過去への決別 〜For the future〜Written by JUN
シンジとレイは今、NERVの研究所に来ていた。サードインパクト以来、使徒の殲滅という使命を終 えたNERVはその世界最高峰の技術と知識を人類の復興へと役立てていた。当然医療技術も発達してお り、バイオテクノロジーを用いた義足や義手、義眼といったものまで作ることができるようになって いた。 この研究所に来た理由は言うまでもない。レイの検査である。星空の下で想いを打ち明けてから数 日、ようやくレイにも心の準備ができた。何より、どんな結果であれ、シンジはきっと自分を受け入 れてくれる、という信頼のほうが大きかった。 「大丈夫?綾波」 さすがに緊張しているのか表情を強張らせているレイに向かってシンジが声をかけた。 「え、えぇ、大丈夫、ありがとう碇くん」 口では気丈に振舞っているが、やはり不安を拭えてはいないのだろう。白磁のようなその美しい頬 も、なんとなく青白いように思える。 「大丈夫だよ、綾波。何があっても、僕は綾波のそばにいるよ」 安心させるように、シンジが優しく言う。その言葉はゆっくりとレイの心にしみこみ、その表情を 安心したものに変えた。昔のレイを知っているものなら思わず振り返って見直してしまうような、柔 らかい表情だった。 「失礼します、赤木博士」 扉が開くと、NERVの知識の結晶、といっても過言ではないと言われる才女、赤木リツコが柔らかい 表情を浮かべて待っていた。サードインパクトの後、もはや組織としての力を失ったNERVを再建し、 今は冬月を司令として副司令の任に就いていた。ちなみにゲンドウはどうしているかというと、サー ドインパクトの後、「もう私の望みは果たせた。しかし全てのエヴァを失ってしまった今、私には司 令たる資格はない」と言い残し、どこへともなく去っていった。 「あら、レイ、待ってたわよ。決心はついた?」 「はい、よろしくお願いします」 「いいわ、いらっしゃい。シンジ君はそこで待っていて」 「はい」 そこから先の数十分は、耐え難い沈黙だった。レイのことを信じているし、万が一レイが遺伝子的 に使徒だったとしても、一生レイの側について守っていくつもりであった。しかし、もしそうなった 場合、レイは少なからず気に病むだろう。そのことを思うとやはり不安も隠せなかった。 落ち着かず待合室を行ったり来たりするシンジの目の前に何かが差し出された。慌てて顔を上げる と、元オペレーター、現リツコ専属助手、伊吹マヤがコーヒーの入った紙コップを持って立っていた。 その表情は『落ち着いて』とでも言いたげな、少し厳しい表情、それでいて、見るものをどこか安心 させる不思議な力に満ちていた。 「ありがとうございます」シンジは言って、コーヒーを一口すする。コーヒー特有の香りと苦味が 不思議とシンジの心を落ち着かせてくれた。 ――そうだ、僕がしっかりしなくてどうするんだ、僕が綾波を守るんだ。そう、きっと大丈夫・・・・ シンジはそう思いなおし、椅子に腰掛けた。マヤはシンジのそんな姿を見て安心したのか、シンジ に笑みを送ると、待合室から去っていった。 「お待たせ、結果が出たわ」 それから二十分ほど経った頃、ぷしゅう、と空気が抜けるような音を立てて扉が開くと、リツコと レイが入ってきた。その結果がどうであったかは、表情からは読み取ることはできない。 緊張した面持ちで、シンジとレイは薦められたソファに腰を下ろす。 「結果から言うわ。心の準備はいい?」 「はい、どんな結果であれ、僕は綾波を受け入れる覚悟はできています」 ふっとリツコが微笑みをもらす。 「いい覚悟だわ、少し妬けるわね、あなたたち。結果を言うと、レイは人間よ。遺伝子的には全く 問題ないわ。アルビノ体質であることを除けば私たちとなんら変わらないわ」 「私が、碇くんと、同じ・・・・・・」 言うなりレイはその真紅の双眸からぽろぽろと涙をこぼした。シンジに抱きつき、嗚咽を漏らす。 「よかったね、よかったね、綾波――」優しくレイの髪を撫でながらシンジも優しい声で答える。 レイの心にずっとあった深い悩みを今度こそ無くすことが出来た。それを思うとシンジもまた涙を止 める術を持たなかった。 「全くご都合主義としか言いようがないわね。これも神、いえ、元神様のなせる業、ということか しら」 優しく微笑みながら、リツコは言う。リツコ自身、信じられるものではなかった。サードインパク ト前にレイの体を調べたとき、間違いなくレイの体は半分人間、半分使徒、というものであった。し かし今回調べてみれば、レイの体は間違いなく人間のそれであり、子供が作れないといわれていたレ イの体の組織でさえ、もはや普通の女性といってよいものになっていた。 「それと、レイの遺伝子には、シンジ君のお母さん、碇ユイさんの遺伝子が含まれていたわ」 一瞬、二人の顔に緊張が戻る。