ちればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき、か……。






 暖かな春の風に乗って、どこからかひらひらと桜の花びらが舞い降りてくる。

 今はもうそれに触れることすら適わないというのに、ふとその気に駆られた少年は、何
か大事なものを掴もうとするかのように、それに向かって右手を伸ばしてみた。

 散るからこそ桜は素晴らしい。

 凛と咲くその気高さ、匂いたつような色香、そして見る者の目を釘づけにして離さない
華やかさ。それでいてどこか憂いを秘めていて、一年に一度、けして長いとは言えない時
の中花を咲かせ、そして散っていく桜。

 この花が遥か昔から多くの心を魅きつけて止まなかったのは、人がその中に人生の喜び
と、その裏にある人としての定めを見るからなのかもしれないわね。

 かつての同居人のそんな言葉が脳裏に蘇る。

 少年があの部屋にいた頃から既に十年。

 それは、サードインパクトの余波からようやく世界が立ち直り、日常の中の小さな幸せ
に目を向ける余裕が、人々の中にやっと生まれていた頃のこと。

 四季が戻ってきた日本。千年以上も昔から桜を愛でてきたこの国の人間にとって、春の
風物詩ともいえる花見の復活は、復興に追われる人々の渇いた心に束の間の潤いを与える
ものだった。

 首都機能の置かれている第二東京では、週末に入るのを待っていたかのようなタイミン
グで桜の開花宣言が成されていた。街の中心部から少し離れたところに位置する大きな公
園には、人々の笑い声と楽しそうな顔とどこかから時折上がる歓声が満ち溢れる。普段は
立入りが禁止されている桜並木の芝生内も、この季節にだけは一般へと開放され、人々は
一年に一度だけ訪れるこの機会を逃すまいと、思い思いの場所でそれぞれの時間を過ごす
のだ。

 そんな、春を彩る光景が飽和した公園の片隅。回りの喧騒から少し離れたところに、ポ
ツンと一本だけ立っている桜の木があった。さほど大きな木ではない。その幹の太さは並
木通りに植えられた他の木と比べると一回り以上は小さく、枝の数や、もう満開になって
いる花のボリュームも周りより少し見劣りする。

 そのせいか、その木の下に集う人々の数も限られたものだった。近所に住んでいると思
しき親子連れの四人、彼氏に膝枕をしている若い女性、そして、スカイブルーの大きなビ
ニールシートを敷き、その上で飲み物を片手に談笑する数人の男女。

 いくつかの黒髪、茶色がかった癖っ毛、銀髪、赤毛。はたから見れば少し統一性に欠け
るそのグループは、枝の隙間から差し込む春の光の中、長い間顔を合わせていなかった古
い友人同士の再会を楽しんでいたのだ。

 懐かしい声、その顔に浮かぶ笑顔、蘇る思い出。

 十年という歳月は、長いものだろうか短いものだろうか。時というものが意味を持たな
い今となっては、それはよく分からない。けれど少年にとって、そこに集う面々との再会
は、まるで昔に帰ったかのような感覚と、もう二度とは戻らない時間に対する郷愁の念と
いう二つのものを思い起こさせるものだった。

 かつて同じ時を過ごし、今はそれぞれの道を歩んでいる友。その人生の軌跡が、少年と、
そしてそのすぐ脇に佇む少女のそれと再びすれ違うことはもうない。けれど、過ぎ去った
あの夏の日、二人は確かにあそこにいた。例えどれだけ時間が過ぎたとしても、どこにい
たとしても、その事実は、そしてあの日々の思い出は、変わることなく二人の中に留まり
つづけるのだ。

 頭上から桜の花びらがまた一片舞い降り、二人の目の前に静かに着地する。

 ふと脇に視線を送ると、蒼銀の髪の少女が、そっと木の幹に触れながら優しい視線をか
つての友に向けている。春の日の暖かな木漏れ日を思わせるその表情から、しばしの間視
線が外せないでいると、やがて彼女がそれに気づき微かな微笑みを浮かべた。

 座ろうか。

 目でそう合図した後、少年は少女の手を取り、ゆっくりと歩を進める。

 柔かな光を注ぎつづける太陽は未だ中天に位置したままで、古い友人との語らいを楽し
む時間は、まだ十分にありそうだった。



Reunion -A part-



 そびえたつ高層ビルの隙間からは燃えるような色をした夕日がその顔を窺わせ、地上か
らは望むべくもない地平線へとその姿を消していく。雑踏の中、せわしなく歩みゆく人々
の群れ。その中に紛れこんだアタシは、もう残り少なくなった独身生活の最後の日々を過
ごすために、自らの部屋へと家路を急ぐ。

 サードインパクトが終わって以来、ずっと住み続けたその部屋。全てが終わった後、廃
墟と化した第三東京を離れたアタシは、日本の北端に位置する島で二番目に大きい街へと
移り、新たな生活を始めていた。

 ネルフが組織解体され、その余波が当然ドイツ支部にも及んでいた状況下では、ドイツ
に戻ろうという気にはならなかった。もうあの場所に戻らなければならない理由はなかっ
たし、戻りたいと思わせる積極的なしがらみもアタシにはなかったから。

 もちろん日本に留まるべき理由も何一つなかった。けれど、当時無気力の沼に深くはま
り込んでいたアタシは、何をするのも億劫だというひどく消極的な理由で、日本に留まる
ことを選んだのだ。

