碇シンジのサード・インパクト

外伝
Written by Sterope


第二東京、第3訓練場。

「これより処刑を執り行う」

少尉が言うと、並んだ兵士達が弾をこめる。

「狙え!」

ガチャリと目標が狙われた。

「何か言い残すことは?」

タバコをふかしながら少尉が訊ねる。

「計画は頓挫しましたわ、全て終わりです」

「……言い残すことはもう、無い」

二人が答えると、少尉は目を細めた。
国家反逆罪で捕らえた二人、戦争の引き金を引いた二人。
しばらく少尉は二人を見つめていたが、言った。

「頓挫した、それはどうかな?」

そこでハッとした様子の女が答える。

「まさか……あの子を使うつもりなの?」

「言い残すことはもうないな」

「そう上手くいくもんですか! あなた達はもう終わりなのよ!」

少尉はニヤリと笑う。

「撃て」








国防軍の憲兵達が隠れ家に踏み込んだ時、まず異臭が鼻を突いた。
それに構わずクリアリングしていく憲兵達。
机の上には「作ったから食べておいてね」という書置きと共に白湯らしきものが置かれている。

そして兵士達は目的の”モノ”を見つけた。

「少尉……」

「ああ、間違いない」

そこで少尉と呼ばれた男は持っていた顔写真を見比べる。

「”彼女”だ」

「しかし、これでは……」

「問題ない、もう一人の予備が居る」

少尉は満足そうに言うと、目的のモノを運ぶよう指示する。
動かしてみると、ウジが大量に沸いているのがわかった。
激しい腐敗臭に兵士達は息が詰まる。















日本全土は戦火に包まれていた。

某国の離島侵攻に対し、強襲揚陸艇で反撃した国防軍はさらに南北両国から挟撃を受ける。
北海道、九州、沖縄を巻き込んだ大規模な戦闘は2週間続き、全てを破壊しつくした。

侵攻理由は日本国における内乱の鎮圧。
国連は完全にその機能を失った。国連軍は組織することすら出来なくなったのである。

不運なことに日米安保条約は1年前に破棄されており、はるか地球の裏側へと全軍引き上げた後だった。

日本国国防軍は孤立し判断を迫られていた、南進か北進か。
北進は戦力差が圧倒的……。であればまず南から叩くべし。

国内に現存する21発のN2兵器は南より津波のように押し寄せる敵国の工場地帯を攻撃した。
次いで広島で大規模な反撃が開始されるも、日本国国防軍の戦力では太刀打ちできなかった。

事態を重く見た米国は、米軍を中心とした多国籍軍を結成し、それは20万を超える。

だが侵攻開始から二ヶ月で日本国はその領土の三分の二を失っていた。






シンジはレイの為、闇市をうろついていた。
先日手に入れたわずかばかりの金品を食料へ換えようとしていたのだ。
シンジ達の住む場所は満足にも家とは呼べず、配給も行われていなかった。
その為、シンジは時折こうして闇市へ足を運ぶのだった。

「憲兵隊が来るぞ!」

誰かが叫ぶとそそくさと皆が散らばっていく。
シンジもそれに混ざり、逃げおおせるはずであった。
しかし何かが違った。

憲兵隊は空砲を空に向けて発砲する、皆は駆け足で去っていく。

「少尉、彼です」

「プラスチック弾確認、撃て!」

パパパパパッと自動小銃の音が聞こえた。
シンジの周囲に居た人間達が倒れる。

(僕が狙われてるの!?)

そう感じたシンジは走り去る人ごみへ混ざり必死の思いで走った。

「逃がすな!」

「回り込め、行け行け行け!」

憲兵達は明らかに何らかの目標を持って行動しているようだった。
しかしそれは空襲警報によって中断せざるを得なくなる。





ウーという音が徐々に大きくなり、皆が空襲警報だと気づくと同時に105mm対空砲が射撃を開始した。
小田原市仮設飛行場から飛び立った連合軍第219飛行隊は、飛来する敵輸送機と護衛機へ機首を向ける。

