Sheep or Sleep!!
Written By NONO
「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹…………」
暗がりの部屋で、少年が呟いていた。
「羊が六匹、羊が七匹、羊が八匹、羊が九匹…………」
眠れないのか、少年はうわ言のように繰り返している。しかし、奇妙なことに少年は布団の中にいるのではなく、電気のついていない居間のソファに腰かけていて、手元はベランダからかすかに入る街灯の明かりだけが頼りだ。
「羊が二十三匹、羊が二十四匹、羊が二十五匹、羊が二十六匹…………」
少年はテーブルの上にある瓶を手に取ると、その栓を手にかざしただけで抜き取ってみせた。一瞬、薄いオレンジ色の何かが少年の手とコルクの栓の間に走ったが、それは本当だったか疑わしいほど刹那的なものだった。少年はグラスを一瞥したが、瓶から直接血のように赤い液体を口に含んだ。
「やはり、夜はこれに限るね」
眠れない夜の対処法としてそれを飲んでいるわけではなさそうだった。
少年の名は、渚カヲルという。
「ああ、シンジ君」
彼は頭の中では未だに羊の数をカウントしつつ、一つ年下の少年の名を呼んだ。独り言であった。16歳の少年の独り言にしてはあまりふさわしいようには思えないが、彼をよく知る者から言わせると「やっぱりか」という程度である。
「君はなんて魅力的なんだろう。この僕が、昼も夜も変わらず考えているのは君のことばかりだ」
カヲルは瓶から飲んではいるが、あくまでそこに粗暴さを感じさせない優雅さでワインを飲む。
「シンジ君、どうしてだい、どうして君は僕を悩ませるんだ。君のその目、その唇が浮かべる楽しそうな顔、怒った顔、悲しい顔、嬉しい顔。なにより繊細そのものの危なっかしい笑顔。照れた仕草。まったく行為に値するよ。これほど僕が思っているのに、どうして君は振り向いてくれないんだろう。僕は苦しい、苦しいんだよ。もしかしたら、君は僕を苦しませるために思わせぶりな態度をとるのかい?効き目は充分さ、君は僕を染めた。だからお願いだ、君のありえない寝相や寝顔も、すべて僕のものになっておくれ。もし君にぞっこんなこの僕の方が悪いっていうなら、君は意地悪なやつさ。だって、僕はもう君なしでは生きていけないと思っているんだ。さあシンジ君、明日にでも、この僕の苦しみを開放しておくれよ、ああ、シンジく〜〜〜〜〜ん」
明くる朝、渚カヲルが寝坊したその理由は、誰も知らない。
いつになくぐったりとしているわ。レイは教室の窓辺で黒板に向かっているものの、ひと目見れば授業を聞いていないのが明白の碇シンジを見て、朝からため息をついた。
ここ一週間ほど具合が悪そうだったが、休日をはさんでもその様子は変わらない。頬杖をついているが、その杖はひどく頼りなく揺らいでいる。まだ1時間目の途中だというのにこれではこの先つらいだろうことは明らかだった。
「碇くん」
授業が終わり、教科書をしまうってからぼんやりと座っているシンジの肩を叩いた。
「ああ、綾波?どうかしたの?」
それはこっちのセリフ、という言葉は飲み込んで、「元気、ないみたいだから」とだけ言ってみる。
「うん……最近、寝つけなくてさ」
「どれくらい?」
「先週から、ずっと」
レイの目からもシンジの具合が悪そうに写ったのは先週の木曜からだから、実際に眠れなくなったのはそれより前だろう。
「不眠症かもしれないわ」
「そう……かもね」
不眠症だとすれば、原因は神経症からくるものということがままある。レイは己の知識で知りうる限りのことを考えながら、
「赤木博士に相談してみたの?」
「まだだけど……今日、行ってみるつもり」
原因が神経症――悩みを抱えているからだとしたら、なんの悩みだろう。レイは眠たげなシンジの力のない言葉に頷きながら、考える。
――やっぱり、わたしという恋の対象について悩んでるのね、碇くん――