 エヴァ量産機との戦闘の影響で身心共にボロボロになっていたアタシは、何をする気に
もならず、何かをしようとする気力を振り絞ることもできなかった。身体の傷が完治して
からも病室のベッドから出ることを頑なに拒否し、ただただ自らの世界に篭りつづける何
もない毎日。当時のアタシは、生きているのではなく、ただ惰性によって生というものに
ぶらさがり続けていただけに過ぎなかった。

 けれど、いつ頃からだったろう。アタシの中の止まりかけた時間がまた少しずつ動き始
め、新たに移った場所で過ごす平凡ながらも穏やかな日々の中、徐々にではあるけれど、
自らの進んでいくべき道というものを前向きに考えることができるようになったのは。

 おそらく、カヲルと初めて顔を合わせたのがその頃だったのだろうと思う。

 だったのだろう、などという言葉を使うのは、アタシ自身当時の記憶がひどくあやふや
になっているせいだ。

 今振り返ってみても、いつ頃からカヲルがアタシの病室に来るようになったのか、どん
な形でアタシがカヲルと話をしだすようになったのか、よく覚えていない。でもそんなも
のかもしれないとも思う。例えそれが十年来の親友だったとしても、その人と始めて交わ
した言葉はなんだったか、どんな過程を経て親しくなっていったのか、振り返ってみれば
よく覚えていないというのはよくあることではないだろうか。ましてやアタシの場合は、
置かれていた状況が状況だったのだから。

 朧げながらも覚えているのは、ふと気がつくと何時の間にかカヲルがアタシのベッドの
脇にいて、大した関心も示そうとしないアタシに対して、今日は天気がいいだとか何だと
かつまらないことを語りかけている、そんな光景だ。

 アタシよりも少し遅れてその街にやってきたらしいアイツは、ほとんど毎日のようにア
タシの病室を訪れた。そして何の反応も示そうとしない魂の抜け殻のようなアタシに対し、
いつも他愛のないことを語りかけては、やがて静かに部屋を出ていくのだった。

 最初はどうでもよかった。それはアイツに限らず、アタシの周りのこと全て、自分自身
ですらどうでもよかった。けれどカヲルの来訪がしばらく続く内に、いつしかアタシは病
室の窓から外を眺めるようになり、その日の天気を気にするようになった。

 今思えばそれが始まりだったのだろう。自らの内に閉じこもっていたアタシも少しずつ
外の世界に対して目覚め始め、自分の周りの事柄にも関心を持てるようになっていったの
だ。

 一旦キッカケができてからは、アタシの立ち直りは早かった。長すぎた病院生活によう
やくピリオドを打ち、自分でアパートを借りて、本当の意味での新しい生活を始める。

 高校に通い出し、部活に所属し、文化祭ではクラスメートと出し物を企画する。それま
で経験したことのない平凡だけど楽しい日々が続く中、アタシの脇には、あのちょっと達
観したような、それでいてどこか寂しげな笑みを浮かべるアイツがいつもいた。

 いつしかアタシは、単なるクラスメートの一人に過ぎなかったはずのアイツと週末の時
間を共に過ごすようになっていた。クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー、互いのバ
ースデー。世間一般の彼氏彼女が過ごすような時間を共有する日々が続き、そして初めて
の出会いから十年が経とうとする頃、アタシたちはお互いを生涯の伴侶として生きていく
ことを決めたのだ。

 実際に結婚というものを経験するまでは、この人生における輝かしい儀式が如何に労苦
を伴うことであるかなど、想像もしなかった。式場の予約、ドレスの選定、招待状の送付、
その他もろもろの手続き、新居への引越しの準備。どれも手間のかかる事柄だけれど、ア
タシにとって特に最後の一つは悩みの種だった。

 長くその場所にいすぎたせいだろうか。これを機会にいらないものは捨ててしまおうと
部屋の中を片端から整理していると、昔大事にしていたものや、もう失くしてしまったと
思っていたものがひょっこりとその姿を表すということがよくあった。そしてそうした品
々が思いもよらず出てくると、ついそれを手にとって眺め、過ぎ去った過去の世界に思い
を馳せてしまうのだ。

 昔、髪が長かった頃に使っていた髪留めのゴム、中学時代の通知表、行けなかった修学
旅行のしおり、そして、いつどこで撮ったのかはもう忘れてしまったけれど、ネルフのみ
んなが一緒に写った写真。

 アタシたちがまだ子供だった頃。自らの内の葛藤に思い悩み、見えない明日を求めて必
死にその手を伸ばし、あがいていた頃。あの時間も、もうずっと遠い昔のことのように思
えた。きっと、過去を振り返って毎日を過ごすには日常はあまりにも忙しなく、また、未
来への道を放棄して、過ぎ去った日々をただ回想して過ごすほどにアタシは年を取ったわ
けではないのだろう。

 過去を振り返るのは、あまり好きではない。その日成すべき仕事をなし、明日の予定を
確認し、数週間後のスケジュールプランを前もって立てる日々。そんな日常の中で、終わ
ったことにばかり注意を払うのは建設的なことではないと思うからだ。

 けれど、そんな考えを持っているくせに、昔の友人を集めて花見をしようなどと言い出
したのはこのアタシだというのだから、我ながら矛盾も甚だしい。

 結婚報告も兼ねて、アタシたちがミサトとマヤのいる第二東京に出向き、その近郊に住
む鈴原、ヒカリ、相田などにも参加を呼びかける。そんなプランを実行するのに全く躊躇
がなかったといえば嘘になる。けれど結局は、かつての友人たちともう一度会いたいとい
う思いが、アタシの迷いよりも大きかったようだ。

