「 サルベージ (前編)」


(ここは・・・・・どこなの?)
ベッドに寝ていた私は目を覚ました。眠っていた・・・・眠る?おかしい・・・・私は死んだはずだ。
私は爆弾を抱えて自爆したのだから。
では私は何なのだろう?もう一人の自分が目覚めたのだろうか。
徐々に視界が回復する。意味をなさない輪郭が焦点を結び、映像となる。天井が見える・・・・ここは病室。
そして徐々に、記憶も蘇ってくる。
(私・・・・死んでいない?)
自分の手のひらをかざす。痛い。けど、紛れもない私自身の手。
(まだ・・・・・生きている・・・・・。)
なぜ生きているのだろう?なぜ助かったのだろう?使徒はどうなったのだろう。
(あの時・・・私は使徒を道連れに自爆しようとした。けど、通用しなくて、使徒に攻撃されて・・・それから・・・・。)
不意に怪物の姿が浮かび上がる。・・・・いえ、あれは初号機。
初号機が使徒を貪り喰う。初号機が咆哮を上げる。
バサッ!!
思わず身体を起こした。痛みなどどうでもいい。思い出したのだから。
「碇くん・・・・・・・。」

碇くんはもういない。
彼はここを去っていった。自らの手で使徒―――いや、鈴原君を葬り去ってしまった。そのことに耐え切れず。
自らの手、というのは事実ではない。あれを行ったのはダミーシステム。彼は何も出来なかった筈だ。
碇くんのせいじゃない・・・・傷ついてしまった彼に、そう言いたかった。
でも、言えなかった。そんな資格などない。私が言える筈がない。
ダミーシステムはたくさんある ”私” の体の一つを使ったもの。心を持たない、本能だけの ”私”。
鈴原君を殺したのは・・・・・ ”私” なのだ。
言えなかった。極秘事項だから?・・・・いいえ、言いたくなかった。知られたくなかった。
(私は・・・・・・私はヒトではない・・・・・・。)
彼に何も話せなかった。だから、彼に会わなかった。そして・・・・碇くんはここを去っていった。
二度と会えない―――その筈だった。
(なぜ、戻ってきたの?なぜ、またエヴァに乗ったの?なぜ、私達を助けてくれたの・・・・?)
知りたかった。何よりも、今すぐに。
体は・・・動く。たいした傷ではない。ベッドから降りて、彼を探しに行こうとした。
その時、ドアが開き、葛城三佐が入ってきた。
「ちょっと!レイ、まだ動いちゃだめよ。」
「平気です。」
「アナタの平気は信用出来ないわ。すぐに無茶しようとするんだから。 」
自爆しようとしたことを咎めているのだろうか?
葛城三佐は私をベッドに連れ戻した。辛そうな眼差しを私に向ける。
「お願い・・・・・レイもアスカも、無理をしないで・・・・・お願いだから。」
その言葉に不安が湧き上がる。嫌な予感がする。
「碇くんは?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「碇くんは、どうしたんですか?」
「彼は・・・・・・まだ生きている・・・・・・そのはずだわ。」
そのはず・・・・どういうこと?その言葉を不審に思った時、沈痛な表情で彼女が続けた。
「シンジ君は、取り込まれてしまったの。・・・・初号機の中に。」


あれから、私は碇くんの事を色々聞いた。
彼が戻ってきたこと。自分の意思でエヴァに乗ったこと。使徒との戦いのさなか、初号機が覚醒し、使徒を倒したこと。
そして――覚醒した初号機に、彼が取り込まれてしまったこと。
碇くんの体は、LCLの中に溶けてしまっている。だが魂までは失われていない。
彼を助けるため、赤木博士がサルベージ作戦を展開している。
”サルベージ作戦”――10年前、初号機に取り込まれた碇ユイ博士を救う為に行われた作戦。結果は・・・・・失敗。
今度はどうなるのか、誰にも解らない。・・・・そう、碇司令さえも。
私が碇くんのことを聞くと、司令は誰にもわからない、と言い、こう付け加えた。
「わかっているのは・・・・・エヴァだけかもしれない。」
他人事のように言うと、司令は手を伸ばし、私の頬に触れようとした。
パシッ!
反射的にその手を叩いた。・・・・司令を拒絶した。
「レイ・・・・・・。」
「失礼します。」
呆然とする司令を残し、私は立ち去った。

