「これが、そうなの?」
ゲージ内で横たわっている巨大で明らかな「人型」の物体を柵越しに眺め、ミサトは目を細める。
それは明らかに三年前、ここで『人類の決戦兵器』として活躍し、またこの世界の全てを消し去らんとしたものと同系統であることが外見からみてとれた。
「外見は弐号機を参考にして建造されています。まともな資料はドイツ支部の地下軍事倉庫にしか残ってなかったそうですから・・・」
現在『この件』に関してもっとも権威であるマヤは手元の資料を機械的に読み上げていく。
「でも、中身は別物・・・そうでしょ?」
「はい。ATフィールドなんてもちろんありませんし、動力は核融合炉、しかも実験段階のものが試用されています。姿はエヴァですが、あれは・・・」
「ただの人形ね・・・」
ミサトは子供の玩具を馬鹿にするような口調で、口元をわずかに歪めた。
たしかに三年前の戦いを知るものならば、この巨大なロボットでしかないものに何の感慨もわかないだろう。
あのとき、たかが一少年が駆る紫色の巨人は、人類の運命を左右する陰謀の中枢を担っていたのだ。
「まあ、もうあれを作れる科学者はこの世にはいないわけだけど・・・」
「・・・」
二人の間に沈黙が流れる。
彼女らと共に使徒との戦いを行き抜いたエヴァの第一人者は、世界再構築の際、戻ってこなかった。
「・・・なんで戻ってこなかったんでしょう・・・先輩・・・」
「マヤ・・・」
「あ・・・す、すいません!そんなつもりじゃ・・・」
「ふ・・・、まあいいわ」
口が滑ったといわんばかりに目を見開いておどおどしているこの女性の姿は、かつての自分の親友のイメージには程遠い。
仕事の部下としては甚だ頼りないが、人間的にはホッとさせられるその姿に、ミサトは微笑しながら再び目線を巨人に向けた。
「で、パイロットは?それもこっちに押しつけられたんでしょ?」
「は、はい。一応軍部から候補生が十三名選抜されています。べつに適格者でなければいけないわけじゃありませんからね」
「でも実戦経験ゼロのお坊っちゃんどもでしょ〜、務まるのかしら?」
「現在テストを兼ねて、擬似空間訓練場で実力を確かめてます」
「相手は?」
「・・・それが・・・」
マヤは言いにくそうに口を紡ぐ。
彼女がこういう仕草をするときは、大抵マイナス的な報告がなされるので、ミサトは、はあ〜、と溜息をついた。
「誰・・・?」
「・・・アスカ、なんです・・・」
「・・・十三人、全員落第だわね・・・」
三年前よりもはるかに規制の甘くなったネルフにおいて、勝手気ままに暴れまわる『元』チルドレン達の行動は常に上司であるミサトの頭痛の原因になっているようである。
止まった星の中で・・・
第七話 得たモノ
『ぐわあああ!』
『どわ!!』
『はい、これでさらに2機撃墜!』
モニターに映し出せれた擬似空間では、紅いエヴァ一機と銀色のエヴァ数機が怒涛の戦いを演じていた。
もっとも、『怒涛』という表現がふさわしいのは紅いエヴァ一機の話であって、銀色のほうはほとんど抵抗もできずに地にたたき伏せられていく。
「やっぱり・・・」
予想通りの展開に頭を抱えるミサト。
「候補生側、残存数四機です」
「いや〜、すごいですね。まだ擬似戦闘始めて5分そこそこだってのに」
日向と青葉は仕事も向こう空で、紅いエヴァの一人舞台に見入っている。
「・・・こらこら、どっちの実力試してると思ってるの?」
この結果をどう軍上層部に報告しようか悩んでいるミサトにとって、この観戦気分のオペレーター達の立場は腹立たしくもあり、羨ましくもあるのである。
総じて、組織の上に立つ者には色々と問題が付きまとうものなのだ。
『くそ〜、このライフル銃身歪んでんじゃねえのか!?』
数機のエヴァがいっせいに叩きこむ弾丸の嵐を紅い巨人はものの見事にかわしていく。
『あんたね〜、自分の能力の無さを武器に押しつけんじゃないわよ!』
アスカの『仮想』弐号機は一気に跳躍して敵機までの間を詰めると、
『どりゃああああ!!』
装備しているソニックグレイヴを横一文字に切り払った。
『ぐわ!!』
ちなみにこのソニックグレイヴ、改造強化され、広範囲の高周波を放つ事ができるようになっている。
よってその射程圏内にいたエヴァ数機は擬似背景のビルごと木っ端微塵と相成った。
