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幸せをつくろう/緒形ゆう
日時: 2009/05/31 00:00
名前: tamb


【Date:】 26 Apr 2009 23:38:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 幸せをつくろう/緒形ゆう

 この作品については様々な難しい問題があり(痛すぎるとかそういうことではなく)、各話で個別にスレを立てるのはとりあえずやめにして、このスレで全話を扱います。

 さぁ一体どんな問題があるのか? それを類推しつつ作品はこちら。

http://tamb.cube-web.net/cont/ogatayu/ogatayu03_ind.htm


 ちなみに、私の手元に既に最後まで来てますので、更新ペースは私次第(笑)。



【Date:】 26 Apr 2009 23:39:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 というわけで「1.しるし」ですが、 シンジ君、FF書いてます(笑)。
 ポイントはやはり最後の部分でしょうか。

> ――もしかして碇君、思い出しはじめているの?
>  気持ちよさそうに居眠りするシンジを前に、レイはそっとつぶやいた。喜びと悲し
> みの入り混じったその瞳は、シンジが見慣れた彼女のそれとは少し違う色合いをして
> いた。
>
>  その後、彼女の目の前にいる青年が“ここ”で目覚めることはなかった。

 いやー痛そうですねー。どきどき(爆)。



【Date:】 27 Apr 2009 01:08:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 tamb様

 いつも無茶な注文聞き入れていただき本当にありがとうございます。
 この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

 「1.しるし」を読んでこの掲示板へ来てしまった皆様

 前回の反省を踏まえ、今回の作品は合わないだろう方には離れていただけるような伏線を
第一話で張っときました。この時点で嫌になった方は多分見ない方がいいと思います。

 ただ、もちろんそれを目的に書いた作品ではなく、自分なりに考えがあって書いた作品で
す。伝わるか伝わらないかは読者の方々次第ですが、汲み取っていただける余地はあるので
はないかと思います。もし全力でぶつかっていただける方がいらっしゃいましたらとても嬉
しいです。

 『アイのあいさつ』とはだいぶスタンスの違う作品で、途中で「?」となることが多いか
もしれませんが、一応私は最終話公開までコメントをつけないつもりでいます。tambさんの
すばらしいツッコミ待ちです(笑)
 それでは皆様、どうぞよろしくお願いします。



【Date:】 3 May 2009 22:17:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 「2.贖罪の彼方へ」を公開。ペース遅くてすいません。全て私のせいです。今後もっ
と遅くなるかもです(爆)。

 というわけで「2.贖罪の彼方へ」ですが、全く普通の良くできた逆行物に見えますな。
というより、そうとしか見えない。
 前話「1.しるし」ではシンジは何も知らなかった。小説書いてるくらいだし(笑)。示
唆されるのはレイの「思い出しはじめているの?」くらいだけど、思い出して逆行した、
あるいは逆行したら思い出したんではこういうシンジにはならないわな。いったいどうな
ってるんだ?

 というわけで、周囲にはてなマークを飛び交わせながら続きを待て(笑)。


> すばらしいツッコミ待ちです(笑)

 この展開でこの時点でどうツッコミを入れればいいのか小一時間(ry



【Date:】 5 May 2009 05:35:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 「3.紡がれる物語」を公開。

 唐突に学園もの。で、何者かが小説を書いてる、と。
 「1.しるし」でシンジ君が書いてた小説とは、やはり違うように思う。だってレイが
死んじゃうんだし。つか、「2.贖罪の彼方へ」での逆行ってのは何だったんだ? 逆行
しても結局助けられなかった物語を読んでるのか? どうなってるんだ?

 というわけで、周囲にはてなマークを以下略。

 しかしあれだな。各話毎にスレ立てないと、何人くらいの人が着いて来てるのか目安が
ないな。うーむ。最初は各話毎にレスしないつもりだったからこうしたんだけど、結局こ
うやって書くなら立てても良かったかな。でも私以外にレスつかないしな(^^;)。つか、
これほどレスの付けにくい話も珍しい(笑)。



【Date:】 6 May 2009 01:54:00
【From:】 "D・T"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

レスは付けにくいですが、これほど面白いFFは滅多にありません。
続きが非常に楽しみです。

アスカが、シンジの左頬をなでて御飯粒を取るシーンがすごく良いです。不気味だと感じました。
映画のラストシーンを、ここに持ってくる事に何かの意味がありそう。


> いつものようにアスカに起こされ、顔を洗い、食事をとり、登校する準備も万全。
> 鞄をもって部屋から玄関に向かった。
>「じゃあ、言ってくるから!」
> 台所で洗い物をする母に声をかける。

これは「じゃあ、行ってくるから!」でしょうか?

あるいは「じゃあ、(綾波に好きだと)言ってくるから!」という意味で……無いですね。これは冗談です。



【Date:】 6 May 2009 19:19:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

> これは「じゃあ、行ってくるから!」でしょうか?
>
> あるいは「じゃあ、(綾波に好きだと)言ってくるから!」という意味で……無いですね。これは冗談です。

やべ(爆)。あわてて修正。



【Date:】 9 May 2009 01:18:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 「4.こころ、つながる」を公開。

 レイが死なない。
 もはや今までの何話かと関連があるのかどうかを考えるのは困難。というか、何でもあ
り状態と化しているのであった。
 そろそろ各話毎にレスをつけるのが難しくなりつつある。それは――いや、書かないで
おこう(笑)。



【Date:】 11 May 2009 01:41:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 「5.目覚めの時」および「6.歩んできた道、歩んでいく道」を公開。これにて完結。
 これを投稿いただいたときの編集人の困惑がご理解いただけるのではないかと(^^;)。

 「5.目覚めの時」ではレイが死ぬ。こういうのが私としては最もイタく感じる展開。
レイが納得してるのがこれまた辛い。例えばゲンレイとかだとイタいというより怒りを感
じるんだが、まぁそれはそれとして(^^;)。アスカの気づきやレイが“彼女”と表記され
ている事に関してはこの際スルーだ(爆)。

 そして「6.歩んできた道、歩んでいく道」。
 5での彼女の「目を覚ますのよ」という呼びかけに応え、彼は目を覚ましたのだと思わ
れる。

 一体これはなんなのか? とりあえず用語が難解だ。一者ってなに?(爆)
 行為者だの一者だの、ネットで軽く調べた程度では理解できるはずもなく、私は緒形氏
に、意味わかんねからちょっとまて、というメールを出したのであった(爆)。同時に、私
の「Shutdown」って読んだ事あるか、と聞いた。読んだことはなかったがコンセプトはほ
ぼ同じ、という返信があった。

「Shutdown」は「新世紀ヤナイの巣」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7018/index.html
に投稿したもので、「企画」―「1000ヒット記念競作」の中にある。

 「幸せをつくろう」に戻る。
 wikipediaのプロティノスの項には、

「プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、
語りえないものとして、これを神と同一視した。物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイ
デア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである
(流出説)。」

 とある。これだけで理解できる人はいないと思われる(笑)。「幸せをつくろう」には

>  ――じゃあ、今は僕が神様なの?
>  ――いいえ、この世界に絶対的な神は存在しないわ
>  ――でも
>  ――あなたはただの一者

 という記述があるので、少なくともプロティノスの思想とは異なると思われる。
 創造神と至高神がいて世界を創造した創造神は狂っているという思想があって(世の中
の矛盾は創造神が狂っている事に起因する)、それを導入してるのかなという気もするけ
ど、外してるかもしれん。

 前述のプロティノスの項には続けて「一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一
者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太
陽から出た光が周囲を照らすようなものである。」と書いてある。

 要するにだ。例えて言うなら大地に残溜思念なるものがあって、それが碇シンジ(一者)
の照らす光によって成長し生成された物語が1〜5までであったわけだ。たぶん。だがそ
の光そのものにも「綾波レイに対する悔恨」なる残溜思念があって、それが生成された物
語にも影響を与えたわけだ。太陽の光が紫だったり赤外線のみだったりした場合の事を考
えていただければよろしいかと。
 で、「綾波レイはリリスとしての魂の欠片を持っていたため、残溜思念に干渉し」、物
語同士をリンクさせる。そしてアスカ。「弐号機の魂となったことで肉体を宿したままこ
の世界に存続する彼女に、真実を求める心は強く働き、彼女の体系的な残溜思念をも呼び
起こした」。そして「誰の残溜思念にも干渉されず、どんな記憶資源も伴わない、限りな
くかつての碇シンジがいた世界に近い世界」に至った。

 と、碇シンジは理解した(と私は理解した)。

 そう理解したシンジの前には、綾波レイがいず、髪を切ったアスカがいるという、あえ
て言えば甘美な世界が現れたわけだ。つまり、この世界もシミュラークルでないという保
証はどこにもない。もっと言えば、あらゆる世界(物語)はシミュラークルであって、真
実とか現実とかを考えるのは無意味であるとも思える。「幸せをつくろう」そのものがひ
とつのシミュラークルであるという解釈が可能であるということだ(この作品のタイトル
が「幸せをつくろう」であることがあまりに意味深である)。
 そうなると「この世界」で幸せを求めることの無意味さに考えが至ることになり、ここ
までくればある種の宗教に近い。だから私は、この世界がシミュラークルであるとないと
に関わらず、真実とか現実、夢とかにも関係なく、精一杯生きればそれでいいのではない
かと思っている。
 そもそも二次創作なんてのは虚構に拠って立つ虚構であって、これほど現実離れしたも
のはないわけだ。それでもその中の彼ら彼女らには懸命に生きて欲しいと思うし、不幸に
なれば嘆いて幸せそうなら喜び、時には涙さえ流す。そんな毛布は捨てて現実に帰れ、と
監督みたいなことを言われればそれまでなんだが。

 というようなことを考えたわけだが、大外ししている可能性が高いので(編集人の負う
べきリスクだ)、作者の解説を切望するのであった。読者の数だけ答えがあるなんてのは
無しの方向でひとつお願いしたい。いやマジで。

 シミュラークルとかリゾームモデルとかそういうのは、東浩紀なりボードリヤールなり、
ポストモダン思想を適当に調べてくださいませでございます。間違っても俺に聞くな(爆)。



【Date:】 11 May 2009 09:32:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

拝見しました。

この「界隈」に長くおりますと、「ああ、メタフィクション小説」と言うまあ俗に塗れた感触に陥ってしまいがちです(汗)先ずは失礼をば。

では、失礼を承知でこれを

「FFに関するメタフィクション」と捉えた場合、

「EOEに関してサブカルチャー界が無数に作り出した彼等の思想を補強する解釈」を自ずから連想してしまう結果となりました。

曰く、「庵野秀明のファン(ヲタク)に対する『真心』、即ち『現実回帰を促すメッセージ』」と言うものですね。以前ネットでみた、「カーク艦長の講演」(キャストとして人気の高い俳優ウィリアム・キャトナーが熱狂的ファン集会の場で「諸君は私が戯れにやった仕事で人生を無駄にした。まったくあれは只のテレビ番組に過ぎない。自分の人生を持て」と説く。実はアメリカ製バラエティ番組のワンシーンですが 苦笑)ですな。身も蓋も無く言ってしまえば(苦笑)

庵野氏の「まごころ」とは「創作作品を捨て街に出よ」と言う、いわば寺山修司の言葉のモダナイズだと。これは同時に、サブカルチャー関係者のヲタクと言う存在への「一種のパターナリズムを含んだ視線・解釈」をも意味していましたが。

そして、大抵「極めて解りやすい文脈の扱い」として、レイというキャラクターは「ヲタクの幻想への依存」のメタファーとして持ち出された訳です(苦笑)

正直な所、EOE自体を「創作者の自嘲」と言うテーマにおいて捉えていた小生はそれ自体には「なんだかな」と言う感想とともに「でも、解るよ。これ以上何も言うつもりはないですよ?」と言う苦笑い交じりの気持ちで見ていたものなのですが…

しかし。(すみません、続きます)



【Date:】 11 May 2009 09:52:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

続きです。そう、「黙っている気を無くす」事を色んな人々がいろんな所で「やってくれた」訳なのです(苦笑)>(その後の小生の「無頼を嵩に来た無法と無茶苦茶のブンゲイヒヒョウと称する喧嘩三昧」については、かつての総合を御覧になったりログを見られた方は良くご存知かと 苦笑)

エヴァ解釈ブームなるものにのったサブカル業界の、「ヲタクに対する根深いパターナリズムの発露」、そして、其れに対するFF関係の「狂乱?」的反応とも申しましょうか…

ま、正直な所「…おまいら良い加減にしろよ」(乱暴な言い方ですみません)と言う所だったのです。

一つには、そうした論壇の「脱オタクの為のパターナリズム」=「君達が現実社会で幸せになれるようにコミュニケーションを教えてあげる」と言う、近年では「電車男」をヲタクは無邪気に持て囃していて良いのか?と言う様な意味での彼等の姿勢に「又か…と言うか好い加減にしてくれ」と言う感想を持ったこと、もう一つは、一部ファンが、これは小生の穿った解釈ではありますが、EOEにおいて残された方、即ちアスカと言うキャラクターを、言論人等の言う「現実社会でのコミュニケーションのメタファ」と言う意味ではなく、「こっちなら良いんだろう」「こっちなら癒してもらっても文句無いんだろう」に近い?反応を示した様に見えた事…ですね(苦笑)

更に続きます(すみません 汗)



【Date:】 11 May 2009 10:14:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

その後の「色々」は余りに「生臭く又このうえなく無意味」であったので割愛させて頂きます(苦笑)

そしてどうこうしている内に、世間や「論壇」も多くのファンもエヴァ自体に飽きてしまった訳なので…が、未だに思う事もある訳なのです。

ヲタク的なライフスタイル、人生観と一口に言っても千差万別ですが、それは別に「サブカルチャー関係の人々や戦後日本の言論人が考えるような『理想の人間形成』や『ニンゲンとしての幸せの形』」を押し付けられる謂れのあるものじゃないだろう、と。確かに多くは「稚拙だし未熟」なのかもしれないけれど、それを彼等の頭の中の「教育論・発達論」に従った近代社会とか民主主義社会とかにおける「理想的な人間像・愛情に満たされた幸福な人間像」に沿わせる為に一々「教育」されなきゃならんようなものでは無い筈だ、と。

答えは「ヲタク自身が模索して見つけるもので、彼等に上から言われる筋合いのもの」じゃない。ワレワレが欲しいのは社会からのお仕着せの幸福じゃない。自由なんだ!

…などというと「余りに大仰」ですけれども(笑)



【Date:】 11 May 2009 10:57:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

FFと言うものはすべからく「私小説」であると小生などは思っています。必然的に自己言及となり、それをいかに「技巧だ市場だ」と言おうとも、所詮は書き手自身の精神やそれを「構築する何か」の表現型であると。

「個体が造りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型である」(リチャード・ドーキンス)

と言うのと近いレベルで(笑)蜘蛛が己の居場所であり、又生きる術である「巣」を自ずから作り上げるのと同じ次元で人間は自分の精神を表現し、必要な哲学をなんとか形作ろうと「物語」を紡ぎます。

たかがFF、なれども同時にそれはその人間が「必要とする何か・求める何か」の表現であり指針であります。手慰みと侮る無かれ、です(笑)

ボードリヤールやデリダの「ポストモダン」は結局はモダニズムと言う母体の上で鏡にそれを映す中から明日を見出そうとして失敗した行為、であると小生などは愚行してしまう訳なのですが、真に「ポストモダン」と言うものが存在するとすれば、それは思想家の脳内ではなく、市井の人々の暮す現実社会の中からたち現れて「モダン」を侵食し、やがて粉々に破壊する「力」をもったものではないかとも思うわけです。(東さん?あの方はおいときましょう 苦笑 なんかどんどんズレて行ってますから)

言論人のパターナリズムとは結局、「彼等の基盤であるモダンを防衛する為の細工」ではないかと思う時があります。彼等の「望む方向」、モダニズムを存続させ、彼等のイデオロギーを(恐らく本気で、良かれと無邪気におもって)形にする為に「父権者は『子供』によりよい未来を『強要する』」。

(結果として、既存のポストモダンも又「ぐるりと一周してモダニズムに回帰してしまう。EOE解釈しかり、です。しかし…)

しかし、垣間見た「それ」は本当に「父権者」等、リベラル面した「言論人」やそのフォロワー達が主張するような「繰返されるシュミレーションの中で見た只の夢」だったのか?

否。「押し付けられた未来」は要らない…その僅かな「断片」を追って、我等は「父」と決別し不毛の地を目指し旅に出るのだ。例えそれが際限なき「悪夢の連鎖」であったとしてもその先にある「精神が求めるもの」の真の姿を目指して。生ぬるく「幸福に生きる」より「渇望しつづけながら流離う」事のなんと甘美な事よ!

…とまあ、この辺りは電波ですからお聞き長し下さい(笑)

何の事は無い、其処にパターナリズムを見てしまえばこそ「咆える」のです。俺に生ぬるい頸木を掛けるな、俺をモダンに繋ごうとするな、と。「思想的対立」と言ったら大袈裟ですけれども(笑)

飽く迄「メタフィクション小説」としてみてしまった場合の「意味不明の感想」です。緒形様のお考えは全く違ったものであるのだろうと思いつつ、つらつらとタワゴトを並べてみました。

乱文を通り越したカオス状態では御座いますが、なにとぞご容赦の程(汗)

では。ありがとう御座いました。



【Date:】 12 May 2009 02:35:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 まずは『幸せをつくろう』を最後まで見ていただいた読者の方々に感謝の意を申し上げた
いと思います。お付き合いいただきありがとうございました。
 
 tamb様

 最後まで面倒おかけした編集人のtambさんにも改めて御礼を申し上げます。たぶん「駄作」
と罵られても言い返せないような今作を掲載していただき本当にありがとうございます。
(もちろん私としては精一杯作ったつもりです)

 tambさんの指令(?)に基づき、『幸せをつくろう』に関していくつか創作の経緯などを
述べますが、大前提として「シンジやレイが出した結論は、必ずしも筆者の哲学・思想その
他と直接結びついているわけではない」を設定した上で話を進めますので、ご了承のくださ
い。もちろんいわゆるポストモダン思想を迎合する気も、神秘主義や新プラトン主義など、
もしくは近代社会を批判する気はさらさらありません。

 もともとの今作の書こうと思ったきっかけは「サードインパクト(もしくは人類補完計画)
を二次創作の手法を使って表現するとどうなるだろう」というものでした。本編25・26
話や旧劇場版でもそれとなく描写されていますが、人類(読者)補完にもっともむいている
のはエヴァFFなんじゃね?と思ったので、書き始めてみたわけです。ですので綾波レイが
消えてしまうのも、最後にシンジとアスカが残るのもそれほど深い意味はありません。EO
Eにあわせた、いわゆる本編系の結末に仕立て上げたかったからです。
 プロローグとしてEOEをFF化する案もあったにはあったのですが、それだとびっくり
感がないと思いやめました。それと2話と4話を見ていただくとわかるかもしれませんが、
多分わたしは本編系を書く能力が乏しいです(笑)また、1〜5をもっとFFぽっく戯画的
にできたら、もとメタフィクション感が出たかもしれませんができませんでした。
 
 そして、二次創作を生み出す「環境」を支える論理的支柱としていわゆるポストモダン思
想(特にリオタールやボードリヤールをミックスした東氏の論理)を散りばめてみました。
グノーシスやらなんやらを衒学的に散りばめられた本編へのオマージュ(?)でもあります。
ですので一つ一つの固有名詞そのものに深い意味をもたせているわけではありません。一応
文章内で完結した意味で受け取れるようになっている……はずです。できなかったら私の文
章力が不足しているということでしょう。

 「と、碇シンジは理解した(と私は理解した)」までのtambさんの理解はとてもわかりや
すく、筆者が求めていたところでもあります。ドゥルーズとかデリダの話しに詳しい人であ
れば、もう少し見方も変わるかもしれません。これは文章内での私の勝手な使い方ですが、
リゾームという概念をハイパーリンクと関連させています(リリスとしてのレイの能力)。
ひたすらシミュラークル(物語)が生み出される「環境」をインターネットと比較して表現
したかったからです。そしてその「補完行動」を差延という概念(反復による差異の延長化)
をエヴァという物語を飽きないためにアプローチを変えて補完し続けることと関連させまし
た。たぶん正当な用語の使い方としては間違っていると思いますが、表面的には何とかなる
ようにしてあるはずだし、事実tambさんには届きました。たぶん。

 その先のtambさんの解釈は筆者の想定を上回るものですが、とても興味深いです。それも
ありか!と思いました。さらにメタフィクションっぽくなりますね。私は「読者の数だけ答
えがあるなんて」思っていませんが、作品の強度は読者の読み(解釈)によって高められる
ものだと思っています。エヴァという「現象」を体験した方ならご理解いただけると思いま
す(思想的に言及されるのであればロラン・バルトのテキスト論などを参照するといいかも
しれません)。ですので筆者の想定を超えていても、それが整合性と説得力、生産性(次の
作品につながる)をもっているのであれば誰も文句を言う権利はないと思っています。

 1〜5は結局のところ短編集のように見えてしまうかもしれませんが、筆者としては「最
後の最後までは一貫した物語としても把握できる」ものとして努力したつもりではあります。
例えば……

 逆行したシンジは苦戦しつつもすべての使徒とエヴァシリーズを倒し平和な世界を手に入
れた。しかし試練が終わると同時にそれまでの記憶を全て失ってしまい、偽装された世界で
高校・大学を過ごした。その記憶を「小説」という形で取り戻す!