通路を歩きながらも、私は物思いに耽っていた。
碇司令を拒絶した。この世でたった一人、私が信じられる唯一の人・・・・・・その筈だった。
なのに、さっき私に触れようとしたとき、怒りとも嫌悪ともつかない感情が、私の身体を動かした。
なぜ怒ったのだろう・・・・・。あの人が、碇くんの事を心配していなかったから?
なぜ嫌だったのだろう・・・・・。あの人が、碇くんじゃないから?
私は、私の事がよく解らない・・・・・。私の胸にぽっかりと空いている、空洞のようなもの。それは私を不安にさせる。
私には何もない・・・・空っぽの、人形のように虚ろな存在。
その心の空洞を埋めてくれるのが、碇司令だったのではないか?
なのに、気がつくとそこに、碇くんがいる。
碇くんの泣いた顔。碇くんの笑顔。碇くんの手・・・・暖かい手。
彼のことを思うだけで、満たされてゆく。切なくなってゆく。
触れたい。
碇くんの手に。
声をかけて欲しい。笑いかけて欲しい。
(私・・・・・寂しい。)
痛みを抑えるように、胸に手を当てる。彼と出会うまで知らなかった感情。知らなかった痛み。
―――― 逢いたい ――――
(碇くん・・・・・戻ってきて。そこに居てはダメ・・・・・。)


サルベージ作戦が開始するのを、私は初号機を格納するケージから見ていた。
初号機の体に無数に取り付けられたチューブ類。何故か、見たことが無い筈の10年前の実験を思い出す。
「サルベージ・スタート!」
赤木博士の声がマイクを通して響きわたる。その声に、空気の重みが増した気がする。
しばらくして私は初号機の異変を感じた。初号機は動かず、沈黙したまま。
なのに、私にはその姿が、動揺しているようにみえた。彼の姿と重なって見える。
(駄目・・・・・・。)
碇くんが拒絶している。
(それでは、駄目。彼を追い詰めるだけ・・・・。)
碇くんが悲鳴を上げる。
「エヴァ、信号を拒絶!プラグ内、圧縮上昇!」
マイク越しに、伊吹二尉の緊張した声が響き渡る。
「まずいわ!!作業中止!電源を落として!」
「だめです!プラグが排出されます!」
悲鳴のような声が飛び交い、プラグから大量のLCLが迸る。
真っ赤な、血のような液体が滝のように流れ落ちる。
「・・・・・・・・・・!!」
LCLと共に流れ出したものを見つけた瞬間、心臓が凍りつきそうになった。
シャツ・・・・ズボン・・・・靴・・・・・碇くんが身に着けていたもの。
それらがLCLが流れたあとの床に、無残な姿で転がっている。
サルベージは失敗した。

