その標的が人であることは明確であり

最大の天敵であることを歴史が示していたとしても

使徒が

絶対的に人類にとって有害であるとは

認識できなくなった時代・・・





trainee of the soldier







神奈川県第三新東京市。世界に誇るその近代的な街並みは、対使徒戦闘要員

育成機関NERVのある丘を中心として円形に広がっている。

直ぐ近くに芦ノ湖を臨み、周りを山に囲まれているために緑も多い。

それだけに、NERVから眺める景色には一見の価値がある。

夏以外の季節がなくなって久しく、晴れの日ばかりが続いているというのに、

わざわざ丘を登って見物に来る者が後を絶たないという事実をみても、

その素晴らしさが伺えるというものだ。



人類が暦を読み始めて2000年が経ったその年、後に「アダムの産声」

と名付けられる大爆発が南極で発生した。

それは今まで人類が遭遇したどんな災害よりも大規模で、そして全く容赦が

なかった。地軸は傾き、地球全体に様々な天変地異が次々と発生し、更には

人間同士の争いによって人類は人口の半分を失った。

一気に窮地に立たされた人類はしかし、使徒が持つコアの利用法の発見によって

大都市を中心とする急速な復興を成し遂げることになる。

勿論、全ての国の復興が成ったわけではなく、未だ飢餓や貧困、使徒の恐怖に

怯える生活を余儀なくされている国も数多い。しかし、悪夢の日より15年という

月日が経過した現在、少なくともここ第三新東京市では、むしろ以前よりも

生活の水準は良くなったと言える状況にある。



その日もいつものようによく晴れた真夏日で、晴れ空の下で昼食を摂ろうと考える

生徒は多かった。NERVを一周する遊歩道沿いにあるベンチや休憩所などはどこ

も生徒達でいっぱいで、昼休み独特の騒がしさが丘の上の大半を占めている。

皆午後からの訓練に備えて、昼休みを精一杯満喫しているのだ。



その一方で、他と隔絶されているかのように静かな空気を漂わせる空間もあった。

街と芦ノ湖とを一望できる場所。

そこにある大木の根元に置かれたベンチ。

本来なら一番人気となっているはずのそこは、実際には昼休み最も静かな場所

として有名となっている。

そして、今日もいつも通りの二人がそのベンチを占領していた。



「何か、あったの」

「…ん、なんで?」


目蓋を通して伝わる陽の光。

耳に心地よい葉擦れの音。

微かに漂う甘やかな香り。

後頭部の柔らかな感触。


「今日は朝から機嫌がよさそうだから」

「そうかな?」

いつもの昼休み。

「ええ」

幼馴染である綾波レイから手製の弁当を御馳走になった碇シンジは、現在五感で

幸せを感じつつ、至福の時を過ごしていた。

「ん〜、そうかもね。今日は何か良い事がありそうな気がするんだ」

「良い事って」

食後の膝枕は初めの頃こそ恥ずかしがったものの、今ではもはや当たり前となって

しまっていた。

「それはまだわからないけど、でも僕の場合こういう予感て結構当たるんだよね」

慣れてしまうとただただ心地よさだけが頭を満たしていき、いつもは頭に留めて

おくだけのはずの言葉が勝手に口を突いて出てしまう。

「…惣流さんのこと?」

「今日来た留学生の子?あぁ、何て言うか、すごく元気だよね。おまけに美人

 だしさ。でも、どうだろ?う〜ん…もしかしたらそのことだったのかもね」

今の台詞もそんな感じで言ってしまったものだった。

「そう。よかったわね」

言葉と共に向けられる、目を瞑っていても感じられるほどの冷たい視線。

先ほどまで感じていた心地よさは急速に失われていく。

そしてレイの無言の圧力は万人に対して絶大な効果を発揮する。

無論、シンジもその例外ではない。

「…なんだか今の、言葉にものすごく棘がなかった?」

