夜空を見上げてWritten by JUN
「あ、綾波、あのさ・・・今度の日曜日って、時間ある?」 黒髪の少年、碇シンジはそう問いかける。実際はサードインパクト後の復興の真っ最中であるため、 用事などあるわけはないのだが、やはりそれでもちゃんと尋ねてしまうのは生まれ持った性というも のであろうか。 「ええ、特に予定はないわ、碇くん。どうして?」 蒼銀の髪の美少女、綾波レイは心持ち頬を赤く染めながら応える。その真紅の双眸に期待の色が宿 っているのは、シンジの次の言葉を予想したからであろう。 「あの、その日の夜に二人で星でも見に行けないかな、すごく綺麗に見える場所があるんだ」 「星?」 「うん、綾波に見せたくて、だめ・・・かな?」 「いえ、行きたい。碇くんと一緒に」 シンジが一瞬不安げな表情を見せたためか、レイは慌てて応える。――碇くんと一緒なら、どこへ でも・・・そう言いたかったが、遅ればせながら身に着けてきた羞恥心が邪魔をして、それは口には出 せなかった。 晴れて恋人同士となった二人。恋人になったことを同居人二人に話すと、「シンちゃんもやるじゃ ない」「レイを泣かせたら承知しないわよ!!」と、激励(?)の言葉もいただいた。 ミサトとアスカに遠慮して、レイに部屋を出て行こうか、とも持ちかけられたが、シンジは頑なに 拒否した。さすがはシンジ、自分の理性がそうもたないことを理解しているようだ。しかしレイにそ のような気遣いが分かるはずもなく「碇くんは私といっしょに暮らしたくないの?」と涙ながらに言 われ、説得に数時間を要したとか、要さなかったとか。 「じゃあさ、あったかい服、用意しといてね、夜は冷えるから」 「ええ、分かったわ、碇くん」 二人のそんなやりとりを、同居人は暖かな眼差しで見守っている。少し前に散々からかっていたの が嘘のようだ。 例によって見事なユニゾンを見せながら二人が言うところによると、「あれはシンジ(シンちゃん) があまりにもはっきりしないから、発破かけてやってたのよ!」とのこと。その割には楽しそうにし ていたのだが、その言葉が真実かどうか確かめる術はおそらくもうないのであろう。とはいっても、 「なになに〜夜空の下、愛を語る恋人たち、ってこと?」 「月明かりに照らされながら、ついに二人はひとつになる・・・とか?」 「へっ、変なこと言わないでください!」 ・・・・・・やはりそう簡単に根付いた癖(生きがい?)は直るものではないらしい。 「碇くんとひとつに・・・・・・」(ぽっ) ・・・こちらはまんざらでもないようだ。 そして日曜日の夜、よく晴れているため、二人は予定通り出かけることになった。同居人二人に、 「いってらっしゃい、シンちゃん、レイ。なんならお泊りでもいいわよん♪」「な〜に言ってんのよ、 ミサト、このバカシンジにそんな度胸あるわけないじゃない」とからかわれ、二人そろって真っ赤に なっていたのはお約束であろうか。 二人が向かっていたのは、近所の山林だった。 「昔家出してたときに見つけたんだ」とのこと。 二人はかなり自然に話せるようになっていた。もっぱら、シンジが話しかけ、レイが応える、とい う形ではあったもののぎこちなさもなく話せているあたり、二人も成長した、ということであろう。 二人の顔が少し赤いのは、寒さのせいか、同居人のせいかは不明だが。 二十分も山道を歩いた頃であろうか。「着いた、ここだよ」唐突にシンジが言うと、レイはおもわ ず感嘆の声を漏らした。 「わぁ・・・」 そこは開けた空き地のようになってきた。そこには、一面の星空、といっても全く問題ないほどの 絶景が広がっていた。空一面、まるで神様がばらまいた宝石のように、あるいは星の砂浜のように、 星一つ一つが可憐に、見渡す限り輝いていた。唯一強く自己主張するはずの月も、星が持つ儚げな美 しさを少しも損なうことなく、まるで星を見守るように穏やかに輝いていた。 まだ復興が終わっていないためか、空はまだ、人工の光に照らされていない。空も暗く星の美しさ を全身で感じることができた。 「綺麗・・・・・・」 「綾波に見せたかったんだ、この景色を。喜んでくれた?」 「ええ、ありがとう、碇くん」 「そう、よかった」 シンジが安心したように笑うと、二人はしばし時を忘れて、この荘厳な景色に心を奪われていた。 「昔の人ってさ」どれくらいかも分からない時が流れた後、シンジが言った。 「星を見て、星座を作って、神話まで作り出した・・・・・・それもやっぱり、人だからできたことなん だよね」 「ええ、でも、なぜかしら」 「何が?」 「昔の人は星座を作り、神話を作った。でも、今の人間は、新しい星を見つけることに熱意を傾け ることはしても、星座に物語を新しく作ることはしない・・・なぜかしら」 しばし考えた後、シンジが言う。 「それはきっと、知ってるからじゃないかな」 「知ってる?」 