花見の席で久しぶりの再会を果たしてから数週間後。アタシとカヲルは専門の結婚式場
の一室を借りきり、和やかな雰囲気の中、人前式の形式で挙式を行った。神前式のような
三三九度の杯を交わすこともなく、教会式のように結婚を誓う儀式もない。そうした誓い
は既にアタシたちの胸の中に刻まれたものだから、この場は、今日からは二人で生きてい
くのだということを自分たちの言葉で表明する、そんな機会にしたいと思っていた。

 式が終了した後は、そのまま披露宴へと移行する。夫婦としての最初の共同作業といわ
れるウェディングケーキへの入刀やキャンドルサービス。それら結婚式の定番というべき
事柄をプランに含めたのは、何だかんだで、アタシの中にそうしたものに憧れる少女趣味
的な面が少しはあったからだろう。それを認めるのは、まあ、やぶさかではない。

 そうした事柄を考えるのが楽しい反面、実際に披露宴の日を迎えるまでには、様々な干
与曲折が付き物だ。例えば、披露宴を迎える上で新郎新婦が悩むことの一つは招待客の選
択だという。職場の上司、現在付き合いのある友人、もう長い間会っていない友達。言葉
は悪いかもしれないが、当落線上をどこに置くかという決断をするのは簡単なことではな
い。アタシとカヲルにとってもそれは同様であり、二人で顔をつき合わせていろいろ考え
る羽目になったのだが、アタシたちの場合それに加えてもう一つ頭を悩ます問題があった。

 それは、自分たちの親族をどうすればいいのだろうという問題だ。

 カヲルの方は問題なかった。カヲルは全てが終わった後、副司令、というか元副司令、
の元に引き取られていたからだ。エヴァのパイロット時代は知りもしなかったことなのだ
けど、元副司令――本来なら義父さんと呼ぶべきなのだろうが、それはまだ少し照れくさ
い――は元々世話好きな人らしく、今回のことに関してもいろいろなアドヴァイスをもら
っていた。加えてアタシ自身元副司令とは浅からぬ縁があるわけだし、その出席に関して
は何の問題もあるはずがない。

 問題があったのはアタシの側だった。

 決して少なくない時間を掛けて考えた末、結局ドイツの両親はこの場には呼ばなかった。
新婚旅行はヨーロッパを周るのだし、その際に家族には報告しようと思う。カヲルにはそ
う説明したけれど、アタシ自身それはあくまで表向きの理由に過ぎないと感じていたし、
きっとそれはアイツも理解しているだろうと思う。昔ほどではないとはいえ、やはりあの
人たちとの距離の取り方には難しいものがある。

 その代わりとして、といったら失礼かもしれないけれど、親族からのスピーチはミサト
に代役を頼むことにした。カヲルの側からは元副司令がスピーチをすることになっていた
から、バランスを取るためにアタシの側からも誰かに一言もらうことになったのだ。

 人選にはそれほど苦労しなかった。ミサトとはドイツ時代からの長い付き合いだし、ア
タシのことを幼い頃から知っているという点では、ミサトの右に出るものはいない。アタ
シたちの関係は常に良好だったわけではないけれど、何だかんだで、アタシにとってミサ
トは姉のような存在なのだ。

 マイクの前に立ちスピーチをするミサトを見ていると、本当にそう感じることができた。

『……などということが二人の間にはあったのであります。仕事上の縁で、新婦とは小さ
い頃からずっと、そして短い期間ではありますが、新郎とも些かの付き合いがあった私と
致しましては、あの二人がこんな日を迎えることになるとは、まあ何と申し上げますか感
無量と申し上げますか……』

「仕事上の縁、か……。やっぱり僕は葛城さんの部下、だったのかな?」

「一応そういうことになるんじゃない? アンタ一応フィフス・チルドレンでもあったん
だからさ」

「なるほど、ね」

 ディテールについてはかなりぼかしていたけれど、ミサトはスピーチの中で何度もアタ
シたちのネルフ時代のことについて触れた。ドイツで初めて出会った時のこと、一緒に遊
びに出かけた思い出、日本での共同生活、サードインパクトの後に交わした数々の電話越
しの会話。

 アタシたちの間に起こった出来事を時系列で紹介していくスピーチの中でも、ミサトが
あの二人のことについて触れることはなかった。当たり前といえば当たり前だろう。こう
しためでたい席で、雰囲気が湿っぽくなるような話題をわざわざ選んで取り上げるはずも
ない。

