暖かな場所

written by tamb   


「寒い」

 ミサトの部屋にたどり着くなりレイはそう言った。

「……そんな格好で来るからだよ」

 シンジはレイの姿をちらりと見ただけで目を逸らした。レイは上半身こそダウンを着て
いたが、下はミニスカートだった。膝上十センチ程度の控えめなものだったが、見ただけ
でも寒そうだった。

「若いっていいわねー。ミニスカートに生足なんて」お茶をすすり、レイを眩しそうに見
ながらミサトが言う。「でも上はそんなに厚着してるのに、そんなスカートで寒いと思わ
なかったの?」
「毛糸のぱんつをはけば大丈夫だってアスカが――」
「言ってないわよ!」
「言ったわ」
「そんなことはどうでもいいの。だいたい冬を甘く見るからそんなことになるのよ。毛糸
のパンツだけで大丈夫だなんて」アスカがコタツから這い出てレイの前に仁王立ちになる。
「アタシのこの完全防備を見なさい」

 軽くめくったジーンズの裾から、分厚く暖かそうな靴下とジャージが見えた。

「初詣に行く時は、さらにオーバーパンツもはくのよ」
「毛糸のぱんつは?」
「もちろんはいてるわよ」
「いまは暑くないの?」
「……ちょっと暑い」
「部屋にいるときは脱げばいいのに」
「……そうする」
「それにしても、コタツというのは本当に素晴らしいね」カヲルはコタツに深く埋まった
まま、着替えに行くアスカの後姿を見ながら言った。「文化の極みなんて言葉じゃ生温い
よ。あるクライマックスに至った文明でなければ発想し得ない至高の暖房器具だね」
「動けなくなるのが弱点だけどね」とミサト。「レイも入れば?」

 ミサトに勧められ、レイは空いた場所に入った。

「あったかい……」
「足、伸ばしても平気だよ」女の子座りして、膝だけをコタツに入れているレイを見てシ
ンジが言った。「掘りごたつなんだ」
「十一階なのに?」そう言いながらレイは足をごそごそと伸ばす。
「このマンション、スラブ――床下がやたら厚いのよね」ミサトがみかんを剥いてレイに
差し出しながら言う。「床下収納とかも付いてるし。にしても、あの常夏の時代に掘りご
たつ対応にした設計者は尊敬に値するわ」
「本当よね」なぜかミニスカート姿になって戻ったアスカは再びコタツに入った。
「アスカ」
「なに?」
「なぜミニスカートなんだい?」
「別に。なんとなく」

 アスカはちらりとレイを見て、みかんを剥き始めた。

「いろいろあるのよね、女の子は」
「別に何もないわよ」
「あたしも着替えてこようかな。ちょっと暑いし」
「ミサトさんはいいです」
「どーしてよぉ。あたしだって――」
「おそばが出来ましたから。食べましょう。さあコタツから出てください」
「えぇ? 出るの?」
「食事は食事をするテーブルでするものです。特別な事情がない限りは」
「この異様な寒さは――」
「理由になりません。部屋の中は暖房が効いてます。根が生えてからでは手遅れですよ。
それに、コタツに五人は入れませんよ。僕だけテーブルで食べろって言うんですか?」
「碇くんはわたしの隣に座れば――」
「いいから早く出るんだ」

※※※

 大晦日の今日、子供たちは年越しそばを食べたあと、みんなで初詣に行き、初日の出を
見る予定になっている。大人たちは朝まで飲みまくるらしい。

 今年はいろんな初めてがあった。年越しそばを食べながらレイは思う。戦争が終わった。
みんなと仲良くなれた。試験の点数が悪くて補習を受けた。買い物をした。冬を迎えた。
クリスマスにはチキンを食べた。
 楽しいということが、少しわかった気がした。なぜ大晦日にそばを食べなければならな
いのかはわからなかったが。

「これからの予定はどうなってるの? 待ち合わせとか」
「十二時くらいにここに集合して、それから出かけることになってます」
「じゃあ、レイは一度帰って着替えてらっしゃい。いくらなんでもその格好じゃ風邪ひく
わ。シンちゃんは嬉しいかもしれないけどね。……シンちゃんはレイを送っていくのよ?」
「わかってますよ」

