死と新生、そしてサイカイ

第1話

Written by ヤブ


(……ん、なんだろう…? なんだか頭がぼんやりしてる……)

 次第に意識が覚醒していくシンジ。そしてシンジを取り巻くすべての環境が彼の心に衝撃を与え、混乱させた。
 まっすぐに立つ電柱、きれいに整備された道路、目の前に立つ公衆電話、照りつける太陽、透き通るような……青い、空。

「…なっ!? こ、これは?」

 シンジは、今自分が置かれている状況が理解できなかった。
 その瞳に映し出されたその映像は、あの紅い世界ではなかったのだから……。

(ま、まさか……そんなことって……。だって、ここは……)

 シンジは呆然と立ち尽くした。
 見覚えのあるこの景色。これは幻ではないかと思う。
 彼は自分の目の前に広がる全てを簡単に受け入れる、……いや、信じることなど出来なかった。

 シンジは、ふと胸ポケットに何か入れられているのを感じた。そしてそれを恐る恐る手に取ると、ゆっくりと持ち上げ、目を移した。
 
(!? これは……。この写真は……)

 そこには、“人類を守る立派な仕事”を担うものには到底見えない、そして自分と真に家族であることを望んだ一人の女性が写し出されていた。そして、それは『あの日』自分が手にしていた写真と同じものだった。

 そしてシンジは誰かの視線を感じその視線の元に振り向く。その視線は一人の少女を確実に捕らえた。

(綾波!?)

 彼女の元へ駆け出そうとしたその時、鳥たちがいっせいに飛び立つ。そして次の瞬間、その場所にいるはずの少女の姿はなかった。
(……綾波がいた……。確かあの時も……)




 騒音と共に戦自の飛行機が山陰から現れる。
 と同時に、……人間のような、それでいて奇怪な生命体が山陰から顔を出した。

「サキエル!?」

 シンジは驚きのままに言葉を漏らした。

(何でまたコイツが!? やっぱり……、やっぱりそうなのか?)
 僕は……、あの『始まりの日』に帰ってきたのか?

 それは俄かには信じがたいものだった。
 しかし、今目の前にいるのは紛れも無く第3使徒サキエルであり、自分自身も間違いなくここに存在している。
 シンジもよく分からないままではあるが、とりあえずはこの状況を認めることにした。そして、混乱している頭の中で考える。
(僕はどうすればいんだ)

 そしてその時、シンジの頭上を戦自の放つ巡航ミサイルが爆音と共に通過した。

「うわっ!!」

 反射的に頭を手で庇い身をかがめるシンジ。
 ミサイルは使徒に直撃した……が、その身体に傷一つつけることすら出来ない。

(そんな! どうして逃げないんだよ!?)

 使徒に対し通常兵器では全く歯が立たない。戦自のその行動は、そんな『常識』がここでは『常識』では無いと言う事を示していた。
 そしてシンジの見詰める中、戦自の戦闘機の一つが使徒の手の平から伸びた光の槍に打ち落とされた。
 シンジのそばに落ちてくるその残骸、そしてそれは使徒に踏みつけられ……爆発。

 その時けたたましいエンジン音が聞こえたかと思うと、耳を劈くようなタイヤの悲鳴がシンジの耳に入ってきた。
 そして瞳に映るのは、その爆発からシンジを守るようにしてシンジの眼前に踊り出た見覚えのある青いルノー。
 その車の持ち主はシンジを見ると、大して悪びれる様子も無く声をかけた。

「ごっめ〜ん、おまたせ」

(……ミサトさん)

 一筋の涙がシンジの頬を伝った。
 そこには二度と会うことが出来ないと思っていた女性の姿があった。
 彼女との再会を全く予想していなかったと言えば嘘になる。
 それでも、自分を守り、そして自分のために死んでしまったミサトの生きているその姿を見て、その嬉しさを抑えることは出来なかった。