 こうした事情がない限り中々みんなで集まることもないだろうから、今回のことはちょ
うどいい機会だろうと思ったというのもある。だがそれ以上にアタシの中では、あの14
才の日々以来ずっと会っていなかったかつての友人、同僚、そうした面々に会って、一つ
の区切りがつけたかったというのが大きかった。

 自分でも自嘲的な笑みが浮かんでしまうのは、もし誰かに、でも一体何の区切りを? 
と問いかけられたとしても、アタシ自身それに対する確たる返答ができなかっただろうと
いうことだ。

 全く、どうしてこんなことを思いついたというのだろう。一部の人間――例えばミサト
や鈴原などがそうだろう――にとっては、当時のことはあまり思い出したくないことであ
る可能性が高いというのに。

 実際、今回の件に関して招待のメールを送ったにもかかわらず、丁重な言葉と共に辞退
を申し出た人もいたのだ。

 赤木博士はその一人だった。

 あれから赤木博士がどういう道を歩んだのか、アタシはよく知らない。昔からの友人で
あるミサトや、ネルフ時代に上司と部下として働いたマヤとは折に触れて連絡を取ってい
るらしいけれど、そのミサトやマヤですら博士の現状はあまり詳しくは知らないらしい。

 確かなのは、赤木博士はミサトとマヤの二人を除いて、かつてのネルフとの絆を一切絶
ち切ってしまったこと。そして今は、民間のNGOで恵まれない子供たちに教育の機会を与
える活動をしているということだ。

 アタシたちはあの人に避けられているのだろうか。電話越しに思わず尋ねてしまったア
タシに対し、ミサトは静かな声で諭すように言った。

『あいつもさ、きっと、前を向いて今の自分にできることを精一杯やっているのよ。もし
あいつが今は過去を振り返るのが辛いというのなら、そっとしておいてあげましょう』

 もう、赤木博士とは何年も会っていない。





「いやあ、すまんすまん。すっかり遅れてもうたわ」

 そんな言葉と共にその場に加わったトウジは、ジャージ姿で学校を闊歩していたかつて
のトウジではなかった。短く刈りこまれたその髪型は変わっていなかったし、その顔に浮
かぶ屈託のない笑顔も昔のイメージそのままだ。けれど、シンプルなTシャツに包み込ま
れた肩幅からも見て取れるように、その体つきは男らしいガッチリとしたものに変わって
おり、決して高くはなかった身長も大分伸びていた。そこには、かつての3バカトリオの
少年ではなく、立派な青年へと成長した一人の男性の姿があった。

「もう、おっそいわよ。何やってたのよ?」

 トウジの言葉にいち早く反応して立ちあがったのは、主役の一人としてその場に参加し
ていたアスカ。その口調は少し責めるような響きながら、その表情からは、久方ぶりの再
会に対する喜びが、抑えきれずに溢れ出る。

「まあ、そう言うなや。これでも駅からすっ飛んで来たんやで」

「ふん、どうだか」

 軽く鼻をならしそっぽを向くその仕草に、思わず苦笑がもれる。

 アスカは綺麗になった。

 素直にそう思う反面、どこかあどけなさを残すその外見や、トウジの言葉に対する反応
からは、女性というよりはまだ女の子という印象の方を強く受ける。

 きっと、彼女にも変わった点と変わらない点があるのだろう。会話の節々から伺える、
いい意味でも悪い意味でもアスカの特徴だった剃刀のような鋭さは健在だったし、時折見
せる自信に溢れた、ある意味では不敵な笑みも昔とそう変わっていないようだった。

 そんな反面、かつて伸ばしていた自慢の赤毛は今は短く切られ、その唇には、控えめな
色ながらもルージュの光が輝き太陽の光をほんの僅かに反射させている。そういった変化
を目の当たりにすると、ああ、彼女もいつまでも14才の少女のままではないんだなと、
今更ながらに思わされる。

 時の流れと共に、否応なく人は変わっていく。それは当たり前のことだが、アスカのそ
うした変化は妙に感慨深いものでもあった。

「どうせ、すっ飛んでこなきゃならない羽目になったのも、アンタが朝寝坊でもして、電
車の時間に遅れるかなんかしたからなんじゃないの?」

「そ、そうやないわ。ちと……来る途中に渋滞に捕まったんや」

「あ、アンタ今言葉に詰まったわね。やっぱり何かやましいことがあるんじゃない」

「ち、違うわい。そうやなしに……。ま、まあ不測の事態ってやつや」

「な〜にが不測の事態よ。アンタも子供じゃないんだから、そういうことを予想してもっ
と時間に余裕持って出てくるべきなのよ。アンタってホントそういうとこバカね」

「おまえ……。ちっとは女らしくなっとるんかと思うたら、そういうキツイところはホン
マ変わらんなあ」

「アンタも、ちょっとはマシな男になってるかと思ったら、そういうマヌケなところはち
っとも変わんないわね」
 
 マシンガンのような勢いで言葉を捲くし立てた後、そのまましばしお互いを見詰め合う
二人。やがてその顔には、堪えきれないかのような笑みが浮かんだ。

「へへ、まぁ、あれやな。しおらしくなった惣流は惣流やないからな。ちと安心したわ」

「ふん。アンタこそ昔のままのバカでホッとしたわ」

「ま、これがワシの生きる道やからな。……あ、みなさん、遅れてすんませんです。よう
ケンスケ、久しぶりやの。あ、ミ、ミサトさん、相変わらずお美しい。お久しぶりです、
ワシのこと覚えてらっしゃいますか? お、それとこちらのお姉さまはお初ですね。鈴原
トウジと申します、以後よろしくお願いしますです」

