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身の丈に合わない袈裟を着ている/のの
件名 | : Re: 身の丈に合わない袈裟を着ている/のの |
投稿日 | : 2023/05/05(Fri) 00:44 |
投稿者 | : tamb |
参照先 | : |
少し長めの引用を。
――tamb――
>> レイはユイを知らないはずだし、その振り袖姿をなぜゲンドウに
>>見せようと思ったのかはわからない。単に可愛いからだったかもし
>>れない。ただ、自分の存在にゲンドウの罪があったという意識はあ
>>る――あったように思える。そこにはもちろんユイもいる。自分は
>>レイであってユイではないし、ゲンドウがいなければ存在していな
>>かった。それが罪だとしたら、自分の存在は否定されることになる。
>>自分の人生を歩んで行こうとするならば、それは乗り越えなければ
>>ならない。
>>
>>「お義父さん!」
>>
>> 今まで司令と呼んでいたレイがこう言った瞬間、迷いのない大声
>>で言った瞬間に、レイはそれを乗り越え、ゲンドウは赦された。レ
>>イが象徴として背負った罪は、ユイが引き受けたのだろう。目を閉
>>じなくてもすぐ近くにいる、偏在するユイが、救世主として。
――のの――
>レイと振袖のくだりは、自分の中でもあまり意味付けをしませんで
>した。
>ゲンドウを主人公とした話において、レイがゲンドウにとって「都
>合のいい救いを向こうから与えてくれる」のだけは避けたいと思い。
>あくまでゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出してもら
>う必要があると思い、ここの描写は少し定義を曖昧にしています。
以前、ここだと思ったポイントを長々と書き込んだら、そのポイントを転載時だったか正式公開時だったかにばっさりと削除されてあらまーとなった(爆)経験があるのでアレですが、私がこう読んだというのは事実なので誤読だろうが何だろうがそんなことは知ったことではないのだ。
つまり私の視点が――視点というのは技術の話ではなくて読む時の感情移入の話なんだけど、それがレイ寄りになっているということなんだと思う。「お義父さん!」と呼ばれたゲンドウの気持ちを考えるのではなく、呼んだレイの気持ちを考えるという意味で。どちらも作品中に描かれてはいないので、それは読者に委ねられている。深読みするしないを含めて。
自分がどれだけシンジの(あるいはレイの)父親であったかという部分を踏まえると、どの面下げて、という気持ちはたとえ僅かでもあったと思う。シンジから連絡があったのだとしても、来てよとお願いされていたのだとしても、だ。大学の卒業式に親が来るのかという論点は置いておく。
ここにいてもいい理由、などということを言うつもりはないけれど、好むと好まざるとにかかわらず自分は子供たちの父親である、という事実を受け入れる時、一定の赦しは必要であると思えた。レイにとってゲンドウの罪を乗り越えることが自分の存在を肯定することだと考えた時、司令ではなく「お義父さん!」と呼んだ時それを乗り越え、“結果として”ゲンドウは赦された、と読んだわけだ。「お義父さん!」という言葉にはそれだけのインパクトがあった。
動いたのはレイだ。ゲンドウではない。
それが「都合のいい救いを向こうから与えてくれる」のかどうかは難しい所だと思う。私はそうは思わないし、救われてなお「ゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出」せるかどうかはゲンドウ自身にかかっていると思うけれど、今の彼なら可能だろう。行ったり来たりなのかもしれないけれど
いずれにしろ作者の意図しない部分を読んでしまったということなのだろうけれど、読めてしまったものは誤読だろうが何だろうがしょーがねーじゃんという話なのだ!!
