「・・・と、いうわけでして、ネルフは現在に至るわけであります」

スーツ姿をした初老の男がホールの舞台に立ち、スポットライトを浴びている。

その男の演説を聞く群集も皆高価そうな服に身を包み、一目で一般庶民より上の階級の人間の集まりである事がわかる。

その群衆の中に、ただ一人ネクタイを緩め、この場に似つかわしくない不精髭を生やした人物がいれば、否応なく目立とうというものだ。

「・・・やれやれ」

ネクタイを緩めても鬱陶しさが消えないのか、シャツのボタンを外して一息つく加持。

「・・・まったく、あんたを連れてくるんじゃなかったわ」

ネルフの制服に身を包んで、ワインを口につけながらミサトが愚痴る。

加持と違って身なりがきっちりしているのは確かだが、テーブルの上に彼女が今飲んでいるのと同じ銘柄のワインの空き瓶がごろごろしていては、それもいささか問題であると言わざるを得ない。

「・・・酔ってないでしょうね?」

こちらも制服に身を包んだアスカがジュースをちびちび飲みながら呆れ顔でミサトを眺める。

「へーきへーき〜。こんな程度で酔ってたらネルフ司令代理なんて務まらないわよ〜」

「おいおい。葛城は後でスピーチしなきゃならないんだろ?」

「あ〜んなおっさんどもに笑顔でスピーチなんか、酒なしでやってられる〜!?」

「・・・やれやれ」

ミサトの説得を諦め、視線をもう一人のネルフ来客席に移すと、沈み込んだ表情で俯く少女の姿が目に映った。

この場に似つかわしくないのは雰囲気もだが、なによりその蒼い髪と、心なしか揺れている紅い目が観衆の目をひいている。

「どうしたんだ?一応君等はゲストだから、笑ってないと周りが変な疑問を持つぞ?」

「いえ・・・」

これまたネルフの制服に身を包んだレイは微かに口元を歪ませるが、本心から笑っていない事はまる分かりである。

「・・・やっぱりその服は着たくなかったか?」

レイが身を包んでいるその服は、三年前の「あの」戦いで多くの職員達が血で染めたそれである。

彼女でなくとも、進んで着たいものではないだろう。

「いろいろあったからな・・・」

同じテーブルの上で、アスカ、ミサトグループのドンチャン騒ぎグループと、レイ、加持のしんみりムードに割れていく。

二つに分かれた全く質の違う空気に周りのギャラリーも何事かと注目するが、半ば酔ったミサトの無言の喝で散っていった。

「すまん・・・一応葛城にも頼んだんだが、政府の頭でっかちが許可しなくてな・・・」

「・・・違うんです」

「ん?」

舞台で演説を続ける男に憎々しげな視線を向ける加持に、予想外の言葉が届く。

「私も着たくなかったですけど・・・」

レイがそこまで言った時、周辺のギャラリーが急にざわつき始めた。

「それでは、ここで次期ネルフ総司令である・・・」

舞台の男の声と共に、かつて同組織司令であった男が着ていたものと同じ服に身を包んだ青年が姿を現す。

それとともに、周りのざわめきがよりいっそう大きくなり、会場は騒然としだした。

この青年が、かつてのネルフ司令の息子であり、なによりも若干14才にして人類の決戦兵器を操って、使徒との戦いに勝利を呼び込んだ人間である事は、ここにいる政府や軍部の人間には周知の話だからである。

「・・・そして、現諜報部所属、碇シンジ一尉を紹介します!」

パチパチパチ・・・とギャラリーの拍手が鳴り響く中その青年は微笑して答えてるが、それが偽りの物であることは彼をずっと見つめてきたレイにはすぐに分かった。

「・・・碇君にあの服を着させたくなかったんです・・・」

レイの赤い瞳が、うっすらと湿り気を帯びる。

「・・・すまない」

レイのシンジを見つめる表情に、加持が発することのできた言葉は、ただ、それだけだった・・・。



止まった星の中で・・・

第六話 英雄の古傷



2日前、制服を着て祝典に列席する事を誰よりも反対したのは、レイだった。

他の全員が苦々しく思いながらも首を縦に振った後も、せめてシンジだけは・・・と、頑なに要求しつづけたのである。

ネルフ内で誰よりも制服を着て出席しなければならない人物だというのを分かった上で。

それもミサトの鶴の一声と、シンジの『僕は構いません』の一言で、しぶしぶと主張を引っ込めたのだった。

しかし、やはりあのときに断固反対しておけば良かったと、レイは思う。

今シンジがどんな心境なのか、他の誰にも分からなくとも、自分にはひとみの色を見ただけで分かるのだ。

そこにあるのは、まるで昔の古傷をナイフで抉られているような、深い深い苦しみ・・・。

(碇君・・・)

