的を得る
2005.1.18

 というのは、実は「的を射る」の誤用だというのは多数の皆さんがご存知かと思われる。私も知っている。ATOKで「まとをえる」って入れて変換すると「当を得る/的を射るの誤用」と出るし、広辞苑に「的を得る」という言葉は載っていない。

 でも私は、言葉で喋る時は「まとをえる」って発音する。みなさんはどうですか?

 ちなみに「当を得る」(とうをえる)というのは「道理にかなっている」という意味。念のために書いておくと「的を射る」というのは「物事の肝心な点を確実にとらえる」という意味です。どっちも広辞苑から。

 こないだ昼飯を喰いながらプロレス系の掲示板を眺めていたら、実は的を得るで正解という説がある、と書いてあった。なんでプロレス系の掲示板に(笑)。
 「的を射る」「的を得る」で検索するとわらわら出てくるのでリンクはしないけど、要するにこの言葉は「正鵠を失う」から来てるらしい。正鵠というのは「弓の的の中央の黒ぼし」で、外れると「失う」と表現していたらしい。で、当たったら「得た」と言う。「得」には「うまくあたる」という意味がある。漢和辞典ひいた(笑)。
 で、正鵠に「まと」とルビを振って、そのうち「まと」が「的」になり、「得」に「うまくあたる」という意味があるのを忘れ、「的を得てどうする、射るもんだろ」ということで「的を射る」ということになったのだ、という説ね。実際、正鵠を得るという言葉はあるようで、これは広辞苑には「核心をつく。「正鵠を射る」とも」と書いてある。

 一所懸命と一生懸命の例もあるし、言葉が時代と共に変っていくのは仕方がないので、意味が通じればぶっちゃけどっちでも構わない(笑)。どっちがルーツかなんて関係なくて、普通に使われている方が正解でいい。そういうのは学者にお任せしたい。ただし、「的ってのは得るもんじゃないだろ、意味的に。射るんだよ。そんなことも知らねぇの? バカじゃね?」などと言うと、それは間違いだよということになる。慣用的に的を射るって言ってるからそっちが正解という以上の意味はないのです。

 で、問題になるのはどっちが普通に使われているかという話だ。今は「射る」方のような気がするけど、どうなんだろ。ここで最初に書いた発音の話になるわけだ。私は「える」と言っている。ということは、ちょっと前までは「得る」が使われてて、上記のような説明で多くの人が納得してしまい、「射る」になったという可能性はある。「的を射る」は「まとをえる」とは読まんよな? そうすると、的を射るは的を得るの誤用で、今は言葉が変りつつある過渡期なのかもしれない。

 とかなんとか言いながら、ATOKではっきりと誤用と出て、広辞苑にも載っていないとすれば、誤用だろうが何だろうが「射る」で正解なんだろうな。とりあえず今は。

 こういう例って、たぶん他にもたくさんある。知ったような理屈をつけて偉そうに説明するのはやめよう。

 いや、勉強になる話でしたね(笑)。

 あ、受験生の皆様は「的を射る」で覚えておかれた方がよろしいかと思います。はい。

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