 けれど、多少なりともミサトという人間を知っている身としては、明るい声を張り上げ
笑顔を絶やさないその様子を見ていると、どうしてもミサトが少し無理をしているように
思えてしょうがなかった。

 鈴原はあの花見の席で言った。あの頃の回想にふける時、あの二人のことを思い出さな
いことはない、と。その言葉は正鵠を射ていると思う。当時ネルフという組織に関わりが
あった人々にとって、あの二人の思い出は、完全に消してしまうにはあまりにも深く心に
刻み込まれているのだ。ミサトだけがその例外であるはずがない。

 加えてミサトはワザとらしいところがあるから、今その顔に浮かんでいるのは本当の笑
みではないのではないか、心の奥底で感じている思いを押し殺し、無理に前向きな姿勢を
作り出しているのではないか、などと感じてしまうのだ。

(ミサトは、昔っからそうだったわよね……)

 以前は、ミサトのそういうところが嫌いだった。

 表面的な笑顔、本心とは異なる言葉、自分の本当の思いを隠した、上辺だけの付き合い。
アタシたちの関係は、そんな言葉で表現できてしまう程に薄っぺらいものだったと思う。
アタシ自身、そんな表向きだけの関係を進展させようなどとは思ってもみなかったし、そ
んな形でしかアタシと向き合おうとしないミサトに対し、心の奥底では軽い軽蔑すら抱い
ていたと思う。

 でも、今は少し違う。きっとそれもミサトの弱さだったんだろうと、それを許容できる
ようになったから。

 それはアタシが少し大人になったということだろうか。正直よく分からない。ただ言え
るのは、それが分かってからは、以前はミサトに話せなかったこと、話そうとすら思わな
かったことも、時間を掛けてゆっくりと語り合えるようになったということだ。

『アスカは強い子です。……いいえ、もう、強い“子”と呼ぶのは失礼ですね。アスカは
もう、私などが何かを言わなくても十分にやっていける立派な大人です。楽しいこと、嬉
しいこと、そして少しの辛いこと……。それらを経験して、そしてそれを乗り越えてきた
アスカですから、きっと温かな家庭を新郎と共に作っていけると、私はそう確信していま
す』

 そこで少し間を置くと、ミサトはアタシたちに対して優しい微笑みを浮かべ、そして言
った。

『ですから新郎新婦の二人には、この言葉を送ろうと思います……』



『幸せになんなさい……』



Reunion -B part-



 淡いピンクのアフタヌーンドレスへの着替えと、それに合わせたヘアメイク。一度だけ
予定していたお色直しは、思っていたよりもずっと短い時間で済んでしまった。かといっ
て、写真撮影とキャンドル・サービスのための再入場にはまだ時間がある。そんな手持ち
無沙汰の状況の中、カヲルの控え室にでも行こうか少し考えた末、アタシはスタイリスト
さんに頼んで控え室を出てもらい、一人だけの時間を作ることにした。何となく今日とい
う日の余韻を一人で味わってみたかったのだ。披露宴当日はどうしても慌しくなるものだ
し、会場の中、多くの人の前では落ち着いて気分に浸る余裕もないというものだから。

「はあ……」

 鏡の前に座り、ふと、この日のために買っておいたイヤリングを指で弄ぶ。

 西洋では、花嫁がウエディングの日に4つのSomethingを身につけると幸せになれると
いわれている。「何か古いもの(something old)」「何か新しいもの(something new)」
「何か借りたもの(something borrowed)」「何か青いもの(something blue)」。そ
れら四つのものだ。

 アタシは特に迷信深い人間ではない。けれど折角の人生の新しい門出なのだから、そう
したものにあやかるのもいいかもしれない。そう思ったアタシは、この日のためにそれら
の品物を集めてみることにしたのだ。

 古いものはママの形見のネックレス。新しいものはカヲルから貰った指輪。借りたもの
はヒカリから前もってもらっておいたハンカチ。

 そして、自分で買った青いイヤリング。

 何故だかアタシは、そのイヤリングから視線が外せないでいた。

(何だろう。今日はどうしてこんなに感傷的になっちゃうんだろう……)