――tamb――
>> レイはユイを知らないはずだし、その振り袖姿をなぜゲンドウに
>>見せようと思ったのかはわからない。単に可愛いからだったかもし
>>れない。ただ、自分の存在にゲンドウの罪があったという意識はあ
>>る――あったように思える。そこにはもちろんユイもいる。自分は
>>レイであってユイではないし、ゲンドウがいなければ存在していな
>>かった。それが罪だとしたら、自分の存在は否定されることになる。
>>自分の人生を歩んで行こうとするならば、それは乗り越えなければ
>>ならない。
>>
>>「お義父さん!」
>>
>> 今まで司令と呼んでいたレイがこう言った瞬間、迷いのない大声
>>で言った瞬間に、レイはそれを乗り越え、ゲンドウは赦された。レ
>>イが象徴として背負った罪は、ユイが引き受けたのだろう。目を閉
>>じなくてもすぐ近くにいる、偏在するユイが、救世主として。
――のの――
>レイと振袖のくだりは、自分の中でもあまり意味付けをしませんで
>した。
>ゲンドウを主人公とした話において、レイがゲンドウにとって「都
>合のいい救いを向こうから与えてくれる」のだけは避けたいと思い。
>あくまでゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出してもら
>う必要があると思い、ここの描写は少し定義を曖昧にしています。
以前、ここだと思ったポイントを長々と書き込んだら、そのポイントを転載時だったか正式公開時だったかにばっさりと削除されてあらまーとなった(爆)経験があるのでアレですが、私がこう読んだというのは事実なので誤読だろうが何だろうがそんなことは知ったことではないのだ。
つまり私の視点が――視点というのは技術の話ではなくて読む時の感情移入の話なんだけど、それがレイ寄りになっているということなんだと思う。「お義父さん!」と呼ばれたゲンドウの気持ちを考えるのではなく、呼んだレイの気持ちを考えるという意味で。どちらも作品中に描かれてはいないので、それは読者に委ねられている。深読みするしないを含めて。
自分がどれだけシンジの(あるいはレイの)父親であったかという部分を踏まえると、どの面下げて、という気持ちはたとえ僅かでもあったと思う。シンジから連絡があったのだとしても、来てよとお願いされていたのだとしても、だ。大学の卒業式に親が来るのかという論点は置いておく。
ここにいてもいい理由、などということを言うつもりはないけれど、好むと好まざるとにかかわらず自分は子供たちの父親である、という事実を受け入れる時、一定の赦しは必要であると思えた。レイにとってゲンドウの罪を乗り越えることが自分の存在を肯定することだと考えた時、司令ではなく「お義父さん!」と呼んだ時それを乗り越え、“結果として”ゲンドウは赦された、と読んだわけだ。「お義父さん!」という言葉にはそれだけのインパクトがあった。
動いたのはレイだ。ゲンドウではない。
それが「都合のいい救いを向こうから与えてくれる」のかどうかは難しい所だと思う。私はそうは思わないし、救われてなお「ゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出」せるかどうかはゲンドウ自身にかかっていると思うけれど、今の彼なら可能だろう。行ったり来たりなのかもしれないけれど
いずれにしろ作者の意図しない部分を読んでしまったということなのだろうけれど、読めてしまったものは誤読だろうが何だろうがしょーがねーじゃんという話なのだ!!
件名 | : Re: 身の丈に合わない袈裟を着ている/のの |
投稿日 | : 2023/03/28(Tue) 21:41 |
投稿者 | : のの |
参照先 | : |
今日は前日譚も公開したよ。
じつはふるーーーいSSのオマージュです。
誰にもわからない自信がある。
◆史燕さん
いつも感想ありがとうございます!
