< 師弟対決企画記念品 >

ざざーん、ざざーん

果てしなく広がる赤い海を前に、少年が独り、ぽつねんと立っていた。
何も応えてくれない大海原に、絶望的な視線を投げかける。
云いようのない孤独だけが、彼の傍にいる。
白い砂浜の上に立つものは、他に誰もいない。

「こんな・・・こんな世界が楽園だなんて・・・・・・・・・認めない!断じて認めるもんかっ!!」

握り締めた拳が怒りに震え、つややかな黒髪が、ざわざわと色を失っていく。

「・・・・・・それもこれもみんな、アイツのせいなんだ・・・・・・・・・碇ゲンドウめっっっっ!!!

雄叫びとともに、漆黒だったその瞳が真紅に染まり、逆立った髪が銀色の光を放つ。

カッッッッッッ!!!!!!

刹那、まばゆい光が辺りを覆う。銀光に包まれた彼の姿は次の瞬間、その場から消えていた。

ざざーん、ざざーん

残された赤い海は何事もなかったかの如く、まるで生命体のように、有機的なうねりを繰り返している。

永遠の、いつ終わるともしれない波の繰り返しを———。

「 S -

〜 プロローグ 〜 約束の地に舞い降りしもの 〜


抜けるような夏の青空を、数条の飛行機雲が白く切り裂く。
天空を翔けるのは、武装した国連軍の主力戦闘機。
上空を覆うVTOLの編隊、湾岸線を埋め尽くす戦車隊。どちらも、平時では有りえない光景である。
彼らの攻撃目標は、それまでの常識を覆す巨大生物。 ———『使徒』、と名付けられたその化け物は、着実に都心に近づいていた。
2015年、平和だった第三新東京都市は今まさに、戦場と化している。
避難勧告は既に出され、近隣の住民たちは皆、シェルターに避難している、はずだった。
にもかかわらず、いまや無人と化した駅の前に、何故か一人だけ、人影が見える。
黒髪に漆黒の上下、闇を思わせるマントを羽織った全身黒尽くめの少年は、猛暑の中、汗もかかずにその場に立っていた。
軍の攻撃が激しさを増すが、使徒に毛ほどの傷もつけられない。周囲への被害を無闇に増やしているばかりだ。
この駅とて、いつ業火に包まれてもおかしくはない。
それなのに逃げようともせず、平然と構える少年の存在は、どこか異質だった。

交戦していたVTOLのうち一機が使徒の反撃にあい、煙を吐きながら、黒衣の少年目掛けて落ちてくる。
だが彼は、それでも動こうとしない。瞑想中なのか何かを思索しているのか、瞼を閉じたまま、静かに佇んでいた。
不意に、目を開く。黒曜石を思わせる瞳が、ひび割れたアスファルトの先へと視線を投げた。

ぐおぉぉぉぉぉんっっっっ!!!

地面に激突したVTOLが燃上し、爆風が少年の細い身体を吹き飛ばす———かに見えた。
だがその爆風は、突如割り込んできた青いルノーのボディによって遮られた。

「お待たせっ、シンジ君っ!!・・・こっちよ、はやく乗って。」

車のドアが開き、サングラスをかけた女性が勢い良く促す。

「———遅い。」

だが、シンジと呼ばれた少年は感謝するでもなく、冷静に彼女が遅刻した事実だけを指摘した。

「なっ———。いいから、はやく乗んなさい!!」
「いちいち怒鳴るなよ、うるせえから。」

そう言い棄てて助手席へ乗り込む少年にムッとしつつも、急いで車をスタートさせる。腹いせがわりにアクセルを強く踏み込んだ。
弾丸の如く走り出したルノーは時速140kmのスピードで、みるみる被害地から離れてゆく。
運転席の女性は一息つくと、傍らの席に向かって話しかけた。

