バロックパール

written by tamb   


「碇くん」
「うん?」
「女の子のパンツにリボンがついているのは、なぜ?」
「綾波」
「なに」
「ぼくが森羅万象、この世の全てのありとあらゆることに精通し知り尽くしていると思ってない?」
「思ってる。違うの?」
「嬉しいけれど、それは違うよ。どちらかというと、というよりむしろ、知っていることの方が明らかに少ないよ」
「そうなの?」
「そうさ。ね、綾波」
「はい」
「一緒に、いろいろ学んでいこう」
「うん」
「パンツの件は、リツコさんかミサトさんに聞いてみるとわかるかもしれないよ」
「うん、わかった」
「わかったらぼくにも教えて」
「うん」


※※※


 レイがそれに関心を持っているのは、だいぶ前から気づいていた。人類史上初めての使徒戦の直後には、彼女はそれの存在に気づいていたように思う。
 デスクの上に置いてある、小物入れとして買ったガラスの灰皿に入った小さなバロックパール。対称軸を持たない、歪んだ真珠。確かにそれは、この部屋に似つかわしい物とは言えないだろう。少女はそれを見つめている。検査結果にはあまり関心がないようだった。

「結論から言って、何の問題もないわ。MRIやCTを使った本格的な検査は、三ヶ月置きに減らしてもいいでしょう」

 毎月行われている検査の、今日は結果が出る日だった。リツコはデータが表示されているディスプレイを見ながら続ける。

「全く健康な十四歳の女の子ね。一応は、血液検査みたいな簡単な検査は毎月続けるけれど。ま、健康診断みたいなものね」

 サードインパクトで全てはリセットされた。
 レイの身体に見境なく投与され続けた薬物の影響は皆無で、ゲノム解析の結果はユイのそれからも遠かった。シンジとの関連で言えば、従兄弟よりもやや遠い程度だった。これは遺伝子的にはサードインパクト前とは別人であることを意味する。
 だが、それが一体何だというのだろう。
 時空が断絶していたとして、何も不都合などない。

 このバロックパールは、レイが二十歳になったら渡そうと思っていた。だが説明はもうしてもいいのかもしれない。

 リツコはガラスの器を取り、レイに手渡した。

「この真珠、少し歪んでいるでしょう? バロックパールっていうんだけど――」

 それはユイ――レイの母親と言ってもいいだろう――がシンクロテスト中に消失し、サルベージ計画も全て失敗に終わったあと、LCLを排出したプラグの中から発見された。シートの上に、まるで丁寧に置いたかのようにそれはあった。
 当然ユイはアクセサリーを付けてテストに臨んだりはしない。
 LCLに満たされたプラグの中に真珠層を形成する何かがあるとは考えにくい。仮にあったとしても、サルベージを試みたわずかな期間でこのバロックパールが形成されるはずもない。従ってこれは厳密には真珠ではない。
 だがそれは、真珠にしか見えなかった。

「この真珠層に見える虹色の光沢が何によるものなのか、核は何なのか、分析はしていないわ。正直に言えば触る勇気もない」

 核は何でもいい。例えば髪の毛でも、残留思念のようなものでも。真珠層は物質化したA.T.フィールドなのかもしれない。いずれにしてもそれはファンタジーだ。科学者は、わからないことに対してはわからないと言わなければならない。

 レイはバロックパールをじっと見つめている。

「あなたかシンジ君が、いえ、あなたとシンジ君がこれを持っているべきだと思う。きっと、ユイさんの形見だものね」
「お母さんの……」
「あなたが二十歳になったら、渡そうと思ってる。なりたい自分を見つけて、そこに向かって歩き始められる時に。アクセサリーにして、時々、特別な時に身につけたらいいわ」
「はい」
「それまでに、どうしてユイさんがこれをこの世界に残そうと思ったのか、ゆっくり考えましょう。やっぱりこれは偶然じゃなくて、ユイさんの意思だと思うから。あなたがそれほど惹かれているのを見てもね」

 バロックパールから目を離さず、レイは頷く。

「バロックパールは真球の真珠とは違って、二つとして同じ形の物は存在しない。唯一無二のもの。あなたもシンジ君も、この世に一人だけだものね」

 顔を上げ、リツコを見る。

「ここはにっこり笑顔になるところよ?」

 レイは笑顔になり、もう一度頷いた。

「預かっていてください。わたしが、もう少し大人になるまで」


※※※


 何の問題もないわ、と伝えるのももう飽きた。レイも前回の検査の時に話をしたバロックパールを見て笑顔だ。かわいいな、と思う。大人になるというより、等身大の十四歳にまっしぐらという感じだった。

「なにか聞いておきたいことはある?」
「いえ、ないです。でもあの、えと、検査とは関係ないのですけれど」
「いいわよ。なに?」

 口調がいつもと違うなと思いながらリツコは答えた。

「女の子のパンツにリボンがついているのは、どうしてですか?」

 リツコは笑ってしまった。腰が抜けるかと思った。日々の健康状態や体調についての質問があると思うのが常識というもので――例えば初潮がまだなのですが、とか――まさかパンツのリボンがどうとかいう質問が来るとは想像もしなかった。パンツに関心を持っているとも思わなかった。普通は思わない。初潮はすぐにでも来るだろうけれど――。

「レイ」
「はい」
「あなた、シンジ君とちゅーした?」

 レイは驚いたような顔になり、ぶんぶんと激しく左右に首を振った。頬が真っ赤だ。

「付き合ってる?」
「……どういう状態が、付き合ってるということになるのでしょうか」

 少し考え込んだような顔でレイが言う。

「綾波、ぼくはきみが好きだ。ぼくと付き合ってくれないか。碇くん、わたしもあなたが好き。わたしでよければ、わたしもあなたとお付き合いしたいです。みたいな会話をしたかどうかというのがひとつの指標なんだけど」
「……まだ、です」

 物真似には笑ってくれなかった。似ているとも思わなかったが。

「じゃあ、まずはそこからね」
「どうしたらいいですか」
「二人きりの時間をなるべく作る。少し甘えて、ボディタッチも増やしてみる」
「難しいです」
「急にじゃなくていいの。徐々に、ほんの少しだけ」
「はい」
「そしたらあとはシンジ君がなんとかしてくれるわ。かわいくして待っていれば、それで大丈夫。パンツの話だったわね」
「はい」
「シンジ君とちゅーしたら教えてあげる。報告してね」
「はい」

 自分は策略家だろうかとリツコは思う。そうかもしれない。だがこれくらいは許されてもいいのではないだろうか。大好きなかわいい妹の、初キスの報告を受けるくらいは。

 女性用下着にリボンがついている理由はリツコも知らない。恐らくは単にデザイン上の理由だろう。かわいいとか。
 だが想像することはできる。
 リボンというのはプレゼントのアイコンだ。リボンに包まれていればそれがプレゼントであることを意味する。
 女の子には、好きな男の子に自分をプレゼントする瞬間が来る。プレゼントというのは、貰う方も渡す方も幸せになれるものだ。リボンを解くときのときめきは、何ものにも代え難い喜びだ。大切にするよ。大切にして。下着についたリボンにはそういう想いが込められているのだろう。

 少女が二十歳になってバロックパールを渡すときも、リボンで飾ろう。中身がわかっていても、リボンで飾ることには意味がある。大切に生きていこう。自分を大切に――。


※※※


「碇くん」
「綾波、どうしたの? ほっぺが赤いよ?」
「パンツの話、リツコさんに聞いてきた」
「ああ、リボンの話。なんだって?」
「碇くんとちゅーしたら、おしえてくれるって――」


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