輸送機は旧第三新東京市方面を狙って攻めているようだった。
しかし何機かは小田原市へと空挺隊を降下させた。

シンジはシェルターへ急ぐ一団を逆方向へ向かって進む。
肩や体がぶつかるのも構わず隠れ家目指して進む。

時折近くで敵機の投下した爆弾が炸裂し、周囲の対空砲や建物を破壊していた。
砂煙が押し寄せ、目に砂が入る。目が痛くて開けられない。
ゴシゴシと目をこすり、涙を流しながらなんとかシンジは進む。

前も見えないほどの黒煙が辺りを包んでおり、キィンという航空機が低空飛行しているであろう音が大きく聞こえた。
やっとの事で隠れ家に到着したシンジ。

しかし隠れ家で待っていたのはレイではなく、国防軍の兵士達であった。

「君は碇シンジ君だね?」

「……いえ、違います」

「……話がある、話だけだ」

「通してください。病気の妹が居るんです」

嘘をついて切り抜ければいい、なんとかレイを連れ出してシェルターなりへ逃げなければ。

「綾波レイの事か?」とリーダーらしき兵士がシンジの前へ出る。

「……誰ですか、それ」

と白を切るシンジ。
それを兵士が射抜く。

「彼女はこちらで”保護”させて貰った。もし会いたければ付いて来なさい」

「…………」

やってしまった、シンジはそう思った。
もう手遅れだった。何もかも終わってしまった。
残された道はただ従うのみ。






兵士達に護衛されるようにしてシェルターとは別の方向へ進むシンジ。
辺りは黒煙が立ち込め、何かの燃える匂いが鼻を突いた。
正面で待つ兵員輸送車へ乗り込もうとしているのだとシンジは気付く。

兵員輸送車の周りを兵士達が囲んでいる。
彼らは携帯対空ランチャーで空へ照準を合わせていた。
そんな中、シンジはレイの事だけが気がかりだった。

その次の瞬間、ボン! という音と共に何かが兵員輸送車へ撃たれた。

兵員輸送車はあっけなく爆発し、周囲の兵士達は報復射撃を開始する。

「彼をやらせるな! 行け行け行けッ!」

「一等兵、碇シンジ君を予備の地点へ向かわせろ! ここはこっちで食い止める!」

「了解! シンジ君、こっちだ!」

ついに周囲に降下した兵士達は付近でゲリラ化し、散発的な攻撃が開始された。
兵士に半ば引きずられるようにしてシンジは懸命に走った。
ともかく走った。





時折足元でチュインと嫌な音がした。
耳元をヒュンと弾丸がかすめる音もした。

それでもシンジと兵士は走った、ともかく走ったのだ。

しかし元より体力のあるほうではないシンジは途中で転んでしまう。
兵士がそれを抱き起こすが、止まったのが致命傷になったのかついに弾丸がその兵士を捉える。

兵士はその場に倒れこんだ。
シンジは本能的に危険を察知し、その場へ伏せる。
伏せたシンジ目掛けてRPG-7が発射される、それは真横で炸裂し、シンジのわき腹をえぐった。
倒れて動けなくなった二人へ敵兵士が駆け寄る。
何語かわからぬが指揮官らしき兵士が喋っている。

