真っ暗だった。

 なにも見えなかった。

 光に満たされていく世界だった。

 なにか見えるはずがなかった。



花言葉
                               Written By NONO





 目標、完全にロスト。


 使徒、殲滅。


 殲滅。


 まったく愚かな、夢見た少年。















 ごぽん。
 そんな音が聞こえるほど深い深い底の見えない海の中に沈んでいた。
 意識、そして心は岩陰に隠れていた。

 外の世界がまぶしすぎる、といわんばかりの深い眠り。そうだよ、僕はもう疲れたんだ。
 自分で自分に言い聞かせてみる。そういう行動が、己の意識が既に相当浅くなってきていることに気づかせる。自分が眠っていることを意識している瞬間。それは呆れるほど早く、なんとなく、失恋ににているな、と思った。



 目を開けた。





 世界が、そこには確かに存在した。





                         ◆





 意識がはっきりした数分後には医者がやってきた。いやになるほど迅速な対応。ネルフの病院に似た感じだが、部屋のつくりはもっとお粗末だ。ただ、病院独特の消毒液の匂いだけはなにもかわらずに漂っている。
「気分はどうですか?」
 ひと目で疲弊しきっている様子が見て取れる医者にそんなことを言われても、それをそのまま言い返したくなるだけだ。碇シンジはまだぼやけた頭でそんなことを考えながら、頷いた。「大丈夫です」

「それはよかった。君はずっと眠りつづけていたんだよ」
「どれくらい、ですか」
 今の医者の言葉を聞けば誰もが訊ねることを、シンジもまた訊ねた。それなのに、医者はあろうことか首をかしげて、「よくわからない」という答えを口にした。
「よくわからないって」
「君は、地球がどうなったか、自覚しているか?一番わかっているかもしれないし、何もわかっていないかもしれないが」
 質問に質問で返され、わずかに戸惑った。しかし、それが答えであることがわかった。


「…」
 そうか、そういうことか。
 気を失うまでずっと眺めていた赤い海。傍らには怪我をした女の子がいて、世界には自分たち二人しかいないのか、と思えるほど淋しいだけの世界だった。
 そうだ、あれからどうなったんだろう?

「大体のことは、わかります」
「なら話が早い。つまり、君がいつごろ気絶したか、正確な時間を計る手段は存在しない。かくいう私も「戻って」来てからまだひと月程度しかたっていない身だ。ようやく事情を理解して、働きはじめている」
「…今日は、何月何日かわかりますか」
 確か、戦自がネルフに攻め入ったあの日は一月の十日ごろだったはずだ。
「今日は三月十日だ。春の陽射しが射しているだろう?」
 春の陽射し?
「…ここは、どこですか?」
「ネルフの関連施設の病院。ジオフロントはそっくりそのままなくなってしまっているが、そこにいた人々は帰ってきている」






 まったく周囲の飲み込めないぼくにも、ようやくあのあと何が起こり、自分が眠っている間に世界はどこまで回復したのかを知った。
 早速宗教団体はあの日を「審判の日」として一度人類は滅び、神の意志によって再び帰ることが出来たのだとか、宇宙が動き出しただのと、瞬く間に新興宗教が流布し、一部を除いてはそういった宗教や軍部のリーダーなどが台頭して国を作りはじめている。
 つまりはセカンドインパクトの繰り返し。



                         ◆



「まさに奇跡、ってやつだったのかな、アレは」
 目が醒めたときとは違う医者が訪ねてきた。三十台半ばの、背の高い、細い目をした男だった。あまり表情を変えず、事務的に物事を進めていくため、あまり来てほしいとは思えないタイプだった。
 その彼が、ある日、カーテンを開けて光を取り入れながら喋りだした。自分から業務以外のことで口を開くのはそれがはじめてだ。
「だとしたら、セカンドインパクトと合わせて、二回もそんなもんを見たことになる。まったく、一体なんだっていうんだ?」
 彼はこの状況に、情勢に悪態をついているのか。それとも「僕」に対しての言葉なのか、よくわからなかった。ただぼくは、そうですね、と薄笑いを浮かべてあしらった。

