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件名 | : Re: 待ち合わせのときめき |
投稿日 | : 2025/08/11(Mon) 00:42 |
投稿者 | : tamb |
参照先 | : |
掲載されなかった後書き
依存という言葉にネガティブなイメージを持つ人は一定数いると思う。それ自体は否定しない。頑張って生きている人ほどそういうイメージを持っているという印象がある。誰もが同じ学校の生徒ではない。そんな当たり前のことに、いつかは気付いてしまうことになる。
それでも私は、ひとは一人では生きてゆけないと思っている。
綾波レイに関して言えば、依存対象がシンジに変わっただけではないか、それは彼女にとって正しい生き方なのか、という意見はあるだろう。「正しい生き方」という大文字の議論には困難さがつきまとうが、綾波レイがシンジに依存し、碇シンジが綾波レイに依存していたとして、その相互依存の関係性に何らかの問題があるとは、私は思わない。
幸せは、仕合わせとも書く。共に仕え、支え合う。それは幸福の形のひとつだと信じている。
今回の「おでかけ」をテーマにしたアンソロジー、この稿を書いている時点ではまだ他の作者の方々の作品を拝読してはいないが、恐らくは全国各地でこれでもかと、あるいは静かにイチャつき倒しているのではないだろうか。仲良く喧嘩しているかもしれない。それもまた幸せの形、約束された幸福への切符なのだろう。
ひとは一人では生きてゆけない。ならば、べたべたに依存し合えば、それで良い。彼女の隣には彼がいて、彼の隣には彼女がいる。だって二人は、そういう二人なのだから。
最後に。私には物理的な書籍を作る気力も体力もないけれど、このような機会を与えて下さった史燕氏に心から感謝します。ありがとう。
依存という言葉にネガティブなイメージを持つ人は一定数いると思う。それ自体は否定しない。頑張って生きている人ほどそういうイメージを持っているという印象がある。誰もが同じ学校の生徒ではない。そんな当たり前のことに、いつかは気付いてしまうことになる。
それでも私は、ひとは一人では生きてゆけないと思っている。
綾波レイに関して言えば、依存対象がシンジに変わっただけではないか、それは彼女にとって正しい生き方なのか、という意見はあるだろう。「正しい生き方」という大文字の議論には困難さがつきまとうが、綾波レイがシンジに依存し、碇シンジが綾波レイに依存していたとして、その相互依存の関係性に何らかの問題があるとは、私は思わない。
幸せは、仕合わせとも書く。共に仕え、支え合う。それは幸福の形のひとつだと信じている。
今回の「おでかけ」をテーマにしたアンソロジー、この稿を書いている時点ではまだ他の作者の方々の作品を拝読してはいないが、恐らくは全国各地でこれでもかと、あるいは静かにイチャつき倒しているのではないだろうか。仲良く喧嘩しているかもしれない。それもまた幸せの形、約束された幸福への切符なのだろう。
ひとは一人では生きてゆけない。ならば、べたべたに依存し合えば、それで良い。彼女の隣には彼がいて、彼の隣には彼女がいる。だって二人は、そういう二人なのだから。
最後に。私には物理的な書籍を作る気力も体力もないけれど、このような機会を与えて下さった史燕氏に心から感謝します。ありがとう。
件名 | : Re: 待ち合わせのときめき |
投稿日 | : 2025/08/11(Mon) 00:41 |
投稿者 | : tamb |
参照先 | : |
書籍版後書き。一部加筆。
なぜ綾波レイにこれほどまでに思い入れることになったのか、今となってはもうわからない。
グレた妹という表現を、長いあいだ私は綾波レイに対して使っていた。これは、恋愛対象とはなり得ないが常にそこにいる、という程度の意味である。彼女にいわゆる妹性があるとは、私は思わない。重要なのは、恋愛対象とはなり得ない、という部分である。端的に言って、私は彼女に恋をしているわけではない。彼女を導き幸せをもたらすのは私ではない。私にできるのは見守ることだけだ。一般的にいう兄妹という関係性は想像(あるいは妄想)するしかないのだが、恐らくは一定程度は鬱陶しいものなのではないだろうか。
私には姉がいた。いた、という言葉を使うのは、彼女がもうこの世にはいないからなのだが。
幼い頃は比較的仲は良かったと思う。一般的に見てどうなのかはよくわからない。小さい頃はかわいかった、と言われた。そのまま返すよ、と私は答えた。
大人になってからは何年も会わない期間があった。鬱陶しいというよりも、存在が意識に上らなかったというのが正しい。たまに会っても何か話をすることがあるわけでもない。
だが余命宣告を受けてからは、例えば見舞いという形ではあっても良く会いに行った。彼女が背負ったのは脳の病で、徐々に退行してゆくのを見ているのは辛かった。