遺伝子的に近親、ということになれば、これから先のことにも問題 があるかもしれない、そのことを思ったのだ。 「でも安心して、せいぜい『遠い親戚』という程度のものだから、心配しなくていいわ。あなたた ち、結婚もできるのよ」 言われて二人の顔が赤くなる。図星をつかれてどう応えてよいか決めかねているようだ。 ――なるほど、これは面白いわね、ミサト。 いつも二人のことをからかっているという同僚の顔が頭に浮かぶ。どうやら二人をからかって遊ぶ 人間がまた一人増えたようだ。 「検査は終わったから、もう帰っていいわ。あなたたちが来ると研究所の中が暑くてたまらないか ら、早く帰って頂戴」 言われてまた真っ赤になる。こうしたからかいにいちいち初々しい反応を見せてくれる二人がおか しくてたまらなかった。特にレイはこうした感情を自分の前で見せてくれることがなかったので新鮮 で、何より嬉しかった。 「冗談よ、まあ少し免疫が弱いから、定期的に検診に来て頂戴。あと、分かってると思うけど、外 に出るときにはちゃんと日焼け対策もしておいてね。レイ専用の日焼け止めクリームももうすぐ出来 るから、それまで辛抱してね」 「はい、ありがとうございます、リツコさん。お世話になります」 「いいのよ、昔の罪滅ぼしと思えば、こんなこと仕事のうちにも入らないわ」 「いえ、今綾波がここにいるのも、リツコさんおかげですから」 心底嬉しそうに、シンジは言う。レイも、心持照れくさそうな顔で微笑みながら。シンジに寄り添 っている。二人の間には、新婚のような初々しさと、それでいて長年連れ添ってきた夫婦のような強 い絆が同時に見て取れた。 ――私がこの子たちにした仕打ちを思えば、許してくれなくたって当然なのにね・・・ しかし目の前の二人にはそれを気にする様子もなく、むしろ嬉しそうに笑っている。微笑ましい二 人を見ながら、リツコはようやく赦された気持ちになるのだった。 「それじゃあ、失礼します、リツコさん」 「ええ、また来て頂戴」 扉が閉まると、リツコは小さく息を吐いた。サードインパクトからいつも、心のどこかに罪悪感が あった。あの二人は面と向かって自分を責めるようなことは言わないし、あの二人が相手の気分を害 さないようにと思ってもいないことを言っていたとも思わない。恐らくあれは掛け値なしの本音なの だろう。 しかし、自分が行ってきたことは紛れもない事実であり、あの二人を幸せにするのは自分に課せら れた使命だと思っている。自分で自分を赦すには、自分が背負っている業を晴らすには、あの二人が 幸せになることがたった一つの手段だと思っている。そのためにならなんだってしよう。リツコは改 めて心に誓った。 「よかったね、綾波」帰り道シンジはレイに言う。シンジ自身、嬉しかった。やっとレイの不安を 取り除いてやることが出来た。そのことを思うと思わず小躍りしたくなるほどに嬉しかった。 「綾波?」レイが応えないので、シンジは再度声をかける。レイは俯いたまま応えない。 こらえきれずにシンジがレイの顔を覗き込むと、レイは大粒の涙を流しながら初めてシンジの目を 見た。 固く真一文字に結ばれたレイの口が開く。 「碇くん、私、怖かった。ずっとずっと怖かった。やっと碇くんと一緒になれたのに、碇くんを信 じるって誓ったはずなのに、やっぱり心のどこかで、碇くんが私の前からいなくなってしまうかもし れないって。もし私が使徒だったら、碇くん、どこかへ行っちゃうんじゃないかって、信じるって言 ったはずなのに、ごめんなさい、私、私――」 そこまで言うとこらえきれなくなったように、声を上げて泣き出した。 「綾波・・・」 シンジはレイを抱き寄せると、半ば乱暴にその唇に口付けた。二回目のキスは一度目よりずっと長 く、しょっぱかった。涙はその双眸からとどまることなく流れ続け、それはレイの深い深い悲しみと 不安を物語っていた。シンジはレイの悲しみを覆い隠すように、道端ということもかまわず、ずっと 抱きしめ、口付けていた。レイの心に住み着く不安を追い出そうとするかのように。 シンジは自らの浅はかさを呪った。分かったつもりになっていた。守るといっておきながら、どこ かでレイの優しさに甘え、事態を楽観視していた。レイの不安がどれほどのものか、あれほど伝えよ うとしてくれたというのに・・・・・・ 「ごめん、ごめんよ、綾波――」言いながらシンジは強く強くレイを抱きしめた。レイはかぶりを ふると、シンジのぬくもりを求めるかのように、抱きしめ返した。 最後の氷が溶けていく・・・・・・レイは心の中でそれを感じていた。サードインパクトの前からずっと ずっと他人を拒絶する原因だった氷が、シンジの優しさとぬくもりによって今こうして溶けてなくな っていく。どんなに満たされた気もちになっても、抱きしめられている時間が終われば、やはり心の どこかに不安は残った。