※注※この作品は残念ながら閉鎖された某サイトより返却された物に加筆修正した物です。


最後の歯科

written by 何処   


「歯が痛いの。」

私が碇君に相談した時…あの碇君の表情の変化は忘れられないかもしれない。

…何故か私、泣きたくなった。

「そ…そそそれは多分虫歯だね、は、歯医者にい、いいい行ったほほほうがいいい、良いかもねねね…」

「虫歯…何?」

「う、うん虫歯…知らないの?。」

「?虫歯って何?」

「…鏡で見てみれば。」

成る程。碇君の進言に従い私は手鏡(アスカ…今はそう呼んでいる…から『女の子のたしなみその3』とプレゼントされた物)で口腔を観察してみた。

「…何これ…ねえ碇君、見て。これが虫歯なの?」

「ゔ…み、見なきゃ駄目?」

「ええ…見て…」

「う…うん……あ、やっぱり虫歯だね…綾波はなった事初めて?」

「ええ…」

「あ、やっぱり…」

「…治療には歯医者に行けばいいの?」

「う…うん一応行った方が…」

「了解…」

ふと気付いたが、碇君が震えている。心無しか顔色も悪い…体調悪いのかしら?
兎も角、歯痛の原因は解った。治療の必要がある事から帰宅後に歯医者へ向かう事にして私は教室を出た。

◆◇◆

ざわ…ざわ…

『やるな碇!』『碇君不潔よ!』『ナチュラルに綾波さんの口腔眺めてんじゃねー!』

『え?あ、い、いやそのあのだ、だから今のはたまたま偶然不可効力な巡り合わせな訳で…あ、あは、あはは…み、皆様目が怖い…』

『馬鹿だな碇、なんでそこであと一歩前ヘブッ!?』『殴れ殴れ幸せな男なぞ滅びろ!』『このリア充め!』

『…に…逃げて良いよね逃げて良いよね逃げなきゃ駄目かな逃げなきゃ駄目だよねむしろ逃げなきゃ駄目かないや逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だ逃げなきゃ駄目だぁ…』

『…何処へ行く碇』『い〜か〜り〜…よくも綾波さんの口に触ったなぁ〜』『幸せ者め!』『許すまじ碇!』『このリア充碇!嫉妬パーンチ!』『嫉妬キック!』

『い、いや今のはだから止め止めて痛い痛い皆止め〜!た、助けて〜〜…』

◇◆◇

「やあ、綾波レイ、今日は不機嫌そうだね。どうしたんだい?」

「貴方はいつもご機嫌ね渚カヲル。」

…私はこの元使徒が余り好きでは無いのかも知れない。最も彼は女子には人気がある様だ。アスカは嫌っているが。
この間から彼はある女生徒と恋愛関係になった。何時もその女生徒と図書室に入り浸りの彼がこの時間に帰宅する私と出会うのは不可解だ。

「私これから出掛けるの。用件は何?」

「何、僕は彼女と待ち合わせさ、何でも歯医者に行くのに一人は怖いらしい…リリンは可愛いね。」

歯医者が怖い?
私は碇君のあの表情の理由に思い至った。

…リツコさん(赤木博士はこう呼ぶ様に私達元チルドレンに指示している。)に相談しよう。

私は目的地をネルフ本部に変更した。

◆◆◆

駅へ歩いていると見馴れた青い車が私を追い越し、少し離れた所で停止した。

「ハーイレイ!珍しく一人ね、どうしたの?」

助手席から降りた彼女は朱金の塊の様に見えた。それは錯覚では無く文字通りの意味で。

今日の彼女は和装だった。。金糸の刺繍入り花帯に赤の振り袖、ストロベリーブロンド…金混じりの赤髪を結い上げ金の髪飾りを付けた青い瞳の少女は私の同僚にして友人、式波・アスカ・ラングレー。
ドイツの両親の離婚に伴い彼女は母親…養母の籍に入った。式波は彼女の新しい父親の名だ。

「どうこれ!来年のネルフカレンダー用衣装よ!さっきまでママ達とミサトまで入れて一緒に記念撮影!」

「綺麗ね…良く似合ってるわ。」

「えへへ…ありがと。」

「で、ご両親は今週一杯は日本に?」

「うん。新婚旅行ですもの、目一杯サービスしなきゃ!」

「アスカ、まだネルフ本部での撮影が残ってるわよ。」

運転席から声を掛けたのは葛城三佐…いや、現二佐。昔から美人だったが最近更に美しくなったとネルフスタッフの間で評判だ。留め袖に結い上げた黒髪が良く似合う。

「レイ、貴女はこれから何処へ?」

「…本部に向かうのですが何か?」

「なぁんだ、じゃ乗っていきなさいよ!」

…返事する前に後部座席に押し込められた。アスカ…相変わらすマイペースなのね…

「「How We Let,s Go!!」」

葛城二佐の運転を思い出し、私は思わずシートで身構え…

…?