 自分の整理も出来ていないのに、他人の愚痴に考え込む余裕はなかった。こっちだって大変なんだ。色々ありすぎて。

「なんなんでしょうかね」
 苦笑いを浮かべて適当に答える僕を、軽蔑するだろうか。肉親がまだ戻ってきてなかったりするんだろうか。
 でも、それはむこうの都合だ。僕がどうこうできることじゃない。
 大体、ぼくだって、失ったんだ。失ってるんだ。



「妹夫婦が、戻ってきてないんだ」
「知り合いはほとんど戻ってきているのに」

 それはきっと、その人たちが満足しきっているからだ。
 人と人が完全に理解しあえてしまう世界。苦労してた夫婦なのかどうかは知らない。ぼくは今まで生きてきて、人と解りあえたような時がまったくなかったと思う。だからこそ解りあえるよう努力したくて、世界の復帰を頼んだ。そして、彼女と彼を失った。

 だから、まだ帰ってきてない人というのは、今まで相当心に負担があった人たちなんじゃないか。だから、ミサトさんもリツコさんも帰ってきてないんじゃないか。

 どちらの選択が正しいかなんて、僕にわかるはずもない。ただ、ぼくは戻ってくることを選んだだけだ。そして、人々の多くは補完計画の「結果」を拒絶した。満足しかない世界を嫌った。たぶんそういうことなんだろう。
 帰ってきてない人たちも、きっと幸せですよ、と言ったらこの人はどんな反応をするだろう。案外頷いてくれるかもしれない。一度は溶けたんだから、あの気持ちを否定することはできないと思う。安らいだのは、確かだから。






 半月がたった。





 この日、ようやくネルフの人たちと面会することができた。窓越しなんかじゃなくてちゃんと握手することができた。青葉さん、日向さんの二人だけだったけど。
「マヤちゃんも、ちゃんと戻ってきてるんだけど、なにせ忙しくてね。「マギ」の管理責任者に任命されちまったもんだから」
 とのことだった。正直、ホッとした。たとえあの状態が安らぎを与えようと、会える会えないの問題とは別の話だ。

「あの…アスカは」
 身の回りの世話をしてくれる国連の人たちも、これだけは教えてくれなかった。機密事項だとも言わず、ただ、言えないの一点張り。それが不安をかき立ててやまない。
 もし、会えたとしてもボロボロに罵られるだけなんだろうけど。でも、生きてなきゃそんなことも体験できない。LCLのままというのはぼくにはかえってキツすぎる。
「入院中。君以上に衰弱が激しくてね。怪我もしていたし…」
「しかし…一番頑張ったはずのチルドレンが、どうして怪我をしていなきゃならないんだろうな」
 青葉さんが心底悔しそうに言う。それが偽りでないだけでも充分、ここに帰ってきた意味を味わうことができる。









 僕は、結局なにもできなかった。
 戦って勝つことも、守ってあげることも、止めることもできなかった。
 他人の都合に振り回されつづけ、それから僕を好きになってくれた人に守ってもらい、結果、残ったものは「生きている」という事実だけ。









 これから、僕はどうしていけばいい。











 その気になればこの世界に戻ることもできたかもしれないのに、あの二人は――綾波とカヲル君はいってしまった。
 決して、誰にも届かないところへ。

 生きて、死ぬという流れの外へ。

 死んでしまったわけでもなく、かといって生きてもいない。

 完全な平衡状態の世界へ。
 なにも生むことのない世界へ。



 世界は比較的大人しく再生しようとしている。
 しかし、宗教間の対立はこれから先当然あるだろうし、出来上がった国同士の諍いも生じるだろう。二人が残してくれたこの世界で、こりもせず、争いつづけようとしている。飽きもしないで、ずっと争いつづける。


「何も得ていない」


 ただ、被害があっただけ。
 人の心は変われるはずなのに。それがどれほど大切か、溶け合ったときのことを忘れてしまったのだろうか。
 解りあおうとすることに意味があるからって、争っていいはずがないのに。






 面会の日から、何日かすぎた。
 ぼくはもう退院して、今は国連が用意した部屋で暮らしている。
 気分の晴れない日々なのに、一人暮らしを楽しんだりして、自分が意外に呑気だということを知った。開き直ってるだけかもしれないけど。

 午前十一時。なにもすることがない午前。明日の予定も昨日の予定もない。こんなに休みつづけてるのは悪いような気がする。今までが中学生にしては忙しすぎたとは言え。
 僕の好きな1960年代の洋楽をかけて、あとはぼーっとしているだけだ。


 生きている、というだけで自由と言えるなら、それだけでいられた。


 でも、誰もが浮かれて解りあったつもりなら、あのまま誰も帰ってこなかった。



 みんな、何を望んでいる?