 人懐っこい笑顔を浮かべその場のメンバーに挨拶をしていくトウジ。アスカはそれを横
目で見つめると、少しあきれたように言った。

「アンタ、そういう調子のいいところもホント変わらないわね。ヒカリがいたらただじゃ
済まないでしょうに。……で、ヒカリはどこよ? アンタたち一緒に出てきたんでしょ?」

「ああ、ヒカリなら今化粧直しに行っとるわ。昔馴染みに会うだけやいうのに、女っちゅ
うのもいろいろと難儀なもんやな。ま、そのおかげでワシは鬼のいぬ間に何とやらってや
つや。大体にしてやな、ヒカリのやつはそういうところがちと固すぎ…い、いでででで」

 何時の間にか背後から音もなく忍び寄った女性に思いっきり耳を捻られ、トウジは途端
に悲鳴を上げ始めた。

「遅れてごめんなさいね、アスカ。この人との待ち合わせに私が少し遅れちゃって……」

 その行動とは裏腹の申し訳なさそうな口調と共に、また一人懐かしい顔がその場に姿を
表わした。以前はシンプルに後ろで縛るだけだったその髪型は、今は軽やかなショートボ
ブへとその姿を変えており、その顔のノンフレームの眼鏡はどこか知的な印象を与える。

 眼鏡をかけると女の子は顔が変わるという。だが、かつてのイメージとあまりにかけ離
れたその外見の変化は、昔の彼女を知る人を面食らわせるには十分なものだった。その行
動を無視するならば、そこにはかつて委員長と呼ばれた少女の面影はなく、成熟した雰囲
気のヴェールを身に纏った一人の女性が立っていたのだ。

 あまりにも変化した風貌のせいか、アスカも実際に声を聞くまでは、その存在にハッキ
リとは気づかなかったようだ。だが目の前の女性の中に中学時代の親友の姿を認識すると、
トウジの存在などすっかり忘れ、感激の声を上げる。

「あっ! ヒ、ヒカリ?! きゃ〜、久しぶり〜。うわぁ、一瞬ヒカリだって分からなか
ったわよ〜。すっごい綺麗になったわねえ」

「や、やだなあアスカったら。そんなこと言っても何も出ないわよ。それよりも、ホント
に久しぶりね、元気にしてた? またアスカに会えて嬉しいわ」

「うん、アタシもヒカリにこうして会えるなんて大感激だわ。ゴメンね、仕事が忙しい中
こんなとこまで呼び出しちゃって。迷惑じゃなかった?」 

「迷惑なはずないじゃない。せっかくのアスカのめでたい席なんだもの。仕事の都合くら
いはつけるわよ」

 そういってウインクしてみせるやいなや、満面の笑みを浮かべたアスカが委員長に抱き
ついた。

「いや〜ん嬉しい。ヒカリ大好き!」

「ちょ、ちょっとアスカ……」

 自らの耳をようやくヒカリの指から開放したトウジは、そんな女の子同士の熱い抱擁を
見せつけられ、やや所在無さげにしていた。だがそんな状況をただ黙って見過ごすような
トウジはトウジではない。その顔にはすぐにニヤニヤ笑いが浮かぶと、からかうような口
調で二人の感動的な再会に水を刺す。

「おうおう惣流。いくら女同士いうても、そんなことしとると彼氏が焼くで」

「何言ってんのよ、ぶわぁか。んなわけないじゃん。それに、べっつにいいのよ。あんな
の、少しほっておくくらいがちょうどいいんだから」

「アスカ……。あ、あんなのって……」

「はは。まあ久しぶりの再会だしね」

 と、アスカの言う「あんなの」が苦笑いした。透き通るような銀髪に、見た者の目に強
い印象を残す紅い瞳。彼独特の柔かな物腰と、落ち着いた雰囲気が醸し出す不思議な空気
は変わっていなかった。

「アスカからいろいろ話は聞いているんだ。はじめまして、鈴原トウジ君、洞木ヒカリさ
ん。渚カヲルです」

 そう言ってスッと優雅に立ち上がり、まずは委員長と握手した後、トウジの方へと右手
を差し出す。あまりこうした自己紹介には慣れていないのだろう。トウジはやや戸惑った
ような照れたような表情でその手を握ると、茶化すような、それでいて邪気のない明るい
口調で言った。

「お、おう、よろしゅう頼むわ。まあ、それにしても、なんやな。惣流と一緒になるとは、
あんたも偉いもんやな。いろいろ大変やろうけど、ワシは心から応援しとるで」

 明らかに含みのある、ニッとした笑みを浮かべるトウジ。不思議な愛嬌のあるその表情
にカヲルが苦笑する一方で、トウジの両脇からは強烈なロシアン・フックと火も出んばか
りのアッパーカットが飛んでくる。