 ひどく高価なわけでもなく、特に人目を引くようなデザインが施されているわけでもな
いその品。

 それを購入したとき、何か特別なことを意識してその品を選んだわけではない。買い物
に関していえば、アタシはいつも即決主義だ。だから今回の場合も、最初に目に付いたも
のがそれであったこと、そしてその第一印象が中々良いものだったことがあり、半ば反射
的にそれを選んだのだ。

(でも、不思議だな……)

 鏡の前で改めてそのイヤリングを眺めてみると、ブルーレースの淡いブルーはどこかフ
ァーストの髪の色を連想させ、その下についたラピスラズリの玉は、シンジが乗っていた
初号機の紫をアタシに思い起こさせる。そしてそんな色彩の競演のせいだろうか、アタシ
の脳裏には、つい先日の鈴原のあの言葉が蘇るのだ。

『…………なあ、あの二人が今ここにおったら、何て言うんやろな』

 あの花見の席で鈴原が二人のことを話題にした後、アタシたちはまるで何かの重石が取
れたかのようにアイツらのことを語り始めた。

 ミサトが初めてシンジと出会った時のこと、鈴原がシンジのことを殴り倒した時のこと、
参号機の事件の直前に交わされたファーストと鈴原のやり取り。

 交わされる会話。共有される思い出。その中にはアタシの知っている二人、アタシの知
らなかった二人がいた。そしてそんな会話が忘れてかけていた記憶も呼び起こすにつれ、
アタシは思わずにいられなかった。

 結局アタシにとって、あの二人は何だったんだろう。

『アタシじゃなくても、誰でもいいんでしょう!!』

 それは、アタシも同じだった。

 渇ききった喉を潤そうと人が冷たい水を求めるように、他人からの愛情に飢えたシンジ
は、その心の渇きを癒そうと誰かの温もりを求め、そして周りからの拒絶をひどく恐れて
いた。今振り返ってみると、それがよく分かる。アタシ自身も、エヴァを失った自分、他
人から求められることのなくなった価値のない自分というものをひどく恐れていた。その
事実を、今は客観的に見つめることが出来るからかもしれない。

 何事においてもトップであることに価値を見出し、それによってしか他人からの注目を
得られないと思っていた日々。シンクロ率という数字上のデータに一喜一憂し、その数値
においてシンジに前をいかれた時、アタシはアイツに嫉妬し、そしてアイツを憎んだ。

 アタシを見てほしい。

 誰かアタシを見てほしい。

 アタシだけを見ていてほしい。

 もしアタシを見てくれないのなら、アンタなんかいらない。

 アタシなんか、いらない。

 そしてアタシは目の前で起こっている現実から目を逸らし、心の扉を閉ざして自らの中
の深いところへ深いところへと自分自身を沈めていったのだ。

『心を開かなければ、エヴァは動かないわ』

 まったくそうなのだ。アイツの言ったことは全く正しいのだ。今ならそれがよく分かる
し、きっとあの頃も心の奥底ではアイツの正しさは自覚していた。でも正しいからこそ、
アタシはそれを認めるわけにはいかなかった。

『やっぱりアンタ人形よ!!』

 嫌いだった。大嫌いだと思っていた。絶対にああはなりたくない、ああはなるまいとい
う姿を具現していたファースト。アイツを見ていると、心の中の朧げな恐怖をこれ以上な
いくらいハッキリとした形で見せつけられているような気がした。

 だからアタシは、蛇蝎のごとくアイツを嫌った。お人形みたいなアイツの名前なんて、
死んでも呼んでやるものか。人形には記号で十分だ。そう、思っていた。

 でも一番嫌いだったのは、そんな考え方しかできなかった自分であり、人形になってし
まうことに対しひどく怯えていた自らだったのだろう。けれどそれに正対することができ
なかったアタシは、アイツを唾棄することによって自らの中の危ういバランスを保ってい
たのだ。

 結局、アタシは自らの内の行き場のない感情を、理不尽にもアイツらへとぶつけていた
だけなのかもしれない。

「子供、だったのよね……」

 当時はそんなことを考えもしなかったけれど、今振り返ってみると、あの二人には随分
と辛く当たってしまったように思う。アタシは我侭で、意地っ張りで、自分のことしか考
えていなくて、それが分かっているくせに素直にゴメンが言えなくて……。

