Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・十一月 ( No.12 ) |
- 日時: 2010/11/21 13:28
- 名前: JUN
- 息も絶え絶えに
味噌汁の匂い。鰹出汁だな、とシンジは一瞬で判断した。この匂いで目覚める幸せを、シンジは噛みしめていた。朝起きたら朝食が出来ている。それは素晴らしいことだ 枕元にある時計は、七時を回る少し前だった。そろそろ起きよう、と瞼に纏わりつく眠気を指先で拭い、上半身を起こす。寝起きは悪い方ではないにしろ、冬に入ると布団から出たくなくなるのは人の性だろう。 寝室を出、台所へ向かう。匂いの源に会うために。 「レイ、おはよう」 「おはよう、シンジさん……」 見慣れたエプロン姿の背中に声をかける。眠いのか、声色はどこかふわふわとして捉えどころがない。珍しいことでもないので、テーブルに置かれた新聞を広げる。 一面に一通り目を通したところで、目の前に塩じゃけとご飯、そして味噌汁が置かれる。相変わらずタイミングがいいな、とシンジは感心せずにいられない。 「ありがとう」 言って早速味噌汁をすする。うん、完璧だ。 「おいしいよ、レイ」 「よかった」 エプロンの後姿が答える。弁当を作っているのだろう。それに満足したシンジは、ハンガーにかけられたワイシャツに腕を通し、スーツを羽織る。アイロン当てはあの頃から得意だ。一人暮らしをしていたのだから、当然といえば当然だが。 振り向くと、レイが弁当箱を差し出していた。特に抵抗もなく受け取る。 「シンジさん、お弁当」 「ありがと。じゃあ――」 行ってきます、いつものように抱き締めて言おうとした時、シンジの動きが止まった。 「……レイ、熱がない?」 「え……」 腕の中のレイは、いつもより異常に熱い。足元も、どこか覚束ないように見える。半ば反射的に、シンジはレイの額に手を当てた。 「やっぱり。レイ、熱がある」 「…………」 「熱があるなら、僕も今日は会社――」 「ダメ!」 普段とは想像もつかない鋭い声で、レイは叫んだ。 「わたし……は、大丈夫だから。シンジさんは、会社…………」 強引に腕を振り解くと、レイはシンジの背を押した。その力も、今となっては幾分弱々しい。 「レイ!」 振り向きざまにレイの肩を掴み、シンジは言った。 「無理しないで。今日は休む。レイがなんて言っても、僕は休むからね」 シンジがそう言った途端――――レイは、その場に崩れ落ちた。
息も絶え絶えのレイをベッドに運び、そっと布団をかける。頬は普段の雪のように白い肌とは想像もつかないほどに紅潮しており、異変に気づけなかった自分を恥じるには十分すぎるものだった。 「ごめんね、レイ……」 いつの間にか“当たり前”になってしまっていたのかもしれない。いつでもレイは、会社に行くシンジを笑顔で送り出してくれた。何の不満も漏らさず、いつでも手を抜かず弁当を作り、帰ってくると既に温かい夕食が出来ている。そしてそれをシンジが帰ってくるまで食べずに待っていてくれる。それがどんなに温かく優しいことか、シンジが理解できないはずはなかったのに。 水で濡らしたタオルを額にそっとのせ、シンジはレイの頬を撫でた。眼の下には、うっすらとクマができていた。知らない間に無理をさせていたことに、シンジは改めて気づいた。 「シンジ、さん……」 弱々しくレイが声を上げ、閉じられた瞼が震えながら開く。 「レイ、レイ」 細い手首を握り、指を絡めると、レイは一筋涙を流した。 「シンジさん。ごめんなさい、ごめんなさい…………」 「何言ってるのさ。レイに謝ることなんて――」 「だって、家のことはちゃんとするって、シンジさんと、約束、したのに……」 「……レイ。僕は召使いが欲しくてレイと結婚した訳じゃないんだよ。レイと一緒に生きていきたいと思ったから、レイを幸せにしたいと思ったから、結婚したんだ」 ゆっくり諭すように言うと、レイはようやく表情を和らげた。 「レイ、食欲ある?」 「……あんまり」 「じゃあ、お粥と雑炊、どっちがいい?」 「……お雑炊が、いい」 「分かった。すぐ作るからね」 手早くエプロンをつけ、台所に向かう。一人分だけでいいだろう。自分はレイの作ってくれたお弁当を食べればいい。 昨日の寄せ鍋の残り汁から手早く雑炊を作る。たまには料理もしなくちゃな。なまっちゃうよ。 「七味は?」 「おねがい、します」 「分かった」 辛すぎない程度にふりかけ、出来上がり。悪くない、とシンジは一人ごちた。 お盆に載せベッドに横たわるレイの元へ運ぶ。折りたたみ式の小さなテーブルを取り出し、その上に置く。 レイの上半身を背中から支えて起こし、レンゲを手に取る。 「レイ。ほら、あーん」 「…………」 「どうしたの?」 「子供みたいだわ」 「気にしたら負けだよ。いいじゃない、たまには」 微笑むシンジに、レイも毒気を抜かれたのか、小さな口をぱくっと開けた。息を吹きかけ冷ました雑炊を、レイの口元に運ぶ。 「おいしい?」 「うん」