「初めまして、シンジ君。私は葛城ミサト、ミサトでいいわ。」

サングラスを取ったミサトは大人の笑みを向けるが、少年は窓の外を見たまま、返事もしない。

「も〜〜っ!初対面なんだから挨拶ぐらい、ちゃんとしなさい。礼儀でしょ。」

年上の余裕を見せようとしたのも忘れ、たちまち頬を膨らませる。もともと子供っぽい性格なのだ。

「・・・聞こえてるっていっただろ、おばさん。」
「だ、だれがおばさんですって〜〜っ!!あたしはまだ29よっ!!」
「俺の倍も超えてりゃ、十分おばさんだろ?」

今度こそミサトは容赦なく睨みつけるが、クスリと嘲笑うかのような笑みに軽く流される。

「よそ見してると前があぶないぜ。」
「言われなくても・・・・って、なっっ!!」

正面に向きなおると、ふらふら流れてきた巡航ミサイルが、すぐ目の前まで迫っている。

———やられる!———

瞬間、固く目を閉じたが、衝撃が襲ってない。はっと気付くと、ミサイルの姿は影も形もなかった。

「あ、ありっ?さっき確か、ミサイルが———。」
「なに呆けてんだ?居眠り運転してたんじゃねえの?」

小馬鹿にした物言いを受け、ミサトは鼻白んだ。再び険しい視線を送るが、少年はそ知らぬ顔で景色を眺めている。
中性的な横顔は少女のように繊細で、間近で見るとその造形の完璧さゆえか、ある種神秘的な雰囲気すら醸し出している。
だからこそ、次々飛び出してくる毒舌が余計に小憎らしい。

(かっわいくね〜ガキッ!)

ミサトはそれ以上の会話を放棄し、ぎりりとハンドルを握り締めた。



∞∞∞∞



同時刻———。

第三使徒殲滅の任務が完遂されないことに業を煮やした国連軍は、切り札のN2地雷を使徒に向け投下。
一個の街を灰燼に帰すほどの破壊力はしかし、使徒に対してはまるで無力だった。
歯軋りして悔しがる国連軍の高官達。対象的に、彼らより一段低い席に座る顎鬚の男が、冷笑するように唇を歪める。

「・・・・・碇君、本部からの通達だ。たった今から、本作戦の指揮権は君に移った。」

その口調に込められた苦々しさなどそ知らぬ顔で、顎鬚の男は静かに立ち上がる。
黙したままの男の存在感に気圧されまいと、高官の一人がやや皮肉っぽく言葉を継ぎ足す。

「お手並み拝見といこうか———。だが碇君、君なら勝てるのかね?」

碇と呼ばれたその男は、僅かな沈黙の後、落ち着き払った仕草でサングラスを押し上げ、重々しく口を開く。

「ご心配なく。そのためのネルフです。」

ついで傍らにいる初老の男を振り返り、指示を送る。

「冬月、総員を第一種戦闘配置につかせるよう、赤城博士に伝えてくれ。」
「わかった。」
「後は頼んだぞ。」

そう言い捨ててエレベータで降りてゆく彼を、冬月は複雑な面持ちで見送った。

(三年ぶりの息子との対面か・・・・・・。)



∞∞∞∞



「———はい、エヴァの準備は問題ありません。でも、パイロットが———。」

通信機に向かう理知的な女性の声に、微かな困惑が混ざる。

「え、予備?指令が・・・・・・そう、了解しました。」

しなやかな指で通話を切ると、金色に染めた髪をさっと揺らし、命令を伝達する。

「今より各員、第一種戦闘配置に着きなさい!対地迎撃戦、初号機起動用意!」
「了解ッ!」

命令を受けたオペレータ達に緊張が走る・・・はずだったが、約一名だけ下を向いたまま、何やら他のことに熱中している。

「日向君、聞こえてる?第一種戦闘配置、初の実戦なのよ。」
「へっ・・・・?あっ、はいっ!了解しましたぁ、赤城博士!!」

日向と呼ばれた男は大げさに敬礼を返すと、あたふたとコンソールに手を走らせた。
隣にいた長髪の青年が、次々に指示を出す赤城リツコの目を盗んで、彼に話しかける。

「マコト、何ぼーっとしてたんだよ?どうせまた、隠れてマンガ読んでたんだろ?」
「う、うるさいなぁ。戦いが始まる前に、ちょっとテンションを上げようと思っただけさ。」

大事そうに隠した単行本の表紙には、金色の髪を逆立てた少年と白いターバンを巻いた緑色の異星人が睨み合っていた。

「ハハ、お前も好きだなぁ。だが解るぜ、俺なんかこういうとき、バリバリのハードロックをBGMにかけてぇもんな。」

調子よく肯いた青葉シゲルが、長髪を揺らしながら、軽くエア・ギターをしてみせる。

「おう!でもまさか本当に使徒と戦う日がくるとはなあ〜。なんかアニメが現実になったようで、燃えるものがあるぜ。」

メガネに隠れたマコトの瞳も、興奮で輝いていた。
子供のようにはしゃぐ二人を見咎め、リツコの黒い眉がピクンと逆立つ。

「そこの二人ッッ!ムダ口叩かないっ!!青葉君、初号機のフィジカルメンテナンスはどうしたの!?」
「わっ、か、完了してます!コンディション・オールグリーン。異常ありませんっ!!」
「マヤッ!初号機システムのフォーマット、ちゃんとサードチルドレン用に書き換えた?」
「は、はいっ!今やってます。・・・あのぅ、先輩。」