「別に」

「そうかなぁ」

「あなた自身にそう思う要因があったんじゃないの」

「僕には思いあたらないんだけど」

「…惣流さんのことが気になるんでしょ」

「それはまぁ、ね。これから一ヶ月は同じクラスなんだしさ」

今度は心地よさのみを伝えていた膝が、なぜか居心地の悪さを演出し始める。

いつも自らの墓穴によって、シンジの幸せは消え去っていくのだ。

「その間になんとかして仲良くなりたい、というわけね」

「なんとかしてって…別にそんなつもりじゃ」

「でも仲良くなりたいんでしょ」

「まぁ、そうだけど」

「じゃあ今から行ってきたら。きっと相田君や鈴原君もいるはずよ」

「い、いいよ。べつにそこまでしなくても」


今日のレイはなんだか怖いよ


そう思っても口にはできない。レイに対して「怖い」といった類の言葉は

禁句なのだ。

これはシンジにとって幼い頃からの経験則である。

「なぜ?仲良くなりたいんでしょう?」

「う〜ん、でもやっぱりいいよ」

「遠慮しなくていいわ」

「別に遠慮なんてしてないよ。ただレイといたほうが落ち着くってだけ」

膝枕の魔法が未だ働いていたのかもしれない。思わず本音を口走ってしまった。

言った途端、それまでの雰囲気が霧散した。

見るとレイは微かに笑っている。


どうやら自分はレイにまんまと嵌められたらしい


だが気付いても何も言えない。昔からシンジはレイの笑顔にめっぽう弱いのだ。

「次の授業は確か演習だったよね!?着替えなくちゃいけないし、そろそろ

 行こうよ!」

苦し紛れに無理やりの撤退を宣言したシンジは、極力レイの方を向かないように

一人でさっさと歩き出してしまった。


だから、シンジは気付かない。


「…ばか」

どこか安堵の表情を浮かべたレイの頬も、ほんのりと赤くなっていたのだ。







NERVの中でも様々な訓練施設を集めた建物。主に演習に使われることから

演習棟と呼ばれているが、2−Aの生徒は現在そこの出入り口を入って直ぐにある

ホールに集まっていた。


NERVでは訓練生の能力に応じて、三つのクラスを用意している。

能力の高い順にクラス1stから3rdまであるのだが、一つのクラスにつき

100名程度と結構な人数なので、通常それらをさらにA〜Cの三つのグループに

分けて訓練を行っている。


生徒達の予想通り午後一発目の授業に遅刻したNERVの教官葛城ミサトは、

しかしいつもと違って、同じく教官である加持リョウジを伴って来た。

ミサトはさっと生徒の顔を見渡しただけで出欠をとると、号令をかける暇も

与えずに口を開く。

「欠席者ゼロ!相変わらずウチのクラスは元気がいいわね〜。お姉さんとっても

 嬉しいわ♪」

「おいおい、お前まだ自分のこと「お姉さん」なんて呼んでるのかよ」

すかさず突っ込みを入れる加持だったが、

「うっさい!あんたこそそろそろその不精髭、なんとかしなさいよ」

ミサトも慣れたもので、さらっと流して反撃していく。

「葛城が「お姉さん」をやめたらな」

いつものやりとりが始まるかと思われたが、

「はいはい。…でも、これで今日の演習が成り立つわね」

「…あぁ」

言葉の後半にわずか真剣みを宿した。

怪訝そうな表情を浮かべる生徒たち。

普段は鈍感な鈴原トウジも珍しくこの違和感を察知することに成功し、

早速クラス一の情報通である相田ケンスケに聞いてみる。

「成り立つって、今日の演習はいつもやっとるやつと違うんか」

「ん〜、昇級試験も近付いて来てることだし、いよいよ試験対策の特訓が始まる

 てことなんじゃないか?多分」

「ご名答。さすが相田君!」

「!……はっ!光栄であります!」

突然声を掛けられて一瞬固まったケンスケだったが、次の瞬間にはミサトに見事な

敬礼を返していた。