…珍しく安全運転だ。

「?レイ、何不思議そうな顔してるの?」

「アンタが珍しく安全運転だからよミサト。普段からこの運転にしとけば良いのに全くこの乳女は…」

「あによぉ、アスカの着物着崩れさせない為に安全運転してるんじゃな〜い!…何なら飛ばす?」

「「飛ばさないで下さい。」」

「ちっ!」

◇◇◇

ネルフ本部に到着。ミサトさんとアスカは待機していた化粧箱を持ったマヤさんと報道班のカメラマン達に連行されていった。何でもジオフロント案内パンフレット用の撮影も有るらしい。…半日で終わるかしら?

「「聞いて無いわよ〜!」」

「話してませんから。さあその経費で落とした着物代分きっちり働いて返してもらいますよ!はーいお二人様ご案内〜♪」

「「「「了解」」」」

「「嫌〜!」」

悲鳴を上げつつ引き摺られて行く彼女らと別れ、私はリツコさんの研究室へ向かった。

◇◇◆

「…レイか…どうした?」
リツコさんの研究室に行くと碇司令がいた。

「赤木博士は今仮眠中だ。急用か?」

「…実は…歯が痛いのです。碇君に相談したら『虫歯だね』って…」

…碇司令のサングラスが輝いた気がした。

「…それであいつ…シンジは何と?」

「歯医者に行った方が良いと勧めてくれましたが…何か?」

「それだけか?」

「…随分蒼い顔色してましたが…」

「歯医者の椅子の上に勇者は居ないと言うが…ダラシの無い奴だ。」

「あら?誰かと思ったらレイ、テストも無い平日に珍しいわね。」

不意に奥の仮眠室からリツコさんが出て来た…何かしら?なんと言うか…色っぽい。

「お久し振りですリツコさん。今日は相談が有りまして…」

「あら、何かしら?」

「はい、実は虫歯になりました。」

「あらぁ…一寸見せてくれる?」

「はい。」

「どれどれ…菌の出す酸でう蝕したのね…最近甘い物口にしてるでしょ?ちゃんと歯磨いてる?」

甘い物…碇君の唇…何を思うの私?物理的な甘い食べ物でしょ?其程糖分は摂取してはいない筈…となれば歯磨き…あ。

…そう言えば最近キスした後勿体無くて…そのまま…あ…碇君…碇君…シ…シンジさ…シンジさん…


「レイ?レイ?…あ、良かった。又違う世界に行ってたわよ貴女。…何赤い顔してるの?」

「…何でもありません…歯医者…何故皆嫌がるのですか?」

「歯医者に喜んで行く人間はいないわよ…考えるだけでも憂鬱だわ。」

「あの…一つ伺って宜しいですか?」

「え?珍しいわね、一体何かしら?」

「…やっぱりいいです。何でもありません…」

「?」

アスカが『あんたねぇ、何でも思った事口に出しちゃ駄目よ!』と警告してくれたのを思い出した…やはりアスカの言う通りにしよう。

何故かストッキングを履いて無いリツコさんの紅潮した頬といつに無く艶やかな肌を疑問に思ったが聞かなかった。理由は後で碇君にでも聞こうと思う。

◆◇◇

本部の歯科は予約制らしい。リツコさんに第三新東京の歯科へ紹介状を書いて貰い私は帰宅する冬月副司令に送って貰う事になった。
副司令は以前は電車通勤だったそうだが最近車通勤に替えた。私は副司令のこの丸い形をした古いドイツ製大衆車が好き。少しうるさいけど、車が陽気に語りかけてくれる感じだ。

「やぁ待たせたね、さあ乗りなさい。で、どこに行けばいいのかな?」

「ええと…こちらへ…」

「どれどれ…ああ、この歯医者は私も世話になっている、腕は確かだ。」

「医者によってそんなに違うんですか?」

「ああ、大分違う。では行こうか、シートベルトをしたかね?」

葛城さんと比べたらいけないが、副司令はとても安全運転だ。
楽しいドライブで歯科に着いた。中に入り待合室へ…

「あ、綾波!?」
「碇君!?」

「碇君も虫歯なのね…」

「う…うん…」

「「…」」

「そ、そう言えば綾波ってアスカみたいにお菓子そんなに食べないよね?何か虫歯になる心当り有る?」

「実は…最近夜ちゃんと歯磨いて無いの…」

「え?」

「歯磨き…碇君とキスした後で…勿体無くて…つい…そのまま…」

「じ…実は僕も…あ、綾波とその…キキキキ、キ…キ…ス…し、した後でその…夜の歯磨きがあの…も、勿体無くて…」

「碇君…」
「綾波…」

ズキン

「「痛っ!?」」

私達は同時に頬を押さえ、涙目で苦笑し合った。

「私達…馬鹿ね…」

「あ、あはは、ほ、本当にば、馬鹿だね僕ら…あはは…はは…は…」

「…アスカには言えない…内緒にしましょ…又『…あんたらって…ほんっっっとぉ〜〜〜に馬鹿ねぇ…』って言われるわ…。」

「ゔ…た、確かに…」

◆◇◆

私の最初で最後の歯科体験はこんな風だった。

余り痛くは無かったがもう行きたくは無い。余韻が少し惜しいがキスした後でも歯磨きはしようと思う。






…碇君以外の人に唇を触れられたくは無いから。


【メルト】初音ミク