TwitterのDMでも書きましたが、こちらも気分が変わっているところもあるので改めて返信をば。
>毎度毎度みんなで無理難題を投げつけているにもかかわらず、どんなとんでもない悪送球でさえ綺麗にキャッチしてのけるあたり流石であります。
>(そしてそれに甘えて私達もまた書いて欲しいお題を好き放題に投げている)
前回あたりから皆さんの剛腕ぶりを楽しんでます。
たまにエグイ変化球ありますけど!笑
>ちゃんと父親をしています。
それです。
一義的にいい父親なんてものは存在しないし、2015年までに犯した罪で地獄行けてーい!な父親ですけれど。
でも、生きてるんですもの。
生きてさえいればどこだって天国になるわ。
↑この言葉を、地に足をつけて実現してもらうための一歩という感じで書きました。
この台詞出すとお決まり感あってつまらないんで出しませんでしたけど。
>レイとはしっかり語り合うのに、シンジとはお互いあっさりと。
>なんだか、父親と息子って感じがしていいですね。
こういうリアリティは実人生でもよくありますからね……笑
僕の父親もいい父親ではありませんでしたが、まあ、そこそこの距離感でやっていくことにした(それが一番めんどくさくないから)みたいな。
このゲンドウはそういう息子の成長も感じられるようになるでしょう。
似た者同士ですからね。
マスター、遂に登場してもらいました。
僕が書く話はわりと「2015年」または「成長した二人の日常」が多いので、出しどころがない人物だったんですよね。
『おでかけざんまい』におけるレイカさんの出し方のように、マスターって『影ながら支える』人物なので、その分メインキャラクターは適度に揺れていた方が映える人ですし。
そうなるとなかなか……だったのですが、今回は揺れているのはゲンドウですけれど、2人が待ち合わせする場所で落ち着きを与えられるのは、この喫茶店だなと、わりと自然に行きつきました。
僕の中で史燕さんの『喫茶店のマスター』という人物は「マスターであろうとしている(今では自然とそうなっている)」人だと思っていて。
相手が誰であろうとも『喫茶店のマスター』という立場をわきまえ続けるという信念の人、というプロファイリングをしています。
だから、公人だ私人だ息子だ距離感だと悩むゲンドウが出会うのに相応しいんじゃないかな、と。
気に入ってもらえてホッとしました。
>お願いしたお題に関して
>> 春の風が吹いてレイの髪が揺れ、頬を撫でていく。
>>それを追うようにシンジの指がレイの髪を整え、その去り際に指でそっと頬を撫でた。
>>それをレイがくすぐったそうに目を瞑り、開くと同時に微笑んだ。
>完璧です。これ以上はありません。
ありがとうございます!
このお話に出てくる、ほぼ唯一のLRSらしい部分です。
それが史燕さんとハルさんのお題ってところが、面白いなあ!と思って気合入れました。
と言ってもほとんど完コピというか、間を埋めるだけなので苦労することなく。
お二人が作った文章だと思ってます。
ということで、感想ありがとうございましたーーー!!!
じつはふるーーーいSSのオマージュです。
誰にもわからない自信がある。
◆史燕さん
いつも感想ありがとうございます!
TwitterのDMでも書きましたが、こちらも気分が変わっているところもあるので改めて返信をば。
>毎度毎度みんなで無理難題を投げつけているにもかかわらず、どんなとんでもない悪送球でさえ綺麗にキャッチしてのけるあたり流石であります。
>(そしてそれに甘えて私達もまた書いて欲しいお題を好き放題に投げている)
前回あたりから皆さんの剛腕ぶりを楽しんでます。
たまにエグイ変化球ありますけど!笑
>ちゃんと父親をしています。
それです。
一義的にいい父親なんてものは存在しないし、2015年までに犯した罪で地獄行けてーい!な父親ですけれど。
でも、生きてるんですもの。
生きてさえいればどこだって天国になるわ。
↑この言葉を、地に足をつけて実現してもらうための一歩という感じで書きました。
この台詞出すとお決まり感あってつまらないんで出しませんでしたけど。
>レイとはしっかり語り合うのに、シンジとはお互いあっさりと。