『目標確認、これより捕獲する』

シンジの頭へ拳銃が突きつけられる。

『悪く思うなよ。坊主』

パァンと乾いた音がした。
それと同時に ――正確には音がするより早く―― 敵兵士が倒れた。

『狙撃兵だ!』

パァン また一人。

『奴を殺れ!』

パァン また一人。

『もうだめだ! 目標を射殺しろ!』

パァン また一人。

最後の一人はシンジへ自動小銃をフルオートで撃とうとした。
しかし彼もまた狙撃兵に射殺される。
後に残ったのは血の池であった。




遅れて到着した援軍は倒れたシンジを見つけた。

「まだ息があります」

「おい、担架もってこい!」

衛生兵がそう言うと、さらに四人の衛生兵が担架を持ってくる。

「よし、乗せるぞ、せーの!」

そこへ予備の兵員輸送車が到着し、シンジ達はそれに乗せられる。

「傷は大したこと無さそうだ、消毒して縫合!」

シンジを乗せた兵員輸送車を守るようにレオパルド戦車が3両、前後を固めた。
その隊列は第12歩兵連隊指揮所へと向かう。




幸いにもシンジはわき腹を多少破片が掠っただけで済んだ。
もう一人の兵士は残念だが、重体だった。

シンジの個室へ勲章をジャラジャラ着けた司令官と側近らしき男、そして少尉と呼ばれていた男が入る。

「君が碇シンジ君かね」

「……そうです。綾波は、どうなりましたか」

シンジの質問を無視すると、司令官は続けた。

「何故、敵がここを強襲したかわかるかね?」

「わかりません」シンジは答える。

「君と旧ゲヒルンを狙っての行動だ」

「どうやらこちらの行動は相手に筒抜けのようだ」

「……」

「当初の侵攻もおそらく、北と南、両国とも旧ゲヒルンが研究していたモノ目当てなのだよ。
 悪いことにMAGI同士のクラッキング中にデータが外部に漏れたようだ」

と側近の男が言う。

「クローン兵士はどの国にとっても切り札になりうるんだ」

「クローン兵士さえ完成すれば戦争に勝てる」

二人はまくし立てる。

「あなた達、何言ってるんですか……?」

シンジにとっては当然の疑問である。

「綾波レイ、彼女はクローン兵士を制御するダミーシステムに深く関わっていたのだよ」

「さらに言えば君自身の思考のコピーとも言える彼女が、ね」

そこまで言って、彼らはシンジがほとんど事態を知らない事に気付いた。
司令官の男はシンジを言いくるめる為に別な言い方をする。

「協力すれば彼女を解放してやるということだよ、碇シンジ君」

少尉が前に出ると、銃殺された二人が写った写真を見せた。

「君のご両親も敵の手によって殺された。……復讐したくはないかな?」








結局、現地軍と落下傘部隊との戦闘は現地軍の勝利で終わった。
連合軍はさらに戦力を増強し、全ての戦線はこう着状態へと陥っていた。

旧ゲヒルン。
その最深部A計画用第2分室で、シンジは頭をすっぽりと何かの機械に包まれていた。
見知らぬ旧ゲヒルンスタッフ達が周囲に設置された端末を操作する。

「コンタクト、スタート」

「スキャン開始、データリンク正常」

「了解、フェイズ2へ移行」

「フェイズ2正常、フェイズ3へ移行」

機械的なやり取りの中、シンジの脳のある部分が刺激されていた。
それはあらゆる光景をフラッシュバックさせる。




――ベッドで運ばれてくる負傷したレイ。
不覚にもシャワー中に侵入してしまったレイの家での出来事。
ヤシマ作戦。
笑ったレイ。


――病院で看病してくれるレイ。
優しく頭を撫でられたっけ。
でも、それは徐々に消えて。


――目覚ましが鳴る5分前に起床したシンジは綾波レイと出会う。
初対面であって初対面でない、奇妙な会合。


――海。
新しく買った水着が似合っていた。
日が暮れるまでたっぷり二人で遊んだ。


――崩れていくレイ。
逃げた先にも魔の手が及んだ。
ユイからの手紙など無かった。シンジが読んだのはレイからの手紙だった。

そこでシンジの記憶は途切れる。そこから先がうまく思い出せない。

ああ、そうだ。死んだフリをさせて逃げ出せたんだっけ。
それからもレイはよく笑ってくれた。
シンジが話しかければそれに笑って答えてくれた。

でも徐々に異臭がするようになった。

しょうがないのでシンジはレイを透明なビニールで包んだ。
それで多少は異臭がマシになった。
なので異臭がひどくなる度、透明なビニールを重ねがけした。

そこでフラッシュバックは終わる。

「ぅ……はぁ……」

自然と苦しい息が吐き出される。

「最終フェイズ完了、ノイズ除去に数日かかります」

「ダミーシステムとのシンクロ率99.8%」

「もういい、碇シンジ君にハロペドールを投薬してやれ」

少尉がそう言うと、脇の衛生兵がシンジへ近寄った。

「あまりに壊れられてしまうと使い物にならんからな」

禁煙なのだが、少尉はタバコをふかしながらそう言う。

シンジの細い腕に注射器がねじこまれ、薬品が注入されていく。
徐々に何もかもどうでもよくなり、周囲が、暗転した。






その次の月、連合軍は大規模な総攻撃に出た。
コンパッション作戦と名づけられたそれは大成功を収め、南北両軍は大きく陣形を崩され撤退を始める。
それに呼応し各地でパルチザン活動が活発に行われ、それを支援すべく数回に渡って連合軍の強襲上陸が敢行された。

