「先輩、シンジ君の起動実験ですけれど、しっぽが邪魔でプラグスーツが着れません。」
「問題ないわよ。スーツを着なくても。」
「でも先輩、ネコ耳が邪魔で、インタフェースが付けられません。」
「な、なんとかなるわよ。シンジ君のシンクロ率なら・・・・・。」
「でも先輩、シンジ君がLCLに浸かるのを嫌がって、プラグに入ってくれません。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
冷や汗をたらすリツコ。どうやらこればかりは、如何ともし難いようである。
「 ネコシンジ(後編) 」
「・・・・・それでシンジ君の起動実験は中止、という訳か。」
ゲンドウがいつものポーズを決めている横で、苦々しげに冬月が呟く。
「も、申し訳ありません・・・・・。」
リツコがバツが悪そうに謝る。逃げるシンジを保護するのに結局、保安部と諜報部を総動員した。
「しかし、一体なんでまた、シンジ君をネコなんかに変えたんだね?」
「そ、その・・・・。そ、そう!ネコになった事で身体能力があそこまで飛躍的に高まりました。それをエヴァに生かし・・・・。」
「が、肝心のシンジ君がエヴァに乗ってくれないと、意味が無いだろう?」
取ってつけたような言い訳を、冬月がピシャリと遮る。
「そ、それは・・・・・。」
「赤木博士。」
ゲンドウがサングラス越しにリツコを睨む。
「は、はい・・・・・。」
「即刻、シンジを元に戻す方法を調べろ。その薬に関する資料は破棄。良いな?」
「いや・・・・・は、はい。解りました。」
(トホホ〜〜〜、あんなに苦労したのに・・・・・。)
リツコが心のなかで長嘆息を吐く。反省の色はなさそうだ。
「役に立たないのならシンジは帰らせろ。さっさと行きたまえ。」
リツコがしょんぼりと退出する。溜め息をつきながら冬月が問う。
「碇・・・・・。これもお前のシナリオの範囲内なのか?」
「・・・・・問題ない・・・・・・と思う。」
大ありだと思うが。
アスカたちの起動実験が終了した頃には、すでに夜の10時を過ぎていた。
「あ〜っ、やっと終わった。・・・・なんであたしがこんな遅くまで苦労しているのに、シンジだけ先に帰るのよ?」
「しょうがないでしょ。リツコのせいで実験にならないんだから。・・・・ったく。」
「・・・・・先に失礼します。」
「あ、レイ。ごくろうさま。」
「お腹すいたよう〜〜〜っ!ねっ、ミサト。何か食べにいこ?」
「え、でもシンちゃんが晩ご飯作ってるんじゃないの?」
「あ〜〜〜っ、どーーせアイツの事だから、またネコマンマよ。それよりお肉でも食べに行きましょうよ〜っ!」
「はぁ?ネコマンマ?」
キョトンとするミサト。
(眠れないや・・・。)
布団の中で寝返りを打つシンジ。目が冴えてしまって眠れそうにない。
(アスカ・・・・遅いな。ミサトさんも・・・・。)
部屋を出ると誰も居ないリビングを抜け、ベランダに出る。
(綺麗な満月だな・・・・・。)
夜空を見上げる。澄みきった空を月が明るく照らしている。
(こんなに月が綺麗なのに・・・・寝てちゃもったいないよね。)
なぜか満月を見ていると体がウズウズしてくる。
(二人ともまだ帰ってこないし、ちょっと散歩しよ。)
シンジはパジャマのままヒョイッと身を乗り出した。
「ただいまぁ〜〜っ!もうクタクタ〜〜ッ。シンジぃーーーっ!ちょっと肩揉んで。」
「アスカ、声が大きいわよ。シンちゃん寝ちゃってるかもしれないんだから。」
「むぅ生意気。アタシがこんなに疲れてるのに。」
「しょうがないでしょ。・・・・・・シンちゃん、起きてる?」
ミサトがシンジの部屋を軽くノックする。
「・・・・・・・・寝たようね。」
しかし、既に部屋はもぬけの空だった。
月明かりの中、何かの影が建物から建物へ、ピョンピョンと跳び移る。
その動きがあまりに素早いので誰も見えないが、仮に見たとしても自分が寝ぼけているか、酔っ払ったとしか思わないだろう。
何故ならその影は少年のような姿で、耳と尻尾が生えていたからだ。
影――シンジはウキウキしながら、ビルの屋上からジャンプし、隣の屋根に音も無く着地する。
(不思議だな、なんでこんなに楽しいんだろう?)
