「・・・気をつけろ、シンジ君」

「はい・・・わかってます・・・」

慎重な顔立ちで、暗い廊下をゆっくりと歩いて行く加持とシンジ。

辺りは本当に薄暗く、ざわめき一つ感じられない。

その中で会話をするシンジと加持の声も極めて小さく、本人達以外には聞こえないであろう。

まるで戦場の中にいるかのように、ゆっくりと歩を進めて行く。

「大体、ここらが三番ゲート中間地点だ。外まであと・・・」

「・・・130メートルってとこですね」

これまで数々の危険度A級の任務を完璧にクリアしてきた彼等が、額に汗を浮かべ、集中力を刃のように研ぎ澄まして辺りの気配を探っている。

その様子からも、この作戦がいかに難しいかを物語っていた。

「・・・130か・・・走れば十四秒ってとこだな。行くか、シンジ君」

「ええ。外に出ればこっちのものですし・・・」

死線を幾度もくくり抜けてきたプロである彼等の勘は、ここから一刻も早く脱出を企てる事をシンジ達に伝えたようだ。

危機に陥った時、なによりも頼らなければならないのは勘である。

二人は自分の勘を信じる事で、今日まで生きてこられたのだ。

今日だけ疑う理由はどこにもない。

「じゃあ・・・行くぞ!!」

「はい!!」

ダッ、とこれまでの任務で培われた俊足を披露し、颯爽と廊下を駆けぬけて行く二人。

と、この静寂を破ったのが原因でもあるかのように、前方から機械音が響いてきた。

「あ、ゲートが・・・」

「くっ・・・見つかったか・・・」

ゆっくりと前方の天井から壁が下りてくるのも構わずに、決死の覚悟で走る二人。

勘とともに戦場で最も大切なもの、『決断力』がないものは、けっして生き残れない。

加持はもとより知っていたし、シンジもこの三年間でそれを教わった。

なんのやり取りもせずに走りつづけているのはその成果である。

「うおお!!」

「はあ!!」

通れるかどうかのぎりぎりの隙間を、ヘッドスライディングで通りぬける。

タイミング的にはまさに危機一発だった。

「・・・い、いてて・・・大丈夫ですか、加持さん」

滑り込む時に擦った左肘をさすりながら上身を起こすシンジ。

「あ、ああ・・・大丈夫なような、そうでないような・・・」

加持はなぜか視線を上に向けながら汗をたらたらとかいている。

(・・・どうしたんだろ?)

ここまで動じている加持を見たのはシンジも初めてだったので、疑問を感じた。

嫌な予感を抑えながら、ゆっくりと視線を加持が向いている先に向けると・・・

「・・・」

シンジは瞬間、いつもの癖で腰についている48口径リボルバーに手を当てた。

三年前、初任務の時から所持し、何度も命を助けられた自慢の愛銃である。

だが、抜いたところで今自分が見上げている人物に向けられるわけが無いし、向けたら最後どうなるか分かったものではない。

諦めの境地で銃から手を離すと、ぐっと上身を上に上げ、目の前の少女に命乞いでもしてみようかという結論に至るのは当然である。

だが、今回はその許しを請うべき少女から口を開いた。

どこかやさしく、それでいて耳を被いたくなるような冷たい口調と目線で・・・

「お帰りなさい・・・碇君」

・・・彼にはこれから、修羅場が待っているようだ。





止まった星の中で・・・

第四話 超過激料理目録






「さあ〜、どういうわけか説明してもらいましょうかね〜」

特務機関ネルフのある一室にて、同機関諜報部部長加持リョウジは尊敬すべき上司であり、数年来の親友であり、なによりも愛すべきフィアンセに尋問を受けていた。

「う〜ん、どういうわけって言ってもなあ〜・・・」

内部からの通報により、ミサトが張りきって料理の特訓をしている、と知ったために帰国した空港からすぐに行方を晦ますつもりだった、などとは口が避けても言えない加持は乾いた笑顔でとぼける事しか出来なかった。