 みたいな終わらせ方も、すごーーーく無理やりつなげればできるように配置したつもりで
す(もちろん表現を変えなければいけない部分、付け加えなければいけない部分がいくつか
出てきますが)1で3過去に遡り、2で4で順当に時間が経過し、5はその交差点です。目
を覚ました瞬間を1に戻してしまえば、もしかしたら何とかなったかもしれません。ただ、
さすがにこの深読みを期待していたわけではありません(そう辿ると面白いとは思います)。
それよりも、「いかにもなFFだな」と思わせることに尽力しました。

 ここでやっとタイトルに入れます(笑)tambさんにありがたいツッコミをいただけたので
いろいろ言ってみます。『幸せをつくろう』第一印象で皆様はどう変換したのでしょうか?
 
 『幸せをつくろう<作ろう/繕う>』には、一者になって「幸せ」を作り続けるシンジと、
それに付き合って「幸せ」を繕うレイの物語という想いが込められています。もちろん「綾
波レイの幸せ」というサイト名に触発されたタイトルだということは言うまでもありません。
 結局彼らにとっての幸せが何なのか、私はいろいろ考えました。考えましたがそれはつま
るところ「自分ならまぁこれくらいなら幸せかな」という主観に基づくものにしかなりませ
んでした。例えば前作『アイのあいさつ』はイタモノだという評価も受けましたが、私はあ
のシンジは結構幸せだと思っています。自分があの立場なら、好きな人に協力できて友だち
になれて、チェロも上手くて万々歳といった感じです。さすがに今作の5のように若くして
死んいくレイが彼女の言うとおり幸せかどうかは、断定はできないと思います。ただ、たぶ
ん世の中には若くして死んでいっても最後には人生幸せだったと思える人もいると思うし、
それを綾波レイと重ね合わせて考えたときに、私はあまり違和感がありませんでした。だか
ら、最後まで出自に翻弄されるレイが、それでも幸せに生きるとしたら、その物語に説得力
を持たせるとしたら、どうすればいいか考えました。その問答の中で必死に足掻いたのが1
〜4のシンジ君だと私は思っています(いつも最後は二人でしたね)。もちろん、幸せには
たくさんの形があると思うし、彼らをもっともっと幸せにすることを否定するつもりは毛頭
ありません。
 タイトルの由来を聞いて、皮肉に感じて気分を害した方がいらっしゃるかもしれませんが、
少なくとも「幸せを作る」ことに私はネガティブな意見を持っているわけではありません。
それは結局「幸せについて考えてみる」ことと密接に関わっていると思うし、その一形態と
して二次創作があるのだと思います。それを真剣に取り組むことは、人生と向き合うことだ
とも思います。

 また説教くさい長い話になってしまいました……すいません。
 細かいとこ(アスカの気づきとか“彼女”という表現とか)について解説するとたぶん限
りなく長くなってしまいますので、聞かれたら答えます(爆)とりあえず『幸せをつくろう』
についてのあとがきは以上です。

 鯖様

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 さらには真剣なご感想(ご意見)ありがとうございます。作者冥利に尽きるところです。

 tambさんに宛てた返信をご覧いただければ、これから私が申し上げることの大部分は予想
がつくかとは思いますが、鯖さんの本気に私も本気で返させていただきたいと思います。

>「FFに関するメタフィクション」と捉えた場合

 全く問題ないです。多分にそういった側面を含んでいますので。tambさんの「Shutdown」
ほど意図的ではありませんが、そこはなんとか表現できたと思います、というかここでつま
ずかれた読者がいたとしたら私は海より深く反省しなくてはなりません。

>「EOEに関してサブカルチャー界が無数に作り出した彼等の思想を補強する解釈」を自
ずから連想

 上記してありますが、『幸せをつくろう』は主に旧劇場版(のとくにサードインパクト)
に乗っ取った形で構成しました。ですのでEOEの解釈と被るのはたぶん必然だし、それが
できたら成功だし、それを連想できる鯖さんはとてもエヴァ界に精通していらっしゃるのだ
とおもいます。
 残念ながら私はいわゆる「エヴァ本」はまともに読んでいませんし、エヴァに対する「ヲ
タクの発言」はほとんど知りません。ですのでその辺のことに関してはろくに発言できませ
ん。ごめんなさい。

>正直な所、EOE自体を「創作者の自嘲」と言うテーマにおいて捉えていた小生は

 ずいぶん前なのでうる覚えですが、確か私は本編26話で学園エヴァと、それに続く「真
実は人の頭の数だけある」「おめでとう」には、直観的に新興宗教とか悪徳商法を連想して
しまい、恐怖を覚えました。彼らの最後の笑顔はゼルエルを食らう初号機より怖かったです。
「現実逃避」の四文字が頭に浮かびました。
 一転して旧劇場版では「現実にもどれ」見たいなことを言われたと感じたので「極端だな
ぁ」と思いました。それでもサードインパクトの映像と音楽にはある種の「感動」を覚えま
したが……
 私の中でのこの2つのねじれも、『幸せをつくろう』に少し関わってきますが、後述する
ことにします。

>「ヲタク自身が模索して見つけるもので、彼等に上から言われる筋合いのもの」じゃない。
ワレワレが欲しいのは社会からのお仕着せの幸福じゃない。自由なんだ!

 これを1〜4(5でもちょろっと)で頑張ったシンジくんを通して描こうとしました(自
由ではないですが)。私が彼ら(6人のシンジたち)を結局戯画的に描かなかったのには、
そういった経緯もあります。また、大きな物語の失効も、リオタールを借りてですがそれを
象徴したつもりです。6人のシンジたちを統一的に回収する幸福は存在しません。

>真に「ポストモダン」と言うものが存在するとすれば、それは思想家の脳内ではなく、市
井の人々の暮す現実社会の中からたち現れて「モダン」を侵食し、やがて粉々に破壊する「
力」をもったものではないかとも思うわけです

 確かに事実の一側面だと思います。しかし私はその「事実」に必ずしも楽観的ではないの
で、ここでは意見としては保留します。
 ただニュートラルな視点で捉えたとき私自身は「市井の人々の暮す現実社会の中」にはパ
ソコンの前に座ってエヴァFFを作ってみたり、読んでみたりする「現実」も含まれると考
えていて、その「環境」を描写しようする試みを『幸せをつくろう』に含ませたつもりです。

>生ぬるく「幸福に生きる」より「渇望しつづけながら流離う」事のなんと甘美な事よ!

 カッコイイです(涙)ただ、私自身の考えでは油断していると「父」はすぐに追いかけて
きます。上記の「生き様」を掲げ、賛同者を求めた瞬間、父は現れます。シンジはいつだっ
てゲンドウになる可能性をはらんでいます。私はそのことにたいしていつも慎重でありたい
と考えています。

>何の事は無い、其処にパターナリズムを見てしまえばこそ「咆える」のです

 一応もう一度書きますが、「パターナリズムを見てしまえ」たら、このFFはある一点で
は成功だと思っています。ただそれだけでもないので後ろにもう少しつらつら書きます。

>緒形様のお考えは全く違ったものであるのだろうと思いつつ

 そうですね。EOEの庵野監督のメッセージには賛同していません。もちろん新劇場版を
やっている今は違うと思いますが……感情論でいえば私はむしろ鯖さんに限りなく近いと思
います。ただ、立ち位置はもう少し曖昧です。


 後述するやら後で書くやらのことを書きます。
 ここまで読むと結局のところ『幸せをつくろう』では「最終的なメッセージはEOEにあ
わせたが、本質としては二次創作万歳!」みたいになると思います。わかりにくいと思いま
すのでもう少し整理します。
 レイはシンジに「目を覚ませ」と言い、シンジはレイと決別することを決断しました。こ
こはEOE的です(EOEではレイは何も言いませんが)しかし、そのレイの発言のバック
にはシミュラークル(物語→FF)で「真実」を見つけよう、レイ(や周りの人)を守ろう
と頑張った、物語で生まれたシンジの物語を越えた意志があります。つまり物語(FF)が
シンジ、さらにはレイを動かす原動力になったということです。その意志も簡単にあったわ
けではありません。一応、それぞれのシンジは試練というか厳しい状況と言うか、そういう
ものを乗り越えて意志を貫き、ハッピーエンドを迎えました。途中経過で頑張ったわけです。
つまり二次創作万歳です。
 
 ただ、そう簡単には考えられません。というか『幸せをつくろう』を読んで素直にそう考
えてくれる方はいないと思います。先に本編と旧劇場版の2つにねじれが感じられたと書き
ました。結局「虚構」はあっていいのか?「現実」に帰るべきなのか?
 『幸せをつくろう』では「虚構は現実に作用する力がある」ということを描こうと思いま
した。二次創作でも、こころから感動し、価値観を広げ、生き方を見つめられるほどの強度
をもった小説に出会えたとしたら、それは十分に「現実力」を持っています。また、現実の
生活が創作に作用することもあると思います。ただ、だぶんそれほどの作品はかなり稀です。
 『幸せをつくろう』のとりわけ2〜4はわりと典型的なFFです。困難を「設定」しまし
たが、どれもとても安直です。ただ、それでもシンジの悩みはできるだけ力を入れて描写し
たつもりです。6でレイ(リリス?)は「――そして運動の果てに、強度の弱まったシミュ
ラークル、小さな物語のなかで、真実を求める心が萌芽した」と言います。二次創作を通し
てみれば、ジャンル別けされ、安易なエンドが用意されている補完運動に強度はない、みた
いな意味です(エヴァ熱が冷めFF界から人がいなくなっていくことの象徴でもあります)。
そんな世界からおさらばしようともがくシンジ君を描きたかったわけです。
 「――悔恨と悲嘆を打ち消すほどの強い想いがないと、一者は甘美な世界で眠り続けてい
るから」「――「綾波レイ」「惣流アスカラングレー」「葛城ミサト」という記号を、悲嘆
や悔恨を和らげるために繰り返される運動」2つともレイ(リリス?)の言葉です。ここま
で読んでいただいた方にはご理解いただけるのではないと思いますが、別にこの言葉はFF
そのものを否定しているわけではありません。差延する補完運動に取り込まれると、いつま
でも甘美で安易な世界に安住することになる、という「事実」の一側面を述べただけです。
その生き方をリリスは肯定も否定もしません。イラっときた方は要注意です(笑)ただ、シ
ンジはEOEの通り他の生き方を選択します。
 
 つまり、結局は「現実を生きるにしろ虚構を見据えるにしろ、本気で生きること」を、な
がーーーい補完計画(いくつものシミュラークル)を通してシンジは身につけたわけです。
なので「どうやら、僕にできることはまだまだいっぱいあるようだ。」ということです。

 ここまで言うとさすがに野暮ですね(笑)本当は単純に二次創作を読むことでサードイン
パクトを疑似体験していただきたかったのですが、そんな芸当がなしえたとは思っていませ
ん。なのでやっぱり「駄作」になってしまうのでしょう。新しい解釈があるといいな……

 


 本当に長くなりました。ごめんなさい。
 刺激的なお二方のご感想(ご意見)には本当に感謝しております。
 またここまで長い解説を読んでいただいた方にも感謝申し上げます。
 ありがとうございました。



【Date:】 12 May 2009 09:26:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

緒形様

いや、あんな電波だけて構成されている様な「感想」に真摯なレスを頂き、此方こそ恐縮です。

>ポストモダン

「保留」しておられる所に勝手に色々述べさせて頂くと言うのは非常に申し訳ないことだと恐縮しつつ、これは割合、小生にとってはFFに触れる上でネックになっている部分でもありますので私的な見解を少しだけ(汗)

正直に申しますと、小生は所謂モダニズムと言う奴に「絶望と怒り」と言うものを只管感じる類の輩なのです(苦笑)元々の性分と言えばそうですが、近年ますますその傾向がはっきりしてきております。

「ヒューマニズムと称して人間至上のエゴを正当化し、テメエの足元の環境すら切り崩した挙句、未だに本質的反省もない。開発論や動物虐待等に対するこの無反省ぶりはどうだ。人間の英知と謳いつつ、その厚顔無恥と馬鹿さ加減はどうしたことだ。頭でっかちに脳の思考に固執し、感覚で感じえる一片の真実を錯覚・妄想と捨象すむ無神経こそ救いがたい」「民主主義だ、市民社会だと唱えながらその企画に合わぬ人々を時に野蛮と切り捨て、その怒りも訴えも無いものの如く軽視・無視して居心地の良い自分達の社会に籠もり、自分達の秩序と理想の維持の為には人命や生活ごと踏みにじってもやむなしと言う顔をして恥もせぬ」…「調子に乗ってるんじゃねぇぞテメエら」と言う感じ、になってしまうわけです(苦笑)

故に、過去の「ポストモダン」論に関して言えば「生ぬるい空論」以外の感想を持ち得ない類の人間でもあるわけです。ソーカル先生のご意見とは多分全く違う動機とは言え、アメリカ人でありながら自らサンディニスタ政権下のニカラグアに足を運んでラテンアメリカの改革を荷う若者の為に教鞭を取ったりしたアラン・ソーカルであるからこそ「ポストモダンの言葉遊び」に対する激しい苛立ちもあったのではないか?とつい妄想してしまう訳です(苦笑)>御存知と思いつつ、なんじゃそら?と思われたら「ソーカル事件」をご参照下さい。

故に…ある意味「モダニズム回帰」と言う意味でもあるであろうEOE解釈・結論に関しては「唾棄する」以外の反応が自分からは出てこない訳です(苦笑)

97年当時の「現実回帰」論は同時に、例えば宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」と言う様な言説に直リンしていたように思います。しかし、彼等の言う「尾張なき日常」とは何か?

確かに「大きな物語」=「歴史」は死んだのかもしれない。それを宮台が言い、別の台詞でフランシス・フクヤマが言った。モダニズムの「千年王国」にわれわれは生きていのだ。終末など、主の怒りの日など来ない…結構。

だが、「其処から取りこぼされた者達」はどうする。彼等は永久に「いない事」「いなかった事」にされて只の人柱として我々の「終わり無き日常」とやらを支え続けるというのか?

もうお解りかもしれませんが、この構造が小生の脳内で「妙な回路」に結びついてしまった訳です。偶然にも。EOEと其の後の「レイの居ない幸福な日常を生きる者達」とはすなわち、「規格に合わぬ存在を切り捨ててモダニズムに引籠もってみてみぬふりをする我々の日常そのものだ」と(苦笑)

無論、暴論を通り越して妄想な訳なんですが(苦笑)一ヲタクとしての趣味と、一人間としての社会への視線を「重ね合わせて表現しよう」などと言うのは…

自分は、その「日常」には生きない。その外側にこぼれたものを「探しに行く」と。

続くか続かないか解りません<申し訳ありません(汗)



【Date:】 12 May 2009 20:58:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 鯖様

 議論を広大な場まで移していただきありがとうございます。
 
 私は作品を思想的な観点で解説するつもりはないし、そういう意図で作ったわけでもない
し、そういう創作姿勢にはある種「傲慢さ」も含まれるように感じるので、ここでの鯖さん
に応対する形での発言は控えます。「ソーカル事件」に関しても私個人としては重層的な意
味合いを読み取っているので言いたいことはたくさんありますが、収拾がつかなくなるので
やめておきます。というかたぶんここでは無意味です。

 ですので、鯖さんのコメントを読んで素直に感じた感想だけいくつか申し上げさせていた
だきたいと思います。
 
>だが、「其処から取りこぼされた者達」はどうする
>自分は、その「日常」には生きない。その外側にこぼれたものを「探しに行く」と

 直感的に思ったのは、その発想は脱構築の概念を通して、延々と形而上学批判を繰り広げ
たデリダの思想に近いと思いました。前期での理論基盤をもとに後期には政治活動にまで積
極的に参加(アルジェリアやチェコやイスラエル/パレスチナ問題)した彼が、零れ落ちる
もの→亡霊、もしくは古名としてのエクリチュールという「概念」に拘り続けたことを連想
させます。最後まで西洋中心主義(今でもはびこっているもの)批判を貫きましたね(ちな
みにウィキペディアとかだと概念以外はろくに解説されていないのでご注意を)なぜか彼は
ポストモダニストに「祀り上げ」られました。

>一ヲタクとしての趣味と、一人間としての社会への視線を「重ね合わせて表現しよう」

 東浩紀が本まで出して実践しましたね。彼の最初の出版物の『存在論的、郵便的』が哲学
システムから逃れようとしたデリダを追った文章であることとつながるのかもしれません。
一応追記しますが私はデリダが好きなわけではありません。

 この手エヴァ批判は宮台→宇野ラインに関係するのかもしれませんが、興味はないので言
及はしません。

 もちろん以上のことは『幸せをつくろう』とは無関係です。しかし『幸せをつくろう』が
直エヴァ(解釈)批判と結びつくほど強度をもち、読者を触発する磁力を持っている小説だ
というなら、私としては嬉しい限りです(それを意図したわけでありませんが)。ですので
筆者としての責任があると感じた部分に関してのみ感想を申し上げました。

 つまらない文章に付き合っていただいただき、ありがとうございました。



【Date:】 12 May 2009 23:49:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

緒形様

実に「とっつき難い」レスばかり書かせていただいて、「これはかなり御迷惑だろうな」と反省しつつ、つい楽しくて筆が滑ります(汗)

実際、久しぶりにFF関連の論に熱中出来、これにいかな感謝の言葉を申し上げたものかと悩む次第です(汗)

続くかどうか、と申しつつも矢張り御作及び「後書き」を拝読して色々と考えた事を、我が腑に落ちるまで後少し書かせていただこうかと思います。ご容赦の程(汗)

>広大な場まで移し

いえ、大風呂敷の方で勝手に広がってしまったまでの事でして、小生はあくまで無学文盲の徒、恐らく御専門としておられたのではないかと拝察する緒形様に申し上げるには汗顔の至りではありますが、矢張り下手の横好きと言う奴でして(苦笑)

途中まで書いて「此の侭やっててえーのんか?」と言う感覚に陥った前段ですが、別段「思想」と言う様な大仰な話ではなく別の語で「語る」事もできる物を単に場のノリで好い加減に書いてしまったものに過ぎなかったりします(汗)

>デリダ

更に厚顔無恥を重ねる振る舞いになってしまいますが、小生の思うにデリダの誠実さはしかしながら、彼のみに留まらず「西洋中心主義批判に至る西欧知識人」の陥りがちなオクシデンタリズム(サイードが語るオリエンタリズム、と言う意味に対応させる形で)の縛りを抜け出す事は極めて難しい、と言う事を想起させます。即ち、

「モダンを批判する貴方自身の拠って立つ基盤は何か?」と言う問いにどう答えるか、と言う問題ですね。西欧の左派知識人等が批判した帝国主義に抗するその「現場」でのモチベーションも又、既に「社会主義や近代民族主義」と言ったモダニズム由来のものは悉く壁に当って消えつつあり、より「土に根ざした」それに取って代わられつつあります。

只、デリダの垂直性批判とかリゾームの概念と言う物は、ある意味我々は現在それを現実に目の当たりにしているのかもしれないなあと言う感慨は屡感じますね(苦笑)思想と言うより経済や政治、或いは安全保障と言うより「生臭い」分野で(どちらかと言うと小生の領域はそちらに近い様ですので 苦笑)。