 ミサトはその涙の意味がわからず、慌てたようにシンジに話し掛けた。

「……って、え〜? ちょ、ちょっと〜どうしたのよシンジくん? ……あぁ〜、やっぱり怖かった〜?」

 ミサトはすかさずニタァ〜と笑みを浮かべる。

 それを見て、シンジは一瞬、うっ…というような表情を見せたが、自分が泣いていたことに気付くと、その恥ずかしさのあまり慌てて喋り始める。

「えっ!? い、いや、何でもありませんよ! それより早く行きましょう!」
「そうね。さっ、早く乗って!」

 そしてシンジが乗り込むやいなや、ミサトは見事なテクで車を旋回させると猛スピードで車を発進させた。
 シンジは、もはや対人兵器として成り立つんではないか、とも思わせるミサトの運転する車の中で考えていた。

(……僕は、あの日に戻ってきたみたいだ。そんなの、そう簡単に信じられないけど。……でも、綾波が言ったんだ、僕の望む世界は僕自身の手で、って)
 だから僕は、それを受け入れる。……受け入れる、それは違う。……認めるんだ。

 でも、そうなるとこれからNERVのみんなに会うことになるんだよね。だったら、その度にいちいち驚いたり感動していたら埒があかないよ。今のうちに気持ちを整理しておかないと。
 それに、綾波がせっかく僕にチャンスを与えてくれたんだ。このチャンスを無駄には出来ない。
 ……みんな助けなきゃ、それは傲慢なことかもしれないけど。
 アスカ……。もうアスカのあんな姿は見たくない……。今回はアスカの心を壊さないようにするんだ。あの虚勢を張った繊細な心を。
 綾波……。綾波には心があったんだ。でもその感情が分からなかったんだ、言葉に出来なかっただけなんだ。……それに、二人目も三人目も関係なかった。綾波は、「綾波」だったんだ……。
 ……なのに、僕は綾波を避けた。……怖がっていた。それでも、綾波は僕にすべてを委ねてくれた。今度は僕が綾波を守るんだ。
 ミサトさんや加持さんも死なせはしない。
 ……カヲル君。カヲル君、君こそ死すべき存在ではなかったんだ。もう、大切な友達を……殺したりはしない。
 ……父さん……

 シンジの思考はそこで断ち切られた。

「シンジ君! 伏せて!!!」
「……え?」

 ミサトはシンジに覆い被さりシンジを庇う

 そして次の瞬間
 身体の芯まで伝わって来るような凄まじい爆音が響き渡った。
 その爆風によってゴロゴロと転がる青いルノー。そして横向きに立ったまま停止した車から唖然とした表情で顔を覗かせる二人。

「……だ〜いじょぶだった〜?」

 平然とした口調のミサト。

 対して、シンジは不快さを露にした表情で言う。

「…えぇ、……口の中がしゃりしゃりしますけど」
「そいつはけっこう」

 そういって二人は車から降りた。……車を正常な体勢に戻すために戻すために。

「じゃあ、いくわよ! …せ〜の!!」

 それと同時に二人は背中で力いっぱい車を押し、歯を食いしばってあらん限りの力をこめる。

 そして微かに傾いていくぼろぼろになったルノー。やがて一気に傾いていき正常な体勢へと戻る。

「「ふぅ〜……」」

 ミサトは手を三回ほどはたくとシンジの方へ顔を向けた。

「どうもありがと、たすかったわ」
「いえ、僕の方こそ。ミサトさ…ん……」

(………あっ、どうしよう。僕とミサトさんはまだ初対面だったんだ……)

 シンジは一度視線を外すと、恐る恐る視線をミサトへと戻していった。

 ミサトはそんなシンジを怪訝な表情を浮かべながら見ていたかと思うと、予想通り怪しげな笑みを浮かべた。

「あ〜ら、シンジ君って初対面のレディのことをはじめっからファーストネームで呼ぶんだ〜。そんな顔して案外積極的なのね〜。あっ、いいのいいの〜、私もミサトって呼んでもらうつもりだったから」
「ちっ、ちがいますよ! あの、なんていうか……その、たっ、たまたまですよ! なんとなく自然と出てきちゃっただけなんです!」

 からかわれるであろうことは予想済みだったのにしっかりと慌てるシンジ。
 言い訳にも全く説得力が無い。

「もう、大丈夫よっ。ちゃんとわかってるから♪」

(書類を見た限りそんなに積極的な子じゃないしね……。本人の言うとおりたまたま口から出ちゃっただけなんでしょう)

 シンジは大きな溜め息をついた。

(はぁ〜、やっぱりこうなるのか……)

