「じゃあ、これからこの映画見に行ってみようよ」


ある日、僕たちのグループの一人がこう言いだした。

推薦組のアスカと綾波と洞木さんは早々に大学に合格。しかも三人揃って一流の国立大。
僕とトウジとケンスケは、センター試験に向けて追い込みに入ってる、そんな時期のこと。

『勉強ばかりじゃ息が詰まるじゃない、気分転換しない?』と、一度言い出したらどんなことがあっても自分の意見を押し通すアスカの提案で、まる一日遊ぶことが決まった。
国立狙いの僕たち三バカトリオにとっては、センター試験を目の前にこんなこと提案されては堪った物ではない。
それでも、勉強にほとんどの時間を費やしている僕らにとって、この提案は甘い蜜のように魅力的だった。

そして早速翌日に学校近くにある喫茶店に集合。僕が遅れて到着した頃には、誰かが映画が見たいと言ったらしく、みんなでシネマ雑誌を囲み、何を見るか決めているところだった。

そのシネマ雑誌に、ページをたくさん割いて一つの映画が特集されていた。
アメリカから入ってきた映画ってのは、おもしろくてもそう大したものでなくても、『全米No.1ヒット!』とか『全米で何周連続一位!』と銘打って日本に入ってくるわけだけど、例に違いなくこの映画もそのたぐいのものだった。

なんでも、『全米でラブストーリー部門の観客動員数過去最多』だとかなんだとか。

こういうのに弱い日本人はこぞって映画館に足を運ぶわけだけど、初上映から2ヶ月経った今もなお、興行ランキングで上位3位の中に常に入っている。
そして映画館に足を運ぶのは、恋人同士が半数以上を占め、リピーターも多いのだとか。

内容はと言うと、基本は多重人格障害を持った18歳の大学生の男性と、その同級生の恋人とのサスペンス的な恋愛物だ。
普段の二人は仲のいい恋人同士なんだけど、本来の男の人格じゃない別人格ってのが別の女の人に走っちゃって。
それだけなら良いんだけど、別の人格ってのが少しヤバくて、猟奇的なんだよね。
次々に付き合う女の人を殺して行って、殺すことで快感を得てる、いわゆる快楽殺人者。

人格が入れ替わるときの表現の仕方がリアルで、評判になってる。
それから、なんと言っても感動して泣けるという噂で持ちきりなんだ。

最後のへんになると、快楽殺人者の方の人格が強くなっちゃって元の人格が出てこれなくなってしまうんだ。で、ついには同級生の恋人まで殺そうとするんだけど、そこで二つの人格がせめぎ合うんだよね。
『殺してくれ』という男の言葉で、その恋人の女性が泣きながら銃でドキュン。
その最後の最期は、完全に元の人格に戻って『ありがとう』って笑顔で死んで行くって話。

かいつまんで話すとこんな内容なんだけど、とにかくこれで泣かない人は絶対にいないっていう噂は本物だった。
ストーリーはもちろん感動的なんだけど、演出力が良くてスルスルと感情が映画の中に入っていく。

さっそく日曜日にみんなで見に行ったんだけど、とにかくみんな号泣だった。


ただし、一人を除いて。


一番泣いたのは洞木さん。もう、目が真っ赤で少し腫れてる。

次が僕。自分の顔がどうなってるかは分かんないけど、とにかく泣いた。普段の生活で涙を流すことはほとんどないけれど、僕はドラマとか映画とか、感動ものと銘打ったものにはめっぽう弱い。

次はケンスケ、『なかなか感動的だったな』とメガネを外して目を擦っている。

そして、次はアスカとトウジ。

「か、花粉症なのよ!」(アスカ談)
「こ、コンタクトレンズがずれたんや!」(トウジ談)

