砂時計〜巣作り〜作yo1
此処はNERV司令室のドアの前、僕と彼女が揃って立っている。二人で訪問する旨は連絡済みであり、待たされる事は無いであろう、護衛官の一人が僕達の到着を司令室に伝えている。「どうぞ、お入り下さい」恭しく頭を下げられたので、僕達は司令室へと入室した。 無意味に広く薄暗い部屋の中央にデスクが有り、父と冬月副司令が待っていた。父は何時ものスタイルで座り、冬月副司令は腕を後ろに組み直立している。 「シンジ君に、レイ君、待っていたよ」 冬月副司令が優しい眼差しと穏やかな声で迎えてくれた。 「冬月副司令、父さん、失礼します」 僕は頭をペコリと下げ、彼女と手を繋いで、ゆっくりとデスクに歩み寄る。 「父さん」 父親と話をする時には何時も目を逸らしていた僕だが、今は真っ直ぐに父を見つめて声を掛けた。 「どうした、シンジ」 関心が有るのか無いのか分からない声色の返答に(僕も大人になったらこんな無感情の父親になるのかな……)と、心配になってしまう。実は碇ゲンドウにも感情表現は存在する。存在するが極端に希薄であって、気付けるのは冬月副司令くらいであろう。 「綾波が」 「あぁ、レイ君が入院していたんだね。退院したと連絡は受けているよ」 僕が切り出したのを、冬月副司令が遮った。 「もう風邪は大丈夫なのかね?」 「はい、風邪は完治しました。ご心配お掛けしました」 この部屋に入ってから初めて彼女が声を発した。 「実は、綾波の風邪の完治の報告の他に、もう一つ報告があります」 僕の真剣な声色に、父は「む」と、反応し、続けて冬月副司令も多少驚いて質問を返す。 「他の報告かね? 赤木博士からは何も情報が無かったが?」 僕は彼女と見つめ合い、互いの意思を確認すると、繋いでいる手を強く握り直し、単刀直入に言った。 「父さん、綾波は僕の子を妊娠しました。今は妊娠一ヶ月です」 僕の突然の告白に、声が出ない父と冬月副司令。 数分の沈黙を破ったのは父であった。 「レイ、本当か?」 彼女は、僕の横顔を見つめてから「はい」と、はっきりと返事をした。 「驚いたな……シンジ君……レイ君……」 唖然とする冬月副司令。 「冬月、赤木博士に確認を頼む」 父は指示を出すと、頻りにサングラスの位置を気にし始めた。 「ああ、今すぐ」 冬月副司令は慌てて赤木博士に電話を掛ける。 「父さん、僕達はきちんと話し合って、この子を産み育てると決心しました」 僕が凛とした態度で父親に決意を陳べると、彼女は俯いて頬をピンクに染めた。 「碇、赤木博士から確認が取れたぞ、レイ君は間違いなく妊娠しているそうだ」 電話を終えた冬月副司令が報告する。 「うむ」 父は腕を組み直し、サングラスの位置を気にしている。 「では、シンジ君、君達は此れからどうしたいのかね?」 冬月副司令が優しく問う。 僕は、事前に彼女と話し合い、決めていた事を語った。 「はい、既に僕は綾波に婚約指輪をプレゼントしています。ですから近々に正式に婚約したいと思います。そして綾波と二人で生活出来る部屋を準備して頂きたいのです。出産迄は普通に学校にもNERVにも通います。ですが安定期を迎える迄は、激しい運動を避けられる様に、出産の前後は、綾波が休める様に、双方に便宜を図って頂きたいのです」 「ふむ、……碇、どうするかね?」 「むぅ」 この時、碇ゲンドウは、シンジが産まれたばかりの頃、ユイと共に幸せだった頃を思い出していた。 (―― セカンドインパクトの後に生きていくのか、この子は。この地獄に。 ――) (―― あら、生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。 ――) (―― だって、生きているんですもの。幸せになるチャンスは、どこにでもあるわ。 ――) (―― そうか……そうだったな。 ――) 「君達、子育てをするには、若過ぎると思わないかね?」 冬月副司令が諭す様に問う。 「僕は……僕達は、授かったこの子を、僕達の子を愛しています」 「私も、母親になれて幸せです」 「父さん、我が儘なお願いばかりで、ごめんなさい……どうか僕達を許して下さい」 僕と彼女の固い決意は、伝わったであろうか。 「シンジ……よかろう、全て手配する。不都合があれば又来い」 そう言うと父は立ち上がった。 「父さん、有難う御座います」 僕達は、深々と頭を下げてから、きびすを返し退室する為にドアに向い歩き出した。 「レイ」 父の呼び止めに、僕達は立ち止まり振り向く。 「シンジと幸せになりなさい」 碇ゲンドウにしては珍しい、心のこもった言葉に、軽い驚きと深い感動を感じた。 「はい」と、返事を返した彼女は、口元を押さえ涙を零した。 二人が退室した司令室では。 「碇、これでは我々のシナリオが……」 「冬月先生、ユイを諦めた訳ではありません……しかし、孫の顔を見るのも悪くないと思いませんか」 冬月にはゲンドウが微笑んでいる様に見えたのであった。 NERVを出た僕達は、ミサトさんのマンションに向った。此れから二人暮しを始めるのだから、ミサトさんの部屋を出る報告をしなくてはならない、リニアの中で彼女は泣き続けていた。 「綾波、大丈夫?」 僕は心配で、彼女の背中をずっと擦っている。 「ひっく……うん……私、嬉しいの、碇司……碇君のお父さんに認めてもらえて……うぅぅ」 レイは『シンジと幸せになりなさい』の言葉を心の奥に刻み込んだ。 葛城家に到着したが、アスカやミサトさんが帰るには、まだ間がある。彼女をソファーに座らせて毛布を掛けてあげる。 「綾波はそこで休んでて、飲み物準備するから」 僕は手際よく紅茶の準備を始めた。ケトルに水を入れてコンロの火に掛けたまでは良いが、つい思考の海に沈んでしまう。 (父さんに認めて貰えた……良かった……新しい住居が決まれば、僕の部屋と綾波の部屋から引越し……) (二人暮しでの不安は……やはり出産迄の綾波の体調管理か……無論、初めての経験だし、知らない事だらけだし……) (経験者のアドバイスが貰えれば助かるけど……思い当たる人が居ない……これは主治医の赤木博士に相談してみよう……) (妊娠の事は誰に、何処まで話すべきか……ミサトさんとアスカには隠すのは難しいだろうし……当然だけど学校では秘密に……) 「……くん」 「……」 「碇君!」 突然、彼女の呼ぶ声に気付いて驚いた。 「え!? な、何?」 「碇君、お湯が沸いてるわ」 「あ! ご、ごめん」 僕は苦笑いをしながらガスの火を消し、ティーポットにお湯を注いだ。 リビングのテーブルに紅茶のカップを置くと、ミルクを入れたアッサムティーの甘い芳醇な香りが部屋いっぱいに広がった。紅茶にはカフェインが多く含まれていて、ストレスからくるイライラや神経からくる不安感などを解消させリラックス効果があるらしい。 僕は彼女の隣に座ると毛布の中に手を入れて、彼女のお腹にそっと触れてみる。 「碇君、くすぐったい」 彼女は頬を紅く染めて目を細めた。 更に、お腹に顔を近づけて「ねぇ僕がパパだよ、君と早く会いたいな。愛してるよ」と話しかけてみる。 彼女も自分のお腹に手をあてて「私がママよ、愛してるわ、私の赤ちゃん」と言って微笑んだ。 そして僕達は見つめ合い、そっと唇をかさねる。午後のひと時が優しく過ぎて離れる唇、僕は「愛してるよ、綾波」と囁いた。 僕達がお茶を楽しんでいる所に、無粋にも携帯の呼び出し音が鳴る。僕は「ごめんね」と言って携帯に出た。 「はい、碇です……あ、冬月副司令、先程は……はい……はい、有難う御座います……はい、失礼します」 僕が丁重に返事をして電話を切ると、彼女が心配そうに聞いてきた。 「何かあったの?」 「うん、僕達の新居が決まったって……」 「どこ?」 