東北地方太平洋沖地震の被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
2011年3月11日14時46分に発生したこの地震は、東北地方のみならず北海度や関東地方にも甚大な被害をもたらし、多くの死者、行方不明者を出す戦後最悪の自然災害となっています。一週間を過ぎた今も被災地での生活は極限状態にあり、原子力発電所は危機的状況にあります。
幸いにも大きな被害に遭うことのなかった私たちにもできることがあります。節電もそうですし、募金もそうです。無理をする必要はありません。できることをすればいいのです。コンビニの募金箱にわずかなお金を寄付することも、立派な行為だと思います。個人にできることは小さくても、全体でみれば無視できない大きさになります。
そのできることをするために、私たちは元気を出さなければいけません。この企画はそういう企画です。
一人でも多くの人が、この企画でほんのわずかでも慰めを得ることができ、暖かな気持ちになって、被害に遭われた方々の力になれることを願っています。
最後に、発案してくれた某氏へ。私にはこんな発想はありませんでした。本当にありがとう。
・3/22追記(雑談掲示板2054より転載)
私がこのサイトを通して何かをやるべきなのかどうかという疑問は、正直言ってあります。普通に更新するなり投下するなりすればそれが一番いいのではないかという思いもあります。何かしてるという自己満足に過ぎないと言われれば、そうなのかもしれません。
それでもやろうと思ったのは、ひとつは幸いにもただ単に暗くなっていても仕方がないと言える立場にある人に、何らかの慰めになりえるようなリソースを提供できればいいと思ったことです。それ自体が不謹慎であるという意見は当然あるでしょう。でも私は、そこまでストイックに生きていく自信はありません。ですが、それだけでは企画をやる理由にはなりません。普通に更新すればそれでいいのですから。
もうひとつの理由が、募金なんて簡単なんだよ、と言いたかったということです。テレビでやってる何とか募金とか、私にはハードルが高すぎます。Yahoo!や楽天などいつもは見ないので、そこで募金ができるなんて知りませんでした。コンビニの募金箱も、二次創作等とはなんの関係もないとあるサイトで見るまで、今回の災害と絡めて考えることはありませんでした。 何かしたいけれど、ボランティアに行くこともできないし何をしたらいいのかわからないという人は、意外と多いのではないかと思うのです。銀行に振込みに行く暇のない人も、ネットバンクの口座を持ってない人も、できることは必ずある。それが言いたかったのです。それを企画概要に書けば、トップに書くよりもみんな読んでくれるのではないか。そう思ったのです。
このふたつの理由で、この企画をはじめました。
企画自体は普通にやりたいと思いました。どんなテーマで企画をやろうとも、被害に遭われた方々に直接的に勇気を与えられるとは思えないので、ならば自然体でやるべきだろうと思ったのです。その意味では、今回の企画のテーマ自体には大きな意味はありません。逆に言えば、大きな意味がないということに意味があります。忘れてはならないことは決して忘れず、でも何かにしがみついてでも普通に生きていきたいのです。
これがベストなのかどうか、まだ迷いはあります。いくら企画なら注目度は高いといっても、訴えたいなら募金はトップで訴え、あとは普通に更新すれば良かったのかもしれません。
聞かせてください。私は間違っているのでしょうか。