ここはネルフの地下奥深く。白衣の女性がなにやら怪しげな笑みを浮かべながら、薬品を調合している。
「ウフフッ。やっと完成したわ。・・・・後は彼に飲ませるだけ・・・・クックックッ、楽しみね。」
そう一人呟くと、不気味な笑い声がいつまでも続いていた。
だがこの話は、ホラーではない。・・・・念の為。


「 ネコシンジ(前編) 」


「起動実験終了―――みんな、お疲れ様。」
マヤは回線越しに三人をねぎらう。リツコは一息ついてから、マヤに指示を与える。
「マヤ、悪いけど、後で私の部屋に来てもらうようシンジ君に伝えてくれる?」
「はい先輩。えーと、シンジ君だけですか?」
「ええ、レイとアスカには帰ってもらって。私は先に部屋に戻っているから。」
「はい、解りました。」
そう言い残してリツコは部屋を去っていく。後ろ姿を見送るとマヤはシンジにリツコの伝言を伝えた。

(急に何の用だろう?このところシンクロ率は落ちてないはずだし・・・・。)
リツコのいる研究室に向かいながらシンジは首をひねった。いくら考えても、心当たりがない。
「失礼します。」
「あら、悪いわねシンジ君。疲れているところを呼び出しちゃって。」
「いえ、大丈夫です。それより何の用ですか?」
「まあ、とりあえずそこに座って。今コーヒーを入れてあげるから。」
リツコの穏やかな声に、少しホッとする少年。小言でも言われるのかと思っていたらしい。
「あの・・・。テストの事じゃないんですか?それとも何か悪い話でも・・・・。」
シンジの声がだんだん小さくなってゆく。身に覚えはないが、つい物事を悪い方向に考えてしまう。
「あら、私が仕事以外でシンジ君を呼ぶのが、そんなに変かしら?」
「い、いえ、別にそうゆう訳では・・・・・。」
「ウフフッ、そう思われるのも無理は無いけどね・・・・。あ、シンジ君ミルク要るわよね。砂糖は?」
「あ、お願いします。」
予想どおり。リツコはスプーンをかき混ぜながら、背中越しにシンジに話しかける。
「いつもキツい事ばかり言っているかもしれないけど、シンジ君には感謝してるのよ。エヴァに乗ってくれて。」
「え?」
「いきなり事情もわからないのに呼びつけて、あんな戦闘兵器に乗せて・・・・。それでも頑張ってくれてるんだからね。」
そういってリツコはコーヒーを机に置き、ニッコリ微笑む。
「さ、冷めないうちにどうぞ。」
「あ、頂きます。」
シンジの手がコーヒーカップにのびる。シンジの視界に入らない角度で、リツコの眼がキラーンと光る。

「リツコーッ、シンちゃんいるんでしょ?邪魔するわよ。」
そういってミサトが入ってきた。カップを掴もうとしたシンジの手がピタリと止まる。
「ちょっと、あなたは別に呼んでないわよ。」
「なによぉ〜その言い方。シンちゃんだけ呼び出すなんて気になるじゃない。」
「別に仕事は関係ないのよ。ただの世間話だから。」
「だったらあたしも居ていいじゃん。・・・・・おっ、ちょうど良かった。コーヒー貰うね、リツコ。」
そういって素早くカップを取る。
「ちょっ、ちょっとアナタッ!!それシンジ君に入れたのよ!?横から奪うなんて意地汚いにもほどがあるわ!!」
「そ、そんなに言わなくてもいいじゃ〜ん。ちょっち喉が渇いていたんだからさ。」
「あ、僕は構いませんけど。」
「なっ!?ダメよシンジ君!・・・・ミサト、それ砂糖入っているのよ・・・・ノンシュガーの方がいいでしょ?」
それ以上ブクブク太ったら困るでしょ?と言いたいところをグッと飲み込んだ。
「まあ、そっちの方がいいけど・・・・。な〜にリツコ、そんなに慌てているのよ?」
「・・・・・べ、別に慌ててなんかいないわよ。」
ミサトの疑わしそうな視線に、リツコは心の中で舌打ちをする。
(・・・・チッ、変な所で野生のカンを働かせやがって。)
「ば、馬鹿な事言わないの。今ミサトの分入れてあげるから・・・・。」
「・・・・・まあいいか。はいっ、ゴメンね?シンちゃん。」
「あ、いいえ。」
シンジはカップを受け取ると、口元に持っていく。再びリツコの眼が怪しく光る。

