Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・十一月 ( No.15 ) |
- 日時: 2010/11/26 00:02
- 名前: 何処 ID:5PEntk2Vld8
- ジオフロントを出ると外は雨だった。
【雨を見たかい-S-】
「うわぁ本当だ、雨…」
僕は思わず驚きを口に出していた。
「綾波良く判ったね…外が雨だなんて…」
運転席の彼女は軽く微笑み車を加速させた。 青い車体は豪雨の中を駆けて行く。
僕達はここ数日ジオフロントに籠りきりだった。 漸く一段落したマギ-2ndの調整作業。激務から解放され、明日は二人揃って公休日。残業も奇跡的に一時間で済み久々の解放感に僕も綾波も浮かれていた。
引き継ぎを終わらせ留守の続いた新居へ帰るべく本部棟から一歩出た時、隣を歩く綾波が傘を用意する様にと言ったのだ。
僕は余程妙な表情をしたらしい。外は雨だと告げた綾波はクスクス笑っていた。
「凄いな、予知能力?」
「内緒。」
綾波は少し得意気に言い、ハンドルを切る。
雨か…
雨の匂いの無いジオフロントはやはりどこか人工的だ。
雨の匂い…これを教えてくれたのは先生だった。
***
『今日は雨か…』
『あめ?』
僕の隣を歩く先生は曇天を眺め呟く。 僕の倍はある楽器ケースを持つ小柄な先生を見上げて僕は聞いたんだ。
『何で判るんですか?』
『匂い。』
『匂い?』
『そう…風に混じる埃や水分が肌触りや匂いで私達に雨の来る事を伝えてくれる。』
『雨の…匂い?…判らないや…』
『判らないんじゃない…どう言う匂いか知らないだけ。』
『え?』
『今、シンジ君は私の話を聞いて雨の匂いや肌触りの感触の存在を知った。が、どんな匂いや感触かは知らない。だから知る事ができない。』
『…?…』
『例えば…チェロも呼吸をしている、雨の日は空気の水分で僅かに音が変わる。知らない人にはチェロの音としか判らない。が、知っている人には明らかに違う。』
『へえ…』
『それに気温が低ければチェロも寒がり、暑ければ暑がる。』
『まるで生き物だ…』
『生きてる。』
『え?』
『楽器も音楽も生きている。奏者は楽器と言うパートナーと音楽と言う生き物を育ててる。』
『生き物…楽器も、音楽も…』
…今になって僕は人に説明する事の難しさに直面し、先生の苦労を思い改めて尊敬する。 先生の音楽教室には色々な年代の生徒が集まっていたが、僕ら子供達へも先生は敬語を使い、疑問を誤魔化さず正しく説明しようとしていた。
…綾波にも先生を紹介したかったな…
そんな事を思いながら視線を左へ。左の席で車と対話する様にハンドルを握りシフトチェンジする綾波の手先は弦を持つ先生の手を連想させる優雅さと激しさを宿して動いている。
…僕は一瞬その姿に見とれた…
***
雨は益々激しく、フロントガラスを水流が覆いワイパーはその存在意義を無くしつつある。 流石に綾波も疲れたのか、僕に休憩の意図を伝えてウインカーを出した。
…たまに僕が運転するとウインカーとワイパー間違えるんだよね…
ファミレスの駐車場へ入り停車。僕は傘を差し助手席から降りた。 青のFRPボディを激しく雨粒が叩き、弾ける散弾が僕の胸に飛ぶ。 運転席側へ周りドアを開ける。車から降り立つ綾波は後ろ手にドアを閉め、僕の傘を持つ右手に腕を絡めた。
毎度の事ながら…女性って何でこんなに華奢でいい匂いで柔らかいんだろう?