ちなみに、アスカは至って健康体。トウジは裸眼で2.0あることが自慢。


そして、もう一人はと言うと…………。

否応なく、みんなの視線が残り一人に集中する。


「わ、わたし? 私はそうでもなかったわ。そんなに泣ける映画だったかなぁ。噂ほどじゃなかったね」


と笑いながら言っている。

そんな彼女を見て、いち早く復活したアスカはと言うと


「あんた、なんで泣けないわけ? 普通の感覚じゃないわ」


ともっともなつっこみをしてる。
あのトウジでも泣いたというのに、女である彼女が泣かないとは…………。


「そう言えば、中学の時転校してきてからかれこれ4年以上になるけど、レイの泣いた顔って見たことないわよね」


とつぶやいた洞木さんの言葉通り、綾波は人前で泣き顔を見せたことはない。泣き顔どころか、笑顔以外の表情を見た人がこのメンバーのなかにいるだろうか。
人に言わせると、綾波は『いつも明るく優しくて、笑顔の耐えない人当たりの良い人』なんだそうだ。

その言葉どおり、綾波はいつでもニコニコと笑顔だし、怒ることもなければ泣くこともない。
下手をすれば、葬式にまで笑顔で行きそうな、そういう子だ。


「だって、泣くようなことがあまりないんだもん」


と、彼女は満面の笑みで答える。

でも僕は知っている。
僕だけが見破ることができる、彼女の嘘。


こういう日は必ず彼女の住むマンションに寄って帰るのが、僕の生活パターンのひとつだ。

だって、…………



−帰宅−



「………これは……なに?………」


「……これは…涙……」


「………私、どうして泣いてるの?」




と、自分の手のひらにこぼれ落ちた涙を眺めながら、無表情にそうつぶやいている。


実は、こういう娘だったりするんだ。


単刀直入に表現すると、彼女は完全無欠の二重人格である。


そして、僕の恋人だったりするんだ。







JEKYLL and HYDE  前編
    Written by大丸







二重人格と言っても、今日見た映画の主人公のような二重人格ではないんだ。


それから二重人格の彼女を持ってるといっても、僕たちの恋愛は今日見た映画のようにドラマチックじゃないし、スリルもない。

でも、こんな二重人格してる人は綾波以外にいないんじゃないか………、と思うくらい凄い。


彼女を二重人格と表現するのも疑問が残る。

二重人格と言うには、あまりに彼女は意図的すぎ、完璧にコントロールできすぎているんだ。


その変化の様は、何度も目にしている僕でさえ開いた口がふさがらないほど完璧で隙がない。


この部屋から一歩でも外に出ると、彼女は明るい綾波になり、笑顔を絶やさない。そしてしゃべりまくる。

そして、この部屋に入りパタンと扉を閉めたとたん、暗い綾波になり、表情を一切出さない。そしてしゃべらない。

こうやって僕の目の前で涙を流してはいるものの、顔をゆがめることもなく、ほぼ無表情である。

暗い人格が出るのはこの部屋で綾波が一人でいるとき、または僕といるとき。
そして僕の部屋で二人でいるとき、だいたいこの3通りしかない。

綾波が一人暮らしであることを良いことに、ここが友達同士のたまり場になることがあるけど、そういうときは常にキャピキャピとしゃべりまくってるんだ。

つきあい始めて3年目になるけど、その徹底ぶりには、もう呆れを通り越して尊敬に値する。
しつこいようだけど、それほど完璧にコントロールされているんだ。

でも、本人は無意識にやっていると言う。

以前は意識して使い分けてたらしいんだけど、今ではもう一つの癖のようになってるんだそうだ。

こんな綾波は、決して精神病ではないと思うんだ。
本当の多重人格って、今日見た映画にもあったように自分の中にある別人格を意図的にコントロールできるものではないと思う。

だけど彼女は完璧にコントロールしていて、人格が変わる瞬間はいつも決まっている。

にもかかわらず、彼女は見事な二重人格である。

なのに本人は自分が二重人格であることを否定する。


「泣きたかったんなら、映画館で泣けば良かったじゃないか」


熱いレモンティーを注いだカップを彼女に渡しながら、僕はそう言う。
そう言う僕に対する彼女の答えは、視線をチラッと僕に合わせて一言。


「………別に」


無抑揚にポツリとつぶやいて、カップに口を運ぶ。
会話として成り立ってないように思えるけど、これが僕と綾波のいつもどおりの会話。

こっちの彼女とは、本当に会話がかみ合わない。
つきあい始めて少しは慣れたけど、今でもその言葉の奥にある意味を掴むのに苦労する。
なんてったって、彼女はいつも一単語ですべてを語ってしまうから。

