< ever : 1話 − 1st パート >


四月―――桜が芽吹き始め、鮮やかな花を咲かせる季節。
身を切るような冷たい風がいつしか穏やかになり、心地良く頬を撫で付ける。
春が訪れた第三新東京都市の夕暮れ。小高い丘の上にある公園で、少年は一人の少女に出会う。


− e v e r −

「 少 女 」


「あれ?彼女・・・・。」
夕暮れ時の公園で誰かを見つけたのか、だれに云うともなく少年は呟いた。
黒い髪、黒い目、青色のジャンパーにややダブついたジーンズ。片手には楽器ケースを提げている。
やや中性的で大人しそうな顔立ちをしたその少年は、どこにでもいそうな普通の中学生。
名前は碇シンジ――第壱中学校に通う14歳。今年の春から三年生になる。
彼の視線は、ただ一人でベンチに座っている少女に吸い寄せられていた。
その少女は同い年くらい。普通とは少しかけ離れた、どこにでもいそうにない容姿の美少女。
硝子の糸で織られたかのような青い髪。白磁で作られたかのような白い肌。完璧に整った繊細な横顔。
何より、一目見たら忘れることの出来ない、紅玉の輝きですらかくやと思わせるほどの深い深い、紅の瞳。
その瞳は瞬きするのも忘れたかのようにただ一点―――少年にではなく、沈み行く夕日の方に向けられている。
(綾波・・・・さん・・・・?)
シンジは心の中でその少女――綾波レイの名前を呼んだ。

二人は知り合いというほどではない。彼女は3ヶ月ほど前、三学期が始まってすぐの頃、彼の通う第壱中学校に転校してきた。
シンジとは別のクラスだったが、神秘的な雰囲気と夢のような美貌を持つ彼女の名は上級生、下級生問わず、あっという間に
学内中に知れ渡たった。
しかし彼女は誰とも話そうとしない―――男子とはおろか、女子さえも。
まだ転校して間もないとはいえ、だれかと一緒にいる姿を見たことがない。
話かけられてもごく簡単に返事をするだけ。会話と呼べるほどのものでもなく、およそ感情というものを面に表さない。
加えて意識的かどうかはわからないが、他人を拒絶するような独特の雰囲気を身に纏っているので、近寄り難かった。
男子生徒の間で『氷の令嬢』、『沈黙の姫君』などとあだ名されるゆえんである。
シンジもまだ彼女と会話したことが無い。多分、彼女の方はシンジの顔すら知らないだろう。
ゆえにシンジは声をかけなかった。いや、かけられなかった。
夕日に染め上げられた少女の横顔は夢幻に美しい。真紅の瞳は夕暮れの朱と交わり、この世のものとは思えない輝きを放つ。
シンプルな白いブラウスと焦茶色のロングスカートが、簡素ゆえに彼女そのものの美しさを際立たせている。
シンジは息をするのも忘れたように、ただその横顔に見惚れていた。
(綺麗だな・・・・・。)
ありきたりだが、それ以上の言葉が思い浮かばない。魅入られる、とはこういうことなのだろうか。
しばらく意識がどこかへ飛んでいたシンジは、彼女がこちらを見ていたのに気付かなかった。

「・・・・・何?」
(・・・・・え?)
とっさにシンジは、誰から声をかけられたのか判らなかった。いつの間にか少女がこちらを見ていたこと、彼女が声を発したこと、
そしてそれが自分へ向けられた問いであることを認識するのに数瞬かかった。
「・・・・何か用?」
「い!いや・・・。あの・・・・。」
やっと状況が把握出来たシンジは思わずうろたえる。
「・・・・・・・・・。」
「その・・・・あ、綾波さんだよね?ぼ、僕・・・・碇シンジって言うんだ・・・・。知らないと思うけど、同じ学校の2-Aで・・・・。」
「・・・・それで?」
「・・・・え?」
「それであなたが、私に何か用なの?」
「いや・・・あ!よ、用って言うわけじゃ・・・・・・。」
まっすぐ向けられた深紅の瞳に頬が熱くなる。まさか見惚れてた、とは恥ずかしくて言えない。
「そう、用事は無いのね。」
そう言ってプイと顔を背ける。
(あ・・・・・。)
怒らせたのだろうか。視線を夕日に戻し、まるでそこにシンジが存在しないかのように再び見つめる。