「ねえねえ、こんなぶわぁかはほっといてさ、早く座ってよ。ヒカリはアタシの隣ね」

「はいはい」

 しょうがないなあ、と言いたげな微笑みをアスカに向けると、未だグロッキー状態のト
ウジを引きずり、ヒカリが席につく。

「えっと、んじゃ二人の知らない顔だけ紹介しとこうかな。でも、カヲルは今自己紹介し
たし、二人ともミサトのことは知ってるわよね。じゃ、知らないのはマヤだけか。こちら
は伊吹マヤ。まあアタシの昔の同僚ってやつね。マヤ、こちらは洞木ヒカリ、アタシの中
学時代の大親友。で、もう一人は……。アンタ、本名なんだっけ?」

「ぐ……。なんや、えらい根に持っとるようやな。まあ、ええわ。あ、さっきも言いまし
けど、ワシ、鈴原トウジいいます。綺麗なお姉様とお近づきになれるのはいつでも大歓迎
ですわ」

「あら、お姉様だなんて、そんなこと言われたのは久しぶりね。でも、言葉には気をつけ
ないと、お隣の素敵な彼女がご機嫌斜めになっちゃうわよ」

 そう言って、伊吹マヤがいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 十年という月日を経て、マヤの中には年相応の落ち着きが見られるようになっていた、
と言ったら失礼だろうか。その顔に浮かぶ笑顔は、昔の優しいマヤそのままだ。だが、か
つてのはずむような少女の雰囲気はそこにはなく、どこか落ち着いた仕草と静かな口調が、
かつてのマヤとのギャップを感じさせるのは事実だった。

「いやいや、さっきの惣流やないけど、こんなんほっとけばいいんです。いつもベタベタ
しとると逆にお互いの愛情…ぐえっ」

 綺麗に鳩尾に決まったボディーブローに悶絶するトウジ。自分でもそんなに利くとは思
っていなかったのか、のたうち回るトウジの醜態に委員長は顔を赤らめ、思わず手の平を
唇に当てて周りの様子をキョロキョロと伺う。

「あ、あら、失礼……。ま、まあこんな人はほっといて……。それよりもアスカ、私たち
が来るまではどんな話してたの?」

「ん〜? いろいろとね」

「プロポーズの言葉とか聞いていたのよ。でも二人とも口が固くってさ。なっかなか白状
しないのよねぇ」

 そう言ってアスカとカヲルにチラリと視線を向けたのは、ビールを片手にニヤニヤ笑い
を浮かべるミサトだった。躍動感に溢れる声、スラリと伸びた足、肩を少し越すくらいま
で伸ばした黒髪。昔に比べると、ほんの少し顔がふっくらとしているようにみえるのは、
過ぎ去った年月の名残だろうか。それでも、上下共にデニムで活動的に決めたその姿は、
ネルフ作戦部長として働いていた、かつての颯爽とした姿を思い起こさせるのには十分な
ものだった。

「ミサトって、本当にそういうの好きよね」

「あったりまえじゃな〜い。あんたとは長い付き合いなんだから、ちゃ〜んとその辺の報
告は受けとかないとね」

「よっく言うわよ、全く」

「はは。でも、こういうことになると妙に口が固いんだ、惣流は。いくら問いただしても
のれんに腕押しでさ。大親友として委員長からも何か言ってくれよ」

 自らの脇で未だにのたうち回るトウジを横目に、ケンスケがそんなことを言った。癖っ
毛と、相変わらずの人懐っこい笑顔はそのままで、周りの雰囲気を和ませる独特の口調も
昔のままだ。あの頃に関わりを持っていた人たちの中では、陽性の性格を持っていた数少
ない人物の一人だったケンスケ。そんな彼のいいところは今でも変わっていない。そんな
ことを思わせる笑顔に、自然と表情も緩む。

「まあ、そういうのは人に触れ回るものでもないからね」

「そうそう。三流のワイドショーじゃあるまいし、もっと他に聞くことはないのかって、
逆にアタシたちの方が言いたいわね」

「な〜によ二人とも。今更照れなくってさ、もう」

「そんなこと言ってもだ〜め。それはアタシだけの言葉なんだから」

「あ〜ら、妬けちゃうわね〜」

「はは。まあ、この辺で勘弁してくださいよ、葛城さん」

「ちぇ、ま、しょうがないか」

 そんなことを呟くと、ミサトが新しい缶ビールを手に取り、少し遠い目をした。

「まあでも、アンタたちがこうなるとはねえ」

「本当ですよね。アスカが結婚だなんて、私、初めてその話をされた時は驚いちゃって」

「あ、ヒカリ〜。それってどういう意味よ〜。アタシなんか一生結婚できるわけないって
思ってた。今の発言はそういうことかしら〜?」

 不満が2割、からかい8割といったアスカの口調に、慌ててヒカリが弁解する。

「ち、違うわよ。そうじゃなくて、ほら、昔からアスカって独立心が旺盛なところがあっ
たじゃない。それに、自分は一人で生きていくんだってよく言ってたしさ。どうしてもそ
の頃のイメージが強いから、突然結婚って言われて驚いちゃったって意味」

「一人で生きていく、か……。う〜ん、そうねえ。まあ、あのときはそれっぽい考えもあ
ったかもねえ」

「ま、あれやな。自分は絶対結婚せん結婚せん言うとる奴に限って、コロリと誰かと結婚
するっちゅう典型的な例や。いや、ちっと待てや……。惣流、おまえホンマはできちゃっ
た…げはっ」