>なんだか、父親と息子って感じがしていいですね。
こういうリアリティは実人生でもよくありますからね……笑
僕の父親もいい父親ではありませんでしたが、まあ、そこそこの距離感でやっていくことにした(それが一番めんどくさくないから)みたいな。
このゲンドウはそういう息子の成長も感じられるようになるでしょう。
似た者同士ですからね。
マスター、遂に登場してもらいました。
僕が書く話はわりと「2015年」または「成長した二人の日常」が多いので、出しどころがない人物だったんですよね。
『おでかけざんまい』におけるレイカさんの出し方のように、マスターって『影ながら支える』人物なので、その分メインキャラクターは適度に揺れていた方が映える人ですし。
そうなるとなかなか……だったのですが、今回は揺れているのはゲンドウですけれど、2人が待ち合わせする場所で落ち着きを与えられるのは、この喫茶店だなと、わりと自然に行きつきました。
僕の中で史燕さんの『喫茶店のマスター』という人物は「マスターであろうとしている(今では自然とそうなっている)」人だと思っていて。
相手が誰であろうとも『喫茶店のマスター』という立場をわきまえ続けるという信念の人、というプロファイリングをしています。
だから、公人だ私人だ息子だ距離感だと悩むゲンドウが出会うのに相応しいんじゃないかな、と。
気に入ってもらえてホッとしました。
>お願いしたお題に関して
>> 春の風が吹いてレイの髪が揺れ、頬を撫でていく。
>>それを追うようにシンジの指がレイの髪を整え、その去り際に指でそっと頬を撫でた。
>>それをレイがくすぐったそうに目を瞑り、開くと同時に微笑んだ。
>完璧です。これ以上はありません。
ありがとうございます!
このお話に出てくる、ほぼ唯一のLRSらしい部分です。
それが史燕さんとハルさんのお題ってところが、面白いなあ!と思って気合入れました。
と言ってもほとんど完コピというか、間を埋めるだけなので苦労することなく。
お二人が作った文章だと思ってます。
ということで、感想ありがとうございましたーーー!!!
件名 | : Re: 身の丈に合わない袈裟を着ている/のの |
投稿日 | : 2023/03/25(Sat) 20:34 |
投稿者 | : 史燕 |
参照先 | : |
事前にお断りしておきます。
無駄に長い上に取り留めのない文章ですので、お読みいただく際は十分にご注意いただければと思います。
ののさんの新作、お待ちしておりました。
毎度毎度みんなで無理難題を投げつけているにもかかわらず、どんなとんでもない悪送球でさえ綺麗にキャッチしてのけるあたり流石であります。
(そしてそれに甘えて私達もまた書いて欲しいお題を好き放題に投げている)
いつもありがとうございます。
さて、本作はtambさんADZさんがすでに言及されているとおり碇ゲンドウという人物をどう捉えるかというファクターを抜きにして語ることはできません。
原作では明らかに悪役ムーブ、黒幕ムーブをしており、父と子の相克というテーマを抱きつつ全然父親としての仕事をしていない、だからこそ大人になりきれていないという部分が(他のキャラクターもそうですが)エヴァという作品の特徴的な要素として機能している(その是非は脇に置きます)人物であります。
翻って本作においてですが、ちゃんと父親をしています。
本人とレイの言葉を借りれば「いい父親ではない」のですけれど、父親であるという役割を自認し、可能な限り果たそうとしています。
大学の卒業式というのはあくまでライフステージにおけるセレモニーのひとつですが、それに参加し、息子義娘と向き合い、ゲンドウ自身も未来へと踏み出そうとしています。
本編では、シンジやレイと向き合わず、過去と、ユイとの思い出だけに縋っていた彼が、その思い出を胸に抱きながら、シンジとレイと向き合い、べったりした関係ではない、かといって完全に離れてしまうわけでもない、文字通り大切な距離感を保ちながら、明日へと進んでいくことが示されています。
菜の花やニオイコブシ、そして白樺を妻と一緒に眺めた日々を大切に仕舞いながら、今度は子供達がおなじような、だけど自分とはまた違う軌跡を歩いて行くことを見守っていくのでしょう。