それはこの氷が原因だったのだろう。自分はヒトではなかった。そして星空 の下で想いを打ち明けた時もまた、ヒトではないということへの潜在的な恐怖が心の隅に決して溶け ない氷としてわだかまり、それはしばしば、自分自身への疑いと、この世で何よりも信じていたはず のシンジに対してですら、疑いを持たせる引き金となっていた。 しかし――もはやレイの心にはその小さな氷も存在し得なかった。自分がヒトであると分かった今、 レイの中にはいかなる恐怖も存在しない。シンジと同じ存在として、共に歩んでいくことが出来る。 その喜びはシンジと共に生きていくことを何よりも望むレイにとって、何者にも代えられないものだ った。 どちらともなく、二人は歩き出した。その雰囲気は柔らかで、見るものの頬を思わず緩ませてしま うような、微笑ましい光景だった。 ふたりはさっきから、一言もしゃべってはいない。しかし今の二人の間に、言葉は必要なかった。 言葉などなくとも、互いの想いを感じ取ることが出来た。穏やかな表情で、ゆっくりと帰路についた。 「「ただいま」」 声をそろえて言いながら、二人は家の扉を開けた。 「おっ、おかえり!レイ、シンジ、どうだった?」 興奮したように言いながらアスカが部屋の奥から飛び出してきた。それを追うようにミサトも飛び 出してくる。 「綾波は、正真正銘のヒトだよ」少しの間を置いてシンジは嬉しそうに言った。 「ホントに?アンタ、それ嘘じゃないでしょうね?」 「そんな性格の悪い嘘つかないよ」シンジは困ったように笑う。 「きゃー、やったやった、よかったわね、レイ!」 言うなりアスカはレイに飛びつきシンジもかくやというほど強く抱きしめ、泣き始めた。ミサトも アスカの後ろで目頭を押さえている。 同居人であるアスカも、少なからず不安だったのだ。暖かい家族であるレイやシンジが傷つくよう なことにはなってほしくない。家庭環境に恵まれなかったアスカにとってもここは唯一自分が安心で きる居場所といってよかった。その大事な家族の絆がこんなことで奪われるようなことはあってほし くない、アスカはそう願っていた。ミサトもそれは同じであり、やはり心配であった。保護者という 立場上、気丈に振舞ってはいたが、気持ちとしてはアスカとなんら変わらなかった。 レイは驚いていた。この二人がここまで自分を想ってくれているとは思わなかったのだ。今までの レイは、誤解を恐れず言うのであれば――シンジしか見えていなかったと言ってよい。今まであった 不安や恐れ、シンジを失ってしまうかもという恐怖がレイの視野を狭くさせていたのだ。しかし、そ の不安を拭った今は、アスカやミサトの温かさにも今改めて触れることが出来た。 「ありがとう、アスカ――」 またも涙を流しつつレイが言う。泣き虫になってしまったなと、自分でも思う。しかし、アスカや シンジにしてみれば、そうしてレイが感情を見せてくれるのは、むしろ嬉しいことだった。そして自 分にも心を開いてくれたことに喜びを感じながら、アスカはいっそう強く、レイを抱きしめるのであ った。 しばらくたった後、四人はリビングで紅茶を飲みつつ、午後のひと時を過ごした。その空間には、 今までにもまして暖かい空気が漂っていた。 これが、家族・・・・・・ 今まで見えていなかったものが、レイには見えていた。自分のことを見てくれる、自分のことを思 ってくれている。今まで自分はこんなに温かいものの存在にも気づくことが出来なかったのか。自分 の視野がいかに狭かったか、そしていかに自分の心が不安と恐怖に怯えていたか、レイは満ち足りた 気持ちの片隅で、そのことに気づいた。 レイは思う。碇くんだけじゃないんだ、アスカも赤木博士、いやリツコさんも、葛城三佐、いやミ サトさんも、私のことを想ってくれてるんだ。みんなみんな、私のかけがえのない人なんだと―― 生まれてきて、良かった、皆と出会えて、良かった。 ありがとう、碇くん、ありがとう、みんな。 私は今、とっても幸せです―― 〜あとがき〜 無事終わることが出来ました。拙い文章で読みにくい思いをされた方もいらっしゃるかもしれませ んが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。続編を書こうかなとも思いましたが、 今の自分にはここから先を浮かべることが出来ませんので、ここで一応の終結としたいと思います。 短編はまた機会があれば書きたいなと思ってます。というか、最近はあまり忙しくなく、また執筆 意欲だけは妙に旺盛なので、ネタが浮かび次第書くことになるでしょう(笑) とはいっても、自分にこのサイトに名を連ねている方々のごとき作品を求められても困るので(汗)、 まああまり期待せずに、見かけたらまた読んでくだされば光栄の極みです。 それでは、JUNでした。 |