とある方に「カップリングに閉じないキャラ萌え」という評価を頂いた事がある。
「萌え」とは何かを定義づけるのはなかなか難しいと思うが、性的なニュアンスを含むという解釈は出来うる(一般的かどうかは知らない)。ということは、幼児に対して「あのこ、かわいいよね」というのと「萌えるなぁ」と思うのでは危険度が著しく異なることになる。自分の娘に対して可愛いと思うのはある意味当然であるが、萌えてしまうとヤバい。男児に対しても同様である。しつこい(^^;)。
つまり、「綾波レイ萌え」ということは、上記の前提に立てば、彼女に性的な魅力を感じているということになる。自分に関して言えば、それはあえて否定しない(肯定もしないが)。ただし、自分が綾波レイを「抱いて」いる姿はまったく想像できない。これは本当である。何故だろうか。
萌えのスタンスが「理想の恋人」でも「忘れてしまった何かを思い出させる存在」でも構わないし、なるほどと思う。私の彼女に対するスタンスとして「グレた妹」という言葉を使ったことがあるが、これだと性的なニュアンスを含む「萌え」だとヤバイことになる。ま、それはいっか(よくないって?)。
「エヴァンゲリオンという作品に正面から向き合っていかなければならないと思う」というのは、向き合ってどうすんの? という自虐的な疑問の裏返しでもあり、つまり向き合ってどうなるというものでもない。しかし人生は純粋に「どうにかなるもの」や「必要なもの」だけを追い求めて行くというものではなくて、バイクも乗るし音楽も聴く。バイクと言えば、かつて「高校生にバイクは必要ない」という一言で禁止されていたものだが、そういう大人に対して私は「じゃあオマエは音楽も聴かず小説も読むな」と思ったものだった。口にはしなかったが(^^;)。
なんにせよ、エヴァンゲリオンという作品及び綾波レイというキャラクタ(存在と言い換えてもいい)から何かを感じてしまったのであるから、このままほっておくのは精神衛生上よろしくない。しかしこのまま捉えられたままでいるのも如何なものかと思ったのも事実で、ケリはつけたほうが良い。で、小説じみたものを書いて彼女たちを少なくとも自分の中では何とかすればケリがつくかと思ったのだが、そうは問屋が卸さない。底なしである。某氏も同じ事を思っていたようで、〜してケリをつけようと思いつつ現在にいたる、みたいな話をしていた。思わず笑ってしまったが、私も同様である。どうあがいてもケリなどつかないのである。
FFが書けるという事は、ある意味ではエヴァンゲリオンという作品(あるいはキャラクタ)に対して一定の解釈を成立させた、つまりある程度まで感じ切ったということであると思う。これは見切りをつけた、あるいはとりあえずここまでで、という意味も含める。なんだかさっぱり分からなければFFなど書けない(純粋にキャラの名前を借りただけで、つまりエヴァのエッセンスはゼロでもFFと言うなら話は別だが)。解釈が突き抜けるとオリジナル度の高いFFになるような気がする。
私の場合はどうかというと、これは自虐的でもなんでもなく、綾波レイという存在の向かっているベクトルは、本編とはかなり異なると思う。一定の解釈をした上で、そっちには行くな、と言っているのである。これは事実上、解釈を突き抜けてオリジナル度が高くなるのと大きな変わりはないように思える。言い方が違うだけで。設定も借り物なので一瞬本編密着度が高いように思われるが、じつはそうではないのかもしれない。では真の意味で本編密着度の高いFFを書いてどうする、あるいはオリジナル度を高めたからどうなるって事になると、それはそれで難しい。思考ループ。