宇野常寛氏は…面白いと言えば面白いんですが、まあ結局は(苦笑)そう言う次元のみの問題でああだこうだ語っていてもしゃーないやん、と言う感じかもしれません(苦笑)

>筆者としての責任があると感じた部分

いえ、飽く迄小生が自由連想的に「思いついたこと、感じた事」をつらつらと書き連ねただけですので(汗)むしろ、これは

「エヴァをサブカルチャーとしてこねくり回していた90年代ブンカジン等の言説の我田引水(及び一部それにのっかったヲタク関連の香具師連中)と、彼等の生ぬるいリベラリズムに感じた偽善性」

への批判的感覚を、その構造を「掘り起こされた」御作に喚起されて再び、十年以上たった今再整理していると言う事なのだと思います。

多分続きます(汗)



【Date:】 13 May 2009 00:26:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

幾らなんでもそろそろ纏めと言うか「オチてない」にしろ何とか落さねば、と言う事で(汗)

>「現実逃避」と「ねじれ」

正直な所、当初の「おめでとう」には??? 、と言うか「投げて逃げたな…」と言う感想しか持ちえませんでしたね(苦笑)「あまりにも時間が無い」って…

過度に観念的な「モダンアート」「カウンターカルチャー」は何だかお洒落と持て囃されるかもしれないが、所詮「美術は感覚で感動するもの」であって無理に「理屈」で解釈するもんじゃない…便器一個おいて「芸術」と言われても、既存芸術を「破壊する」以上の意味は「全く無いよ」というか「それが持て囃される事に慣れた時代にそれほど無価値なものはないよ?」と思う訳で(苦笑)

…というような「ウケ狙い」以前に「逃げたな?」と(苦笑)まあそれはそれで良かったのですけれども。途中で放棄されたものであればこそ「それで我々アマチュアがもっと遊ぶ余地も出来た」訳ですから。

で、「気持ち悪い」(笑)

前述の如く苦笑しました。首締めとあの台詞で「見事に落した!」と苦笑いしつつ内心拍手しました。あれはあの「オチ」でなければ「落ちなかった」。作り手の半無きの笑いを垣間見たような気がして「苦々しくもほろ苦く味のある」落とし方だ…と。

「現実回帰」?…とんでもない。彼は言いたかったんですよ。「馬鹿野郎、お前等なんか死しんじまえ!」と(笑)「現実回帰」なんて結局「キモオタの癖に!」と言う「難癖」の為の口実に過ぎない。そして最後にそれを「認めつつ、自嘲し」幕を下ろした。それに思わず苦笑しながら喝采したんです(苦笑)

それを…なんでそれを「余計なお世話」的に「再生と現実回帰の物語」として読み解きたがるかな?と。お前等「機微」ってものがわかってない、解ってないよ。脳味噌薔薇色の妄想ちゃんは庵野でもヲタクでもなくてオマエラだろ?と。あれだけ一生懸命糞なげて裸踊りまでして「落した」ものをどうしてそっとしておいてやらないんだ!と(苦笑)

そんな感想を持ってましたね(笑)当時は。

その「押し付けがましい善意とお節介」を単にあきれるだけじゃなく、徐々に、猛烈にうっとおしく感じ始めたのはそれから少し後の事ですが…

あ、終わってない(汗)



【Date:】 13 May 2009 04:58:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 鯖様

 まさかデュシャンまで出てくるとは思いませんでした(笑)

 一つだけ私が勘違いしている可能性があったので、それだけ補強します。

>「現実回帰」?…とんでもない。彼は言いたかったんですよ。「馬鹿野郎、お前等なんか死
しんじまえ!」と
>それを…なんでそれを「余計なお世話」的に「再生と現実回帰の物語」として読み解きた
がるかな

 鯖さん自身のEOE解釈を私は理解していなかったことに気づきました。この文章を見て
一連の鯖さんの発言の方向性がやっと明瞭に見えました。遅くてすいません。
 とすると私の「あとがき」もいくつか付け加えるべき点があるかもしれません。上記した
通り私は「エヴァ本」や、プロアマ問わず誰かのエヴァに関する発言には疎いので、『幸せ
をつくろう』のEOE解釈は全く私の独断によったものになっています。「旧劇場版では 
「現実にもどれ」見たいなことを言われたと感じた」などと軽々しく発言してしまいました
が、その経緯を述べないのは鯖さんに対して失礼に当たると感じたので、以下記します。だ
た、恐らくこの解釈は鯖さんのおっしゃる「押し付けがましい善意とお節介」に近いものに
なる可能性がありますが、ここを説明しない限りそもそも『幸せをつくろう』という作品自
体が成り立たなくなるのでご容赦ください。

 EOEで最終的にシンジがとった行動を象徴したセリフとして私が理解しているのは以下
のものです。

 幸せがどこにあるのか……まだわからない。
 だけど……ここにいて、生まれてきてどうだったかはこれからも考え続ける。
 だけど、それも当たり前の事に何度も気づくだけなんだ。
 自分が自分でいるために。
 
 このセリフを機にユイ(海、初号機)と決別するからです。でも、これだけでは現実回帰
とはなんら関係ありません。これよりもう少し前に以下の問答があります。

カヲル「再びATフィールドが、君や他人を傷つけてもいいのかい?」
シンジ「――かまわない。でも、僕の心の中にいる君達は、何?」
レイ「――希望なのよ。ヒトは互いに分かり合えるかも知れない、と言うことの」
カヲル「好きだという言葉と共にね」
シンジ「だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思い込みなんだ。祈りみたいなものなん
だ。ずっと続くはずないんだ。いつかは裏切られるんだ。ぼくを捨てるんだ――でもぼくは
もう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと、思うから」

 この後リリスを初号機で崩壊させ、補完を終わらせ、上記の決別に続くわけですが、とに
かく「裏切られることを覚悟で他人を求める」行動を起こすわけですね。つまり自己の想定
内で完結しない「他者」を認めるわけです(たぶんここで精神分析やら倫理学やらを持ち出
ばそれっぽくなるのでしょう)表面的に見ればここは「現実」と向き合うことと考えて問題
ないだろうし、私自身そう解釈しました。
 ただここで終わらないのがいいところ(?)で最終的には「僕(=シンジ)の心の中にい
る君達(=レイ、カヲル)」という「希望」ではない「アスカ」を最後に登場させるわけで
す。そしてシンジは暴力によって、アスカは言葉によって互いを傷つけます。つまり「見せ
かけ、思い込み、祈る、続かない、裏切り、捨てる」行為を最後の最後で表現したのだと思
います。つまり「現実」を突きつけたわけだと思います。(誰に?とはいいませんが)です
ので、最後の二人のシーンと行動は必然だと私は考えています。それほど驚くべきところで
もありません。ただ、この文脈で考えれば二人のこれからはそう暗いものでもない気はしな
くもありません。シンジは泣いていますが「ここにいて、生まれてきてどうだったか」をま
た「考え続け」るのでしょう。

 以上が大まかな私なりの解釈です。鯖さん的には許せない部分は多々あるかとは思います
が、この文脈にのって『幸せをつくろう』を私が執筆したことは事実です。もちろん彼らの
結論の良し悪しを問うつもりはありませんし、作品の外の文脈へリンクさせるつもりもあり
ません。

 ただ、ここまで話しを詰めると「じゃあなんで『幸せをつくろう』のシンジとアスカは傷
つけあわないの?」みたいな疑問が浮かんでくるのですが……誰も気にしていないこと覚悟
で、スルーされること覚悟で一応解説します。そんなにややこしい話ではありません。
 
 それはつまるところEOEに乗ったと言えど『幸せをつくろう』がシンジとレイの物語だ
からです。旧劇場版の文脈だけではこの二人をこれほど密接に扱うことは不可能です。プロ
ローグとしてEOEを入れようと思ったと書きましたが、その理由の一つは、シンジとレイ
の物語であることの必然性を持たせようと思ったからです。EOEをカスタマイズして、ど
うにかこうにかシンジとレイの絆を取り戻そうと思ったのですができないのでやめました。
ですのでEOEに乗ったと言いつつ、彼ら二人の話であることは矛盾していると承知で執筆
しました。ただ、「綾幸」様で公開していただくのだから、それほど問題でもないだろう
とも思いました。
 最後の最後までシンジはレイのほうをむいています。「それが、僕が綾波にあげられる、
たったひとつのまごころ」「今はまだこれでいいと思う。だってこの想いがあれば十分だか
ら。」というのはそういうつもりです。EOEでは「他者」を求めて補完を終わらせるわけ
ですが、『幸せをつくろう』では「綾波レイ」への想いがむしろ補完を止めてしまうわけで
す。その彼にとって、そしてその彼の決断を見たアスカにとって、別に傷つけあう理由がな
くなってしまったわけです。この二人の関係を甘美ととるか冷淡ととるか、はたまたもっと
すごい想像力を膨らませるかは読者次第です。ただEOEの二人ほど磁力がないのは確かで
す。アスカの髪をなくしたのもこの辺に理由があります。


 たぶん以上は実際問題「作者としての責任」に関係すると思うので補強しました。私のE
OE解釈が必ずしも正しいものだとは私自身思っていなし、多くのご批判があるかとは思い
ます。しかし、この解釈のもと『幸せをつくろう』が成り立っています。もしかしたら火に
油を注ぐ形になってしまうかも知れませんが、そういう意図ほ全くございませんのでご容赦
ください。



【Date:】 13 May 2009 12:28:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

緒形様

長らく、しかもダラダラと「駄文」以前の問題なシロモノをお読みいただき、本当に申し訳ありません(汗)

そろそろ「落さねば」と思いつつ脱線に継ぐ脱線でした。が、そろそろ本題?らしきものを語って何とか仕舞おうと思います(汗)申し訳ありません。

>発言の方向性がやっと明瞭に見えました

恐縮です(汗)まあ、こんな乱文で「理解してください」等と申し上げるのは元々無茶苦茶且つ度厚かましい話でして…(我ながら無責任も甚だしい 汗)

>EOE解釈は全く私の独断によったものになっています

…なんと申しますか、現代日本における近代思想系の専門家の方とすればある種「必然・当然」と言う事になるのかもしれないのですが、おっしゃられた「解釈」こそその侭「略100%」、当時のポップカルチャーやライトな現代思想を扱う類の文芸誌(サブカル誌?)等で「執拗に繰り返し」当時の論者等が述べていた「正に其れ」なのです(汗)

着眼も理論付けの道筋も「そのまま、全く同じ」でした。デジャビュかと混乱する程に…(汗)

そして、当初「まあそう言う解釈もありなんだろうね」程度に流していた小生も「あまりにしつこく」それが繰返され、仕舞にはそれがパターナリズムや「その解釈に沿った補完指向者」の登場と彼等による、まあぶっちゃけて言えば当時のアヤナミスト「批判」(と言うより中傷? 苦笑)に結びつくに居たって、当初の

「いーかげんにしろよテメエら。」

に至る事となった訳でして(苦笑)今、「売れっ子」の某氏などには「人形愛者のネクロフィリア」呼ばわりまでされていた記憶がありますね(笑)

その頃になって、実に「甘い」話ですが、「パターナリズムと言う奴の悪質性」と言うものを「改めてつくづく痛感した」と言う話です(苦笑)

父権主義とは常に「権威的な保守主義者」の顔をしてやってくるとは限らない。むしろ「ソフトで物分りのいいリベラル」の顔をしてやってくることだって沢山ある…そして、「気づいた時にはもう遅い」。リベラルやアナキズムとは、保守主義に対立する「もう一つのパターナリズムの姿」に過ぎぬ、と。

真綿で首を絞められ、窒息させられる側の者にとっては、どちらでも大した差はありません(苦笑)

まあ、先ず第一に、当時感じた事は

「テメエらの解釈にそってそこまで罵倒される覚えはねぇよ。そんなに他人様の脳内に手つっこんで人格改造がしたいか?ふざけんな。」

と言う事であり、もう一つは、

「確かにそーゆー解釈ってリベラルかつジュブナイルだよね。しかし、それってレイは単に最後まで「都合の良い女=装置」として扱われて「キャラクター=一人の少女」にはなり得ないって事だよね。それを「ほっといて」、

「ありがとう。僕は君の御蔭で幸せになりました」

って言ったら、レイが「人格と言う意味でのキャラクター」ならば

「ふざけないで。わたしはあなたの人形でも母親でもないわ。呪ってやる。一生その荒れ果てた世界で後悔しながら彷徨えば良いわ。」

位は言うだろう。と言うか言ってもバチはあたらない、いや「言うべきだ」と言う話じゃなかろうか?

とも思った訳です(笑)

後半は後ほど(汗)<終わらないねえ…



【Date:】 13 May 2009 13:51:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 さぁ、なんだか盛り上がっております(笑)。ぶっちゃけ話は難解であり、果たしてどの
くらいの人がついて来ているのでしょうか。というか、正直ワタクシもついていけてない
わけなので(^^;)、下手に喰らいついたりせずに思うところを書こうかと。

■メタフィクション
 と言われると私が思い浮かべるのは狭義のメタ小説で、作者があからさまに出てくるタ
イプの小説か、劇中劇というのか、その物語は登場人物が芝居をしている物語であったと
いうタイプの物語です。わかりにくいですね。この物語はフィクションであると登場人物
が自覚的であると言えばいいのでしょうか。もっと広義には色々あるのでしょうが、私の
捉え方はこんなところです。

■「Shutdown」
 せっかく言及したので拙作「Shutdown」について(^^;)。
 これもまぁメタフィクションなわけですが、一義的には幾多のFFがチルドレンが芝居を
しているとしか思えないということに対するアンチテーゼとして書いたものだったりしま
す。やりたいことをやればいい、やりたくないなら嫌々やらなくていいんだよ、という。
 だから登場人物は作者に逆らうわけで、結果的にはメタフィクションですがメタフィク
ションを書こうと思って書いたわけではないのです。
 ちょっとだけ意識的だったのはLAOだの吐き気がするだの言われた「Running On Empty」
で、記憶が曖昧ですが当時は「俺」がエヴァの世界に入ってしまってエヴァに乗るとかそ
ういう話が流行ってた時期で、そんなのは興味ないし書きたくないけど、彼らがこっちに
来てそして帰って行くという話は書いてもいいかなと思って書いたものです。まぁそんな
話はどうでもいいんですが。

■パターナリズム
 という言葉は知りませんでした(^^;)。
 話がそれますがウィンドウズのフォントは濁点と半濁点の区別がつきにくく(そう思い
ませんか?)、「バター?」と思ってしまったのは私だけではないはずだ!

> 言論人等の言う「現実社会でのコミュニケーションのメタファ」

 そういう時代には私はこの界隈にはいませんでしたが、これは要するに

「アスカというキャラはエヴァという世界の中で(例えばゲンドウとの関連という意味で
も)唯一異質な存在で、いわゆる外部を象徴する(形式的にも外部から到来する)。シン
ジは要するに庵野だし、グレートマザーそのものであるレイを選択するというのは想像的
に補完されること、すなわち自閉的世界に止まることを意味する。エヴァという物語はい
かに外部に到達するかという物語なのであるから、レイを選択するということはエヴァを
正しく受け止めているということにはならない」

 というようなことであると思います(あってます?)。もう時効だと思うので書きます
が、これは三年位前に今は消えてしまったとある掲示板に私が変名で書いたもので、その
時も記憶で書いたので色んな言説が混じってるはずですが、元ネタは東浩紀ですね(そう
いやこのあたりのことはこないだの企画の総括にも書いたな)。
 念のために書いておくと、文脈的には、「だから?」とか「だったら正しく受け止めて
ないでもいいけど、それで?」みたいな感じで書いてます。

> 「こっちなら良いんだろう」「こっちなら癒してもらっても文句無いんだろう」に近い?
> 反応を示した様に見えた

 というのは、その方面には疎かったためか記憶にないです。

 もしかすると「いい加減にしろ」と言われてしまうかもしれませんが(^^;)、レイやシ
ンジやアスカやミサトや、他のたくさんの登場人物たちが必死に生きていこうとしている
から私も何とかやっていけるという自覚が私にはあって、そういう毛布を抱えていないと
やっていけない。自分で書いててもかなりキモいとは思いますが、だから彼らにも生とい
う道を選択して欲しいと思うのです。パターナリズムだかなんだか知りませんが、毛布を
抱えていたって良く生きていけるのならそれでいいではないか、趣味が読書だったり音楽
鑑賞だったりするのとどう違うのかと思うのです。それぞれが文芸書やクラシック音楽や
ロックやポストモダンという毛布をかかえてるわけでしょう?

■ようやく「幸せをつくろう」
 だから、それがたとえ夢の中であったとしても、彼らが幸せになろうと足掻いたことは
無駄ではないと思うのです。それが夢であると気づき、現実へと脱却したとしても、かつ
て夢の中にいたことを恥じる必要はないし、その事実から逃げる必要もない、と。私の解
釈に間違いがなければ、それが緒形さん言うところの「虚構は現実に作用する力がある」
であろうと。


 とりあえずこんなとこかなと。ポストモダンとか語るほど知ってるわけじゃないし、デ
リダとかラカンとかは、いしかわじゅんで、確かデリダ・ラカンの思想とかそんなような
タイトルで1ページの漫画があった(1ページで書けという無謀な依頼があったと本人も
書いていたと思う)という印象が強烈すぎて、必ず「デリダ・ラカン」とセットで思い浮
かぶ始末。どうかすると「デリダ・ラカン」という人かと思う(爆)。デュシャンなんて知
りもせん。メジャーな人なの?