「うん、昔はさ、星がはるか遠くで光る恒星だってことを知らずに皆生きていた。今みたいに、星 の正体も知らない。そこに何がいるのかも分からない。だから正体の分からない星を、別の世界とし て捉えることができたんじゃないかな?」 「そう、かもしれない」 「きっと、知らないからこそできることって、あるのかもしれないね。星が恒星であることを知ら なかったからこそ、神話も生まれたわけだし」 「そうね・・・」 言いながら、レイは考える。もしシンジが早く自分の正体を知っていたら、今みたいになれていた だろか。 ヤシマ作戦のとき、あの温かな手を、差し伸べてくれていただろうか。 もし、差し伸べてくれてなかったら―― そこまで考えて、思わずレイは身震いした。シンジが気づく。 「綾波、大丈夫?やっぱり寒かったかな、こんなとこ連れてきて」 「大丈夫、だけど・・・だけど・・・」 不意にレイがシンジに抱きついた。 「あ、綾波?」シンジの声に動揺が浮かぶ。 「碇くん、ずっと、ずっと私と一緒にいてくれる?本当に、一生、わ、たしと、いっ、しょ、に ・・・・・・」 シンジの胸に顔を埋め涙声になり、声を詰まらせながら、レイがシンジに問う。 「いかりくんじゃなきゃ、嫌なの、わがままかもしれないけど、ずっ・・・と、ずっと、いっしょに、 いてほしい」 「もちろんだよ、綾波。僕はずっと、綾波のそばにいるよ」 レイの不安を感じ取り、普段ならとても言えないような言葉が出てくる。レイの不安を覆うように、 強く抱きしめる。しかし、その言葉を聞いても不安は容易には拭えなかった。シンジを信じていない わけではない。この世の誰よりもシンジを信じている。ただ、人ではない自分が果たしてこれからも シンジと共に生きていけるのか、使徒としての自分が大切な彼を傷つけてしまうのではないか、その 不安と怯えがレイを臆病にさせていた。 この前、自らの想いをシンジに対して打ち明けたとき、もう不安などないように思えた。しかし、 自らの出生への不安というのはそう簡単になくなるものではない。自分が人であるという確証はない。 リツコに調べてもらえばすむことなのかもしれないが、もしこれで自分が人ではなかったらもうシン ジの側にいることもできなくなるかもしれない・・・・・・そう思うと検査するのが躊躇われ、きっかけが つかめないでいた。 その不安はもはやすっかりシンジに対して完全に心を開いていると思われたレイの心ですら少なか らず脆くしていた。 シンジが羽織っているコートにレイの涙がしみこんでいく。シンジを傷つけてしまうのなら、いっ そ自分がいなくなってしまったほうがいいのかもしれない。この大切な人を自らの手で傷つけるよう なことはしたくない。それならここではっきりさせたほうがいいのかもしれない。 「でも、碇くん、私は――」 「確かに、綾波はリリスだったかもしれない」 レイの心の動きを読み取ったかのように、シンジは言う。 びくり、とレイの体が強張る。 「だけど、綾波がいなかったら、サードインパクトの後、還ってこられなかったかもしれない。そ れどころか、ヤシマ作戦のときに僕は死んでいたかもしれない」 レイが顔を上げる。 「だから、そんなこと言わないで、綾波。それに綾波はあの時、人の心を願った。人であることを 願った。それが綾波が使徒じゃなく人間であることの、何よりの証拠だよ」 レイはいっそう激しく涙を流した、流さずにいられなかった。シンジの声、シンジの心臓の鼓動、 そうしたものがシンジの温かさとして感じられ、シンジの温もりに包まれたレイは、涙を止める術を 持たなかった。安心と温かさ、そして本当の意味で自分を見て、心の底から信じてくれる碇シンジと いう最も愛しい存在の前で、レイはありのままの自分をさらけ出すことができた。激しく泣きじゃく りながらシンジの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らし、しゃくりあげながら、何度も何度も同じ言葉を繰り 返した。 「ありがとう、ありがとう、いかり・・・くん、うぅ」 「大丈夫、僕が綾波を守るから、ずっと、ずっと――」 優しくその蒼銀の髪を撫でながら、シンジはレイを抱きしめ続けた。 どれだけの時が流れただろうか。ようやくレイが落ち着きを取り戻すと、シンジが声をかけた。 「落ち着いた?綾波」 「えぇ、ごめん・・・なさい、碇くん」 「いいんだ、僕も綾波の心を見ることができて、嬉しかったから」 「私の、心?」 「僕も・・・不安だったんだ。綾波みたいな綺麗で優しい女の子が、僕なんかでいいのかなって。ず っと不安だったんだ。僕よりも綾波にふさわしい人が現れて、綾波が僕の前からいなくなったらどう しようって、そんなことを考えたら、怖くてたまらなくなった」 「碇くん・・・」 そんなこと、絶対にないのに――言いかけたレイは言葉を止めた。