「さてと、それじゃあ行きましょ♪」

 そうして二人を乗せたルノーは走り去って行った。




 その頃NERV管制塔では、戦自の指揮官と思われる3人の男が前方の巨大スクリーンを凝視していた。
 今は砂嵐しか映っていないが、ここには先ほどまで第3使徒の映像が映し出されていた。

「センサー回復します」

 オペレーターの声と共にセンサーの映像が浮かび上がる。そこには緑色のラインで先ほどまで使徒がいた場所の立体映像が描かれていた。
 そして、N2地雷によってできたクレーターの中心部が急激に盛り上がったかと思うと、オペレーターの叫びにも似た声がこだまする。

「爆心地にエネルギー反応!!」
「なんだと!!?」

 3人の男の中で左側に座っていた男が驚愕の声をあげ、立ち上がる。

「映像、回復します」

 オペレーターがそう告げると、砂嵐だった画面にはN2地雷によって焦がされ赤くなったその一帯と、そこに浮かび上がる第3使徒のシルエット。

「おぉ〜……」

 3人の男達は立ち上がり、それぞれの喉から絶望とも驚愕ともつかぬ空気を漏らした。

「我々の切り札が……」

 右に立つ男が、うつろな目をしながら力なくイスに腰を落とした。……いや、倒れこんだ。

「あぁ……、なんてことだ……」

 中央に立つ男も同様だ。

「……化け物め!」

 左側に立つ男は、右手を机に叩きつけた。

 使徒はN2地雷により皮膚を焼かれ自己修復中であった。もと顔があった場所に新たにもう一つの顔のようなものが浮かび上がっている。
 また、えら呼吸をするようなその姿はまさに異形の生命体と呼ぶに相応しいものであった。




 その頃、誰もいないはずの道路をガムテープで補強されて走る青いルノーの持ち主は。

(しっかし、もぉ〜サイテ〜! せっかく洗車したばっかだったのに……、はやくもべっこべこ! ローンがあと33回+修理費か〜、おまけに一張羅の服まで台無し〜……。気合入れて来たのに〜、トホホ〜)

 などと本日の損害を思い嘆いていた。


 シンジは窓の外を見つめていた。
 その脳裏にはこれから起きるであろう出来事が走馬灯のように流れている。

 その様子に気がついたミサトがたずねる。

「どうしたの、シンジ君?」
「・・・・・・・・・」
「ねぇ〜、どうしたの?」
「……えっ? なにがですか?」
「もぉ〜。さっきから窓の外をぼーっと眺めてるみたいだけど、なにか考え事でもしてたの?」
「……いえ、ただこれからのことを考えていただけですよ」
「これからって……、お父さんに会うってこと?」
「いえ、……まぁそれも少しはあります。あの父さんが何の用もないのに僕を呼び出すなんてことはありえないことですから……。僕はただ、これから父さんに会うことよりも、会ってからなにをさせられるのか考えていただけですよ……」

 その口調こそ頼りないものだが、ミサトはシンジの瞳の奥に何か意志のようなものが見え隠れしているのを感じた。
 そして自分たちの行った事前調査では、この子になにかに対する意志があるようには思えない。何か思うものがあるとしても、それは自発的な行動による結果でなく、何か受動的な淡い希望を胸に秘めるのがせいぜいだろう。
 しかし、今この子から感じる意志はとてもそんな程度の低いものとは思えない。
 だが、外見上はどう見たって「碇シンジ」以外ではありえなかった。

 一瞬のタイムラグを経て我に返ったミサトは、いくらか重くなっていた空気を取り払うかのように普段どおりの口調で語りかけた。

「あっ! そうだ〜、お父さんからIDもらってな〜い?」
「あっ、はい」

 シンジも至って普通に答え、IDカードを取り出す。

「どうぞ」
「ありがと。……じゃあ、これ読んどいてね。そのお父さんの仕事が少しはわかるわよ♪」

 それは、「ようこそNERV江」と書かれた極秘ファイル。

「ネルフ?」

 シンジは出来るだけ自然に聞き返した。
 本当はもうミサトよりもこの組織について理解しているのだから、今さら聞くことは無い。
 しかし、この世界の自分は何も知らない存在でなければいけない。また迂闊なことをして怪しまれることは避けなければならない。
 何故そうしなければならないかと言う事に理屈はない。ただ、シンジはそのことを知られてはいけないと思った。
 少なくともはじめのうちは。
(……気をつけなくちゃいけないな)

