「音楽は嫌いなのかな?」

 抵抗。

 たとえるなら、そんな意思を体現している背中に向かって、ハヤトはそれまでと変わらず語りかけた。


「別に。嫌いじゃないわ」


 背筋を伸ばし、腕を組みながら窓の外に広がる景色を見つめつつ、アスカは答える。
 

「じゃあ、クリスマスツリーはどう?」

「別に。っていうか、クリスマスツリーが嫌いってそんなにいないんじゃない」

「たしかに。そう言われてみればそうだね」


 アスカが見つめているのは、本当の景色ではない。
 それは窓の形をしたモニターによって映し出されている、疑似的な映像にすぎない。
 だが、そんなことはアスカには関係がなかった。
 今はただ、視線をそらせられればそれでよかったのだ。


「僕はどちらかというと、Vocalが入っている曲よりもInstrumentalの方が好きなんだけど、アスカは
 どっちが好き?」

「……考えたこともないわ」

「強いて言うなら?」

「……それ、関係あるの?」


 上半身だけ振り向き、アスカは聞いた。
 あいかわらずハヤトのまとっている雰囲気は穏やかで温和なものだった。


「でも、ロビーにあるツリーが奏でる音楽は気にいらなかったようだね」


 だが,こうやって時折見せる印象は、それまでの穏やかなものとは全く違うようにアスカは思えた。
 だからこそ、アスカはハヤトという人間を測りかねていた。


「……誰に聞いたの」

「赤木博士にツリーを撤去するように頼んだそうだね」

「別に頼んだわけじゃないわよ」


 アスカは、再び窓の方に向き直る。


「では、なんといったのかな?」

「………………」


 先ほどから全く微動だにしていないアスカの背中は、しかし、それに反してざわざわと落ち着かないか
の様な印象を見せている。


「……うるさいっていったのよ」

「うるさい?」

「そう。ロビーの真ん中で、あんな大きな音を立てられちゃうるさくてたまらないわ」

「そんなにうるさかったかな?」

「ええ。とっても、ね」


 苛立ちを隠さないアスカの言葉は、それが本心であることを示していた。










I wish you a Merry Christmas.

第五話

Written by tomo











 この部屋に来るとなんだか落ち着かない気分になるのはなぜだろうか。

 葛城ミサトは頭の片隅でそんなことを考えながら、旧知の友の言葉を聞いていた。


「……聞いてるの? ミサト」


 それはきっと友人が鋭すぎるからだろう。
 赤木リツコの言葉をきいてミサトは一人納得した。


「……別にいいんじゃないの? ロビーにツリーを飾るくらい」


 10日ほど前、誰かがロビーにクリスマスツリーを飾ったことはネルフ内でちょっとしたニュースと 
なっていた。


「ただでさえここは辛気臭くて暗いんだから、たまにはパーっとそういうのもありでしょ」


 不思議と、ツリーに関して明確な「撤去意見」は一件もなかった。
 一番心配されたのが司令や副司令の反応だったが、少なくとも、今のところ二人からの命令はなにもな
かった。 
 従って、ツリーは今もなお、ロビーに飾られ続けていた。
 このままいけば、クリスマス当日までロビーを彩ることになるだろう。


「誰がやったか知らないけれど、私は賛成よ、ああいうの。ときには必要だもの……」

「ミサト」

 
 ひとしきり語り終えるのを確認して、リツコは短く、しかし、鋭く声をかけた。

 私がいっているのはその話じゃないわ

 言外にそんな意味を込めながら。


「…………」


 自分が落ち着かないのは、彼女が鋭いからだけじゃないようね。


 再び一人納得して、ミサトはリツコの方を向き直る。

 リツコのデスクは、パソコンの端末を除けば、多くの書類と吸殻いっぱいの灰皿と猫のマグカップに占
拠されていた。
 その猥雑さは、一種のあきらめの様なものさえ感じられるのだった。


「前にも言った通り、第11使徒戦以後、アスカのシンクロ率は緩やかに低下を続けているわ。特に、第
 13使徒戦以後の低下は顕著よ。今のところまだ問題のないレヴェルだけど、このまま低下を続けてい
 れば、遠からず戦闘に支障をきたし、ひいては――」