会話してる方としては、難しい暗号ゲームをしているようなものだ。


ただ、病気の二重人格とはもう一つ異なっている点がある。

別に彼女の中に心が二つ存在しているわけではなくって、あくまで人格が二つ存在しているだけなんだ。

ややこしいんだけど、暗い綾波も明るい綾波も表現の仕方は違うけど、感情は一つなんだ。

一つの感情に対して、二つの行動パターンが存在する。

例えば恋愛の事で言うと、どちらも僕のことが好きらしい。

どちらも………という表現は違うかなぁ。

とにかく、"綾波"は僕のことが好きなんだ。


もう少し例えを挙げると、



−in 遊園地−

「ねぇねぇ、あのお化け屋敷に入ってみようよ!」
「え〜、私いや〜〜」
「いいからいいから、Let's Go!」

「キャァァァァ!!」(←洞木さんの絶叫)
「お、おい、大丈夫か? いいんちょ」

「……びくっ!! ……ふ、ふん、たいしたことないわね」(←アスカやせ我慢)
「総流って意外とダメなんだな、こう言うの」
「ば、バカなこと言ってんじゃないわよ! アタシがこの程度で怖がるわけないでしょ? 相田」

「キャハハハ、なにこれ、おもしろ〜〜い!!」(←綾波なぜか大爆笑)
「あ、あの綾波、手、繋ぐ?」
「え? みんなの前で恥ずかしいこと言わないでよ!! 碇君ったら! バカなんだから! キャハハハ」
「ご、ゴメン」


そして、こういう日は決まって綾波のマンションに泊まることになっている。


「ったく、一人で眠れないくらい怖いんだったら、お化け屋敷に入ろうなんて言わなきゃ良いじゃないか」
「………別に」

「心配して手を繋ごうって言ったのに、バカってなんだよ」
「………ごめんなさい」


お化け屋敷に入ろうと言った綾波の方も、これはこれで実は怖がってるんだ。意味もなく綾波が大爆笑する時は、何か裏があると思った方がいい。でも顔に出さないんだよね。
で、マンションに戻って別人格になったときに、そのときの感情を出すわけだ。

怖いのはどちらも同じ、気持ちは同じ。



−とある日のこと−

「レイ、あんたの彼氏がラブレター貰ったって噂があるんだけど」

「え!? 聞いてないわよ、碇君ホントなの!?」

「………ラブレターってわけじゃ」

「信じられない! この浮気者!!」

バチィィィィン!!


帰宅

ジィィィィーーーーーー・・・

表現の仕方は違うけど、僕に言いたいことは同じ。


「だ、だから、あれは頼まれたんだ。渡してくれって。……僕がもらったわけじゃないから」



−ある日−

醤油を買い出かけた綾波を、僕は部屋で待っていた。

ガチャ

醤油一本を買って戻ってくるはずの綾波が、スーパーの中くらいのビニール袋いっぱいに何かをつめて戻ってきた。

「あ、お帰り。………って、なに?その荷物」

「………………おいしかったから」

その一言で、僕はピンとくる。

「ったく、いくら試食しておいしかったからって、一人暮らしの綾波が漬け物をそんなに大量に買ってどうするのさ。いくら店のおばちゃんに勧められたからって」

「………(碇君も)食べると思ったから」

こう言われてしまっては、僕としても怒る気にはなれない。

「まったく、綾波は乗せられやすいんだから」


僕はもう一人の綾波に思いをはせ、溜息をついた。


「ところで、醤油は?」

「……………………………………………………別に………」


そして、僕はもう一つ大きな溜息をつく。

でも、綾波が僕にこの大量の漬け物を食べさせようとしたことだけは間違いない。
醤油を買うのを忘れてしまったほど、僕に食べさせたいと思ったのだろう。

ルンルンという足取りでここまで戻ってきた綾波の姿が脳裏に思い浮かぶ。
そして、この部屋に戻ったとたんこのテンションになったのだ。

ここに、暗いも明るいもない。

表現の仕方は全然違うんだけど、二人の綾波は心は一つなんだ。




こうして、僕と綾波はなんとか恋人同士をしてるわけなんだけど、僕だって最初から綾波が二重人格だって知ってたわけじゃない。
つきあい始めた頃は、まさか綾波が二重人格なんて知る由もなかった。

