ここは・・・どこだ・・・?
なにも・・・見えない・・・
なにも感じない・・・
・・・!
ああ、そうか
ここは・・・あのときの・・・
三年前の・・・
「シンジ」
だれ?
「シンジ」
だれ?
「シンジ」
なんだろう・・・あたたかい
「大きくなったわね・・・」
なつかしい・・・
「元気そうね・・・」
誰・・・あなたは?
・・・母さん?
いや・・・違う
母さんは、あの時に・・・
「シンジ」
・・・母さん?
いや、そんなわけない・・・
母さんが、いるわけない
「そうね・・・」
いるわけ・・・ない
「そうね・・・」
・・・母さん?
・・・どうして?
「必要になると思うから」
何が?
「エヴァとしての、私の力」
・・・
「じきに、分かるわ・・・」
・・・なんの事?
「がんばって」
なにを?
・・・なにをなんだよ
「ふふっ」
・・・母さん?
「まず、あなたは目先の事で精一杯ね」
・・・?
「またね・・・」
・・・なんのことだよ
母さん・・・
母さん?
・・・
・・・
「・・・はっ」
目を開けると、そこはじつに三ヶ月ぶりとなる葛城家の天井が広がっていた。
「夢・・・だったのかな・・・?」
まだはっきりしない頭を抱えながらゆっくりと上半身を起こすシンジ。
「なんだろう・・・なにか大事な夢だったような気がするけど・・・ん?」
そのまま起きあがろうとすると、なんとも奇妙な抵抗が右腕にかかり、シンジの行動を拒否する。
「・・・」
この日のシンジの日程はというと、久々の我が家での朝のシャワーで頭脳をはっきりさせ、少々味にやかましい同居人の為に朝食を作り、同時に久々の自分の手作りの昼食を待ちかねているはずの、愛しい少女の為に弁当を手掛けるはずだった。
シンジ自身、キッチンに立つのは久々であるし、後年ネルフ司令でありながら組織内で自他共に認めるナンバーワンの料理人となるこの若者はそのエピソードに相応しくかなりの料理好きであるため、今朝の予定をとても楽しみにしていたのである。
しかし、今のシンジはもはやそれどころではなかった。
「・・・なんで・・・?」
彼以外にはいないこの部屋でなぜか聞こえる健やかな寝息。
見つめるシンジの視線の先には、ここにいるはずのない蒼髪の美少女。
「ん・・・」
ときおり、なにやらむにゃむにゃと寝言を言いながらぴったりとコアラのように彼の腕に張りついたその少女は、言うまでもなく彼が手作りの弁当を提供することで機嫌を取ろうとしているその人である。
「・・・目先の事って・・・この事かな・・・」
もはや現実逃避を決め込んだこの若者の目下の問題は、腕に張りついたままぶら下がって全然目覚めないこの少女を、どうやって起こすかということのようだ・・・。
「で・・・どういうこと?」
先ほどの騒動から一刻、とりあえず葛城家の実質的家長として復帰した碇シンジ一尉は、この事件の実行者及び共犯者と思われる人物とリビングのテーブルを隔ててにらみ合っていた。
もっとも実際ににらみ合っているのは被害者であるシンジと、犯人の共犯者と思われるアスカだけで、当の容疑者であるレイはというと、会話そっちのけで三ヶ月ぶりのシンジ手作りの手料理にした舌鼓を打っていたりする。
「べっつに理由なんか無いわよ」
とんでもない事をさらっと言いながら、シンジのジト目視線を軽く受け流すアスカ。
「ただ、もうこの家は部屋ないから、レイに『どこに住む?』って聞いたら、『碇君の部屋がいい』って言うからさ」
根本的に、レイにそんな事を聞けば『シンジの部屋』と答えるのは明白である。
だが、アスカの発言の中に、そんなことは気にしていられないほどのキーワードが含まれているのを、シンジは聞き逃さなかった。
というより、できれば聞こえない振りをしたかったが、アスカがその問題の部分だけやけに誇張したので、おのずと耳に入ってしまったのである。
「・・・いつ住む事になったの・・・?」
「つい昨日」
どんよりしながら、口から吐き出すようなシンジの言葉と、はきはきと悪ぶれた様子もなくしゃべるアスカの様子はなんとも対照的だ。
「聞いてないよ・・・」
「言ってないもの」
アスカの間髪をいれない返答に、ず〜ん、と沈み込むシンジの正面で、レイはいまだに朝食に勤しんでいる。
見た目のわりによく食べるようだ。
「昨日の料理披露の時に言おうと思ってたのに、シンジが気絶なんかするからでしょ」
(僕のせいなのか・・・?)