彼女が小首を傾げる。 「と、隣だって……此処の……」 妙にいじけてしまった僕に、彼女は微笑みながら言った。 「生きていこうと思えば、どこだって天国になるわ。だって、生きているんですもの。幸せになるチャンスは、どこにでもあるわ」 「そうか……そうだね」 元気を取り戻した僕は、彼女をそっと抱きしめた。 「そろそろ夕食の仕度始めるね」 僕が立ち上がった所に、玄関のドアが開きアスカが帰宅してきた。 「あぁぁぁぁ!!バカシンジ! 学校サボって何してんのよ!って、レイ!退院できたの!?」 綾波がコクンと頷くのを見るや否や「レイ! おめでとう!!」と叫んで抱きつくアスカ。 「あ、ありがとう」 綾波は頬を染めて恥ずかしげにお礼を言うが、アスカは放さない。 「もう!数日って聞いてたのにぃ1ヶ月も入院して! 心配しちゃったじゃない!」 漸く綾波を解放すると、 「シンジィ何か冷たい飲み物ちょうだい! 興奮したら喉渇いちゃった」と、言うやカバンをテーブルにドスンと置いた。 僕はグラスに氷を入れてオレンジジュースを注ぐと、微笑みながら「はい、アスカ」と手渡す。 アスカは片手を腰に当てて、一気に飲み干すと「着替えてくる」と自室へ入っていった。 僕がエプロンを付けて台所に立ち、トントンと小気味好い音を響かせ始めると。 「碇君、私も手伝う」 と、綾波もエプロンを付けて台所にやって来た。 「ん〜じゃあ、綾波は野菜を洗ってくれる? でも無理しちゃダメだよ」 何時の間にか着替えてきたアスカが、食卓について、台所に立つ僕達の後姿をボンヤリ眺めてボソリと言った。 「あんた達……楽しそうね」 「えっ!あの、その、ふ、普通だよ普通!」包丁のリズムが乱れる僕と、「な、何を言うのよ……」赤い顔で俯く綾波。 食卓には、美味しそうな料理が沢山並んで、後はミサトさんの帰りを待つばかり。 「お〜なか♪すいた〜♪お〜なか♪すいた〜♪お〜なか♪すいた〜♪」 呪文の様に訳の分からない歌を歌うアスカを見て、僕と綾波は思わず笑ってしまう。 「ただいま〜!おぉ!いい匂い〜♪」主の帰宅である。 「ミサト!おそ〜い!」アスカが言うと「ごみん、ごみん、直ぐに着替えるから」とおどけるミサトさん。 此処には本物と同じ家族の姿がある。 (家族って、やっぱり良いな〜。僕も綾波と赤ちゃんと楽しい家庭を……)僕は心に誓うのであった。 その日の葛城家の夕食は、綾波の退院祝いを兼ねて大いに盛り上がった。ミサトさんはビールを飲みまくり、アスカは綾波が休んでいた間の学校の様子を楽しいそうに話し、僕はお代わりの注文に大忙しであった。 料理も無くなり、宴会も終わりに差し掛かった頃、僕は綾波に目配せをすると、姿勢を正して改まって話しを切り出した。 「ミサトさん、アスカ、大事な話しがあるんだけど」 「な〜に〜シンちゃん、お姉さんがドーンと聞いてあげるわよ!」 「ぼ、僕と綾波の間に赤ちゃんが出来たんだ……」 あれ程盛り上がっていた食卓が静寂に包まれた。ミサトさんの酔いは一気に醒め、アスカは口をポカンと開けたまま固まっている。 「本当なんだ、病院の検査で分かったんだ。……新居も決まって、此処の隣なんだけど……明日から引越しを始めことに……」 「嘘!!そんなの信じない!!」 アスカがドスンとテーブルを叩き立ち上がる。 「アスカ!」 僕がアスカの腕を掴もうとするが、アスカはサッとかわして自室へ駆け込んでしまった。後ろを向く時のアスカの瞳からは涙が流れていた。僕は追いかけ様としたが、綾波がそれを制止した。 「私が行く」 綾波がアスカの部屋に入って行くのを、僕とミサトさんが見守った。 残ったミサトさんに僕が説明を行った。