「そう、特務機関ネルフ! 国連直属の非公開組織よ」
「……父さんのいるところですか?」
「えぇ、そうよ。……お父さんが嫌いなの?」
「いえ、ただ……好きになれないだけです」
(……結局僕はあの人と同じだ)

「……そう、私と同じね」

 ミサトはそういって微笑んで見せた。




 次の瞬間視界いっぱいにジオフロントが開けた。

「……これがジオフロント」

 その言葉に感情は篭っていない。ただ目の前の景色を言葉にしただけにすぎない。

「そう、これが私達の秘密基地、ネルフ本部。世界再建の要、……人類の砦となるところよ」

 シンジの見せた反応は、ミサトが考えていたシンジの反応の一つに当てはまるものだった。

 すべてのことに関心が無く、周囲の人間との接触を避けてきた彼なら、この風景を見せられても特に大きな感慨を受けることは無いのではないかと考えていた。

(やっぱりさっきのは私の思い過ごしかしら?)




「……おっかしいなぁ〜、確かこの道のはずよね〜?」

 ………彼女は例のごとく道に迷っていた。

「ごめんね〜、まだ慣れてなくて〜」
「……さっき通りましたよ、ここ」

 シンジは心の中で深い溜め息をついた。

(はぁ〜、ミサトさんは相変わらずだなぁ……)

「でも〜、大丈夫。システムは利用する為にあるものね」

 ……ミサトは苦し紛れにそういうしかなかった。




 その頃リツコは。

(技術局一課、E計画担当の赤木リツコ博士、赤木リツコ博士、至急、作戦部第一課、葛城ミサト一尉へご連絡ください)

「あきれた……、また迷ったのね」

 ミサトを迷子から救うべく、館内放送で呼ばれていた。




 ようやくエレベーターにたどり着いたミサトとシンジ。
 エレベーターが止まったかと思うと、そのドアの向こうにはミサトの親友、赤木リツコの姿があった。

「うへぇ〜」

 リツコの姿に怯え、情けない声を上げるミサト。

 そんなミサトを軽く威圧するように見つめるリツコ。
 本人はそんな気はないのかもしれないが……。

「あっ、あら、リツコ……」

 あからさまに怯えるミサト。

 リツコはそんなことはお構い無しに、エレベーターの中に入ってくる。

 ミサトはついつい一歩引いてしまう。

 シンジはエレベーターが止まったことにすら気付いていない。

「なにやってたの、葛城一尉? 人手もなければ時間も無いのよ」
「ごめん!」

 ミサトは右手を顔の前で立て、子供っぽく謝った。

「……ふぅ〜」

 リツコはそんな様子に毒気が抜かれてしまったようで、深い溜め息を漏らした。
 そしてシンジの方へと視線を向ける。

 シンジは俯いて考えていた。
 シンジはレイが心配だった。はやくしなければあの大怪我をした少女が出撃させられてしまうのではないか? という焦りがあったのだ。
 本当はすぐにでも初号機のもとへ行きたかった。しかしそれが出来ない。
 行こうと思えば一人でもたどり着くことが出来る。しかしそれは余りにも不自然だった。
 だからミサトと一緒に行動するしかなかった。
 急ぎたいのに急げない、そのことがシンジを苛立たせていた。
 そしてレイの身が危険に晒されるかもしれないのに、何も出来ない自分にもまた苛立っていた。

 しかし実際にはレイが戦地に送り込まれることは基本的にありえない。重症を負ったレイはあくまでシンジを戦場へ駆り立てる為の道具に過ぎないからだ。
 また、もしレイを使徒と戦わせたとして、そのレイが戦闘中あるいは戦闘終了後に怪我の悪化で死んでしまった場合、いくら代わりがいるとしてもNERV職員がレイの死を確認していることになる。戦闘中に死んでしまった場合にはオペレーターの心音停止の報告で、管制塔にいる全ての人間が。怪我の悪化の場合は、その指揮を取っていたミサトが責任を感じ、レイに付きっ切りになる可能性が高い。それではレイの転生にいくらか不便な点が出てきてしまう。
 それでも人類補完計画発動の日までレイを監禁状態にしておけば問題はないが、戦力が減ってしまうのは好ましくない。
 これらのことは冷静になって考えれば思い至ることもあるだろうが、冷静さを欠いた今のシンジが考え付くことが出来るはずもない。たとえ、そう考える事が出来てもそれで安心できるはずも無いが。