きっとシンジも、同じだったの だ。形は違っても、同じ不安を持っていたのだ・・・ 「けど、さっきの綾波の言葉を聞いて、綾波の心を見て、分かったんだ。綾波のこと守ってあげる のは、僕しかいない。僕でなくちゃだめなんだ。うぬぼれかも知れないけど、心の底から、そう思う ことができた」 思わずまた泣きそうになる。しかし、シンジも自分と同じであることが分かった今、自分の想いを 素直に口に出すことができた。 「碇くん、私も、碇くんに守ってほしい・・・でも、碇くんが悩んでるときは、私も碇くんの支えに なれるように頑張るから。私じゃ頼りないかもしれないけど――」 レイが一瞬、決意するように言葉を切る。 「私、碇くんのために頑張るから」 「ありがとう、綾波――」 今度はシンジが泣く番だった。自分より背の低いレイの柔らかな頭に顔を埋め、今まで泣けなかっ た分を取り戻すように泣き続けた。 レイもそれに応えるように、静かに涙を流しながら、慈愛に満ちた表情で、シンジの背中を優しく さすっていた。 ――碇くんも、同じだったんだ・・・ 思えば、初めて自分の気持ちを打ち明けたときもそうだった。不安になって、自分が相手において いかれるんじゃないか、自分の前からいなくなってしまうんじゃないか・・・そんな思いにとらわれて、 自らの想いを、口にすることができなかった。 けれど、実際に想いを口にしてみれば、相手も同じ気持ちだったことに気づいた。相手も同じ不安 を抱えていて、だからこそお互いに想いを口にするのを、恐れていたのかもしれない。 だけど・・・・・・レイは思う。 それが分かった今、自分とシンジの間に、背伸びした関係はいらないのだ。等身大の自分を、あり のままの自分を、目の前の彼は、間違いなく受け止めてくれるのだから―― しばらく時間がたった後、レイをいっそう強く抱きしめながらシンジは言う。 「ごめんね」 「・・・何が?」 「綾波を守るって言ったのに、泣いたりなんかして」 「別に、いい」 そっとシンジを抱き返しながら、レイが言う。 「無理する必要なんてない。泣きたいときには、遠慮せずに泣けばいい」 「綾波・・・」また涙が溢れそうになる。こんなに強く自分のことを想ってくれる人が、この世にい ただろうか。愛情に飢えた自分にとって、無条件で愛をくれる綾波レイという存在は何者にも代えが たいものだった。最も愛しい存在だった。この大切な人を守るためなら、なんだってしよう。シンジ は心に誓った。 再び星空を見上げる。自分たちが想いを打ち明けている間も、この星は変わらず輝き続けながら、 自分たちを見守っていたのだ。それを思うと、この星空も神話を考えた古人が見たのと同じように、 命を持った優しい輝きへと変わっていくような気がした。 キラッ 二人の頭上で何かが光った。 「あ、流れ星」 「流れ星?」 「うん、流れ星が消える前に三回お願いを唱えたら、その願いは叶うんだって」 「あんなに短い間に、三回も?」 「だからこそ叶うんじゃない?」 「心の中でもいいかしら?」 「いいんじゃないかな」 「やってみる」 「じゃあ僕もやってみようかな」 少し前までのシンジなら、そんな考えは持ち合わせていなかっただろう。流れ星など、燃え尽きる 直前の隕石か、氷の塊に過ぎないものだ。しかし今のシンジは、それを信じてみようという気になっ た。自分とレイが望んだから得ることができたこの世界、ならばこの流れ星に想いをはせて望みを託 しても、それはあながち滑稽なものでもないように思えたからだ。 息を止めるようにして、二人は夜空を見上げる。緊張した、それでいてどこかくすぐったいような 静寂が、周りを支配した。 その刹那―― キラッ 「「あっ」」 ――碇くんと――! ――綾波と――! 「・・・何をお願いしたの?」 「秘密」悪戯っぽく微笑みながら唇に人差し指を当てて、レイは応えた。 「碇くんは?」 「僕も秘密」優しく笑いながら応える。 とはいっても、二人には分かっていた。二人のお願いが同じであることも。 今の二人には、お互いの心が同じであることが、お互いの心の向きが同じであることが分かってい た。とはいっても、やはり二人がこれから歩んでいく道も平坦なものではないだろう。時にはすれ違 って、お互いの関係に自信がなくなってしまうかもしれない。だが、確実にいえることは、二人の想
――碇くんとずっと一緒にいられますように――! ――綾波とずっと一緒にいられますように――! 〜あとがき〜 JUNです。この作品は前回の続編に当たります。実は続編にするつもりはなかったのですが、やは り二人のその後を描きたいなと思い、こういう形にしました。次は僕の中で引っかかってるものをす っきりさせたいと思います。処女作ということもあって結構書きたいことがあるので。 次が最終回の予定です。それでは、JUNでした。 |