なにしろここは通常の尋問と違い、黙秘権もなければ自白主義でもなく、疑わしきは罰せよ精神で運営されている。

おまけに弁護人はなく、検察官も裁判長も全てミサト一人という恐怖の独裁裁判をも賄っているのだ。

下手な事を言えば、罪状はミサトの気分によって二乗にも三乗にも膨れ上がっていく。

ここで「なあに、葛城の料理が怖かっただけさ」とでも言おうものなら、ミサト料理を含めた超過激お仕置きのフルコースが即座に執行されるのは火を見るより明らかである。

甘んじて今の罪状のままにとどめ、素直に受けるのが利巧というものだ。

「ふ〜ん・・・惚けるのね。・・・ま、今回は許してあげるわ。式典も四日後に控えてるし、あんたに体を壊されたら困るしね」

「え・・・いいのか?」

ある程度の罰を覚悟していただけに、珍しく驚いた顔でミサトの顔を見た加持だったが、そこに申し訳なさと怪しさを同居させた笑みを見出した瞬間に正気に戻ったのは、さすがというべきだろう。

「・・・おいおい、俺のいない間にいったい何したんだよ・・・」

「あはは・・・さっすが加持ね」

交換条件により罪の帳消しを狙ったことがばれ、子供っぽく舌を出すミサト。

齢三十二の彼女だが、その表情はなんとも子供っぽい。

「べっつにたいしたことじゃないのよ。あんたの可愛いスイカ達が、ちょっとしおしおになっちゃっただけだから」

彼女にとっては、三週間スイカの手入れを忘れる事も「ちょっと」の内らしい。

彼女と付き合うのならば、この程度の事は覚悟していなければとても続かない。

結婚ともなればなおさらである。

三年間の付き合いだったスイカ達との別れに心の中で涙しながら、ミサトとの結婚は早まったのではないだろうかと、本気で考える加持であった。



加持がネルフ一室にてそんな尋問を受けていた頃、もう一人の罪状人たるシンジは、自分のマンションのリビングでなんとも恐ろしくも羨ましい、そんな空間で椅子に座り、文字通り縮んでいた。

テーブルを挟んで座っているのは、麗しの綾波レイ嬢および、惣流・アスカ・ラングレー女史である。

例えば、体の半分を地獄の業火でやかれ、もう半身を氷点下ゼロの空間に包まれたとすれば、どうであろうか。

おそらく、この世のものとも思えぬ苦痛を堪能できることであろう。

つまり、今のシンジは完璧にその状況に陥っていたのである。

最も、加持のように罪の自白を促されているわけではない。

彼の目の前のテーブルいっぱいに広がる料理の数々がそれを物語っていた。

「食べてみて・・・碇君」

「早く食べなさいよ、シンジ」

なんとも羨ましく、にくったらしい状況にいるシンジ君だが、彼に言わせれば、できればそう思う人と代ってあげたい、であろう。

もちろん彼女達の、特にレイの初めての手料理を口に出来るのは光栄の至りであり、それで今回の罪を帳消しにしてくれるのは嬉しい限りなのだが・・・、漂ってくる匂いを嗅ぐに、あまり歓迎すべき料理ではないということがシンジにでも分かる。

以前アスカの初の手料理を食べてぶっ倒れてしまったシンジとしてはレイにすべての希望を託していたのだが、よりにもよってあのミサトに手料理を教わったという時点でシンジの夢は儚く終わった。