「こりない奴……」

 ヒカリの裏拳にゆっくりと沈むトウジに、ケンスケがボソッと弔辞を述べる。

「と、ところでアスカ。ドレスはどんなの選んだの?」

「へっへ〜、ひ・み・つ」

「ええ〜、何よそれ〜。すっごく気になっちゃうなあ」

「ま、それは実際に見てのお楽しみってとこね」

「そうだな。式当日には、俺がバッチリ二人の晴れ姿を取ってやるからな」

「オッケー。じゃあその辺は相田にまかせるわ。何てったって世紀のウエディングなんだ
からさ、アタシの美しさを最大限に生かして撮ってよね」

 冗談めかした口調でアスカがそんなことをいうと、その場が笑いに包まれた。

「あ、ほらヒカリ、ヒカリも何か飲んでよ。お酒はいける方なんでしょ?」

「あ、うん、ありがとう」

「じゃあさ、これでメンバーも全部揃ったことだし、改めて乾杯しましょうよ。ミサト音
頭取ってくれる?」

「まっかせなさい。え〜おほん、それではよろしいでしょうかぁ? 久しぶりに再会した
友に、そしてその未来に幸多きことを願って……。かぁんぱ〜い!!」

「「「「「かんぱ〜い」」」」」

「んぐ、んぐ、んぐ。ぷぅっはぁぁ、くうぅぅ、やぁっぱ花見っていったらビールよねえ」
「ミサト、変わんないわねえ、そういうとこ」
「当然でしょ。三つ子の魂何とやらってね」

「おいトウジ、鼻血拭けよ、みっともないな。それにしてもおまえ、メールじゃ散々威勢
のいいこと言っときながら、やっぱり委員長の尻に敷かれてるんだなあ」
「な、何を言うとるねんケンスケ。これはあくまで表の顔や。こう見えてもやな、裏では
シメルところはキッチリとシメとるんやで」
「私がね」
「ぐ……」

「マヤさん、もう一杯如何ですか?」
「あら、ありがとう。でも大丈夫よ。一段落ついたら別のものを飲もうと思っていたから。
私、最近は日本酒の方が好みなのよね。実はこの頃少しハマッてて、家でも飲んだりして
るんだ」
「へええ、昔はコップ一杯のビールで顔を真っ赤にしてたマヤちゃんがねえ。今じゃ自分
の家でも飲むようになったんだ」
「そうですねえ。私もあの頃は若かったから、お酒に免疫がなかったのかもしれませんね」
「でもさ、あんまり飲みすぎてミサトみたいになっちゃダメよ」
「ちょっと〜、アスカ。それってどういう意味かしら〜?」

 過ぎ去った日々のブランクをものともせずその口からは言葉が溢れだし、会話が一気に
花開いていく。やはり昔馴染みの友達とはいいものだ。その場に集まったメンバーの楽し
そうな様子に、自然と少年の表情が緩んでいく。

 いつからだったのだろう。みんながこうした集まりを持ち、心からの笑い声をあげられ
るようになったのは。

 人類の命運を否応なしに握らされていたあの頃。大人たちの大きすぎる思惑に翻弄され
る中では、ただその日その日を生きるのが精一杯で、明日のことを考えて笑い声を上げる
など、とても出来たものではなかったのだ。

 過ぎ去りし日々の記憶のアルバム。その中には、あまり思い出したくない部分、できる
ことなら切りぬいて捨ててしまいたい部分もたくさんある。他人を傷つけ、心のすれ違い
に苦しみ、大事な人を失い、自分自身すら見失う。あの頃、あの組織に関わっていた人た
ちは、いろいろなものを犠牲にして、そしていろいろなものを永遠に失った。

 この場にいる全員の中から当時の思い出が消えてしまったわけではないだろう。けれど、
辛い思い出だけを胸に進んでいくには人生という道程はあまりにも長く、また、悲しみを
喜びという名の水で薄めずに生きていけるほどには、人という存在は強くないのだろう。

 どこからか強い風が吹き、桜の花びらがそれに翻弄されるかのように舞う。

 目の前で笑い声をあげているかつての友人たち。その笑顔の向こうには、それぞれがく
ぐり抜けてきた苦悩と困難が透けて見えるような、そんな気がした。





「そういえばあの時はネルフのせいでさあ、アタシ修学旅行行けなかったのよね。アタシ
って未だに沖縄行ったことないからさぁ。今思えば惜しいチャンス逃してんのよねえ」

「あ、そうだったわよね。そういえばさ、あの時って確かアスカにお土産頼まれたわよね。
私、何買っていったっけ?」

「あ〜、う〜んと、何だったかなあ……」

「沖縄名物ちんすこうと、シーサーの人形やろ」

「あ、そうそう、そうよ、思い出した! そういえばこの間部屋の整理してたらさあ、そ
のシーサー人形がひょっこり物置の中から出てきて……って、な、何でアンタがそんなこ
と知ってんのよ!」

「お、惣流、アホなこと言うたらあかんで。何を隠そうあの土産を選んだんはこのワシな
んやからな。なはははは」

「ウ、ウソ……」

 十年目にして初めて知った驚愕の新事実。どうか嘘だと否定してほしい。そんな願いを
込めた視線をヒカリに向けると、友だと信じていたはずの裏切り者はポンと膝を叩き、何
かに納得したような声を上げた。

「そうだ、思い出した。確かあの時って、この人と一緒にお土産の買い物をする羽目にな
ったのよ。それで私がちんすこうを選んで、鈴原が、アスカには魔よけが必要だろうって
言ってシーサーを私に無理に勧めたの」

