「ねえ、綾波」
結婚しても二人はお互いに名字で呼び合っていた。だが、今はまだそれでもいいと思っている。シンジにとっては「綾波」であり、レイにとっては「碇くん」なのだ。いつかは――例えば子供ができたら――名前で呼ぶようにしようと思ってはいるが。
「なに?」
そう答えたレイの声は少し弾んでいた。
二人は今、高層ホテルのスカイラウンジに向かうエレベーターの中にいる。時間帯がずれているのか、乗っているのは二人だけだった。
この日、劇団をやっているアスカとカヲルのお芝居を見た帰り、二人だけで外食をした。それから、もう少しお酒でも飲もうと話をしてここに来たのだ。二人ともそれなりに着飾っているし、二人きりでお酒を飲むなど久しぶりのことで、レイの声が弾むのも当然だろう。
「こうして、大きなエレベーターに二人だけで乗ってるとさ」
「……」
「あの頃を思い出すよね。ほら、覚えてる? 僕が綾波に、お母さんみたいだって言った時のこと」
「覚えてるわ」
「あの時の綾波、可愛かったなぁ。赤くなっちゃったりしてさ」
「……何を言うのよ」
「何度でも言うよ」
食事中に飲んだワインの軽い酔いも手伝ってか、シンジは微笑みながらレイの肩を抱いた。
「綾波。君は今でもあの頃と同じくらい可愛いよ」
レイの耳元に口唇を寄せ、そっとささやいた。
「好きだよ、綾波」
「きゃっ」
レイは身体を震わせ、小さな悲鳴をあげた。
「碇くん、やめて。あたし、耳が弱いの」
「知ってるよ」
シンジは邪悪な微笑みを絶やさずに言う。
「だからやってるんだ」
「やめて。怒るわよ」
レイはシンジの腕から逃れようともがくが、逃げられなかった。シンジが馬鹿力を出しているわけではない。早くもレイは身体に力が入らなくなっているのだ。
レイが脱力しているのを知り、これほどまでに効果的だとは思わなかったシンジは暴走を開始した。
もうピンク色に染まっているレイの耳たぶをそっと噛むように、優しく息を吹き込むようにしてささやく。
「綾波、愛してる」
「あっ」
「すごく綺麗だよ」
「んぅっ」
「好きだ。絶対に守るよ」
「あんっ」
「僕の子供を産んで欲しいんだ」
「あ、くぅ」
「二人の遺伝子を残したいんだ」
「んんっ」
「君は僕の全てだ」
「あぁっ」
「ずっと僕のそばにいてくれるね?」
「はああぁっ」
ちーん
スカイラウンジに着いたことを知らせる軽やかな音が響き、エレベーターの扉が静かに開く。
シンジは座り込んでしまいそうなレイの手をさりげなく取り、しゃあしゃあと言い放った。
「ついたよ、綾波。行こうか」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
レイは息も絶え絶えだった。
その日、シンジはレイの矢継ぎ早のお酌で潰されたあげく、路上に放置された。翌日以降も一週間ほど全く口をきいてもらえず、食事の用意もしてもらえなかったという。
調子に乗るのもたいがいにしろという話である。