 この世界に帰ってきておきながら、どうしてまた争いが起こることが目に見えてしまうんだろうか。

 綾波レイと渚カヲルが守ってくれた世界は、本当になにも変わってないというのだろうか。


 エアコンをつける必要は感じなかった。サードインパクト(公式ではどう呼んでるのか知らないけど、僕はあれをそう呼んでいる)の影響だろうか、あのべったりした真夏の気候ではなかった。
 こうなると、植物なんて全部枯れてしまうんじゃないか、と考えたけど、なにせ「僕が望んだ世界」の具現化だ。そういうことにはなってない。きっと街路樹もこの天候に合わせたものになっているんだろう。
 この世界を維持することを望んだくせに、どうなったかはまるで知らないなんて、まったく僕は小さすぎる存在だ。小さくありたい、と望んだのもまた僕だから文句を言っているんじゃない。
 小さい、ということに皆気づくべきだ。
 小さいと自覚しているくせに、「大きくなれる」と思い込む人があまりに多すぎる。「大きくなりたい」と夢見るのは自由だ。その結果、いつかそうなってるかもしれない。でも、なれると思った人間が権力者だといけない。
 その望みはいつか「人より大きくなりたい」と願うようになって、相対的に物事を判断し始める。


 他人なんて、関係ないのに。











 一分一秒をやけに長く感じるのは、やることのない休日の特徴だ。そのくせ、気がついたら時間がたっていたりするのは、あまりいい気分じゃない。

「今日もまた、なにもしてないや」
 それに気づいてあきれて、でも、休日だからとそれを許してしまう。






 僕はこんなことがしたかったんだろうか。ただ何もしなくていい日になにもしないですごしていたかったのだろうか。
 あれだけのことがあって、たくさんのものを失って、それでも変われないというなら、僕がこの世界にいたいと思ったのは間違いだったんだろうか。


「綾波が戻した世界を、カヲル君が支えてる」



 あの時の二人のセリフから推察できた。










『なにを願うの』




『僕は…』






『まだ、あの世界にいたいんだ』





『つらいことが一杯あるのに?』

 綾波は責めるような口調ではなかったが、強い言い方だった。




 カヲル君は彼女の隣に立ち、ただ微笑んでいるだけで、喋ろうとする気配も見せない。




『こうしていたほうがずっとラクだってことは、わかってる』

『でも、僕はまだちっとも前に進めてないんだ。進むのをあきらめて現在位置が酷く不安定だってことを知ってても動かないでいて…』




『だから、だから今度こそ自分から歩き出さないと…』






 綾波は、淋しそうな顔を見せた。


 それから、笑ってくれた。






 はじめて、僕に向かって笑ってくれた気がする。





 それからゆっくり歩み寄って、彼女は僕に体重を預けた。




 温かさに、涙が出る。ぼくは力を込めて彼女を抱きしめる。






 最初で最後の触れ合いだと知ったのは、世界が再生を始めてからだった。






 あまりに、遅すぎた。











 夜になった。昼食もロクにとらずに日が暮れる。
 夜になる時間も以前よりずっと早かった。6時にはもう暗くなって、夜になっていた。

 二人は一体、なにをしたんだろう。
 天候に影響が出るような何か。


 再度考え込もうとする僕を、胃袋が悲鳴を上げて止めた。そろそろ休もう、と訴える声に僕はあっさりと屈して、夕食のために外に出た。
 外食は戻ってきてからけっこうしているけど、同じ店を往復するだけだったから、今日は散歩も兼ねることにした。



 食料不足がモロに影響して開いている店が少ない。
 国が運んでくる食料だけで生活する人もいる。そんな中でもちゃんと回転しているところもあるのが不思議だったけど、まあ、食事させてくれるならそれ以上の理由はいらない。簡単にめん類で済ませ、街を散策することにした。

