< お花見企画: K01−B Side >

2016年の現在、 第三新東京都市に季節としての "春" は来ない。
もちろん、暦の上では春は存在する。だが、それはもはやただの記号となってしまった。
古来より、かつて日本人が愛した "春" という季節を彼らは失ってしまった――セカンドインパクトによって。
春がもたらしてくれる風の暖かさ、花の香り、期待感、――そういったものは人々の記憶のみのものとなりつつある。
そして、セカンドインパクト以降生まれた子供達、――彼らは "春" というものを知らない。


「 サクハナ 」


碇シンジと綾波レイは、日がとっぷりくれた公園の中にいた。二人がここにいるのはデート、ではない。
ただ、幾つかの偶然が重なっただけ――起動実験があり、アスカだけ実験が長引いた。帰る途中でシンジがトイレに行きたくなった。 近くにこの公園があった。そして用を足したシンジに、珍しくレイが少し休んで行こうと声をかけた。
だから、すべて偶然である。――最後の、レイの誘い以外は。
並んでベンチに座る二人は、傍から見るとあまり親しそうには見えない。二人の間には人が2人分座るにはやや狭い間隔が空いている。
一方は緊張状態、もう一方は無関心といった風情。因みに、休もうと言ったのは無関心な方である。
一方の緊張している方は、隣の少女をチラチラ盗み見ながら、話しかけるきっかけを探っていた。
「あ、綾波、どうかしたの?・・・・ひょっとして、疲れちゃったの?」
「別に。」
そこで会話は途切れる。
(・・・・・じゃあ、どうして 『休もう』 なんて言ったんだろ?)
少女の真意を計りかねる。彼女はさっきから前をまっすぐ見たまま、こちらに顔を向けず、話そうともしない。
(ひょっとして、何かすぐ家に帰りたくない事情でもあるとか・・・・?)
だが、彼女は一人暮らしであり、だれかに気兼ねする必要もない筈だ。
もともとシンジは人付き合いはうまくない。相手が女の子なら尚更だ。こんな時どうすればいいのか、さっぱり解らない。
だから、そうやって彼女の行動の意図をあれこれ考える事で、この状況を回避しようとしていた。

レイの視線は、群れるように並んでいる木々に注がれている。
かつては、この公園は桜の名所として有名であった。
だが、 季節としての "春" を失い、その象徴ともいえる桜の花が咲かなくなってから15年以上も経つ。
シンジもレイも生まれてこの方、本物の桜の花を見た事がない。
だから、彼女が仮にその木が桜だという事を知ってても、満開に咲き誇る花は見たことない筈だった。
だがレイは、なぜか目の前で葉っぱをさらさら揺らしている木々に、花の幻影を見たような気がした。
レイはすっと立ち上がると、迷いの無い足取りで桜の木に近づいていった。

「あ、綾波、どうしたの?」
いきなり立ち上がって歩き出すレイに驚き、声を掛ける。
しかし、レイにはその声が聞こえないのか、まるで何かに魅入られたように歩いていく。
その様子にすこし躊躇したが、シンジも慌ててその後を追う。
レイは公園の中心にあるひときわ大きな桜の木の下で立ち止まり、風に揺れる枝を見つめていた。
後から追ってきたシンジが同じように上を見たが、何もない。
「・・・・何かあるの?」
訝しそうに聞くシンジ。
「この木、咲きたがっている。」
「・・・・・え?」
「ここにある桜たちが花を咲かせたい・・・そう言っているわ。」
レイが何を言っているのかわからない。何と答えればいいのだろう?
「あ、桜の木なんだ?これ。」
とりあえず無難に相槌を打つ。
「たしかに今は、桜の花は咲かないよね。」
シンジが知っている桜の花は映像の中だけである。
「見てみたい気もするけど・・・・もう、無理なんじゃないかな?この国では。」
「もう・・・・・駄目なのね。」
木を見上げたままレイが寂しげに応える。彼女の紅の瞳が揺れ、神秘的な光を放つ。
シンジには、レイがこの世に在らざる何かを見つめているように思えた。
「こんなに、咲きたがっているのに・・・・。」
そう呟いたレイの消えそうな声が切なく、出来ればシンジは何とかしてあげたいと思う。
が、現実に何か出来るわけではない。
「そ、その・・・・諦めるのは早いんじゃないかな?ひょっとしたら、また気候が変わるかもしれないし・・・・。」
自分で言ってシンジは馬鹿馬鹿しいと思った。気候が変わる?どうやって?
それ以上言葉を続けることが出来なくて、シンジは目を伏せた。なぜか無力感に囚われる。