 シンジは最後にだけ答え、知らぬ風でそばをすすっている。
 ミニスカートだと嬉しいのだろうかとレイは不思議に思う。

「碇くん」
「ん?」
「わたしがミニスカートだと、嬉しいの?」

 シンジはそばを吹きそうになったが、なんとか飲み込んだ。

「い、いや別に。いやあの、別にって言うか、その……」
「色々あるんだよ。男の子にもね。特に女の子の脚っていうのは、見たいっていうか見せ
たくないっていうか、そのアンビバレンツな葛藤が究極の――」
「言っとくけど、脚と文化は関係ないわよ」
「あるさ。脚さえ綺麗なら渡る世間に鬼はないって、良く言うじゃないか」
「言わないわよ!」
「聞いたことないわね」
「知らない」
「僕も知らないな」
「そうか」全否定され、さすがのカヲルもへこむ。「難しいね。リリンの文化を理解する
のは」
「渚君は、アスカの脚が好きなの?」レイがストレートに聞く。
「好きだよ」カヲルがストレートに答える。
「やめなさい、この使徒ども」箸を置き、アスカが怒りを抑えた声で言う。「人間は外見
だけじゃないってことを学びなさい」
「女は愛嬌、男は度胸って言うでしょ?」と缶ビールを開けながらミサト。「つまり内面
を磨きなさいってことよ。ま、脚も大事だけどね」
「ほら、やっぱり大事なんじゃないか」
「意味がないとまでは言っていないわよ!」
「話題、変えない?」

 シンジが割って入った。
 結局、脚もそれなりに大事なんだろうとレイは結論付けた。自分の脚は合格点なのだろ
うか。自分のミニスカート姿を嬉しいとシンジが思ってくれるのであれば、それなりのポ
イントには達しているはずだ。ミニスカートを選んだのは正解だったとレイは思う。春に
なったら、もっと短いスカートを手に入れよう。

※※※

「寒くない? やっぱりジーパンでも借りたほうが良かったんじゃない?」
「大丈夫。すぐだから」

 コンビニで使い捨てカイロを買い込んだ後、レイはそう答えた。風邪をひくのは嫌だが、
シンジが喜んでくれるならミニスカートがいい。彼女が選んだ結論は、部屋に着くまでの
間だけでもミニスカートで、というものだった。それに、手を繋いで並んで歩いていれば
寒くはなかった。

「こうしていると」シンジがレイの手を握り直し、白い息を見ながら言う。「なんだか夢
みたいに思えるよね。今までのことが」
「夢?」
「そう、夢。今こうして歩いてることはすごく現実に思えるんだ。でも、今までのことは
夢みたいだ」
「そう?」
「うん。……大人たちは、僕たちが――僕と綾波が願ったからこの世界が出来たなんて言
うけど、願えば叶うなんて、嘘だと思うんだよね」
「嘘って?」
「例えば、そうだな……あの時、僕がプロ野球の選手になりたいなんて願っても、そうは
なってないと思うんだ」
「それは無理かも」

 二人は笑った。

「カヲル君は、僕たち二人は選択の残酷さを引き受けた、なんて難しいことを言うけど、
それも良くわからない。ただ僕は、綾波や他のみんなに会いたかった。それだけなんだよ。
強く願ったりはしなかったと思うんだ」
「……わたしたちが何をしたのか、わたしにも良くわからないわ。もしかすると、ただ流
されるままにこうなっているのかもしれない。でも」

 レイは言葉を切り、空を見上げた。

「でも今、わたしと碇くんが並んで歩いている。空はとてもよく晴れて、月がきれいで、
とっても寒い。碇くんがさっき言ったみたいにそれが現実で、それでいいと思うの」

 シンジは黙ってレイの言葉を聞いている。

「アスカが前に言ってくれたことがあるの。アタシは今この一瞬の現実を肯定するって。
アタシはあんたたちに作られたわけじゃないし、選ばれたつもりもないって」
「……アスカらしいや」
「碇くんやわたしが何をいくら願っても、アスカはアスカだし渚君は渚君だわ。この寒さ
がやわらいだりはしないし」
「……試しに願ってみようか。もう少しあったかくなれって」
「やってみて」
「どうする? あったかくなったら」
「何でも言うこと聞いてあげる」
「よし」
「あったかくならなかったら?」
「何でも言うこと聞くよ」
「ほんと?」
「ほんとさ。じゃ、いくよ」

 暖かくなんてなるわけがない。何をしてもらおうかと思いながら、レイはシンジを見た。
 シンジは立ち止まり、やにわに両手を激しく擦り合わせた。

「……何してるの?」

 シンジは笑顔を浮かべ、両手を擦りつづける。そして、その掌でレイの頬を包み込んだ。

「あったかいだろ?」
「……うん」

 確かに暖かかった。

「さ、何をしてもらおうかな」
「でも、今のはずるだわ」
「どうしてさ」
「だって」
「もう少しあったかくなれって願って、あったかくなっただろ?」
「……うん」
「ずるくないだろ?」
「でも、それならわたしにもできるわ」
「できると思うよ。願えば叶うんだ。でもそれとこれとは話が別さ。」
「やっぱりずるい」
「約束は約束だからね。じゃあ……綾波の部屋であったかい紅茶でも飲ませてよ」
「……わかった」

