「知らない天井だ……」

 そうつぶやいて目がさめるのは何度目だろうか。

 同じ光景
 同じ台詞
 同じ動作

 まるでループしているかのようにいつも決まって繰り返す。
 ただ違うことがあるとすれば、目覚めたときに抱いている感情ぐらいだろうか。

 その意味では、今の彼が抱く感情はこれまでで最悪といっていいかもしれない。

 彼はそれまでに感じたことがないほどの怒りを抱いていた。
 彼を裏切った父に、信頼していたのに真実を話してくれなかった女性に、友人を救えなかった自分自身に。

 明確に定まった対象もなくただ沸き起こる怒りは、己の身体すら焼き焦がしてしまうほど、深く、黒く、
そして、激しかった。


 極論してしまうのならば。
 彼の怒りは、彼の甘さそのものであるとも言える。


 戦いとは、自らの前に現れたものを、倒し、討ち果たし、朽ち果てさせるか、はたまた、自らが、倒さ
れ、討ち果たされ、朽ち果てさせられるか、二つの結論のうちどちらかが選択されるための営みでしかな
い。

 それが唯一絶対の真理である。
 その結論を変える事は、あるいは、神ですら許されないといえる。

 あのときたしかに、第13使徒と呼ばれた彼の者は、彼らを倒しにやってきた。

 そうであるのならば、彼に残された道は、友人の死という犠牲を払ってでも自らが勝利するか、漫然
と己の死を受け入れるか。
 その二つしかなかった。

 そして、彼は後者の道を選んだ。
 明確な決意とともにではなく、ただ、決断ができなかったがゆえに。

 にもかかわらず、彼がこうして生き残れているのは、それはただの僥倖でしかない。

 生き残れたことを悔やむのでもなく、意図しなかったとはいえ、結果的に救ってくれた者に怒りを向け
るなど、それは、ただの傲慢でしかないとさえいえる。


 しかし、である。


 今の彼がそのことを理解することは容易いことではない。

 彼にはまだそれだけの覚悟が備わっていないのだから。

 覚悟とは、即ち、受け入れるということなのだ。

 何かを受け入れるだけの強さを彼はまだ手に入れていなかった。

 もっとも、近い将来、彼がそれだけの強さを手に入れられる可能性は存在していたが。

 
 いずれにしろ。


 今の彼に必要なのは、あるいは、時間なのかも知れなかった。










I wish you a Merry Christmas.

第四話

Written by tomo











 コンコン


 静寂な部屋に、ノックの音がこだまする。
 病室にしては広すぎるその空間に、つかの間訪れた雑音は、しかし、すぐに宙に飲まれて霧散する。


 コンコン


 しばしの後、部屋の主からの返答がないことを確認して、再びノックが繰り返される。
 ノックの音はあくまで規則正しくリズムを刻んでいる。


 コンコン


 そして、三度。
 ノックの音が空間に響いた。
 さきほどよりも、心なしか大き目の音で。

 ノックの主には、部屋の住人に意識があるという確信でもあるのだろうか。
 はたして、その確信を帯びた音が響いたのだろう。
 部屋の主である碇シンジは、ノックに返事を返すことにした。


「どうぞ。空いてますから」


 外に聞こえるか否かギリギリの声でつぶやいたその言葉は、しかし、しっかりと伝わっていたらしい。


「失礼します」


 自動扉が開くとともに、彼女は挨拶とともに室内へと歩を進める。

 
 コツン、コツン、コツン

 ノックの音と同様に、規則だしく奏でられる足音は、そのまま彼女のすべてを体現しているかのようで
もある。
 部屋の中央、シンジの横たわるベッドの脇まで進んだ彼女は、そのまま綺麗な姿勢で静止する。
 その姿には一分の隙もなかった。


「…………」


 シンジは、側にたたずむ彼女の顔を見る。
 印象的なのは、短く整えられた亜麻色の髪の毛と、縁が鋭角に尖った赤い眼鏡。
 長さ的には、レイと同じぐらいだが、レイとちがって彼女の髪は綺麗に整えられている。
 少しきつそうな印象すら与える眼鏡は、それでも、彼女に似合っているとすら思わせた。