アブダクションも甚だしい帰結を導き出した彼女は、独りで身体を火照らせつつ口の中で「わたしはいつでもいいのに」と呟いた。言えばいいのに。
「どうしたのよアンタ、今日も眠そうね」
元・同居人の惣流・アスカ・ラングレーがレイの後ろからシンジに声をかけてくる。レイはコンマ数秒悪事をしくじった司令官のごとき苦い顔を見せたが、シンジがいる手前、いつもの表情に戻るのは早い。
とはいえ、今のシンジはそれに気づくことも難しいほど注意力散漫だった。
「うん……あれ?気づいてたんだ」
だが、「今日も」という言葉づかいには気づいたらしい。
「そりゃあ、前は一緒に暮らしてた仲だし」
「アスカはよく見てるなあ」
シンジはくたびれた表情で笑う。その笑顔に照れて赤くなるアスカ。
――いい顔するわね
と、アスカは思う。
一方レイはというと、
――碇くん、わたしも気づいてたの。気づいてたのよ。でも、それを明らかにするのはフェアじゃないって言うか、卑怯な感じがしちゃうかと思ったから言わなかっただけで、わたしだってわかってたのにこの人が絶妙なタイミングでさも「あたしはわかってますYO!」なんて口ぶりで言うから、まるでわたしがなにも気づかなかった暗い女みたいになってしまってるけど、大体碇くんだって悪いのよ、わたしが気づいてたけどわざわざ言わないで気づかってたのを気づいてくれてればこんな嫌な気持ちにはならなかったんだから、碇くんはそういうわたしの気持ちも読み取ってくれると思ってたのに、これは裏切りよ、裏切り行為だけど、ここでそれにこだわってても仕方がないからわたしがこの女にはできないような絶妙な打開策を見つけて碇くんの悩み、つまりわたしという悩みを解消するための努力をしなくてはいけないわ、そうよね、これは早速赤木博士に色々なこと教わらなきゃ――
……と、長い。
「碇くん、今日の赤木博士は五時には仕事が終わるハズよ」
二人の会話を切るために会話に割り込むレイ。
「え?ああ、うん、わかった」
――つれない、なんだかつれないのはやっぱりわたしのことで眠れぬ夜を何度もすごしているからかしら。いいのよ碇くん、わたしはいつでもいいけど、実には食べごろっていうものがあるんだからね……?――
ぶしゅん。
顔を赤くして去っていくレイを呆然と見送るシンジ。
「あのバカ、暴走してるわねー。あのぶんじゃ、きっとリツコから薬もらってくるでしょうね」
「だと思うけど」
「にしてもあのバカ、ホントあんたのこととなると視界狭くなるわね」
最近のアスカが示す「バカ」はシンジよりもっぱらレイであることを、レイだけが知らない。
「はは……」
「ねえ、念のため言っておくけど、ああなったレイは」
「え?」
「もう忘れたの?四ヶ月前の、あの事件を!」
「うっ……」
上ずり気味のシンジの声に、クラスメート達もひそかに喉を鳴らした。アスカの手も小刻みに震えている。
忘れるにはまだ最近すぎる出来事だった。
「アイツがあんな状態に陥ったがために、理科室は……」
「お、思い出させ――」
シンジが言いかけたが
「うわ〜〜、思いださせないでくれぇ、あの「ハイブリッド・ドランカー」事件のことはあ〜〜!!」
と叫びながら出ていった男子生徒と、それを口火に小走りで逃げていく女子生徒が数名。
「そして、プールの時間では……」
「いや、やめて、「ファントム・トルネイド」事件のことなんて忘れていたいのにーーーーーーー」
クラスメイトであり、親しい友人の一人である山岸マユミが二人のすぐ側で談話をしていたが、二人の話を聞いて震えてしゃがみこんでしまった。
「あたし自身も、アイツの勘違いからリツコ印の新薬「ゲットアップ・ルーシー」を飲まされて街中の突起物という突起物を破壊したのはつい最近……今回は、そんな大事にならなきゃいいけどね」
ごくり、と生つばを飲み込むシンジの胸中を(煽るだけ煽っておいて)察して、アスカが肩に手を置いた。
「まあ、今回はあんたのために動いてるんだから、大丈夫よ、きっと」
軽く置かれたはずの手が、やたらと重く感じられるのだった。
