「 サルベージ (後編)」
碇くんが還ってきた。
あの後、彼は救助され病室で眠っている。異常はない、赤木博士はそう言っていた。
私は食事を持っていくよう言われたので、彼の病室へ向かっている。
碇くんが還ってきたときは、嬉しかった。また逢えた――その事に、喜びを感じていた。
今は・・・・よくわからない。嬉しい、それは間違いない。けど・・・・。
(碇くんは、どうなんだろう?)
戻ってこれて嬉しい・・・・そう思いたい。でも私はあの時、彼の心の叫びを聞いた。
『いやだ・・・・・。もう戦いたくないんだ・・・・・。僕はここにいるんだ・・・・・。』
彼にとって、状況は何も変わっていない。
鈴原君はもう戻らない。使徒との戦いも終わっていない。碇指令との関係も、何も変わっていない。
ここにいたら、また傷つくかもしれない。
もしかしたら、碇くんにとってはあそこにいた方が、良かったのかもしれない。
それなのに、私は彼を連れ戻した。彼にとって苦痛でしかない、この場所に。
私は彼を失いたくなかった。心を持たない人形に戻るのが嫌だった。
その事しか念頭になく、彼の気持ちなどは考えて無かったのかもしれない。
(私は、私のためだけに碇くんを呼び戻したの・・・・?)
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・ |
・ |
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自分の事しか考えてない。 |
あ |
れ |
のように・・・・。 |
やはり、同じ存在だから?
やはり、私がヒトではないから?
碇くんの部屋の前で立ち止まる。逢いたい、でも、扉を開けるのが怖い。
彼は私を見て、なんて思うだろう・・・・?
彼を辛い世界に引き戻した存在。あそこにいるものと同じ、ヒトでは無い存在。
脚がすくむ。・・・・拒絶されるのが、怖い。
不意に、扉が開く。そこに、彼が立っていた。
「碇くん・・・・・。」
「綾波・・・・・。」
碇くんが私の名前を呼んだ。最後に彼の声を聴いたのは、いつだったろう。
嬉しい。彼の声を聴けたことが、彼が私の名前を呼んでくれたことが。
でもそれ以上、彼の言葉を聞くのが怖い。私は何もいえず、ただ彼の顔を見つめるだけ。
ふいに、彼の頬に赤みが差したような気がした。
「ありがとう、綾波。」
思いがけない、予想しなかった言葉。
「・・・・・・・・・どうして? 」
混乱して、それしか言うことが出来ない。
「どうしてって・・・・・どうしてだろう・・・・・わからないけど。」
碇くんが穏やかな瞳で、私を見る。
「綾波の顔見たら、そう言いたくなった。」
その瞳を見ると、胸のざわめきが静まる。あれほど不安に怯えていた心が、嘘のように落ち着く。
「・・・・そう・・・・。」
思わず安堵の溜め息をついた。
「良かった・・・・また碇くんの顔が見られて。」
正直な私の気持ち。
「でも碇くんは・・・・これで良かったの?」
聞くのが怖い・・・・でも聞きたい。彼の本当の気持ちを。
碇くんはしばらく俯くと、やがてポツリと呟いた。
「・・・正直いって、よくわからないよ。エヴァに取り込まれていた間の事、あんまり憶えてないし・・・。」
やはり、戻ってきてしまったのが嫌なのだろうか。
私が不安になると彼が顔を上げ、私の顔を見つめた。優しいそのまなざし。
「でも・・・・・僕も、また綾波に会えて良かった・・・・・。」
そう言って微笑む。私に笑顔を向けてくれた。
嬉しさが込み上げてくる。喜びで満ち溢れる、私の心。
私は、この笑顔を忘れない。
「食事・・・持ってきたから食べて。」
ベッドに腰を下ろした碇くんに、私はトレイを手渡した。
私が命令されたのは食事を持っていくこと。これで任務は終わり。
でも、その場を立ち去りたくなかった。彼のそばに居たかった。
「ありがとう。」
彼はそういって食べ始める。ごく普通の動作。ヒトが、いや、生物が生きるための、当り前の行為。
その姿を見るのが嬉しかった。彼がここに居て、お腹を空かせて、食事を取る。
つい先日までは、そんな当たり前のことすら叶わなかったのだ。
「・・・・・おいしい?」
私らしく無いことを言ってしまった。浮かれていたのだろうか?
それに、病室で出される食事がおいしい筈はない。
「おいしいよ・・・・・綾波が、居てくれるから。」
その言葉が、私の心を暖かくする。急に、彼と二人だけでいることを意識する。
一人じゃない。それだけで、こんな気持ちになるなんて。こんなに暖かいなんて。
これが、ヒトが言う幸福なのだろうか?