レイが食べ終わると、シンジは弁当を広げる。風邪で辛かった筈なのに、やはり手抜きはない。 「レイ、ごめんね。辛いのにお弁当なんて」 「ううん。いいの……」 弱々しく微笑み、レイはかぶりを振った。シンジはそれに笑顔を返し、玉子焼きを口に運んだ。 「美味しいよ、レイ。さすがだね」 「うれしい……」 「レイの前でお弁当食べるの、考えると久しぶりだね」 「そう?」 「うん。一緒にご飯は食べてるけど、お弁当は久しぶりだな」 そんな話をするうちに、シンジの弁当は早くも空になった。レイは思わず目を丸くする。 「早いのね、シンジさん」 「あ、うん。会社で早食いの習慣が付いちゃってさ。晩御飯はレイに合わせてるんだけど」 軽く頭を掻きつつ、シンジは言った。 「会社は、どう?」 「悪くないよ。ただ、やっぱりレイに会いたいかな。寂しいし」 「……そう」
「汗、かかない?」 「少し」 「拭いてあげる。待ってて」 シンジは立ち上がり、湯で濡らしたタオルを持って戻ってくる。レイは耳を紅くして俯き気味だ。 「脱いでくれるかな」 「へんなこと、しない?」 「しないよ。弱ってるレイを襲う趣味なんてないしね。恥ずかしかったら背中だけ拭くよ。前は自分で拭けるでしょ?」 「ん……」 そこまで言われることかえって渋りづらいのか、レイはもぞもぞとパジャマを脱ぐ。シンジは微笑んで、レイの背中を優しくこすった。 「どう?」 「気持ちいい」 「そう、よかった。痛かったりしたら、言ってね」 「平気」 背中の汗を拭き取り、そこで一度タオルを濡らし直して、今度はうなじと髪を拭いた。 「前、自分で拭く?」 「ううん。やっぱり平気」 「そっか」 本当に邪気もなく、ただ愛おしさと労わりを込めて身体を拭うシンジに、レイは安心したように眼を閉じた。 「なんだか……お姫様になったみたい」 うっとりして言うレイに、シンジはその身体を拭きながら笑って、 「昔から、レイはお姫様だよ。たった一人しかない、僕の宝物だからね」 たった一人。そのフレーズに力を込めたと思ったのは、きっとレイの気のせいではないはずだった。 「……だから、勝手にいなくなったら、許さないから」 レイはそれには応えず、ただシンジの胸に背中を預けた。それで十分だった。 「会社も、もしレイが寂しいなら、休み増やしてもらうよ。今はそんなに忙しい時期じゃないし……ていうか、NERVからもらったお金で、生活はどうとでもなるしね。だから――」 「ううん」 シンジの言葉を遮り、レイは言った。 「大丈夫。私……少し寂しいけど、でも、シンジさんのご飯作って待ってるの、嫌いじゃないもの。それに――」 シンジの胸から体を起こし、レイは言った。 「いつまでもNERVに頼ってるわけにいかないし、私、普通の主婦になりたいから」 「……そっか」 シンジは言うと、レイに服を着せ、再び布団に寝かせた。 「明日には治るかな」 「多分」 「何か、して欲しいこと、ある?」 「……手、握って」 レイが布団の端から腕を出すと、シンジはそれを優しく取った。 「たまにはこういう日もいいね」 「うん」 もう大分よくなったのか、レイの表情も普段のそれと変わりなくなっていた。額に手を乗せ、シンジは嬉しげに微笑み、立ち上がった。 「晩御飯、今作るね」 「……待って」 「ん?」 「キス」 「へ?」 「早く」 虚を衝かれたシンジはしばしうろたえていたが、それでも優しく覆いかぶさるようにして、レイの唇を奪った。 「ふ……」 初めて交わしたキスも、そういえば看病中だったかもしれない。半ば不意打ちのような形ではあったが、彼女は怒らなかった。 結局二人仲良く風邪を引くという失態を犯し、散々ミサトやアスカにからかわれたのも今となってはいい思い出だった。 「好き、シンジさん……」 「こら」 「痛っ」 急に額を弾かれたレイが、涙ぐんでシンジを見る。心持ち表情を硬くしたシンジに、レイは抗議の目線を向けた。 「何するの」 「耳元でそんなイケナイこと囁くんじゃありません」 「シンジさんがちゃんと空気を読んでたら、でこピンなんてしないわ」 「空気を読んだらキスで終わんなくなることくらい、レイもそろそろ理解して」 「……ばか」 と、一応言ってはみるが、シンジが耳を紅くしていただけでも、レイは十分に満足だった。 「ほら、もう寝て。明日は元気になれるように」 「わかった。……ねえ、シンジさん」 「ん?」 「今度、お休みが取れたら……旅行に行きたい」 シンジはにっこり笑って、頬をそっと撫でた。 「分かった。今月末にはどこか行こう。どこがいい?」 「……食べ物が美味しいところ」 「ん、分かった。探しとくよ。お肉よりお魚がいいよね」 「うん」 「……下関でも行ってみようか。河豚食べようよ、河豚」 「素敵……」 「だから、おやすみ」 「おやすみなさい……」 レイの目を掌で閉じて、シンジが電気を消す。シャワーは明日でいい。 額は通常の体温に戻っていた。無理をさせた自分を反省する。ゆっくりでいいのだ。どんなものを手に入れても、彼女がいなければ意味が無いのだから。 「愛してるよ、レイ……」 ちゅ、とレイの瞼に口付け、隣に横たわる。普段は少し距離を取るダブルベッドも、今日はそっと寄り添った。 「ぅうん……」 シンジが横たわるやいなや寝返りを打ち、胴に抱きつく。ふくよかな胸が押し付けられ、シンジは瞬時息を止めた。 「シンジさん、だいすき……」 天然でこれをしてるんだから、恐ろしいな。そう苦笑しながら、シンジも眼を閉じた。
明日のお弁当は、久しぶりに自分で作ろう……
彼女に初めて作ったお弁当のおかずは、たしか――
おしまい
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