「しまったなぁ」
渚カヲルは真昼の太陽が射し込む通学路を歩いていた。陽射しのせいか、めずらしく顔に赤みがさしている。
「まさか、シンジ君のことを考えるあまり朝になっちゃうなんて、ああ、僕は……」
一人言がサマになるのは彼ぐらいのものだろう。
「僕はなんて困った小猫なんだろう」
内容は、ともかくとして。
「おや?」
彼は駅で切符を買う学生を見かけ、驚きの声をあげた。制服のままの水色の髪の少女は、この世でおそらくただ一人だろう。
「レイ、どこへ行くんだろう?」
二人の距離は優に50メートルは離れていたが、レイが押した「210円」のボタンを押したのをしっかりと見たカヲルはすぐにレイの目的地を悟った。
「赤木博士のところへ?」
こんな時間に急ぎ足で向かう理由は、一つしかない。
「むう、これはいけない。レイの毒牙にシンジ君をやらせはせん、やらせはせんぞーー」
こらえきれず拳を掲げ、彼は急ぎシンジのいる中学へ向かった。彼は元・チルドレンの中で唯一人の高校生だが、もう半年たってもしょっちゅう母校の中学校にふらりとやってくる。
「渚カヲル、意外と友達いない説」が彼の卒業した母校で有力な説なのはこのためだが、本人はそのことを知らない。
コンコン。ドアを叩く。
「はい」
「綾波です」
「どうぞ、準備できてるわ」
大学に客員教授として(30をすぎたばかりの彼女には、本来破格のポジションである)招かれている赤木リツコの研究室を訪れたレイに、リツコはいつものようにそっけない表情で応対する。
「それで、不眠症なんですって?シンジ君」
「はい」
「そうねえ、なにか原因かはわからないけれど、とりあえず睡眠薬を渡しておくわ。それと、シンジ君に言っておいて。原因があるなら、そして自分次第で解消できそうなら、きちんとケリをつけるように、って」
「はい」
「じゃあ、コレが睡眠薬」
茶色の小瓶に入った錠剤。ラベルはない。
「適量は?」
「四錠ね。そうそう、それと――」
と言ってようやく立ち上がったリツコは棚の鍵を開け、粉末の薬をひとつだけ取り出し、レイに渡した。
「これは?」
「それは、あなた用。シンジ君に飲ませるヤツと同じく、寝る前にね。必ず飲んでおきなさい。効果が現れるのは十分後よ」
「なんですか、これ?」
「それはね……」
と、なぜか耳打ちするリツコ。二度三度と頷いたレイは、顔を赤らめながら薬を握りしめ、
「ありがとうございます、リツコ姉さん!!」
「ふ、あなたと私の間に礼は無用のはずよ、妹よ……」
がしっ、と抱き合う二人。
「そうそう、念のため、コレも」
ネルフ職員の間で使われる隠語で言うところの「絶対領域ATフィールド」を握らせたリツコは、「健闘を祈る」とだけ言い、そして、またも頷いたレイは「今度こそ!」と心の中で叫び、研究室を後にした。
レイが出ていくと、リツコは少し冷めたコーヒーをひと口すすった。
この策がうまくいけば(薬が効けば)、あとはレイの魅力とシンジの「漢」次第だ。
「少年よ、大志を抱け!」
問題が不眠症から大きく外れているが。
「意外ね、あのリツコがまともな薬渡すなんて」
アスカは夕食の場でレイがシンジのために持ってきた睡眠薬をもてあそんでいた。きちんとパッキングされ、どういう薬かも印されている。
もちろん、そんなものは偽物に決まっていた。後からリツコが念のためにとパッキングされたものを渡しに来たのだ。念には念を、である。
今までリツコがシンジ達に渡してきた薬はアスカが飲んでしまった(飲まされた)「ゲットアップ・ルーシー」をはじめ、「ロンリネス・ウォッチャー」だとか、果ては「透明人間!」などというあからさまに怪しい薬名だったために皆ツッコミが入れられたが、今回はちゃんとインターネットでその名前を検索すれば睡眠薬の主成分という解説が出る。まぎれもなく睡眠薬だと、アスカもミサトも信じた。
だから、ミサトに呼ばれたからとリツコがナベをつついているのを誰も不審がらないのである。
いや、一人いた。