「ア、アホ、そんなことまで言わんでもええんや」

「ほう……。そういえばアンタって昔っから度胸だけは満点だったわよね。それだけは一
休さんもビックリの一級品だわ」

 うっすらと笑みを浮かべ立ち上がるアタシを見ると、鈴原は慌ててヒカリの言葉を否定
し始めた。

「い、いや、ちっと待てや。それはヒカリの勘違いや。ワシはただ、とある土産屋で見た
シーサーが惣流にあんまり似とるもんやから、これも何かの縁や思うて……」

「なお悪いわよ、このバカ!」

 慌てて逃げようとする鈴原のシャツを、アタシたちのいた場所から少し離れたところで
捕まえると、昔漫画で見たキャメルクラッチを背骨も折れよとばかりに渾身の力を込めて
仕掛ける。たまらず鈴原がタップしたのにも構わずたっぷり三十秒はそのままの態勢を取
りつづけると、アタシはようやくその戒めを解き、カメラを向ける相田に勝利のポーズを
取った。

「あの子たち、久しぶりに会ったにしては妙に息が合ってるわねえ」

 後でカヲルに聞いた話では、アタシが鈴原に制裁を加えている間、ビールを片手にアタ
シたちの様子を見つめていたミサトが、軽いクスクス笑いを漏らしていたらしい。

「そうですねえ。アスカちゃんも、あんなにはしゃいじゃって」

 ミサトの隣に座るマヤが相槌を打つと、カヲルが苦笑じみた微笑みを浮かべる。

「まったく、心の底から楽しんでいるという感じですね」

「やっぱりさ、渚君の前でもいつもあんな感じなわけ?」

「いえ、あんなに溌剌とした顔を見せるのは珍しいことですよ」

「そっか……。ね、いきなりこんなことを話し出して申し訳ないんだけどさ。正直あたし
は、今日の誘いを受けたとき、参加しようかどうか迷ったのよね……。でもアスカたちの
あの笑顔を見ているだけで、今日はみんなに会いに来た甲斐があったなって気がするわ。
当時ネルフに関わっていた大人としては、子供たちも今ではこういう風に笑えるようにな
ったんだっていう事実に、少しは慰められるから……」

「本当ですね。葛城さんのその気持ち、分かる気がします……」

 ミサトもマヤもフッと目を細め、勝利の微笑みを浮かべつつ凱旋するアタシと、その後
に続く鈴原、ヒカリ、相田の方を見つめた。

「ちょっと、そこ! 三人でな〜にを辛気臭くやってんのよ。折角の楽しい席なんだから、
もっとパ〜っとやんなさいよ、パ〜っと」

「ご〜めん、ごめん。ほんじゃま、改めてもう一杯いってみますか。ほら、アスカも鈴原
君もこっちにいらっしゃいな。二人とも、久しぶりにお互いに会えて嬉しいのはもう分か
ったからさ」

「き、気色悪いこと言わんで下さい!」
「き、気色悪いこと言わないでよ!」

 同じタイミングで重なる声に、思わず顔を見合わせ再び睨み合う私たちを見て、笑顔の
マヤが言った。

「でも、昔からの友達って本当にいいわよね。私はそういう人がいないから、アスカちゃ
んたちみたいな関係ってとっても羨ましいわ」

「コイツの場合そんなに大層なもんじゃないわよ。単なる腐れ縁ってだけ」

「ホンマですわ。ワシはもう、早ようその縁が腐ってくれへんかってそればっかりですわ」

「あん!? なんか言った?」

「な、なんや、惣流が自分から言い出したことやないか。何をすごんどるねん自分」

 口では威勢のいいことを言いながらも、無意識に逃げ腰になっている鈴原。そのひるん
だ様子に内心で笑いをかみ殺していると、相田とヒカリがアタシの代わりにクスクス笑い
を漏らしだした。

「おまえら、昔っからホント相性が悪いというか、何というか。嫌いなら嫌いで関わらな
きゃいいもんなんだけど、そのくせ、何故かいつもいつも絡み合ってるんだよな」

「ホント。やっぱりさ、二人とも喧嘩する相手がいるのが嬉しいのよね。実はね、今度の
ことを聞いたとき、アスカに久々に会えるって鈴原も喜んでいたのよ」

「うえ、気色わる……」

「ア、アホ! いつ、どこで、誰がそんなこと言うたんや。ワシはただ、昔馴染みと久し
ぶりに会うのも悪くないかもしれん言うただけやろが!」

 こうしたところで途端に赤面してしまうのが、鈴原の単純なところだろう。先程は抑え
つけた笑みも今度ばかりは表に表れ、アタシはその表情のまま、鈴原にからかいの矛先を
向けた。

「へ〜、そうなんだぁ。アンタってさあ、実は昔っからアタシのことが気になってたのか
しら〜? そっかぁ、悪かったわねえ、気づいてあげられなくって。じゃあせいぜい今日
は、中学時代の憧れの君の最後の独身姿を目に焼き付けておくことね」

「アホか! よう言うわ、ホンマ」

 ムキになって鈴原がアタシの言葉を否定するけれど、こういう時はムキになればなるほ
ど状況が悪化していくものだ。案の定というべきか、他人をからかうことに関しては大御
所というべきミサトが黙ってはいなかった。

「あらぁ、それじゃあ今日は鈴原君の失恋記念日ってことになるのね。何だかそういうの
も切ないわよねえ。ほらほらそういうことなら飲んだ飲んだ。不肖ながらミサトお姉さん
が愚痴を聞いてあげるわよん」