上記の全体における主題に関しては自明のことかもしれませんが、これをきちんと形にしてくださったことがまた特別に価値があることだと思います。
私も何度かゲンドウとシンジについて書いたこともありますが、この2人が良好な関係になるということは、綾波レイという女性の幸福を考える上では、必須とまでは言わないものの、可能であれば達成されているとよい条件であるからです。
レイとはしっかり語り合うのに、シンジとはお互いあっさりと。
なんだか、父親と息子って感じがしていいですね。
全体については以上として、個人的な話を。
ののさん、マスターを登場させてくださり誠にありがとうございます。
DMでも申し上げましたが何度でも、本当にありがとうございます。
感謝感激雨霰です。
自作品のキャラクターを他の作者さんに出していただくというのには昔からあこがれがありまして、他にもマスターを使ってくださった方もいらっしゃるのですが、よもやののさんにも使っていただけるとは思いもよらず、初見の際には信じられず「うちのマスターでいいですよね?」的なニュアンスの思い返せば愚にも付かない確認を送ってしまったほどです。
空気感も、描写も、拙作のものをそのままというか、私より巧いので悔しいくらいです。
こんな書き方もできるという意味で勉強になりました。
お願いしたお題に関して
> 春の風が吹いてレイの髪が揺れ、頬を撫でていく。
>それを追うようにシンジの指がレイの髪を整え、その去り際に指でそっと頬を撫でた。
>それをレイがくすぐったそうに目を瞑り、開くと同時に微笑んだ。
完璧です。これ以上はありません。
お願いした後に他の方のお題を確認したらハルさんのお題と描写が重なってしまっていたのですが「まあきっとたぶん大丈夫でしょう」と気楽に投げてしまったボールです。
綺麗に返してくださいました。
初校の際にも長い長い感想を送っておきながらまた長文じゃないかと呆れられてしまいますが、思いの丈をぶつけるのが感想掲示板だと思っていますので赦してください。
執筆お疲れ様でした。
無駄に長い上に取り留めのない文章ですので、お読みいただく際は十分にご注意いただければと思います。
ののさんの新作、お待ちしておりました。
毎度毎度みんなで無理難題を投げつけているにもかかわらず、どんなとんでもない悪送球でさえ綺麗にキャッチしてのけるあたり流石であります。
(そしてそれに甘えて私達もまた書いて欲しいお題を好き放題に投げている)
いつもありがとうございます。
さて、本作はtambさんADZさんがすでに言及されているとおり碇ゲンドウという人物をどう捉えるかというファクターを抜きにして語ることはできません。
原作では明らかに悪役ムーブ、黒幕ムーブをしており、父と子の相克というテーマを抱きつつ全然父親としての仕事をしていない、だからこそ大人になりきれていないという部分が(他のキャラクターもそうですが)エヴァという作品の特徴的な要素として機能している(その是非は脇に置きます)人物であります。
翻って本作においてですが、ちゃんと父親をしています。
本人とレイの言葉を借りれば「いい父親ではない」のですけれど、父親であるという役割を自認し、可能な限り果たそうとしています。
大学の卒業式というのはあくまでライフステージにおけるセレモニーのひとつですが、それに参加し、息子義娘と向き合い、ゲンドウ自身も未来へと踏み出そうとしています。
本編では、シンジやレイと向き合わず、過去と、ユイとの思い出だけに縋っていた彼が、その思い出を胸に抱きながら、シンジとレイと向き合い、べったりした関係ではない、かといって完全に離れてしまうわけでもない、文字通り大切な距離感を保ちながら、明日へと進んでいくことが示されています。
菜の花やニオイコブシ、そして白樺を妻と一緒に眺めた日々を大切に仕舞いながら、今度は子供達がおなじような、だけど自分とはまた違う軌跡を歩いて行くことを見守っていくのでしょう。
上記の全体における主題に関しては自明のことかもしれませんが、これをきちんと形にしてくださったことがまた特別に価値があることだと思います。