二人向き直り車に施錠。綾波の為だ、背広の背中に少し耐えて貰い綾波に傘を傾ける。
…華奢だよな…
彼女をエスコートしながらファミレスへ。パンプスで水溜まりを蹴破る様に早足で進む綾波。 傘を叩く雨音は激しく、綾波はそっと身を寄せて首を傾け頭を凭れ掛けてきた。
…こっそり雨に感謝。
***
熱い珈琲に安堵の吐息。 最初の二口をブラックで楽しみ、熱と苦味が胃から脳に伝わった所でスティックシュガーを一本。 目の前で珈琲に砂糖を入れる蒼銀の髪が微かに揺れる。 彼女と夫婦になってもう二年、彼女が別姓にした理由を僕は知らない。 僕が判っている事は彼女が“綾波”と言う名を選んだという事実だけ。
最も、たかが名前だ。喩え姓を変えなくても何の問題も無い。
だが他人は時として“綾波”姓を名乗る妻に、その外見を絡めて憶測と偏見を交えた好意と言う干渉をしたがる。 けど僕は決めたのだ。彼女を妻に迎えると決めた時に『彼女を守る』と。
名も、瞳の色も、髪も彼女の持つ個性だ。もし変えるにしてもそれは僕や周りが決める事ではない。 それは“綾波レイ”が自ら選択する事だから。
窓の外を眺める彼女。窓ガラスを滑る水滴に彼女は何を見、何を思うのだろう。 雨の景色…僕は綾波やアスカやミサトさんや先生と見た雨を思い出していた。
***
『何を見てるの?』
唐突に金色の髪の少女が問い掛けた。音楽を聞く気にもならず壁に凭れて座り只ぼんやりしてた僕はやっぱりぼんやりしながら“雨”と一言呟くように彼女に答えた。
何を思ったのか、彼女も僕の隣に腰掛け、窓の外を眺める。
『止まないわね…』『うん…』
隣の体温が気持ち良くて逃げ出したくなる。だけど動く気にもならず僕は只外を眺め…
二人揃って寝転けていたらしい。僕らは頭を凭れ合って寝ていて…ミサトさんに毛布を掛けられた僕らの姿を証拠画像に撮られていてあの後大変だった…
ミサトさんは帰ってこなかった。遺された遺言状には財産の相続人としてアスカ、綾波、僕の三人が指定されていて、僕らが成人した日、アスカはフェラーリ、綾波はもう一台のルノーを受け取り、僕はマンションを相続した。 ミサトさんと最後に見た雨の風景は…
『雨ね…』
『折角の休みに残念でしたね。』
『…ねぇシンジ君…』
『はい?』
『雨の海って見た事ある?』
ミサトさんの顔を見上げながら“否”と首を横に振る。
『…じゃ、今から見に行きましょ!』
『え!?い、今からですかぁ!?』
『そ!思い付いたが吉日よ!』
『…結局自分が行きたいだけじゃ…』『あんか言った?』『いえ何も』
そして僕はミサトさんのドライブに付き合う事になった。着いた海は…
『誰も…居ませんね…』
『そうね…』
車を降りた僕らの前には荒れる海。 鉛色の空、降り頻る雨、波頭は白く砕け灰色の砂浜を洗う…その景色に僕は圧倒された。
『…こんな海、初めて見ました…』
『…私は…何度か…』
…ミサトさんもこんな顔をするんだ…
『…何でここに来たんです?』
『…私が最後に笑った海…だからかな?』
『え?』
『…シンジ君…心から笑うってとても大切な事なの…』
僕は何も言えず、ミサトさんと暫く海を見ていた。
『…帰りましょ。』
『…はい。』
帰りの車内でもミサトさんは無言だった。
…あんな寂しそうな姿を、僕はもう一人しか知らない。 そのもう一人…綾波と雨を最初に見た時…あれはシンクロテストの日だった…
ジオフロント入口前、不意に少女が傘を畳み空を見上げる。
『!?…綾波、何を…』
『…雨に当たっているの…』
目の前に立つ少女は振り向かず告げる。その彫像の様な姿は遠く…美しかった。
『濡れるよ…』
『…これからシンクロテストだから濡れるのは一緒…』
『だ…だけどさ…』
『時間ね…じゃ、行きましょ。』
『あ、ま、待って綾波!?』
歩き出した綾波を慌てて追いかける。
『…何故?』
『何?』
『何で傘を閉じたの?』
『…雨を感じたかったの。』
『だからってわざわざ濡れるなんて…』
『?…良く判らない…雨に当たれば当然濡れるわ…』 『そ、そう言う意味じゃ…はぁ。』
『?』
雨に打たれる綾波を再び見たのは全てが終わり、又始まって一年が過ぎた頃だった。
***
回想に耽る僕に不意に声が掛かる。
「お待たせいたしました、ケーキセットの苺ミルフィールとザッハトルテになります。」
「「あ、ありがとう。」」
僕らは同時に同じ台詞を口にし、思わず顔を見合せた。 その間抜けさに思わず僕と綾波は同時に吹き出してしまい、可愛らしい店員にまで笑われてしまった。
「ご夫婦ですか?」
「ええ、もう二年になります。」
未だ笑いの止まらない僕の代わりに答える彼女。
「いいなぁお二人仲良さそうで。」
「そう?ありがとう。」
未だ少女らしさの残る店員は“私もあんな車で迎えに来て欲しい”と僕を見る。 …僕ペーパードライバーなんだけどな…
夢を壊さぬ様に笑顔で“でも車のローンで大変だから”とそっと話題をすり替える綾波。 その気遣いが又何故か可笑しくて僕は笑いを止められずにいた。 暫く話をして彼女が去り、向き直った綾波は僕がまだ笑っているのを見て不機嫌な様子だ。
「碇君、笑いすぎ。」
「ごめんごめん、何か可笑しくってさ。」
「もう…」
ハムスターみたいに頬を膨らませ綾波は僕のミルフィールから苺を取…あああああああっっっ!?