風邪で入院した綾波が検査の結果、様子を見る為に退院が遅れた事、退院の日に妊娠の事実を赤木博士から聞かされた事、碇司令から二人の事を認めて貰えた事、新居が準備された事、出産迄はNERVにも学校にも普通に通う事、安定期に入る迄は危険な運動をしない様に配慮して貰える事、妊娠の事実は、赤木博士、父さん、冬月副司令、ミサトさん、アスカだけの秘密にする事、順を追って全て話をした。 「そう、分かったわ、正直驚いたけど、私はシンジ君達を応援するから、心配しないでね」 ミサトさんの言葉に救われる思いの僕であった。問題はアスカだ、大丈夫だろうか。 アスカはベッドの端に泣き崩れていた。 「アスカ……」 「来ないで! うぅぅ……」 アスカは肩を震わせ泣いている。私はアスカの隣に跪くと彼女の肩をそっと抱いて、「貴方も碇君を愛しているのね」と、優しく語りかけた。アスカはビクンと反応したが返事はしなかった。 「貴方は碇君の優しさに惹かれ。全てを受け入れてくれる心に惹かれ。そして彼を好きになったのね」 「勝手な事言わないでよ!! そう思うなら返してよ!! シンジを返してよ!! うぁぁぁぁ」 「ごめんなさい……」 「赤ちゃんが出来ちゃったら、私が敵う訳ないじゃない!! バカ!! 嫌い!! 嫌い!! 大嫌い!!」 アスカは狂った様に、髪の毛を掻き毟った。 「今から大切な事を話すから……お願い、聞いて欲しいの……」 「嫌!! 何も聞きたくない!!」 私は深呼吸してから覚悟を決めて話し始めた。 「私は人間じゃないの……私は碇君のお母さん、ユイさんのDNAと第二使徒リリスの体組織から作られたクローンなの」 アスカの動きが止まった。 「私は多分二人目、一人目の綾波レイは消えた、分かるの、多分零号機のコアに取り込まれているわ、碇君のお母さんと同じ様に」 「な、何言ってんのよ」 アスカの声は震えていた。 「人工進化研究所3号分室、そこが私が作られ育てられた場所、初号機のコアに取り込まれたユイさんと再び会うために、碇司令が作った物、それが私……その時が来れば私は無に還る、それが宿命……だから私は何も望まなかった……」 私の瞳から涙が溢れだした。 「でも、碇君は、そんな私を……人でない私の事情を知っても、私を愛してくれたわ……嬉しかった……そして、赤ちゃんが出来たの」 アスカは顔を上げ、私を見つめた。 「私……幸せよ、でも……怖いの、この子を産みたい、碇君との愛の証を産んで育てたい……でも、怖いの……だって、無に還るのが私の定めだから……もしかしたら、この子を残して、私……私……」 私は嗚咽を漏らしてアスカに抱きついた。アスカは震えが止まらない様子だった。初めて聞く恐ろしい真実に、残酷な運命に。 「あんた、そんな……そんなの、酷すぎる!人の命を何だと思ってるのよ!!」 「お願いがあるの……私が居なくなったら、赤ちゃんと碇君を……私の代わりに……貴方は優しい人、きっと碇君も好きになる……」 もう私は限界だった。涙が止め処なく溢れ、己の運命に恐れ、絶望と言う名の感情を知ってしまったから。 アスカは自分の頬を思い切りひっぱたいて、私の頬もひっぱたいた。 「しっかりしなさいよ!あんた母親になるんでしょ!大人の身勝手なんか突き放しなさいよ!!うぁぁぁぁ」 二人は抱き合って泣いた。人と人が強く結び付いた瞬間であった。互いの事情を全て受け入れ、互いを思いやる心が一つになった。 「あたしは諦めないからね!あんたが諦めたら、バカシンジを直ぐに取っちゃうからね!!だから諦めないで!!」 僕とミサトさんは、無言でアスカ達が戻るのを待っていた。今は二人を信じて。 アスカの部屋の襖が開くと、泣き腫らした顔の二人が食卓に帰って来た。座った途端、アスカが声高に宣言する。 「あたしは、レイとバカシンジを応援するわ!! ミサト!あんたも協力するのよ!」 ビシッとミサトに指を突きつけるアスカであった。 その後は、和やかに食後のお茶を飲み、僕が洗い物を終えると、時間は午前二時を過ぎていた。