「はじめまして。私はネルフ広報部所属のマーガレット・ヨハンセンと申します」

 
 決して大きくはないが、良く通る凛とした声で、彼女は自分の名を名乗った。


「……何か御用ですか」


 ネルフでの生活が長くなったとはいえ、ネルフの職員一人一人の顔を見たことがあるわけではない。む
しろ、知らない人間の方がはるかに多い。
 自分は知らないが、相手は知っている。
 そんな状況は日常茶飯事であり、だからこそ、どちらかと言うと人見知りするシンジでも、突然の出会
いにもある程度対応できるようになっていた。

 もっとも、このときはただ単に早く独りになりたいと思っただけなのかもしれないが。


「あなたにお渡しするものを預かっております」

「僕に……ですか?」

 
 全く見に覚えがない提案に、シンジはただ、疑問を口にする。


「はい。送り主は、私の直属の上司である、グレイス広報部副部長です」

「広報部……副部長?」


 名前を言われても、やはり、シンジには心当たりがなかった。
 たぶん、まともに会話したことなど数回しかないはずだ。


「お受け取り願いますか」


 言って、マーガレットは一枚の小さなピンク色をした封筒を取り出し、シンジに差し出す。
 疑問系でありながら、動作とあいまって、その言葉には不思議と有無を言わせない力があった。


 だからなのかもしれない。


 シンジは、思わずその封筒を受け取っていた。


「では、失礼いたします」


 シンジが封筒を受け取った事を確認すると、マーガレットはきびすを返し、出口へと向かう。


「あ、ちょ……ちょっと待ってください」


 そんなマーガレットに、シンジは思わず声をかける。


「なにか?」


 くるりと向きかえり、再びシンジの方をみるマーガレット。
 その所作は、あいからわらず一分の隙もない。


「……僕は、もうすぐネルフの人間じゃなくなるかも知れないのですけど……」


 命令無視。初号機の無断使用。
 自分の行った行為から考えれば、それくらいの処分は当然だとシンジは思っていた。


「かまいません」


 しかし、マーガレットはシンジの疑問を即座に打ち消す。


「これはネルフとは関係ない、個人的なものだそうですから」

「個人的なもの……?」

「はい」

「それって、どういう――」

「詳しいことは中をお読みいただければ、お分かりいただけるかと思います」


 シンジの声を遮って、マーガレットは言い切った。


「では、失礼いたします」


 先ほどと全く同じセリフをのべて、マーガレットは再び出口へと向かう。
 

「………………」


 後に残されたシンジは、ただ、黙って彼女を背中を見送るしかなかった。










「マーガレット、いる?」

 自らのパソコンから顔も上げずに、マリアは室外に声をかけた。

 やがて、誰かが動く気配があり、すぐさまノックの音がこだまする。


「あいてんだからそのまま入ればいいのに」


 相変わらずパソコンのディスプレイに視線をむけながらしゃべるマリア。
 

「そういう問題ではありませんので」

「ほんと、生真面目なんだから……」


 しゃべりながらも、マリアの指は高速で新たな声明文を生み出し続けている。
 ネルフにおいて、外交的交渉を一手に任されている広報部。
 ネルフより発せられるそのほとんどの発表や声明は、この広報部が起案している。
 それだけではない。
 外交的施策の立案・実施も広報部の仕事である。
 ありていにいえば。
 なにをしゃべるかだけではなく、いつ、どういう方法で、誰に対してそれを言うか。
 それらに対する判断を一手に引き受けるのが、広報部の仕事なのだ。
 そして。 
 数ある声明の中でも、重要な声明についてはその全てがマリアと広報部部長であるブランダイスによっ
て起案されていた。


「……」


 人を呼んでおいて一向に話をしようとしないマリアだったが、マーガレットは特に何も言わず、ただ 
黙ってその時を待っていた。

 秘書とは決して出しゃばらず、適切な時に適切なことを適切な方法でなせばいい。
 そのことをマーガレットとは十分に承知していた。
 もっとも、マーガレットはマリアの秘書というわけではなかったが。


