Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・十一月 ( No.3 ) |
- 日時: 2010/11/06 19:10
- 名前: 何処
- ジオフロントを出ると外は雨だった。
【雨を見たかい】
「うわぁ本当だ、雨…」
碇君は右側の助手席で感嘆している。
「綾波良く判ったね…外が雨だなんて…」
私は軽く微笑みながらギヤシフトしてFRPボディを加速させた。 青い車体は文字通り雨を切り裂きアスファルトを駆けて行く。
ここ数日ジオフロントに籠りきりの私と碇君は漸く一段落したマギ-2ndの調整作業から解放された。 明日は二人揃って公休日、残業も奇跡的に一時間で済み私達は久々の解放感に浮かれていた。 留守の続いた新居へ帰るべく本部棟から一歩出た私は隣を歩く碇君に傘を用意する様に進言し、怪訝な顔の碇君に外は雨だと告げたのだ。
「凄いな、予知能力?」
「内緒。」
ジオフロントは数百万本の光ケーブルで採光している。雨天時等に点灯する補助照明の微かな黄色が外界の様子を伝えるのだ。 これを教えてくれたのは碇司令だった。
***
『今日は雨か…』 『あめ?』
私の前を歩く男はジオフロントの天井を眺め呟く。 私の倍はある体躯の男を見上げ私は質問した。
『雨って何?』 『大気中に含まれる水分が飽和状態となり上空で塵などを核に水滴になる。これが地上に落ちる事を雨と呼んでいる。』 『雨…天から落ちる水…判らない…』 『息に手を当ててみろ』 『…ハー…』 『呼吸にも水分は含まれるのが判るな?』 『はい。』 『気温が低ければ吐いた息に含まれる水分を視認できる。これが高空に発生する雲の正体だ。』 『雲…』
…考えてみれば碇司令は真面目だったのだろう。子供へ論理的に正しく説明する姿は他人から見れば滑稽だった筈だ。
***
フロントガラスを覆う水流はワイパーの意味を無くしつつある。私は碇君に休憩の意図を伝えウインカーを出した。 駐車場へ入り車を停めると、傘を差し助手席から降りた碇君が運転席側へ周りドアを開ける。 青のFRPボディを雨粒が激しく叩く中、車から降り立ち私は後ろ手にドアを閉め、碇君の傘を持つ右手に腕を絡めた。 二人向き直り車に施錠しながら私は左上の横顔を見る。 碇君はやはり碇司令に似て来たなと思う。施設見学の子供にも真っ直ぐ向き合う姿はまるであの日の碇司令だ。
碇君にエスコートされながらパンプスで水溜まりを蹴破りファミレスの入り口へ向かう。 傘を叩く雨音は激しく、もっと一つになりたくて私はそっと彼に身を寄せて首を傾け頭を凭れ掛けた。
***
熱い珈琲は覚醒と安堵を恵らしてくれる。二口をブラックで楽しみスティックシュガーを一本。夫婦になってすっかり私は碇君の習慣に染まったと思う。 別姓にした理由は“綾波レイ”と言う私を規定する名前が私の矜持だから。
『私は人形じゃない』
アスカに告げたあの時、私は本当に人になったのだろう。 “綾波レイ”と言う存在を己と認識し、人と規定した私は“碇”と名乗る事を拒んだ。 たかが名前だ。私は“私”、喩え姓を変えても何の問題も無い。だが私は人として、“綾波レイ”としてこの世界に留まる事を決めたのだ。
リリスから別れた私が肉体を再構成した時、私は髪も瞳も以前通りにする事を決めた。 赤い瞳も、蒼い銀髪も皆私を構成する要因。もし変えるにしてもそれは私“綾波レイ”が人として自ら選択しなければいけない。
向かいに座る碇君と同じ動作でカップの中に入れたスプーンを動かしながら、私は窓の外を眺める。窓ガラスを滑る水滴に私は初めて雨を見た時を思い出していた。
***
『雨を見たか』
唐突に司令は言った。 私の倍はある高さから降りて来る言葉に私はその声の主の顔を見上げながら“否”と首を横に振る。その仕草は研究員の人達が交わすやり取りを見て覚えた。