対してクラスの大半は一様に不安そうな表情でミサトを見ている。


クラスを一つ上がるためには昇級試験を受けてそれに合格する必要がある。

試験は学科と技能の二つの試験で成り立ち、特にクラス2ndから1stに上がる

昇級試験は、非常に難易度の高いものとなっている。


それがどんなものなのかまでを知る者はいなかったが、非常に困難なものである

ことは皆噂程度に聞いていた。

「今回の昇級試験では実戦形式の技能試験をパスしなきゃいけないってことは、

 みんな知ってるわよね?」


クラス2ndまでの昇級試験では、教官との試合形式で技能試験は行われる。

それに対して2ndから1stへの昇級試験が実戦形式なのは、クラス1stで

例年実施される実地訓練が理由であると言われている。

実地訓練とはつまり、訓練生が実際に対使徒戦闘要員として働いてみることを

意味するのだが、それを考えると昇級試験が実戦形式なのも頷けるというものだ。


「実はその試験、CHILDREN用の訓練施設を使ってやるのよ」


CHILDREN。

NERVクラス1stの生徒のみが受けることを許される採用試験。

見事それに合格した者だけがなれる、正規の対使徒部隊の名称だ。

結成当初は構成員が全て子供ということで現場からの嘲笑も多かったが、

その実力が明らかになるにつれて徐々にその声も弱くなってきている。


「ってことは、ひょっとして今日の演習は…」

ふっと嫌な予感に襲われたケンスケだったが、

「そう!実際にその中に入ってもらいます」

それは見事に的中した。





樹木生い茂る密林のような小道を

「それにしても、ミサト先生も毎度毎度よくやるよ」

「いきなり『CHILDRENの訓練所を散歩して来い』やもんなぁ」

だらけ話をしながらぶらぶらと歩く少年が二人と、

「ちょっと、二人とも!まじめにやってよ!」

周囲よりもむしろそんな二人に注意しながら歩く少女が一人。


三バカトリオのうちの二人ケンスケとトウジに、頼れるクラスのいいんちょ洞木

ヒカリを加えた三人は、ミサトの指示によって訓練施設内を一周する散歩の途中

だった。

「わかってるて。ちゃあんと警戒しながら歩いとるわ」

「どこがよ!」

「周囲に気を配りながら前進!完璧じゃないか」

「無駄話しながらじゃ意味ないでしょ?使徒は人の気配に寄ってくるんだから!」

どうやら、自分自身が一番大声を出していることには気付いていないようだ。


人のみを敵とみなし、ただ無表情に襲い掛かってくる使徒。

それは有史以来恐怖と憎悪を向けるべき対象以外の何者でもなかった。

しかし「アダムの産声」以来世界各地で起こった人間間の争いを経験したとき、

人々は彼らの存在意義を見直さざるを得なくなる。


「そんなん言われても、ココに入ってからこっち、まだ一体も使徒に遭うとらんや

 ないか」


戦争の抑止力と人同士の仲間意識の向上。結局、争いをやめさせたのは政府の力

でも天変地異でもなく、使徒だった。アダム復活以降急激に活発化した使徒の

動きは人間の目を再び使徒のみに向けさせたのだ。


「確かにね。案外ここに放されてる使徒って少ないのかもな」


ようやく混乱から脱出し、復興の道を歩もうと前方を見据えた人類にもたらされた

エネルギー源としてのコア利用法の発見。

正に降って湧いた幸運だった。

次々とその活用法が開発され、復旧作業は当初の予想を大きく上回るスピードで

進められた。

新たな商売として確立したコアの市場は、そこに目をつけた戦士たちのコア獲得

ラッシュによって潤い、街に活気を取り戻し、今まで「防衛」のみに徹していた

各都市の対使徒部隊もその役割を「使徒狩り」に変更した。



皮肉なことに人類は、憎むべき使徒によってもたらされた世界の混乱を、人類の

