A Day in the Life

written by tamb   


「綾波のこと、思い出さないよ」

 碇くんは乾いた目でそう言った。

「だって、忘れないから。ずっと憶えてるから。忘れないから思い出さないんだ」

 わたしは文庫本に目を落としたままでいた。碇くんの顔を見れば、きっと泣いてしまう。

「そろそろ行くよ」

 またね、とわたしは小さな声で言った。
 さよならは言わない。それは彼との約束だったから。
 またね――。その小さな声は、彼には届かなかったかもしれない。

「じゃあね」

 でも、彼もさよならは言わなかった。

 そして彼は出て行った。

 わたしは顔を上げ、彼の出て行ったドアを見つめた。

 もっと彼の顔を見ておけばよかった。もっと彼の声を聞いておけばよかった。
 もっと彼に見て欲しかった。もっと彼に声を聞いて欲しかった。
 もっと彼に触れて、彼に触れてもらって、キスもたくさんして――。

 今すぐ外に飛び出して、彼の背中にすがりたかった。
 ただ隣にいてくれるだけでよかった。行かないで、ここにいてと叫びたかった。
 でもそれは出来なかった。してはいけないことだった。
 わたしに出来ることは、ただ涙をこらえることだけだった。








「ただいま」
「おかえりなさい!」

 二時間後。
 買い物から帰ってきた彼に、わたしはまるで一人でお留守番をしていたわんこのように
飛びついた。しっぽがあれば千切れんばかりにぱたぱたと振っていたことだろう。
 ひとしきりキスしたあと、わたしは彼に聞いた。

「おなか減った。今日のごはん、なに?」
「丹波産夏野菜のエスカリバーダにしてみようかなと思って」
「なにそれ」
「知らない。なんか小説に書いてあったんだ」
「ごはんのおかずなの?」
「知らない」
「どうやって作るの?」
「知らない」
「……」
「これから調べるよ。何とかなるんじゃないかな」
「美味しいの?」
「知らない」
「……」
「あ、シュークリームも買ってきたよ」
「わーい!」
「ごはんのあとね」
「……」
「わかった。先に食べよう。だからみだりにA.T.フィールドを展開するのはやめようね」
「うん!」

 わたしは飛びっきりの笑顔でうなずいた。
 彼も笑顔で、その笑顔にわたしはとろけそうになった。
 だからもう一度抱きついて言った。

「碇くん、大好き!」
「僕とシュークリームと、どっちが好き?」
「…………シュークリーム」

 ほっぺをつねられた。

 痛かった。

 痛くって、幸せだった。