競作企画
2003.5.20(日記よりサルベージ)

 競作企画について触れておこうと思う。企画前後に思ったことはコンテンツ内に全部書いて、それに嘘いつわりはない。私が本当に嬉しかったのは、この企画をきっかけにして初めて小説を書いたという方が、何名かいらっしゃったことである。中には、これで初めてだってんならオレの立場はどうなる? と思わせるような素晴らしい作品を送り付け、いや、送って下さった方もおられ、全身が硬直してしまうのである。無論、パトスしかないという方もおられるのだが、例えば技術しかなければそこにあるのは技巧だけで(当たり前だ)、これは空虚である。しかしパトスがあれば、そこにパトスがあるのは伝わってくる。よりよくパトスを伝えるために技術が必要なのだが、それは努力によって克服出来ると信じる。
 逆に、技術があっても何も伝えるものがなく、この技術を使うために何か伝えるものを捜す、というのは話が逆である。音楽でも、おそらく絵画でもそうだと思うが、技術にもてあそばれているとろくなことはない。あり余る技術を持っていながら何も伝えることがない、というのは悲劇である。技術をもてあそばなければならないのである。

 話が大幅にずれたが、この企画をきっかけに小説を書く気になっていただけたのなら、あるいは丁度いいから送って見るか、という気になっていただけたのなら、これは本当に嬉しい。年がら年中競作を開催しているわけには行かないが、競作も追加作品は募集中であるし、普通の投稿作品もいつでも募集中なので、投稿規定をお読みのうえで臆せず送っていただきたいと、かように考えている。パトスしかない作品については、僭越ではございますが、出来る範囲で助言申し上げます。技術しかない作品は容赦なくボツにしますけどね。

 なんにせよ、作品の出来不出来とはかかわりなく、いくらなんでもこれは納得できんという作品を掲載する気はなくて、これは私の個人サイトであるから御了承いただきたい。しかし例えば、これはこうすれば良くなるのではないだろうか、という部分について指摘するのはなかなか難しい。つまり突き詰めるとアイディアだけもらった私の作品になってしまうからである。こういうのをオーバープロデュースという。作品は作家のもの(あるいは読者のもの)であって、決して編集人のものではないのである。

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