私も何度かゲンドウとシンジについて書いたこともありますが、この2人が良好な関係になるということは、綾波レイという女性の幸福を考える上では、必須とまでは言わないものの、可能であれば達成されているとよい条件であるからです。
レイとはしっかり語り合うのに、シンジとはお互いあっさりと。
なんだか、父親と息子って感じがしていいですね。
全体については以上として、個人的な話を。
ののさん、マスターを登場させてくださり誠にありがとうございます。
DMでも申し上げましたが何度でも、本当にありがとうございます。
感謝感激雨霰です。
自作品のキャラクターを他の作者さんに出していただくというのには昔からあこがれがありまして、他にもマスターを使ってくださった方もいらっしゃるのですが、よもやののさんにも使っていただけるとは思いもよらず、初見の際には信じられず「うちのマスターでいいですよね?」的なニュアンスの思い返せば愚にも付かない確認を送ってしまったほどです。
空気感も、描写も、拙作のものをそのままというか、私より巧いので悔しいくらいです。
こんな書き方もできるという意味で勉強になりました。
お願いしたお題に関して
> 春の風が吹いてレイの髪が揺れ、頬を撫でていく。
>それを追うようにシンジの指がレイの髪を整え、その去り際に指でそっと頬を撫でた。
>それをレイがくすぐったそうに目を瞑り、開くと同時に微笑んだ。
完璧です。これ以上はありません。
お願いした後に他の方のお題を確認したらハルさんのお題と描写が重なってしまっていたのですが「まあきっとたぶん大丈夫でしょう」と気楽に投げてしまったボールです。
綺麗に返してくださいました。
初校の際にも長い長い感想を送っておきながらまた長文じゃないかと呆れられてしまいますが、思いの丈をぶつけるのが感想掲示板だと思っていますので赦してください。
執筆お疲れ様でした。
件名 | : Re: 身の丈に合わない袈裟を着ている/のの |
投稿日 | : 2023/03/25(Sat) 01:37 |
投稿者 | : のの |
参照先 | : |
公開されたぜいぇーい!
◆tambさん
碇ゲンドウ、正直謎の人物像。
それを言ったらエヴァの人物は大概そんななので、今回のゲンドウには徹底して『親』になってもらいました。
歳月を、加齢を、ロクにしてもいない子育ての役割の終わりを、成長を、色褪せない思い出を。
レイと振袖のくだりは、自分の中でもあまり意味付けをしませんでした。
ゲンドウを主人公とした話において、レイがゲンドウにとって「都合のいい救いを向こうから与えてくれる」のだけは避けたいと思い。
あくまでゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出してもらう必要があると思い、ここの描写は少し定義を曖昧にしています。
男の自分が女性を描き込むことは難しい、という現実を踏まえた諦めとも言えます……汗
その割に「お義父さん」とか叫ばせちゃったわけですが、その言葉そのものより、その言い方にユイを見出したのはやっぱりゲンドウなので、まあ、ええかな……と。
本作は拙作『A.D.2016』になぞらえるとゲンドウ版『ポスターフレーム』で、ただし「ちゃんとポスターフレームに納める」というエンディングになっています。
罪深い人の生きる術として、今はもう不変の存在となったユイと共に生きることになるゲンドウ君。
それが彼に歩んでほしい生き方だったなと、思うのでした。
◆ADZさん
感想ありがとうございます!うれしーーーーー!!!
>ゲンドウ氏は無くしたものに縋り大人になることを投げ出し過去ばかり見ている寂しい人
本当にそうだと思います。
特に個人的には『シンジという忘れ形見にユイを見出さず、ユイそのものを追い求めた』ことに彼の罪深さがあると思います。
シンジとレイを通じてユイを見出した彼なら、ユイのことを忘れず大切な思い出として抱えていけるのではないかなと思い、このような話になりました。
ADZさんの思考を垣間見せていただき、ありがとうございます。
このようなお言葉を頂戴できて、とってもとっても、嬉しいです!
