[721] さくら/史燕
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- 日時: 2016/03/27 21:23
- 名前: tamb
- 史燕さんの意外にも初投稿な作品は掲示板投下作の修正版です。
梶井基次郎のあれの話と、その一年という時の流れを信じられることが、などと書こうと思ってふと既視感に襲われスレを見てみるとやっぱり書いてた(笑)。ま、基本同じ作品なんで読んで思うこともそう変わるわけはない、ということだわな。 まあそれだけだとつまらないので、ちょっと別の視点から。 ラストの二人の会話だけど、
> 「また、来年も一緒に来ましょう」 > 「ああ、またふたりで来よう」
言うまでもなくNERVのお花見なので、みんなで来ている。従って、レイの言葉に対してシンジが「またふたりで」と受けているのはおかしい。つまりシンジはレイの「また、来年も一緒に来ましょう」という言葉の中に「二人で」という意味をくみとったことになる。そしてそれは恐らく正しい。今の彼らにとって、二人でいる、ということ以上に大事なことはない。なぜか。それは
> “二人の間では流れる時間さえ他と異なってしまう”
からだ。ことなる時間の中にいる者同士がコミュニケーションを取る方法など想像もつかない。つまりそれが愛し合うということなのだ。 そしてそんな二人を桜の木々が見つめる。見つめることしかできない。なぜなら流れる時間が違うからだ。それでも恐らく想いは伝わる。きっと桜も精一杯生き、来年も花を咲かせ、そして散らすだろう。 上記文章、ちょっと理論構成がむりくり部分もありますが 、二人でいたいという二人の気持ちは大切にしてあげたいです。
作品はこちら。 http://ayasachi.sweet-tone.net/cont/shien/shien01.htm
掲示板投下バージョンはこちらでした。 http://ayasachi.sweet-tone.net/cgi-bin/bbs4c/read.cgi?mode=view&no=685
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