僕と綾波のなれそめは、まだ僕たちが中学生の頃にさかのぼる。

中学時代の僕は、人を惹きつけることができるほど明るいわけじゃない。でも、孤立するほど暗くもなくて。
女の子をキャーキャーと騒がすことができるほど顔は良くないけど、でもギャーギャー言われるほどヒドい顔もしていない。

良い意味でも悪い意味でも、注目をされない男。それが僕だった。

あの頃の僕は自分から女の子に話しかけることをほとんどしなかったんだ。
女の子って存在に苦手意識を感じていたのもひとつの理由だけど、もっと大きな理由は、幼馴染のアスカと一緒にいることでいつも男子から疎ましがられたり、喧嘩をふっかけられたりしていた僕は、これ以上に男子たちに不快感を与えてしまわないように、好きな女の子でもできない限り、女の子にはできるだけ近づかないように心がけていたんだ。

あの頃の僕のタイプの女の子っていうのが、"大人しくて平凡な人"。

綾波が転校して来たのは中学2年のころだけど、そんな僕が、自分から綾波に話しかける事なんてまずあり得なかった。

転校生ってだいたい最初はみんなに囲まれて質問責めにあう。
そしてしばらく経つとだんだんと友達が限られてきて、どこかのグループに入る。もしくは運が悪いとイジメにあったりする。って言うのが転校生の定番だ。
でも綾波は転校して何ヶ月も経っても、休み時間になればたくさんの人に囲まれてた。

だけど僕はその輪の中に入りたいと思ったことはなかったと思う。

恋愛に興味がないわけではなかったけど、同級生の女子達を見てもあまり心を動かされることがなかった。
それは綾波に対しても同じで、ましてや好みのタイプが『平凡で大人しい』な僕が、それとは全く正反対の綾波に対して恋愛感情を抱くことは、まずなかったはずだった。

それなのに綾波がアスカと仲良くなって………。

芋蔓式のように僕とも話すようになって。


今だから言えることだけど、この時期の僕は、『あちゃあ〜、アスカがもう一人増えちゃったよ。まいったなぁ』などと、本人を前にしては絶対言えないような不届き千万なことを考えていた。

二人の性格は全然違うけど、ととにかく賑やかな所だけは全く同じだった。
静かにS-DATで音楽鑑賞するとか、そういうゆったりとした雰囲気が好きな僕にとっては、アスカがもう一人増えたことは溜息モノだったんだからこう思ってしまうのも仕方ないと思う。
そしてなにより、男子の視線がたまらなく痛かった。

でも、僕が賑やかなアスカを好きなように、綾波のことも好きだったことは間違いない。
二人とも女の子として好きだったわけじゃないけど、人間的には大好きだった。
ただ、"アスカも綾波も、たまには静かに出来ないのかなぁ"と心の中で考えてたりしたっけ。

綾波のマシンガントークは、調子のいいときは本当に止まらない。
止まるとすると、使い切った空気を捨てて肺いっぱいに新しい空気を詰め込む時だけ。

そんな綾波のマシンガントークを、僕はよくボケッと聞いていた。
覚えているのは綾波の話の一割にも満たないかもしんない。


『ねぇ、私の話ちゃんと聞いてるの?』

ってよく聞かれたっけ。

『ごめん、(意識が)とんでた』

と、僕も脳天気に答えてた。


このあたりが、クラスメイトから僕が怖いもの知らずだって言われてた所以かも。
綾波も、自分の話をここまで聞いてくれない男は僕が初めてだったに違いない。
そう言う意味では、綾波にとっては結構インパクトのある男だったのかもね、僕って。

僕がこんな状態だから、まさか綾波が自分のこと好きだなんて微塵も思ってなかった。で、しばらくはずっとその程度の関係だったわけだけど、卒業式の日に突然告白されたんだ。
僕にとっては青天の霹靂だった。

