感想メール
2003.10.5(日記よりサルベージ)

 私は日頃から、感想メールが欲しくて書いている訳ではない、と公言しているし、それに嘘偽りはない。感想が欲しいというそれだけの理由によっては、読者のニーズに応えることはない(読者のニーズが自分の欲求に転化されれば書く。これは「感想がほしい」というモチベーションとは異なる)。
 それは間違いないのだが、では感想は要らないかと言えばそんなことは全くないのであって、はっきり言ってめちゃめちゃ欲しいし、たとえ一言メールでも、来たというだけで異様に嬉しい。
 こんな私でも稀に感想をいただくことはあり、中には定期的に送ってくれる方もいらっしゃるのだが、新作を公開しても来なかったりすると今回はダメだったかとがっかりし、諦めたころに来たりすると舞い上がったりする。アホである。

 本当に感想が要らないなんて人は、確かにいるが、やはり少数派だと思う。それ自体がどうとか言うつもりはない。私はどうしようもないリクエストや反応に窮するメールをもらったことはないので、その意味ではラッキーなのかもしれない。

 感想というのは麻薬である。一回経験してしまうと、それなしではいられなくなる。それのあることが当たり前になると、切れた時の苦痛は筆舌に尽くし難い。快感を忘れられず、欲しくて欲しくて、のたうち回って脂汗を流す。だが、誰かに「下さい」と言うことはできない。そうやってもらった物ではあまり気持ち良くなれず、虚しさばかりが募る(身にはなるかもしれんが)。
 とかなんとか言いながら、中毒になるほど日常的に感想メールが殺到しているわけではないので、上記は全て想像である。説得力のないことおびただしいのだが、これはもしかするとこの日記の信憑性そのものがゼロに等しいのではなかろうか?


 アマチュアバンドのライブを見ることがある。広い意味での演奏力はバンドによって全くピンキリで、本当に素晴らしくてCD出たら間違いなく買うから早くプロになれって奴らもいれば、技術は稚拙だが魂はガンガンに伝わってくる奴らもいる。逆に、技術的にはめちゃめちゃ上手いのだが、超絶技巧大博覧会状態で全く何も伝わってこない奴らもいる。そして当然のように、何だかさっぱり分からない奴らもいる。上手いか下手かすら分からない、何か伝わって来るような気がしないでもない、みたいな。まぁそういう奴らにも一定の固定ファンはついていたりする。もちろんプロと呼ばれる連中の演奏でも――演奏技術そのものが未熟な人はさすがに少ないが――何も伝わってこない場合も少なくないので、人の好みは千差万別である。

 ほとんどプロみたいな連中には当然なのだが、何だかさっぱり分からない奴らに対しても一応拍手はする(しないときもあるけど)。意味はないのだが、まぁ習慣というか、とりあえず頑張ったねとか、これからも頑張れとか、そういうメッセージである。まぁ心の中では早く終われとか思ってるので、おざなりな拍手である。

 演奏者の立場として言うと、おざなりな拍手っていうのはやはり分かって、失敗したな的な演奏をしてしまった時は、やはり薄い。そういう時は、ライブ終了後、いかんねーとか言いつつ打ち上げと称する酒を飲むのである。
 今日の演奏は良かったなと思うときは、いやぁ良かったでもこうするともっとかっこいいぜとか言いながら打ち上げと称する酒を飲む。何にせよ飲む。

 アマチュアバンドがライブをやるモチベーションは、当たり前だがバンドによってそれぞれである。何としてもプロになるって奴から単に楽しいって奴まで。とにかく自分が楽しくなければ客も楽しくないだろうという奴もいるし、客が楽しんでなければ自分も楽しめないという奴もいる。ま、いい音楽をやりたいという想い的な観点から言えば同じようなものだ。しかし、拍手がもらえないから音楽やめるとか、より盛大な拍手をもらうためにバンドの傾向を変えるという話は、少なくともアマチュアミュージシャンでは聞いたことがない。自分の好きな音楽をやり、その上でよりかっこいい音楽、より好みな音楽になるにはどうするか考えながら練習するのである。
 何としてもプロになるんだって奴の中には、少数だがちょっと違う奴もいる。ひたすらうけそうな音楽をやり、例えば25歳までにプロになれなければ音楽をやめると公言し、実際にやめてしまうのである。別にそれが間違ってるとは思わないが、本当には好きなんじゃなかったんだなとは思う。プロだって趣味のバンドやってたりするじゃん。まぁ演奏だけが音楽に接する方法ではないから、演奏するしないと音楽そのものが好きかそうでないかとは、あんまり関連がない。

 拍手にしろ感想にしろ、何かを創って人前にさらしている以上、反応があれば嬉しいし、なければがっかりする。反応があればあったで、誉められれば喜ぶし、批判されれば落ち込む。それは人としてナチュラルだと思うし、誉められるように努力はするべきだと思う。
 しかし私は、誉められたくて書いているわけではない。だから、例えば逆行断罪物を書けば反応があると分かっていても(本当にそうかは知らないが)、少なくとも現時点では書く気はない。自分が書きたいものを書きたいように書くだけである。誰かを感動させるつもりもない。結果として誉めてもらえたり感動してもらえれば嬉しいが、それは結果である。

 拍手をもらう為の演奏するのではなく、選挙に当選するための政治をするのではなく、感想をもらうための作品を書くのではない。

 努力が必要ないなんて言ってるんじゃないよ。結果として感想がもらえるように努力はするべき。例えばテーマは素晴らしいのに筆力が伴わないばかりに伝わらないのなら、伝わるような努力はしないとだめでしょう。そのために、今は敢えて書きたくないテーマに取り組むということが必要なケースもあるかもしれませんぜ。習作としてね。それでも目的は「感想をもらうこと」ではないのよ。

 書きたいテーマに対するニーズが全くないならば、あえて孤高の道を歩むのもいいでしょう。しかし、読者を教育するという手もあります。周辺の分かりやすいテーマから順番に責めて行くとか、混ぜて見るとかね。ミステリの衣をまとった本格SF、みたいな。こういう話になると圧倒的な筆力が必要なので、私ごときの出る幕はないです。頑張って下さい。

 これは手法についても言えることで、どうしてもこういう手法で書きたいんだが受け入れられるとは思えん、なんて場合は、極力受け入れられやすいテーマを選ぶというのも手かもしれません。まぁこうなってくると、はっきり言って良くわからんのですがね。

 早い話が感想下さいってことなんだが(爆)、そんなこと言ってる間に新作を書けって話やね。反省だけならサルにもできると。

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