綾波レイは目を覚ました。時間を気にするまでもなく、まだ真夜中だとわかった。カーテンの隙間から射し込む月明かりが、部屋の輪郭をうっすらと浮かばせていた。
どうしてだろうか、こんな時間に目を覚ましたのは久しぶりだった。1人で暮らしていた頃はよくこんな時間に目が覚めたものだったと思う。
この家で暮らすようになり、単なる共同生活とは違う不思議な感覚を持つようになると、真夜中に目覚める事はいつのまにか少なくなっていた。それに気がついた頃はなぜなのかわからなかったが、今ならその理由がはっきりとわかる。自分は淋しかったのだと。
ふたたび眠りにつこうとまぶたを閉じると、ベッドの下からかすかな息づかいを感じた。
「おやすみなさい」
レイはおこさないようにささやいた。
「クゥーン…」
するとささやきに反応したのか、のどを鳴らす声が聞こえた。
「クゥーン…」
ずっとおきていたのだろか、甘えるような泣いているようにも聞こえる声がせつなく響く。きっと、それでおこされたのだろう。
「帰りたいの?」
今度は聞こえるように声をかけた。
「クゥゥーン…」
聞こえた音は先ほどとは少し違った響きをもって、返事をしたかのように心に届く。
「そう…、淋しいのね」
ベッドから降りて柔らかな毛なみをそっと撫でる。すると、頬にふれる柔らかな感触。首をからませてきたのだろう、それに委ね自分からも頬を寄せる。
首すじに当てた耳にトクントクンと伝わってきた音は、規則正しくもカチリカチリと時だけを刻む無機質な音とは違い、冷たく淋しくも感じる静かな夜に優しさと温もりをもたらす。
あたたかい。これが生きているという事だろう。かつては自分が人ではないと思っていた、それでも生きているかぎり自分は人として生きるのだろう。そして今はその事に何の戸惑いもない。今はひとりではないのだから。
「きっと、あなたも大丈夫だから。安心して…」
月明かりが優しく、おだやかな寝息を2つ見守っていた。
「さがさないで下さい」
朝のリビングに、こんな書き置きがあった。
「ど、どうしよう!」
書き置きを見つけたのはこの家の主夫、碇シンジ。
シンジの朝は早い。1人ですべての家事を取り仕切っているのだから誰よりも早くおきるのは仕方がない。まあ、仕方がないとはことばの綾で、誰もやらないから仕方がなくだったのだが。
「あっ、あや、あや、あやややや」
すっかり飼い慣らされているからか、あわてながらもヤカンを火にかけフライパンを片手に冷蔵庫をあさりはじめた。染みついた生活習慣とは恐ろしい。
ハッ! そうだ、それどころじゃない!
普段の生活のリズムを取ったせいで"少しは"冷静になったようだ。
「ア、アスカー!」
眠れるお姫さまの部屋をめざしドタドタと走る。なぜかフライパンは持ったままだ。
「うるさーい!」
シンジの1人コントのおかげで目を覚ましたアスカは朝からとてもハイテンション。大声をあげながら部屋から出てきてシンジの前で仁王立ちになり腰に手をあてている。
そして、ニヤリと笑うと無言で片手をシンジに差し出した。でも目は笑っていない、しかも眠そうなので余計不気味だ。シンジは持っていた物を渡す他ない。
直後、パッコーンと気持ちのいい音が響く。それに続きバタリと音がした。
世間いっぱんにはあわただしい朝、となるのだろうが、葛城家の1日はこんな感じで騒がしく始まった。
書き置きを残したのは、この家に新たな家族として迎え入れられた綾波レイ、彼女である。
いったい全体、どうしてこのような事になったのだろうか?
昨日、シンジが家に帰るとリビングで白いモコモコとしたものがうごめいていた。
「なっ、なんだ!」
おそるおそる近寄ると「ふあぁ」と、まのぬけた声。
それは、モコモコの後ろでモゾモゾと動く青い小さいモコモコから聞こえようだ。
「あやなみ?」
正体を見やぶったシンジが声をかけると。
「いかりくんおはよう」
スクッと立ちあがりシンジの目の前までくる。
「朝ごはん…」
寝ぼけているらしい、髪がモコモコなのは寝癖のせいだった。がんばって目をあけようと努力をしているようで、うっすらと開いたまぶたの奥で白目と赤いひとみがクルクルと入れ替わっている。
だが、それもむなしく、かろうじて開いていたまぶたはやがて閉じられ、立った姿勢のまま、ゆっくりと後ろへ倒れていった。
「あーっ!」
あわててシンジが抱きかかえると、レイの体は…
ケモノ臭かった。
「それで、コイツどうするのよ!」
アスカが怒っているのには、それなりの理由があった。
その日、帰宅したアスカは挨拶もせずにシンジの横を通り過ぎると、窓を開け深呼吸を始めた。最後に大きく息を吸い込むと、くるりと180度旋回して爆撃準備体制に入った。
ツカツカツカ、パシン!