 でもそういうことを知らないからといって「幸せをつくろう」が理解できないとか作品
性が損なわれるとは思わないけど。
 まぁそういう意味じゃ、レイに

――全てのシミュラークルは一者をもとに記憶資源から生み出され、流出し、生成
変化し、脱構築され、記憶資源となり、またシミュラークルが生み出される

 と言われて、

――うん

 と納得するなよとかは思うけど(笑)。



【Date:】 13 May 2009 15:43:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

tamb様

ご面倒をおかけします(汗)

>デュシャン

便器の人です(酷ぇ…っつーか説明になってねーよ)

マルセル・デュシャンと言うフランス・アメリカの画家・芸術家です(汗)
ダダイズムに走って市販品の便器を「レディメイド(既製品)」なるアートの
ジャンルだとして出展したっつー話ですな。

そういうダダと言うのは結局本質的に「一発芸」であって、「芸術と言う既成概念を
自ら否定する」と言う一発目のインパクトが全てで、それを今度は「したり顔で在り難がる」
様になったら「何の意味も無い」と言う事で(ほほほ 汗)

フォローなんかしたらそれこそ「アホか?」と言う話だよ?と言いたかった訳です(苦笑)
エヴァもかつて「其れに近いありがたがられ方」をしてたように見えましたので。

ああ、「便器」だ、と(酷いねつくづく 苦笑)

幸い、こっちの方はそう言う意味でのフォロワーは出ませんでしたが(笑)
(むしろ所謂「俺エヴァ」は色々言われつつも皆それぞれに頑張ってたし。ある意味本家より。)

補足

「俺エヴァ」とはエヴァ後、他のクリエイター等が意図する・せざるにかかわらずその影響を受けて発表した諸作品を指します、この場合。

まあ「ラー○○ォン」とか「ファ○ナー」とか、「ガ○○キ」とか「エ○○カセ○ン」とか(汗)

どれもかなり(非常に)好きな作品ですけれども(ほほほ)



【Date:】 13 May 2009 18:00:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

では、「後半」?をば(汗)


今更言うまでも無く、上記に述べた「疑問」だの「癇癪」だのは全て、「97年から数年間における当
時のエヴァ及びそのファンフィクション等を取り巻
く言説」に向けて発せられたものであり、緒形様の
御作にそれらの「文句」を向けることは「全くの筋
違い」であり、そう言うつもりで色々書いたのでは
ないと言う事はどうかお含み置き下さい(汗)

誤解を生んでしまうと非常に困った事になってしま
いますので…(汗)


単に、「その解釈と言うか言説は昔よくみたのを思
い出しました。中には嫌なヤツラが居ましてねぇ…
だから未だに苦手と言うか『食うと腹壊しちゃう』
体質なんですわ(苦笑)」と言う程度の「昔話」なの
です(苦笑)


或いは、正にtamb様の書かれた、

>「アスカというキャラはエヴァという世界の中で
(例えばゲンドウとの関連という意味でも)唯一異
質な存在で、いわゆる外部を象徴する(形式的にも
外部から到来する)。シンジは要するに庵野だし、
グレートマザーそのものであるレイを選択するとい
うのは想像的に補完されること、すなわち自閉的世
界に止まることを意味する。エヴァという物語はい
かに外部に到達するかという物語なのであるから、
レイを選択するということはエヴァを正しく受け止
めているということにはならない」

と言う下りも典型的なそれでしょうか。(あってま
す。)と言うかここで述べたパターナリズムとは概ね
この形の言説から始まる一連の理屈及びその強要を
指したりします 苦笑 しかしながらそれはある意
味単なるカップリングだなんだという「卑近な話」
に留まるものでもない、むしろ一番引っかかるのは
結局アスカと言うキャラが象徴する外部・他者とは
何処まで行っても「モダニズム・現代社会のパター
ナリズム=「こう言う人格が現代社会に適応した理想
の人格でありこれをめざすべきと言うお仕着せ」の
域を出ない、と言う事がむしろ最大の問題だったわ
けです。

「言われなくたって人間そうそう引籠もって生きら
れるもんじゃない。外部に到達だ何だと言う前提自
体が妄想的に過ぎるのだ。ヲタクだの何だのとステ
ロタイプに人様を欠陥品扱いしやがって。学者だの
批評家風情にんな事を説教される歳でも無いし、今
時の青少年どももオマエラが思ってる机上の空論よ
りずっとタフなんだよ。そんな特殊なケースを「一
般化」して増してや観客・読者に「シンクロ」を求
めてるんじゃねぇよ。こちとらそんな詰らねぇ説教
を見聞きしたくてテレビや映画みてたんじゃねぇ
し、物語読んだり作文書いたりしてんじゃねぇんだ
よ!」

「ほー、要するにレイ好きはキモオタの欠陥人間
で、アスカが好きなら自立した立派な社会人、って
か?どっちもキモヲタってんなら大した差はねぇし、
どっちにしろヒトサマにああだこうだ人格を指弾される程のこっちゃねぇだろうが。たかがヲタク趣味
の嗜好の別でで他人様をああだこうだ言ってんじゃ
ねぇぞこら?」

…とまあ、こう言う話にもなってしまうわけで、又、そう言われれば余計に、自分にとっては「アス
カ外部論」なるものは「サブカル言論人の迷惑な押
し付け」と「社会側からの脱ヲタク・パターナリズ
ム」の両方の色彩を帯びる訳です。

何でおれがオマエラに気に入られるように、オマエ
ラの企画に合わせて人格の自己改造なんぞせにゃな
らんのだ?と(笑)

…大体「正しく受け止める」ってなぁなんだよ、エ
ヴァってのはドグマをもった宗教か? お前等のやっ
てる事こそ正しく「自己啓発セミナー」だろうが(苦
笑) その「アスカ外部論による脱ヲタク・パターナ
リズム」こそあの「おめでとう」所のキモさじゃな
い、「正真正銘ホンモノの人格改造セミナー」じゃ
ねぇかよ。と(苦笑)

「ヲタクでもてないボクが辛いんです!」とかそーゆ
ー気色の悪い事、俺が一言でも言ったかああ? 或い
は、エヴァとはそう言う「泣き言言う心の壊れた
子」の為の教育プログラムであってそれ以外は「楽
しんだら駄目」なんか?


そんなもん商業ベースで公開すんじゃねぇよ、それ
ならさー…と、「おかしいでしょ? その理屈は。」
の連続が噴出してしまう訳です。



まあ、ユング「もどき」の理屈と言うなら、それこ
そこんな解釈だって可能と言うか、自分ならばこん
な風に読むでしょう。

ユングのアーキタイプ論から見るならば、レイ=ユイ
=リリスはギリシャ神話における「デメテル・コレ
ー・ペルセポネー」の三位一体に相当するキャラク
ターと言える。地母神であり、処女神であり又「娘
であり母である」。「龍退治」と言う概念からみる
ならばEOEとは明らかにその「失敗」の物語…「龍を
倒し、姫を得る」と言うプロセスを経て「成人に至
る」と言う「通過儀礼の物語」の失敗を意味してい
ると言えよう。小谷真理氏らが指摘する説に拠りそ
うならば、エヴァとはフェミニズム的な「男性性の解体」の物語であると言う事になるがEOEとはその結
果着地点を見失った「墜落」なのである。


幼年期の少年の中で未分化な「グレートマザー」と
「アニマ」は、やがて象徴的に「龍」として立ちふ
さがる「母」からその「娘」たる「アニマ」を分割
して奪い取る(自らの中での女性・生命の原点である
「母」と言うイメージから「異性」と言うアーキタ
イプを自らの自我とともに育て、やがて「母なるも
の」との臍の緒を切って別れ、アニマとともに
「旅」に出る)事で分化し、それが即ち「男性性」の
萌芽を意味する。「内なるアニマ」を認識すればこ
そ「現実における異性」と言う存在を男は「認識・
理解する」とすれば、「龍とは母」「姫とはアニマ=
異性」と言うアーキタイプの表象であり、「龍退
治」とは即ち「子供が大人=男になる」為の通過儀礼
そのものである。


とすれば…EOEとは即ち「龍退治の失敗」。母(ユイ
でありリリス)からアニマを「引き剥がし損ねた」少
年の眼前で「姫」は結局グレートマザーの胎内に戻
ってしまう(少年の未熟さ・異性を受け止め、思いや
る能力の欠如を知り、姫は再び原初に帰らざるを得
なくなる。姫を引き止めるだけの「絆」を、只管己
の事だけに固執し相手に無関心だった少年は持ち得
なかった。)

エヴァが「内面の物語」だと言うなら、太母に言及
しつつ、アニマ(アニムス)の概念に触れずに一足飛
びに「アニメキャラクター」を「現実の他者」と結
びつける論は余りに飛躍している…言わば熱狂的フ
ァンの妄言に過ぎぬ、と。アスカこそが「アニマ」
だと言える文脈を示しえない、と言うよりむしろ
「一人二役的な自問自答」に「対異性・対他者」の
問答の体をなしていなかったEOEではそう語るのは無
理だったのではないのか?と。


そして、むしろアスカは「他者」でも「アニマ」で
もない。言わば彼自身が「否定したくても否定でき
ない」彼の「慰め」そのものだったのではないか、
と。(大人になれなくても、現実に触れられなくて
も、否定されても「あたしはずっとアンタの中にい
るよ?」と言うメッセージ。自分が嫌いでも、ヲタク
はヲタクとして生きていくしかないじゃん。あんた
がアタシの存在を否定しても、無理に突き放したり
悪いほうにばかり考えても「アタシはあんたの中に
居るよ?」と。それはそれで「優しいメッセージ」で
はある訳で。)

長くなりすぎたので矢張り切ります(汗)



【Date:】 13 May 2009 19:52:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

まあ、上記は「どうとでも言える」と言う話の一つの例と言いますか…(苦笑)

それこそ「どうでもいい」話です。現に、LASブームが97年頃から熱狂的に起きていた辺りでは、東氏?辺りのそう言う言説が、結局は「ステロタイプな甘いLAS・FFに耽溺する」行為を自己肯定する口実として使用された様な事だってあった訳です(苦笑)

そうなってくると「何が現実回帰なの?悪化容認の口実になっとるんと違うのか?」と言う様相を呈して参ったりもする訳で…

所詮、「どっちのキャラだから現実回帰だ」と言うアホな話を「大真面目に」趣味の場に持ち出して仕切ったり、説教したりするというのが「大間違いだ」と言う話なのでしょう。

と言うかそんなに「現実回帰」がしたきゃFFなんてヲタクの遊びからはさっさと足を洗え!と(苦笑)
たかが「ツンデレ萌え」か「クーデレ萌え」かなんてレベルの話で「人間観」や「コミュニケーション論」まで語ってどうする…

単に、お前等にはそーゆーキャラが「必要」ってだけだろ?俺は「あーゆー子の話」が好きなんだよ。自分の中においてその方が多分「必然性がある」からな…と。

アニメ作品やその評論、あるいはFFで「こんなことをしていては駄目」と語り「堅気になれ」と説くのは結局、「そう言う行為」を否定的に捉えていたり「自ら恥じていてやめたいと思っている」と言う事に他なりませんし。

あの頃、FF界隈で盛り上がって呑み仲間にもなって下さったある古手の作家さんと、色々議論で盛り上がった挙句言われたことがあります。

「これで鯖さんがLASの方に来てくれたら言う事ないんだけどね」と(苦笑)

…それは「無理」(苦笑) だって、そもそも…それくらいならエヴァFFなんてさっさと足を洗う。書きたくも読みたくも無いものを書く動機なんてないし興味も無い。レイが好きだから読んだり、書いたり書こうとしてるんだもん。わざわざ他人のふんどし借りてまで。じゃなきゃ最初からオリジナルで、自分の興味の赴くままの内容を書いてるよ。

レイを描く為にLAS描写が必要だというなら「読んだり書いたり」するかもしれん。が…それは「手段」であって全く「目的じゃない」。

そして、そもそも…恣意的な「EOE現実回帰論」において描かれるレイは、殆どすべからく「お人形」そのものじゃないか、と。



【Date:】 13 May 2009 20:17:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

そう、「お人形」なんです。EOEに於けるレイは。完全に。感情も感覚もそぎ落とされた正しく傀儡に過ぎない。

一話で血まみれの侭苦痛に呻き、それでも出撃しようとした、予想外の奇襲に普段のクールさからみれば「意外」とも言える悲鳴を上げた、血の通った少女では既に無い。片腕が抜け落ちても顔色一つ変えない、「無痛症」の少女と化していた。

そして、シンジのみたイメージ世界の中で語る彼女は最早只の「スピーカー」と化していた。シナリオを進行するための文字通りの「装置」です。

一聞して「希望」を語るその台詞に最早「なんの情動も存在しない」。うわ滑る「口先の観念論」に過ぎない…冗談じゃない。そんなシロモノを見せられて「納得」なぞ出来るか?と。

もしかしたら、シンジが「ポクちゃんイズム全開」の自己補完妄想を見ている間に、「そう、また見捨てるのね。あの人のように。あのときとおなじように。」と「小奇麗に整えられた都合の良い観念、ではなくリリスと融合した生の肉」としての彼女は呟いて呪ったかもしれない…と言う方がむしろ「求める彼女の姿」かもしれない(苦笑)

小奇麗に消えられても困る。異形となって、人を喰らう怪物としての姿をさらしても「肉として生きて」欲しいと。その、仕舞いこんで押さえつけた「エゴ」を思う存分ふるってほしいと。俺はそんな君の姿を見たい。その姿をこそ愛すると(苦笑)

さあ、そこの薄情な、君をうっちゃって自分だけ生き残ろうとしている、自己嫌悪の台詞を吐く割にはご都合主義全開な自己中小僧を頭から噛み砕いて喰ってしまうと良い!

まあ極論ですが(笑)

EOEは全くと言って良いほどレイの存在を「感じない」物語でした。あれだけビジュアル的には派手に巨大に暴れているにも拘らず…そこには何の情念もなかった。それで、後は口先の台詞で「納得しろ」と言われても…「無理」。

ただ、崩れ落ちる彼女の首から血が迸るシーンがあまりに痛々しく、無残で哀れだった事と(二度も、男に裏切られて死んだのですよ。彼女は…)、その後の首締めの修羅場とすすり泣きの「生加減」だけが素晴らしい作品だった(苦笑)

これでシンジが「ぼくしあわせになります」等といおうものなら「市中引き回しの上ノコギリ引き」もんです(苦笑)「お・ま・え・は、自分の犯した罪の意味を理解しているのかなあ?」と(笑)

死んだ女に用は無い。尽くさせて消えてくれたら後釜はいくらでもいる、って男は「刺されても文句は言えんだろう」…と(苦笑)




メンテ

Page: 1 |

Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう ( No.1 )
日時: 2009/05/31 00:00
名前: Various


【Date:】 13 May 2009 20:38:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

一部修正。

>>20
>まぁそういう意味じゃ、レイに

レイじゃねぇや(爆)。
レスは後ほど(するかもしれない 汗)。



【Date:】 13 May 2009 20:54:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

ま、結論としては、EOEとは、

EOEに至るまでは「自分の物語の中の他者」であった筈のレイの状況や情念すら「無視して、気付こうともしないで」、只管「我が身の不幸」を嘆き、とりあえずヒステリー起こしても自分に「独占欲と言う名の好意・執着」を示す(とあの精神世界?の中でシンジが見なした)アスカとの「修羅場」で自己憐憫に浸る…そこで今度は「自分に都合の良い包容力を示すレイ」に「やさしく諭される」…

ど・こ・ま・で 自分に甘く他者に無神経な話なんだ…と(苦笑)

そんな状況で「傷つけられても他者を求める」決断の勇気、とか一歩、と言われても、それでレイは首切り落とされるし世界はなんかエライ事になってるし…

あれで「希望はあった」「良かった」と言ってる人たちの発想は「どーなっとんじゃ」と思った訳ですね(苦笑)『俺は未成年の犯罪者には厳しいんだよ!』と思わず言ってしまいそうになります(笑)

更生、ってのはな…テメエの罪を悔いて、テメエが手に掛けた相手の事を決して忘れずに日々心がけて、一生かけてやるもんなんだよええ?というのは脱線ですが(苦笑)

結局、「都合の悪い存在」…「人造人間、モンスターとしての得体の知れない少女」と言う意味でのレイをシンジは「一度として受容していない」!拒絶し、逃げて、結局「わがままと事態収拾の道具」として使い捨てて「希望なのよ」と言うなーんか物凄く「都合の良い理由」で「もう用済みだからいいや」とやっている(苦笑)

これで「他者との云々」と言われても…全く説得力の欠片も無い(苦笑)そして、それを「肯定的に再生の物語」として読み解き批評として語った人々の「他者」観と言うのも…まあ、実に都合の良いものじゃあないか…と。

なんだか「更生した少年は被害者の事は忘れるべき」と言う理屈に「それは更生って言うんだろうか?」と言う根深い疑問を抱いたのと似た「ざらつき」だけが残ってしまう。

そんな印象を「ずっともっている」訳です。
EOE現象、と言うものには。

まあ、そんな「感覚」が勝手に呼び覚まされてしまっただけの事で、これは…前述の如く緒形様の作品とは「何のかかわりも無い事」なのです。

純粋に小生の「思い出」を、こんな記憶が呼び覚まされました…と再びの語り草にしただけの事なのです。

ほんとうに御迷惑をお掛けしていると反省だけはしています(汗)

「こんなものは感想とは言わない!」とお叱りを頂くのを覚悟で、ついつらつらながながと書いてしまいました。

恐らく呆れていらっしゃる事と思います。お付き合いいただき、本当にありがとう御座いました。



【Date:】 14 May 2009 00:00:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 『幸せをつくろう』を書いた者としての願い(?)と、緒形個人としてのちょっと考えて
みたところをつらつら書いてみます。

 tamb様

>これは要するに〜というようなことであると思います

 この手の「常識」がない私に大きな助けとなりました。なるほど、そう考える人もいるん
ですね。私の「解釈」と重なる部分もあるのでしょうが、私はこの発想には行き着きません
でした。

>まぁそういう意味じゃ、レイに

>――全てのシミュラークルは一者をもとに記憶資源から生み出され、流出し、生成
>変化し、脱構築され、記憶資源となり、またシミュラークルが生み出される

> と言われて、

>――うん

> と納得するなよとかは思うけど(笑)。

 後に修正されていらっしゃるのも拝見しました。十分伝わるので大丈夫です。

 この指摘は痛いです。ごめんなさいとしか言えません(泣)甘かったですね……もう少し
別のセリフが必要でした。
 痛いですがこういうツッコミはとても参考になるのでありがたいです。

 鯖様

 やはり年季が入っていると違いますね。鯖さんの想いの強さに感服いたしました。
 呆れるはずがありません。参考になりました。

 その「状況」を体験していない私としては、うまく想像力が働かない部分もありますが、
様々な取り交わしがあったことだけは漠然とではありますが想像できました。「上記に述べ
た「疑問」だの「癇癪」だのは全て、「97年から数年間における当時のエヴァ及びそのファ
ンフィクション等を取り巻く言説」に向けて発せられたもの」であることは私自身ちゃんと
理解しておりますので、その上で少し思ったところを書いてみます。

>と言うかここで述べたパターナリズムとは概ねこの形の言説から始まる一連の理屈及びそ
の強要を指したりします

 話しがややこしくなるのであまり深くは掘り下げませんが、サブカル界が持っていた「パ
ターナリズム」とは別に、もう少し一般的な視点で、というよりもう少し話を広げて考えて
みると、私としては「パターナリズムの連鎖」にいつも慎重でありたいと考えています(感
情論的には鯖さんに近いと言うのはそれを指しますが)。
 FF界(というより作品内)でもパターナリズムは特に綾波レイを扱った作品に多く「追
いかけて」くる傾向があります。というものシンジ(もしかしたら作者)の「幸福観」を、
綾波レイに押し付ける場合があるからです。彼女の設定(ヒトではないとか、部屋がやばい
とか、食事がおかしいとか)を「利用」して、「人間らしい」生活を「させてあげる」よう
な状況のことです。かなり意地の悪い言い方ですが、これも一種のパターナリズムですね。
(その多くが「料理」や「掃除」や「洗濯」など「母性的なもの」の体裁をとっていること
は不思議なねじれですが)
 もちろん、重要なのはそういったパターナリズムが見られるかどうかではなく、話そのも
のに強度があるかどうかなので最終的には関係のないことなのですが、「パターナリズムの
連鎖」のようなものが見られることだけは気にしていても悪いことではないと思います。こ
の手の話は今作よりも『アイのあいさつ』とそのコメントで重点的に考えたことです。
 『海辺の生活』を勧めてくださった鯖さまはこのあたりに敏感なのではないかと勝手に想
像してみました。

>そう、「お人形」なんです。EOEに於けるレイは。完全に。感情も感覚もそぎ落とされた正
しく傀儡に過ぎない。
 
>ただ、崩れ落ちる彼女の首から血が迸るシーンがあまりに痛々しく、無残で哀れだった事


 このあたりの見解はもしかしたら鯖さんと私の大きな相違点かもしれません。『幸せをつ
くろう』にも関係してくるので少々。議論をふっかけているわけではなく、作品の解説がし
たいだけなのでご容赦ください。
 綾波レイの「二人目」「三人目」論はとても不毛で生産性がないと思うのでしませんが、
私は「綾波レイ」は23話で死んだと思っています。それは生物学的にどうとか倫理的にど
うこうと言う話ではなくて、製作者としては「希望」としての綾波を消し去り、シンジに絶
望を与えることを意図していたと思われるこの話以降、彼女を「生かしておくわけにはいか
ない」と思うのです。ですので「いや、三人目の綾波だって記憶があるから綾波だ!」とか
「三人目は二人目とは違う!」という議論以前に、シンジに少しでも希望を残すなら23話
でもっと別のアプローチをしていただろうと私は思います。トウジがテレ東の規制を受ける
前の原案や貞元版では死んでしまうのと同じレベルの話です。
 ですので私としてはEOEで綾波レイ(リリス)が、綾波レイらしからぬ行動をしたとし
てもまぁ仕方ないと思っています。鯖さまのおっしゃるとおり装置ですね。あのやり方はな
かなか意地悪だとは思いましたが(笑)
 もちろんFF内ではどう設定しようと自由ですが、少なくとも本編に沿うのであれば、私
なら他のプロットを考えます。
 『幸せをつくろう』の1〜5に出てくるレイはシンジが願っていた綾波レイ(ある意味都
合のいい綾波レイ)です。3の“物語”の影響や4でシンジが頑張ることが幸せを掴むこと
の経過になっているのはそういう意味合いを含ませてあります。その過去を「受け入れる」
ために5があるわけですね。

>(二度も、男に裏切られて死んだのですよ。彼女は…)、
 
>結局、「都合の悪い存在」…「人造人間、モンスターとしての得体の知れない少女」と言
う意味でのレイをシンジは「一度として受容していない」!