『卒業式の日って、アスカも綾波もたくさんの男から校舎裏に呼び出されるだろうね。大変だと思うけど、頑張ってね』

三年の2月の終わりに僕が二人に対して何気なく言った発言。
そして、

『碇君も呼び出されるかもよ?』

これが綾波が僕に言った発言。

『僕? あはは、ないない。あるわけないよ』

まさか、その綾波に僕が呼び出されるとは。


「碇君なら大丈夫な気がするの。私と付き合って下さい」


綾波も緊張してたのか、その表情は少し強ばってるみたいだった。
僕も極度の緊張で彼女の顔をまともには見ることが出来なかったけど、これが初めてだったように思う。彼女の笑顔以外の表情を見たのって。

そして、これからたくさん見ることになるだろうもう一つの顔を初めて見たのも、この時だった。


告白されたことが初めてだったせいなのか、この時の僕はかなりドキドキした。

ドキドキとはやる心を抑えながら『う、うん』とOKの返事、そしてお約束の第2ボタン。


恋人にするには僕には勿体ないほどの人だったし、特に断る理由はなかった。

綾波に対して、恋だの愛だのと、そういう感情はこの頃の僕にはまだなかったけど、だけど、彼女に対する僕の気持ちが好意であることは間違いなかったから、OKした。



こうして、僕たちはそういう関係になったんだ。

今思い出してみると、付き合いだしたときの僕はかなり気持ちがいい加減だったような気もする。
もちろん今ではかなり真剣だけどさ。

とは言っても、しばらくは友達の延長のような付き合いが続く毎日だったっけ。

そして、一年くらいかけてもう一人の人格が出てくるようになった。
綾波は僕の反応を伺うように、少しずつもう一つの自分を出していった。

僕の方は、それはもう素っ気ないし冷たいし無表情だし、僕のこと嫌いになったのかと思ってビクビクしてた。
この頃には僕も綾波のことが大好きだったし。絶対離したくない存在になっていたからその分ショックも激しい。

僕の思いが強くなれば強くなるほど、綾波の態度が素っ気なく冷たくなっていく。

外では明るいのに、綾波の部屋に戻ってふたりっきりになったとたん、態度が一変する。

僕から話しかけても、返ってくる答えの3割近くは『………別に…』の意味の分からない一言。あと7割も抑揚のない声で一言ポツリとしゃべるだけ。

なにがなくとも、怖くて怖くて仕方なかったなぁ。額から冷や汗が流れてた。
家に帰れば、"僕の何が悪いんだろう"と答えの出ない難問を半永久的に解いているような毎日。

勉強にも身が入らず、いつ別れ話を切り出されるのか、その日をただ怯えながら待ち続ける日々を過ごしてたような気がする。


そんな僕が、これも綾波なんだと気が付いたのは、しばらく後。


毎日別れ話を切り出されるのを恐れてたのに、待てども待てども別れ話は出てこない。

その空気にやむにやまれなくなった僕は、いっそのこと僕の方からと一念発起。
別れ話を切り出したんだ。


「あ、あの、僕の方から言い出すのも悪いとは思うんだけど、僕たち、……そ、その、……別れない?」


僕が言わなくても、そのうち綾波の方から言われるんじゃないかと思ってたから、綾波も受け入れるはずだと思い込んでたんだ。
僕はもう嫌われたんだと思ってたから。
人気のある綾波が、平凡を絵に描いたような僕に振られるなんてプライドが傷つくかなぁと心配はしてたけど、このまま雰囲気が悪いのも二人にとって不健康だと思ったし。


「……そう、………やっぱりダメだったのね」


別れ話を切り出した僕に対する綾波の答えは、これだった。

そしてとどめの一言。


「………さよなら」


つきあい始めたときも結構あっさりしてたけど、別れるときもあっさりだった。

で、次の日。


「レイの様子が凄いんだけど、なんかあったの? あんたたち」


様子が凄いとはどういうことなんだろうと思い、様子をうかがいに行ってみたら。
そこには中学の卒業式に僕があげた制服の第二ボタンを無表情で握りしめている綾波がいた。

遠巻きに、クラスメイトの人たちが綾波をいぶかしげな視線で眺めていた。

このとき、僕なんとなく分かったんだ。

あの明るい綾波も綾波なんだけど、この暗い綾波も綾波なんだって事に。


で、言ったわけだ。


「あ、あのさ、昨日のあれ、取り消しても良いかな。ゴメンね?」


って。
そうと分かったら、もう綾波の素っ気なさや冷たさにも怯えることはなかった。
むしろ心地よくなってきた。冷たいと思ってたのも、冷静に考えればそうでもなかったことにも気が付いた。