『…では見に行く。付いて来い。』 『何故?』 『聞いただけでは判らないからだ。見る、聞く、触る、それで初めて理解の第一歩を踏み出した事になる。』 『…良く判らない…』 『これから判る。それと“良く判りません”だ。以後気を付けろ』 『はい…』
IDパスを渡された私はゆっくりと歩き出した司令の後を小走りに追いかけた。 長い長いエスカレーターを司令と並んで昇る。
『…外に出るのは四回目です…』 『…直に毎日出る様になる。』
私の隣に立つ司令は振り向かず私に告げる。 黒い傘片手に私の隣に立つ司令の姿は遠く大きかった。
***
「お待たせいたしました、ケーキセットの苺ミルフィールとザッハトルテになります。」
「「あ、ありがとう。」」
同時に同じ台詞を口にした私達は顔を見合せ、同時に吹き出した。制服も仕草も可愛らしい店員まで笑顔をトレイで隠している。
「ご夫婦ですか?」
「ええ、もう二年になります。」
未だ笑っている碇君の代わりに私は答える。
「いいなぁお二人仲良さそうで。」
「そう?ありがとう。」
未だ少女らしさの残る店員は“私もあんな車で迎えに来て欲しい”と私の向かいに座るペーパードライバーを眺めながら言う。 夢を壊さぬ様に私は笑顔で“でも車のローンで大変だから”とそっと話題をすり替えた。 暫く話をして彼女が去り、ケーキに向かった私の向こう側には…
「碇君、笑いすぎ。」
「ごめんごめん、何か可笑しくってさ。」
「もう…」
私は目の前にある碇君のミルフィールから苺を奪取して自分の口に入れた。
…碇君、その情けない顔は止めて…
***
『これが雨だ。』
司令の傘の中、私は初めて雨を見た。
そっと傘の外に手を伸ばす。その冷たさに私は思わず手を戻した。
『冷たい。』 『雨に濡れるとはそう言う事だ。雨に濡れた冷たさは体験しなければ判らない。』 『…はい。』 『傘の存在理由も判ったか?』 『…濡れない服は無いのですか?』 『ある。雨合羽と言う。だがその服を脱ぐ事を考えれば傘の方が簡便だ。』 『…そうですか…』
傘から一歩外へ、雨粒に叩かれながら空を見上げる。司令は何も言わず私を見ていた。
『…雲の天井から水が…不思議…』 『そうか。』
私は暫く空を見上げていた。 視界が急に黒くなる。振り返れば司令が私に傘を差し伸べていた。
『…そのままでは風邪を引く。そろそろ帰るぞ。風呂に入り服を着替えるといい。』 『…はい。』
司令は私の手を取り歩き出した。だが幼い私の手を取り歩くには司令は背が高過ぎたのだろう。 前屈みに歩くその姿が私には不思議だった。
***
碇司令が何故良く私を外に連れ出したのかは本人が行方不明の今では知る術も無い。 だけれど、私は覚えている。あの雨を、あの空を、そして私の手を引く碇司令の姿と掌の熱さを。 これから先も私はあの雨の記憶を忘れる事は無いだろう。
「そろそろ行こうか。」 「ええ。」
会計を済ませ外へ。雨脚は弱まったが相変わらず止む気配は無い。 私達は一つ傘の下、身を寄せ合い車へ向かう。
「子供…未だ作らないで欲しいみたい…託児所の拡張計画が来期まで伸びたみたいで…」
そう告げると碇君は“未だ子供は早いんじゃ無いかな”と苦笑混じりに私に言い、言葉を継いだ。
「…出来ちゃえば関係無いけどね。カヲル君の処みたいに。」
「…そのせいで私有給消化出来ないのよ?」
今日の残業だって本来は彼女の領分の筈だったのだ。
「…産休から彼女が帰るまで半年か…」
「…ねえ碇君、雨は好き?」
「うーん洗濯は乾かないし」「そう言う事じゃ無くて」
わざとらしく言う碇君を睨む振りをする。
「…今は好きだな。こうして相合い傘が出来るし。」「私も。」
傘の中は二人の世界。雨のカーテンの下、私達はお日様に内緒で唇を交わした。
…新居への帰宅が次の日になった事は秘密。
【レインフィッシュ】初音ミク http://www.youtube.com/watch?v=pDRwy0smo0o&sns=em
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