 上の延長です。シンジがレイを「受容」する必要があるかはどうかを、私は少し悩んでい
ます。本編では二人の描写が少なすぎたので……貞元版では二人の交流がかなり丁寧に描か
れているので説得力がありますが、少なくとも旧劇場版の時点では私はあまり想像できませ
んでした。このあたりも『アイのあいさつ』のコメントで書きましたしテーマの一つでもあ
ります。
 それと、5に関係することなのですが、私としては23話以降シンジがレイを避けるよう
になったのは、彼女が「ヒト」じゃないからとか、いっぱいいたからとかではなくで、目の
前で「崩壊」(リツコ的には「破壊」)する様を見せられてしまったからではないかと思っ
ています。自分の大切な人が目の前でバラバラ(頭や腕や足が引きちぎれ、目玉や臓物が飛
び出し、肉塊と化していく)にされたら、その人はどんな気持ちになるのでしょう。それも
大量に。シンジはレイを見るたびにそのことを生々しく思い出してしまうため避けているの
だと思います。5ではそうはなりませんでした。

 そしてなぜ「これは…前述の如く緒形様の作品とは「何のかかわりも無い事」」とおっし
ゃられたことをわざわざ蒸し返すのかと言うと、鯖さんの強大なコメントに『幸せをつくろ
う』が押し潰されないようにするためです(笑)無礼を承知で作者としての願いを少し書き
ます。

 もしかしたらコメントを見てくださっているかもしれない読者の皆様

 しばらくEOE(エヴァ)解釈やそれに付随したコメントが続きましたし、私自身その方
向でお答えさせていただきました。しかし、EOEに直結するような要素を持っているのは
『幸せをつくろう』では6だけです。他の話はさして関係ありません。
 謎解き(もしくはカタルシス?)が6に集中しているため、もしかしたら6のインパクト
はそれなりに強いかもしれませんが、実際のところ6は重要ではありません。NO.13のコメン
トに「サードインパクト(もしくは人類補完計画)を二次創作の手法を使って表現する」と
書きましたが、重要なのはそのサードインパクトを表現しようと試みた1〜5です。そして
シンジがどういう行動を取るかの結論は、一応は5の最後の時点で出てしまっているわけで
す。6は風呂敷をたたむために用意された、いわばエピローグのようなものです。
 恐らく、読んでいただいた方々の多くは1〜5を読んでいる間「??」となったと思いま
す。その「??」となっていたときの印象(「くだらん」とか「もしかしてこうかな?」)
を私は知りたいと思っています。tambさんにレスがつけにくいと言われてしまいましたが、
それぞれの話し自体はごく普通のFFだと思います。その、それぞれのFFが読者にとって
どのくらいの強度を持っていて、全体としてみたときにどのように見えるか(こんなのは全
然甘っちょろい!いや、結構シンジ頑張ってるじゃん!3だけは好きだ!全部退屈!等々)
そして補完機能を持っているかどうか、それが私が知りたいところです。ただ、そんなこと
考えるほどの強度も魅力もないと言われてしまえばそれまでですが……
 
 そして、細かいレベルでもいろいろ散りばめたつもりです。No.5のコメントでD・Tさん
が「アスカが、シンジの左頬をなでて御飯粒を取るシーンがすごく良いです。不気味だと感
じました。映画のラストシーンを、ここに持ってくる事に何かの意味がありそう。」とおっ
しゃられたのを見て私はもったいないことをしたかな、と思いました。その読みを私は想定
できませんでいたが、アスカとシンジに関してはそういう伏線をもっと張ってもよかったか
なと思っています。少なくともこの時点で「映画のラストシーン」を想起されたD・Tさん
は素晴らしいです。そういう細かいレベルの要素を少しでも触れようと、今回鯖さんのコメ
ントに合わせた形でいくつか解説してみました。私自身の解釈の正当性には全く興味ありま
せんが、この小説の中でどれだけの役割を果たせたかは気になるところです。

 
 以上ですが、要は見るべきところは1〜5にある!ということです(笑)でないとこんな
長い物語になりませんので。無理に感想を求めるわけではありませんが、ご理解だけいただ
けると嬉しいです。

 いつもながら長々と失礼しました。



【Date:】 14 May 2009 01:18:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

すみません、捕捉です(汗)

と言うか、その「パターナリズム」について折角振っていただけたので何も書かずに済ませてしまうには余りに惜しい…(笑)

すなわち、
>というものシンジ(もしかしたら作者)の「幸福観」を、綾波レイに押し付ける場合があるからです。

のご指摘ですね。素晴らしい!

まさに、「我が意を得たり!」です(笑)実は、それは小生にとってのFFに関する重要な問題?となっているからです。これも十年越しで思っていたことですが、常に苛立つことは

「何故、ありのままのレイを受け入れることを考えないのか?」

と言う事でもありました。彼女が苦痛を感じてまで「ヒト」になる必要はない。むしろお前(シンジ)が「人外の女神」にいかに寄り添い生きるか、そっちの方を考えろ!と(苦笑)そして「人間の価値観」と言う狭い枠から一皮向けた男にならんかい!と(笑)

その辺のパターナリズム批判と言うのも、実はすでに…有名な高島氏の「かくしEVA」に対する罵詈雑言に近い批判を小生がカマす、と言う見苦しい形で延々とやったりしていたのです(苦笑)

アスカに憧れながらレイに対して「父親」の如く「人間的価値観」を「教え込む」シンジ、と言う物語は小生の如き輩に「到底受け入れられるものではなかった」訳です(苦笑)そして、あまりに其れに対して「純粋かつ従順な」レイと、そのレイの「人形」振りに内心物足りなさを感じ、アスカと常に比較しているようなシンジ…まあ「おふざけで無いよ!」みたいなことは言いました、散々(苦笑)

大人気ない、とはまさにこの事ですが(苦笑)

まあ「自分で勝手に人形として描いといて、しかもその「欠損」とやらにコンプレックスを持ちつつ、アスカの方ばっかり見ているシンジに一途にほれているレイ」???

舐めとんのか?などとつい言ってしまった訳です(苦笑)なーにさまのおつもりで?とか(苦笑)

こう言う事もあって、その種のパターナリズムは…激しく「拒否反応」を喚起するネタの一つだったりもします(笑)

まさにその「価値感の押し付け」は小生にとり時に耐えがたく、又「不遜に感じる」事著しい、と言うケースもままあるものでしたので。

「ありのままの、貴女の全てを受け入れます。だから、どうか傍に居る事を許して欲しい。」

こういわなければならないのはシンジの方だ…と言うのは、小生の常々主張する所です(苦笑)

(その種のネタで色々書こうと試みて残骸があちこちにチラホラ今も転がっています 苦笑)



【Date:】 14 May 2009 05:14:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 時間もないのでひとつだけお二方に聞いておきたいんですけど――真実のレイ(ありの
ままのレイ)とは何かというのが解釈論に発展するという問題は保留にするとして――
「いわゆる言論人→おたく」のパターナリズム(なにぶんにもこの言葉はこのスレで知っ
たので、用語の使い方に問題があれば使い方に問題があればご教示(教授?)下さい)は
「シンジ→レイ」(あるいはそれを描く作家→レイ)のパターナリズムに直結すると思わ
れますか?
 ちゃんと読めてないんで外してるかもしれませんが、今そこにいるあなたの全てを受け
入れるというのは成長の否定にも読めるんで。もちろん成長というのは誰かに押し付けら
れてするもんじゃないってのはその通りですが、だからといって一人で何もかもを悟るの
も無理だと思うし。

 返信は24時間後以降になります(汗)。

 ついでに緒形ゆうさんに私信。
 懸案事項、忘れてません。これも24時間後以降の対応になりますが(爆)、ひとつご容赦
のほどよろしくお願いしたく。



【Date:】 14 May 2009 09:51:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

tamb様

延々と申し訳ありませんでした。
又、時に他サイトの過去作品に関する危ない発言等、キワドい事ばかりやってすみません(汗)

>直結

「相似形」である事は間違いないと思いますが、必ずしも直結とは限らないかもしれません。繋がっていてもよく「捩れた」形に成っている事もあると思います。



「幸福観の押し付け」←(作者乃至ヲタク)←「ヲタクの男性至上主義的発想(ギャルゲー的な)への言論人の批判に基づく脱ヲタ論」

これだと「捩れた二重のパターナリズム」となりますね。「男性中心主義」的パターナリズムと、其れに対するフェミニズム(メンズリブ)的パターナリズムの強要と言う二重構造ですな…

そして、過去を見る限り、「ヲタクを容認した上でメールショーを正す」と言うのではなくいきなり「ヲタク否定」に行く、と言う様な発想になってますね(苦笑)同様の形はエヴァFF関連においては「レイへの父権的価値観強要的作品」←「だからLASの方が民主的」(猛爆&苦笑)と言う物凄い論法もあった様な(苦笑)

…大体、その作者氏ってLAS書きじゃん(苦笑)と言うオチが付く場合もありますね(ほほほ)要するにマッチポンプ(自作自演)だったりする訳ですが、そう言うレイ像に抵抗の無い読者さんもあったりするのでまあ「色々」と言った所でしょう。(個人的には無論言語道断だと思ってますが 苦笑 あんた、自分の好きな子が無口だったりあんまり反論しないからって、相手のしたくないことをさせてそれで嬉しいか?と。躾・教育っつー理屈で相手の人格を認めないんだったらそれは恋愛じゃなくてDVだよ。つーか「アンタ、アスカのファンだろうが」。俺等の姫を勝手にあんたらの基準に合わせてるんじゃねーよ、とか 苦笑)

と、それは脱線ですが(苦笑)

まあ、「ヲタはヲタとして」、出来うるならば「綾波にん、LRS人ならばなおの事、相手の小さな声に耳を澄まし、いつもその気持ちを汲み取り考え続ける事を優先して欲しい」とは思いますねえ(笑)

だって、あたしらは「耳を塞いでいても聞こえるデカイ声」よりその「小さな、囁くような思索と感性」をこそ愛し選んだ訳だから。たとえ激しいノイズの中だって「耳を澄まし続ける」責任があるんじゃないかと思う訳です。

>今そこにいるあなたの全てを受け入れるというのは成長の否定にも読める

世界に本当に二人しか居ない、と言うならばそうなってしまうかもしれません(笑)が…小生の思うに、先ず忘れちゃいかんのは「世界は二人きりではないし、そんなことはありえない」と言う事だと思います。逆に「本当に二人だけになっちゃったね(世界の破滅等で)」と言うなら余計に「型に嵌った成長の必要・意味自体既に無い」(苦笑)

LRSの世界においても、其処に生きているのはレイとシンジの二人だけ、と言う事はまず「考えられない」し、レイが人間社会で生きていくと言うならば、彼女は今まで以上にたくさんの人間と接し、関係を持たざるを得なくなり、考えたり驚いたりする事になると思います。必然的に…

そうした時、普通に考えれば「人間と言う生物やその社会とどう付き合っていくか」と言う事を自ずから彼女は考えざるを得なくなる、と言うのが本筋だと思うのですよね。つまりそれは「シンジが勝手に、専売特許的に教えるような事じゃない」。

むしろ、オメーの役割は一緒に悩んだり、困ったりしてレイを支え、そして人間社会に傷付いたり、違いに困惑したりするレイを「ありのまま受け止めて支える」事だろう、と。

先回りして勝手に「自分のやり方」を教えてんじゃねーよ、と。「成長の為の教師」は社会や環境そのものであり、シンジは「其処についていって支える」だけでいい、と。そもそも本人自身が成長途上のひよっ子の癖になに「教師面してんだ。百年はええ!」(笑)

…と言うか、FFに屡「社会」と言う概念が希薄だと言うことこそが問題の焦点なのかもしれませんね。社会や他の人々は「風呂屋の割書き」ではない。其処にいて、「君等(レイとシンジ)と関って、一緒に生きているんだよ?」と言う視点が欲しい。

教えてくれる人は「他に一杯居る」と思う訳です。関っていけば自ずと。だから「シンジが何もかも自分の乏しい経験で伝える必要は無い」し、むしろ「一緒に考える」事の方が必要だと。

成長とはマニュアルではなく、結局「その社会の中にどう入って行くか」と言う事だと思いますので(笑)



【Date:】 14 May 2009 10:09:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

そういえば、緒形様の「食事がおかしい」ネタがでましたので…

異世界設定ネタですが、小生の駄作で「レイの食習慣に合わせて自分も完全ベジタリアンになってるシンジ」と言うネタを書きました、前に(笑)

菜食料理は得意、と言うかどんどんバリエーションが増えるてな感じで(笑)



【Date:】 15 May 2009 04:26:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 tamb様
 
 私なりにも一応考えて見ます。

>「いわゆる言論人→おたく」(中略)は「シンジ→レイ」(あるいはそれを描く作家→レ
イ)のパターナリズムに直結すると思われますか?

 直結する……「いわゆる言論人→おたく」と「シンジ→レイ」は直接関係あるのか、と言
うことですよね?個々の作品で検証しないとはっきりした答えは出ないと思います。ただ、
「人間らしく≒社会的適応能力を持つ」をシンジがレイに「強要(お願い)」する以上は、
影響関係はともかく方向性は同じなので関連があると見ていいと思います。言葉は違います
が、内容は鯖さんと近いですね。

>今そこにいるあなたの全てを受け入れるというのは成長の否定にも読めるんで。もちろん
成長というのは誰かに押し付けられてするもんじゃないってのはその通りですが、だからと
いって一人で何もかもを悟るのも無理だと思うし。

 たぶんここからは鯖さんとは少しスタンスが違います。感情論的には近いが、立ち位置は
曖昧と言うやつです。加えて、せっかくですので私は作品論的な視点から考えてみたいと思
います。

 まず前提として、私は彼ら(言論人にしろシンジにしろ)のパターナリズムに怒りを覚え
ると言うことではなくて、慎重であった方がいいと思っているだけです。極論すれば、シン
ジがレイを100%「お世話」したとしても、多くの読者(というかこの場合は私が、なの
かな?)に納得の行く形で彼らの幸福が描かれてしまえば、何も言えません。たぶんこれを
突き詰めると「ご都合主義」批判にしかならないと思うので、少しアプローチを変えます。
 例えば、貞本版のシンジとレイの関係にはパターナリズムはないと見て差し支えないでし
ょう(彼女が「綾波レイ」らしいか、という議論はとりあえず保留)。とくにシンジが彼女
に対して何かを意図しているわけではないからです。でも彼女は確かに変化しています(成
長(とか進歩)という単語はここでは避けますが)しかしシンジはちゃんと彼女が変化する
きっかけにはなっています。シンジがレイの部屋にプリントを届けに行ったとき、レイがシ
ンジを止めるのがもっとも象徴的なエピソードだと思います。まぁプロの仕事ですからって
言えばそれまでですが……
 ここからは私の勝手な考えです。シンジもレイも同世代でそれぞれいろんなもの抱えてい
る以上、本編の設定を崩さないのであれば、さまざまな状況を経たり影響を与え合ったりし
て一緒に「成長」(受け取りようによっては「モダニズム」に引っかかりることばですね)
することはできても、どちらかがどちらかの「成長」を一方的に促すことはできないと思っ
ています。というより、できなくはないが説得力を添える上で困難が伴うと思います。(私
はどちらかがどちらかのスタイルに合わせる(を受け入れる)ことが必要だとはあんまり思
っていません)
 鯖さんも言及なさったし、わかりやすい例なので「食事」で検証してみたいと思います。
シンジがもちまえの料理の腕(この妥当性はとりあえず保留)で彼女に食事を作り、「こん
な食事はじめて」とか「あたたかい」とかで感動し、彼女は料理をシンジに教わる、みたい
なプロットを考えてみたとします。私のような偏屈な人間だとその光景は「この話では綾波
レイはまともな食事を口にしたことがない可哀相な子として設定されている」ように写りま
す。なぜなら本編でもにんにくラーメンチェーシュー抜きを迷わずオーダーしていて、貞本
版でも4巻でカレー(?)をパクっとしていて、しかもゲンドウとも食事をしているらしい
彼女が、シンジたちとかけ離れた食生活を送っていることに妥当性を感じないからです。シ
ンジたちは展開上食事の場面が多く、確かにレイの食事の場面の描写は乏しいですが、たぶ
ん、レイの食事の場面を挿入する方のがむしろ不自然でしょう。必要ないので。つまり、食
事に関しては二人はたぶん大差ないのでその点でシンジがレイに「成長」を促すことは困難
だ、と私は思っています。(まぁ、レイが料理をそうやすやすと始めるか、という問題もあ
りますが)
 あげればキリがないのでやめますが、私はエヴァはそんなに隙だらけではないと思ってい
ます(笑)まさに今ぱっと思いついただけなのでただの勘ですが、「綾波育成計画」とかの
影響がもしかしたらあるのでしょうか。やったことないのでわかりません。

 などとつらつら描きましたが、実際のところ私自身ちゃんとできているとは思っていませ
ん。また、妥当性はなくでも強度がある作品は実際たくさんあります。結局は各々の読者が
どの観点から見ているかにかかっているとも思います。ただ、作者がもつ「読者の観点」が
広がったらそれはそれでいいことだと思います。悩みも増えるかもしれませんが(笑)

 それと私信も了解です。



【Date:】 15 May 2009 09:06:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

>「成長」とモダニズム

流石、鋭いですね(笑)それも又昔非常に引っかかっていたネタの一つでした(苦笑) まあ、今はあの頃ほどラディカルに「成長や啓蒙と言う概念を全否定する」所までは考えなくなりましたが…

(尤も、現在も「啓蒙主義・進歩主義自体は所詮実態無き机上の空論」的な事はしばしば言いますが 苦笑)

が、「社会の進歩」だの「近代が提示したあるべき人間観」なるものは否定したとしても、「生物は新たな状況に直面すれば学習を元に個個にそれに適応する」事は間違いなく、それを「成長」と呼んでいるケースであればそこまで否定するのは馬鹿げている、とは思ったわけです(苦笑)

まあ、当時の「全否定」はああだこうだ言われつつも「リベラル側のパターナリズム」の源泉の一つになっているフロイト先生だの精神分析だのが振り回されていたので「それこそ厳格なジューイッシュの家庭で父権的道徳観を身に着けて育ったフロイト先生の美徳と同時に限界でもあるっつーのはさんざん言われて来たんじゃなかったっけ?そもそもフェミニズムと親和性のある事を良いつつ、それに気付かない…と言うより日本のフェミニズム自体が典型的な西洋のパターナリズムに支配されて居る事になんで貴方達は気付かないんだい?」等好き勝手にカマしていた流れの上での話でしたので(苦笑)

「成長」と言うより「変化と適応」と呼んだほうが正しいのかもしれませんね。

>食事

どうもそういうFFではゲンドウなりリツコなりを「非人間的」に捉えすぎてる様に思うんですよね。

例えは悪いけれども「アウシュビッツやラーゲリの看守だって、クメール・ルージュの兵士だってみんな一人の人間として家族愛も隣人愛もそれなりには持っていた。別に100%機械や悪魔だった訳じゃない」(苦笑)と言うのと同じ意味で「許されざる計画」のモルモットとしてレイを生み、育てていたとしても「彼女への愛や情」が彼等に全く無かった、と捉えるのは幾らなんでも余りに極端だと思うのですよね。

まあ、ゲンドウは言うまでも無く、「歩く機密の塊」であるレイを外部に晒して情報をダダ漏れにする事は避けていたとしても、ネルフの中で一緒に食事とか不器用な愛情は見せていたんじゃないかと思うんですよね。只、ユイの代替とか「大事な鍵」と言うだけの意味じゃなく。

ラーメン喰いに連れてったのだって恐らくゲンドウ以外考え難い(苦笑)育ちが良くない一面のある彼が「はぐれ者」時代に屋台ラーメン等で日々糊口を凌いでいたと言うのは想像しやすいですし、レイに何か「おいしいもの」を食べさせてやろうと思ったら「他に思いつかなかった」のかもしれません。

だから、レイにとって「ラーメン」は「いまよりちいさかったころそとで司令と食べた」大事な思い出の一つであるが故に「それなら食べられる」と言うより「外食=ラーメン」であり「たのしくなるごちそう」であったのかもしれない…

等と言う方が物語としては「面白い」んですよね(笑)