内心不満たらたらだが、もちろん口には出さないシンジ。
彼の処世術は今だ健在だ。
「まあ、私の料理に感極まる気持ちはわからなくもないけどね〜。任務中はろくなもの食べてなかっただろうし」
繰り返し言うが、彼は思った不平をアスカに漏らすようなうかつな事はしない。
そして今も、ある言葉を心の引出しにしまいこんで鍵をかけたのである。
『加持さんが用意してくれた缶詰の方が、よほどおいしかった』、と。
「まったく〜、たいへんだったんだからね、あんた担いで部屋に連れてくのは。ねえ、レイ?」
「・・・なに?」
口をもぐもぐしながら、茶碗を下ろすレイ。
「・・・いつまで食ってんのよ、あんたは」
「・・・おいしいもの」
・・・いまいち会話が成り立ってないような気がするが、口を挟むのは止めておこう。
「ね、ねえ綾波」
アスカと話しても埒があかないと判断したのか、会話の矛先をレイに向けるシンジ。
「?・・・なに、碇君」
「別にいいんだけど・・・どうして今更、住む気になったの?三年前に僕もアスカも誘ったのに」
シンジの言う事ももっともだ。
三年前に、ありったけの勇気を絞って、マンションを失ったレイを家に誘ったシンジにとって、嬉しそうな顔をしながらもその誘いを断り、ネルフの個室に移り住んだレイの行動は随分印象的だったのである。
「そ・・・それは・・・」
「それは・・・」
「・・・秘密・・・」
「そ、そう・・・なの?」
思いもしない返答にガクッとしたシンジだったが、レイの恥じらいの表情にそれ以上の追及を思いとどまらせる。
何年たってもレイの時たま見せる可愛らしい顔には、とことん弱いシンジだった。
ちなみにこの弱点(?)、シンジがネルフ総司令に就任してからも変わることは無かったと明記しておこう。
「そうそう。これは女の秘密なのよ」
いつの間に淹れてきたのか、湯気の立つ湯呑を傾けながら会話に入りこむアスカ。
「え?アスカも関わってるの?」
「当然でしょ。決心させたの私なんだもの」
「ど・・・どうやって・・・?」
「秘密って言ってんでしょ。ね、レイ」
シンジの質問を軽く一蹴してレイに笑いかけるアスカ。
こんなときのアスカは歳以上に子供っぽく見える。
「・・・うん。秘密・・・」
そしてレイも、まるで今先ほど想い人に告白した少女のように顔を赤く染めている。
全く訳の分からないシンジだが、この件に関してもう自分から口に出すことがなくなるのは明らかだった。
先日は子悪魔のように見えた二人の表情が、今は歳相応の少女のそれであるのにはギャップがありすぎるのである。
なんだか頭が痛くなったシンジがこの件の原因については解明を断念したとしても、仕方の無い事だろう。
「で、でも・・・だからって僕の部屋で一緒だなんて・・・」
「仕方ないでしょ。このご時世、いい状態のマンションなんてなかなかないんだから」
「じゃあ、アスカの部屋で・・・」
「私の部屋狭いのよ」
「僕の部屋のほうが狭いんだけど・・・」
「あんたの部屋のほうが家財少ないでしょ」
「・・・」
会話を切り替えても、アスカに言い合いでは勝てない。
と言って、この件をこのまま捨て置くことは出来ないシンジとしては、食い下がらないわけにはいかないのである。
しかし、思わぬ伏兵を彼は見落としていた。
「・・・碇君・・・」
びしっ、とシンジの脳に電撃が走る。
彼にとって、この声はアスカの怒声以上に免疫がない。
「・・・碇君・・・わたしといっしょは・・・」
「ぜ、全然構わないよ!う、うん僕もそのほうがいいと・・・」
「思うわけね」
「う・・・」
アスカはしてやったりの笑顔を浮かべ、シンジの言葉尻を切り落とす。
「そう・・・良かった・・・」
かたやレイはというと心底安心したような笑顔でシンジを見つめている。
(・・・ひどいよ、二人とも・・・)
内心そんな事を呟きながらも説得を諦めたシンジは、次の話題は『せめて布団は別々に』であることを決定した。
数時間の会議の末に、その条件についてはなんとか勝利を収めて一安堵をつくシンジだったが、同じ部屋で寝る事さえ許可させてしまえば、後はシンジが寝てしまえばどうとでもなるということに気付くまで、翌朝までかかることになる。
後年ネルフ史上初の副司令と、二代目作戦部長の尻に敷かれ続ける事になる未来の総司令の青春時代も、やはり操られっぱなしなのである。
この一件のせいで、後にストーリーに深く関わる事になる今朝の夢は、完全にシンジの脳みそから吹っ飛ばされてしまったのであった・・・。
続く