「なによ、このニオイ!」
「あれ」
真っ赤な手形をつけたシンジが頬を押さえながら指さした先には、プルプルと体をふるわせ水を飛ばすモコモコと、それを顔にうけ「う〜」とうなっているレイがいた。ニオイが気になったシンジが風呂に入れて洗うようにすすめ、ちょうど出てきたばかりだった。
ひとしきり体をふるわせたモコモコは、シャンプーの残り香が気になったようでクンクンと体のニオイを嗅ぎだした。そのうちに今までいなかったアスカのニオイを嗅ぎ分けたらしく、キョロキョロとあたりを見渡すとアスカを見つけたとたん走りよって飛びかかった。
「ちょっ、ちょっと! キャー!」
逃げようとしたところを後ろから飛びつかれ、無惨にも潰された。
ゲフッと出た声がとてもブザマだったが、それだけでなく顔中なめまわされたのと、昨日クリーニングから戻ってきたばかりの制服もビショビショになって、まさにふんだりけったりだったのだ。
アスカとシンジの会話にもどる。
「これだけ大きい犬だし、首輪がついているから飼い犬だと思うんだけど…」
「じゃあ、警察に届けなさいよ!」
「警察って、落とし物じゃないんだから」
「ちょっと、アンタ聞いてるの!」
騒ぎの張本人は、ブラッシングもして、モコモコからフカフカになった犬の毛に顔を埋めてウットリとしている。まったくいい気なものだ。
「いいニオイで気持ちいい」
目をトロンとさせて本当に気持ちよさそうだ。
それを見たアスカは、ちょっとさわってみたいという誘惑に負けそうになったが、ここで甘やかしたらボスとしての威厳がない。
「今すぐ捨ててらっしゃい!」
それだけ言うとズカズカと部屋に戻っていった。
2人きりになりようやく落ち着いたところで、シンジはどうしてこういつも騒動がおきるのかと溜息をつく。
それからしばらくは、綾波レイの幸せそうに頬ずりをしてニンマリしている表情を見て、なんだか母犬に甘える子犬みたいだなと、ポーッ、と眺めていたが、ふと今までのドタバタで忘れていた当たり前の事が気になって話しかけた。
「ねえ、綾波?」
「ん〜」フカフカ
「その犬、どこで拾ってきたの?」
「わからない」フワフワ
「わからないって、なんで?」
「学校の帰りについてきたの」ホワホワ
「それで、お腹がすいているって思ってエサでもやったとか?」
「どうしてわかったの?」
レイはキョトンとして、いかにも不思議そうだとシンジを見つめる。ふと見せるそんなしぐさが、いつも騒動をおこす原因となるレイが憎めない理由だろう。
「べつに超能力でもあるってわけじゃないんだから、そんな不思議そうにしなくても…」
あきれながらも思わず笑ってしまいそうになったシンジだったが、彼女が真剣そうなので笑うのも悪いだろうと真面目に答えた。
「きっと、お腹がすいてたときにエサをもらえたから綾波になついたんだよ」
「ええ、すごく人なつっこいのこの子。ウチで飼っちゃ…だめ?」
怒っているアスカの手前、言い出せなかったが、きっとシンジならなんとかしてくれるのではないかと希望を胸にたのんでみる。
床に腰をおろしたレイはソファーに腰をかけているシンジから見ると、いい感じの上目使いだ。無意識だろうが、はっきり言って反則技である。おもわずシンジはハイハイと二つ返事で願い事を聞いてしまいそうになったが、かろうじて残っていた理性をかき集め、とまどいながらも傷つけないようにやんわりと無理だと伝える。
「あっ、えっと〜その…、飼いたいって気持ちもわかるけど。さっきも言ったけど、首輪が付いてるから飼い犬みたいだし。だとしたら今ごろ飼い主が探しているんじゃないかな、それだけ立派な犬だし」
無難な返答ができたシンジは、ホッ、と一息ついて額の汗をぬぐった。
しかし、シンジの説明を受けたレイはショックを受けているようで、犬の頭を撫でるのをやめ、うつむいてしまう。
しょんぼりしたレイに何かなぐさめる言葉をかけようと、シンジはあわててもっともそれらしい理由を付け加えた。
「あっ、あのさ! 残念だけど、ウチのマンションは犬は飼っちゃいけないらしいから。それにきっと、そいつも飼い主とはぐれて淋しいんじゃないかな? ねっ?」
説得が功をそうしたのか、レイはうつむいていた頭をあげ、コクンとうなずいてみせる。
「ごめんなさい、わがままを言ってしまって…」
「いいんだよ、気にしなくても。それにしても、綾波が犬を飼いたいなんて言うと思わなかったからちょっとびっくりしたよ」
「だって、かわいいから…」
ほんのり頬を染めて答えるレイ。
いつも無表情に見えるレイがときどき見せる女の子らしさに、毎度の事ながらシンジはドキッとしてしまう。
ほんとうに綾波ってかわいいよな。
さきほどの様子まで思い浮かべてしまい。しだいに顔が火照ってくるのがわかった。