「あ・・・・。」
何かに気付いたようなレイの声に、シンジは顔をあげた。
レイは桜の幹を見ている。
シンジが後ろから覗くと、誰かがいたずらしたのだろう。相合傘が見えた。 『ヨウスケ|クミコ』 と名前が彫ってある。
「何・・・これ?」
不思議そうにレイが呟く。
「何って・・・相合傘だよ。」
「何なの、それ?」
思わずシンジは考え込んだ。レイがこういう事に疎いのは今に始まった事ではないが、何と説明すればいいだろう?
「え〜とね、こうやって傘の図を描いて、好きな人の名前を入れるんだ。」
「・・・・それって、何の意味があるの?」
たしかに誰かの事を想ったり、誰かをからかったりする時に使うが、何の意味があるのかと問われると、良くわからない。
「う〜ん、意味、と言われても・・・・。何て言ったらいいんだろう?好きな人と仲良くなりたい、と思ったときに描くとか・・・・。」
「おまじない・・・・みたいなもの?」
「あ、うん、そうだね・・・・そうかもしれない。」
的確ではないかもしれないが、大きく外れてもいないだろう。
「そう・・・・おまじない、なのね。」
そう呟いてレイは手を伸ばし、指でそっと彫り跡をなぞる。
「でも・・・・この木、まだ生きているのに傷つけられて・・・・・可哀そう。」
めったに感情を表さないレイが 『可哀そう』 と言った事にシンジは驚く。
(綾波、ひょっとして・・・・植物の気持ちがわかるのかな?)
埒もない考えだが、この幻想的な少女ならそれも有り得る気がした。
「優しいよね、綾波って。」
「優しい?・・・・・私が?」
不思議そうな目でシンジを見る。
「うん、木の心が判るのは、綾波の心がとっても優しいからだよ。きっと。」
ココロ・・・・優しい・・・・・ワタシ・・・・?
「そんなこと・・・・・無い。」
普段よりさらに素っ気無い声で、レイはぷいと顔を背けた。
「あ、ゴメン。別に変なことを言ったつもりじゃないんだ。」
怒らせたかな、と思ったシンジが謝る。
辺りが暗いのとレイが向こうを向いてたので、彼女の頬が少し赤くなっているのには気付かなかった。
「碇くん、そろそろ行きましょう。」
レイが視線を合わさずに言う。
「あ・・・・うん。綾波、その・・・・怒っている?」
恐る恐るシンジが問う。
「怒る?私が・・・どうして?」
「あ、いや、何でもない。だったらいいんだ。」
問いかけるようにこちらを見るレイはいつもと変わらない。内心ホッと溜め息をつく。
(でも、結局、なんで綾波はここで時間を潰したんだろう?)
自分と一緒に居たいから、などという可能性は全く思い浮かばない。まあ、普段の彼女の態度から感じ取るのも難しいが。
(・・・まあいいか。いつもと違う綾波がみれて、何か得した気分だし。)
何故か嬉しさが込み上げてきて、明るくレイに声をかけた。
「綾波、あの、この桜さ、きっと咲くんじゃないかな。」
「どうして?」
「そ、その、根拠は無いけど・・・・でも、そんな気がするんだ。」
レイはしばらくシンジを見つめていたが、フッとその視線が柔らかくなった。
「・・・・・そうね。」
そう言うと、レイは少し微笑んだ。綺麗な笑みだった。


2017年 4月。あれからわずか一年足らずの間に、人類は壮絶な戦いを経験していた。
使徒を殲滅し、来たるべきサードインパクトの恐怖は回避された。世界には再び、平和な時間が戻った。
天地創造の物語に匹敵するような一大叙情詩は、人間達の勝利という結果で幕を下ろした。
その立役者となったチルドレン達、そしてNERVの面々は、以前シンジとレイが立ち寄った公園に来ていた。