シンジは文章を丸暗記したことがバレバレの挨拶を群集に向かってしゃべっている。

いつもなら彼の声を全身を耳にして聞き取ろうとするレイだが、今日ばかりはそんな気になれなかった。



そんな彼女の耳に、群衆の中の男の声が二つ、それもあからさまなまでの嫌味を込めた言葉が入ってきた。

「あのガキが国連軍一尉ねえ・・・ネルフの連中は羨ましいこった。俺達なんざ、軍部出身の親父がいたのに、いまだにニ尉どまりだぜ」

「おまけに、あいつは前のネルフ司令の子供らしいからな。政府内のコネっていったら、そうとうなもんだろうよ」

会話の内容を聞くに、二人とも軍部高官の息子のようである。

酒の勢いもあるのか、二人はある少女のいてつく目線にも気付かずになおも口を動かす。

「前ネルフ司令っていやあ、軍では『妻殺しの男』だってんで、ずいぶん噂になってたよな」

「ああ。その血を受け継いでいるんだ、あのガキもゆくゆくは相当なワルになるんだろうよ」

「あはは、違いない」

聞く限り、ただの酔っ払いのひがみである事はよく分かる。

だが、そんな彼らに忠告したい。

それぐらいで黙らなければ、二人の会話に気付いて完全に二人を包囲しつつあるネルフ高職員達に何をされるか分かったものではない。

しかも、そのなかでも高い戦闘能力を誇る現ネルフ司令代理と同ネルフニ尉はしこたま酒に酔っているのである。

その血の据わった目からは、既に理性の色などひとかけらも見出せない。

さらに言うともう一人の少女は、元々紅い目をしているというのに、怒りの為に本来白眼であるはずの場所でさえ真っ赤なのだ。

しかしこんな状況に陥っても、この世をつかさどる見えない意志に動かされ、さらにしゃべり続ける二人。

「でもよ、俺達も下手したら将来、ネルフに移転だろ?」

「俺はお断りだね、あんなガキに上で威張られるなんざ・・・」

そこまで言ったとき、その青年の肩にとうとう地獄への誘いともいうべき手がかかった。

「あ・・・なんだあん」

そこから先は言えなかった。

元ネルフ作戦部長とセカンドチルドレン、しかも戦闘訓練を受けたプロである二人に、右ストレートをジョー(顎)とテンプル(頬)にまともに食らっては、黙るしかないというものである。

鼻から口から、血を吹き出しながら崩れ落ちる若き青年将校には、せめて骨には異常が無い事を祈っておくことにしよう。


(・・・・・・なにやってるんだろ?)

壇上にて挨拶を終えたシンジは、式場のある一画で警備員と見なれた制服の一団が一悶着を起こしているのが否応無く目に入った。

特に数人に後ろから羽交い締めにされてもなお戦闘モードを崩さない女性二人は、ここからでも分かるほど巨大なオーラを発していたため、自然とそちらに気が入ってしまうのである。

「何の騒ぎでしょう、あれは・・・?」

先ほどまで司会役を務めていた男も怪訝そうに騒ぎの中心に目を向ける。

「・・・さあ・・・」

一瞬戸惑いながらも知らない振りをして答えるシンジもまた、さすがは現場で無関係者を装って煙草などをふかしている加持の弟子といったところであろうか。

一向に騒ぎが落ち着く気配が無い会場を、いつ身内とばれて警備員に肩を叩かれるだろうかとはらはらしながら、シンジはその場を後にしたのだった。

ちなみに、この騒ぎは中心人物の女性二名の酔いが覚めるまで延々と続けられたことを明記しておこう。



「ふう〜・・・」

会場の出口に出たシンジは、緊張がほぐれたのか天を仰いで深く息を吐いた。

異常な熱気がこもっていたホールにいたために、外の風がやけに涼しい。

そのためだろうか、シンジは先ほどから感じていた胸の痛みが、よりいっそう強くなるのを感じていた。

・・・原因はシンジにも分かっている。

(やっぱり・・・この服のせいだろうな・・・)

痛みをこらえるように、両腕をぐっとつかんで目を閉じるシンジ。



ズキン・・・



(・・・父さんの着てた服だからなのか・・・)



『乗るなら早くしろ、でなければ帰れ!』



(あの頃の記憶が・・・)



ズキン・・・



『役立たずのパイロットは黙って座っていろ』




(・・・痛い)



ズキン・・・



『・・・お前には失望した』



(痛いよ・・・)



ズキン!!