脅威である使徒によって鎮められ、更にその復興までもが未だ謎多き使徒によって

もたらされたのだ。



「でも先生がA.T.フィールドを持ってるやつもいるって言ってたじゃない。

 そんなのが出てきたら私たちだけじゃ対応できないでしょ?」

「そや。やばそうやったら助けに入るとか言うとったけど、見えるようなとこに

 おらんやないか。これじゃ加持先生が助っ人に来てても意味ないやろ」

「そうそう。だからミサト先生も無茶させるよなって言ってるんじゃないか」

「とにかくちゃんと歩いて!何の為に三人一組のチームに分かれたと思ってるのよ

 !」

やや前方を歩いていたトウジが二人の方に振り返る。

「そんなん決まっとるわ。もちろん―――!」

瞬間、草むらから飛び出してきた何か。


頭上で一斉に鳥達が飛び立った。




「はっ!」

気合と共に繰り出される、シンジの大上段からの斬撃。

ヒュッ

辛くも横っ飛びにかわした猿人型の使徒だったが、狙い済ましたかのように今度は

レイの魔法の氷塊が迫ってくる。

響く、鈍い音。

「てやぁー!!」

着弾と同時に頭上高く跳んでいたアスカは、落下のエネルギーを乗せた薙刀

ソニック・グレイブを使徒めがけて一気に振り下ろした。

『ギャーー!』

耳をつんざくような悲鳴を上げた使徒は、左半身を失い、残った半身には

ところどころ氷塊が鋭く突き出している。

「四体目っと」

言いつつ、自己再生を始めた使徒の様子を確認しようと近付いて行くアスカ。

「どうやら暫く動けなそうね」

「でも完全に倒さないように退けろって、ミサト先生も無茶苦茶言うよ」

「ええ、そ―――」

「ホンットにまどろっこしいったらないわねぇ。だいたい、何でアタシたちの

 班だけそんな指示が出されんのよ」

レイが言いかけたところでアスカが遮るようにしゃべりだす。故意にやっている

わけではないらしいが、施設を歩き出してからこう何回も遮られては流石に

おもしろくない。

しかもシンジがその都度律儀に答えを返すのがなお気に入らない。

「それはミサト先生が言ってたじゃないか」


アスカ、シンジ、レイの班が出発する際、ミサトは彼らを呼び止めていつもの軽い

口調で次のような指示を出していた。

曰く、「もし使徒と戦うことがあっても、コアを砕かないようにやっつけてもらえ

    る?」

   「困ってる組があったら助けてあげてちょうだいね♪」

理由を聞いてみると、返ってきたのは、

   「施設に使徒を補充するって言っても限界があるのよねぇ。お金かかるし」

   「私と加持だけじゃ全部の班のフォローなんて出来ないでしょ」

教師であることを疑いたくなるような答えだった。


「だからぁ、アタシが聞いてんのは何でアタシたち『だけ』にその指示が出される

 のかってことよ」

「いつものことだもの」

「はぁ?あんた達いっつもあの教官に無茶苦茶言われてるわけ?」

「そんなに頻繁にってわけじゃないけど」

たしかに、何かと雑用を押し付けられることはあるかもしれない。

「なるほど、さすが2−Aのエースってわけね」

「そんなんじゃないよ。…そんなこと誰から聞いたの?」

ミサトが何かとシンジとレイをこき使うのは、主に二人を幼い頃から知っている

からというのが本当のところだ。

「2−Aの人間なら誰だって知ってるでしょ。それより意外ね。エースともあろう

 お方が精霊をお持ちでないなんて」

そう言うアスカの左肩には、いつの間にか体長20cmほどの人型が座っている。

背中からは昆虫のような羽目が一対生えており、赤のワンピースから伸びた肌は

淡い桃色だ。少女のような容貌をしている。


契約することによって人の心に住み着き、またその宿り場所を変え、種種の働きを

する超自然的な存在。

一般的にこれが精霊の定義となっている。