「ほらーーーっ!ミサト、バカシンジ、早く来なさいって!」
「アスカぁ、そんなに急がなくても、桜は逃げないわよ。 」
苦笑しながらミサトは返事をする。
「何いってんの!早く行かないと良い場所とられるわよ。」
「大丈夫よ。日向くんたちが場所取りしてくれてるから。」
「ミサト、あなた・・・・そんな事のために日向くんを早退させたの?」
公私混同もいいところだわ・・・・リツコが溜め息をつく。
「ま、いーじゃん。もう使徒もこないんだし。」
「あのねえ、そんな事言ってるんじゃないのよ、私は。」
「先輩、大丈夫ですよ。マコトくんたちも結構張り切って行ったみたいですから。」
「マヤ、あなたもねぇ・・・・・。」
リツコの溜め息が更に深くなる。
「なーーに暗い顔してんのよ、リツコッたら!このプワァーッ!と咲いた花を見て、少しは癒されなさい。」
「・・・・・パァーッと満開なのは、アナタの頭のほうでしょ。」
対照的な雰囲気の親友同士を尻目に、アスカはどんどん先へ走っていく。
「ま、まちなよアスカぁ!日向さん達がどこにいるかわかんないだろ。」
シンジがアスカを呼び止めようとした時、遠くの方でおぉーい、という声が聞こえた。
「みんなぁ、こっちこっち!」
いち早く場所を確保していた日向と青葉が手をふっている。
「二人ともご苦労様・・・・・まったく、バカな上司を持つと苦労するわね。」
「あ〜によぉ!いっつもこんな事やらせてるわけじゃないわよ。」
嫌味を言うリツコに日向はアハハッと笑いかける。
「大丈夫ですよ、赤木博士。こういう事なら喜んでやりますから。」
「・・・・はぁっ、あなたも染まってきたわねぇ。」
「まったくもうっ!さっきから溜め息ばっかり。・・・リツコ、そんな顔してると、幸せ全部逃げちゃうわよ。」
ミサトはそう言って腰を下ろすと、満開の桜を見上げた。夕焼けで花びらが朱に染まっている。
「う〜ん、綺麗・・・・。日向くん、いい位置とったわね。」
「あははっ、そりゃどうも。この公園の中で一番立派な木でしたから。」
日向が嬉しそうに笑う。シンジはその木に見覚えがあった。

「おーいっ。ここに居たのか。」
「あ、加持さーーーんっ!」
嬉しそうにアスカが加持に向かって手を振る。加持の後ろ、少し離れて綾波レイも歩いてきた。
「もう、遅いじゃないですかぁ。」
「ああ、ちょっとレイちゃんを迎えにいったついでに、買ってきたんだ。」
そう言って加持は手に持ったビニール袋を下ろした。
「どうせ葛城が飲むんだ。それだけの酒じゃあ心もとないかな、と思ってね。」
それだけ、というが既に九人で宴会するには十分過ぎるほどの量はある。しかもうち三人は未成年なのだ。
「へぇ、アンタにしては珍しく気が利いてるじゃない。」
「あのなあ、お前もうちょっと、感謝の言葉ってのを言えないのか。」
「あーっムリムリ。ミサトにそんな素直な心があるわけないじゃん。」
「・・・ふーん、アスカにそんな事が言えて?アンタ、一度でもシンちゃんに御礼言ったことがあったかしら?」
「な!なんでワタシが、バカシンジなんかに感謝しなきゃいけないわけ?」
チラリ、アスカがシンジを盗み見る。
シンジはまったく気付かずに、遅れてきたレイにジュースを注いであげていた。
「ありがとう。」
レイがシンジに御札を言うと、シンジもどういたしましてと微笑む。
(ぬ〜っ、ファーストッ!なんでアンタがシンジの隣に座っているのよ・・・・・。)
アスカの目が険しくなる。そんな三人の姿を見ていたミサトがふふんっ、と笑う。
「でへへぇ〜。あ〜ゆう素直な子がシンちゃんも好いわよねぇ〜。」
ウリウリッとアスカのほっぺをグリグリする。
アスカはぷうっと膨れているが、加持の手前、大人しくしている。
(やれやれ、いつまでも成長せんな・・・・この二人は。)
加持はそんな二人を呆れたように眺め、ついでシンジとレイを優しい目で見た。
(・・・・以前よりだいぶ自然に話せるようになったな。シンジ君も吹っ切れたのかな?)
その二人は食べ物をつまみながら、時々桜の花を見上げていた。
シンジがぼうっと桜を見ながら、ポツリと呟いた。
「綾波・・・・この桜の木の事、憶えている?」
「なに・・・・?」
レイは桜の花を真剣な面持ちで見上げたが、やがてゆっくりと首を振った。
「ご免なさい、わからない・・・・・。この木が、どうかしたの?」
「いや・・・・その、何でもないんだ。」
シンジはそう言ってごまかす。
(やっぱり・・・・・。あの時の綾波とは違うんだ・・・・・。)
わかっていた筈だった。あの時、一緒に公園にいたレイとは違う事を。今のレイが三人目だという事を。
あの時、桜の木を思い遣っていた優しい少女は死んだのだと。
(でも、今の綾波も間違いなく綾波なんだ。僕はあの時、すべてを知ったはずじゃないか・・・・。)
そう納得しようと思ったが、心のどこかで引っ掛かりを感じている。
どこかで、あの時の彼女と今の彼女を比べようとしている。
「碇くん・・・・・?」
その声にハッとすると、レイの瞳と目が合った。
「ご免。何でもない・・・・・本当に、何でもないんだ・・・・・。」
そう言って目を逸らしたシンジを、レイは心配そうに見つめていた。