逆に、「屡、ゲンドウにつれられて結構良いもの食べてる」可能性もありますし(笑)VTOLで送迎の公私混同、シェフには予めレイの嫌いor食べられない(同時にバイタルに悪影響を与えそうな栄養素等の排除)ものを伝えて「高級店貸切」状態で食事してる…と。只、レイには「高級店や権力の蜜」と言う概念は全然理解できてないので「そう言うものなのだろう」とか「ラーメンのほうがおいしかった」とか思ってたりとか(笑)

その手の展開だって「幾らでもありうる」んですよね。(レイが碌なもの食べてないと勝手に思い込んでいたシンジが、当たり前のように使用限度額無しのカードを使い、そう言う世界を知っているとしって愕然、と言うネタも面白いかも 笑)

まあ、何にしても「想像力の乏しいほうへ」行きがちになるより「ネルフ」と言う巨大権力の中枢に居てそだった彼女のあれこれをもっと想像してみるのも面白いかと思いますね(笑)



【Date:】 16 May 2009 07:41:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

ちょっとテンパってましてレスも懸案対応も遅れますが、ぶん投げたりはしませんので、
しばらくお待ちくださいませm(__)m



【Date:】 16 May 2009 20:13:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 tamb様

 はい。待ちます(笑)



【Date:】 18 May 2009 01:13:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

■「幸せをつくろう」

 一部投稿作家の方はお馴染み&トラウマ&飽き飽き(^^;)かと思いますが、現在圧縮パ
ック作成に向けて作者共々重箱の隅を電子顕微鏡で見ながらつつくという、いわゆる最終
校正の真っ最中です。
 そういうわけで再読してるわけですが、例えば1に関して言えば、最初に読んだ時は
「超人かよ」とか「1限てのは一限じゃないのか」とか思いながら読んでたはずです。で、
>>1にも書いたように「シンジ君FF書いてるよー」になって、「こりゃ痛そうだな(^^;)」
になるわけです。アスカが「思い出す」とか伏線張りまくってるわけですが、そういう部
分はなんとなく気にとめつつ。
 続けて2を読むと、「え? 逆行? 大学生シンジ君は?」となって1を読み返す。再
び2を読んで、そのまま3を読む。うおレイが死んどる。あ、違った(爆)。とシンジと共
に雄たけびを上げ(笑)、これはこれで、とか思いつつ4に進む。もはや心は無と化してお
り前の話との関連など理解しようなどと思いもせず5を読み6を読む。一者? あ、流出。
お、東さんか? 真の神へのプトニック・ラブ? え? えええ??? 1に戻る。

 という塩梅でございまして、

>  恐らく、読んでいただいた方々の多くは1〜5を読んでいる間「??」となったと思いま
> す。その「??」となっていたときの印象(「くだらん」とか「もしかしてこうかな?」)
> を私は知りたいと思っています。

 あえて言えば「意味わかんね」です(^^;)。1〜5を読んでいる間は。

 で、6を踏まえれば1〜5が物語(とりあえずこう言います)であると。私はひねくれ
ているので、物語であると明かしている物語だって物語であろう、と思うわけで、>>8
なるわけです。
 あそこには甘美な物語の中にいるシンジがいる、と言われているシンジが物語の中にい
ないと確信できる理由はどこにもなく、それは「やっと辿りついた遠い世界」でも同じで
あろうと。ではシンジ君、君はこのレイがいない甘美な世界が物語であるとは疑わずに生
きていくのかい? になり、繰り返しになりますが>>8に書いた「だから私は、この世界
がシミュラークルであるとないとに関わらず、真実とか現実、夢とかにも関係なく、精一
杯生きればそれでいいのではないかと思っている。」になるわけです。これは即ち人生芝
居論みたいなもんで、ある意味では現実に帰れという言葉の不毛さを表しているとも言え
るわけですが。


■「エヴァあるいはレイに対する立ち位置」という懐かしい言葉

 まず出発点として、私が綾波レイを見た場合に、これは幸せではないだろうと思ったと
いうのがあるのですよね。これはつまり、自分のために生きようとしていない、幸せにな
ろうとする意思が感じられない、ということです。
 私が直接的に彼女を幸せにできるというものでもないので(つまり、いわゆる「惚れる」
という感情とは異なる)、どう喩えるかと考えて「グレた妹」というのを思いついて、そ
れで妹萌えだのなんだの言われたりしたわけですが(^^;)。まぁ萌えてるか萌えてないか
と言われると間違いなく萌えてるんで(爆)否定しにくいんですが、要するに恋人にはなり
得ないしなりたいとも思わないけど近しい存在、くらいの意味です。
 まぁそれはそれとして。
 幸せの形は人の数だけあるというのはある種の真実だと思いますが、極端な話が売春援
交しまくって堕胎を繰り返し「これが私の幸せ」とか言われたらやはり私はぶん殴る。お
仕着せのパターナリズムとか父権的価値観強要とか真実の姿とか言われたらもう一回ぶん
殴る。話せばわかるとか言われても殴る。とにかく殴る(笑)。


■パターナリズム

 という流れで>>29

> 「いわゆる言論人→おたく」のパターナリズム(なにぶんにもこの言葉はこのスレで知っ
> たので、用語の使い方に問題があれば使い方に問題があればご教示(教授?)下さい)は
> 「シンジ→レイ」(あるいはそれを描く作家→レイ)のパターナリズムに直結すると思わ
> れますか?

 という質問になったのです。果たして私は援交しまくってるがゆえに言論人に殴り倒さ
れてるのか、と。

 パターナリズムという言葉をどう定義づけるのかという問題に切り込むのは無理なので
避けますが(^^;)、私は本当の自分探しという言葉が嫌いです。誰かの言葉だったか小説
だったか忘れましたが、本当の自分を見つけてこれが自分であると規定してしまえばそこ
から先がないからです。だから「ありのままの自分」というのは変化していくべきだろう
と思うのです。

> レイが人間社会で生きていくと言うならば、彼女は今まで以上にたくさんの人間と接し、関
> 係を持たざるを得なくなり、考えたり驚いたりする事になると思います。必然的に…
>
> そうした時、普通に考えれば「人間と言う生物やその社会とどう付き合っていくか」と言う
> 事を自ずから彼女は考えざるを得なくなる

 のであれば何ら問題はなく、考えていただければよろしいかと。周辺にシンジがいれば
私的には嬉しいです。決して押し付けることなく、共に悩んでいただければ。

 となると次に出てくる問題は

> というものシンジ(もしかしたら作者)の「幸福観」を、綾波レイに押し付ける場合が
> あるからです。彼女の設定(ヒトではないとか、部屋がやばいとか、食事がおかしいとか)
> を「利用」して、「人間らしい」生活を「させてあげる」ような状況のことです。かなり
> 意地の悪い言い方ですが、これも一種のパターナリズムですね。

> もちろん、重要なのはそういったパターナリズムが見られるかどうかではなく、話そのも
> のに強度があるかどうかなので最終的には関係のないことなのですが

 です。押し付けるという言葉はともかくとして、要は作品の説得力ということになって
しまうのかもしれませんが、シンジ(あるいは作者)が「こんな風にすると楽しいんじゃ
ないの?」ということをレイに体験させようとするわけですわな。仮にそれがレイの「し
たくないこと」であったとして、それは余計なお世話、パターナリズムなのか。試しにア
スカ様の下僕になってみなよ楽しいぜ、と言われてるのと同義なのか? レイが気になる
というのは今現在の「ありのままの自分」に過ぎず、周囲の人と悩みながら変化していく
べきで、その先にはLASがあるのか?

 こんな話に結論が出るわけはない。というより、結論そのものが存在しない。

 というような結論(笑)にとりあえずは達しました。今後このサイトが突然「アスカの幸
せ」とかいうサイトに変わったら、私がパターナリズムに屈したとお考え下さい(笑)。


■せっかくなので食事の話でも

 引用が長くなりますが、

>  鯖さんも言及なさったし、わかりやすい例なので「食事」で検証してみたいと思います。
> シンジがもちまえの料理の腕(この妥当性はとりあえず保留)で彼女に食事を作り、「こん
> な食事はじめて」とか「あたたかい」とかで感動し、彼女は料理をシンジに教わる、みたい
> なプロットを考えてみたとします。私のような偏屈な人間だとその光景は「この話では綾波
> レイはまともな食事を口にしたことがない可哀相な子として設定されている」ように写りま
> す。

 緒形さんはご自分のことを「偏屈な人間」と述べておられますが、ひねくれ度では私も
負けていないという自負はあります。
 ここは単に食事が美味しいではなく「シンジと共にする食事が美味しい」と解釈すべき
でしょう(笑)。「まともな食事を口にしたことがない」という設定ではなく、「まともな
食事を口にしたことはあるが美味しいと感じたことはない」という設定です。なぜシンジ
とする食事なら美味しいと感じるのかをレイ自身が深く考察していただければ幸いですが、
こりゃ作者の幸福感をレイに押し付けてると言われても反論はしにくいわな……。

 というわけで振り出しに戻りました。


 私も最終校正に戻ります……。



【Date:】 19 May 2009 01:39:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 tamb様

 お待ちしておりました(笑)そろそろきれいにまとめたいところですね。

>続けて2を読むと、「え? 逆行? 大学生シンジ君は?」となって1を読み返す。再
び2を読んで、そのまま3を読む。うおレイが死んどる。あ、違った(爆)。とシンジと共
に雄たけびを上げ(笑)、これはこれで、とか思いつつ4に進む。もはや心は無と化してお
り前の話との関連など理解しようなどと思いもせず5を読み6を読む。一者? あ、流出。
お、東さんか? 真の神へのプトニック・ラブ? え? えええ??? 1に戻る。

 これを読めただけでも妙な催促(?)をしてよかったです!なるほど。いや、何がなるほ
どなのか自分でもよくわかりませんが(笑)

>あそこには甘美な物語の中にいるシンジがいる、と言われているシンジが物語の中にい
ないと確信できる理由はどこにもなく、それは「やっと辿りついた遠い世界」でも同じで
あろうと

 せっかくなので一つだけ種明かししますが、「やっと辿りついた遠い世界」以降は人称が
一人称「僕」になっています。さらに、EOEと同じラストシーンを提示することで、これ
はシンジにとっての「現実」であると読者が「読む」ように「罠」を張りました。が、tamb
さんは引っかからずにさらにその上をいっていたようです。素晴らしいです。
 たぶん、この掲示板での私の野暮な「解説」を踏まえると(>>13での「現実を生きるにし
ろ虚構を見据えるにしろ、本気で生きること」云々)tambさんの読みにどんどん近づくのだ
と思います。このことは、ここ最近の「綾波レイ問題」(?)にも関わってくるような気が
するので、あとでもう少し考えてみます。

>これはつまり、自分のために生きようとしていない、幸せになろうとする意思が感じられ
ない、ということです

 共感できる部分がかなりあります。というか私の綾波レイに対する見方もそれに近いもの
があるかもしれません。ただ、ゼルエルに特攻したりアルミサエルと主に自爆したりは「自
発的な(命令なし)」行動だったので、そういった信念が、ある一つの側面では彼女を「綾
波レイ」たらしめているのではないかなとも思います。そういう生き方が不幸だと言うこと
できますが、そんな彼女を「説得」するのは少なくとも私にとってはかなり難しいです。シ
ンジはどうなんでしょう? これはほとんど自問自答です。

>極端な話が売春援交しまくって堕胎を繰り返し「これが私の幸せ」とか言われたらやはり
私はぶん殴る。

 この発言(と行動)はマジできわどいと思います(笑)言いたいことも、共感しがたいと
ころもたくさんありますが、話がややこしくなるのでやめます。(ちなみに「言論人」の宮
台真司は援助交際して「まったり」生きる女子高生のありかたを、一時期肯定的に受け止め
ていました。たぶんウィキペディアとかでも見つかるでしょう)
 少し違う点から考えてみますが、その行動(殴るとか説得するとか)はそれが妹なら可能
ですが、見ず知らずのギャルとかだと不可能ですよね?(ここを否定されたらこれからのこ
とは全部台無しになりますが笑)つまり説得する「権利(もしくは義務)」があるかどうか
は、説得する人が説得される人とどういう関係にあるのか、説得はその二人の関係に見合っ
た内容か、によって揺らいできます。(例えば知らないおっさんがどこぞのやんちゃっ子を
説教することはありうるわけで)もしかしたら「物語」の中でシンジとレイの「距離感」を
ちゃんと描けていないといろいろ台無しになるのかもしれません。貞本版でもわりと重要な
要素でしたね。

>パターナリズムという言葉をどう定義づけるのかという問題に切り込むのは無理なので避
けますが(^^;)、

 たぶんだんだん意味がそれてきていると思うので、私はちょっと使うのをやめてみます。
自分で広げておいて恐縮ですが(汗)もともとは医療とか政治とかに使われる言葉だと思う
ので……とりあえずは「ありがためいわく」とか「余計なお世話」とか「おせっかい」にし
ておきます。

>シンジ(あるいは作者)が「こんな風にすると楽しいんじゃないの?」ということをレイ
に体験させようとするわけですわな。仮にそれがレイの「したくないこと」であったとして、
それは余計なお世話、パターナリズムなのか

 たぶん私(と恐らく鯖さんも)はシンジが「余計なお世話」をすることにというよりは、
「余計なお世話」にしか見えない行為(下手したら好意)をレイが受け入れてしまっている
姿を描かれていることに違和感を抱いているのだと思います。一番近い感覚としては、某ゴ
ールデンエイトティーチャーによって次々に感化されていく生徒たちを見ているようなもの
でしょうか? アルファベット3文字の某「偉大な先生O」でもいいですが……話し自体は
面白いかもしれませんし、それらは「確かにそうだ」と思う部分もあるかもしれませんが、
「まぁふつうはあんなにうまくはいかないよね」って言うのが正直なところだと思います。
「ちょっとちがくね?」と思う人もいるかもしれません。しかもそれらの作品は二次創作よ
り数段良くできているはずです。だからもしかしたらジャンルの問題もあるのかもしれませ
ん。「教師もの」は典型ですね。でも、気にならない人は気にならないでしょう。純粋に好
きな人もたくさんいるでしょうし。やっぱり結論は出ません(笑)

>レイが気になるというのは今現在の「ありのままの自分」に過ぎず、周囲の人と悩みなが
ら変化していくべきで、その先にはLASがあるのか?

 tambさんの場合その先にLASはないと思います(笑)
 ありのままでいるか、変化するかを決める権限が自分にあればいいのだと思います。「下僕
になろうぜ」という「アドヴァイス/お節介」をどう捉えてもOKというような。もちろん例
外はあって、それがいわゆる「パターナリズム」論なのですが……めんどいのでやめましょう。

>ここは単に食事が美味しいではなく「シンジと共にする食事が美味しい」と解釈すべきで
しょう(笑)。「まともな食事を口にしたことがない」という設定ではなく、「まともな食事
を口にしたことはあるが美味しいと感じたことはない」という設定です。

 さすがですね(笑)やっぱり私はLRSを書く能力に乏しいみたいです。
 「シンジと共にする食事が美味しい」と感じるレイを描写するのは難しいとか、「まとも
な食事を口にしたことはあるが美味しいと感じたことはない」レイが原作と離れた「可哀相
な子」であることを感じてしまうとか「障害」はつきませんね……しかも自分で自分の首を
絞めているだけのような気がしてきます。
 
 部屋とかはどうなんでしょうね。レイが育った部屋はあの団地の部屋に似ていますが、例
えば葛城邸に住まわせて彼女が落ち着くかといったらどうなんでしょう。あとは……レイは
シンジに裸を見られて動揺はしていなかったけど、たぶんに嫌がってたよね、だから裸でう
ろうろするとは思えないけど、とか。まぁゲンドウの前では裸でしたが。それも実験のとき
と補完計画のときだからまぁいいか、みたいな。

 結局のところ、あるFFにおいてどれだけ綾波レイについての思考を深めているかを私は
見ているのかもしれません。思考停止したりしていて、型どおりの手法を使っていたりする
と「え?」となるのだと思います。そしてたぶん、「幸せ」について考えることを突き詰め
ると「不幸」について考えることとつながってくると思います。「幸せ」だと思っていた生
活に入り込んでくる「不幸」、「不幸」の中にある一握りの「幸せ」。tambさんが「レイ自
身が深く考察」とおっしゃられていることに近い感覚なのかもしれません。この辺を検討し
ない限り説得力のあるFFを作るのは難しいと思います。それが上記で述べた「本気」につ
ながるのだと思います。「本気で虚構に浸かった」作品は、たぶん伝わる人には伝わると思
います。私はそれに敏感でありたいと思うから、こうしてつまらないことをつらつら考えて
いるのかもしれません。少なくとも、シンジやレイの描写を見て安心するために読んでいる
わけではないのは確かです。いや、でも、「ただ読んでる人を安心させるためのFF」とか
「楽しいだけのFF」だって素晴らしいです。ただ、「安心」させたり「楽し」ませるのも
それほど簡単なことではありません。いやむしろ難しいか。そもそも何かを意図して創作な
んてできるのだろうか。結局はいろいろなものと向き合わないといけないのでしょう……

 どんなに話を詰めても、たぶん最終的にはお互いの「綾波像」を語るところに行き着くと
思うのですがどうでしょう? そっちのが楽しいですし。だから最後の妄言は気にしないで
ください(笑)
 
 きれいにまとまったかは微妙ですが、力尽きたことは確かです。
 私の発言はこんなところで締めくくりたいと思います。
 ご迷惑おかけしました。
 ありがとうございました。 



【Date:】 19 May 2009 04:55:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 しかしあれですな。5はレイが死ぬのが痛いとか>>8では書きましたが、こうして読み
返してると、レイが死ぬのが痛いというよりもシンジが能天気ともいえるほどの楽観主義
を貫き通してるのがあまりに痛い、というか痛々しいですな。逃避の末に狂ってしまった
というか。

 というわけで作者様との密約その1でした(爆)。密約その2以降は、あるのかないのか
も含めて伏せます。


> それが妹なら可能ですが、見ず知らずのギャルとかだと不可能ですよね?

 不可能ですというより動機がないですね。終了後に「キミもこんなことしてると親御さ
んが」とか言う方がまだ現実味がある(爆)。
 宮台氏のまったり論は知ってましたが、そうやってまったり生きられれば最初から問題
は出て来ないんじゃないかなぁと思ったりしてました。まぁちゃんと読んだわけじゃない
んですが。

 宮台氏が出てきたのでちょっと書きますが、確かになぜパンツを売ってはいけないのか
を説明するのは困難ですよね。援交ならともかく、誰かに迷惑かけるわけじゃなし、需要
もあるんだろうし(^^;)。なぜ人を殺してはいけないのかという問題よりもよっぽど難し
い(これも難しいですが)。だから「パンツ売るな」と言われて「はいわかりました」と
素直に従われると違和感はあるんですよね。だったら最初から売るなと。

 レイに関しても、シンジがあれこれお世話してそれを全部はいはいととりあえずでも受
け入れると違和感はある。

 だから、どうやって受け入れさせるのかに主眼があって、それを受け入れないことを貫
き通すのが真実のレイだとしたらそんな真実のレイはぶん殴る、とまぁこういう流れにな
るわけです(^^;)。どうやって気づかせるのか。どうやってパンツ売っちゃダメだと納得
させるのか。
 せっかくなので書きますと、「パンツ売っちゃダメ」と納得してしまった後のレイに関
してはあんまり関心がないんですよね。いや、正直に言えば天然化したりしてるのは可愛
くて好きで自分でも書いてますが(^^;)、そんなのレイじゃないと言われればその通りで
あるとも思います。でも、それが真実のレイだと規定して変化はないと決め付けなくても
いいんじゃないかと。二次創作ですし(笑)。
 ヒント(ネタ)はいくらでもあるじゃないですか。笑えばいいと思うよもそうだろうし、
感謝の言葉もそうだろうし。そこからどう妄想を広げていくのか。

 だから逆に言えば、あえて書くと6に出てきたレイあるいはかつてレイだった者も、
「だって僕が生きて、忘れない限り、綾波は生き続ける」なんて言ってしまうシンジも、
違和感はないですが納得はできないんですよね。それでいいのかとか言いながらぶん殴り
たくなる(爆)。まぁ導き出された結論に文句言われても困るというか、それこそ好みの問
題なんですが。

> tambさんの場合その先にLASはないと思います(笑)

 あ、やっぱり(爆)。
 実はですね、私はひねくれてるんで、最初に見たときにレイが軸になる話なんだなと思
って(だって、あまりに思わせぶりじゃないですか)、その瞬間にレイの事は関心の外に
なったんですよね。当時は(今もですが)アニメキャラに萌えるという習慣はなかったん
で、じゃあ誰々とも思いませんでしたが、マヤさんは可愛いなと思いました。アスカは普
通に可愛いと思うし、今でもそう思ってます。
 ですが、最後まで見たときに「これは無し」と思ったんです。その意味では、レイとい
うキャラにはそれだけの強度があるんですよ。庵野さんもLRSにしろとは言いませんが普
通にハッピーエンドっぽく作ってくれれば、私もこんなサイトなど作らず当然FFなんて書
くこともなく、真っ当な社会人としてそれこそ現実を生きてたと思うんですけどね(^^;)。


 部屋に関しては難しいですが、少なくとも小奇麗にしたとしてもデメリットは感じない
んじゃないでしょうか。シンジがそうしたいと思ったとして、したいならすれば、的な。
そこから先をどうするのかはこれまた困難ですが。
 あとあれです。葛城邸で同居という話も私はいくつか書いてますが、なかなか二人っき
りになれないので避けるのもいいかと思います(爆)。


> たぶん最終的にはお互いの「綾波像」を語るところに行き着くと思うのですがどうでしょう?