 子供だったから。

 その一言で、その言い訳で、過去の全てが正当化できると思うほどにアタシはナイーヴ
ではない。

 けれど、もしアイツらがここにいたならば、きっとアタシは……。

「あ〜、もうやめやめ!」

 大声を上げて首を振る。

 まったく、一生に一度のこの晴れ舞台で、アタシは何を辛気臭いことを考えているのだ
ろう。いない人間の事を考えてもしょうがないではないか。アタシはこれからも前に進ん
でいくのだから、後ろばかりを振り向いてもいられないのだ。

「はぁ……。もう行こ」

 もう一度首を振り、大きな溜息をつく。先日の花見の席以来、一人でいるとどうも考え
が後ろ向きへ後ろ向きへと流れていくように思えた。病室で過ごしたあの暗い日々以来、
そうしたことからは極力自分自身を遠ざけようとしていたのに、少し油断するとすぐに昔
の習慣というやつはぶり返してくるものらしい。

 それ故、時間的な余裕はまだあったけれど、アタシは敢えてその場を離れることにした。
カヲルの控え室にでも行って、アイツの礼服姿でもからかおう。そう決めたアタシは、お
化粧の最後のチェックをしてから部屋を出ようと、備え付けの鏡を覗きこんだ。

「……え?」
 
 一瞬、息が止まった。そして体がカタカタと震えだし、アタシは口を何度か開け閉めし
た後で、大きく唾を飲みこんだ。

「ぁ……ウソ……」

 人はあまりに大きな衝撃を受けたとき、咄嗟に言葉が出てこないというのは本当だ。ア
タシはそれを身をもって体験していた。何かを言わなければならないのだけど、何を言っ
たらいいのかわからない。いくら意志の力を結集してみても、アタシの頭は正常な働きを
してくれず、まるで麻痺してしまったかのような自らの口は、全く言葉を紡ぎ出してくれ
ない。

 アタシはただ、小刻みに震える両手を胸に当て、軽く息を整えると、意を決して身を翻
した。

 そこには、あの二人が立っていた。

「ア、アンタたち……」

 手をつないで、穏やかな微笑みを浮かべながら、あの二人がアタシの方をジッと見つめ
ていた。アイツらは、アタシがアイツらに出会った時のままで。もう長い間目にしていな
かった制服を身につけているアイツらは、昔と何も変わっていなくて。

 自分の心の一部分、心の奥底に仕舞っていたもの、もうずっと昔に忘れてしまったと思
っていたもの、それらが一気にアタシの中で蘇り、心の器がそれで満たされていく。

「シンジ……ファースト……」

 大声で二人の名前を呼んだつもりだったけれど、アタシの喉からどうにか発せられたの
は、かすれて今にも消えいりそうな声だけだった。

「アンタたち……どう……して……」

 気がつくと、アタシの頬を二筋の涙が伝い落ちていた。

 するとあのバカは、途端に昔と変わらないあの表情をアタシに見せるのだ。こちらの様
子を伺うような、申し訳なさそうな、そんな表情。

 あ、ゴ、ゴメン、アスカ。泣かないで。

 きっとあのバカは、そう言ったに違いない。

「何よ……アンタ……バカ……」

 全く、コイツは何を言っているというのだろう。ゴメン、ですって? 泣かないで、で
すって? 一体なんだって、コイツらは……。

「バカ……ア、アンタたちが突然そんな格好でノコノコ出てくるから……。だから……ア
タシは……こんな……。何よ、勝手にどっかに行っちゃって。残された人に辛い思いをさ
せて。そのくせ、今更アタシの前に、こんなときに……っく……ノコノコと、姿を表して。
ア、アタシがいつアンタたちに招待状を出したっていうのよ。アタシはアンタたちのこと
なんか、大っ嫌いなんだから。アンタたちのことなんか……許してなんか……いないんだ
から……。だ、だから、だから……う……うぅ……」

 それ以上はどうしても言葉が出てこなかった。結婚式の日に誰かの前で泣くなんて、そ
んなみっともないことは絶対にするまいと決めていたはずなのに。アタシのプライドはそ
んなことを絶対に許さないはずなのに。けれどアタシの涙腺は、生意気にも主人の意志を
裏切って崩壊し、目尻からは止めど無く、あの忌々しいものが溢れ出してくる。