「エヴァ乗ることすらできなくなる、か」


 リツコの言葉を遮って、ミサトはその先を受け継いだ。
 
 エヴァに乗れなくなる。
 そのことがアスカにとってどんな意味をもつか。
 長くない日々を一緒に生活したミサトは、十分にそのことを理解していた。


「その通り。そして、今のところ原因は不明」

 そして、リツコはそう最後を締めくくった。

 最大の問題はそこにあった。

 極論すれば、シンクロ率の低下そのものは大したことではない。
 もともと体調や気分によってもシンクロ率はわずかながらも影響を受ける。 
 その点は、三人のチルドレンに共通してみられる事象であった。
 低下の原因さえ分かれば、それに応じた対処は可能である。
 しかし。
 今のアスカに起こっていることについては、原因が全く分からない。
 これでは対処の方策すら立てることができない。
 今のままでは、漫然と最悪の事態を迎えることにもなりかねない。
 それだけは避けたかった。


「どうするつもり?」


 エヴァに生じた問題については、基本的には技術部が対処すべき問題ではある。
 従って、エヴァに関する限り、チルドレンについて生じた問題も技術部が対処すべきものとなり、ミサ
トは本来部外者だ。

 しかし、今回に限っては問題が問題なため、実質的にナンバー3の地位にいるものとして、ミサトは本
件問題に対処すべき義務があることになる。
 だからこそ、リツコはミサトに問うたのだ。
 責任者として、保護者として、どういう対処をするつもりなのか、と。


「………………」


 リツコのデスクに腰掛けつつ、中空を見つめるミサトの瞳には、一体何が映っているのだろうか。


「……技術的な問題の可能性は?」

「ゼロとまではいえないけれど、その可能性はほとんど考えられないわ」

「身体的問題の可能性は?」

「それもないとは言えない。けど――」

「――けど、心的原因の可能性が最も高い」

「……その通り。報告書に書いた通りよ」


 リツコとてシンクロ率が低下するのを漫然と観測していたわけではない。
 既に考えられうる原因については調べつくされている。


「でも、具体的な原因は不明」

「一口に心的原因といってもその内容は様々。正直なところ、もともとエヴァとチルドレンのシンクロに
 はブラックボックスな部分も多く、原因の解明は容易じゃないわ。それに……」

「それに……?」

「そもそも私は技術者であって、心理学の分野は専門じゃないから」


 調査の末リツコはもはや手詰まりであることを認識していた。
 だからこそ、こうやってミサトを呼んでいるのである。


「……リツコの見た範囲で、何か気づいたところは?」

「報告書に書いた通りよ」

「それ以外には?」

「報告書に書いてないことなら、あなたのほうが詳しいでしょう?」

「……それはそうだけど」

「……何を聞きたいの、ミサト?」

 
 リツコには、先程からのミサトの質問が答えを求めて発せられたようには思えなかった。
 全ての答えを知りつつ、あえてそれ以上の何かを求めて問うている、そんな風に感じられた。


「最近、アスカの行動でちょっと気にかかることがあってね」

「……聞いているわ」

「それについてはどう思う?」

「たしかに、少しイライラしているようね。私に対してクリスマスツリーがうるさいとすごい剣幕で言っ
 てきたこともあったわね。でも、それが何か?」


 アスカの性格はリツコも把握しているつもりである。
 リツコからすれば、アスカの最近の行動は、想定の範囲内であって、ことさら気にかかるものではなか
った。


「……似ているのよ」


 右手で銀色のクロスを触りながら、ミサトはゆっくりと語りだす。


「似ている?」

「そ。国連軍にいたとき、中東で最前線から命からがら生きて帰った兵士たちに会う機会があってね」

「初耳ね」

「別に人に語るような話じゃないからね……で、その時あった兵士たちの何人かに、ある共通の症状を見
 せる者たちがいた」
 
シェルショック
「…………まさか、 砲弾神経症 ?」


 普段冷静なリツコが、驚きの声を上げる。


「……さすが、リツコ。よく知ってるわね……そう、その通りよ」

「……でも……いや……そうね……確かにありうる……」

 いくつかの事象を対象に考察を繰り返し、リツコは自分なりの結論を導き出した。
 それはある種、最悪の結論ともいえた。
  
 
「……どうするつもり、ミサト?」


 再び、その言葉を口にするリツコ。
 だが今回迫られている決断は、先ほどに比してひどく重く、そして、迫られているのは決断だけではな
かった。 
 今問われているのは,ミサトの責任者としての適格と資質そのもの。

 ふと、ミサトは改めて感じる。
 この部屋に来ると落ち着かないのは、友人が鋭くて、そして、いつも正しいことをいうからなのだろう
と。


「私に一つ考えがあるわ」

 そう答えたミサトの姿は、かつて国連軍でもそうだったように、指揮官としてのそれだった。



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