宴もたけなわの頃、シンジは少し夜風に当たってきますと言ってみんなの元を離れた。
少しお酒を飲まされたので体が熱いのは事実だが、本当は一人になりたかったのだ。
ふらふらと歩きながら、あの時座ったベンチを探す。
ベンチを見つけ出すと、腰をおろし、あの時の少女がそうしたように、桜の木を見る。
ライトアップされた桜の花がユラユラと光に照らされ、まるで生き物のようだ。ふと妙な感覚に襲われる。
数千本の桜の木が満開の花を咲かせ、この世の春を謳歌している。まるで群体をなす使徒・・・・・。
――――この木、咲きたがっている――――
セカンドインパクトで ”春” を失ってからも、あの桜たちは希望を捨てていなかったのだろうか。
また花を咲かせる、ただそれだけを夢見て・・・・。
(僕は・・・・僕は、何を夢見ていたんだろう・・・・・。)
それは少年だけが知っている事実―――少年と、一人の少女だけが知っている現実。
アナタノノゾミヲカナエテアゲル・・・・・。
アナタノノゾミヲ・・・・・。
(僕は・・・・何を望んでいたのだろう・・・・・。)
僕が望んだのは、誰も傷つかない世界?誰も僕を傷つけない世界?
それとも、寂しくない世界?みんなが居て、僕独りじゃない世界?
今は、優しい人たちがいる。守ってくれる人たちがいる。たぶん・・・・守ってあげたい人もいる。
それなのに、僕は今傷ついている?寂しいと感じている?
(僕は・・・・・。)

「碇くん・・・・・。」
その声にハッと顔を上げると、紅い瞳がまっすぐ自分を見ていた。
「・・・・座っても、いい?」
「・・・・どうぞ。」
シンジが促すと、レイは少し遠慮するようにベンチに腰を下ろした。
彼との間に、2人分座るには少し足りない空間を空けて。
「何を・・・・・考えていたの?」
ためらいがちにレイが尋ねる。いつかとは逆の展開だな、と思う余裕はシンジには無い。
「・・・・あの時。」
「え?」
「サードインパクトのあったあの時、君は僕の望みを叶えてくれるって言った。」
そう。実際には、サードインパクトは起こった。
この世界のすべては、無に還る。その筈だった。
それを変えたのは、一人の少年の希望。
希望を叶えたのは、一人の少女の力。
少年は望んだ―――この世界を。みんながいるこの世界を。
だが、今、その心は揺らいでいる。
「けど・・・・なんで僕がこれを望んだのか、わからないんだ。」
レイは驚いたようにシンジを見つめる。
「この世界は、貴方の望みじゃないの?」
「ううん・・・・・みんな生きていてくれる。それは、嬉しい。」
沢山死んだ。あの時は。
沢山の大切なものを失った。
でも、レイのお蔭で取り戻せた。
すべてを取り戻す事が出来た。・・・・そう思っていた。
「でも、でもすべてが元通りじゃ―――ないんだ。」
気付いてしまった。
「それは・・・・・・私の事?」
震える声でレイが問う。
「・・・・・・ごめん。」
自分の言った言葉を悔やみながらも、レイから顔を背ける。
気付いてしまった―――なぜこの世界に四季が戻ってきたのか。
なぜ、今、桜が咲いているのか。
あの公園で、シンジはレイに桜を見せてあげたいと思った。
花を咲かせられない木を悲しんでいた少女―――その少女に、見せたいと望んだ。
だから、この世界に再び四季が甦ったのである。
だが、それを見る筈だった少女は―――厳密に言えば、いないのだ。
「・・・・・・本当に、ごめん。綾波は、綾波なのに・・・・・・。」
シンジの声が震える。だが、泣けない。泣いたら隣にいる少女はどうなる?
ただ一途に、自分のことだけを想ってくれる少女の気持ちはどうなる?
だから、込み上げて来る感情を押し殺し、殲滅する。自分のすべての力を振り絞って。
そんなシンジを、レイはただ見つめることしか出来ない。
一ミリたりとも動けない。何故か、触れる事は許されないように思える。
自分とシンジが座っている間の空間に、もう一人、誰かが座っている気がする。
その誰かは、今の自分では無い。
その空間は、果てしなく、遠い。