海へ追い落とされるのも時間の問題である。そう考えた南の侵略者は和平を求めた。
しかし北からの侵略者は北海道に強固な陣地を築き、その場へ踏みとどまっていた。

結局のところ南からの侵略者の講和案は受諾され、北からの侵略者は北海道で停戦ラインを引くことで合意した。






ある晩、シンジは深夜に目を覚ます。
誰かに頭をさわさわと触られているのに気付いたからだ。
部屋は暗かったがその輪郭に見覚えがあった。

「……あやなみ?」

「……」

「綾波だろ?」

「……ええ、久しぶり」

「良かった、綾波が無事で」

「戦争は終わったわ」

「うん、知ってる」

戦争はあらゆる所に大きな傷跡を残し、去ったのだった。

「綾波、ひとつ聞かせてよ」

「……何?」

「やつらに協力したの?」

「……」

「協力、したんだね」

「……」

「アイツらが勝手にやって、勝手に負けたんじゃないか!
 それでどうして綾波がそんな目に合わなくちゃいけないのさ!」

「……」

「モルモットにされて、なんとも思わないの!? 綾波っ!」

「……」

そこで扉がコンコンとノックされ、兵士が入室してきた。
シンジがその兵士を見る。

「事務報告に参りました」と言うと敬礼する兵士。

内容はこうだった。
シンジとレイの生活はこれ以上脅かされる事はないということ。
日本政府はシンジの協力に対し、最大限の恩返しをするということ。
まず初めに完璧な状態の抗生物質を作成し、レイの体を保持させる事を確約。

それに付け加え、ダミーシステムには別な素体を使うということ。
その為、レイにこれ以上協力は求めないということ。

失ったものは大きかったが、得たものも計り知れず大きかった。

兵士が去ると、シンジはまたお喋りをはじめた。






「作戦は全て成功ののち、完了致しました」

中尉に昇進した元少尉はそう報告する。
彼を囲むようにして政府高官が座っている。

「綾波レイを素直に渡していれば良かったのだ……それを断るとはな」

「レイのクローンや記憶バックアップを破壊したことが結果、自分の首を絞めることになったな」

「彼女の再構成はもはや不可能だった」

「しかし、彼女が彼の思考を元に作られていたのは幸運だった」

「その通り」

「本来なら彼に彼女を渡しても良かったのだが……」

「むしろ、私は渡したいと考えているよ。あまりにむご過ぎる」

「その必要はない。彼には彼女が見えているのだからな」

「彼、シンジ君にはダミーシステムとして生きてもらおう」

中尉は後悔していた。自分の任務は予想以上に残酷な内容だったのではないかと。

「君は良くやってくれたよ、中尉殿」




新設クローン軍のダミープラグにはこう刻印されていた”DUMMY SYSTEM - SHINJI IKARI”と。

結局、シンジは政府に騙されていたのだ。
シンジの思考データを採取し、ダミーシステムに適用させた。
抗生物質など作りはしない。シンジのレイにはその必要が無いからだ。
相応の治療をシンジに対し行わなければレイが消えてしまうこともない。
それだけの事だった。

ダミーシステムの基礎理論はレイをベースに作成されている。
その為レイの存在がダミーシステムには必要不可欠なのだった。

非協力的な碇夫妻に業を煮やした政府は、別な案を考えざるを得なかった。
そしてレイの代用品として、シンジが候補に挙がる。
元よりシンジの思考パターンからレイは作られているのだ、レイ=シンジとも言えた。
その為シンジはダミーシステムのパターンに非常に高い純度で適合するのだった。