 第三新東京市のようなあからさまな人工的な香りはなかった。内陸部の都市だからセカンドインパクト以後に栄えた街で、第三新東京市からは百キロ程度しか離れていない。今では日本でも十本の指に入る都市でも、活気はない。当然だろう。あんなことがあったら誰だってぼう然とする。ましてや理由もわからずいきなり「溶け合って」しまったんだから、街が活気を取り戻すには、まだ時間がかかりそうだった。


 俯いたまま外に出て、そして家に戻っていく人々。
 家族でありながらよそよそしい態度。






 これが僕の望んだ世界か。




 これが、二人が再生した世界か。




 いいことなんて、一つでもあったのか。



 わかりあえてしまったことに戸惑って、そのせいでわかりあえなくなるなんて。





 こんな世界、嫌ならどうして戻ってきたんだ。






 いつの間にか、僕も行き交う人々と同じように地面ばかり見ていた。いや、最初から下を向いていたのかもしれない、僕という人間は。
 街中の小さな公園を素通りしようとしたとき、そこに何人かがたむろしているのが目に入って、立ち止まらずに横目で見た。
 子供はいない。
 ただ、十人以上の大人――それも三十過ぎから七十歳を優に超えると思える老人が、一塊になって座りこんでいた。夜の公園で大の大人が…なにを…。


 ぼくは立ち止まって、観察してみると、みんな揃ってなにかに見入っていることに気づいた。箱庭のような公園に不釣り合いな木が一本そっちにある。それがどうかしたのか。つられてその木を見上げた。







 あれは、









「あなたもですか」
 後ろからいきなり声をかけられても、僕は平生を取り戻せなかった。
「あっちでどうですか。みんな集まっているみたいですし」
 声は明らかに老人の声だった。ぼくは動揺を隠せないまま、振り返る。



「おや、まだ若い。じゃあ、はじめてでしょう、見るのは」
 老人はにっかりと悪戯小僧のような笑みを浮かべて手に下げているビニール袋を揺すってみせた。


「やっぱり花見にはこれが欠かせませんからね。一週間かけて、ようやく一升手に入れることができてね。昔は夜桜なんてロクにした覚えがないけど、まさかできるようになるとは思えなくてね。まったく、なにがどういう奇跡か知らないけど、ありがたいもんだよ。……どうかしましたか」
 ぼくはおじいさんの言葉を最後まで聞いて、膝を折った。とても立っていられなかった。溢れた涙と暗闇のせいで、おじいさんの顔も不確かになった。







 だって………







 あれは。









 今の日本には咲くはずがないんだ。






 奇跡でも、起こらない限り。













「奇跡が…」









 二人がおこした奇跡が。









 おじいさんはなにも知らないはずなのに、僕の頭を撫でてくれた。

「見事だろう?セカンドインパクトの前は毎年この季節、あの花が咲いて、みんなで酒を飲んだんだ。そんなに感動したかい、あの桜」









 みんながひとつになって、笑みを浮かべて一本の木を見つめていた。




 街中暗い顔をしていたはずなのに。よそよそしかったはずなのに。







 二人が季節まで戻してくれたから、みんなが和んでいる。








「おおい、みんな。この子も入れてやってくれ」
 皆がにこやかに頷いて、手招きしてくれる。


「それと、酒も持ってきたぞ」
 おおおー、と場がざわついて、笑顔がさらに明るくなる。





「さあ、16年ぶりの花見だ!」

「まだ寒いけど、焚き火すればいい」

「いや、懐かしいなあ」







 楽しそうな声が箱庭に響く。




 これが、






















 僕の望んだ世界だ。



























あとがき
疲れました。
ちょっと書いて休んで、また書いて休んでの繰り返し。


一本の桜が心を癒す。
どうでしょう。

いつもぼくはタイトルにこだわるんですが、これって中身と関係ないですね。
花言葉。花が教えてくれること、ってことで御了承ください。


第1弾完成です。どうでしょうか。最近EOE後の話って少ないので書いてます。
けっこう好きなんですよ。やっぱり「その後」が一番気になるわけだから。
とは言え今まで書いて、綾波さんが生きてる話なんてないけど。

とりあえず「花見」です。
エヴァを知ってちょうど七年目になります。
まだこんなことやれるなんて、相当取り憑かれている気がします。ま、いいか。



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