 リツコはおよそデータのものとは同一人物とは思えない雰囲気を纏っているシンジに対して違和感を覚えた。
(マルドゥックの報告書による第3の適格者。物事に対して関心を持たず、他人との接触を好まない自閉的な少年……。この少年が……?)
 
 そして、ミサトもまた違和感を感じていた。
(……また)

 そしていくらかの時間をおいて、リツコは確認の意もこめて尋ねる。

「例の男の子よね?」

 その声にミサトも我に返り、動揺を見せずに答える。

「そう、マルドゥックの報告書によるサードチルドレン」

「よろしくね」
「・・・・・・・・・・」
「ちょ、ちょっとシンジ君」

 ミサトは慌ててシンジに呼びかけた。

「えっ? あ、はい」
「よろしく」

 今度は先ほどよりも若干冷たい口調になっていたように聞こえたのは気のせいではないだろう。

「あ、はい。こちらこそよろしくおねがいします」

 それに気付くシンジでは無かったが。


 その頃管制塔では、ゲンドウがケイジに向かうところであった。

「……では、あとを頼む」

 そういってゲンドウは降りていった。

「3年ぶりの対面か」

 冬月は誰に言う訳でもなく呟いた。

(碇はそんなことなど露ほども気にしてはいないのだろうがな……)

 オペレーターの一人が告げる。

「副司令、目標が再び移動をはじめました」
「……よし、総員第一種戦闘配置!」




 その頃シンジたちは、ケイジへと向かうエスカレーターに乗っていた。

(繰り返す! 総員第一種戦闘配置! 対地迎撃戦用意!)

「……ですって」

「これは一大事ね」

 リツコの口調は、また厄介事が増えたわね、といった具合で、とても一大事と思っているようには聞こえてこない。

「……で、初号機はどうなの?」
「B型装備のまま、現在冷却中」
「それホントに動くの〜? まだ一度も動いたことないんでしょ〜?」
「起動確率は、0.000000001%。オーナインシステムとは、よく言ったものだわ」
「それって、動かないってこと?」
「あら失礼ね、0ではなくってよ?」
「数字の上ではね〜」

 ミサトは溜め息混じりにそう答えた。0.000000001%など0と同じだと思ってしまうのは仕方の無いことだろう。

「まっ、どのみち『動きませんでした』、じゃあ、もうすまされないわ」

 ミサトの口調は真剣そのものだ。
 初号機の起動失敗は、即ち人類の滅亡を指すのだから。

 シンジは手渡された書類を眺めるフリをして、これから戦うことになる使徒について考えていた。

(……前回僕はどうやってこの使徒を倒したんだ?)
 使徒に右目を攻撃されていたのは覚えているけど、その後気付いた時は使徒はもう殲滅されていたんだよな……。
 やっぱり初号機は暴走したんだろう。
 でもそれじゃあこの使徒が強いのか弱いのか分からない……。
 暴走した初号機はあのゼルエルでさえも赤子の手をひねるように倒してしまうんだ。
 結局は実際に戦ってみないとわからない、ってことか……。

 そうしている間に、シンジたちはケイジへと到着した。

「……あの、真っ暗ですよ?」
(……ここに初号機がいるんだ……)

 シンジがそう言うと、ケイジを光が照らした。
 そして次の瞬間目の前に現れたのは紫色をした巨大な顔。……初号機だ。

 シンジは自分の心が安らいでいくのがわかった。
 それはまさに、離れ離れになってしまった親友との再会を味わうような気分。
(……昔はこれに乗るのが本当に嫌だったこともあったな)
 でも、今の僕にはエヴァ……、いや、この初号機を拒絶する理由なんてどこにもないんだ。
 ただいま。かあさん……。




