「ねえ」
「なに?」
「どうして授業中私のほう見てたの?」
「え?」
いつものように並んでの帰り、長く伸びた二人の影を眺めるように彼女は話しかけてきた。
「ずっと見てたでしょ、私のこと」
「いけない?」
「別に、そうじゃないけど」
「ならいいじゃない」
「そうじゃなくて」
はぐらかす僕に彼女は見るからに不機嫌だった。弁解するように僕は言葉を紡いだ。
「言いたくないわけじゃなかったんだけど」
「言ってよ」
言おうとして僕はくすっと笑った。
「綾波、授業中ペン落としたでしょ」
「ええ」
「あれ拾おうとして手伸ばしてたの、なんか面白くてさ」
「ひどい」
「ごめんごめん」
彼女はいまひとつ不服そうだったが、いくらか機嫌は戻したようだった。そしてふと立ち止まった。
「碇くん」
「ん?」
「この後空いてる?」
「空いてるけど」
「ちょっと英語教えてほしいの」
「綾波さんともあろうが珍しい」
「馬鹿にしないで」
「じゃあ化学教えてよ。どうも理系の教科は合わないみたいで」
「いいけど」
そういうと彼女はポンッと僕の頭を小突いた。
「今、やましい事考えたでしょ」
「なんでだよ」
「目が浮いてた」
「まさかぁ」
「だって碇くん、顔の割にそういうこと考えるから」
「その言い方ひどいなぁ」
ちょっとしょんぼりした僕を、少し彼女は気にしたけれど、すぐに気を取り直すと腕時計を一瞥して僕に言った。
「ねえ、もう結構な時間だから、晩御飯ついでに食べてかない?」
「いいの?」
形だけ聞いてはみたが、念を押すだけのようなもので特に意味はない。
「何にする?」
「別に何でもいいよ」
「なら茄子でも焼こうかしら」
「何でまた茄子」
「嫌なら来なくてもいいわよ」
「誘ったのは綾波のほうじゃないか。それにしても、綾波って菜食主義?」
「別に」
「なら茄子じゃなくてさ、何か…鍋とか」
「食べたいの?」
「いや、別に……」
くだらない言い合いをしているうちに、ふと彼女が笑って、つられて僕も笑った。
並んで帰る。家に上がって一緒に食事をする。どうでもいいようなことにこだわる。そういった全てが、あのときにはなかったバランスの上に成り立っているんだ、と思うと奇妙に思えて、また笑った。
果たして、あのときの僕らに今の二人が想像できただろうか。まさか。
そして、これから先はこんな穏やかな時が続けば、と思う。突拍子もない出来事なんかは十分すぎるほど経験したのだから。
「ねえ」
僕を呼ぶ彼女に気がつくと、空には月が出ていた。もうそろそろ満月だっただろうか。
「月、綺麗よね」
「あんまり綺麗じゃないなぁ」
「そう?」
どこかうっとりした様な感じで空を見ていた彼女は、水に打たれたような顔をして僕を見た。そう反応してくれなきゃ、と見つめ返す僕。
「もっと綺麗なもの、近くにあるから」
一瞬、時間が止まる。
「何を言うのよ」
しれっと惚気て見せた僕に、彼女は純情にも真っ赤な顔を上に逸らした。
「でも、月も綺麗だよね」