「あ、あの・・・・・。」
沈黙に耐え難くなって、シンジは声をかける。
「あの、君・・・・あ、綾波さんって、よくここに来るの?」
だが彼女は答えない。無視されているのだろうか。
「僕も・・・・たまにだけど、ここに来るんだ。・・・あ、今日はちょっとチェロの練習をしようと思って、・・・・ほ、ほら!春休みだからさ、
音楽室は使えないし、家で練習すると近所迷惑だから・・・・。け、結構チェロって音が大きいんだよね・・・・・。」
シンジが必死で喋るが、何か話さなきゃという意識だけが空回りしている。何を云っているのか良くわかっていない。
「それで・・・・えーと・・・・ここに来て、で、たまたまベンチを見たら綾波さんを見つけて・・・・。」
(えーっと・・・・・。)
そこで言葉が途切れる。自分が何を話したいのか、さっぱり判らない。
「そ、そういうことだから・・・・。あの、ごめんね?邪魔しちゃったみたいで。」
いたたまれなくなってその場を去ろうとしたシンジに、再び少女が口を開いた。
「・・・・あなたは・・・・。」
「・・・・・え?」
「あなたは、チェロを演奏しに来たの?」
いつのまにか、あの深紅の瞳の視線が再びこちらに向けられている。踵を返そうとしたシンジは、驚いて少女を見返す。
「あ?・・・・・う、うん。」
「そうなの。私の方が邪魔したようね。」
そう言って立ち上った少女に、シンジは慌てて声をかける。
「あ!いや・・・・そんな邪魔なんて・・・・。先に来たのは綾波さんだし、チェロの演奏なんてどこでも出来るんだし・・・・あのっ!
も、もちろん、綾波さんが迷惑だったら向こうで練習するよ。」
「・・・別に構わないわ。」
「・・・・・え?」
「私は別に、迷惑じゃない。」
立ち上がった少女は、再び腰を下ろした。焦茶色のロングスカートがふわりと揺れる。
「そ?そう・・・・。」
(良かった、怒っているわけじゃなさそうだ。)
ホッとしたシンジは自分がなぜここに来たのかやっと思い出したようで、楽器ケースを開き、チェロを取り出す。
「じゃあ、ちょっと失礼して・・・・あ、折角だから、何かリクエストとかある?・・・・といっても大して弾けないけど・・・。」
「・・・・そういうのは私、よくわからない・・・・。」
そう答えた少女の姿がなぜか少し寂しそうに見え、慌ててフォローを入れる。
「あ〜ゴメンッ!き、気にしないで・・・・。そ、そうだよね、チェロの曲なんて知っている人が少ないもんね・・・。」
「あなたの好きな曲で構わない。」
「う、うん・・・・。じゃあ・・・・ヘタかもしれないけど・・・・。」
シンジはそう前置きしてチェロを構え、おもむろに弾きはじめる。
軽やかで少し陽気な、だがどこか、懐かしい時を慈しむような旋律が響く。
目を閉じながら演奏するシンジを見ていた少女は視線を夕日へと戻す。
(なぜだろう・・・・・?暖かい・・・・・。)
沈みゆく最後の光がひときわ赤く輝き、更に朱く少女の頬を染め上げる。
―――綺麗―――
少女は初めて、その夕日を綺麗だと感じた。


演奏が終わったシンジは少女の方を見る。既に日は沈みきっていたが、彼女はそのままの姿勢で動こうとしない。
「あ・・・・あの・・・・。」
(やっぱり、迷惑だったのかな・・・・?)
「ご、ごめんね。ヘタな演奏聴かせてしまって・・・・その、やっぱり、ウルさかった・・・・?」
「・・・・・・下手じゃない。」
「え?」
「私には、上手とかそういうのはわからない。でも、聴いていて楽しかった・・・・暖かい気持ちになった。」
「え?えーっと・・・・・あ、有難うっ!」
少女が自分を褒めてくれたことに驚くシンジ。
(でも、嬉しいな・・・・。)
「何ていう曲?」
「あ、今のはね、オッフェンバックっていう作曲家の 『夕暮れ』 っていう曲なんだ。」
「そう。・・・・好きなの?この曲。」
「うん。小さい頃から聴いていたし、母さんも好きだし。あ、チェロを弾くようになったのは母さんに勧められたのが切っ掛けなんだ。
それに、夕暮れ時だから思い出したっていうのもあるけど・・・・何か、綾波さんが寂しそうに見えたから。」
「・・・・私・・・が?」
少女はシンジの方に顔を向ける。少し驚いたように見えたのは気のせいだろうか?
「うん。ほら、この曲って軽快というか、何となくウキウキしたような感じだし、綾波さんを少しでも元気づけられたらと思って・・・・。」
誉められて嬉しかったせいか、聞かれてない事まで口走る。途中で、余計な事を云ってしまったと思った。
「・・・・あの、ゴメン!寂しそうに見えたのは、僕の勝手な思い込みで、別に綾波さんがそう考えてたと言ってるわけじゃあ・・・・・。」
つい調子に乗ってしまったことを少し後悔し、少女に謝った。
「寂しい・・・・?そう、そうだったのかもしれない・・・・。」
だが、少女は小さく独り言を呟いただけだった。
「・・・・え?」
「・・・・・何でもない。」
少女は立ち上がり、シンジの方を向く。表情は変わらないが、心なしか雰囲気が柔らかくなったように感じた。

「日も暮れたし・・・・そろそろ帰るわ。」
「あ・・・・うん、そうだね・・・・。遅くならないうちに・・・・・。」
シンジはそう答えたが、何となく寂しいような、残念なような気になる。
「碇君?」
「えっ!・・・・な、なに?」
少女が自分の名前を呼んでくれた、それだけの事なのになぜかドキッとする。
「またいつか・・・・聴かせて貰える?」
「え?・・・・僕の演奏を?」
「迷惑?」
「め、迷惑だなんて・・・・。こちらこそ、喜んで!」
既に辺りは暗くなっている。自分の顔が赤くなっているのを少女に見られなかったことに感謝した。
「じゃあ、さようなら。」
「え?・・・・うん・・・・またね・・・・・。」
少女は踵を返し、ゆっくりと去っていく。その後ろ姿をただ黙って見つめるシンジ。
(さようなら・・・・・か。)
自分がまたねと返事したのが聞こえただろうか。

シンジは少女の姿が見えなくなっても、暫くそのまま立ち尽くしていた。


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