マヤと呼ばれた女性がおずおずと振り返る。もともとの童顔が、叱られそうな子供のように、更に幼くなっていた。

「なに?何か問題でもあって。」
「い、いえ!トラブルというわけじゃ・・・・。そのサードチルドレンを迎えにいった葛城一尉が、まだ到着して無いんですけど。」
「・・・・・・なにやってんのよ、彼女は。」

リツコが苛立つのも当然だ。いくら準備万端にしても、指揮を執る者もパイロットも居ないのでは、なんの意味もない。

「も、申し訳ありませんっ!自分が探しに行ってきます!」

ミサト直属の部下であるマコトが、またもや敬礼しながら立ち上がる。
リツコは一息溜め息を吐くと、努めて平静な口調で返事をかえす。

「いいわ、私が迎えに行きます。あなた達はあと270秒以内に起動準備を整えておくこと。・・・わかった?」
「「「り、了解っ!!」」」

オペレータたちのうわずった返事を背中に受け、リツコは指令室を後にした。
廊下に出たところで、不機嫌そうに独りごちる。

「まったく・・・・・。みんな弛んでんじゃないの?」


∞∞∞∞



NERVへ辿り着いた二人は、広い施設内を黙々と歩いていた。
地図を片手に、落ち着きなく視線を上げ下げしていたミサトが、靴音がしないのに気付いて振り返る。
少年の視線は廊下に向けられながらも、一応着いてきている。
猫のようにしなやかな足取りは音も立てず、黒いマントの裾だけ、影のように揺れ動いていた。

「シンジ君ってばよく暑く無いわねぇ、そんなに着込んで。」

ノースリーブのタイトドレスに制服を羽織っただけのミサトが、さも暑苦しいと言いたげに地図で扇ぐ。

「あんたがタルんでるだけじゃないの?」
「・・・あんたこそ何その格好?上から下まで黒づくめで、コスプレってやつ?それとも変な宗教にでもハマッてるわけ?」

またも突っかかるような答えにカチンときたのか、嫌味を嫌味で切り返す。

「アンタさぁ・・・さっきからムダ口しか叩いてねえけど、同じ道ばっか歩いてないで、ちゃんと案内しろよな。」

ミサトは返事に詰まる。道に迷ってたのが、しっかりバレていた。

「も〜〜っ!るっさいわねぇ〜。まだここに来て日が浅いのよ、アタシは。」
「仮にも道案内する人間のセリフじゃねえよ、それ。」

口論していた二人の後ろで、エレベータの扉が開く。踏み出したヒールの音が甲高く響いた。

「———その通りよ、葛城一尉。」

背後からの言葉に、ミサトの肩がギクッと上がる。
振り返ると、赤城リツコが白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、不機嫌そうに睨んでいた。

「遅かったわね。あんまり時間掛かってるから迎えにきたわ。」
「ご、ごみん、リツコ。ちょ〜〜っち迷っちゃってさぁ。」
「・・・やっぱ迷子かよ。ムダな労力使わせやがって。」

間髪いれず愚痴られたミサトはグッと唇を噛んだが、図星だけに何も言い返せない。

「ミサト、その子ね?例のサードチルドレンって。」
「そっ、生意気なヤツでさぁ〜。」

小声で文句を言うミサトの肩越しに視線を送る。少年はあまり友好的ではない顔つきのまま、そっぽを向いている。

「初めまして、あたしは技術一課E計画担当博士、赤木リツコ———よろしく。」

白衣から右手を抜き出して握手を求めるが、完全に無視された。

「・・・ちょっとシンジ君、アタシんときもそうだったけど、人が挨拶してるのに知らん振りするなんて、態度悪いわよ。」

声を低めたミサトの威嚇にも、全く意に介した様子はない。平然と構えたその横顔を、リツコは訝しげに観察する。

(写真で見るよりカワイイ・・・・じゃなくて、確か資料には内交的で人見知りをするタイプ、とあったけど・・・・。)

しかし、目の前の少年は内気そうにも、ましてや虚勢を張っているようにも見えない。

「サードチルドレン———第三の適任者、か。悪いが、俺は違うぜ。」

自分に向けられた疑惑の目を知ってなのか、挑発するような発言を飛ばす。
クスリと意地悪い笑みとともに告げられたその言葉に、二人は驚いた。

「どういう意味?あなた碇シンジ君・・・よね?」
「クハハハハッッッ!ほんとに知らないで俺を引っ張って来たのかい?とんだ下っぱなんだな、あんたらは。」
「し、下っぱですって〜〜っ!?仮にもあたしは作戦部長よっ!!」
「黙りなさいっ!!葛城一尉!」