 ……なぜ? なぜ彼は驚かないの?
 彼はまだ14才の子供なのよ!?
 およそTVの中でしかみることの無いような巨大兵器を目の前にして冷静でいられるはずが無いわ!
 それどころかこの少年は穏やかな、そして慈しむような表情でこの初号機を見詰めている……。
 ……なぜなの……?
 ……まさか!? ……いえ、ありえないわ。なんのコンタクトも無しに初号機の中の魂を感じるとることなんて出来るはずが無いもの。
 ……では、なぜ。

 リツコはただ、その少年を見詰めていた。疑念を込めた鋭い眼差しで……。




 ……どうして? なぜシンジ君はそんなに冷静でいられるの?
 こんなものを目の前にして冷静でいられるなんて異常だわ!
 それにあの穏やかな表情はなに? ……わからない、私には理解できない。
 ……やはりこの子は違う。普通の子供ではない……。
 時折顔をのぞかせる彼の一面、その時の彼は普通じゃない。何物にも屈しない強い意志、彼の周りに何人にも侵されない空間が展開しているような錯覚さえ覚える。
 ……いったいこの子になにがあるというの……。

 ミサトはシンジを見据えていた。その顔は怯えているようにも見えた。




 そしていち早く冷静さを取り戻したリツコが説明をはじめる。

「これは人の作り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機。建造は極秘裏で行われた。……我々人類の、最後の切り札よ」
「……これが父の仕事なんですね」
「そうだ」

 その声は必要以上にその場の空気を重くする。

「久しぶりだな」

 シンジは顔を上げ、その声を放つ人物へと視線を移す。
 初号機の頭上に位置する一室、そこにその声の主はいた。

 シンジを見下ろすゲンドウには、息子との再会に対する感情は何一つ浮かんではいない。

 NERV職員にとって、ゲンドウはその存在自体が威圧的だった。
 しかし、すべてを理解しているシンジにはそれは痛々しく、悲しく、そして哀れに感じられた。
 それと同時にその姿をどうしても自分と重ねてしまう……。
 自分が傷つくことを恐れ、他人を拒絶してきた自分に……。

 ふと、ゲンドウの口元が緩む。

「……ふっ、出撃」

 驚きのままにその言葉に反応するミサト。

「出撃!? 零号機は凍結中でしょ!? ……まさか!? 初号機を使うつもりなの!?」

 リツコは淡々と告げる。

「他に道はないわ」
「ちょっと、レイはまだ動かせないでしょ!? パイロットが……、いないわよ」

 リツコはその表情を崩すことなく、当たり前のように答える。

「さっき届いたわ」

 それが誰を指しているのかは明らかだった。

 ミサトの表情もより一層真剣なものになる。

「……マジなの?」
「碇シンジ君、あなたが乗るのよ」
「・・・・・・・・・・・」

 シンジからは何の反応もない。
 シンジは自分を見下ろすその人影をただ見据えていた。

「でも、綾波レイでさえエヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったんでしょ? 今来たばかりのこの子にはとても無理よ……」
(……そうよ、あのレイでさえこれほどの時間を必要としたのよ!? それなのにこの子がいきなりシンクロできるはず……ないじゃない)

 そして、その子供を戦地へ送り出し命令を下すのは紛れも無くミサト自身。

「座っていればいいわ、それ以上は望みません」
「しかし…」

 それでもリツコは、静かに、淡々と、それでいて鋭く言葉を紡いでいく。

「いまは使徒撃退が最優先事項です。そのためには誰であれエヴァと僅かでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法はないわ。……わかっているはずよ、葛城一尉」
「……そうね」

 その話を黙って聞いていたシンジが徐に口を開く。

「……父さん、僕がこれに乗ってさっきのバケモノと戦うの?」
「そうだ」
「……僕がこれに乗らないって言ったら、……その、レイって子がこれに乗るんでしょ?」
「そうだ」

 その一言はシンジから冷静さを奪うには十分なものだった。

(そうだ、この人はいつだって…)

「……父さんはいつだってそうだ。人の命をもてあそんで! 人を自分の道具のように使って!!」

 しばしの沈黙をおいて、シンジは静かに、そして力強く答えた。

「……わかったよ、僕が乗る」

 その瞳には強い意志が篭っていた。その姿は力強く、他者を圧倒する迫力があった。

 ゲンドウはただ静かにシンジを見下ろしていた。
 その表情からは何も伺うことが出来ない。

(決めていたことだ。僕が…、僕がみんなを守るんだ。……でも)
「……ただ、その代わりに約束してほしいことがあるんだ」
「……何だ」
「綾波を、自由にしてあげて欲しいんだ」

(!!)