精霊は契約者とシンクロして母なるリリスと繋がってエネルギーを受け取り、更に

それを人に与える能力を持っている。人は精霊から与えられた力を用いて初めて

魔法を使用することができるのだ。


「あぁ、うん。まぁね。僕の場合これがあるから」

そう言ってシンジが見せたのは、片端に紅く輝く球体が取り付けられた20cm

ほどの白い棒だった。剣の柄のようにも見える。

「A.T.セイバーねぇ。うまく使えばフィールドつきの使徒にも対抗できるって

 聞いたけど、でもアンタそんなのホントに使いこなせるの?」

A.T.セイバーとは使徒のコアを利用して作られた武具の一つで、柄の先端に

取り付けられたコアからA.T.フィールドと同質のエネルギー体を刃のように

形成させて敵を切り伏せるというものだ。つまり通常兵器では歯が立たない

A.T.フィールドをも打ち破りうる、使いようによって最強となる剣なのだ。

しかし、ここ5年の内に実用化された新しい武器である上に剣態保持のために

かなりの集中力を要するため、あまり一般的とは言えない曰くつきの代物である

とも言える。

「一応ね。それに、魔法ならレイがいるから僕まで使う必要ないしさ」

レイの周りをふわふわと飛んでいるのは、アスカの精霊と対照的に水色の肌に薄手

の羽衣を纏った、これもまた美しい少女のような姿をした精霊だ。

「アンタ何言ってんの?CHILDRENの存在意義なんて言ってみれば魔法しか

 ないじゃない!」

そう、一般に精霊とのシンクロ率は大人より子供の方が高い。

理由としては純粋な心が必要だからとか、ただ単に母なるリリスは子供好き

だからだとかいろいろ言われているが、最近では他者への依存心が重要な鍵を

握っているのだという説が有力だ。

そういった事情から才能ある子供を教育して即戦力としてしまおうといった

考えが生まれ、NERVのような組織が各国で作られ始めたのだ。

「でもほら、コアを使って身体能力を上げれば大人並の動きだって出来るんだよ?

 だいたい、惣流さんだってさっきから薙刀使ってるじゃないか」

「あの程度のやつならあれで十分だからよ。アタシが言ってんのはA.T.フィール

 ドを持ってるやつに太刀打ちできるのかってことなの!わかった!?」

白熱してきたせいか、覆いかぶさるようにまくし立てるアスカ。


その剣幕に押されるシンジは上体を精一杯引いて逃げ腰だ。



「はなれて!」

突然のレイの大声に何事かと振り向くと、目前に迫る氷の群れ。

「「!!」」

シンジとアスカが慌てて飛び退くと、直後に冷気をまとった一団が二人の脇を

通り抜けていく。

「何すんのよ!死ぬかと思ったじゃない!」

激昂するアスカに対して、レイはあくまで冷静に魔法の向かった先を指差した。

地面に横たわる四足歩行の獣型使徒。時折痙攣している。

「油断しすぎね」

「ご、ごめん」

「はん!あんなの一体倒したくらいで調子に乗らないでよね!」

レイの冷めた視線に萎縮しっぱなしのシンジと、逆になぜか偉そうに仁王立ちで

突っ張るアスカ。しかし強気の表情も微妙に引きつっている。

「時間を食いすぎたわ。先を急ぎましょ―――!!」

レイが言い終わるのとほぼ同時に、今度は少し離れた所からドゴーンという轟音が

響いてきた。木が倒れるような音だったが、それにしてもかなりの大木だろう。


途端に音源目指して駆け出すレイ。


またしても自分の言葉を遮られたことが我慢ならなかったのか、その走りは

心なしかいつもより力強い。

「あ、ちょっと待ちなさいよ!アタシが先頭で行くんだから!」

紅茶色の長い髪を優雅になびかせて、しかし焦ったように走り出すアスカ。


ホントに、『元気』で『美人』なんだよなぁ


後姿を追いかけつつ、シンジはそんな感慨を抱いた。





早く!

だれか!

助けに!