 行き着くところはここなんでしょうね。それが作品を通せればいいんだと思います。で、
「そんなのレイじゃない!」「真実のレイがなんだ!」と殴りあうと(笑)。


 雑談掲示板の方にも書いたウイルス関連で、アンチウイルスソフトを入れ替えたらイン
ストール前のチェックが延々と終わらず、こんな時間になってしまいました(^^;)。この
レスも簡単に書こうと思ってたのに気づいたらこんな時間(爆)。

 というわけで、圧縮版公開は明日以降です。後書きでも書いて入れますか?
 ちなみに圧縮版公開を先にやります。その次(前)の話はその後に。

 しかしほんとに迷惑な話だ。私は複数の感染サイトを思いっきり踏んでるはずなんだが、
なぜ感染してないのだろうか。実は感染してるのか?(爆)

 みんなも今回ばかりはしゃれになってないよー。



【Date:】 20 May 2009 02:47:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

>こうして読み返してると、5はレイが死ぬのが痛いというよりも、シンジが能天気ともい
えるほどの楽観主義を貫き通してるのがあまりに痛い、というか痛々しいですな。

 めちゃめちゃ大事なとこです!まさにその通りで、このシンジに「イタさ」を感じられる
かどうかはかなり重要です。そしてそれが6の結末を踏まえたときにどういう意味を持ちう
るのかまで考える読者様がいたら、私は小躍りします(笑)

  ↑tamb様との密約その1.5です。せっかくですので。

>どうやって受け入れさせるのかに主眼があって、
>真実のレイだと規定して変化はないと決め付けなくてもいいんじゃないかと。二次創作で
すし

 激しく同意です。唯一の「真実のレイ」なんてないと思いますし(それこそ思考停止する
ので)。変化なくしては物語は成立させにくいと思うし(『幸せをつくろう』で変化したの
はシンジですが)。言わなくともたぶんご理解いただいてると思いますが。それを踏まえた
うえで以下

>あえて書くと6に出てきたレイあるいはかつてレイだった者も、「だって僕が生きて、忘
れない限り、綾波は生き続ける」なんて言ってしまうシンジも、違和感はないですが納得は
できないんですよね

 公開直後の段階でこの手の発言(意見?批判?)をばんばん聞きたかった……(笑)tamb
さんが好みの問題だとおっしゃられるように、おそらく読者様によって変わってくるだろう
わりと重要なポイントだと思うからです。
 正直な話、私は6の彼と彼女には結構な違和感を感じています。(作者がこんなこと言っ
ていいのだろうか)私なんぞよりもっと能力のある方でしたら違う終わらせ方もできたかも
しれませんが、全体の構想と5の最後の場面(結局のところ最後にはレイは消えてしまう)
を通った段階で、「きれいに物語をまとめる」としたら、このような形(EOEに近い形)
にシンジを動かすしかないだろうと私は思いました。そして彼女もそれを「親切に」見届け
るだろうと。そのために「レイの死」に向き合おうとしない5の「痛々しい」シンジもいる
わけです。(「きれいに物語をまとめる」必要性はとりあえず保留しますが)自分の中では
「シンジ」としての彼にこのような決意を迫ることに迷いはありました。ただ、少なくとも
『幸せをつくろう』の中では不自然な流れではないと思ったのでこうなりました。
 もうだいぶ『幸せをつくろう』も私の手を離れてしまった気がするので深くは考えません
が、抵抗を感じつつ読んでくださった方がいて、なにかしら思うところがある方がいました
らそれはありがたいことです。ただ、もしかしたら、突き詰めて考えてもまたEOE(のあ
る種の解釈)批判に近づくだけかもしれませんが。
 もちろん「そういうのもありか……」と思ってくださる方もいらっしゃるとも思っている
から書いているわけですので、完全にこのシンジを疑っているわけではありません。と言う
か信頼が大本です。ただ、無批判に受け入れるのもどうかなとも思います。

>後書きでも書いて入れますか?

 私があとがきを書くかということですよね?余計にカオスになる気がするのでやめておき
ます(笑)

 
 以上、力を振り絞った末の残りかすでした。



【Date:】 20 May 2009 08:27:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

緒形様

>違和感、5・6

ああ、成程…と言うか小生が其処にふれるとEOE及び「あれを無批判・肯定的に受け入れた」FFに対する批判と言うか罵詈雑言にしかなりませんのであまり言うのも躊躇われる訳ですが(汗&苦笑)

が、あえて少し言うなら「綺麗事ですっきり纏められる内は人間本気とは言えねえ」と言う経験則みたいな物が大きく引っかかってくる原因としてあるような気はしますね(苦笑)

だからEOEに関しては辛うじて「絞殺」で「無理やりとは言え落せた!」と感嘆した訳です(苦笑)

綺麗事・建前とは本来「多大な犠牲の上に苦渋を呑んで、それでも他に選択肢が無いから憎悪や怨念を無理やり押さえ込んで、或いはもう生きる気力も無いほど疲れ切って」口にするのが筋だと思っていますので(笑)だから「口ではこうは言ったが殺せるものなら本当は殺したい」みたいな情念がないと「ペラペラ」なんだと。一般論としては。

故に、EOEに関しても「納得」してどーする、アホか?と言う話なんですが、此処での緒形さんのご発言は「それと近い部分もあるのかな」とは思いました。

「つまらねえ男だな。小奇麗な台詞吐いて小さく収まってんじゃねぇよ。足掻け!」

とつい言ってしまうわけですね(苦笑)



【Date:】 20 May 2009 21:28:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

  【ここまでコメントを読んでいただいている皆様へ(←超重要、基本、誰に向けて書いたものなのか常に意識)】

 もう出てくるつもりはなかったのですが(笑)

 【別に誤解を恐れているわけではありませんが、そのままにするのも無責任だと思った(←このコメントを書いた動機、誰が誤解すると思ったのか)】ので
一応。

>故に、EOEに関しても「納得」してどーする、アホか?と言う話なんですが、此処での緒形
さんのご発言は「それと近い部分もあるのかな」とは思いました。

 【『幸せをつくろう』にはEOEに近い部分はありますが、上記の私の発言にEOEに「納
得」しているような説明はありません。全く。少しも。全然。(←誰に対して確認しているのか、誰が誤解すると思ったのか)】『アイのあいさつ』がレズも
のだと言われたときと同じくらいの戸惑いがあります。『アイのあいさつ』にはいわゆるレ
ズシーンがありますが、私はレズビアン愛好家(?)でも、レズビアン擁護者でもありませ
ん。【物語の作り方に関しての思考と、私のエヴァ(とか思想とか)に対する志向は全く別物
です。(←確認)】
 【おそらく「きれいに物語をまとめる」にひっかかかられた(←重要、誰を気遣っているか)】と思うので、本当はめんどうな
ので保留にしたかったのですが、説明します。ただ、わかりやすくするため話を極端にする
ので、【嫌な気持ちになる方いらっしゃいましたらごめんなさい。(←大事、伏線)】

 さすがに大丈夫だと思いますが、綺麗ごとと「きれいに物語をまとめること」は全然関係
ありません。例えば

 「綾波レイに固執するスト−カー碇シンジは、彼女に拘るあまり、彼女を拉致監禁し、バ
ラバラの死体にして、冷凍保存して、毎日眺めて、舐めたり撫でたりして暮らしていたが、
飽きたので捨てた。そうしてまた次の「獲物」を探す日々……」

 という物語を考えて見ます。「一般的な尺度」ではこの物語に綺麗ごとはありません。シ
ンジは「欲望」のままに動いているだけです。(まぁ欲望賛美とかと「曲解」して綺麗ごと
だと言うことも可能かもしれませんが)でも物語としては「きれいに」まとまっています。
物語の始めが明確に示されていて、一つのエピソードが終わり、終止感もあるからです。こ
の後のシンジの行動もちゃんと想像できます。つまり綺麗ごとがない「きれいにまとめ」ら
れた物語です。
 (ちなみに、この文章を読んだからと言って私が「そういう趣味の人」ではないと言うこ
とは、さすがにわかっていただけると思います。つまり物語に対する思考と自分の思想面で
の志向は必ずしも一致するわけではありません。しかし、もしこの物語を私が作ったとした
ら「こういういう生き方をするシンジをどう思う?抵抗ある?理解できる?」ということを
読者に問うことになるでしょう。こういう話を作る気はさらさらないので、この「物語」に
関して絶対に話を広げないでください。本当に無駄な労力になります)

 で、それを踏まえると「だからEOEに関しては辛うじて「絞殺」で「無理やりとは言え落せ
た!」と感嘆した」のならば、きれいに物語がまとまったのだと理解したことになります。
 (ちなみにシンジは最終的に「絞殺」できずに泣いているだけです。そこから、シンジの
この行動によって、最後まで「『人を傷つける』というコミュニケーションに伴う苦しみか
ら目をそらして甘く」生きることを逆説的に肯定していると解釈し、そんな彼の態度にアス
カが「気持ち悪い」と言ったのだということもできます。たぶんこれくらいの解釈ならやっ
ている人はたくさんいるでしょう。私の解釈と言うわけではありません)

>だから「口ではこうは言ったが殺せるものなら本当は殺したい」みたいな情念がないと
「ペラペラ」なんだと。一般論としては。

 それは一般論ではなく、一つの視点です。「ペラペラ」かどうかは各々の読者が決めるこ
とです。「説得力」のある「読み」をできた人が発言すべきことです。

 で、以上の「私の考え」を踏まえると

>「つまらねえ男だな。小奇麗な台詞吐いて小さく収まってんじゃねぇよ。足掻け!」

 という言葉は、「余計なお世話」「おせっかい」「ありがためいわく」「押し付け」(こ
の掲示版によって意味のずれた「パターナリズム」)と受け取っていいのでしょうか?足掻
いている男は「かっこいい」のでしょうか?セリフが小綺麗に見える自分の感性は疑わない
のでしょうか?「男」「小さい」という発想は西洋文明社会における男根ロゴス中心主義の
表われと見ていいのでしょうか?「陳腐な論理」に基づいた「強度も説得力もない」発想を
他人に強要するのでしょうか?という言葉で「返す」ことになります。(蛇足ですが、足掻
いている男を描くことや自分が足掻くことと、きれいに物語をまとめることは対立関係には
ありません)



 で、極端な話という言葉はここまでかかっています(笑)かなり驚いたと思います。3の
「綾波が死んだ」なんか比じゃないくらい。上の「ストーカーシンジ」の話なんか比じゃな
いくらい。【さすがにこの文脈だと、私が鯖さんに「喧嘩を売っているように見える」でしょ
う。(←誰にそう見えるように書いたのか)】わかりやすく極端にしたからです。しかし、【私は喧嘩を売りたくも、鯖さんのお考えを
「否定」したくもありません。私がその手の「発言」をしない人間なのは、これだけダラダ
ラ掲示板でコメントしていた中でちゃんと「読める」ことです。つまり上のコメントは「今
までの掲示板の文脈に即していないコメント」となるわけです。(←きっぱり、誰にこの「読み」を期待していたのか)】【(まぁ「キレた!(笑)」
とかっていう「解釈」は便利かもしれませんが)(←大事だったらしい笑)】
 【私はFFを書くときも掲示板でコメントするときも、必ず読んでいる人のことを意識しま
す。(←超超超重要、このコメントの核)】伝わるラインで書いているか、伝わるか伝わらないかぎりぎりのラインかいつも考えな
がらものを書いています。そして、いつもその妥当性を検討しています。読者の方のご意見
を頂いたときにやたら喜んで大量にコメントするのはそのためです。
 きれいに物語が仕上がったからと言って、その作者がその結末に満足してすっきりしてい
ることは、たぶん割合としてそれほど多くないと思います。少なくとも、私はその手の満足
感を得たことはありません。それでも、流れ行く先がはっきりと決まらなくても、その話を
「完結」させたいなら、物語にとっては結末を(作者にとっては「作品の中(←大事)での
とりあえず」の結論)を示すしかありません。そして、それは自分の信念に基づいたもので
あっていいかというと、そういうわけでもありません。物語の文脈の中で流れに沿ったもの
でないと多くの読者がそもそも「理解」できないことになります。例えば、上の「残酷な物
語」で、急にシンジが人間愛に目覚めたら、読者は「ついていけない」でしょう。(もちろ
ん過程があれば別ですが)つまり、結末とは読者のために「用意」したものであるというこ
とです。意味の通る主語と述語を使って文章を書き、人に伝えるのと同じことです。
 その「用意」をどうするか(拾うか捨てるか保留するか)はもちろん読者の次第です(こ
れは何度も繰り返したことです)。しかし、その物語を読み終わってしまった以上「用意」
していること自体に文句をつけることはできません。「用意」がいらないなら適当なところ
で読むのをやめればいいだけの話だからです。ですのでこれは「押し付け」でも「ありがた
めいわく」でもありません。選択権は常に読者にあります。私はただ「見てもらう」だけで
す。そして繰り返しになりますが、「見てもらっている対価」として「用意」をしているだ
けです。自分の考えをとりとめもなく書き連ねているだけなら、私は公開などお願いしませ
ん(そんなに「傲慢」にはなれません)。そしてその文章がとりとめもないものか、一応ま
とまった意味のあるものなのかをtambさんに審査していただいているわけです。『幸せをつ
くろう』はぎりぎり合格しました(笑)(勘違いされるとまずいので付け加えますが、『幸
せをつくろう』を作った「動機」は「二次創作の手法を使ってサードインパクトを表現しよ
うと思った」です)

 以上が【私が考える「きれいに物語をまとめる必要性」の説明(←>>39にリンク、誰に対して説明したのか)】です。別にこういうスタンス
で作っていないだろう方もたくさんいるでしょう。そういう創作方法を「否定」するつもり
も、自分の創作方法を「強要」するつもりもありません。(これはほとんどお願いですが、
「意味の一貫性」と「近代批判」を絶対につなげないでください。ちゃんとそれを理解した
うえで発言しています。あとはコミュニティにおける効果の問題と方法を問うくらいしかや
ることはありません)
 【最後にもう一度確認しますが「さすがに大丈夫だと」から「で、極端な話という言葉は」
まで、本音でも伝えたいことでもありません。(←ダメ押し、誰に対して確認しているのか)】本当に「いやらしいやり方」だとは思います
が、これ以上わかりやすく【「書いていることと考えていることの相違」を説明する(←何のため?誰のため?)】方法が思
いつきませんでした。週刊誌などの手法で見られるように文脈抜きでコメントだけ切り取ら
れるとまずいです。【ちゃんと読んでほしいところは「私はFFを書くときも掲示板でコメン
トするときも」以降です。(←このコメントの存在意義)】わかりやすさを考慮しなければたぶんそこだけで通じます。

 【もう「責任」は果たした(←動機がなくなった)】と思うので、この辺で終わりにします。

 【誤字脱字を含め、文章には手を加えていません。あと、この掲示板で作品はおろかエヴァともFFとも関係ない(と判断した)話はめんどいのでしません。理解誤解曲解含め放置します】



【Date:】 20 May 2009 23:09:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 ウイルスなどものともせずダウンロード用圧縮ファイルを公開。

■密約について
 バラしますが(^^;)、「こうして読み返してると」以下の部分を、私が最終校正のメー
ルに書いたわけです。そしたら返事に「めちゃめちゃ大事なとこです!」以下があったと。
これが全文ではないのですが、私は作者の意図を汲んで掲示板に書いたと。これが密約そ
の1です。
 密約その1.5は読んでわかるようにメールでの反応をそのままなぞった物です。お約
束です。
 ということは、密約その2は私が「そしてそれが6の結末を踏まえたときにどういう意
味を持ちうるのかまで考える読者様がいたら」の読者様になるということで、やる気まん
まんですが今日はパス(爆)。でもやるので

> もう「責任」は果たしたと思うので、この辺で終わりにします。

 離しませんよ(爆)。


■まとめるとか落とすとか
 私の6解釈の拡張で、あまりにあまりなので黙ってましたが、最後に作者が出てきて
「うおお書けたぜこれで某巨大掲示板も批難轟々大騒ぎうははは」「わたしは消えるの?」
「うお綾波レイ! 出てくんな!」「僕はどうなるの」「アタシは髪を切らない」などと
やると読者は全員ひっくり返り物語はぶち壊しになる(爆)。続けて「こんなものを書いて
みたんだが」「あなたはあの子達をどう思っているのです?」などとゲンドウとユイの会
話を入れ、さらに続けて「整合性のある世界を作るのは難しいね」などというカヲルあた
りのモノローグが入ると入れ子構造でメタがメタを呼び全く意味不明になります(笑)。

 ほんとすいません(^^;)。

 まぁあれですよ。作品なり書き込みなりを晒すというのは何かを伝えたいからであって、
伝わらなければ意味は無いですわな(まぁ伝わる人にだけ伝わればいいというのもありと
いえばありですが)。
 何回も書いてることですが、私が誤字誤変換にこだわるのは、それ自体を落としたいと
いうのも確かにあるんですが、そういう校正作業で何回も何回も読むことによって推敲を
重ねて「これでほんとに伝わるのか」というのを考えて欲しいということでもあるんです
よね。まぁそんな話はいいか。



【Date:】 21 May 2009 09:11:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

すみません、レス書いてたら飛びました(汗)

なので要約版です(苦笑)面白く無いのはどうかご容赦のほど…(汗)

「売られた喧嘩は買う! 相手が背を見せて勝手にリングから降りるなら後ろからしばき倒す!一度うられた喧嘩なら試合放棄はゆるさねえ。」


…って、嘘です(苦笑)ごめんなさい(汗)

書いてたのは「批評と作家」と言う話が一つでして、

「物語とは一発勝負」「作家よ語るな、物語れ」と言う様な話です。対話、或いはそれになりうる批評・評論と「物語」の差異の一つは、「誤解曲解も又読者の絶対的権利」であり、「一度物語を発表してしまえば作家は其れに対する自己弁護の権利すら失った、絶対者の前の被告人に過ぎなくなってしまう」と言う話、ですね。

「誤解を禁じる権利」は実は作家には無い、と言うか結局はそれを当初から織り込み済みで「すべて受け入れる」か、あるいは「それを避けようとしたならば、作品中でそれを完結できなかったと言う事は作家の敗北として受け入れなければならないのではないか」と言う事だったかと。

一度発表した作品に付いて「この解釈を禁じる」と言う事は恐らく作家には出来ないだろう…と言う事なのですよね(汗)むしろそれを言ったら「負け」だと。逆説的に言えば「無限の解釈が広がり勝手に展開する事」こそが創作の魅力とも。

その辺りは「論文」と「創作」の違いなのではないかと思ったわけです。故に補足や説明で修正の効かない「一発勝負」だと。



【Date:】 21 May 2009 09:32:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

続きまして「喧嘩上等」の方へ(笑)<をい。

仮想ネタである事を含みおいた上で、なおかつ「あ、困ったな」と言う事が実はあるのです(汗)

>上記の私の発言にEOEに「納得」しているような説明はありません。全く。少しも。全然。

此処で生じている「文脈の齟齬」は、緒形さんが「喧嘩と言う演出」をなさる為の「意図的誤読」なのだろうな、と思いつつ、しかし、見てる人には「鯖が緒形氏の作品にイチャモンをつけた」と言う誤解を与えてしまう、つまり