(・・・・私は、幸福なの?)
幸福――私にもっとも、縁のない言葉なのに。
「ねえ、僕がいない間、どうだった?」
「どう、って?」
「その・・・・、変わったこと無かった?みんなとか。」
碇くんはそう言って、スプーンをトレイに置いた。
「特に使徒はこなかったわ。他の人達の事はよく知らないけど・・・・。葛城三佐は辛そうだった。ずっと作戦室に閉じこもっていた。
赤木博士と伊吹二尉は、碇くんの救出の準備をしていた。二号機パイロット・・・・総流さんは、特に変わった様子は無かったけど、
・・・・でも、少し元気がなかったかもしれない。」
「そう・・・・。それで、あの・・・・と・・・・。」
そう言いかけて彼は言葉を切った。
「・・・・・いや、何でもない。」
しかし、誰のことを聞きたかったのかわかる。
(あの人は、心配しているそぶりは見せなかった。)
それを言えば彼は傷つくだろう。替わりに私の方が質問した。
「碇くんは・・・・また、エヴァに乗るの?」
「・・・・・うん。」
彼が頷いたとき、なぜか私は失望してしまった。彼が断ることを期待していたのだろうか?
「どうしてなの?」
なぜ私は、こんな気持ちになっているのだろう?
「・・・・・あの日、加持さんと会って、トウジのことを言われた。」
「鈴原君の?」
「加持さんは言ったんだ。トウジは死んで、僕の中に取り込まれた・・・・って。」
下を向いて彼は、淡々と語る。私には、彼の感情を読み取ることが出来ない。
「もしそうなら、もう、僕だけの命じゃない。・・・・そして、トウジなら多分、逃げない。」
わからない、彼の言っていることが。鈴原君の死に責任を感じているからこそ、逃げられないのか。
「鈴原君のことは、あなたのせいじゃない・・・・。」
だから、碇くんが責任を感じる必要はない。そう言おうとした。
「僕のせいだとか、そんなんじゃないんだ。・・・・ただ、僕は初号機のパイロットで、使徒が来る以上、戦わなければいけない。」
「どうして・・・・?怖く、ないの?」
なぜ私はこんなに拘っているのか?おそらく、彼に乗って欲しくないのだ。あの初号機に。
彼がこれ以上、危険な目に遭うのを、彼がまた傷つくのを見たくないのだ。
「怖いよ、とっても。・・・・あの日、トウジがエヴァに乗る前の日会ったときも、トウジはすごく怖がっていた。」
彼の瞳に一瞬、辛そうな光が宿る。
「・・・・・でも、それでも、トウジは逃げなかった。だから僕も、逃げない―――そう決めたんだ。」
その顔は、悲痛でもなく、気負うでもなく、ただありのままを受け入れようとしていて。
それを見るともう、私は何も言えなかった。こんなとき、いうべき言葉を私は知らない。
「・・・・・碇くんが、初号機の中に取り込まれていたとき・・・・・。」
「え・・・・?」
「・・・・私は、寂しかった。碇くんがいなくて・・・・。」
寂しい―――初めてその言葉を口にした。
「・・・・・ありがとう。」
碇くんはそう言うと、少しはにかんだ微笑みをみせた。
「綾波・・・・少し、散歩しない?」
「・・・・・ええ。」
この後は、起動実験がある。それなのに私は、頷いてしまった。
命令違反。自分で自分の行動が理解できない。
でも今は、碇くんのそばにいる、その方が大事。
(私がそうしたいから・・・・。)
誰かに強制されたからではない。何よりも、自分がそうしたいから。
今のこの気持ち、大切にしたいから。
碇くんは私を、ネルフ施設内の庭園に連れてきた。
「きれい・・・・。」
思わず私は声を上げた。緑が生い茂る中、白い大理石で作られた大きな庭園。
噴水から流れる、澄みきった水が人工の陽光に照らされ、輝いている。
「本部の庭に、こんな所あったのね。」
美しかった。たとえそれが、作られた景色だとしても。
「ずっとここで働いているのに、知らなかったの?」
私はしゃがむと、水の中に手を浸した。
「必要のない所には、いったことないから。」
今までは、こうした場所は必要では無かった。任務に関係のある所しか、行こうとしなかった。
(必要ないなんて・・・そんな事ない。)
こうしてきれいな景色を見ていると、不思議と落ち着く。
水の冷たさが心地良い。こうして手を浸けているだけで、癒される気持ちになる。
(他人との関わり合い・・・・・それも同じだった。)
以前の私は必要ないと思っていた。エヴァに乗ること、それがすべてだったから。