来てくれよ!!


予測不能の軌道を描く光鞭を、がむしゃらに動いて何とかかわしつつケンスケは、

なかなか現れない救援の到来を願うのに、頭の大半を使っていた。

「うわっ!」

今度もぎりぎりでかわして癖毛を焦がしながら、ケンスケはチラッと後方を

見やった。最初の攻撃で左足首と背中を負傷したトウジをヒカリが必死で

治療している。彼自身の油断によって負ったものとはいえ、流石にあの灼熱の

光鞭に掴まれて振り回された上に、背中から叩きつけられたとあっては

同情したくもなる。

治癒魔法を持つヒカリがいなかったら今頃どうなっていたことか。

とはいっても今は自分のことで手一杯だ。

使徒の注意を引き付けておくのもそろそろ限界に近い。

「くそ!これでも食らえ!」

言葉と共に放った真空波は、視認できないものの、空気を切り裂いて一直線に

使徒に向かっていった。

ところがケンスケの苦肉の一撃は、パキーンと乾いた音を立てて使徒の

展開したA.T.フィールドに防がれてしまう。

「どうしろってんだよ!」

すぐさま反撃してくる使徒に対して、逃げながら悪態をつくケンスケだったが、

「がっ!」

ついに使徒の鞭に捉えられてしまった。

吹き飛ばされてゴロゴロと地面を転がるケンスケ。

その体には、火傷と裂傷が大きく斜めにはしっている。

何とか体を起こしたケンスケの眼前には、止めを刺そうと近づいてくる、

三角に尖った頭部と細長い胴体を何本もの足で支えた、小豆色の気色悪い使徒。

メガネは掛けているのに、ぼやけて見える。

「ホントに、勘弁してくれよな」

目に浮かぶ涙を拭った手は、恐怖で震えていた。



しかしその姿は、横から襲い掛かった無数の氷塊によって一瞬の間に視界を

外れていった。

不意を突かれた為かA.T.フィールドを展開した様子はなかった。

氷の元を辿ると。

そこには蒼銀髪と紅い瞳が特徴的な少女、綾波レイの姿があった。

心なしか晴れ晴れとした表情をしているように見える。

「ふぅ、どうやら助かったかな」

レイが来たと言う事は、必然的にシンジも現れると言うことだ。


2−A最強の二人がいれば、この場も何とかなるだろう


あの二人には何か不思議な安心感をもたらす力がある。クラスの共通見解だ。

「歩ける?」

どうにか立ち上がったケンスケに声を掛けるレイ。その後ろでは、駆けつけた

アスカとシンジが走ってきた勢いそのままに、起き上がりかけの使徒めがけて

思いっきりとび蹴りをかましている。

「まぁ、なんとか」

ユニゾンした二人の動きが気に入らないのか、少し冷気の中に殺気を込めだした

レイは、

「そう。なら洞木さんのところに行ってて」

そう言うなり駆け出した。

だから、

「わかった」

ケンスケの返事など聞いちゃいなかった。


とりあえず勢いでとび蹴りをくれてやったのは良いが、体制を立て直した使徒の

光鞭はなかなかに手強かった。

使徒の胴体から腕のように伸びた2本の光鞭は、それぞれ別の生き物のように

滅茶苦茶に動き回り、文字通り縦横無尽にその身をくねらせてはとんでもない

方向から二人に襲い掛かる。

ケンスケはよく一人でかわしてたもんだと内心感心しながらも、逃げ回るシンジに

そう余裕はない。


せっかく新しく班に一人加わったんだから、最大限協力していかないと


やや打算が混じっているようだが、この判断は正しそうだ。

「惣流さん!」

とりあえずの策を練ってみたシンジ。

「何!?」

必死で鞭を避け続けるアスカは、思いっきり不機嫌そうな声だ。

「これから僕があいつの注意を引き付けて、」

言葉半ばで仰け反るシンジ。

一瞬前まで自分の首があった位置を鞭が通り過ぎるのを目撃した。

「一瞬だけ隙を作るから!」

「んなことできるの!?」