「碇君!」



シンジはその声にはっと我に返る。

「・・・綾波・・・どうしたの?」

「・・・碇君、大丈夫・・・?」

レイはシンジの問には答えず、ただ一言尋ねた。

「その服・・・着せられちゃって・・・」

「なんだ・・・そんなこと、全然気にしてないよ」

不安げに見つめるレイに向かって、にこっ、と笑顔をみせるシンジ。

「さあ、戻ろうか・・・ここにいたら体冷えちゃうよ」

「碇君!!」

式場に戻ろうとするシンジの手を、レイは両腕で抱きついておし留めた。

「あ、綾波、どうしたの!?」

いきなり腕に抱きつかれ、おもいっきり赤面して動じてしまうシンジだったが、その理由はシンジには無く、レイに有るものが思いっきり彼の腕に押し付けられていることが多分に影響しているようである。

この三年で、レイもあらゆる点でパワーアップしているのだ。

従ってシンジに与える動揺も三倍というわけである。

「・・・碇君」

レイはその紅い瞳でシンジをじっと見つめる。

「綾波・・・」

その澄んだ目に思わず吸い込まれそうな感覚を覚えるシンジ。

「できることなら・・・できることなら碇君の痛みを・・・私が代わってあげられればいいのに・・・」

しぼりだすように出されるレイの声に、シンジはどきりとした。

(綾波・・・気づいてたんだ・・・)

心の傷を抱えている自分を知っていた彼女を、軽い衝撃とその何倍もの愛情のこもった目で彼は見つめる。

だれよりも、彼女が自分のことを見つめていてくれた。

・・・それが、嬉しいのだ。

「でも・・・でも私は・・・」

シンジの腕を抱える力をより強めるレイ。

「碇君の痛みを分かち合う事ができる・・・

碇君の苦しみを減らして・・・

碇君の笑顔を増やす事が・・・

この世界に戻ってきた私の役目だから・・・」

ゆっくりと、静かにそこまで言い終えると、レイはシンジの腕を離し、今度は、いつのまにか目が湿っているシンジの首に両腕を絡めた。

「だから・・・だからもう、一人で苦しまないで・・・」

・・・ぼろぼろと、シンジの瞳から涙が溢れ出す。

「・・・うん」

シンジはたった一言そう答えると・・・レイに甘えるかのように彼女の背中に腕を回し、ゆっくりと目を閉じた。

(綾波・・・ありがとう・・・)


「・・・」

月夜に浮き出た二人が醸し出す幻想的な風景を、加持は柱にもたれながら見つめていた。

彼もシンジとの付き合いは長い。

三年間彼を鍛えてきた加持には、シンジの異変など一目で気づかなければならないことである。

それで、彼が会場を出たところをつけていたのだが・・・彼女に先を越されてしまったというわけだ。

(・・・やれやれ、保護者失格だな・・・)

煙草の煙を吹きながら、内心で呟く加持。

確かにこういうときシンジを慰めるのは、彼の直接の上司であり、一個の友人でもある加持の役目でもあるかもしれない。

だが今の光景を見ていると、慰め役としては今シンジと抱き合っている蒼髪の少女のほうが一枚も二枚も上のようである。

(・・・いい女房役だな・・・)

煙草を指に挟みながら微笑を浮かべていた加持だったが、彼は知らない。

だいたいにして、このお話はシリアスモードはあまり長くは続かないのだ。

よって、今回もこの雰囲気のぶち壊し役に任命された現ネルフ司令代理が危ない光を目に称えて、彼の背後に迫っているのである。

しかも、彼はその場の空気によって、全く気配を察知できていない。

加持の置かれた立場は、ある意味特級の危険度を持つ任務中よりも危険だ。

かくなるうえは、彼女との私闘においても百戦錬磨の実力を持つ加持の実力を信じるしか当方としてはできることがないのである。


つづく



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