◆tambさん
碇ゲンドウ、正直謎の人物像。
それを言ったらエヴァの人物は大概そんななので、今回のゲンドウには徹底して『親』になってもらいました。
歳月を、加齢を、ロクにしてもいない子育ての役割の終わりを、成長を、色褪せない思い出を。
レイと振袖のくだりは、自分の中でもあまり意味付けをしませんでした。
ゲンドウを主人公とした話において、レイがゲンドウにとって「都合のいい救いを向こうから与えてくれる」のだけは避けたいと思い。
あくまでゲンドウ自身が彼女への『大切な距離感』を見出してもらう必要があると思い、ここの描写は少し定義を曖昧にしています。
男の自分が女性を描き込むことは難しい、という現実を踏まえた諦めとも言えます……汗
その割に「お義父さん」とか叫ばせちゃったわけですが、その言葉そのものより、その言い方にユイを見出したのはやっぱりゲンドウなので、まあ、ええかな……と。
本作は拙作『A.D.2016』になぞらえるとゲンドウ版『ポスターフレーム』で、ただし「ちゃんとポスターフレームに納める」というエンディングになっています。
罪深い人の生きる術として、今はもう不変の存在となったユイと共に生きることになるゲンドウ君。
それが彼に歩んでほしい生き方だったなと、思うのでした。
◆ADZさん
感想ありがとうございます!うれしーーーーー!!!
>ゲンドウ氏は無くしたものに縋り大人になることを投げ出し過去ばかり見ている寂しい人
本当にそうだと思います。
特に個人的には『シンジという忘れ形見にユイを見出さず、ユイそのものを追い求めた』ことに彼の罪深さがあると思います。
シンジとレイを通じてユイを見出した彼なら、ユイのことを忘れず大切な思い出として抱えていけるのではないかなと思い、このような話になりました。
ADZさんの思考を垣間見せていただき、ありがとうございます。
このようなお言葉を頂戴できて、とってもとっても、嬉しいです!
件名 | : Re: 身の丈に合わない袈裟を着ている/のの |
投稿日 | : 2023/03/24(Fri) 23:45 |
投稿者 | : ADZ |
参照先 | : |
人はいつ大人になるのでしょう。
私見ではありますが原作作中のゲンドウ氏は無くしたものに縋り大人になることを投げ出し過去ばかり見ている寂しい人だったようにも思っています。
大人になる切っ掛けはきっと人それぞれ様々な事由からとなることでしょう。
本作ではシンジ君と向き合い、綾波さんを一人の人間として認めることで子供たちの未来を見て、ようやくゲンドウは大人として歩き始めたのかもしれない、そんなことを思いました。
立ち去る先達を見て、次代を託す者たちを見て、何を感じて何を思ったのか、そこに何があるのか。それをどう考えているのだろう。
そんなことを考えていき、きっと彼ハこれまでの人生は無意味なものではなかったとそう思えるようになったのではないのだろうか、一人の親として子の成長を喜べる大人になっていたのではないだろうかと。
この先の未来、幸せな二人のそばに幸せなゲンドウさんがいてくれるのだろうとそう思える、そんな作品だと思います。
取り留めなく何を言いたいのかわかりづらいであろう文章で恐縮ですが、感じたことの一部分を語らせていただきました。
一言で言えば、素晴らしい作品をありがとうございました、といいたいだけなのですが。
語りたいことはまだまだ多々あれどどうにも形にならず言語化できないためこのような乱文にて失礼させていただきます。
作品の書上げ、お疲れさまでした。
ではまた。
私見ではありますが原作作中のゲンドウ氏は無くしたものに縋り大人になることを投げ出し過去ばかり見ている寂しい人だったようにも思っています。
大人になる切っ掛けはきっと人それぞれ様々な事由からとなることでしょう。