言外に無理だと主張しているアスカの口調だったが、今のシンジにはアスカに

答えている暇はない。

「それまでに魔力を溜めておいて!動きが止まったら直ぐに全力のを頼むよ!」

言うなりシンジは、その場で正眼の構えをとって動きを止め、瞳を閉じた。



スー。

ハー。

一つ、深呼吸する。



「なにやってんのよ!」


アスカの声がひどく遠くに聞こえた。


動きを止めたシンジめがけて、一気に終わらそうと光鞭が二つとも襲い掛かる。

「あぶない!」

思わず叫ぶアスカ。

シンジは鞭が自身を切り裂く寸前で目をかっと見開くと、一瞬後には光鞭は

半ばから先を失っていた。

いつのまにか剣を降りぬいた体制で静止しているシンジ。動揺しているかのように

固まった使徒を見るや否や一目散に駆け出す。

すぐさま攻撃を再開した使徒だったが、2本とも使っているはずなのに全く

シンジの進行を妨げられない。

予測不能の動きを示す光鞭を、全て見切ったと言わんばかりにかわし尽くす。

まるで重力など存在しないかのように右に左にステップを踏む様はいっそ華麗で、

アスカの目を釘付けにするには十分だった。

「惣流さん、今だ!」

「…え?」

気付けばシンジは光鞭を2本とも根元で切り落とし、胴体をセイバーで地面に

縫い付けていた。シンジがA.T.セイバーを使いこなすというのは本当らしい。

しかしアスカは魔力を蓄えていない。

失敗に気付いたシンジが慌てて使徒と距離をおこうとするが、なぜか動きが鈍い。

さきほどまでの動きでシンジは体力の大部分を消費してしまっていた。

使徒はその間に光鞭を修復している。


これは、やばいかも


最悪を想像して凍りつく二人。




完全に攻撃態勢を整えた使徒だったが、今度はカチッと物理的に凍ってしまった。



使徒を氷漬けにしたのはレイの絶対零度であり、二人を解凍したのも、

レイの絶対零度だった。


「これで今日2回目」

「うっ!」

レイの視線は今度こそアスカの心を捉えた。

「チームを組んだ以上はちゃんとしてもらわないと困るわ」

「そんなの、わかってるわよ…」

よほど応えたのかアスカの返答は弱弱しい。

「い、いや、今のはさすがに危なかったよ。レイ、本当にありがとう」

「ええ」

答える声は温かみが感じられなくもないが、しかし視線は依然としてアスカを

捉えたままだ。

「ま、まぁでも何とか助かったんだし良いんじゃない?それより惣流さん、止め

 刺しちゃってよ。汚名挽回ってことでさ」

日頃目にしているだけにアスカに同情を禁じえないシンジは、恐る恐るフォローを

入れてみる。

「しょ、しょうがないわね〜。じゃあ特別にアタシの魔法を見せてあげるわ。よぉ

 く見ときなさいよ」

一応何とか成功したが、

「…」

どうやらまた別のフォローが必要なようだ。

「な、なにかな?」

「べつに」

耐えるには冷たすぎる視線が痛い。




ソニックグレイブを肩の位置で横一字に構え、目を閉じ集中を開始するアスカ。

アスカの周囲では、彼女の精霊が優雅な舞を踊り始めた。

次第にアスカの周りを熱気が覆い、ついには灼熱の炎が渦を巻き始める。

紅茶色の髪は炎の照り返しで益々赤みを増して美しく。

使徒を見据えた蒼い瞳は内に炎の煌きを垣間見せ。

立ち居振る舞いは艶かしく、なにより神々しい。


「討て」

言葉と同時に、アスカの周囲に蓄積していた炎が意思を持ったように暴れだした。

紅蓮の業火は荒れ狂い、様々な容をとっては周囲の木々を灰と化し。

そして雄叫びにも似た轟音を響かせてA.T.フィールドを容易く突き破ると、

一息で使徒を丸飲みにしてしまった。



「これは、すごいね」

「…ええ」

やや呆然とした表情の二人。

「ま、ざっとこんなもんよ。どう?アタシと班組めてよかったでしょ?」