「シ〜〜〜ンジッ!まぁ〜〜〜だぁ〜〜〜?」
不機嫌そうな声とともに、アスカとレイが入ってくる。シンジの手がまた止まった。
「な・・・・。ちょっと、二人とも!!まだ帰ってなかったの!?」
(なんなのよ〜。もうっ、次から次へと!)
「だって終わったらみんなで買い物行こって約束してるもん。夕飯の準備もあるし。」
「・・・・お買い物するの。」
「ミサトも車で送ってくれるんでしょ?」
「あ、ゴメンねアスカ。ちょっとシンちゃんが気になったものだから。」
「・・・・で、まだ帰れないの?シンジ。」
「え〜と・・・・。すみませんリツコさん、そういう事ですので、急ぎじゃなければまた今度にでも・・・・。」
シンジはそう言ってカップを置こうとする。
「だ、だめよ!まだ用事は終わってないんだから。」
「あ〜ん?リツコ、あんたさっき世間話って言ったでしょ?シンちゃんご飯作んなきゃいけないんだから、またにすれば?」
(何えらそうに言ってるのよっ!大体アナタが保護者の分際で、シンジ君に面倒見てもらってるからそうなるんでしょ!)
心の中で文句を言うリツコ。だがこれ以上、シンジを引き止めておく口実が無い。
「そ、そうね・・・・残念だけど。あ、でも、せっかく入れたんだから、そのコーヒーだけは飲んでいって。ねっ?」
「・・・・なんかリツコ、さっきからシンちゃんに、無理矢理そのコーヒーを飲まそうとしてるように見えるんだけど。」
「・・・・な、なに馬鹿なことを言っているのよ!?私はただ、せっかく入れたから飲んで欲しくて・・・・。」
「な〜んか、その態度が怪しいのよねぇ・・・・。」
「へぇ〜っ、リツコってば何か隠しごとしているわけ?」
「・・・・隠し事は良くないの。」
アスカ、レイまでミサトの援護に回る。しかしレイ、キミは人のことは言えんと思うが。
「そんな事言ったら悪いですよ・・・・。じゃあリツコさん、これだけ頂きますから。」
そういってシンジはぬるくなったコーヒーを一気に流し込む。
(やっっっったわぁっっっっっっ!!)
リツコの心の中で三毛猫とシャム猫がマンボを踊って祝福している。既に頭の中はパラダイス。
(薬は即効性だし、一気に飲んだからすぐ効果が出るはず・・・・・。もうちょと引き留めなきゃ。)
「シ、シンジ君・・・・。あの・・・・な、何か悩み事とかない?」
「え?別に・・・・。どうしたんですか?突然。」
「い、いえ、ちょっとね・・・・。あ!そうそう、この間うちの実家に預けた猫が子供を産んでね・・・・。」
「ちょっとぉ、いい加減にしてよね!こっちは用事があるのっ!待ってんだから!!」
「赤木博士・・・・。私と碇くんとの大切な時間を奪おうとしている・・・・邪魔。」
アスカとレイに遮られ、リツコは言葉に詰まる。
「行こっ、シンちゃん。・・・・バイビーッ!リツコ。」
「じゃあ、すみません、リツコさん。」
ガタッと席を立つシンジにリツコが思わず手を伸ばすが、その手は空を切った。
(あれ?なんか眠いや・・・・・。)
歩こうとしたシンジの身体がフッと揺らぐ。
「ん?シンちゃんどうしたの?」
「いや・・・・ちょっと眠気が・・・・・・・。」
突然、前のめりに倒れこむシンジ。慌てて抱き止めたミサトの脳裏にピン!と閃くものがあった。
「リツコ・・・・まさか、アンタの仕業じゃないでしょうね・・・・・?」
怖い顔でリツコを睨む。
「ち、違うわよ・・・・。計算では眠気など出ないはずなのに・・・・って・・・・あ!」
慌てて口を噤むがもう遅い。ミサト、アスカ、レイの鋭い視線がリツコを突き刺す。
「やっぱりいぃぃぃぃ!!アンタの仕業ねっ!!!」
「ちょっとリツコッ!シンジに一服盛って何するつもりだったの!?」
「碇くんを傷つけようとする者・・・・・許さない!」
三人に詰め寄られ、壁際まで追い込まれるリツコ。
「ちょ、ちょっとみんな、落ち着いて・・・・。別にシンジ君に危害を与えようとした訳じゃないのよ・・・・。」
(マズイわ、みんな、目がすわっている・・・・。)
「・・・そ、それより、シンジ君の容態が心配だわ!は、はやく医務室へつれていかないと・・・・。」
話を逸らされたとは思ったが、シンジの事が心配な三人は不精不精、リツコの提案に従った。