「う……っく……う……うぅ……」

 堪えきれずに嗚咽が漏れ、涙で顔がクシャクシャになっていくのが分かった。

 全く、せっかくの晴れ舞台だというのに、新婦を泣かせてどうするのだろう。このあと
アタシはどうしたらいいのだろう。新婦が結婚式でこんな顔をしていたら、周りの人たち
に何て思われることか。

「ほんとに、ほんとに、ほんとに、バカなんだから、アンタたち……」

 あまり意味を成さない言葉を震える声で呟きながら、アタシは両手で顔を覆い、しばら
くの間むせび泣いた。何度も鼻をすすり、目尻から溢れ出る涙をハンカチで拭う。そんな
みっともない姿をアタシが晒している間も、あの二人はずっとそこに立って、優しい視線
をこちらへと送りつづけていたように思う。

「う……っく……ぅ……ぐしゅ……」

 自分自身を落ち着かせるには、どれくらいの時間がかかっただろう。

 少しずつしゃくりあげが収まっていき、突然の来訪者にひどく揺さぶられたアタシの心
も、ようやく平静を取り戻していく。

 今更ながらにこみ上げる、醜態を晒したことに対する照れくささ。それを抑えつけてよ
うやく顔を上げたアタシは、自分でも驚くほど柔らかい微笑を浮かべると、鏡の前に置い
てあった椅子に腰を掛けた。そして両肘を膝の辺りに置き、少し上半身を前かがみにさせ
ながら、二人に語りかける。

「……何よ、今更祝福にでも来たつもり? 遅すぎるのよ。相変わらずどんくさいのね、
バカシンジは」

 そう言うとシンジは、昔のままの、あの照れたような、どこか申し訳なさそうな微笑み
を浮かべた。

「それにアンタもさ。他人を祝福するくらいには、自分以外のことに神経が回るようにな
ったみたいね。ちょっとは成長してるんじゃん」

(……?)

 そのきょとんとした表情は、それまでに一度も目にしたことがないものだった。何故だ
かアタシは、ファーストが浮かべたその表情がひどく可笑しくて、軽くしゃくりあげ目尻
を拭いながらも、表情が急激に緩んでいくのを止めることができなかった。

「ふふ。何よ、ホントは分かってないんじゃないの? やっぱりバカね、アンタ」

 今、二人は何をしているのか。あのときアンタたちに何が起こったのか。そういった疑
問は愚問のように思えた。きっとコイツらは、アタシたちとは違う。それが何となく分か
ったから。

 ああ、コイツらは一つなんだ。もう二人は離れることはないんだ。喪失の恐怖におびえ
ることもなく、心のすれ違いに苦しむこともない。きっとこの二人は、永遠という名の愛
を手に入れたんだ。

 それに全く羨望を感じなかったと言えば、それはウソになる。けれどそれは、この世界
で生きていくことを選んだ者が望んではならないことなのだろう。

「あ〜あ、もしアンタがここにいたらさ。今日の式の相手はアンタだったかもしれないの
にな〜」

 あらぬ方向を見つめながら、済ましたような口調を意識的に作りだし、横目で二人の表
情を盗み見る。すると返ってきた反応があまりにも予想通りで、そして同時にあまりにも
予想とはかけ離れていたものだったから、アタシの頬は緩み、次の瞬間には堪えきれずク
スクスと笑いが漏れ出していた。

「ふふ。ホ〜ント、もしアタシが本気だったら、ファーストなんか敵じゃなかったんだか
ら。だからその気にならなかったのを感謝しなさいよね。それにバカシンジもこんな大魚
を逃したんだからさ、これからせいぜい後悔を胸に刻み込んでおくことね」

 照れたような、困ったような笑みを浮かべるシンジと、憮然とした表情でそれを見つめ
るファースト。その様子が昔と何も変わっていないシンジと、昔のイメージからは想像も
つかない反応を見せるファースト。

「ふふふ。ホント、シンジは昔っからバカで鈍感で、女心なんて欠片も理解できないヤツ
だからさ。アンタもいろいろと苦労するわよね」

 話の矛先が自分に向けられているのに気づくと、ファーストは何度か瞬きをした後にコ
ックリと頷いた。その様子はアタシの笑いの中枢を強く刺激し、また、アタシたちの間に
生まれた不思議な連帯感が何だか嬉しくて、クスクス笑いの発作は、もう自分ではコント
ロール出来ないほどになってしまった。