「候補生側、全滅ですね・・・」
「・・・上にどう報告すりゃいいのよ・・・」
ミサトは軍上層部から、候補生側にある程度の結果を出させる・・・つまり八百長を依頼されていたのである。
無論ミサトも本来ならばそんな汚い事は大嫌いなはずなので、上層部の汚い癒着をネルフ諜報部・・・つまりシンジの元にこっそり連絡する正義ぶり。
ここまでなら実に素晴らしいお話なのだが、軍の幹部がミサトに報酬として有給休暇三週間とビール券半年分を提示した途端、ぷっつりと連絡が途絶えたのは少々いただけない。
後のシンジのコメントによると、その日の夕方本部に帰ってきたミサトは、気持ちの良すぎる笑顔だったそうだ。
とどのつまり、この瞬間ミサトの『飲んだくれ温泉旅行計画』は擬似空間内の銀色のエヴァとともに木っ端微塵になったのである。
「くぉらアスカ!!軍のボンボンどもの相手はレイに任せてたはずでしょ!?なんであんたがそこにいんのよ!!」
自分の休暇とただ酒が消えた事も累乗して、ミサトは本来そこにいるはずのない少女に怒りをぶつける。
『うるさいわね!!身代わりよ身代わり!!あんなザコどもだれが相手しても一緒でしょ!?』
「そんなの分かってるわよ!!あんたじゃ実力差が『ありすぎる』からレイに頼んだんでしょうが!どういうこと、身代わりって!?」
二人の言い合いは置いておくとして、コクピットからボロボロになって這い出してきた候補生達が、先程から滝のような涙を流しているのは非常に気になるところだ。
ミサトが怒りにまかせて叩きつけた手元の辺りが全館内放送スイッチであり、この会話がネルフ全域に流出していることあたりが原因であろう。
彼らが失った自信とプライドを取りもどすのに要する時間を考えると、ただただ同情する。
・・・が、諦めてもらうしかない、『相手が悪かった』、と。
「どっち・・・碇君・・・?」
「い・・・いや、どっちって言われても・・・」
ネルフ本部で醜い言い争いが繰り広げられている同時刻、シンジとレイもまた、第三東京デパートの一画でなにやら押し問答を続けていた。
言うまでもなく、主導権を握っているのはレイである。
「いいから・・・どっち・・・?」
「う・・・う〜ん・・・」
仁王立ちするレイを眺めながら、シンジはただ困りきった顔をしながら首をひねるばかり。
ようはレイの洋服を買うに当たって、シンジに見立てをさせているだけなのだが、今日ばかりは彼にとっては重大問題だった。
もともと、彼はこのような買物は得意ではない。
いつもなら適当に理屈をつけて選択を迫ってくるレイをうまくかわすなり、一緒に買物にきているアスカやミサトに話をふったりしている。
もっとも、選べない理由に、『どっちを着ても似合う』と心から思った感想を述べてもレイが納得してくれないのも、原因の一翼を担っている。
こんな所にも彼の優柔不断さは見え隠れしているようだ。
しかし、今日は話題をふる第三者もいなければ、適当な理屈をつけて逃げるわけにもいかない。
今日の買物は少し事情が違うのである。
「あ、綾波、もう八着目でしょ・・・そろそろ溜まったんじゃない?」
「全然溜まってない」
やっとの思いで出したシンジの逃げ口上を、あっさりとひっとらえるレイ。
「アスカなんて、四十着も買ったもの・・・」
「そ、そう、数えてたんだ・・・あはは・・・」
この苦渋の選択から逃れる算段を一瞬にして打ち砕かれたシンジは苦笑いをしたが、内心は苦悩で一杯である。
「私だって・・・三ヶ月あれば二十着は買うわ・・・『いつも』なら」
「う・・・」
このレイのセリフの『いつも』が誇張されているのに注目していただきたい。
(失敗したなあ・・・ここまでほんきだったなんて・・・)
二着の洋服を手にジト目で睨んでくるレイの視線をかろうじてかわしながら、シンジは心の中で自分の失敗を嘆いた。
三年前から、レイは洋服に限らず身に着ける物を買うときはすべて『シンジの判定の元で』を絶対の基準にしているのである。
当然の話だが、判定させるには買う場所まで連れていかなければならず、シンジはレイが買物に行くたびに引きずられていった。
別にシンジとて嫌なわけではないのだが、他に予定がある日でも、問答無用で襟元をつかまれて連行されるのだからたまったものではない。