順番にお風呂に入り、それぞれの寝室へ戻り眠りについた。綾波は僕の部屋で一緒のベッドに横になり、僕の腕枕に頭をのせて、僕らは抱き合って眠りに落ちた。 翌朝、主夫である僕が一番に起きだし、朝食の準備をしていると、レイ、アスカ、ミサトさんの順で起きてきた。 僕は元気よく朝の挨拶をかけるが。 「おはよう!綾波」 「おはよう……碇君」低血圧の綾波は、僕を見つめたままボーっとしている。 「おはよう!アスカ」 「お、おはよう……」寝不足のアスカは、食卓に付いたが、自分の箸を握り締め、その後無言。 「おはようございます!ミサトさん」 「ふぁ〜あ……お……はよ……う……」寝不足のミサトさんは、あちこちにぶつかった揚句、その場で二度寝を始めた。 僕は三人の元気が出るように、それぞれの好みに合ったオカズを用意した。戴きますの頃には全員復活して、僕の手料理に舌鼓をうっている。 「シンちゃん、このアジの干物焼き、ビールのおつまみに最高よ!」 「これこれ!このハンバーグ!美味しい〜!バカシンジにしては上出来よね〜」 「碇君……サラダ……美味しい」 「ありがとう、みんな」 「あんた達の今日の予定は?」 アスカが口をモグモグしながら聞いた。 「えっと、綾波は普通に学校に行ってね。僕は引越しの準備あるから、今日も休むよ」 「えぇぇ!あんた!また休む気?!」 「だって、仕方ないよ……」 「碇君……私も手伝いたい……」 「力仕事が多いから、綾波は学校に行って欲しいな」 「……はい」 僕の微笑みのお願いに、頬をピンクに染めて頷く綾波。 「なんか暑いわね……」 アスカがジト目で僕を見る。 全員食事が終わって、僕が洗い物を始めると、ミサトさんは着替える為に寝室に、アスカはシャワーに行ったのを確認した綾波が、台所の僕の後ろにトコトコやって来て、僕の裾をクイクイ引っ張った。 「うん?どうしたの?」 僕が振り向くと、目を瞑り、両手を後ろに組んで、唇を捧げる格好の綾波が居た。僕はドキッとして、顔を真っ赤にしながら、綾波の身体をそっと抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。数秒後、そっと離れると、目を細め、瞳を潤ませている綾波が目に入り、理性が吹き飛んでしまうのをなんとか我慢した。 「あ、あ、綾波!学校行く準備しないと……」 綾波はアスカと一緒に学校へ、僕はミサトさんの車に乗せてもらいNERVへ出かけて行った。 NERVの駐車場でミサトさんと別れ、僕は赤木博士の部屋へと向う。 ノックをすると、ドアが勝手に開いたので「シンジです。失礼します」と挨拶をして入室した。 「おはよう、シンジ君。適当に座って頂戴」 赤木博士が微笑みながら、デスクの方に手招きする。 「おはようございます。赤木博士」 僕はデスク正面の椅子に腰を下ろした。 「シンジ君、これ預かってるわよ。新居のカギですって」 二枚のIDカードを僕の方に差し出す。 「あ!有難う御座います」 僕はペコリと頭を下げて受け取った。 「あの、赤木博士。お願いが有るんですが、良いでしょうか?」 「お願い?どんな事かしら?」 「はい、僕も綾波も、その、赤ちゃんに付いての知識が足りなくて、ご指導をお願い出来ないでしょうか?」 「そう言う事」 赤木博士は、ちょっぴり困った顔をした。 「私だって、出産の経験は無いのよ、専門医でもないし、指導と言っても、医師としての助言程度しか出来ないわよ?」 「はい、宜しくお願いします」 「分かったわ、じゃ準備よくって?」 それから三時間、出産に向けてと、出産時、出産後に関する貴重な助言を受けた僕は、少しだけ心にゆとりが出た気がした。 「以上の他に、出産に関する雑誌とビデオを準備しておいたから、これも参考にすると良いかもしれないわね」 「赤木博士、有難う御座いました」 「今度はレイを連れていらっしゃい、今後は定期的に検査します。