対するアスカは得意満面の様子だ。

そして、こんなものを見せられては答えなど決まっているというもの。

「そうだね」

「…でもあなた、使徒を完全に倒してしまったわ」

それでもレイは抵抗を試みる。

「そ、そんなの仕方ないじゃない!A.T.フィールド持ってたんだから!」

「まぁ別にいいんじゃない?一体くらいなら大丈夫でしょ」

だがそれもアスカの勢いとシンジの加勢によってあっさりとかわされてしまった。

「…」

追撃は諦めたものの、今日のレイはフラストレーションが溜まる一方だ。

「じゃあこれでさっきのはチャラってことでいいわね。てことで改めてよろしく」

アスカは満足げな笑みを浮かべると、二人に向かって手を差し出した。

その笑みを見た途端、頬を染めると同時にシンジは閃いた。

「やっぱり予感は惣流さんのことだったんだ!」

嬉しそうな表情は、次の瞬間には歪んでいた。

「いったー!…ってレイ!何するのさ!?」

見るとレイの踵が見事に右足に突き刺さっている。

「べつに」

「べつにって、そんなわけないじゃないか…」

そっぽを向いたレイからはただならぬ気配が伝わってきている。

シンジは完全にそれにびびってしまった。

「ふーん、そういうこと。」

二人の様子に何か得心したようなアスカ。

「え、なにが?」

怪訝そうな表情のシンジだったが綺麗に無視された。

「まぁいいわ。これから一ヶ月組むことになりそうだし、お互い仲良くしましょ」

「うん。改めてよろしくね。惣流さん」

「アタシのことはアスカでいいわ。こっちも呼び捨てにするから」

「えっと、うん。それじゃアスカ。よろしくね」

「ん、よろしい。それじゃシンジはいいとして、レイ、あんたもいい?」

「…」

組むことは問題ないと理性は主張しているが、感情がそれを渋っている。

アスカは――仲間である以上当然なのだが――シンジとよく話すことになるし、

さらにお互いいきなり呼び捨てとあってはどうも気に入らない。

シンジが一時期恥ずかしがって、お互い名字で呼び合おうなどと言い出したとき

など自分がどれだけ苦労したことか。


それを一瞬で突破してしまうなんて


しかし結局のところ、レイにとっての一番はシンジなのだ。

「レイ、嫌なの?」

その彼にあんな困った顔をされてはどうしようもない。

「…問題ないわ」

「なによその気のない返事は。別にアタシはアンタのものを取るつもりはないんだ

 からね」

アスカの先読みした言葉に、

「わかってるわ。それに奪われるつもりもないもの」

レイも強気の発言を返す。

「はいはい。ったくやりづらいやつね〜」

苦笑したアスカは本当にやれやれといった表情だ。

「それじゃ、そろそろトウジたちの様子見に行こう?」

唯一話についていけないシンジは、一段落着いたところで建設的な意見を

出してみた。

「OK。じゃあついてらっしゃい」

早速リーダー気取りで歩き出すアスカに、

シンジがほっとした表情でついていく。

「…ばか」

レイは完全に尻に敷かれたシンジとアスカの構図に人知れずため息をつく。

と同時に、それは自分とシンジの関係にも言える事だと気付いて一人苦笑した。


「レイ、来ないのー?」

歩き出す様子のないレイに気付いて声を掛けるシンジ。


しかし、それも昔から変わることのないシンジの優しさを思えば、

自然と安らかな微笑みへと変わっていく。

「今行くわ」


いつのまに戻ってきたのか、頭上から鳥のさえずりが聞こえてくる。



いつかアダムを倒す英雄たちの、未だ幼いとある一日だった。


                                  
Fin...









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