(でも、碇くんと出会って・・・・。)
初めて出会った時のことを思い出す。使徒の攻撃が続く中、傷ついた私に碇くんは手を貸してくれた。
(でも、あの時は・・・・。)
「初めて触れたときは・・・・何も感じなかった。」
「え?」
「碇くんの手。」
そして2度目。彼がつまずいて、シャワーから出た私の裸の上にのしかかった時。
「2度目は・・・・。」
その時の感情は正直あまり良くはない。・・・正確に表すと、”嫌” という気持ち。
「少し気持ち悪かった・・・・・かな?」
「あ・・・・あの時は・・・・ごめん。」
狼狽した彼の声。私は背中を向けたまま、次の出来事を思い出していた。
「三度目は・・・・暖かかった。」
敵の攻撃を受け意識を失っていた時、私を助けに来てくれた碇くんが一瞬、碇司令と重なって見えた。
でも、あの時の彼の声、私を心配して流した涙、彼の笑顔・・・そして、私の手を握りしめた暖かい手。
「プラグスーツを通して、碇くんの体温が伝わってきた。」
あの暖かさに触れたから、私は笑うことが出来た。初めて、本当の暖かさを知った。
多分、あの時から私の心の中に、彼がいたのだ。
「4度目は・・・・。」
少しヤケドを負った私の手を心配して、慌てて碇くんが水で冷やしてくれた。
あの時、私の手を握った碇くんの手。水は冷たいのに、そこだけ暖かかった。
「嬉しかった・・・・。私を心配してくれる、碇くんの手が。」
少しきつく握られた手。私の肩に回した手。身体と身体が密着して、温もりが伝わってきた。
ヤケドの事など、頭に無かった。ただ、ずっとこうしていて欲しい・・・・。それだけを思っていた。
けれど、少しして碇くんは私から離れ、自分で手を冷やすよう私に言った。
一人で手を冷やしていると、彼の体温が奪われていく気がした。
寂しかった。
( ・・・・・たぶん、初めて寂しさを知ったのも、あの時・・・・・。)
水に浸けていた手が、冷たい。あの時の寂しさが甦る。
(碇くんと触れ合うことで、私は変われた・・・・。)
振り向いて、彼の顔を見上げる。今までの想いがつのる。
「もう・・・・・一度、触れてもいい?」
「・・・・いいよ。」
碇くんがそう言って、手を差し出す。
私も立ち上がり、ゆっくりと手をのばす。
指先が触れ合う。手のひらが重なり合い・・・彼が、私の手を握る。
(暖かい・・・・。)
冷たかった私の手が、温もりに包まれる。少しずつ、温もりを取り戻してゆく。
私も手を握りかえす。碇くんほど暖かく無いけど、私も彼に温もりを返したい。
私がもらった、大事な温もりを彼に伝えたい。
碇くんが私を見つめる。私も見つめかえす。
いま、この瞬間、心が通じ合っている。・・・・そう信じられる。
「綾波・・・・。やっぱり、ありがとう。」
「何が?」
「エヴァに取り込まれたとき、僕は何かに捕らえられそうになっていた気がする。その間、誰かが僕をずっと呼び続けてくれた。
・・・・いま思うと、あれは綾波だったと思う。」
(碇くんを助けたのは、私じゃない・・・・・。)
あの光の中に現れた女性、あれは誰だったのか。
「その後僕が戻ってこれたのも、綾波やミサトさんの呼ぶ声が聴こえたから。・・・・だから僕は助かった。」
(助かったのも、碇くんじゃない・・・・・。)
「だから、ありがとう。」
私は首を横に振った。
「違う・・・・。助けたのは、私じゃない。助かったのは・・・・。」
「え・・・・?」
「助かったのは・・・・救われたのは、私の方。碇くんが私を救ってくれたの。」
そう、彼は私を変えてくれた。意思を持たない人形ではなく、心をもった存在に。
彼は私を救ってくれた。押し潰されそうな不安から。言いようのない寂しさから。
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サルベージ |
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私の心を |
救済 |
してくれたのは、碇くん。 |
「だから、ありがとうをいうのは、私。」
私はそう言って、身体をそっと近づける。
「ありがとう。それから・・・・・おかえりなさい。碇くん。」
彼の暖かさを全身で感じる。この温もりに包まれている私は、間違いなく幸福だった。
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