さらに高いビルを見つけたシンジは、わずかな手がかりだけであっというまに屋上まで登る。
(やっぱり、満月だからかな。)
満月に影響されるのは狼男だけでは無いらしい。
ペタンを腰を下ろして月を見上げる。月を見ていると、青い髪の少女のことを思い出す。
(あの夜も綺麗な満月だった・・・・。)
レイと二人で歩いたあの日。レイの体の重みを感じながら、月を見上げた。
(何しているのかな・・・・・綾波・・・・・。)
立ち上がったシンジはピョ〜ンッと跳躍すると、たちまち闇へと消えてゆく。
・・・・・・・コンコン。
何かを叩く音に、まどろみ始めたレイの目が開く。
・・・・・コンコンコン。
どうやら、誰かがベランダの外から、ガラス戸を叩いているらしい。
「・・・・・誰?」
コンコンコンコンッ。
レイがカーテンを開けると、そこにはパジャマ姿のシンジが微笑んでいた。
「碇・・・くん・・・・・?」
夢じゃない・・・・。レイが、ベランダの戸をカラカラと開ける。
「どうしたの?」
「ごめんね、こんな遅くに。なんか月を見てたら、綾波の事を思い出しちゃってさ。」
「・・・・私を・・・・?」
「ねぇ、これからちょっと散歩に行かない?凄く綺麗な月だよ。綾波にも見せたいんだ。」
「え、これから・・・・・?」
「・・・・・駄目?」
「う、ううん、駄目じゃない。」
いつもと様子の違うシンジにちょっと戸惑うレイだが、シンジの寂しそうな顔を見ると慌てて首を振った。
「でも私・・・・こんな格好だから・・・・・。」
「あ、そうだね。じゃあ、待ってるから着替えておいでよ。」
「う、うん・・・・・。」
着替えるといっても、まともな普段着はもっていない。結局、いつものセーラー服に着替える。
「あの・・・・いかりくん・・・・・・。」
「なに?」
「その、着替えるから・・・・・少し向こうをむいてくれる・・・・・?」
「ああ、ゴメンね。」
照れた様子もなく後ろを向くシンジ。レイはいそいそと着替え始めるが、さっきから胸の動悸が止まらない。
(どうしたの、私・・・・? 前に裸を見られたときは、何も感じ無かったのに・・・・・。)
恥ずかしい―――ポッと体が熱くなってくる。
「・・・・・・・も、もういいわ。」
「じゃあ、いこうか。」
そういってシンジはレイをふわっと抱き上げる。
「え・・・・・?」
「ちゃんとつかまっててね。」
至近距離でシンジがニッコリ微笑む。その笑顔に、レイの鼓動はさらに高まった。
ポッカリと浮かんだ満月。満天の星。白銀の光の下、二人の影がビルからビルへと飛び移る。
「大丈夫?怖くない?」
「・・・・・うん、怖くない。」
レイは最初こそ戸惑っていたが、フワフワとした浮遊感に身を委ねるのが心地良くなっていた。
「・・・・何か不思議な感じ。まるで空を飛んでいるみたい・・・・。」
「そう、・・・・楽しい?」
「ええ、とっても。」
「よかった。じゃあ、もう少し遠くへ行ってみようか?二人で行きたい場所があるんだ。」
(今夜の碇くん、何だかいつもと違う。とても積極的・・・・。)
「・・・・・・碇くんとならどこへでも。」
頬を桜色に染め、小さな声で頷く。
「じゃあ、もう少し飛ばすから、しっかりつかまっててね。」
「ええ・・・・・。」
レイは目を閉じて、シンジの首をギュッと抱いた。
第三新東京都市で最も高い高層ビル。その屋上に二人はいる。シンジはレイを横抱きにしたまま、腰を下ろした。
「ねえ、綾波・・・。目を開けて。」
「ん・・・・・・。」
レイが静かに目を開くと、間近に迫ったように月が大きく見えた。
「綺麗・・・・・・。」
「綾波に見せたかったんだ。」
シンジはそう言って膝の上のレイに微笑むと、月を見上げる。
「・・・・ねえ、憶えてる?ヤシマ作戦の時・・・・・あの夜も満月だったよね。」
「ええ、あのときも満月だった。」
シンジの盾となって使徒の攻撃を受けたレイを心配し、まっ先にシンジが助けに来てくれた。
あの時、レイは初めてシンジの暖かさを知った。
初めて心からの笑顔で笑えた。
(忘れるはずないわ・・・・。)
「あのとき、月を見上げながら思った・・・・。たとえ苦しい道のりでも、二人で生きていこうって。」
「碇くん・・・・・。」
「ずっと、一緒に・・・・・綾波と。」
―――二人で。
―――ずっと、二人で。
つっと一筋、レイの頬に涙が流れた。
「あやな・・・み?」
「・・・・・碇くんの言ったとおりだわ・・・・・。」