次回来た時に母子手帳を渡すわね。頑張ってね。困った時には何時でもいらっしゃい。」 雑誌とビデオを受け取った僕は、立ち上がると、もう一度ペコリと頭を下げて退室した。 NERVから戻った僕は、手始めに新居の掃除を始めた。何も無い部屋なので一時間程で片付いた。次に葛城家の自室に行き、運べる物は全て運んだ。近所のDAYショップに、炊事、洗濯、掃除に必要な小道具を買出しに出かける。カーペットやカーテン等の人の好みが分かれる物は、彼女が帰ってから買う事にした。 葛城家で一休みしていると、綾波とアスカが学校から帰って来たので、お茶をしながら今日の成果を話すと。 「それじゃさぁ、まだ買ってない物も沢山あるのよね?」 アスカが目を輝かせて聞いてくる。 「う、うん。そうだけど……」 「よし!買い物行くわよ!さぁ早く!」 何故か張り切るアスカに急かされて、駅前のデパートに三人で買い物にやって来た。 「カーペットはコレね! カーテンは……迷うわね、やっぱりコレね!」 と、次々と注文して行くアスカ、僕はこっそり綾波に「いいの?」と聞くと、笑顔で「いいの」と返事された。 全ての注文が終わると、ついでに地下の食品売り場で、今夜の夕食の材料を買い足して帰宅した。僕が早速夕食の準備を始めると、アスカと綾波が仲良く、 「あの色だったら、飽きがこないから大丈夫よ」 「そうなの?」 「そうそう、あたしが言うんだから間違いなしよ!」 と、買い物談義に花を咲かせている。それを見た僕も嬉しくなって、今夜のメニューの構成を変更し、豪華な料理を腕によりをかけてこしらえた。 夕食の時間になると、ミサトさんが赤木博士を連れて帰ってきて、食卓に並んだ料理の数々に、目を丸くして驚いていた。 一口食べた赤木博士は、 「シンジ君、私のお婿さんにならない?」 と、大人の色気で誘いをかけてくると、綾波とアスカの目が鋭く光る。 後片付けも終わり、お風呂にも入った各々は、「おやすみなさい」と寝室へ入っていった。 僕の部屋では、綾波を後ろから抱きしめる様な格好でベッドに寝ている。 「ベッド以外の荷物、無くなっちゃったね」 「そうね」 「明日は、買い物した荷物が届くから、僕は学校休むね」 「碇君ばかりに負担を掛けて、ごめんなさい」 綾波がションボリするので、僕は囁いた。 「明後日からは、僕らの新しい暮らしの始まりだよ」 綾波の耳を甘噛みする僕。 「あん」 「明日は、綾波が学校から帰ったら、綾波の部屋の荷物を取りに行こうね」 パジャマの上から綾波の胸を優しく触れる。 「んっ」 「愛してるよ、綾波」 彼女は堪らず寝返りをして、僕と向き合うと、唇を求めた。甘い吐息の夜がふけていった。 翌日は、十時頃から業者が荷物を運んできて、新居の内装が次々と揃ってゆく。クロスを張り替えて、カーペットを敷き、大型の家具や寝具や家電製品を設置する。僕は小物を棚や引き出しに納めて、お米や冷蔵庫の中身を買出しに出かけて、全て収納した頃には、午後の三時をまわっていた。 綾波が学校から帰って来るのを待って、以前、彼女が暮らしていた部屋に行き、必要な物をまとめる。一つ一つ感慨深げに思い出を集め鞄に仕舞ってゆく。幾ら時間が掛かろうとも僕は構わなかった。彼女の想いを大切にしたいから。 「碇君……」 「もう良いの?」 「……うん」 彼女は、閉まったドアに向って「さよなら」とお別れをし、僕と手を繋ぎ思いでの部屋を後にした。 夕日が僕達を紅く染め、長く伸びた影が、名残惜しんでいる様だったが、僕達は振り向かなかった。 そして二人の新しい生活が始まる。 《砂時計は、サラサラと砂を落とし、二人の門出を祝っている様だった》
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