ぴしゃりとミサトの口を封じたリツコは、腹を抱えて笑う少年を冷やかに見据える。

「シンジ君、・・・いえ、さっき違うと言ったわね。じゃあ、あなたは誰なの?」
「はあ?俺は一言も、碇シンジじゃ無いなんて言った憶えねぇけど。」
「このガキッッ!!ふざけんのもいい加減に———。」

掴み掛かろうとするミサトを押し止めたリツコは、冷徹な表情を崩さずに問い詰める。

「なら、どういう意味?」
「あんたのいう適任者とやらは、コアにインストールされた近親者を介してエヴァとシンクロ出来る人間、ってことだろ?
  ・・・俺にはそんな必要はない、と云ったんだ。」

実験動物を見るように冷たかったリツコの目が、驚愕に見開かれる。

(まさか!?仮にミサトがエヴァのことを喋ったとしても、何故この子がコアのことまで知っているの?)

素早くミサトの方に視線を這わせるが、彼女は今の話すら、まるで理解出来てない様子だ。

「何故・・・・・・そんなことまで・・・・・・。」
「まっ、そんなのはどうでもいい。俺がここに来た理由は一つだけだ。」
「あなたのお父さんには後で会わせるわ。その前に見せたいものがあるの。」
「必要ないね。俺はアレに乗るつもりは無い。」

含みのある物言いは、リツコの言う見せたいものが何なのか、既に分かっているのだろう。

「アレ、って・・・・・・知ってるの?初号機を。」

またもあっさり告げられた事実に、リツコの思考が目まぐるしく働く。

(どういうこと・・・・・・?仮に誰かが接触したとしても、ここまで彼に入れ知恵できる人物なんて・・・・・・もしや、指令?)

三年前、僅かながらも親子の対面を果たした碇ゲンドウ。
彼がそのとき何かを打ち明けた、そう仮定しても、状況証拠的には不自然では無い。
だがリツコは、即座にその考えを否定した。あのゲンドウがそのような行動を取る理由が、どうしても思い浮かばない。

「ねえ、あなたどこで初号機のこと———。」
「どうでもいい、と言ったはずだ。それからまたアンタは間違っている。あんなやつ、俺の父でも何でもない。」

今まで表面上は平静だった語り口に、初めて怒りの感情が剥き出しになる。

「何ですって?」
「俺が父と呼ぶのはただ一人。断じて、碇ゲンドウなんかじゃ無い。」

バッサリ斬り捨てた口調は気弱どころか、容赦無い敵意すら感じさせる。

(・・・・・いろいろ謎があるようね。或いは、指令なら知っているのかも・・・・・。)


「グズグズ考え込んでないで早く案内しろ。奴と会うために、俺はここまで来たんだ。」

このまま彼を連れて行ったものかどうか迷ったが、悩んでいる時間は無い。

「・・・わかった、先に指令に会わせるわ。そのかわり、後で色々聞きたいことがあるけれど。」
「答える義務はねえんだろ?・・・・・ま、あの男の態度によっては、考えてやってもいいぜ。」

リツコは黙って頷くと、少年を促して歩き始める。ただ独り、会話についていけなかったミサトを残して。

「もーーーっ!アンタ達だけで勝手に決めないでよっ!!」

二人に置き去りにされそうになったミサトは、慌てて後を追った。



∞∞∞∞



「———で、なんでここに連れて来たんだ?」

話が違うと云わんばかりにリツコを睨む。彼女が案内した先は、初号機が格納されているケージだった。

「さっき発令所に連絡したんだけど、碇指令は既に、こちらに向かわれたらしいわ。」
「最初っからそのつもりだったんじゃねぇか?」
「まさか。偶然よ。」

疑いの言葉をさらりとかわしたリツコは、ケージに浮かぶ巨大な頭部を誇らしげに見上げた。

「それよりどう?これが人の造り出した究極の汎用決戦兵器、人造人間、エヴァンゲリオン。」

首から下は水槽に浸かって見えないが、鬼のようなその形相は、ロボットと呼ぶにはどこか生々しい。

「我々人類最後の切り札・・・・・・。これはその初号機よ。」

そこで言葉を切ると大げさに振り返ったが、相手は退屈そうに欠伸するだけで、まるで感銘を受けた様子がない。

(やはり・・・・・この子は知っている。)