そういうこともあって、シンジはこの三ヶ月間束縛されない自由というのを満喫していたのだが、彼はレイの決意と執念を甘く見ていた。
(まさか、三ヶ月間一着も買ってなかったなんて・・・)
さすがに下着や最低限必要な普段着はしぶしぶ購入していたらしいが、いわゆるファッション欲を満たす為の私服は断固として手をつけなかったらしい。
(・・・なんで僕が見立て役なんだろう・・・?ミサトさんやアスカの方が絶対見る目あるのに・・・)
これはずっと以前からシンジの疑問だった。
自慢ではないが、シンジは自分にはこれっぽっちもファッションに関して見る目も関心もないと自負している。
しかし、これも愚かな疑問である。
レイにこの事を問えば返ってくる言葉は決まっているのだ。
『似合う服を着たいわけではない。』
『碇君が気に入ったものを着たいだけなのだ』・・・と。
三時間後。
夕方の赤に染まった歩道に、だれもが思わず振りかえりそうなカップルが一組。
かたや、限界まで膨らんだデパートの買物袋を胸に抱え、この世のだれよりも幸せなオーラを発した笑顔を浮かべる美少女。
夕焼けに染まった蒼い髪が不思議な色合いを醸し出して、この少女の可憐さを際立たせていた。
その相手はというと、最終的に三十六着の洋服を買わされ、給料の支給前でピーピー鳴いている財布の中身を苦笑いしながら見つめる少年。
別に本気で持ち金の乏しさを嘆いているわけではない。
むしろ嬉しいのだ。
最低限の生活必需品以外に使わず、趣味も特にないシンジにとって、こんなに素晴らしい金の使い道はないのである。
「碇君」
「ん、何?綾波」
はっ、と我に帰ったシンジの目には、愛する少女の蒼髪が広がっていた。
「うふふ・・・」
「く、くすぐったいよ、綾波」
いつもこうなのだ。
彼女は嬉しいとき、いつもそれを表現するかのように彼の首に両腕を巻きつけ、首元に顔を置く。
はじめの頃などは、あまりの彼女の体重の軽さに驚かされたものだった。
もっとも彼女の行動に慣れた今でも顔を紅くして周りの視線を気にしているシンジは、やはり彼らしいというところだろう。
「ありがとう・・・碇君」
「うん・・・よかったよ、喜んでもらえて」
控えめながらも、眩しいほどの笑顔を浮かべた少女に、自然のこちらも笑みがこぼれる。
「でも・・・」
「ん?」
再び目線の下げたレイを愛しげに見つめるシンジ。
「もう、勝手にどこかに行くのは・・・ダメだから・・・」
「う・・・」
先程とは明らかに別種の笑顔を浮かべる少女は、三年の間に色々な事を学んで、ますます魅力的になった。
「もう・・・意地悪だなあ、綾波は」
「んふふ・・・」
シンジの手が髪の毛を撫でるのに身をまかせて、目を瞑って猫のようにのどを鳴らすレイを見つめながら、シンジは思う。
・・・このためだった。
この瞬間の為に、三年前の戦いを潜り抜けた。
・・・結果論でしかないけれど。
何の救いも、希望も無かったあの戦いを生き抜いて、大きな犠牲を払って・・・
好きな人と買物して、歩いて、笑って・・・
「・・・綾波」
「・・・ん?」
「これからは、ずっと側にいるから・・・」
わずかに頬を紅くしながら、この時なぜか自然と、そんな恥ずかしいセリフを言えた、とシンジは後に語った。
「・・・約束?」
「うん・・・約束だよ」
なおも疑わしげな目線で見上げるレイの表情が、とても愛しくて・・・。
昔の自分に言ってあげたい。
頑張れ、と。
戦い抜いて、生き抜いて、守り抜けば、きっといつか・・・。
「絶対、守るから、ね?」
「・・・うん」
シンジが抱き返してきたのに心が緩んだのか、やわらかな笑みを浮かべて身を預けるレイ。
必ず訪れる。
こんな幸せな『とき』が来る。
そう信じて戦い抜いても、罰は当たらないよ、・・・と。
今の君には、それが足りないのだ、と。
ずっと続けばいい・・こんな日々が。
だがこの時、夕焼けの歩道で抱き合う、奇有な運命を背負った二人は、気づいてすらいない。
三年前縛られていたあの『戦い』から、まだ完全に開放されていないということを。
・・・そして、その運命に、二人は・・・新たな道標の分かれ道に立たされることになる。
つづく