本作ではシンジ君と向き合い、綾波さんを一人の人間として認めることで子供たちの未来を見て、ようやくゲンドウは大人として歩き始めたのかもしれない、そんなことを思いました。
立ち去る先達を見て、次代を託す者たちを見て、何を感じて何を思ったのか、そこに何があるのか。それをどう考えているのだろう。
そんなことを考えていき、きっと彼ハこれまでの人生は無意味なものではなかったとそう思えるようになったのではないのだろうか、一人の親として子の成長を喜べる大人になっていたのではないだろうかと。
この先の未来、幸せな二人のそばに幸せなゲンドウさんがいてくれるのだろうとそう思える、そんな作品だと思います。
取り留めなく何を言いたいのかわかりづらいであろう文章で恐縮ですが、感じたことの一部分を語らせていただきました。
一言で言えば、素晴らしい作品をありがとうございました、といいたいだけなのですが。
語りたいことはまだまだ多々あれどどうにも形にならず言語化できないためこのような乱文にて失礼させていただきます。
作品の書上げ、お疲れさまでした。
ではまた。
中学二年だった子供たちが大学を卒業する。
それは想像を絶するほど長い、いわば永遠ともいえる月日であり、決して到達することのない悠久の時の流れと言っても良いだろう。だが実際には十年にも満たない年月でしかなく、ほとんど一瞬でしかない。永遠と一瞬では全く意味が異なるが、それもまた真実である。子供たちにとっては人生の倍にやや欠ける時間だが、こちらにとっては数分の一でしかない。だが足腰は衰えるし老眼にもなる。そういう時間だ。
子供たちが成長し自立するというのは、大人にとっては区切りとなる出来事である。もちろんレイもシンジも以前から事実上自立していたはずだし、ゲンドウも親らしいことはほとんどしていないと思うけれど、それでもそれに変わりはない。しばらくぶりに会って話せば、大人になったなと思うだろう。レイの声はユイのそれに近づいていたはずだ。
ゲンドウという人物は、私にはよくわからない。ただ、若干の違和感を伴いつつも妙な人間臭さや弱さを感じさせる部分はある。本作なら例えば「今日の約束を交わすことを躊躇していることを先の腹心の部下二人に話す」という場面だ。どんな顔で、どんな口調で、加持やカヲルに話したのだろうか。
自分がしてきたことを考える時、レイは「私の罪の象徴」となる。もちろん彼女はゲンドウに自らの罪を思い起こさせるためにあるのではなく、「彼女自身の意思と息子の願いによってこの世界に留まった」のだし、シンジは「少女の生を願った」からだ。もとより、その生はともかく精神的な意味でのその存在に他者は介在し得ない。たとえ親であっても。
レイはユイを知らないはずだし、その振り袖姿をなぜゲンドウに見せようと思ったのかはわからない。単に可愛いからだったかもしれない。ただ、自分の存在にゲンドウの罪があったという意識はある――あったように思える。そこにはもちろんユイもいる。自分はレイであってユイではないし、ゲンドウがいなければ存在していなかった。それが罪だとしたら、自分の存在は否定されることになる。自分の人生を歩んで行こうとするならば、それは乗り越えなければならない。
「お義父さん!」
今まで司令と呼んでいたレイがこう言った瞬間、迷いのない大声で言った瞬間に、レイはそれを乗り越え、ゲンドウは赦された。レイが象徴として背負った罪は、ユイが引き受けたのだろう。目を閉じなくてもすぐ近くにいる、偏在するユイが、救世主として。
だからゲンドウも救われることになる。卒業式のこの象徴的な日に、罪深き人の一人として。
マスターの話とか、頭にリボンのレイに萌えとか、シンジとレイがやたらイチャついてるとか、そういう部分は書ききれないので皆さまよろしくお願いしますw
作品はこちら。
http://ayasachi.sweet-tone.net/cont/nono/nono21.htm