後書き 「彼女はなぜ彼女なのか」
Written by tamb

 ようやく完結しました。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。長い中断もありましたし、回収し切れていない伏線もあったりして、どーなってるんだとお怒りの方もおられるかもしれませんが、この話はこれで終わりです。とりあえずありがとうございました。

 自分の書いたものに対し、こうして語るというのはどうなのか、つまりかっこ悪いとか潔くないとかいう気もします。語るべきことは作品の中で語るべきであろうと。語ることができなかったならば、それは胸の内にしまっておき、次回以降の話にその教訓を生かすべきであろうと。話の中で語るべきではない裏話など書いてどうなるのかと。
 それは正しいのだと思いますが、単に語るのが好きなので語ってしまいます(笑)。


 当初これは、いわゆるイタモノを書くチャレンジの意味も含め、とあるサイトに投稿しようと思っていた話でした。しかし、そもそもチャレンジ的な意味合いの濃い作品を、自分のサイトがあるにもかかわらず、しかも連載の経験もないのに他所様に投稿などするのはいかがなものかという感じも相当にありました。とは言うものの、自サイトではチャレンジにならないという気もします。悩みつつだらだらとプロットを書き、平行して最初の部分と、中間を飛ばして最後の部分を書いていたのですが、やがて「こんな話は書きたくないな」という気分になりました。書きたくない話は書きたくないので、初期設定のみ生かしてストーリーは変えました。「こんな話」でないならそのサイトに投稿する意味は薄く、じゃあ自分のところで連載しようとなったのです。

 ちなみに最初のプロットではレイが消えて終わりでした。まぁ消し方に色々あるんですが。シンジはレイが消えることを納得してるとか、マキさんは出てこなくてシゲルとマヤが還って来てたりとか。

 話を戻しますが、この話を書くにあたって、人称は一人称で、レイとシンジを切り替えることに決めました。こういうスタイルにふさわしい話にしたいという気持ちもありましたが、ある意味では練習です。これはとある作家のとある作品のまねなのですが、それは例えば「僕が微笑むと私は涙ぐんだ」みたいに、ひとつの文章の中で主格がくるくる変わっていくという凄まじいものでした。斬新で面白かったのですが、読みやすいとは言えません。プロだから許されるという側面もあり、私がやったら百年早いと言われるのがオチでしょう。実際、ちょっと書いてみたのですが、読めたものではありませんでした。
 なので普通に切り替えることにしました。ただし、基本的には同一のシーンを異なる視点では書かないようにしました。例外もあります。どうしても書きたい部分もあったので。

 初期プロットを破棄すると決めた時点で、普通にレイが「私はここにいてもいい」と納得するような話にするつもりはありませんでした。そのように納得もせず、かつ消えたっきりそのまんまというのをやめたということは、何らかの形で帰って来るということです。ではどうするかというと、こうするしかなかったのです。ダライラマみたいですが。

 つまり、綾波レイはなぜ綾波レイなのか。

 この命題はたやすく一般化できます。腕を切り落とし、機械の腕をつけたとしても私は私です。整形手術をしてキムタクやら坂口憲二やらの顔になったとしても、私は私であってキムタクでも坂口憲二でもありません。
 では脳を移植したら。記憶喪失になったら。記憶喪失になったうえで他人の記憶を注入されたら。記憶のコピーを記憶喪失になった誰かに注入したら。シンジをぶん殴って記憶喪失にして私の記憶を注入したら文字通り俺シンジか。いや、シンジ俺か?
 これは非常に形而上学的というか哲学的な問題で、その手の勉強をされてる方もおられるでしょう。でもこの話は「話」ですから、どうするかは私が決めればいいだけです。
 ひとつヒントがあります。あっちゃこっちゃで書いてますが、例のLCLに溶けたシンジって奴です。完全に溶けたシンジは、それでも再構成されて帰って来ました。これはハンバーグから牛を作るようなものです。シンジを構成していた物質をそのまま使ったから、という話もあり、解釈としてはもちろんそれもありですが、人を構成している物質は一定のスパンで全部入れ替わっているという話もあります(三ヶ月で殆どとか一年で98%とか色々言われてますが、詳しくは知りません)。原子だか元素だか分子だかの状態まで分解されていながら、これはシンジを構成していたもの、これは違うもの、というような区別は、できればしたくないのです。
 ではどうするか。
 意識、あるいは魂に救いを求めるしかないだろう、というのがこの話です。
 作中、シンジの「今の僕は何人目だろう」という問いに対し、レイは「どうしてそういうことを言うの」と答えていますが、それはこういうことです。何人目であっても、身体を構成している物質が異なってもシンジはシンジであると。当然の帰結として、レイもどこまでいってもレイです。

 私は原則として人の形はその魂が形作ると定義しています。自分自身をイメージできれば誰もがヒトの形に戻れる、です。従って、綾波レイが綾波レイの姿をしていなかったらどうか、というのは無意味な問です。私が私でなかったらどうなっていたのか、という問と同じくらいに。
 今回はその禁を破りました。
 エピローグで出てくる彼女は綾波レイの姿をしていません。それは自分の姿が嫌いだったからなのかもしれませんし、ちょっとした悪戯心なのかもしれません。人間としてシンジに会うという決意の表れなのかもしれません。そして、彼女自身も言っているように「綾波レイじゃない」のかもしれません。
 でも彼女は彼女です。彼女はどこまでいっても彼女であり続けるのです。
 その意味で、この話はLRSではないのかもしれません。もしそうであったとしても、それでもやはりこの話が彼と彼女の物語であることに変わりはないのです。

 この二人の、そしてマキさんの幸せを祈りたいと思います。

 最後にもう一度、ありがとうございました。
 また近い内にお会いしたいと思ってます。


HOME
Novel index