『言ってない事を言った』と言う事になってしまうのは拙い…と感じた訳です(汗)

>EOEに関しても「納得」してどーする、アホか?と言う話なんですが、此処での緒形さんのご発言は「それと近い部分もあるのかな」とは思いました。

と言うのは、サブカルチャー論壇の「肯定的なEOE解釈(及びそれを丸ごと無批判に受けたFF)」に対する小生の違和感と、緒形さんの「5,6を読者が読んで受ける事になるだろう違和感」はおそらく同質のものであり、それを狙われたのだろうと思いました…

と言う意味で書いた訳なのですが、「仮想挑発」?のパートでは「鯖が緒形氏の作品やその解説に対して誹謗を行い、緒形氏がそれに反論した」と言う形になってしまう訳で。

仮想、と銘打ちつつ、その「誤解」自体は解消されないままになってしまうんではないかいな?と。

見た人は「緒形氏は鯖の暴言に対して喧嘩を受けるつもりはないけど否定はしたんだ」と言う風に解釈なさるのではないかなあ…と。

ん?なんか小生、ヒールにされてる?なんで?(汗)
と言うかこれでは「リングに上がるつもりなかったけど上がって暴れたほうが良いの?(汗)」<をい。

と言う事に…困ったな、と(汗)

さて、どうしたもんか、と。



【Date:】 21 May 2009 10:05:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

まあ、元々「喧嘩を売る」意図は全く無かったというか、ある意味「賛意」として書いたら「誹謗を受けたので其れに毅然と反論する」と言う形でアピールされてしまった…(まあそれは小生の書き方がアバウトな所為で誤解してしまわれた、と言う可能性もあるのですが 汗)

と言うのに近い状態で、困惑する破目になってしまいました(ほほほ 汗)

>「説得力」のある「読み」をできた人が発言すべきことです。

はい、すみません(苦笑)んー、これは矢張り「苛立たせてしまったのかなあ」と(汗)「頭の悪い奴と話するつもりはねーんだよ、黙ってろ馬鹿」と言うのはもしかしたら御本音なのかも、だとしたら何か凄く申し訳の無いことしちゃったなあ…(汗)

と猛省はしております(汗)御面倒をおかけしてすみません(平伏)なにぶん無学文盲の徒ですので、広いお心で無知無教養を宜しくご指導いただければ(汗)

(まあ、其処まで罵倒された上で「仮想の話・本音じゃない」と言われて「ああそうなんだ」と額面どおりに受け取る人間は相当お目でたい訳で、多分コレはやんわりと「怒りと不快感を表されたものなんだろう」と解釈し、反省すべきなんだろうなとも思った訳です 汗 重ね重ね申し訳なく思います 汗)

ちなみに一般論とは「殺す殺さない」、まあ判りやすい例では「被害者遺族の感情」みたいなことを念頭に「法律や社会秩序が私的感情より優先される」と言う事は「よく解っている」けれども、やっぱり「殺せるものなら犯人を殺したい」と言う、

「建前や公的秩序と人間としての普通の私的感情の葛藤」を「一般論」と述べた訳なのです。

まあ、これはある種のスタンスの方には「そんなものは一般論などではない」「遺族感情を盾にした厳罰論者の我田引水であり許せない」と言う事にもなってはいますが…社会的には。

まあそう言うことに付いて触れたものでしたので、一応補足をば(汗)すみません。



【Date:】 21 May 2009 10:27:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

>私がその手の「発言」をしない人間なのは、これだけダラダラ掲示板でコメントしていた中でちゃんと「読める」ことです

…すみません、流石にこれはどうかと(汗)
怒られてる人間が言う事では無いわけなんですが、

「まあ往来で罵倒したが冗談だから気にするな。この私がお前如きにそんな事をする筈はないと判らないか?そもそもお前に気にする程の体面なんかないだろう?」

と言われると最早「どうお返事申し上げたものか」ほとほと困り果ててしまうわけで(汗)ご不快の念は無理からぬ事とは思いますが、匹夫にも流石に全く体面がないと言うわけにはいかぬものでして(汗)

まあ『「陳腐な論理」に基づいた「強度も説得力もない」発想』は度し難いが、私は寛容な人間だ。馬鹿がほざくくらい許してやる。ゴミに目くじらを立てるほど私は愚かではないからな…と言うありがたいお言葉をありがたく頂戴する他無いと了解いたしました(平伏)

今後はなるべくお目ざわりにならぬよう気をつけますので、愚かな小生をどうか宜しくご指導くださいますよう宜しくお願い申し上げます(平伏)



…と言う形で「受けさせて」頂きます(笑)

何もレスしないという訳には流石に行かないような気がいたしますので(汗)



【Date:】 21 May 2009 12:41:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

さて、まあ

「物凄く怒られてるのに気付かずにヘラヘラしてるとはやっはりアホだな」

と言われると流石に不本意ですので、一応「仮想のお叱りと抗議に対するお返事」はさらっとしておいて、今度は真面目に。

拝見して「仮想」の部分と「本旨」の部分の継ぎ目判読が結構難しいと感じました。何故なら「ここからここまで」の外側にも小生のコメントにも関係すると思しき「批判」を頂いたように思うので(汗)

まずもって誤解ですよー、と言うのは前述の「緒形さんの御作やコメントに対する批判の類ではなく、むしろ

「5,6における企図して誘導された違和感」への「賛同」であった所と、もう一つは、

その文脈に沿えば当然であるが「きれいにまとめる」事に関しては「全く何も考えていない」と言うか技法上今更異論など無い

と言う事ですね。むしろ「庵野の最後の一派逆転」な表現手法を褒めこそすれ、別に「無難にまとめる」事を批判は全くしていない訳なんですが…

なぜか其処に引っかかられた、と(汗)

で、「極論」と言うのは「極端な例」と言う意味ではありますが、たいていにおいて

「言い方は悪いかもしれないが言いたい内容としてはこうだ」

と言う意味となる訳なので、そうすると、

「こうまで口汚く罵る事はよくないと解っているが、この馬鹿者を矯正する為にはそこまで言う必要があったのだ。」

と言う意味になると思うのですよね(汗)で、その御言葉を文字通り解釈すれば「ああ、基本的に罵倒の内容は思っていらっしゃる事なのね…誤解から出たこととは言え思わぬご意見・御叱咤を拝聴してしまったわ」となる訳です。

が、後に「思って居る事とは違う」と仰られ、
「え…極論、ですよね? 「反面教師」とか仮定論じゃなくて。それだと意味が通じなくなってしまうのでは」とも思った訳ですね。

元々「きれいに物語を纏める必要性」については、其れこそ各表現者の方々の「流儀」であると思うので「異論」はさらさら無かった訳ですし、故にそれを批判も否定も全くしていないので…

(脱線ですが、「一貫性の否定」と「ポストモダン」を問題にする人は恐らく殆ど居ないのではないかと 汗 と言うのは既にそれは「使い古された手法」「よくあるファッション」と言う理解になってしまっていて今更違和感を覚える人はあまりないと思うのです。そして、同時にそうした「ポストモダン論」が近代批判としては全く機能していない、と言うのも「当たり前の話」になってしまっていますし…汗)

又、「自分の考えをとりとめもなく書き連ねているだけなら、私は公開などお願いしません」と言うのは小生のコメントのスタイルに対する不快感、なのかなあとも思ってしまったりした訳です(汗)

まあ、要約すると「誤解の結果」の部分を除けば「馬鹿と議論するのは不快だ、黙れ」と言う「結論」になってしまうわけで、これだと「仮想」の部分が在ろうが無かろうが論旨としては変わらない事になります(汗)

「書いていることと考えていることの相違」を表現なさる筈が「文章は思考の文字化である以上、どのような技法を用いようとも考えて居る事はおのずから現れる=いかような場合であれども文は人なり」と言う事をあらわされているようにも見えてしまうのですよね(汗)

結果的には「論旨」とされた部分が「誤解」で、「いやらしい」やり方と仰られた方が「影の論旨」として「そこだけ意味を持って残る」様な気がします。と言うかそっちの方が「ああ、成程…」と(苦笑)



【Date:】 21 May 2009 14:54:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

ん、矢張り説明を端折りすぎたようにも思いますのであえて、下記を。

小生のコメントですが、

「綺麗事ですっきり纏められる内は人間本気とは言えねえ」

とは「綺麗事」と書いている通り「違和感・納得」に掛かる訳で、

(理屈や理想論と情念は別の物である、故に理屈に情念をあわせるとすればそこに激しい葛藤が描かれてこそ生きてくる人間描写、ではないだろうか?と言う事を「あえて無視して」描き、「どう、変じゃない?」と言う「気付き」を誘おうとされた緒形さんの手法への賛辞であり、翻ってその「葛藤」を無視した言論人等の「見解」はナンセンスではないのか、と言う事を言っていた訳なのですが)

「ストーリーを作るうえでの技法」を指している訳では全くないんですよね。(仮に狙いやテーマ?が展開上の制約により端折られたりすればそれは失敗作と言うべきではありますが、この作品はまさしく狙いを果たしている訳で)

で、

>綺麗事・建前とは本来「多大な犠牲の上に苦渋を呑んで、それでも他に選択肢が無いから憎悪や怨念を無理やり押さえ込んで、或いはもう生きる気力も無いほど疲れ切って」口にするのが筋だと思っていますので(笑)だから「口ではこうは言ったが殺せるものなら本当は殺したい」みたいな情念がないと「ペラペラ」なんだと。一般論としては。

と言うのは前述の如く「制度や理性」と「情念」の葛藤について、例えば「凶悪事件の被害者遺族の心情」のようなものに顕著に現れるそれについて述べたものです。往々にして「思想理論や哲学、法」の立場からものを言う人々は、其処に居る「生身の人間の情念」を理解していない様に振る舞い、語る…確かに法理論としては筋は通るかもしれない、が、「それが取りこぼすものを語るのも文学・文芸」と大仰に言えばそうなる訳です。でありながらそうした「情念」を「哲学や思想と言う立場から否定し省みぬ」とすれば馬鹿げている、と。

それを評して「ペラペラ」と評した訳です。それで、弁護士や教育関係者は遺族や子供を納得させられるとでも思っているのか?そんな事で良いのか?と(苦笑)

それと似た構造がEOEを取り巻く言葉にもあるような気がした、それをあえて「違和感」として顕された事に賛意を表した…つもりだったのですが。

ゆえに「「納得」してどーする、アホか?」とそうした言説に向かって言い放ち、作中のシンジには、

「つまらねえ男だな。小奇麗な台詞吐いて小さく収まってんじゃねぇよ。足掻け!」

と叱咤する訳です。キミは人間ってものを全然わかっちゃあいないね、それは他者を理解しようとする姿勢なんかじゃまったくないんだよ? 道は長い、励め!と(苦笑)

いうのを「最も端折って」書いた所、どうも緒形さんには「全く違った意味」に解釈された様に思います。

まあ色々とご批判を頂いた訳ですが「あー、なるほど、そう言う風に見られていた訳だ 汗」と(苦笑)

と言う事で批判では無い事は御理解いただきたく。
まあ小生に対する手厳しい批判は良い勉強をさせて頂いたと感謝しております(深々)

では。



【Date:】 21 May 2009 22:48:00
【From:】 "緒形ゆう"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

>>41さらにわかりやすくするためコメント加工。



【Date:】 22 May 2009 12:55:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 管理人としては何か書くべきなのかなという気もしますが、何を書いていいのか考えが
まとまらない時は書かないというのも正解かと思うので書かない。書いてるけど(^^;)。

 とりあえず鯖さん、まずは落ち着いて書いてください(笑)。
 この掲示板は時間の流れがゆったりとしているので、慌てて書かなくても誰かに先に書
かれて考えてる事が無効になってしまうというような事はまずありません(絶対とはいい
ませんが)。なので、だーっと書かずに書きたいことを脳内でまとめていただき、それか
ら書いて、できるならば一回くらい読み直して誤変換を修正し(爆)、それから投稿してい
ただけると幸いです。それなりにちゃんとしてることを言おうとしていて、私などはつい
ていくのにあっぷあっぷな状態なので、誤変換を脳内変換するのは困難です。

 それからあれですね。鯖さんの怒りの源泉というのはEOE公開前後のエヴァFF界の状況
にあると思うんですが(これを外してたら以下全て無効なんですが)、そのあたりの空気
感は私も恐らく緒形さんも共有できないんですよ。いろいろ聞いたり読んだりはしました
が、前提が無いだけになんで当時はこんなにエキサイトしてたのかがもう一つ理解し難い。
ログとか読んでもダメです。それはリアルタイムでその場にいた人が後から読んで「こう
だったな」と思うだけで、後追いで読んでもわからないのです。前提の無い人に伝えよう
と言う意思を持って書いてるわけではないので当たり前です。

 なので、その辺の状況を一度きっちりまとめて書いてみるのもいいかもしれませんね。
伝わるように。それは後世への貴重な資料となるでしょう。アスカ属性の人にも書いてい
ただければ、あわせて一冊の本にして出版できるかもしれませんよ。そしたら印税生活で
うはうはです。

 能天気なコメントですいません(^^;)。

 その辺(EOE後)の状況、きっちりまとめて伝わるように書いてあるのがどっかにあっ
たら教えてください。勉強しに行きます。総合のログ以外で(笑)。



【Date:】 22 May 2009 14:13:00
【From:】 "鯖"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

tamb様

いや、ご面倒をお掛けし申し訳ありません(苦笑)

「管理人さんにお詫びを申し上げてなかった 汗」

と思ったら書き込むよりお言葉が先に(汗)
すみません(汗)

えーと、何から申し上げたものか(汗)
先ず、少し驚いたのは「全然怒っているとかでは無い」訳だったんですが、何かそう言う様に見えるみたいで…(汗)

あの書き込み「口調」は全て只の「ノリ」と言いますか染み付いた「癖」の様なもので怒り・悪意・敵意の様な物は一切ございません。のですが何かお騒がせしているようで申し訳ないです(汗)

創作やコラムを書く時と違い、掲示板での会話?は「ライブ感覚でのノリ」を表現したいと言う事が常に習慣としてありまして、細かい説明なぞは全てすっとぱして書いております。その辺りを御理解いただければ「これは只の悪ノリに過ぎぬ」とおくみ取りいただけるものかと思っております。すみません(平伏)

その上で、

「思いついた時に感じた事を直観的に書く」
(折角の対話なので「どういう意味?」と聞いて頂けたら色々対話の中で説明差し上げる、と言う様な形を念頭に置いた習慣です。)

と言う事を毎度「好き好んで」やっております(苦笑)あと、ワードパッド等で書いて貼り付けると改行が変になり、こまめに切らないとキーが時間切れで無効になる(仕事中にサボリで書いているのでよく中断します 苦笑)と言う特殊事情もあるかも(汗)

煩わしい文章で申し訳ありません(平伏)

多分内容的には「とても整理して書くようなシロモノでもない」と思いますので御容赦の程を(汗)

「怒り」(?)の源泉

前述の如く、既に「怒っているわけでは全然無い」のですが、まあEOEとその前後の状況に対する「当時の疑問や不快感」と言うのは、小生のエヴァ観の中核を作ってしまっている事は事実かと思います。

故に、物を見る尺度がどうしてもその辺りに由来しやすくなっていますし、当時それこそ全開でやっていた「本田透批判」なぞ未だにライブ感覚を引き摺っている面はあります(苦笑)

全体としては「批判自体は所詮お遊びだが、その時自分の中に出来た理屈はそう間違っては居ないし応用が利く」と思っています(笑)

が…それをエヴァFF関係の「回顧録」?とかにすると言うのは流石にアホ過ぎる話になってしまうので一寸難しいですね(苦笑) むしろ「ヲタクと社会」みたいなテーマの論説にするならまだできるのかもしれませんが…

で、此処で小生がEOE直後のあの「異様な空気」?を回顧しつつ色々言っているのは「ふーん、そんな事があったんだ」程度に聞き流して頂ければ幸いです(笑)所詮「昔話」とおもってつい「懐かしく」語っていただけ、のつもりだったのです。

が…どうもそう取っていただけ無かったのかな?と言う所もあるみたいで(汗)

緒形さんが急に「比喩」?にあれを振られたので正直「えー?」と言う感想は持ちました。次に「誤解されてるなあ」「ほっとくのもあれだよね」と思い色々書いている内に「…いきなり前振りも無く、特に小生を『ダシ』として使われた事に対する個人宛の断りも無かった。と言う事はやっぱり敵意を抱かれていると考えるべきなのかなあ」とも思った訳です(汗)

「ダシに使ったけど御免な?悪気はないよ?」と言う小生宛の「承諾取り付け」の一つもあればそうも思わなかった訳なのですが、「読者一般宛」の説明としてあえて小生個人宛のコメントを「避けておられる」以上は、これは「言わなくても解るよな?お前の事だよこの野郎」と言外に言っておられるのかもしれん…と思ったわけでして。

まあ「冗談」「ネタ」ならば「悪いな。許せや」位のフォローくらいはあるだろうがあえてそれを避けて通られた、と言う点で。無論、それを「非礼だ」と一々目くじら立てる程野暮ではないつもりですが…流石に「引いた」んです(苦笑)

ああ、本気で「嫌われてるなあ」と(汗)

それについては申し訳ないと思いつつも「けど一方的に嫌われて只頭下げるのもなんか筋が違う」「それは幾らなんでも身に覚えは無いですよ?罵倒されるのを避けようとは思いませんが、全て仰る通りとはいえません。」とだけはあれで申し上げたつもり、なんですよね。

ま、幾ら「本意じゃないから気にするな」と言われても「普通、断り無しにああ言う使い方をして直接の詫びもないのはやっぱり嫌われてるからだろう」とは思った訳なんです(苦笑)

まあ、さびしいなあ、とは思ったもので。
そして不快感を与えてしまった事には申し訳ない、と思いつつ「でもそれ以上に頭下げる理由はないんだよなあ…」とも。

まあ、そう言うあたりなのです。お騒がせする結果になり申し訳ありませんでした(平伏)



【Date:】 31 May 2009 23:39:00
【From:】 "tamb"
【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう

 レイにしてもシンジにしても本編の中であんなに苦しんだんだからもういいじゃないか、
という某氏の言葉が高熱にうなされている私の脳裏を繰り返しよぎった。
 というのは半ば嘘だが(爆)、この言葉に私は、基本的にと言うより全面的に賛成する。

 “彼女”はそんな表面的な幸福にはこだわらない。やるだけのことをやり、悔いがなけ
れば得られた結果は幸福であると定義づけるだけの強さがある。

 シンジは今にも訪れようとしている、いわゆる“不幸”からひたすら目を逸らし、ステ
レオタイプな幸福を、目を覚ませと言われるまで、まさに夢見続けていた。
 しかし彼はこうも思う。

>  彼女が幸せでありさえすればいい
>  自分が不幸になってもかまわない

 いくつかのシミュラークルを通して、シンジは本気で生きることを身に付けた。(>>13)
本気で生きさえすれば、それが幸せであると。逆に言えば、たとえ自分が不幸であっても
彼女の幸せを願うという生き方は本気の生き方ではないということだとも言える。
 しかしこれは言葉遊びに近い。何が幸せで何か不幸せかの定義づけが曖昧だからだ。彼
女が幸福でありさえすれば自分が不幸でもそれは幸福であるというならば、それは既に不
幸ではない。

 真実は与えられるものではない、と思う。だから、綾波レイと碇シンジ、あるいはエヴ
ァンゲリオンという“毛布”を抱えて生きることを決意した私は、「今はまだこれでいい
と思う」という彼を肯定することはできない。「僕にできることはまだまだいっぱいある
ようだ」という想いに安住している彼は「甘美な世界で眠り続けている」ようにしか見え
ないからだ。「やっと辿りついた遠い世界」が与えられた真実にしか見えないからだ。

 不幸から目を逸らしても幸せは来ない。精一杯やった結果がそこにあるなら、それは受
け止めなければならない。精一杯やったんだから悔いはないし、それは幸せであると言え
るのだと。
 それでも私は、笑顔で「幸せだよね」と彼らに言うことはできない。たとえそれが押し
付けであろうとも。


 以上、宿題の回答でございました。




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