「くっくっく。あっはっは。はぁ、何か面白いわねアンタ。でもホントにさ、しっかりコ
イツのことは捕まえておきなさいよ。バカシンジはいつでもフラフラフラフラしてるんだ
からさ。だからしっかりしたヤツが傍にいて、キッチリ手綱を握っていないとね」

 再びコクリと頷くファーストに対し、今度はシンジの方がやや憮然とした表情を浮かべ
る番だった。

 それからアタシは、二人に対しいろいろなことを語りつづけた。二人がいなくなってか
らのこと、高校に行って、新しい友達ができて、カヲルと何時の間にか付き合うようにな
って、社会に出て働き出し、いつしか昔のことを振りかえる時間は少なくなり、あの頃の
出来事が記憶の一部分へと少しずつ風化していったこと。

「そんな中でも、いつもアンタたちのことは忘れていなかった……。そんな綺麗事は言え
ないわ。だって、そうでしょう? アタシはこの世界で生きていかなければならないんだ
もの。後ろを振り向いてばかりはいられないのよ」

 うん……。

 軽く頷く二人は、そう言ったように思えた。

「でも、でもさ、アタシはそんなに強くないから……。この世界で生きていくのは、時に
はとても辛いことだから……。だから、弱音を吐いて、一人で涙を零して、昔はよかった
って、過去の思い出に逃げ込んで。そういう時も、たまにはあったりするの……。それで
そんな時はね、やっぱり、さ、アンタたちのことも、少しは考えたりとかしていたのよ」

 不思議だな。

 アタシはそう思わずにいられなかった。こんなことを他人の前で告白するなんて、いつ
ものアタシならば絶対に考えられないことなのだ。けれどその時、アタシの心は夏の日の
快晴の空のように澄み渡っており、普段ならば言葉となることなく消えていったであろう
思いが、すらすらと口をついて出てくるのだ。

「ふふ、バカね。何を言ってるのかしら、アタシったら。場の雰囲気に負けちゃってるの
かな。感謝しなさいよアンタたち。こんな風にアタシの素直な心情が聞けるなんて、めっ
たにないことなんだからさ」

 ほんの少し赤面したアタシを見て、二人は微かに微笑んだ。

「ああ、でも何だか楽しいわね。思うんだけどさ、アンタたち二人とこんな風に腹を割っ
て話をしたのって、初めてじゃないかしら。そう思わない?」

 その言葉に顔を見合わせると、軽く頷くシンジとファースト。

「それが初めて会ってから十年目だったっていうのも、何だか変な話よね……」

 そうなのだ。アタシたちは、戦友として、クラスメートとして、同居人として、決して
少なくない時間を共に過ごしていたはずなのに。それなのに……。

「どうして、昔はこんな風にいかなかったのかしらね……」

「……」

「……」

 そこで会話が途切れ、不思議な静寂がその場を支配した。静まりかえった部屋に響き渡
るのは、壁に掛けてあった古い時計の針の音だけ。そんな中アタシは少し視線を落とし、
自らの中の記憶の時計を、現実の時間の流れとは逆向きへと進めていく。楽しかったこと、
嬉しかったこと、怒りに震えたこと、辛かったこと。目の前の二人との様々な思い出が胸
の内に去来しては、ゆっくりと色褪せ、消えていく。

 そして、アタシはゆっくりと口を開いた。

「あの……さ……」

「……」

「……」

「…………ごめんね」

 アタシの口から発せられた謝罪の言葉。それは何に対してのものだったのだろう。それ
はアタシにとっての過去の清算だったのだろうか。自分の心に刺さったままの棘を、二人
に謝ることによって引き抜きたかったのだろうか。その時のアタシに、その疑問に対する
ハッキリとした答えは出せなかった。

 ただ一つ確かなのは、それを二人の前で言うことで、アタシの胸の中にずっとわだかま
っていたものが微かな音を立てて雲散していくような、そんな感覚を覚えたことだ。

(ああ、そうなのかな……)

 結局、後ろばかりを振り向いていられないという言い訳の元、過去と向き合うのから逃
げ、そしてその結果として昔の思い出に縛られ続けていたのは、このアタシだったのかも
しれない。それがこうしてこの二人に会ったことにより、アタシはやっと自らの少女時代
の思い出に、一つのピリオドが打てたのかもしれない。