以前、酔っぱらった際に「世界はシンジ君と、その周りを僕が回っている。それで終わりだ」という名言を残している渚カヲルだけは、眼を光らせていた。しかし、彼は何かが起こるなら、それを利用して自分がシンジの救い主になればよいなどと暗躍しているので、事が起きるまでは待つつもりだった。
そのために彼は「場の宴会化」を狙った。今夜はここですごすためだ。奇しくもリツコも同じことを考えていたため、意図的にハメを外し、アスカを煽り、潰し、日付がかわっても飲み続け、しらふなのはシンジとレイのみ、という状況になったのである。
「……仕方ない人たちね」
とは言うものの、全員見事に潰れている。今夜は途中で起きることもないだろう。
計画実行に問題はない。
アスカの部屋にカヲルも放り込み、ミサトの部屋にリツコを寝かせる。
一段落して、シンジとレイはなんとなく苦笑いを浮かべた。
(悪くない、悪くない空気よ。しっかり!)と己を奮い立たせるレイ。
「お茶、入れようか」
「ええ」
お茶を飲み、レイは「はい」と薬も渡した。シンジはなんの疑いもなくそれを飲み、お茶を飲むと、部屋に引っ込んだ。その直前、「やっぱりカヲル君は僕の部屋に――」と言いかけたが、
「その必要はないわ。あの二人、最近すごく仲が良さそうだし」とレイが制した。特に「すごく」の部分を強調して。出任せもいいところだし、そういう問題ではないはずだが、疲れていたシンジは深く考えずに頷き、眠たそうな顔で「おやすみ」と言い残して部屋に引っ込んだ。
「ふう……」
これで、あとは自分もリツコから渡された薬を飲むだけになった。
レイは速やかに薬を飲み、時計の針を見る。十二時二十四分と三十七秒。
九分後、行動開始だ。
十二時二十九分五秒。
「ふう」
シンジは頭痛に近いほどの眠気と瞼の重さ、しかしそれでもなお眠れない苦しみを味わっていた。
睡眠薬ってどれくらいで効くんだろう……ホントに効くのかな?
「よく眠れるおまじないって、なんだっけ」
確か、羊を数えるんだよな。なんで羊かは、わかんないけど。
「羊が一匹、羊が二匹……」
十二時三十二分三十一秒。
彼は、月明かりを眼に浴びて、微笑みを浮かべた。
夜風が冷えたが、腹の底では燃えていた。
真夜中、もうじきすべてが動き出すだろう事は部屋にいたレイが薬を飲んだことからも推測可能だ。
「待っていたよ、シンジ君」
渚カヲルはその大きな口から、自信たっぷりに言い放った。
ちなみにシンジは別段、待っちゃあいなかった。
十二時三十三分三十七秒。
「行きます」
彼女が呟き、彼の部屋へとゆっくり入って行った。
「始まるのね」
鋭い声でミサトが言い放ち、彼女が起きていたことに驚いたリツコが、襖を開けるのを止めて振り返った。
「あなた、起きてたの?」
「あんたと何年のつきあいになると思ってんのよ」
「さすがね。でも、いつものように止めなかったのはなぜ?」
「あんたが芝居打ってまでナマで見ようってものとなるとね〜」
「ふっふ……今回の我が策から逃れる術はなく、また、いかなる覚悟を以ても驚愕の渦に巻き込まれるわよ……にしてもミサト、ナマなんて言うもんじゃないわ、下品よ」
「下品なのはお前じゃ!」
ひそひそ声で会話をしていると、襖が開く音が聞こえた。ほんの微かなものだ。
「アスカ」
ほんの僅かに空いた隙間からでも分かるほど「あたしをなめんじゃないわよオーラ」を放っていたアスカの形相も見物だが、これでは計画が台無しだ。リツコは時計を確認し、あと十三秒で発動する計画阻止を目論むアスカを阻止すべく、躊躇することなく部屋を出た瞬間、それより早くベランダに投げ出されていたカヲルがアスカの身動きを封じ、口を塞いだ。
「ダメだよアスカちゃん、今回は成り行きを見送ろう」
アスカがすかさず反論を目論むが、リツコが素早く「昨日できた新型の「ルーシー」を飲みたいなら、いいわよ」と囁いた途端、全身の力を抜いた。よっぽど酷い目にあったのだろう。
