死と新生、そしてサイカイ

プロローグ

Written by ヤブ


 すべてが浄化された紅い世界。
 その象徴とも言うべき人々が溶け合ったL.C.Lの海。
 そこではすべての人間のA.Tフィールドは失われ、自分と他人の心の境界は消失し、それぞれの心の空間を補完しあっていた。
 そこにはもはや、「個人」という概念は存在しないだろう。


 浜辺。
 そこに見える二つの人影。

 一方は赤いプラグスーツを身に纏った、赤い髪、そして青い瞳を持つ少女。その片目は眼帯で覆われている。
 もう一方は少女の上にまたがり、首を締め付ける少年。
 シンジは心も頭も自分を守ることでいっぱいだった。今目の前にいる、常に自分を拒絶し続けてきた少女に再び拒絶されることから身を守りたいの一心で。

(僕は拒絶される!)

 ……嫌だ。
 もう傷つくのは、人に見捨てられるのは嫌なんだ!
 どうせ拒絶されるぐらいなら、その前に……。

 シンジはその手にさらに力を込める。
 その時、今まで死んでいるかのように何の反応も見せなかったアスカの手が優しくシンジの頬をなでる。

 シンジは手に込められていた力を抜いていた。
 とめどなく涙があふれてくる。
 自分でもなんでこんなにも涙が溢れてくるのかわからない。
 シンジはそのまま嗚咽を漏らしていた。


 そんなシンジを見詰め、アスカがはじめて口を開く。

「……気持ち悪い」

 彼女らしいその言葉。
 それは拒絶の言葉ではないとわかった。
 たしかな理由は無い。
 だが、彼女のその眼帯がそれを暗示しているような気がした。
 しかし自分を完全に受け入れてくれているのではないという事も分かっていた。


 アスカは少なからずシンジに好意を寄せていた。しかしそのすべてを受け入れた訳では無い。
 アスカには、シンジのそのあまりにも内罰的なところを認めることが出来なかった。

 シンジはいつまでも自分を責め続けた。

 ……ミサトの死、量産型エヴァに喰われ見るも無残な姿をさらす弐号機、サードインパクトの発動。

 シンジにとっては、それらの責任がすべて自分にあるということは揺ぎ無い真実であった。
 そして取り返しのつかないことをしてしまったという事実は、視覚、聴覚、嗅覚から突きつけられる。

 そしてただひたすら自分を責め続けた。

 そんな様子をアスカは嫌悪の眼差しで見つめていた。
 そうして立ち上がったかと思うとL.C.Lの海へと歩みを進めていく……。
 彼女の足が紅い海に浸かる。
 そして彼女は振り返り、呆気に取られたように自分を見つめる少年に向かって口を開いた。

「あんたね〜、いつまでそうしていれば気が済むのよ! あんたがいつまでもウジウジしてたって何も変わりゃ〜しないのよ!? こうなってしまった以上は、これからのことを考えなきゃいけないんじゃないの!?」

 シンジは体育座りのままアスカと自分の何も無い空間を焦点も合わないままに見つめながら呟く。

「……僕はアスカみたいに強くは無いんだ、やっぱり僕は自分自身を許せないよ」

 アスカはシンジが言い終わるよりも早く、いつものように仁王立ちをしながら人差し指をシンジに向かって突きたてた。

「このバカシンジ!! あんたのそういう態度が気に入らないのよ! そうやってウジウジしてたってちっとも前に進めやしないじゃない!」

 その言葉は、もはやシンジの心には届いていなかった。

「……もういいよアスカ、……もう、何も考えたくないんだ」
「あぁ〜そう、……ハッ!私は何が悲しくてこんな世界に帰って来たのかしら?」

 そう言って彼女は肩を竦めるように両手を挙げ、自嘲気味に笑って見せた。

「……そんなんじゃいつまでもあんたと一緒にいられる訳、無いじゃない」
「!!」

 シンジはアスカのもとへ駆けていた、理由なんてわからない、ただ反射的にアスカという存在を求めて。

「待って!! 待ってよ!! アス…カ……」

 伸ばしたその手は無情にも空を切った……。

「うっ……くっ、うぅ……そんな…アスカ……」

 そして一瞬悲しそうな表情を見せ、彼女はいなくなってしまった。

 彼女の心も、その形を形成していた物質も今はこの紅い海の中にある。





 それからどれほどの時間が過ぎただろうか。
 今のシンジに悲しみは無かった。その心は虚無感しか宿してはいない。

(………僕はどうすればいいんだ)
(アスカはL.C.Lに帰ってしまった。他のみんなはL.C.Lの海から帰ってきてはくれなかった)

 シンジは考える。この世界が本当に人々の望んだ世界だったのか?
 確かに誰も海から帰って来てはくれない。だけど個人という概念さえも失っているかもしれない状態で、この海から帰ってくることなんてできるのか?
 本当はどうなのかわからない。でも本当はみんな帰って来たいと思っていると信じたい。
 だって父さんやゼーレは除くとしても、NERVはこんな世界になることを防ぐために存在したんじゃないか!
 そうだ! 誰も、こんな世界になることは望んではいなかったんだ!
 確かに補完は不完全な状態だ。
 でもゼーレの望んだ補完は成功してしまっているのかもしれない。
 ……僕がもっとしっかりしていたら。
 もっと早くに補完を拒絶していたら、こんなことにはならなかったのかも知れない。

 シンジは前方を睨み付けるようにしながら、拳を強く握り締める。

 ……だけど、今どんなに強く思っても、一度過ぎてしまった時を戻すことなんて出来やしない。
 L.C.Lの海で溶け合っていた時に大量の知識や情報を手に入れたのに何の役にも立ちはしない……。
 もう一度やり直すことが出来たのなら、今度こそ、絶対に、この世界を守って見せるのに!!

 シンジは顔を上げた、そして次の瞬間驚いたように大きく目を見開いた

 そこに見えたのは、風に揺れる水色の髪、そしてすべてを見透かすような、それでいて自分を優しく包み込むような赤い瞳、神秘的にまで白い肌。
 最初は人形のようだった。しかし最後には自分を受け入れてくれる唯一の存在となっていた、すべてを自分に委ねてくれた少女の姿だった。
 彼女は視線を少年に向けゆっくりと口を開いた……。

「……これがあなたの望んだ世界ではないの?」

 シンジも視線を彼女に向け、言葉を返す。

「違うよ綾波。これは僕の望んだ世界なんかじゃない」
「………そう………ではあなたは何を望むというの?」
「僕は、…僕は、サードインパクトの、人類補完計画の起こっていない世界を望むよ。でも…、でもわかってる! わかってるんだ! もうどうにもならないって!!」
「……そう、あなたはそれを望むのね」
「…えっ?……それって…?」
「あなたの望む世界は、あなた自身の手で。……頑張ってね、…碇君」

 そう言って彼女はシンジに微笑んだ。
 シンジは吸い込まれるかのようなその笑顔に目を奪われた、そして視界のすべてのものが消えさり、目の前に広がったのは白一色の世界だった……。


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