…それは無いよ綾波ぃ…
***
あれは高校の夏休み、雨の中買い物に出た僕は公園に佇む蒼銀の髪の少女を見た。 傘も挿さず雨に打たれて空を見上げている。
『綾波!?』
走り寄り傘の外に手を伸ばし、少女の手を掴む。 その冷たさに思わず手を戻しそうになり、なんとか踏み止まって僕は彼女の手を握り続けた。
『冷たい。』
『…雨に濡れるとはそう言う事。』
『…知ってる…』
『…そう…』
…そう、知っている。あの日の僕も雨粒に叩かれながら空を見上げていたから。
雨粒に叩かれながら空を見上げる綾波。 雨粒に叩かれながら空を見上げる僕。
先生は何も言わず僕を見ていた。 僕は何も言えず綾波の手を握っていた。
あの日の少年が呟く 『…僕は…いらない子供なのかな…』
目の前で天を仰ぐ少女が呟く 『…私…人…それとも…』
視界が急に黒くなる。振り返れば先生が傘を差し伸べていた。
僕は綾波に傘を差し伸べていた。驚いた様に振り返る少女に僕はあの日の先生と同じ事を告げる。
『『…そのままでは風邪を引くよ。帰って風呂に入って服を着替えて美味しいご飯を食べよう。』』
『…はい。』 僕は答える 『…はい。』 綾波が答える
先生は僕の手を取り歩き出した。 僕は綾波の腕を握ったまま歩き出した。
この手は錨、僕を停める錨。錨を握り返す僕の腕は錨鎖。 僕の手は錨、引き留める為に掴む君の腕は絆。
先生… 綾波…
***
あの時何故綾波が雨に打たれていたのか、理由は今でも知らない。 けれど、僕は覚えている。あの雨と、僕の手を引く先生の姿と掌の熱さ、雨に打たれてなお美しい少女の姿とその身体の冷たさを。
雨の度思い出す記憶…忘れる事は無いだろう。
「そろそろ行こうか。」 「ええ。」
会計を済ませ外へ。雨脚は弱まったが相変わらず止む気配は無い。 僕らは一本の傘の下に身を寄せ合い車へ歩く。
「子供…未だ作らないで欲しいみたい…託児所の拡張計画が来期まで伸びたみたいで…」
綾波が告げる。
「未だ子供は早いんじゃ無いかな…」
苦笑混じりに答える僕は、言葉を継いだ。
「…出来ちゃえば関係無いけどね。カヲル君の処みたいに。」
あ、綾波がむくれてる。
「…そのせいで私有給消化出来ないのよ?」
それはそうだ。今日の残業だって本来は彼女の領分の筈だったのだ。
「…産休から彼女が帰るまで半年か…」
綾波がふと視線を遠くに向けた。雨煙る景色の向こう側に… その表情はあの日の綾波と同じ。 …だけど綾波は僕に手を絡めている。その手は僕の錨、君の絆。
「…ねえ碇君、雨は好き?」
不意に綾波が問い掛ける。
「うーん洗濯は乾かないし」「そう言う事じゃ無くて」
わざと言う僕を振り向き睨む綾波。何と言うか…可愛い…
「…今は好きだな。こうして相合い傘が出来るし。」「私も。」
傘の中二人、雨の天幕の下で僕らは太陽に隠れてこっそりキスをした…
…新居への帰宅が次の日になった事は秘密。
【I Sing For You】巡音ルカ http://www.youtube.com/watch?v=5PEntk2Vld8&sns=em
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