(知らない天井・・・・・でもないか・・・・・最近よく見ているし。)
でもあんまり見慣れたくないな、だってここは病室だから・・・・・。と、他人事のように考えるシンジ。
(どうしたんだろう?僕・・・・リツコさんの部屋に行って、みんなが入ってきて、突然眠くなって・・・・・。)
ぼやけていた視界が徐々にハッキリしてくる。・・・・人の顔が、ひぃふぅみぃ・・・・四人。
「・・・・・シンジ君・・・・・気がついた?」
あ、リツコさんの声だ・・・・・・。ぼんやりとしていた頭がだんだん動き始めた。
「・・・・・リツコさん?僕、どうしちゃったの・・・・?」
「大丈夫?頭痛くないかしら?体の調子はどう?気分悪くない?」
「平気です。少しだるいけど・・・。」
そう言って体を起こそうとするシンジの肩をグッと掴み、リツコが心配そうな表情で彼の顔を覗き込む。
「本当に大丈夫?熱とか出てない?痛いところ無い?記憶が混乱してたりとか無い?体が痺れたりしない?どっか痒いとこなぁい?」
「だ、大丈夫ですって・・・・。どうしたんですか?」
「ホントにホント?具合悪くないのね?無理してないのね?」
「え、ええ・・・・。」
そこまで言われたら不安になってくる。何があったんだろうと少し怯えていると、リツコがニッコリ微笑んだ。
「そう・・・・良かった、成功だわ。」
「え?・・・・成功って、何のこと・・・・?」
「あら、気にしなくていいのよ。・・・・それにしてもよく出来たわ、これ・・・・。ツヤといい毛並みといい、完璧ね。」
リツコが手を伸ばし、シンジの頭の上の何かに触れる。背筋にザワッと何かが走り、何かが頭の上でピクンッ、と跳ねる。
(えっ・・・・?)
異様な感覚。身体を半分起こしたシンジは、お尻の方で何かがもぞもぞと動くのを感じた。
恐る恐る手をやり、そのフワフワした物体を触る。とたんに全身がゾクゾクッ、と粟立つ。
(えっ、えっ?)
周りをみるとミサト、アスカ、レイの三人はシンジを見たたまま凝固し、リツコの眼にはハートマークがひらひら舞っている。
(ど、どうなってるの?)
つつっと、レイが近寄って来た。
「・・・・・碇くん、鏡。」
レイが持った手鏡を覗き込む。普段どおりのボンヤリした顔。加えて頭の上に、ぴくぴく動くネコの耳。
恐る恐るそれに手を伸ばす。・・・・・造り物じゃない。生身だ。
「エエエエッッッッッ!!!」
シンジは飛び跳ね、ベッドの上にチョコンと座りなおす。尻尾がヒュンッと跳ねる。
シンジの身体 + ネコの尻尾とネコの耳 = リツコの偏愛と妄想の結晶、ネコシンジの完成である。