 十年前には言えなかった言葉。

 それを聞くシンジとファーストは、静かにその場に佇んでいた。

 ずっと時間が経った後でも、その時二人が浮かべていた表情は鮮明に思い出すことがで
きた。微かに目を細め、温かな視線と共に穏やかな微笑みを浮かべる二人。

 もしかすると、あの二人にはアタシの気持ちが分かっていたのかもしれない。分かって
いたからアタシの前へと姿を表し、そしてその言葉を受け取った後、静かに去っていった
のかもしれない。

(……)

 ファーストがシンジのシャツの裾をつまみ、それを何度か引っ張ることでその注意を促
す。二人はしばしの間顔を見合わせると、やがてこちらへと向き直り、その姿を表した時
と同じように、アタシの方をジッと見つめた。

「……行くの?」

 ほんの少しだけ寂しげな表情を見せ、シンジが軽く頷く。

 アタシは胸の内から沸きあがる様々な感情を押し殺し、ポツリと呟くようにして言った。

「さよならは……言わないわよ……」

 二人は微かに微笑み、そしてゆっくりとその身を翻す。

 一歩、そしてまた一歩。

 シンジとファーストが歩を進める度に、その背中が少しずつアタシから離れていく。

 込み上げるのは、たまらない寂寥感。

 その光景に、アタシは声を上げずにはいられなかった。

「……ねえ」

 二人が立ち止まり、そしてゆっくりと振り返る。

「…………また、会えるわよね?」

 アタシのその問いに、アイツらはただニッコリと微笑むだけだった。そして互いの顔を
見合わせると、手を取り、微笑みながら、部屋の外へと歩を進めていく。その姿が徐々に
透け始め、閉じられていたドアに同化するかのようにして解けこんでいき、そして、消え
ていく。

 それを見送るアタシは、きっと泣きそうな顔をしていたに違いない。

 その時アタシの胸の中に沸き起こった、何とも形容しがたい複雑な感情のうねり。かつ
ての友との別れに対する悲しみ。自分が失ってしまったものへの憧憬。二度とは戻ってこ
ない少女時代に対する郷愁。

 目の前の光景が、徐々にふやけてくるのはどうしようもなかった。

「行っちゃった……」

 鼻をすすり、目尻から零れ落ちようとするものを懸命になって食い止める。

「でも、泣いてちゃダメだよね……。いつまでも、昔の思い出に浸ってちゃいけないよね」

 再び一人となった部屋の中、壁にかけてあった古い時計が、静かなベルの音と共に時の
流れを告げる。

 そう、アタシは進んでいかなければならない。この世界で前へと歩を進めていかなけれ
ばならない。だから、アタシは生きてやるんだ。アタシが選んだこの場所で、精一杯。そ
して、絶対に幸せになってやるんだ。

「だからバカシンジ、バカレイ、ちゃんと見てなさいよ……」

 軽く鼻をすすり目尻を拭っていると、再び静まり帰った部屋にノックの音が響き、ドア
のノブが回る音がした。

「アスカ、そろそろ行かないと。お色直しの写真も取ってしまわないといけないし、時間
が押しているよ」

「うん、今行く。でも、ちょっと化粧直さないとね……」

「……? どうしたんだい。何かあったの?」

「ん、ちょっとね……」

「……目が、赤いよ?」

「…………うん、実はさ。久しぶりに、昔馴染みに会ったのよ」

 その言葉を聞くと、一瞬の間の後にカヲルはフッと微笑みを浮かべ、そしてその表情の
ままこちらへ歩み寄ると、アタシのことをそっと抱きしめた。

「そうか、それはよかった……」

 ああ、コイツは全部知っているのだ。カヲルはそれ以上何も言わなかったけれど、その
言葉の裏に隠された意味は理解できた。その全てを見透かしたような微笑みがちょっぴり
憎たらしくもあったけれど、アタシは黙ってその背中に腕を回し、その胸に顔を埋めた。