そうリツコは確信した。

「驚かないわね?それとも、前に見たことあるの?」
「・・・・さあね。どっちにしろ、興味ねぇよ。」
「興味ない、じゃ済まないのよ。今はあなた以外に適任者がいないの。」
「だから?俺には関係ねえだろ。」
「そうはいかないわ。あなたがこれに乗るか、人類が滅びるか、二つに一つ。」

決めつけるようなリツコの言葉に、ミサトは耳を疑った。

「ちょ、ちょっとリツコ?いま着いたばかりのこの子を、いきなり乗せるつもり?」

「そうだ。」

彼女の問いに対する返事は、頭上から降ってきた。三人が一様に顔を向ける。
初号機の真上、天井近くにある部屋のガラス越しに、その男———碇ゲンドウは居た。
片手をポケットにつっこんだ姿勢のまま、傲然と見下ろすその姿は、この組織の支配者であることを物語る。

「久しぶりだな。」

無感動なその言葉に、再開を喜ぶ温かみなど、まったく感じられない。

「フッ・・・・。出撃。」

サングラスを指で押えながら一方的に喋る男を、少年は仇のように睨む。


「・・・・ついに姿を表したな、碇ゲンドウ。・・・・いや・・・・。」

乾いた唇が震え、怒りに満ちた声をぶつける。


「くそジジィッッ!!」



∞∞∞∞



くそじじい———突然の罵声に、ケージに居る全員が固まったが、いち早く復帰したのはミサトだった。

「ちょ、ちょっとシンジ君、何てこと言うの!?仮にもあなたのお父様に向かって!」
「あんなクサレ外道、父親じゃねぇっつったろ?。ホントに血が混じってるなんざ考えたくねぇけどよ。」

なおも浴びせられた罵詈雑言に、ゲンドウの表情が険しくなる。

「なに訳のわからんことを・・・・さっさと乗れ。そして使徒と戦え!!」

頭ごなしに命令された当人より、むしろミサトの方が狼狽した。

「待ってください指令!レイでさえ、エヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったんですよ?今日来たばかりのこの子にはとても無理です。」
「座っていればいい。それ以上は望まん。」

戦闘の最前線に立たせようとする人間とは思えない言葉で、反論を一蹴する。

「ふうん・・・・父さんが言ってた通りの分からず屋だな。悪いが、俺の用は済んでねえんだよ。」

好戦的に指をバキバキ鳴らしながら、野獣の笑みをゲンドウに向ける。

「テメェ勝手なワガママだけであんな未来にしやがって・・・・。報いを受ける覚悟は出来てんだろうな?」
「ちょっ、ちょっと、さっきから何言ってるのよこの子?おかしいんじゃないの?」

ミサトが助けを求めるように視線を送るが、リツコは腕組みしたまま、冷静に眺めるだけだ。

「人類の存亡が賭かってるのだ。イヤなら帰れ。」
「・・・オメエ、ちったぁ他人の話聞けよ。」

ひたすら高圧的な男の態度に、少年も怒りを通り越して呆れた。
話が進まないからか、当初の予定通りなのか、ゲンドウは傍らにある無線のスイッチを入れ、冬月を呼び出す。

「———冬月、レイを起こせ!」
「使えるのかね?」
「ああ、死んでいるわけではない。こっちへよこすんだ。」

通話を切ると、国連の長官をもビビらせる睨みで凄んでみせた。

「シンジ、おまえには失望した。」
「・・・・・まだ理解してねぇのか、あの馬鹿。」

本当に帰ろうかとも考えた時、左手側の扉が開き、これ見よがしに点滴をつけたベッドがカラカラと運ばれる。
そのベッドの上に、身体をところどころ包帯で覆われた、青い髪の少女が寝かされていた。

「———母さん。」

それまでの皮肉な表情を消して呆然と呟いた少年を、リツコは意外な面持ちで見つめる。

「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ。」
「・・・・・・はい。」

ゲンドウの一声で、レイと呼ばれたその少女は、痛みに顔を歪ませながら片肘を立て身体を起こす。
白い包帯に血を滲ませ、震えながらも懸命に立とうとする少女の姿を見て、少年はハッと我に返った。

「だ、駄目だっ、無理しちゃあっ!!」

倒れかけたレイに駆け寄り、手を伸ばして折れそうに細い身体を受けとめる。
既に意識も朦朧としているのか、彼女は腕の中でぐったりしたまま、苦しそうに喘いでいた。

「・・・・・・母さん・・・・・・こんなに傷だらけなのに・・・・・・。」

痛々しいその姿に、掠れた声が泣くように滲む。
突然、遥か頭上から爆発音が聞こえ、伝わった振動が建物を揺るがす。
遂に使徒が、NERVの本拠地近くまで侵攻してきたらしい。