こうしてシンジの部屋へと到達し、中へ消えていった音を確認すると、四人はこのマンションの部屋の真上に急いで入った。先導したのはリツコ。
「準備万端じゃない」
あきれた、とミサト。
居間にはいくつかのモニターが設置されており、リツコがひとつひとつのスイッチを入れると、シンジの部屋がカラー映像で映し出された。
「しかし、いつの間に準備を?」
カヲルが訊いた。
「引っ越し業者を装って夕方のうちにね」
リツコの回答はそっけない。
それもそのはず。すでに、開幕のベルは鳴っていたのだから。
「あ、綾波……?どうしたの?」
やさしいノックのあと、静かに入ってきたレイの姿をシンジは確認し、言った。
「碇くん……まだ、眠れない?」
「うん……眠いんだけどね、ずっと」
「そう……ごめんなさい、力になれなくて」
レイはベッドの側に寄り、しゃがみこんだ。
「今さ、羊を数えてたんだ。ほら、眠れるようになるおまじない。でも、なんだかダメだね。当たり前だろうけど」
こちらから切りだそうとしていた話題をしてくれたことにレイは心中感謝しつつ、そう、と返事をする。
「碇くん、そのおまじない、ほんとに効かない?」
「そりゃあ、そうだよ」
「ほんとに?」
「うん」
「……少しの間、目を瞑っててくれる?」
「え」
「お願い」
囁くような声にドキドキしながら、シンジは眼を瞑る。レイの小さな手がシンジの眼をそっと覆った。
「はじまるわ」
「なにが?」
「フフフフフフ……まあ、見てなさい」
「碇くん、眼を、開けてみて」
「?うん…………――――――――」
シンジが目を開くと、
「んなっ!!!!」
ミサトも仰天。
「うそっ」
アスカも真っ青。
「……」
それが?ってなカヲル。でもちょっと悔しそう。
「……」
誰かのような不敵な笑みを浮かべ、静かに拳を握り「手ごたえあり!」なご様子のリツコ。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あや、あやなみ?」
ろれつなんて回るはずもない。それもそのはず、
羊の格好をしたレイがそこにいたのである!!!
「これぞ!赤木印の変身薬系最新作「よくよく眠れ〜る」よ!!」
「ち、ちょっと、おかしいじゃない!あの睡眠薬は確かに――」
「ブラフだよ。そうでしょ?」
カヲルはそっけない。なにしろ彼はレイも薬を飲んだのを目撃している。
「そ。アレは単なるビタミン剤。真の薬はレイに飲ませた粉薬よ」
「じょ、冗談じゃないわよ、あんなカッコしたレイが夜這いしようってんならあのバカ、ひとたまりもないじゃない!!」
「そうでなきゃ困るわ」
「それじゃ困るのよ!」
急いで部屋を出ていこうとするアスカを、それよりも速くカヲルが延髄に打撃を与える。
「くっ――!?」
「ごめんよアスカちゃん、これは確かにシンジ君が危ない。でも、助けるのは僕さ」
悠々と部屋を出ていくカヲル。
「止めないの?」
とミサト。
「心配ないわ。彼が飲んだビールには新型ルーシーが入ったものだけを飲ませておいたから。新型は時限式で、私の手で発症を指定できる」
低い声で言うと、小さなガラスケースを足下のバッグから取り出したリツコ。
「マジなの?」
「ふふふ、もちろんよ。如何なる方法を以てしても、目標のターミナル・ドグマ侵入は阻止させてもらうわ!」
意味の通らないセリフを言い放つと、リツコは迷うことなくそれを押した。その瞬間、
「くぇーーーーーーーーーいっ」
と、廊下の向こうから奇声が聞こえ、渚カヲルはマンションを走り去っていった。
「アンタ……」
「さあさ、後は若いモンがどう出るか、見せてもらいましょう」
「ど、どうしたの、どういうこと、そのカッコは……」
「赤木博士が、羊のことを思うなら、夢で見るときにかわいい羊の方がいいから、って……」
「って言ったって、だって……」
胸と腰を覆うホワホワの毛だけで、あとは羊毛よりも白い肌が顕になっている。
(こっ、こんなの夢に出たら眠れるどころか途中で起きてパンツ洗わなきゃいけなくなるよ!)