来たるべく反撃の日に備え、国防軍は早急な軍備拡張が求められていたのだ。
それにはシンジには今しばらく、もしくは死ぬまで病気を患ってもらう事になる。
でなければデータを採取できない。
シンジの病気こそが日本を救うのだ。
この残酷な決定を止める者は居なかった。

レイの誕生は悲劇のはじまりだったのか、それはもうわからない。








数年後、停戦が連合側から破られ、北海道から敵を駆逐した連合軍は北からの侵略者と講和した。
新しい国際連合が発足し、その法律により非人道的であり、不必要となったクローン軍の解散が指示される。
そこには米国の思惑が大きく絡んでいた、日本国国防軍の戦力を脅威と見なしたのだ。

また米国もクローン兵士を狙う鷹のうちの一匹であり、日本を、旧ゲヒルンをスマートな形で占領することを望んでいた。
クローン兵士に関する情報と技術は決して敵性国家に渡ってはならないと判断したのだ。
その敵性国家には日本も含まれていた。日米安保条約を破棄し、米軍を追い返した日本政府を米国は良く思っていなかった。

クローン軍に深く関わるに伴い、碇シンジの現状は米国の知るところとなる。
これは日本を叩いておく絶好のチャンスだ、そう米国は考えた。
この人権無視は制裁を受けなければならないとし、裁判ののち日本政府高官の複数名が戦犯扱いとなる。
これを受けて新政府はシンジの治療を行うと名言し、シンジの協力に対し勲章を大量に贈った。

ついで日本の治安維持を理由に新たな日米安保条約が組まれ、米国が日本での戦後処理を開始した。
その戦後処理の内容には旧ゲヒルン・第三新東京市の米国を中心とした国連による再建も含まれていた。

その後のある日、第1生物生化学研究所と名前を変えていた旧ゲヒルン本部の改築が始められる。
軍事利用目的より、医療利用目的へと改修が行われる手はずであった。
第三新東京市の再建がはじまり、大きく開いたクレーターは埋め立てが始まった。



国防軍により治療が行われ、解放されたシンジは今旧ゲヒルンの最深部を歩いていた。
目的は多々あった、レイの死を受け入れる為に必要な事のようにシンジは思えたのだ。
廊下は暗かったが国防軍の中尉に連れられ、シンジは目的の場所の一つへ到着していた。
母であったユイ博士の研究室。

そこは国防軍突入の前に資料などが処分されており、国防軍が資料を目にすることはなかった場所。
それは今も変わらず、ガランとした部屋だけが残されている。

「亡くなられたユイ博士の部屋です、ご覧の通り何もありません」

シンジはその部屋の中の物をひとつひとつ確認していく。
机、使い込まれていたのだろうか。
本棚、きっと沢山の資料がここに入れられていたのだろう。
シンジはチェストや引き出しを調べてみるが、からっぽだった。
ユイが座っていたであろう椅子に座り、部屋を見渡してみる。

そこで、シンジは壁が歪んでいるのに気付いた。
壁を押してみると、いとも簡単に壁が剥がれる。
中には、光ディスク三枚が置かれていた。

シンジは咄嗟にポケットからハンディPCを取り出すと、中身を確認した。
一枚目をハンディPCへ入れてみる。
「綾波レイ 記憶バックアップ」と表示され、記憶がデータ化されていた。

シンジは逸る気持ちを抑えきれず、二枚目の光ディスクへ入れ替える。
そこには「綾波レイ 遺伝子パックアップ」と書かれ、遺伝子がデータ化されていた。

三枚目には「D-00012番 抗生物質」と書かれ、抗生物質の作成方法が載せられていた。

シンジは中尉へ振り返るとこう言った。

「すみません、こんな事言ったら怒られますか?」

「……なんでしょう?」

「綾波レイを蘇らせて欲しいんです」

中尉は耳を疑った、シンジは治療を完了したと聞いていたが、まだこの有様なのかと。
シンジは一枚目の光ディスクへ入れ替えると、それを中尉へ見せた。

「これは……なんだ……?」

「母さんが残したんだと思います」

それは、ユイがいつの日か正しい形で日の目を見ると確信し、希望と共に残したものだった。








さらに数年後、改修を終えた旧ゲヒルンはネルフへと名前を移した。
新生国連直属の非公開組織、特務機関ネルフ。
米国の権力の象徴とも言えるそれは、ジオフロントにどしりと腰を据えている。