 それくらいならしてもいいと思う。何ならしたくないのかは想像できなかったけれど。

※※※

 暖房のスイッチを入れ、お湯を沸かした。狭い部屋はすぐに暖かくなる。
 ベッドの前に小さなテーブルを広げて丁寧にいれた紅茶を出すと、ベッドに腰掛けたシ
ンジは照れたような笑顔で「ありがとう」と言った。
 レイがシンジの隣に座ると、携帯が鳴った。
 彼は少し顔をしかめ、ごめんと言いながらポケットから携帯を出した。

「アスカからだ。……はい。なに? ……あ、うん、わかった。じゃあ待ってればいいね。
……わかってるよ、うるさいな。大人しく待ってるよ。……変なことなんかしないって。
もう切るよ。じゃあ、あとで」
「アスカ、なんだって?」
「トウジたちがもう来たって。待っててもしょうがないから、今からこっちに来るってさ」
「変なことって?」
「いや、なんでもないよ」

 シンジの目が一瞬泳いだ。
 レイはそんなシンジをしばらく見つめ、やがて目を逸らして言った。

「今年は、いろんなことがあったわ」
「本当だよね。さっきの話じゃないけど、あの闘いが終わったのが今年だなんて、ちょっ
と信じられないよ」
「来年って、本当に来るのかしら?」
「来るよ」シンジは時計を見上げた。「あと一時間と少しで」
「来年は……来年も、素敵な年になる?」
「なるよ。願っただけじゃダメだけどね」シンジは笑顔で言った。「だから、なるってい
うよりするんだよね。自分たちで、いい年に」
「……ね、碇くん」
「うん?」

 レイはシンジの瞳を真っ直ぐに見て言った。

「キス、しない?」

 一瞬、時が止まった。

「……今年はいろんな初めてがあったわ。初めてのことばかりだった。知らないことがた
くさんあって、それは全部素敵なことだった。わたしも、来年も素敵な年にしたいと思う
の。だから――」

 言葉は口唇でさえぎられた。少し紅茶の味がする、甘いキスだった。

「僕から言わなきゃいけないって思ってた」ほんの少しだけ口唇を離し、シンジがささや
くように言う。「でも僕は臆病だから……願っても、うまくできないことってあるよね。
結局、綾波に言わせるなんて」

 シンジは両手でレイの肩を抱き、もう一度口づける。

「来年は、今年よりもっといい年にするよ」
「……うん」
「僕の声、聞こえる?」
「聞こえるわ」
「……好きだよ」

 再び口唇を合わせる。シンジの舌がおずおずとレイの口唇に触れ、レイは身体を震わせ
た。シンジの腕を掴む。吐息が甘くなった。
 肩を抱いていたシンジの手が動き出し、レイの心臓は破裂しそうになった。

「綾波。僕は綾波が好きだ」
「……わたしも、碇くんが好き」

 シンジの手はゆっくりと動き続ける。

「綾波……。僕の声、聞こえる?」
「聞こえる。ちゃんと聞こえるわ」
「……アスカの声は?」
「聞こえる……」

《ファースト! バカシンジ! 早く降りてらっしゃい! 行くわよ――!》

「……どうしてこうなるんだろう」シンジは深くため息をついた。「来るのが早すぎるよ」

 照れ笑いを浮かべるシンジを見て、レイも笑顔になった。

「まったく、さっきはいったいどこから電話して来たんだろう。願ってもうまくいかない
こと、多すぎるような気がするよ」
「でも、素敵な来年があるわ」
「そうだよね。来年があるよね」

《言っとくけどねー! シルエットがカーテンに映りまくってるわよー!》

「うわ!」

 二人は慌てて離れた。

「どうしよう。最悪だよ……」シンジはうろたえる。
「落ち着いて。と、とにかく着替えるわ」

 落ち着いてと言いながらレイも動揺を隠せない。ジーンズとジャージを手にバスルーム
に駆け込んだ。
 とにかくシラを切り通すしかない。シンジは深呼吸をし、紅茶を一口飲んだ。むせた。
 着替えたレイが出てくる。頬が赤い。

「早く行きましょう」

 声が上ずっている。
 レイはシンジの手を引っ張って玄関に急ぐ。焦っているレイを見て、シンジは逆に冷静
になった。

「綾波、待って」
「急がないと――」

 そう言って振り向いたレイの肩を抱き、その口唇をシンジの口唇がふさいだ。
 驚きに見開かれていた瞳がゆっくりと閉じてゆく。
 口づけたままシンジの手がダウンの下に滑り込む。身体が熱くなり、レイは立っている
のが精一杯になった。

「落ち着いた?」
「どきどきして、だめ」
「でも、あったかくなっただろ?」
「……ばか」

 二人は笑顔を交わし、もう一度短いキスをした。

「さ、行こう。みんな待ってるよ」
「うん」

 シンジはレイの手を取り、部屋の明かりを消した。

end

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