愛と青春の乳酸菌written by tamb
ヒト由来の乳酸菌。 レイはそのフレーズを聞いたとき、なんて素敵、と思った。 乳酸菌といえどもヒトとは異なる別の生命体である。全く違った生命が自分の体内で生 きているのだ。これはある意味、地球に人間が生きているのと同義である。つまり自分は 様々な生命を育む小さな地球なのだ。これほど素晴らしいことはない。 私の乳酸菌。是非お会いしたい。そして碇くんに私の乳酸菌をお渡ししたい――。 思い立ったが吉日である。彼女は調べた。自分の乳酸菌に会う方法をである。だが主に 腸内にあるという記述を発見した時、彼女は静かにブラウザを閉じ、次いで目を閉じた。 あまりにもハードルが高いし、そこから取り出した乳酸菌をシンジに手渡すのは大胆不敵 に過ぎると思えた。 実物が無理ならフェイクという手がある。彼女はあくまでも挫けない。想像力は人間が 成長するための要なのだ。彼女は再びブラウザを立ち上げ、画像検索をかけた。電子顕微 鏡で撮影されたと思しきその画像にあった乳酸菌は単なる楕円柱に過ぎず、何の変哲もな いものだった。 私の乳酸菌はこんなんじゃない。私の乳酸菌はもっとかわいい。なぜなら、碇くんは私 のことをかわいいと言ってくれるから。私がかわいいなら私の乳酸菌もかわいいに違いな い。私自身の出生が普通とは異なるのだから、私の乳酸菌もちょっとくらい普通でなくて も不思議じゃない。普通の乳酸菌よりかわいくても大丈夫。 この瞬間、彼女の想像は妄想へと変化した。 「お会いして欲しいものがあるの」 翌日、シンジを部屋に呼び出したレイは、いきなりそう言った。 ものに会う、というのはなかなか難しいレトリックだが、シンジもレイの奇行には慣れ ている。その都度修正していけばいいと半ば諦めの気持ちもある。 「いいよ。なに?」 「これ」 彼女が取り出したのは純白ふわふわの布地を用いた楕円柱の物体であった。顔があり、 にっこりと笑っている。ぬいぐるみである。 「わたしの乳酸菌なの」 シンジは固まった。あまりにシュールな状況である。 「どうしたの?」 「これって……綾波の乳酸菌?」 「そうよ」彼女は平然と言い放った。「ご挨拶もできるの」 『こんにちは』 レイが声色を使って言った。 「……」 「碇くん、ご挨拶は?」 「あ、こ、こんにちは……」 「他にも」レイは立ち上がり、クローゼットから数々の謎のぬいぐるみを取り出した。 「これがあたしのDNA、これがあたしのミトコンドリア、これがあたしのゴルジ体。みん なご挨拶できるの」 『こんにちは』『こんにちは』『こんにちは』 レイは次々と声色を使った。 「……」 「碇くん、ご挨拶は?」 「こんにちは……」 「このDNAさん」彼女はDNAを手にとって言った。「特に気合が入ったの。ちゃんとアデニ ンはチミンと、グアニンはシトシンと結合するのよ。磁石とマジックテープを使ったの」 「……そう」 「ちゃんと二重らせんもほどけて、減数分裂が可能な仕様なの。だから、碇くんのDNAと も……」 彼女はぽっと顔を赤らめ、続けた。 「それからこの乳酸菌さんも」そう言って乳酸菌背部のファスナーを降ろし、二重らせん 構造の物体を取り出した。「ちゃんとDNAが入ってて、増殖が可能なの。でも碇くんのDNA とは結合できないのよ。だって乳酸菌だから。碇くんのDNAと結合できるのは……」 シンジは、両手に乳酸菌と乳酸菌のDNAを掴んで真っ赤になったレイを見つめながら、 この娘をいったいどうしたものか、激しく苦悩していたのだった。 end
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