「――Merry――Chris――tmasっと。はい、おわり」


 マーガレットが部屋に来てからたっぷりと30秒ほどかけたのち、マリアはやっと顔を上げ、彼女の方
に視線を移す。


「クリスマスカードですか? どうして次長が?」

「うん? ま、ついでだからってかんじかな。意外と、こういうカードに乗せる文章って考え出すと面白
 くて」

 いい仕事した――!!
 そんな表情を満面に受かべながら、マリアは笑顔で返事をした。

 
「そうですか……それで、ご用件は?」


 マリアに任せてはいつまでたっても話が進みそうもないと思ったのか、マーガレットは珍しく、先を促
した。


「うん、そうそう、そーよね、わかってる」


 言ってマリアは背伸びを一つ。
 その姿からはわかっているような様子はみじんも感じられなかった。


「例のアレ、届けてくれた?」


 唐突にマリアは切り出す。脈絡もなにもないマリアの言葉だが、しかし、マーガレットには十分通じた
ようだ。


「はい。午前中のうちに届けておきました」

「じゃ、OKね」
  
「しかし、突然ですし、彼は大丈夫でしょうか?」

「平気平気。技術部部長の話だと、意識が戻れば体調的には問題ないそうだし。それに何より、こーいう
 のは、サプライズでやるから面白いのよ」

「それはそうですが……」


 そこまでいってマーガレットは先を続けるのをやめた。
 無駄な言及を強いないこともまた秘書としては必要な能力であるといえる。
 その代わり、話の方向を変えることにする。


「彼女の方はどうするのですか? 終了時刻はわかりませんし、なにより、終了するまで知らせることす
 らできません」

「あ、それも平気。そっちはそっちでちゃんと頼んであるから……それより――」


 言いつつマリアは混沌としたデスクの上から一枚のメモを見つけ出すと、それをマーガレットに手渡し
た。


「マーガレットには、それの手配をお願いね」


 マーガレットは渡されたメモに一瞬目を落とすと、


「わかりました」


 すぐさまマリアの意図を理解して、そう答えた。


「じゃ、お願い」

「はい。では、失礼します」


 クルリと踵を返し部屋を退出しようとするマーガレット。


「あ、ごめん、これから明日一番に発表する声明文を起案するから、ドア閉めてくれる?」

「わかりました」


 ガチャン。
 それは、いまどきにしては珍しい、自動ドアでないドアを、マーガレットが閉める音であった。
 ネルフ広報部部長と次長にはそれぞれ個室が与えられていたが、そのドアはそのほかの個室を有するネ
ルフ職員と違って、自動で開閉するものではなかった。
 前近代的に見えるこの『手動式』のドアであったが、それにはきちんとした意味があった。

 その意味とは実に簡単なことだ。
 ドアが空いていれば入ってきてもよいが、閉まっているときには基本的には入ってきてはならない。
 それゆえ、マリアは誰かと会議するときはもちろん、自分が集中したい時にもドアを閉めるようにして
いるのだった。

 マリアの部屋のドアを閉めると、マーガレットはドアの前にある自分のデスクへと戻った。
 広報部の部屋は、一つの大きな部屋に広報部部長や次長の個室が小分けされており、その残ったスペー
スにマーガレットや他の部員のデスクがいくつかおかれている、といった形状になっていた。


 ガチャン。


 デスクにつくと同時に聞こえてきた音に、マーガレットは無言で後ろを振り向いた。


「あ、一つ言い忘れたけど、たぶん、すぐにお客さんが来るから、来たら通してくれるかしら」


 言うが早いがドアを閉めるマリア。


 マーガレットが言葉を発する時間もありはしなかった。


「……こんにちは」


 いったい誰が訪れるのか。
 それを訪ねようと腰を上げたマーガレットの後ろ側で、少女の声が響くのだった。



ぜひあなたの感想を

【投稿作品の目次】   【HOME】