「んっとっっっにっ!!なんつーーーー事すんの!?アンタはっっっ!!!」
「だ、大丈夫よ。体には異常ないみたいだし・・・・。」
「あんたバカァ!?そーゆう問題じゃないでしょっ!!このバカリツコッ!!!」
「バ、バカですって!?結構難しいのよ、これ。特に彼の外見を崩さずネコ耳と尻尾だけ生やすには・・・・。」
「マッドサイエンティスト・・・・そう、それはアナタ。まともじゃないわ・・・・。」
得意げに説明しようとするリツコに、レイが冷たくツッコミを入れる。
「うっ、うっ、・・・・リツコさん、僕何か悪い事したんですか・・・・?どうしてくれるんですか・・・・?」
「や、や〜ねぇっ!そんな泣かなくても・・・・。計算では一週間くらいで元に戻るはずだから・・・。」
「計算?アンタッッッ!科学者のくせにろくすっぽテストもしてないの!?」
「だ、だってぇ〜、出来るわけないじゃない。事情を知ったら誰も飲んでくれないだろうし・・・・。」
「当っったりまえでしょっっっ!!アンタに声かけられて怪しいと思わないのは、バカシンジくらいよっ!!」
アスカの怒声に、ず〜〜〜んと暗くなるシンジ。
(う・・・・そこまで言わなくたって・・・・。リツコさんを疑わなかった僕のせいなの?)
落ち込む彼の頭をレイが抱きしめた。
「碇くんは悪くない。悪いのはあのマッド・・・・。他人の体を弄ぶ外道。」
レイの慰めの言葉には異様な説得力がある。抱きしめられたシンジはちょっぴり得した気分。
「ちょっとファーストッ!?何抜け駆けしてんのよっっ!!」
「レイ!シンちゃんから離れなさいっ!!」
「だ、だめ!!それは私の特権なんだからっ!!」
「元凶のくせして、ぬぅわぁにが特権よっ!!バカリツコッ!!」
たちまち争奪戦が始まる。シンジの手や足が引っ張られ、パジャマがずれる。
「ちょっ、ちょっとみんなっ!やめてよっ!!」
ズボンが半分ずり落ち、ピョコンと尻尾が飛び出る。
「せんぱーーいっ!すみませんがお先に上がらして頂きます。」
シュウッと医務室のドアが開き、マヤが覗き込む。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
全員の動きがピタリと止まる。マヤは目を丸くして固まっている。
「・・・・・・マ、マヤ?」
リツコがシンジの左足を掴んだまま声をかける。
呆然と立ち尽くすマヤ。ズボンを引っ張るリツコと必死で抑えるシンジの姿が目に入る。
マズイ。絵的にマズイ。
「・・・・・ち、違うのよマヤ。これはね・・・・・。」
恐る恐る声をかけるリツコ。マヤの目に、シンジのお尻から飛び出たユラユラ揺れるものが写った。
「き・・・・・きゅわぁぁ〜〜〜〜んっ!!かっっわいっいっっっっ!!!」
ラブリーな叫び声と同時にシンジに向かって全力ダッシュ。
「うわぁ、本物の尻尾!?やぁん!フサフサしてるぅ。 ああっ!お耳が跳ねてるよシンジくん。えへっ、おねーさんが撫で撫でするね?」
マヤ、はしゃぎまくり。どうやらマッドの血は伝染するらしい。

「とにかくリツコッ!あたし達の夕食をフイにした罰として、これからご馳走すること!!」
「う・・・・・。わ、わかったわよ。」
「えへっ、ご馳走さまでーーーす!せんぱいっ。」
マヤもちゃっかり便乗する。
「ちょっ、ちょっと、外に食べに行くんですか?僕、恥ずかしいですよ、こんな姿・・・・。」
「何いってんの?どうせ一週間はその格好で暮らすんだから、いまから恥ずかしがっても仕方ないでしょ。」
「そ、そりゃそうですけど・・・・。」
「それともアンタ、ずっとここに隠れるツモリ?んなことしたら、リツコになにされるか分かったもんじゃないわよ。」
「そ、そうだわシンジ君。治るまで私の家にこない?サンプルも取りたいし・・・・。」
「「「「駄目っ!!!!」」」」
女性陣の見事なカルテット。ということはマヤよ、お前もか。
「あんたねーっ!ちったぁ反省しなさいよ?」
「碇くんは渡さないわ。」
「う・・・・、言ってみただけじゃない。」
しかし、リツコが100%本気だったのはミエミエだ。
「え〜と、じゃあここは間をとって、私の家で面倒見ることに・・・・。」
「マヤぁっ!?なにどさくさに紛れて、シンジを連れて行こうとしてるのよっ!!」
シンジの首根っこを掴んだマヤの手をアスカとレイが振りほどく。シンジの視界の外でチッ、と舌打ちするマヤ。
「さあっ!そんなことより、リツコ行くわよぉ!!ふっふっふっ・・・・、ガンガン飲んでジャンジャン食べるから覚悟なさい。」
「ちょっ、ちょっとは遠慮してよお〜っ。」
「あ〜っ、お腹すいたぁ〜〜〜。ほらシンジッ!ボヤボヤしてないでさっさと来なさいっ!」
アスカとレイに両腕を掴まれ、連行されながらウルウル泣くシンジ。
「ちょっとは僕の話も聞いてよ・・・・。僕の意思はどうなるのさ・・・・?」

諦めろ、そんなものは最初から無い。


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