「え?」
「あの時、碇くんが言ってた。嬉しいときにも涙は出る、って。―――私、嬉しいもの。」
「・・・・じゃあ、その後の言葉も憶えてるよね。」
「え・・・・。」
「笑えばいいよ、って・・・・。」
シンジの笑顔に応えるように、ゆっくりとレイが微笑む。あの時よりも、柔らかな笑顔で。
互いの視線が交差する。
どちらからともなく顔が近づき、目を閉じる。
唇が触れる。
唇越しに、互いの体温が伝わってくる。
暖かい。
腕に力をこめて抱き寄せる。
あたたかい、存在。
大切な、ひと。
しばらくして、どちらからともなく唇を離す。
「あやな・・・・・レイ。」
「いかりくん・・・・・。」
うっとりと見つめ合うふたりを、月は祝福するかのように照らしている。
「いかりく・・・・。」
クッとレイが喉を鳴らす。思わず口もとを手で覆う。
「・・・・・・クシュン!」
「結局・・・・。私が何もしなくても治ったようね。」
シンジの顔を見ながらリツコが呟く。なぜかリツコは残念そうだ。
「はあ・・・・・。」
シンジが頷く。もうネコ耳はキレイサッパリ消えている。
「・・・・・で?何でレイがそうなるわけ?」
「わからないから、聞いてるんじゃないですか・・・・・。」
シンジの腕にレイが絡みついている。その頭にはネコ耳が燦然と輝いている。
「・・・・・ニャオ。」
しかも、鳴き声までネコになっている。
「・・・・・おまけに、なんで中身までネコになっているわけ?」
「だから、僕に聞かれてもわからないですってば・・・・・。」
思いっきり溜め息を吐くシンジ。朝からず〜っとこの調子で、レイに纏わりつかれているのだ。
「リツコさ〜ん、頼むから綾波を元に戻してくださいよぉ〜っ。」
(今度はレイか・・・・・。やれやれ。)
「・・・・しかし、まさか伝染るとはねぇ〜。・・・・やっぱり風邪のウィルスを混ぜたのがいけなかったのかしら?」
「な、なんですってっ!!」
「え?・・・・あ、あの、いまのは違うのよ・・・・こっちの話。」
どうやら独り言のつもりだったようだが、しっかり聞こえてる。
「ひどいですよっ!リツコさん、そんなもの僕に飲ませたんですか!?綾波まで・・・・・。」
「べ、別に悪気は無かったのよ。ちょっとクスリが回るのを早くしようと思っただけて・・・・・。そ、そんな目で見ないでよ!」
「リツコさ〜〜〜〜ん。・・・・・早く綾波を元に戻してください。でないとエヴァに乗りませんよ。」
「わ、分かったわよ、急いで調べてみるから。・・・・ふぅっ、また徹夜だわ・・・・。」
自業自得。リツコに相応しい言葉である。
暗くなっていたリツコだが、ふと、何かに思い当たった。
「ん?・・・でも・・・・おかしいわね、確か薬に混ぜたのは、空気感染しないタイプのはず・・・・・。」
ギクッ!!!
「接触感染型のウィルスだから、感染経路は限られるわよね・・・・・例えば・・・・・。」
「う、うわぁっ!あの、と、とにかく頼みましたからお願いしますね。・・・・じゃ、じゃあ、僕はこれで!」
レイを抱え、慌てて逃げ出すシンジ。
その姿を見送っていたリツコが、忌々しそうに指をパチッと鳴らす。
「・・・・・チッ!その手があったか・・・・・。」
「・・・・ふうっ、危なかった。」
「・・・・・・ミャア。」
二人はひとまず廊下に逃げ出したが、レイは相変わらずピッタリくっ付いて、離れようとしない。
腕を組んだまま、頭をシンジの胸に擦りつけている。すれ違うネルフ職員の好奇の視線が痛い。
「あ、綾波・・・・・。」
「・・・・・・・ニャ?」
「そ、その、もう少し離れてくれるかな?ほ、ほらっ、歩き辛いし、その・・・・みんな見ているしさ。」
レイは一瞬キョトンとしてシンジを見たが、嬉しそうにシンジに抱きつく。
「ニャンッ!!」
「わ!ちょ、ちょっとあやなみっ!僕の言葉が解かってないの?」
すりすりすり・・・・。レイは気持ちよさそうにシンジに頬擦りをしている。
「あ、あの・・・・・。ちょっと、みんな見てるよ・・・・お願いだから離れてよぉ。」
「・・・・・・・嫌。」
「・・・・・・・え?」
驚いたシンジは、パッとレイの肩を掴んで離す。
「綾波・・・・・今しゃべった?喋れるの?・・・・・ひょっとして、僕の言うこと解っているの?」
レイはシンジの顔をジッと見ていたが、突然、シンジの唇をペロッと舐める。
「わっ!!」
慌てるシンジ。悪戯っぽく微笑むレイ。
「・・・・・・・みゃおっ!」
< 了 >