そして、この日僕たちは一年目にしてやっとファーストキスを交わしたんだ。
恥ずかしかったなぁ、この時は。

お互いに顔が見られなかったし。

今では僕と綾波のうちでいるときの綾波は完全に暗い性格の方。


もちろん今も暗い方。


今、僕の目の前で手の平に落ちた乾きかけの涙を不思議そうに眺めてる綾波。
同じ人間なのに、なんでこんなに違うんだろう。


「ねぇ、綾波? どうしてそんなことする必要があるの? 別にさ人格を使い分ける必要もないと思うんだけど」


と、今更ながらに聞いてみた。


「………楽だから」


との答え。
彼女はいつでも簡潔且つ分かりやすい。でもかなり分かりにくい。


「家にいるときはこっちの方が楽なの?」
「……あれは疲れる」


"あれ"とは明るい方のことだ。


「じゃあ、外でも今の性格で良いじゃないか」
「………これだと友達たくさんなくす」


もっともな意見だと思う。


「じゃあ、どうして外で僕と二人きりの時も暗い方なの? 別に明るくなる必要ないと思うんだけど」
「……誰に見られてるかわからないもの」


そんなに暗い方の性格見られるのが嫌なのかな。
怖いのかな、やっぱり。


「最初はどっちだったの? 最初は一人だったんでしょ?」
「………こっち」

「どうしてもう一人出てきたの?」
「………ともだち(が欲しかったから)……」

「う〜ん、そっか。明るい方が友達を作りやすそうだもんね。でもさ、誰だって同じだよね。自分に対して良い印象持ってもらいたいから、僕だって少し作ってるところあるし、綾波の場合はそれが極端だっただけなのかもしれないね」


ふとした思いつきでそう言った。


「………やっぱり、大丈夫だった」


一瞬だけだけど、綾波が微笑んだ顔が目に飛び込んできた。
こっちの綾波ではあまり見られない綾波の笑顔。

明るい綾波の満面の笑顔とはまた別の趣がある。


「なにが大丈夫だったの?」
「………別に、………なんでもない」


そう言って、僕に少し体を寄せてきた。
明るい綾波と比べると、こっちの綾波は仕草がやたらと可愛い。

明るい方は手を繋いだり腕を組んだり、そういうことを恥ずかしがってしようとしないんだよね。
だけど、こっちの綾波は割とそういうことが平気なんだから不思議だ。

こっちの綾波は言葉が少ないけど、僕はこういう雰囲気の方が好きかもしれない。
明るい綾波といると楽しいから好き。
暗い綾波といるとなんだか落ち着くから好き。

これだから僕たちはバランスが取れてるのかもしれない。
だって、明るすぎると中学の時みたいに"たまには黙ってくれないかなぁ"なんて心の中で思ってしまうし。
暗すぎても"もう少し分かりやすく喋ってくれないかなぁ"と心の中で思うかもしれないし。