夜中近くに電話が鳴る。彼女は、昔一緒に良く聴いたあのアーティストのあの曲は何というタイトルだったか、と言って電話口で歌う。私は答える。ああそうだったね、と彼女は安心したように電話を切る。
そんなことが何度もあり、やがて途切れ、そして旅立っていった。
血の繋がった関係性というのは、断つことはできない。その人生に対する関わりは、あるいは濃密ではないかもしれないけれど、直接的に幸せを与えることはできないかもしれないけれど、断つことはできない。私にとって綾波レイは、そういう存在なのではないかと思う。
そこにいてくれればいい。生きて、ただそこにいてくれるだけで、それだけでいい。
彼女には十四歳の女の子として普通に生きて欲しい、と私は願っている。それは余計なお世話なのだろう。だがとても普通とは言えない生き方をしてきた彼女にとっては、普通であるというのはスタート地点なのだろうと思う。そしてその隣に碇シンジが立っていれば、もう私に何も言うことはない。
そういう何も起きない物語を、これからも私は書いてゆくことになるだろう。断つことのできない彼女への、彼女にとっては鬱陶しいであろう願いとして。
最後に。私には物理的な書籍を作る気力も体力もないけれど、このような機会を与えて下さった史燕氏に心から感謝します。ありがとう。
なぜ綾波レイにこれほどまでに思い入れることになったのか、今となってはもうわからない。
グレた妹という表現を、長いあいだ私は綾波レイに対して使っていた。これは、恋愛対象とはなり得ないが常にそこにいる、という程度の意味である。彼女にいわゆる妹性があるとは、私は思わない。重要なのは、恋愛対象とはなり得ない、という部分である。端的に言って、私は彼女に恋をしているわけではない。彼女を導き幸せをもたらすのは私ではない。私にできるのは見守ることだけだ。一般的にいう兄妹という関係性は想像(あるいは妄想)するしかないのだが、恐らくは一定程度は鬱陶しいものなのではないだろうか。
私には姉がいた。いた、という言葉を使うのは、彼女がもうこの世にはいないからなのだが。
幼い頃は比較的仲は良かったと思う。一般的に見てどうなのかはよくわからない。小さい頃はかわいかった、と言われた。そのまま返すよ、と私は答えた。
大人になってからは何年も会わない期間があった。鬱陶しいというよりも、存在が意識に上らなかったというのが正しい。たまに会っても何か話をすることがあるわけでもない。
だが余命宣告を受けてからは、例えば見舞いという形ではあっても良く会いに行った。彼女が背負ったのは脳の病で、徐々に退行してゆくのを見ているのは辛かった。
夜中近くに電話が鳴る。彼女は、昔一緒に良く聴いたあのアーティストのあの曲は何というタイトルだったか、と言って電話口で歌う。私は答える。ああそうだったね、と彼女は安心したように電話を切る。
そんなことが何度もあり、やがて途切れ、そして旅立っていった。
血の繋がった関係性というのは、断つことはできない。その人生に対する関わりは、あるいは濃密ではないかもしれないけれど、直接的に幸せを与えることはできないかもしれないけれど、断つことはできない。私にとって綾波レイは、そういう存在なのではないかと思う。
そこにいてくれればいい。生きて、ただそこにいてくれるだけで、それだけでいい。
彼女には十四歳の女の子として普通に生きて欲しい、と私は願っている。それは余計なお世話なのだろう。だがとても普通とは言えない生き方をしてきた彼女にとっては、普通であるというのはスタート地点なのだろうと思う。そしてその隣に碇シンジが立っていれば、もう私に何も言うことはない。
そういう何も起きない物語を、これからも私は書いてゆくことになるだろう。断つことのできない彼女への、彼女にとっては鬱陶しいであろう願いとして。
最後に。私には物理的な書籍を作る気力も体力もないけれど、このような機会を与えて下さった史燕氏に心から感謝します。ありがとう。
同人誌のタイトル通り、おでかけさせましょうという作品のアンソロなのですが、二人がどこかに出かけるという図があまり思い浮かばず、書きかけでぶん投げた中にそれらしいのがあったので、これでいいかなーとそれらしく書いてみました。書いてはみたものの、同人誌原稿募集のレギュレーションを熟読すると、これは書籍の求める「おでかけ」ではないのではないかという疑念が沸き起こり、冷汗を流しながら問い合わせたらOKがもらえて良かった良かった、という裏話。比較的好評だったようで、ありがたい限り限りでございます。
ちなみにお昼を食べる約束をした「いつもの喫茶店」というのは、あのマスターの喫茶店という設定でした。どうでもいい裏話。
作品はこちら。
http://ayasachi.sweet-tone.net/ff/going_on_rendezvous.htm