誰も、何も言わない。痛々しい沈黙。
(碇くん・・・・・ もう戻らないつもりなの・・・・・?)
あの時確かに、彼の悲鳴を聞いた。
絶望、怒り、悲しみ、逃避。あらゆる苦痛が渦巻く叫びを。
『僕はここにいるんだ!ずっとここにいていいんだ!』
彼は二度と、戻ってこないの?
私は二度も、碇くんを失うの?
(いえ・・・・・まだ、間に合うかもしれない。)
何故、それが出来ると思ったのかわからない。でもこれは、私にしか出来ないこと。
碇くんを救うために、私がやらなけばいけないこと。
私は目を閉じ、意識を集中させる。
初号機に向かって、ひたすら語りかける。
(碇くん・・・・・戻って来て。)
徐々に初号機とシンクロしていく。脳裏に、二つの姿が浮かび上がってくる。一人は碇くん。もう一人・・・・裸の女性。
私に似ている。・・・それとも、私が似ている?私よりも成熟した、大人の姿。私は彼女から生まれた・・・・。
彼女の腕の中で、碇くんは安心した表情で横たわっている。
しかし目を閉じている為、彼女の笑みには気付かない。
私は祈る。彼があの手の中に落ちてしまわないように。彼女の本当の姿を曝け出すために。
突然、彼女が苦しそうに呻き、手で顔を覆う。手をずらすと、皮膚がドロリと溶け落ちる。
そして彼女の姿は崩壊してゆき、本当の姿が現れる。ヒトではない姿が。
は、私に気付いたようだ。
(私はあなた。あなたは私。昔、私だったもの・・・・・。)
私は語りかける。かつて私であった存在に。
<・・・・・そう、オマエはワタシ。ワタシはおまえだったもの・・・・・>
そう、私はあなたから生まれた。だからわかる。なぜ碇くんを連れて行こうとするのか・・・・。
<・・・・・なのになぜ、邪魔をする!?・・・・・・>
(だめ、碇くんを連れて行かないで。)
あなたが彼を連れて行こうとする理由。それは多分、私と同じだから。
(私に・・・・・・返して・・・・・・。)
しかし、相手の存在の方が強い。私の声がだんだん届かなくなる。
碇くんの姿がぼやけてくる。
(嫌・・・・・・。)
「わぁあああああっ!!」
突然の叫び声。碇くんが、目を覚ました。
「放せ!」
<・・・・・どうしたの・・・・・ワタシと一つになりたいのでしょう?・・・・・>
「いやだ!!」
<・・・・・痛みも悲しみも感じない、永遠の世界へ行きましょう・・・・・>
「オマエは母さんじゃない!いやだ!ここはいやだ!!」
<・・・・・・さあ・・・・・・>
「いやだ!助けてよ!」
碇くんが叫ぶ。私も祈る。心を振り絞って。
「母さん!」
その途端、目も眩むばかりの閃光が走る。
もう一人誰かが、その光の中にいる。まばゆい光に包まれた女性。
その女性が手を伸ばすと、更なる光が迸り、辺りを覆い尽くす。
心の映像はそこで切られた。私は、碇くんを見失った。


(碇くん・・・・・碇くん・・・・・碇くん・・・・・。)
もう一度必死で念じる。だが、なにも見えない。なにも聞こえない。
(碇くん・・・・・還ってきて・・・・・お願い・・・・・。)
失敗したのだろうか?私はまた、彼を失ってしまったのか?
脚が震える。恐怖で倒れそうになるのを必死でこらえる。
怖い・・・・・。彼を失うのが。また元の心を持たない人形に戻るのが。
(私はもう、人形に戻りたくない。)
すがるように初号機の方を見る。いつの間にかそこに葛城三佐がうずくまり、碇くんの服を抱きしめている。
「シンジ君を返して!」
彼女が悲痛な声で叫ぶ。涙で頬を濡らしながら。
「返してよ!!」
そう、還ってきて・・・・。
私はまた目を閉じて、心の中で呼びかける。
何も見えなくても、私の声は届くはず。絆はまだ失われていないはず―――そう信じて。
(碇くん・・・・・碇くん・・・・・碇くん・・・・・。)
ザバァッ!!!
何かが水から出てきたような音。
―――まさか―――
恐る恐る、目を開ける。私が求めていた人がそこにいた。彼は床の上に横たわっていた。
「シンジ君・・・!?」
葛城三佐が碇くんに駆け寄り、彼の頭を抱きしめる。
「シンジくん・・・・・。」
彼女は泣いている。その涙が悲しいからではない事を、教えてくれたのは碇くんだった。
碇くんは還って来た。
「よかった・・・・・・・。」
体中の力が抜け、思わず手すりを掴む。脚に力が入らず、その場にしゃがみ込んだ。
涙は流れない。けど嬉しい。彼に会えたのが、本当に嬉しい。
私はその存在を確かめるように、彼の名を呟いた。

「碇くん・・・・・・・。」


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