やがて、シンジが迷いを振り切るように立ち上がった。
「・・・・・ごめん、もう大丈夫だから。」
しかし、顔はレイの方を向いていない。僅かの間を空けて、シンジが振り返った。少し微笑んでいた。
「結構、長くなっちゃったね。・・・・いこう、みんなの所へ。」
シンジがレイにすっと手を伸ばす。ほんの少し、レイの肩が震える。彼の手に触れる事をためらう。
(私は、彼の重荷になっているだけなのかもしれない・・・・。)
何も出来なかった。声をかけることすら、彼に触れることすら・・・・。
おずおずとシンジの手につかまり、ゆっくりと立ち上がる。
(でも、私には碇くんしかいないから・・・・。)
自分がここにいる理由、それは彼がここにいるから。
(だから、せめて、今の私に出来る事・・・・。)
シンジに手を引っ張られるように歩いてたレイが、突然立ち止まる。
「・・・・綾波?」
怪訝そうに振り返ったシンジの手を握ったまま、桜の木の下へ引っ張っていく。
「どうしたの?」
「手を・・・貸して欲しいの。」
レイはそっとシンジの右手を両手で重ね、シンジの人差し指を桜の幹へ近づける。
レイが手を動かすと、シンジの指が木の表皮をなぞる。一筆書きの要領でさんかくを描いたまま下へ伸ばす。
更にさんかくの傘のしたに名前を描く。

左に 『シンジ』
右に 『レイ』

「・・・・おまじない。」
シンジは驚愕してレイを見つめる。レイは少し恥ずかしそうに俯いている。
「こうすれば、傷・・・つかないから・・・・。」
桜の木の事を言ってるのだろうか?
シンジの心を言ってるのだろうか?
レイの心を傷付けてしまったのか?
(なんて・・・・・なんて馬鹿なんだ・・・・・僕は!)
怒りなのか、恥ずかしさなのか、後悔なのか、自分の体中の細胞が震えている。
「碇くん・・・・。」
不安そうに声をかけたレイを抱き寄せた。
「大丈夫・・・・・。」
何が大丈夫なのか、自分でもわからない。
だが、今自分の腕の中にいる少女。この温もりがあれば、大丈夫。・・・・・きっと。
レイはシンジの背中に両腕を回している。
自分は必要としている。必要とされている。それが、嬉しい。
抱き合う二人を包むように、サァーッと風が吹き、桜吹雪が舞った。

しばらくして、シンジは体を離した。
「綾波、手を貸して・・・・。」
レイの右手を、今度はシンジが両手で重ねる。
レイの人差し指で、相合傘を描く。ゆっくりと、心も重ね合わせて。
「うまく、描けたかな・・・・?」
照れ隠しにシンジが言う。レイはずっと、シンジの瞳を見ている。
「大丈夫。見ることは出来ないけど、想いは消えないから・・・・。」
「うん。・・・・そうだね。」
レイの言葉に心から頷く。想いは、心は、ここにある。

「綾波、ありがとう。・・・・・僕にこの世界を与えてくれて。」


一つの物語が終わった。
でも二人にとってはこれから。
桜の舞い落ちるこの世界からが、二人の始まりの物語・・・・。


< 了 >



< 後書き >

と、いうわけで救いのある話も書いたのですが・・・・あんまり明るくないかな、これ?ネタを考えるとき、掲示板に「暗い話が多い」
とカキコがあったので、もうちょっとラブラブかつハジけた話にしたかったのですが、たかが知れた自分の力量では無理でした。
お花見企画がなければこの二作は生まれませんでしたし、もっと言えば掲示板を見なければこの話は生まれてきませんでした。
そういう意味では皆様に感謝です。
お目汚しをしましたが、また機会があれば参加させて頂きたいと思います。

* おまけ * 最後に、シンジはどこに相合傘を描いたのでしょうか・・・って、もう判りますよね。^^)



ぜひあなたの感想を


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