「さあ、そろそろ準備をしよう、アスカ。皆さんをあまり待たせては、式場離婚かと心配
されてしまうよ」

「ふふ。こういうめでたい場でそういうこと言うんじゃないわよ、バカね」

 アタシを優しく抱きしめるカヲルの胸の中、笑顔と共に軽い抗議の声をあげる。

 そして数分後。アタシはカヲルの差し出した手を取り、自らの人生を彩る華やかな舞台
へと再び歩を進めた。

「さ、行こう」

「ええ……」

 かつて同じ時を過ごし、今は永遠を生きる友。アイツらと再会を果たしたその部屋を出
る直前、アタシはもう一度、肩越しにアイツらのいた場所を振り返った。



 ねえ、シンジ、レイ。

 アンタたちにね、伝えたいことがあるの。

 アタシはどうしようもなく意地っ張りで、プライドばかり高い女だから。

 だから、こんなことはアンタたちの目の前では言いにくいのだけれど。

 でも……。

 でもね……。

 アンタたちに会えてよかった。

 それが、今ならハッキリと分かるの。

 ねえ、これが最後じゃないわよね。

 アンタたちとは、またどこかで会えるわよね。

 この次に会う時は、きっとそれを伝えるから。

 だからさ……。



 また、いつかどこかで……。







「あ〜あ、それにしてもやんなっちゃうなあ。いくらこの時期の週末とは言ってもさ、あ
の渋滞の酷さはないわよねえ。あれだけ余裕を持って出ても時間に遅れちゃうんだからさ」

「はは。鈴原君に何を言われるか分からないね」

「う〜、そうなのよねえ。アイツ、今年は時間通りに来てるのかなあ……」

 あれから一年が経ち、また桜の花が咲く季節が訪れていた頃。

 ポカポカとした陽気の花見には最高の日和の中、アタシとカヲルは、一年前と同じあの
公園をやや急ぎ足で歩いていた。

「ねえ、場所は去年と同じ所でよかったのよね?」

「鈴原君からのメールにはそう書いてあったよ」

「あ、そっか、そういえば今年はアイツが幹事なのよね。まっずいなあ」

「しょうがないさ。きちんと訳を話せば彼も分かってくれるよ」

「アイツの場合、事はそう単純じゃないんだけどなあ」

 穏やかな微笑を横目に、アタシは軽く口を尖らせる。すると前方に目を凝らしていたカ
ヲルが突然声を上げた。

「あ、ほら、あそこにいるのがそうじゃないかい?」

「え、どこどこ? ……あ、本当だ。げ……やっぱ鈴原もう来てんじゃん、やんなっちゃ
うなあ、もう。えっと、あとは、ミサト、ヒカリ、マヤに相田に……。あ! あの金髪っ
てひょっとして赤木博士じゃない!?」

 全く予測していなかった嬉しい驚きに、思わず声をあげる。すると不思議なもので、ま
だみんなのいる場所からは数十メートルは離れているというのに、場にいた全員がアタシ
たちのことに気づき、こちらへと視線を向けた。

「アスカ〜、こっちよ〜。早くいらっしゃ〜い」

「遅いで惣流〜。今何時やと思っとるんや〜」


 ミサトと鈴原からの歓迎の言葉、そしてその場の全員が浮かべる優しい笑顔に、アタシ
の心の中は浮き立つ気持ちで溢れかえる。

 きっと鈴原は昨年の借りを返すべく、時間に遅れたアタシのことを散々どやすのだろう。
するとヒカリは、ここぞとばかりに攻勢に出る鈴原をたしなめ、相田は笑いながらアタシ
たちの様子を写真に収めるのかもしれない。そんなやりとりに対し脇でマヤが微笑みを浮
かべる一方で、ミサトはビール片手にからかいの言葉を飛ばし、赤木博士は昔と変わらな
いクールな一言でミサトをやり込めるに違いない。

 そして……。

 そしてその向こうには、あの時見せたのと同じ、とても穏やかな微笑みを浮かべたアイ
ツらが、二人で腰を下ろしているのかもしれない。レイはシンジの胸へとその身を預け、
シンジはその蒼銀の髪を優しく撫で続ける。そんなアイツらは、どこかすぐ傍でアタシた
ちのことを見つめているのかもしれない。

 ふと浮かんできたそんな想像に、思わず表情が緩む。

「さあ、行こうか」

「うん」

 かけられた言葉に笑顔を返すと、どこからか優しい風が吹いてきて、アタシの前髪をか
きあげた。満開の桜の木の下、一年ぶりに再会する友人たちに軽く手を振ると、アタシは
少し乱れた髪を手櫛で直し、ゆっくりと歩み出す。

 太陽は暖かな光を人々へと注ぎつづけ、柔かな風の中には、待ち焦がれた春の匂いが一杯に
溢れていた。





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