「む・・・奴め、ここに気付いたか。」

虚空を睨んでゲンドウが呟いた時、不意に天井が崩れ始めた。
巨大な破片が、ケージの真ん中でうずくまる二人の頭上に降り注ぐ。

「あぶないっっ!!!」

次に展開されるであろう惨状に、ミサトは目をそらす。
が、その予想は思いもがけない形で覆された。

「と、止まった・・・・・・空中で・・・・・・。」

数百トンはあろうはずの物体が、まるっきり重力を無視して浮かび上がっている。
その真下にいる少年は少女の頭を抱えたまま、微動だにしていない。
漆黒だったその髪は銀色に染まり、白銀のまばゆい光を放つ。

「シ・・・・・ンジくん?」

目の前で変貌を遂げた少年を目の当たりにして、我知らず声が震えた。
意識を失ったレイを抱きかかえながら、ゆっくりと彼は立ち上がる。 その双眸は腕の中の少女と同じ、紅い瞳。

「な、なんなのよ・・・・・・アンタは・・・・・・。」

恐怖を感じたミサトがごくりと唾を飲み込んだ瞬間、静止していたはずの破片が飛んできた。

「なっっ!?」

眼前の事象を理解する前に本能が働く。間一髪、床に転がって避けた。
四方八方に弾け飛ぶ塊は巨大な鉄槌と化し、頑丈な壁をもぶち破る。
ケージを満たしていた水がすき間から吹きこぼれ、みるみる亀裂が拡がってゆく。

「くぅっっ!!」

滝の如く流れ出す奔流は激しさを増し、半壊したミサトたちの足場を激しく揺らす。
振り落とされぬよう必死で手すりにしがみ付くが、ひび割れた床が水圧に耐え切れず、ついに折れた。

「きゃああああっっっ!!!」

ミサトたちを乗せたリフトは、渦巻く水の上で、笹舟のようにくるくる回る。
天井から降り注ぐ破片の勢いは激しさを増し、ケージ全体を揺るがす。
初めて動揺を見せたゲンドウの視線が紅い瞳とぶつかった瞬間、ガラスが飛び散り、ゲンドウの身体が宙に浮いた。



∞∞∞∞



「なんだ!?なにが起きているっ!?」

ケージの混乱を指令室から見ていた冬月は、状況把握も出来ないまま、ただ怒鳴るしかなかった。

「わ、わかりません!!」

モニターがノイズだらけで視認出来ない。オペレータたちの手は懸命にコンソールボードを駆け回る。

「12番の動作確認ッ!!いま、モニターにまわします!」

サブのカメラが辛うじて生きていたらしく、マヤが叫んだ。


「!!!—————————————————。」

映し出された光景に、その場にいた全員が息を呑む。
彼らが見たのは、白銀の光に包まれ、レイを抱きかかえたまま宙に浮かぶ、黒衣の少年だった。
逆立った銀髪は炎の如くゆらめき、神秘的な輝きを周囲に振り撒く。
漆黒のマントをはためかせて、ゆっくり地上に降り立った少年は、腕の中の少女をそっと地面に横たえる。

一部始終を見ていたマコトは、モニターに釘づけになったまま、うわごとのように呟いた。


「ス・・・・・・スーパー○イヤ人・・・・・・。」


∞∞∞∞



ほんの数分で、ケージの混乱は収まった。が、その後の姿は、無残という他ない。
天井こそ崩れ落ちはしなかったものの、壁は穴だらけ、床には瓦礫が散乱し、まるで廃墟である。
だが初号機に傷一つついてないのは、さすがは最終決戦兵器というべきであろう。

瓦礫の山の一部がカラリと崩れ、隙間から伸びた手が小さな破片を取り除いた。

「アイタタ・・・・・。ん、もぅ〜〜〜っ!いったい何がどうなったってのよ!?」
「———ち、生きてたのか。しぶとい奴らだ。」

なんとか自力で瓦礫から這い出たミサトたちを見て、少年が心底残念そうに呟く。
不思議と、彼の周囲の床には塵一つ落ちていない。

「ま、どうせあの野郎はガレキの下敷きに・・・・・ん?」

ふと上を見ると、当のゲンドウは、天井から突き出た鉄パイプを襟首に引っ掛けたまま、ぶらーんと揺れていた。

「・・・なるほど、悪党ほど悪運が強いってのは、本当みたいだな。」

ニヤリと口元を歪めると、右手をゲンドウの方に差し出し、小指を軽く折り曲げる。

ポキンッ

辛うじて残った最後の支えが、あっけなく折れた。

「んぬわぁぁぁっっ!!!」

約30mの自由落下。落ちたらノコギリ歯の如く乱立する瓦礫によって、肉片を振りまくのは疑いない。
が、鋭く突き出た金属片の寸前で、彼の身体は急停止した。むろん、宙に浮いたまま。