おまけにアスカも『リベンジ』という大目標を立てて張り切ってくれている。

それも基礎からちゃんと学び取ったのであれば、アスカの多才ぶりを考えれば問題ないだろう。

しかし生来のプライドの高さが災いして、誰にも教えを請わずに全て独学で張りきってくれているからたまらない。

どんな数学の天才だって、数の足し引きを学んでなければ難解な数式を解く事など不可能なのだ。

従って、包丁の使い方一つ知らないアスカに美味い料理などという大それたものを作るのは無理と思われる。

とにかく、レイの初料理とアスカのリベンジ料理と称されるものが、なんとも珍妙な臭いを醸し出しながら、所狭しとテーブルに並べられているのだ。

普通の人間なら逃げようとするか、腹が痛い振りをするか、なんらかの『食べたくない』というゼスチャーをするはずである。

しかし、問題はこの場に立たされているのが他でもない、碇シンジであるということだ。

なにしろネルフの良心を一身に担いだような青年である彼に、そんな大それたことができるわけがない。

例えどんなにまずい料理であろうとも、自分のために作ってくれた心使いを無に出来るような人間ではないのだ。

後年、父親とは全く正反対なネルフ司令となる碇シンジの心意気ここにあり、である。

さらに、当たり前の事ではあるが捕まってしまった以上シンジにはもはや『食べる』か『食べない』かしか選択肢は残されていないわけで・・・。

『食べない』を選択したときの恐ろしさは、とても想像できない。

それこそ地獄の業火と氷点下の吹雪に半身ずつが襲われることは間違い無い。

情報をつかんだ時、同じ状況に立たされていた加持に乗せられた逃走劇が失敗した時点でシンジの運命は決まったといえる。

進退極まったシンジにとって、どういう感想を聞かせてくれるかと期待で一杯にしている彼女達の瞳を先刻述べたように感じても仕方ないだろう。

それでもやっぱり羨ましいこっちとしては、とても同情などできたものではないのである。

(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・)

毎度お馴染みのセリフを心の中で呟きながらフォークを手にするシンジ。

手が震えてるのは、変な臭いを醸し出している、見た目もこれまたおかしい料理達に対する恐怖心と、ひょっとしたらおいしいかもしれないという期待感とが原因となっている。

後者が占める割合は限りなくゼロに近いが。

恐る恐る、最も見た目がマシな球状のフライのようなものにフォークを突き刺し、口に運ぶ。

サクッ・・・

なんともこぎみいい音が、碇家リビングに響き渡った。

「・・・」

「・・・どう?」

「・・・」

「なんとかいいなさいよ、シンジ・・・」

「・・・」

しばらく、沈黙が流れた後、何も言わずフォークを置いて、にこっと笑いかけるシンジ。

その魅力はこの三年でさらに威力を増し、レイはもちろんアスカもわずかに赤面した。

「・・・おいしかった・・・の?」

「ああ・・・感極まって声も出ないってことね」

かたや不安げに、かたやしたり顔でシンジの笑顔を見つめる二人。

ところで皆さんはご存知であろうか。

人間は五感のうちどれかが限界以上の痛覚を感じると、精神の防衛のために脳と体が一時的に切り離される。

痛みは当然の事、嗅覚や視覚、聴覚においても同様の症例が報告されており、味覚においては定かではないが、理屈状は同じことが起こるはずである。

つまり、今のシンジはまさにこの症状が全面に出ているといえよう。

朦朧とする意識の中で二人に笑って見せた精神力には、ただただ頭が下がるのみである。

しかしそれが限界だったのか、糸が切れた人形のようにシンジが崩れ去るにはそれほど時間を要しなかった。

だいたいにして、料理の教師をミサトに任せたり、自己流にしたりするのさえ抑えれば、才能豊かな彼女達ならばもう少しマシな料理が作れたはずである。

例えば洞木ヒカリ嬢あたりに教師をお願いすれば、『あまりのおいしさに感極まって気絶したのだ』と結論づけてシンジを自室に持って帰ろうとしている二人を防げたはずなのだが・・・。

彼のこれからの運命を思うと、ただただ手を合わせて祈るしかない。

せめて、四日後にせまっている式典までに復帰していただきたいものである。

続く




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