「ミ、ミサトさ〜ん、ホンマ勘弁してください」

 鈴原が思わずあげた情けない声に、みんなの口から笑い声が漏れる。

「うっし、じゃあ時間もまだタップリあることだし。もう一度飲みなおすわよ〜」

 ミサトがそんな宣言をした後に、いよいよ宴はたけなわとなっていった。

 こうした形の同窓会にありがちな自らの近況報告、第三東京にいたころの思い出話、昔
のクラスメートや同僚の近況、今だから話せる暴露話等々、アタシたちは時が流れるのも
忘れ、いろいろなことを語り合った。

 もちろん、過去の思い出の中には触れてはいけない話題もあるということは重々承知の
上のつもりだった。消費されるアルコールの量が増えるにつれ、それと逆比例するように
自制心という名の箍が緩んでいったけれど、アタシたちは越えてはならない一線に気を配
りながら、思い出話に花を咲かせていったのだ。

 少なくとも、アタシはそう思っていた。

 けれど、そうしたことが分かっていてどうして、アタシたちの話題の矛先は、その場の
みんなが触れることを避けていた“あのこと”に向かっていったのだろう。それともそれ
は、上流から下流へと川が流れていくように、流れの中でアタシたちが辿るべき必然的な
事柄だったのだろうか。

 引き金になったのは、ふとした折に鈴原がポツリと漏らした一言だった。

「まあ、けど、あれやな。あれから十年も経った後で、ワシらがこうしてあの頃のことを
笑いながら語りあっとるっちゅうのも、不思議なもんやな」

 やや細められたその瞳に浮かぶのは、少しの郷愁と少しの悲しみが入り混じったような
色に思えた。それは過ぎ去った日々を懐かしむ想いと、自らがくぐり抜けた困難を思い起
こしてのことだったのだろうか。柄にもなくしんみりとした口調でそんなことを言う鈴原
につられ、ついこちらも声のトーンが落ちてしまう。

「そうね……」

「あん頃のことは、いい意味でも悪い意味でも忘れられへんけどな……」

「……いろいろあったからね」

「……ホンマやなぁ」

 ビールを片手に、どこか心ここにあらずといった風情の鈴原。それに引きずられて、湿
った雰囲気にその場が覆い尽くされる。

 その空気に自分も流されかけているのを自覚する反面、アタシはそれに染まるのが嫌だ
った。昔の思い出に浸るのが悪いというわけではない。ただ、こうした形で過ぎ去った時
間を振り返りたくはなかったのだ。だからアタシは意識的に声のトーンを上げると、自ら
の内から極力前向きな思いを発掘し、それを言葉にした。

「……でも、今アタシたちはこうして笑えるようになったわ。アタシはそれでいいと思っ
てる。いつまでも昔のことに縛られていたら前には進めないもの。もう後ろは振り返らな
いわ。だってアタシは、まだ人生後ろ歩きするような年じゃないもの」

「……ホンマやな。そういうとこ、惣流らしいわ」

 そう言って少しだけ白い歯を覗かせたかと思うと、すぐに真顔に戻った鈴原が、虚空を
見つめながらポツリと呟いた。

「…………なあ、あの二人が今ここにおったら、何て言うんやろな」

 誰に向けたというわけでもない独白にも似たその言葉が、一瞬にしてピンと張り詰めた
空気をその場に持たらした。辺りの喧騒はどこか遠い世界のもののように聞こえ、アタシ
たちの周りだけ時が流れる速度が変わったかのような錯覚を覚える。

 きっと鈴原が口にしたことは、その場にいた全員が心の奥底で薄々と意識していたこと
だろうと思う。けれど、それを実際に口に出すほどの勇気は誰も持ち合わせてはおらず、
アタシたちの心に鈍い痛みを送りつづけるであろうその傷跡を見て見ぬ振りをすることで、
自分たちを誤魔化し続けていたのだ。

 だから、その言葉を受けてヒカリが示した反応は、ごく自然なものだったと思う。

「ちょ、ちょっと鈴原」

「なんや」

「やめなさいよ、そういうの」

「なんでや?」

「なんでって。ちょっとは周りの雰囲気っていうものを……」

「雰囲気って何や。そんなんワシは……嫌なんや……。あの頃のことを思い出すとき、あ
の二人のこと抜きでは考えられへん。せやのに、そないな腫れ物に触るような扱いで、み
んなであいつらの話は意識的に避けて……。みんな、それでええんか? それとも、あい
つらのことはもう忘れた言うんか?」

 胸の中に鬱屈した思いを一気に吐き出すかのように言うと、鈴原は何か訴えかけるかの
ような視線を、その場にいた全員に送る。

 相田、ミサト、マヤ、カヲル……。

 そしてその視線が、アタシのそれとぶつかった。

「……そんなわけないわよ」

「惣流……」

「忘れるなんて、そんなことあるわけないじゃない……」

 そう。後にサードインパクトと呼ばれることになるあの出来事が収束した後、この世界
へと戻ってこない人たちも少数ながら存在した。碇司令、全てが終わった後にその存在が
明らかになったゼーレと呼ばれる組織の面々。

 そして、シンジとファースト。

 世界が再び動き始め、ようやく落ち着きを取り戻したアタシたちが、周りの世界にどう
にか注意を払えるようになっても、二人の姿を見たものは誰もいなかった。

 そしてそれっきり今に至るまで、あの二人が戻ってくることはついになかったのだ。



Reunion ― B part ―