現実的な危機感を抱くシンジ。
「碇くん、わたし、ずっと碇くんのこと……こんなこと、こんなときに言うなんて、おかしいけど」
(教わった通りに)一度俯いてから、顔を上げる。
その仕草に少年はもう、ドッキュンドッキュンである。
「ずっと、ずっと好きだったの……そんな碇くんが苦しんでるのは、見ていたくないわ……」
ぎゅっ。
彼女の体温が伝わり、感触が伝わり、そして――
パチンッ。
リツコは速やかにモニターを切った。
「大人として良識ある態度をとらないとね」
「いや、つーかあんな変身薬作ってる時点で色んなモンからはみ出てるわよ」
「それも、宿命よ」
立ち上がったリツコは、もう消えたモニターを一瞥すると、
「少年よ、大志と彼女を抱け!」
と言い放ち、部屋を出ていった。
夜が明けた頃。
「フッ」
きれいな笑みは浮かんでいるが、冷気で身体は冷えていた。
腹の底も、冷えきっていた。
「いざ現実がくると、こたえるものだね」
鳥肌が立って、彼はクシャミをした。
「フッ……」
ポイ捨てされた空き缶が、カラカラと転がっている。
リツコの周到な罠にまんまとかかった彼はあれから六時間たって、ようやく正気に戻ったのだが、時すでに遅し。
ちなみに彼がその間なにをしていたかは、よくわからない。ただ、首筋の痕が確実に何かを説明している。
「僕のシンジ君は、いけない世界へとイってしまった」
冷たい風が、また吹いた。
「うわあああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
渚カヲル十六歳、男泣きに泣いた朝だった。
なにはともあれ、この日を境にシンジは不眠症で悩まなくなった。
なにが原因だったのかは、不明のままである。
赤木リツコの新薬保管庫にある「羊を求める不眠症薬」が少しだけ減っているのを知られることは、永久になさそうだった。
おわり
あとがき
はい、ども。ののです。
ええと、競作企画をtamaさんと一緒にやれたということを、まず、嬉しく思ってます。
しかもめっちゃかわいいイラスト書いてもらえました。すばらしいです。萌えです、萌え。
もう、僕の駄文なんていらないのではと思うくらいです。
一応、今回の合同FFについて触れておきます。
元々は僕から持ちかけた話で、尋ねてみたところ、諾と言っていただけたので、
じゃあどういう系統でいくかをいくつか挙げて訊ねたところ「ポップ&キュート」という、
ぶっちゃけた話僕がいちばん不得手とする話になりました。
で、絵を描けない僕は、自分が先に書いて「よろしく」ではちょっと問題あるだろうと思い、
おおまかなストーリーをtamaさんに出していただき、さらに先にラフスケッチを描いてもらいました。
僕が話を添えるという形に近いかな?今思えばそれはそれでtamaさん的にはどうだったんだろうとか思いますが(汗)
でも、おかげさまでようやく僕も話を書けました。書くまでがキツかったです。そこからは早かったけど。
書いてみて、やっぱコメディは苦手。どういう語り口がいいのか全然わからないっす。
こういう風に「新しく始めたばかり」というのって自分が好きなFFとかの展開がもしかしたら入ってるかもわからないですが、
苦笑いでスルーしていただけるとありがたいですが、容赦なく突っ込んでもらいたくもある。
ラストにすごく悩みました。最後の一行だけに二十日かかった(爆)
納得いくシメになってよかったです。
なんにせよ、tamaさんが素早く絵を描いてくれたから書けた話です。ほんとに。感謝!
では、また。
企画っていろいろな意味で勉強になります。
他の方の作品もぜひ読んでください。チェキダウ!!