ら、落ち着け。お茶でも飲め」

 俺は両手を広げた。

「シンジが誰を好きかなんて、俺は知らん。リナレイがシンジの夢なのかどうかについても判断を保留する。情報が少なすぎるからな」
「……」
「ただ個人的な見解としては、リナレイがシンジの理想だというのは違うと思う。可能性としては否定しないが、あれはあり得るケースの一つに過ぎない」
「……」
「だがな。そんなことはどうでもいいことなんだよ」

 俺はお茶を一口すすり、もったいをつけてから話しを続けた。

「君たちがエヴァのキャラだろうが何だろうが、そんなことはどうでもいいんだ。誰しもが誰かに、例えば神に創造された存在なんだからな。誰もが誰かに愛されたいと願い、誰かを愛して生きている。それでいいじゃないか」
「アタシは別に——」
「愛っていうのはな」

 やや白けた顔で突っ込んで来るアスカの言葉を遮って続ける。

「別にあの人かっこ良くて好きとか、あの子は可愛くて好きとか、そういう異性間の愛情のことだけを言ってるわけじゃない。もちろんそれも大事だけどな」

 俺は何を言ってるんだという思いがちらっと頭をかすめたが、始めた説教は止まらない。こうなったらいかにごまかし切るかだ。

「自分を見て欲しいという気持ちは、愛されたいという気持ちだ。無に還りたいという想いは、愛されなければ生きて行けないという気持ちの裏返しだ。愛されたいなら、生きて行こうと思うのなら、誰かを愛することを学ばなければならない。それが生きるということで、幸せになるということだ」
「……」
「君らは今、ここで何かを考えている。その事実を否定することは誰にもできないんだ。デカルトだぞ。考えているということが、存在しているということだ。生きているということなんだ」
「あたし、あんまり考えてない」
「黙って聞け」
「はぁい」
「自分が誰なのか、何処から来たのか悩むのはいい。だがそれに囚われていてはだめだ。これから何処に行くのか、何処に行きたいかを考えた方が前向きだとは思わないか?」
「……あんた、割といいこと言うわね」
「作者だからな」

 俺は胸を張って答えた。
 何とかごまかし切った。アスカの俺を見る目には、わずかながら尊敬の色すら含まれているような気さえする。いい気分だ。

「いくつか、確認しておきたいことがあるの……」

 ずっと考え込んでいた本編レイが口を開いた。

「何でも聞いてくれよ」

 気分の良かった俺は、鷹揚に頷いた。あのアスカにほめられたのだ。

「私たちはエヴァンゲリオンというアニメーション作品のキャラクターとして創造された、とあなたは言ったわ」
「言ったな」
「そして、あなたがエヴァンゲリオンというアニメーションを作ったのではない」
「その通りだ」
「だとすると、あなたは私たちを創造したわけではないのね」
「そうだな」
「つまり、あなたは私たちにとっての神ではない」
「当たり前だ。俺は単なる二次創作の作者に過ぎん。そんな大したもんじゃないさ」
「二次創作って?」

 アスカが割って入った。

「簡単に言えば、この場合はエヴァンゲリオンの設定やキャラ——まぁ君たちのことだな——を使って、適当にでっちあげた話のことだ」
「元々のエヴァンゲリオンを作った人やアタシたちに、何の断りもなく?」
「そうだ」
「勝手にやってるってこと?」
「悪いか?」
「ちょっと! じゃあアタシたちは厳密にはあんたの作品の登場人物なんかじゃないんじゃないのよ! 人の作ったキャラ借りて勝手にやってるだけなのに、なんでそんなに偉そうなのよ!」

 アスカが叫ぶ。俺は傲然と言い放った。

「俺はそういう奴だからだ」
「直した方がいいわね。その性格」
「なんだと!」

 俺は激高して叫んだ。

「お前にそんなことを言われる筋合いはない!!」

 突然、背後から声が聞こえた。

「みんな、ここにいたんだね。探したよ」
「碇くん!」
「シンジか? なぜここが分かった?」

 シンジは俺の言葉を無視した。

「さ、帰ろうよ。おいしい鮭が手に入ったんだ。今晩は僕がご飯を作るよ。出演依頼も殺到してるし、こんな連載止めてるような人の相手なんかしなくても」
「待てシンジ。なぜお前がそんなことを知ってる?」
「調べたんですよ。ミサト先生に聞いてちょっと検索したら、すぐに分かりました」
「お前、態度でかいな」
「あなたほどじゃありませんけどね」
「なんだと貴様!」

 俺は再び激高した。

「元はと言えば貴様がしっかりしねえからこんなことになったんじゃねぇか! 作者の力を思い知らせてやる! ちったぁ反省しろや!」

 俺はすばやくマウスをドラッグしてシンジの発言を反転させ、思いっきりデリートキーを押した。

「わははは。どうだ。思い知ったか。……あら?」
「そんなことをしても無駄です。調べたって言ったじゃないですか。ファイルはもう転送済みです。ああ、文字コードはshift_jisにしてありますから」
「き、貴様……勝手なマネを……」

