世界は美しく,人生はかくも素晴らしい

written by tomo   


 咲いて咲いてくるりと廻る

 舞姫の如くたまゆらに

 春深く桜の花弁は弧を描き

 僕らの影の輪郭を

 ぼかして行き過ぎて舞い戻る

 乱舞する桃色の吹雪の只中で

 静かに僕は月に願う

 これからも久遠に僕の傍らで輝いてほしいと

 同時に僕は月に誓う

 これからも久遠に君を照らし続けようと










 「ここにいたのか……」

 
 僕の声は聞こえているはずなのに,それでも,綾波は桜の樹の下でただ咲き乱れる花々を見上げている。

 僕が見つけたときと同じ格好で。


 「……何やってんの?」


 ゆっくりと近づいて。

 綾波は未だに視線を空に向けている。


 「……きれいだよね。桜。」


 綾波につられて,僕は視線を上にあげた。

 桜。

 多くの人々が,最も愛し,最も心を寄せた季節の風物詩。

 大きく伸ばされた枝の先には,包み込まれるがごとく広がった花・花・花……
 
 その色はすべて生命力に満ち溢れた淡い淡いピンク。

 
 「……思い出していたの」

 
 見上げた視線の先に魅せれていた僕に,こちらに向き直った綾波の声。
 
  
 「何を?」

 「初めてこの桜を見たときのことを……」

 「……10年以上前だっけ? ずいぶん昔の話だね」

 「……そういう言い方は,ちょっと年よりくさいわよ」

 「実際,そんなに若くはないしね」
    
 「……そうね」


 言って綾波は笑った。


 『碇君はね』


 その笑顔はそう物語っているように見えた。 
 
 
 10年前,僕たちもよく知っている一人の科学者が,失われた桜を再び蘇らせた。
 
 そして,僕たちの第2の母親ともいうべき人物が,僕たちにその桜を見せてくれた。

 時はめぐり。

 僕たちは再びこの桜の木々に埋め尽くされたこの地を訪れた。

 僕たちの新たな門出のスタート地点とするために。


 「……どうしてここを選んだか言ってなかったわね」
 
 「そうだね」

 「理由,聞きたい?」


 それは問いかけではなく独白の懇願。


 「教えてくれる?」


 だから,受け入れることを示すのが僕の役目。


 綾波は,舞い散る桜を一枚右手で受け止め,そして,祈るようにやさしく胸に抱いた。


 「……私の人生は,碇君に出会って始まった。無色だった世界に鮮やかな色どりが加わって。それからのことは何もかも新鮮だった。でも――」

 
 胸に抱いた桜の花びらを僕にそっと見せつける。


 「碇君とのこと以外で,今でも一番印象に残っているのはこの桜。生まれて初めて見た視界いっぱいの淡い色の世界とそこで過ごした優しい時間」

 
 くるりと踵を返して,手に抱く桜をぱっと手放して。


 「そのとき私は初めて,世界は美しいんだって思えたの。だからね――」


 桜の樹の下で,再び綾波は薄紅色の空を見上げてる。


 「初めて世界の美しさを教えてくれたこの場所から始めたら,これからもずっと世界の美しさを感じていけるだろうって思ったの」


 決意を込めた言葉とは裏腹に,綾波の背中は儚かった。

 消えてしまいそうなほどの弱々しさ。 

 だから。

 僕はそっと綾波を後ろから抱きしめる。

 寄り添うように。支えるように。


 「……あったかい……」


 瞳を閉じて,綾波は一言そうつぶやいた。


 僕はきっと何かを言わなければならない。

 僕にしか言えない,僕だけが言える何かを。

 ただ,それを言う前に。

 どうしても一つだけ綾波に確かめておかなければならないことがある。

 

 「綾波」


 抱きしめた腕にほんの少しの力を込めて。

 僕は綾波に尋ねる。


 「……本当に僕でいいの?」

 
 それは僕を縛る最後の戒め。
 
 綾波の望みだけがその戒めを解き放つ。


 「バカ」


 呟いて,綾波は抱きしめる僕の腕にそっと手をかける。


 「碇君じゃなきゃだめなの」


 その一言で僕はすべてに覚悟する。
 

 「レイ」

 「……! 今度は何?」

 「君を愛してる」

 「…………!」

 「いままでも。そして,これからもずっと。レイが天に帰るそのときまで,僕は君を愛し続ける。そして――」

 
 言葉に偽りはない。
 
 絶対に偽らないと既に決めたのだから。


 「レイに世界の美しさをもっと見せてあげるよ」

 「……………………バカ」


 僕の言葉をかみしめるように間をおいて,レイはまた,そう呟いた。

 そして。

 ぱっと僕の腕をふりほどいて向きかえる。


 「私も愛してるわ……シンジ」

 
 初めて呼ばれた名前とともに,レイは僕にキスをする。

 それは今までで一番甘くて,情熱的で,そして,強烈だった。


 「……………」

 「……………」
 

 お互いに光り輝く糸を引きながら,僕たちはゆっくりと唇を離す。

 僕はもう一度,レイを抱きしめた。

 
 「……こら!! そこの2人! いつまでいちゃついてんの。主役が来ないと式が始まらないじゃないの!」


 ……なんというか,相変わらず絶妙なタイミングでアスカの叫び声が聞こえる。


 「ほら,早くする! とっくに準備はできているんだから!」


 「……また,怒られてしまったわね」


 腕の中でレイが笑っていた。

 この笑顔を守るためなら,きっとなんだってできる。


 「行こうか。みんなを待たせたら悪いし」

 「うん」


 そして僕はレイの手をとりアスカのほうに向かっていく。

 この手はもう離さない。

 レイがそう望み続けてくれる限り。
  








 
 咲いて咲いてくるりと廻る

 舞姫の如くたまゆらに

 春深く桜の花弁は弧を描き

 僕らの影の輪郭を

 ぼかして行き過ぎて舞い戻る

 乱舞する桃色の吹雪の只中で

 静かに僕は月に願う

 これからも久遠に僕の傍らで輝いてほしいと

 同時に僕は月に誓う

 これからも久遠に君を照らし続けようと


  
 
 世界は美しく,人生はかくも素晴らしい

 ただ君がそこにいるだけで