あの時は恋愛感情なかったけど、やっぱりOKして良かったなと心の底から思う。


「あ〜あ、でも僕、なんかダマされたみたいだね」
「…………?…」


そう言いながら、ドサッと音を立てて僕は綾波のベッドに倒れ込んだ。
そして体勢を立て直してうつぶせになり、床に座ってる綾波を眺めながら両腕で頬杖を付く。


「だってそうでしょ? 付き合いだしたときは綾波がこういう性格してたなんて全然知らなかったし」
「………(碇君が)知らなかっただけ」


綾波はそう言いながら少しうつむいた。


「ぷっ、そんな無茶苦茶だよ」
「…………………………。」

「そうならそうと最初から言ってくれたらよかったのに。……本当に怖かったんだから」
「…………………………。」

「嫌われてるんじゃないかって、ずっと悩んでたんだ。ひどいよ、綾波は」
「…………………………。」


うつむいたまま、綾波は顔を上げようとしない。
いつもなら一言くらい返事をくれるんだけど、黙ったままだから僕は不思議に思った。


「どうしたの?」


そういう僕の問いかけに対して、


「……だましてない」


と、うつむいたまま一言小さな声でつぶやく。
僕の不注意な一言が、綾波を傷つけたらしい。

僕は一つ声のトーンを落として、言った。


「……うん、ごめん。そだね」


一つ、綾波の瞳から涙が零れた。

表情はあまりないけど、実はこっちの方が感情をたくさん出してる。

明るい方の綾波の方は、いつも笑顔で感情が豊かに見えるけど、実は違う。
笑顔の下で何を思ってるのか掴みづらいし、笑顔で別の感情を隠してるところがある。
やっぱり後から綾波が作った人格だし、友達を作るために作った人格らしいから、いろいろな感情を出すことを我慢してしまうのも仕方がないのかもしれない。

だから、こっちの綾波は素直に見える。
大したことじゃなくても、感情を隠さず素直に涙をこぼす。

だから、僕も優しくなれる。

そして素直になれる。


「ごめん、僕が悪かったから泣かないでよ」


映画のこともあって、この日の綾波は一晩中泣きやまなかった。
嗚咽はないけど、やぱり自分の瞳から手の平に零れる涙を不思議そうな表情で一晩中眺めていた。

綾波の紅い瞳から流れる涙は、なんだか切ない。

涙は女の武器って言うけど、絶対嘘じゃないと思う。

何度見ても、オロオロとしてしまう。


この日は僕も、一晩中泣いてる綾波に付き合った。

こういう時に抱きしめるとかキスするとか、そういう気の利いたキザなことは苦手だから、ときどき"ゴメンね"と手で涙を拭いながら、一緒にベッドにもたれかかって肩を寄せ合ってた。


そして、いつの間にか二人とも眠りの中に埋没していく。



こういう時間を大切にしたい。



いつも僕はそう思う。



でもこういう安らかな時間を自分から壊してしまう。




ときどき、そういうことがあるんだ。








後編につづく



あとがき

以前別のところで公開させてもらってたので読まれた方もいるのではないかと思いますが、投稿先のHPの閉鎖に伴ってこの話も封印しておりました。
このたび綾吉さんのご好意もありまして、こちらで引き取ってもらうことが決まり、こうして封印を解いた次第でございます。
できたら、続きも一緒に公開したかったのですが、不甲斐ない自分をお許しください。(^^;;
綾吉さん、どうもありがとうございました。

大丸

加筆修正(2003・9・17)


綾吉 :・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レイ :どうしたの?

綾吉 :感動で・・・・・・

レイ :そういえばあなたは大丸さんに憧れていたものね

綾吉 :ここだけの話、HN(ハンドルネーム)は最初「綾丸」の予定だった・・・綾波レイの「綾」と大丸さんから「丸」を貰い、「綾丸」にしようかと思ったのだが・・・身分不相応だし・・・何より1番最初に「誤る」と変換されて・・・

レイ :・・・そう、でも良かったじゃない大丸さんに投稿してもらえて

綾吉 :うん、感涙ものだね

レイ :大丸さんの書く「私」は可愛いから好き・・・邪魔者もいないし・・・(ニヤリ)

綾吉 :言われて見るとそうだね〜

レイ :大丸さんにこれからも、もっと書いて貰いたいの

綾吉 :ウイウイ〜僕もそう思うよ

レイ :と言うわけで読者の皆さん、大丸さんに是非、心のこもった感想メールをお願いしますなの

綾吉 :字数が少なくても、心がこもってれば必ず伝わりますので是非!!


大丸さんへ感想メールを出す



さらに今回はおまけです
大丸さんは御自分のHPを持っておられない為、作品は総て投稿と言う形で発表されており、あちこちのサイトさんに散らばっております。
なので大丸さんの作品が読める場所を少しだけ紹介します。
うちのリンクに登録されているところだけですが。

「Lost Love」 「エヴァに取り憑かれし心・・・その容れ物」
「彼女」      「NACBOX GARACTERS」

いずれもうちのリンクページから行けます。
他にもありますが諸々の事情で大々的に宣伝出来ません。
どうしても知りたい方は大丸さんご本人に聞かれるか、私にメールを下さい。



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