 俺は口唇をわなわなと震わせる。怒りで言葉にならなかった。

「さ、帰ろうよ。こんな所にいてもしょうがない。僕たちは僕たちの力で生きるんだ。もし誰かの力を借りるとしても」

 シンジは俺を一瞥した。

「こんな口ばっかりでちっとも書かないような人の助けを借りる必要はないんだ。この人の、作品とも呼べないような文章の中では名前を出すのもはばかられるような、とっても有能な人がいるんだからね。実際、出演依頼も来てるんだし」
「ねえ、出演依頼ってなに?」

 リナレイの当然とも言える疑問に、本編レイもアスカもうなずいた。

「僕もミサト先生に聞いたばっかりでさ……話すと長くなるんだけど……詳しくは帰ってから話すとして……」

 シンジが頭をかきながら考え込む。

「二次創作っていうのがあって……」
「さっき、この人に聞いた」

 リナレイが俺を横目で見ながら言った。

「そんなら話が早いや。僕たちにさ、自分の小説に出てくれませんかって、お願いが来てるんだよ」
「へぇ。依頼があるんだ」
「それが普通なんだよ。依頼するのがね」

 奴は茫然としている俺をちらりと横目で見る。

「最後はみんなが幸せに暮らせるような、素敵なプロットがいくつもあるんだ。ちゃんとした文章を書ける人もたくさんいるよ」
「そういう話に、出演できるのね?」

 黙っていた本編レイが、ほのかに頬を染めて言う。

「お姉ちゃん! 碇くんを独り占めにしたら、いくらお姉ちゃんでも許さないから!」
「まぁそれはシナリオよね」

 アスカが冷静に言い、何を思ったか一転して眼を輝かせる。

「もしかして加持さんとも……」
「それはシナリオ次第ね」

 本編レイが冷静に突っ込んだ。アスカが気にせず続ける。

「ある意味じゃ、いろんな恋が楽しめるって事よね。シンジ、ちゃんとしたシナリオなら、あんたと仲良くしてやってもいいわよ。そうそう、カヲルも悪くないわね」
「ま、まぁそれは作者次第だから。嫌なら断ればいいんだし」

 シンジが脂汗を流しながら言う。

「とにかく帰って、台本見ながら出演作を決めようよ」
「そうね」

 奴の言葉に全員がうなずいた。

「ま、待ってくれ。俺を——」

 見捨てないでくれ。俺の作品にも出演してくれ。次からは勝手に使ったりしないでちゃんと依頼もするから。そう言おうとした俺をシンジが遮る。

「言っておきますけど、あなたがここにいるのように見えるのは、まだキャッシュが残っているからに過ぎません」
「ま、まさか……そんな……。お茶でも飲むか?」
「いえ、結構です」

 シンジはあっさりと断った。

「自分がどこにいるのか、すぐに気づくと思います。あなたにもう少しまともな話が書けるようになったら、また会えるかも知れませんね。期待してますよ。じゃあその時までお元気で。さようなら」
「じゃあね。バイバイ」

 リナレイが笑顔で手を振り、本編レイは無表情に俺を見る。アスカは見ようともしない。

 ——シンジよ。ずいぶんと立派なセリフを吐けるようになったじゃないか。その百分の一でも実行できれば、レイでもアスカでもリナレイでも、十分に守ってやれるな。

 そんな捨てゼリフを吐こうと思った瞬間、目の前が暗くなった。キャッシュが消えたのかと思う間もなく、俺は失神していた。



 気が付くと、そこは暗闇だった。数え切れないほどたくさんの、書き掛けの小説やボツファイルが横たわっている。ここはFFの墓場、いや、作品とすら呼べない文章たちのゴミ捨て場なのだろうか。つまり俺の作品も、もっとはっきり言えば俺自身もボツになったということか。
 俺の気持ちは不思議なまでに落ち着いていた。

 仕方がない。大して書いてこなかったし、努力もしなかったしな。まぁいいさ。上手くなればまた会えるかもしれないって、シンジも言ってくれたし。これからも自由にやっていくさ。
 とりあえず連載を再開しよう。まず出演依頼をしないといけないな。しかし断られたらどうしたらいいんだろうか……。
 でも今は、少し休ませてくれ。一眠りしたら必ず再開するから。

 横になれる場所を探すために、再び周囲を見渡す。

 もしかすると水槽にいた沢山のレイも、捨てるには忍びなかったボツのレイなのかもしれない。

 そんなことを思いながらパソコンの電源を落とし、俺は消えた。


end

参考文献:動物化するポストモダン/東浩紀


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