「ぶっ殺すのは簡単だが、テメェが死ぬ瞬間は恐怖よりも罪を感じてもらわないとな。」

更に人差し指をクイッと曲げると、ゲンドウの身体が真横に滑り、再び目の前で止まる。

「シ、シンジ貴様・・・・・・こんなことをして・・・・・・タダで済むと・・・・・・。」
「ふぅん、気を失ってないのだけは誉めてやるよ。」

ぺしゃんとゲンドウを顔から落とすと、ボロボロの制服で突っ立っているミサトに命令する。

「おい、牛。」
「だ、だれが牛よっ!?」
「ん?もーもー鳴くのが牛だって聞いてたが、違うのか?」
「な、なんですってぇ〜〜!」
「そんなことはどうでもいい。早く母さんを安全なところに移せ。」

身体を起こしたときに傷口が拡がったのだろう。包帯から滲んだ血が、プラグスーツまで濡らしていた。

「安全な、ったって・・・・・。これじゃあ・・・・・。」

ミサトが辺りを見回すが、どこもかしこも瓦礫の山で動きがとれない。

「役立たずめ。・・・おいっ!そこから俺を監視しているやつ、返事しろっ!!」

宙を睨んで怒鳴ると、少しして、年配の男の声がスピーカー越しに流れた。

「———何か用かね?」
「ずっと盗み聞きしてたくせにトボケんじゃねぇよ。俺の用件は分かってるはずだ、二度も言わせるな!」
「こちらからも要求がある。それに応じてくれたら、善処しよう。」

狡猾、というか計算高い返事。なるべく優位に立とうとしてるのがミエミエだ。

(・・・この後に及んで交渉事かよ。よっぽど自分らの立場を理解できないマヌケなのか・・・。)


「へぇそうかい?俺がその気になればこんな掘っ建て小屋、一瞬で灰だぜ。・・・じゃあ手はじめに、天井でもぶち抜くとするか。」

不敵な笑みで、身の程知らずな愚か者を嘲笑う。数秒の空白の後、返事が返ってきた。

「・・・・・・わかった。先に彼女を移させよう。だが瓦礫を撤去するのは容易ではない。」
「出口はどっちだ?」
「いま君が向いている斜め右のほうに扉がある。」

少年がその方角に右手をかざすと、オレンジ色の光に包まれた瓦礫の山が、たちまち塵となって崩れ落ちた。

「・・・・・・信じられない。」

半ば夢を見ているような表情でリツコがうめく。自分の常識までが崩れるような気分だった。

「・・・・なる程、脅しではない、という意味か・・・・。」

その様子をモニター越しに眺めていた冬月が、難しげに眉根を寄せる。

「伊吹くん、救護班を呼んでレイを医務室へ移してくれ。」
「はいっ!」

マヤに指示を飛ばしたあと、長い長いため息を吐く。年齢以上に老け込みが増したような嘆息だった。

「使徒がすぐそこまで来てるというのに、厄介事を増やしおって・・・・・・やれやれ、私も降りて行くとするか。」
「副指令っ!お、俺も行きますっ!!」
「おいっ!?マコトッ!」


∞∞∞∞



レイが再びベッドで運ばれたのち、半分廃墟と化したケージに冬月が姿を表した。
なぜか後ろから、続いてマコトがバタバタと顔を出す。

「私は冬月———ここの副司令だ。とりあえず、レイは医務室で安静にさせている。」
「・・・・たりめぇだ。本来動かしちゃいけないのに、無理やり引っ張り出したのはテメェらだろ。」

彼がケージを破壊した理由が、なんとなくリツコには飲み込めた。どうやらレイとは、深い縁があるらしい。

「あなた、未来から来たと言ったわね?レイのことを、母親だとも。」
「んなこと言ったっけ?」
「誤魔化すのはやめて。いま私たちには時間がないの。あなたが碇シンジじゃなくても、レイの血縁ならエヴァを動かせるはず・・・。」
「お断りだ。」

あっさり拒否されたが、リツコも簡単には引き下がれない。

「あなたのいう未来がどんなものかは知らないけど、使徒を倒さないかぎり、その未来も無いのよ。」
「———ま、待ってよリツコ!こんな得体の知れないガキに戦わせるっての?」
「他に方法があって?」

反論出来ずにミサトが押し黙ると、代わって冬月が、重大な疑問を口に出す。


「———そう、それなんだが、そもそも君は誰なのかね?」

来た。


「・・・ふん、今更なにを言うのかと思えば。」

来た来た。


「オメェら今まで、俺を誰だと思っていたんだ?」

来た来た来た来たぁーーーッッ!