「父さんが彼女を束縛していい理由なんてどこにも無いんだ。……だから、彼女を解放してあげて」

 暫しの間訪れる沈黙。

 しかしその表情からは何の変化も見られない。

「……いいだろう」

 リツコはそんなシンジとゲンドウのやり取りに違和感を感じていた。
 それ以前に、MAGIのシュミレートではシンジは搭乗を拒否し、傷ついたレイを目の前することでやっと搭乗を決意する。もしくは最悪の場合逃走してしまうとまで出ていたのである。
 ……そして、シンジの先ほどの言葉、それは違和感などという甘いものではない。

 シンジは自分の発した言葉にある違和感に気付いてはいない。
 すべての意識がこれからのこと、そして目前に控える使徒へと向けられていたから。




 リツコがシンジを問いただそうとしたその時、使徒による攻撃がケイジを揺らした。

「ちっ、ヤツめ! ココに気付いたか」

 その表情は珍しく歪んでいる。

「何をしている、早く乗れ! そして説明を受けろ」
「……わかってる、今いくよ」




 ケイジでは初号機の発進準備がとり行われている。

 シンジがその様子を懐かしく思いながら見聞きしていると、L.C.Lが注水されてきた。

(L.C.L……。どうしてもあの世界を思い出しちゃうな)

「大丈夫、肺がLCLで満たされれば直接血液に酸素を送り込んでくれます。すぐに慣れるわ」

 シンジはあたりまえことのように、息を吐き出し肺の中をL.C.Lでみたす。

「……気持ち悪い」

 シンジにとってはなんども経験したことのあることだが、血のようなL.C.Lを肺に吸い込む行為は気持ちのいいものではない。

「我慢なさい! 男の子でしょ!?」

 父の敵でもある使徒が目前に迫ってきていることに神経を高ぶらせているミサトは、必要以上に強い物言いになってしまう。

 そしてその様子をただ静かに、鋭い視線で見つめるリツコ。

 そして着々と発進準備が進んでいく。それが一つ一つ進んでいくに連れ、リツコの表情は先ほどの厳しいものから、驚きと喜びの混ざったようなものへと変化していく。

「初期コンタクトすべて問題なし」

 満足げに呟くリツコ。その目付きはまさには科学者のそれであろう。

「シンクロ率……えっ…そ、そんな」

 それまで流れるように動いていたマヤの手が止まり、動揺とも、驚きともつかぬ声をあげた。

 リツコは何か異常が発生したのではと懸念し、問い掛ける。

「どうかしたの? マヤ」
「…えっと……シンクロ率、82.6%……」
「「!!」」

 ミサトもリツコも信じられないといった表情を浮かべている。
 一方は驚愕と歓喜が混ざったような、そしてもう一方は驚愕と……焦りの混ざったような。

「いける!」

(まさか……、まさか本当に初号機の中の人格に気が付いているというの? この少年は……)

「発進準備!」


 ケイジの拘束具が解除されていき、初号機の内部電源、外部電源が確保される。

「進路クリア
 オールグリーン」

 オペレーターの報告が入り、リツコはミサトに視線を向け準備が完了したことを告げる。

「発進準備完了」

「了解!」

 そしてゲンドウに形の上で確認を取る。

「……構いませんね?」

 ゲンドウが拒否する理由などどこにも無い。
 たとえ搭乗者が実の息子であっても、それはなんの抵抗にもなりはしないのだから。

 ゲンドウはいつものように顔の前で手を組んだ状態で、事も無げに淡々と言葉を紡ぐ。

「もちろんだ。使徒を倒さぬ限り我々に未来は無い」
「……碇、本当にこれでいいんだな?」

 冬月の問いにゲンドウは答えない。代わりに口元を微かに緩め、ニヤリと笑った。

 そしてミサトは声高らかに唱える。

「発進!!」


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