今シンジはそこへ向かっていた。
クレーターは修復され、町は幾らかその機能を取り戻していた。
それに続いて主に工事関係者とネルフ職員、そしてその家族が町へと戻り始めていた。
ジオフロント直通電車に乗ったシンジは、ネルフ本部をじっと見る。

『次は〜ネルフ本部第17番ゲートです、扉左側が開きます』

シンジがその駅で電車を降りると、待っていた国防軍の中尉が敬礼する。

「お待ちしていました、……久しぶりです、碇シンジさん」

「ええ、久しぶりです」

「こちらへどうぞ」

そう言うと中尉はシンジを誘導した。
セントラルドグマへ向かうエレベーターに二人は乗り込む。
ネルフ本部最深部、セントラルドグマ第8層Aエリア、そこにシンジは見覚えがあった。
第3分室とプレートに書かれた場所まで誘導される。

中央に陣取ったカプセルに女性が入っている。
国防軍の研究員達が数名、カプセルを見守るように作業していた。

「全員作業やめ! 碇シンジさんだ!」

そういうと全員が起立し、シンジへ敬礼した。

「直れ! 作業へ戻ってよろしい。進行状況は?」

「はい、記憶の転送は完了。抗生物質も完成しております」

「彼女を起こせるかね?」と中尉。

「はっ、いつでも起こせます」研究員が答える。

「碇シンジさん、よろしいですか?」

中尉が確認のためシンジに問う。

「……お願いします」

「LCL排水、彼女を起こせ!」

中尉の指示が出ると、研究員達はLCLを排水しカプセルを開いた。

地面へ足をついたレイはキョロキョロと辺りを見渡すと、やがて、正面に居る見覚えのある青年へ目を向ける。

「君は綾波レイだね、僕のこと覚えてる?」

「……ええ、知っているわ」

「今から君は自由になった、自分の好きなように行動して欲しい」

シンジは国防軍にある注文を付けていた。
記憶を操作し、シンジに対する感情の刷り込みを消して欲しいと。

米国からの使者によって全てを知らされたシンジは、レイの行動のつじつまがあうのを感じた。
刷り込みによって、最初から二人の運命は決められていたことを知ったのだ。
それを知ったシンジは全てを正しい形へと戻すべく、決断する。

日本政府は米国からの圧力に屈し、シンジの言うとおりせねばならなくなった。
でなければまた数名が戦犯とされるだろうからだ。
それだけの事を旧日本政府はやったのだ、当然の報いであると米国は日本政府へ通達する。

南北両国の米国への圧力もあり、旧日本政府はスケープゴートにされていた。
それに対をなすのがシンジとレイの存在であった。
米国はこの二人の存在を最大限に利用し、旧日本政府を徹底的に叩いた。
そして新日本政府は戦争の悲劇を修復したと声高々に宣言した。
日本は徐々に米国に侵食されていったのだった。

レイはしばらく考えたのち。

「……碇君」

「なに? 綾波」

「私、しばらく一人で生きて行きたい」

「そう……好きにすればいいよ。あと、一つだけ言わせて」

「……」

「君が生まれて来てくれて、本当に良かった」

今この場でのことだけを言っているのではなかった。
ほぼ10年前となるあの日、退院したシンジがレイに会ったあの日からの出来事は、希望に溢れていた。
それは光ディスクの中に押し込まれ、しばらく薄暗い場所へと閉じ込められていたが、今正しい形でレイに宿っていた。

「ありがとう、碇君」

「こっちこそ、綾波」

そういうと二人は握手した。

そう、ここから始めればいいのだ。
これが正しい形なんだとシンジは自分へ言い聞かせた。

二人はこれから希望に溢れた未来へ進めばいい。
今度はそれが邪魔されることも、強制されることもない、本当の自由。
それを二人は今、ちゃんとしたカタチで手にした。



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