そう、これだ!これが無ければウソだ。その為にわざわざ今まで、名を名乗るのを引っぱったのだから。

「副指令、この際エヴァさえ起動出来れば、彼が誰であろうと二の次だと思いますが。」
「うむ・・・・・それもそうだな。」

せっかく盛り上がっていた気分にバシャッと水をかけられ、盛大にコケそうになった。

「ま、まてっ!!初対面の相手にはちゃんと名を訊ねるのが礼儀ってもんだろっ!!」
「・・・・・よっくもまぁー、んなこと言えるわね、クソガキ。」

ミサトの白い眼など気にしない。なにしろ、ここがヤマ場だ。
正義の味方には皆、相応しい名乗りを上げる場面があった。それを外すわけにはいかない。

「い、いいだろう、それほどまでに言うなら教えてやる。心して聴いとけよ。」

有無をいわさず強引に自分のペースへと持ってゆく。こうなったらもう、言ったもん勝ちだ。

マントをばさりと翻し、左斜めからのカット割りを意識しながら、首を仰角45°に固定。
薄く半目を開き、駅でミサトを待っている間に考え抜いたセリフを、心の中で繰り返す。
・・・完璧だ。見落としはない。
あとはこれを実行するのみ!


「———汚れた人類の罪を浄化されし、遥かなる約束の土地で生を受け、」

「———大いなる父より深い慈悲を、偉大なる母より限りない愛を賜わり、」

「———全知全能の神たる力持ちて、導きの光となる宿命を背負いし、運命の申し子。」

ひと呼吸、間を置く。これが重要。
素人には分かるまいが、これがないと画竜点睛を欠く。



「我の名はシンジ———。碇シンジ ・ ゼータ だ。」



しーーんと静まるケージ内。
たっぷりふた呼吸の間が空いて、”牛” の鳴き声が響き渡った。



「ぜ、ぜぇ〜〜たあ〜〜〜〜?」




∞∞∞∞




ケージでの騒ぎが嘘のように静かな医務室で、レイだけが一人、寝かされていた。
包帯は新しく取り替えられているものの、まだあちこちにこびり付いた血が痛々しい。
弱々しい呼吸が辛うじて生を主張する。が、その存在は、かげろうのように儚い。

不意に、何かが動いた。停滞していた空気が、流れた。
いつの間にか、この病室に現れたもう一人の存在が、横たわる少女を痛ましそうに見下ろしている。
気配を感じたのか、レイが薄く瞼を開く。だがぼやけた視界は、焦点を結ばない。

(あなた、だれ—————?)

微かに唇が動くが、声にならない。
だがその人物は、了承したように柔らかく微笑むと、彼女の胸に手をかざした。

(・・・・・・何故?懐かしい気がする。それに、あたたかい・・・・・・。)

掌から伝わる暖かいものが、ゆっくりと全身を包む。
その温もりが身体中に染みわたり、傷の痛みが退いてゆく。
ふわりと心地良い安らぎに誘われたかのように、再びレイの瞼が閉じる。
穏やかに眠る少女を慈しむように見つめていた人物は、やがて部屋を後にした。

ちょうど入れ替わる形で、レイの様子を見るため、マヤが病室に入ってきた。

「あれ?誰か居るような気がしたんだけど・・・・・。」


さっと部屋を見廻すが、誰もいない。
気のせいねと独り呟くと、思い出したように顔を覗き込む。
意外と気分は良さそうだ。呼吸も今は、規則正しい。

「良かったぁー、傷は大したこと無いようね。顔色も良いし。」

もし彼女が医者だったら、あれほどの重傷がほぼ完治していることに、首をひねっただろう。
ひとまず安堵したマヤは、持ち場に戻るため廊下に出た。使徒は依然として進行中なのだ。
ふと、背後に何かの存在を感じ、はっと後ろを振り返る。


「あなたは—————。」


マヤは放心したように、黒衣の人物に問いかけた。




<続>



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