それを悟られまいと、何か話さなきゃ、と無理に会話を続けようとこころみたシンジだったが…
「う、うん、そうだよね、僕もそう思う。すごくかわいかった」
「かわいかった? 今もかわいいと思う…」
「あわわ! いや、なんでもないよ、べつに綾波の事を考えてたってわけじゃ…。あ!」
考えなしで話したので墓穴を掘ってしまったシンジ。すぐに口をおさえるが、言ってしまってからでは遅すぎた。レイにもわかってしまったようで、さっきより一段と顔を赤らめた2人はそのまましばらく目を合わせずに沈黙してしまう。
つい自分が思っていた事を言ってしまったばかりにできた気まずい雰囲気をごまかそうと、シンジはコホンと咳払いをして、べつの話しを切り出した。
「まあ、ともかくさ。こいつも帰りたいだろうから、僕たちで飼い主を見つけてあげようよ」
顔はまだ赤かったがレイも納得したらしく、ちょっと考えてから、ふたたび犬の頭を撫でながら小首をかしげて話しかけた。
「…帰りたいの?」
聞こえたのだろうか、耳をピクピクと動かしたが返事はなかった。
「まあ、一日くらいならウチで預かっても良いわよ。レイだってお気に入りみたいだし」
夕食時、家主のミサトに理由を話すとあっさりと許しが出た。今日がたまたま給料日でいつもより飲めるビールの量が多いのが機嫌を良くしていたのも理由の一端だろうが、楽天家のミサトならいつもこんなものだろう。
「一日って! たった一日で飼い主が見つかるワケないじゃない!」
いちおう反論しているアスカだったが、何度かレイが目を離した隙をうかがってはコッソリと、レイのまねをしてフカフカの毛なみに顔を埋めていたのをシンジは知っている。だからといってそれを言ってしまったら後でどんな目にあうかと容易に想像がついたので、口には出さずそっと胸の奥にしまう。
「だいじょうぶよ〜ん。その番号が書いてある首輪って、市に登録されてる犬だからすぐに見つかるわ」
なるほど、ミサトが気楽なのには根拠があったようだ。
「あした土曜日でしょ。アンタたちが学校から帰ってから探し始めても、あした中に見つけられるわよ。余裕、余裕!」
ミサトは勝負あったりと、持ってもいない扇子をあおぎながらニヒヒ、と笑う。ミサトの態度がくやしいのだろう、アスカはフン、と横をむいて腕組みをした。
「そうですか、よかったなお前」
そう言って目線を移すと話題の彼はレイの足下でペンペンとならび、大人しくドッグフードを食べている。
「そうね〜、よかったわねシンちゃん」
そう言うミサトもうれしそうだ。アスカは機嫌が悪いままで、レイはちょっと淋しそうだった。シンジはというと、ミサトが言った"よかった"の意味がわからなかったので眉をよせていた。
ミサトはそんなシンジをちらりと見ると、詮索する間を与えないよう爆弾を投下した。
「レイ、そんなに淋しがらないで。そうだ、今日はシンちゃんに一緒に寝てもらったら? 特別に、お姉さん許しちゃうわん」
「ミ、ミサトさん、なに言ってるんですか!」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
ギャハハ、と笑うミサトに、真っ赤になって怒るアスカ。シンジは別の意味で赤くなっている。レイはいつもどおり冷静に見えるが、実は固まっていた。その他2匹は卓上の騒ぎなど気にもせず、エサを食べるのに夢中だ。
「じゃあ、レイをお願いね。シ〜ンちゃん」
食事を食べ終っていたミサトはしっかりとビールも飲み干したタイミングでそう言って、逃げるように自分の部屋へと消えていった。
ふたたび大騒ぎになった食卓の下ではフカフカが、空になった皿を前足でつついて、おかわりを催促していた。
当日の朝に戻る。
「きっと家出したんだよ、どうしようアスカ」
火にかけていたヤカンの笛が沸騰を知らせた音で目を覚ましたシンジは、懲りもせずまたオロオロとしていた。そのあわてぶりはふたたび手にしているフライパンを見ればわかるだろう。
いつもより早くおこされたせいで眠気が残るアスカは、リビングのソファーでうたた寝をしていたところをまたもやおこされムスッとしている。
「うっとうしいわね! お腹すいた、朝ごはんまだ?!」
アスカがキッ、とにらめつけると、条件反射なのかあわてていたシンジは落ちつきを取り戻しキッチンに向かった。本当に慣れとは恐ろしいものだ。
シンジを見送ったアスカは「ふわぁ、やれやれ」と、あくびを噛み殺しながら伸びをして、まだ眠っている脳に刺激を与え覚醒を促す。
「まったく、世話の焼けること」
安全のため、常時チルドレンは監視対象とされているのだから保安部に問い合わせれば所在くらいはすぐにわかる。顔をしかめボサボサのままの頭をかきながら重い腰をあげた。
すると、玄関からバタンと乱暴な音がした、話題のおさわがせコンビが帰ってきた音だった。どうしたのかハアハアと息を切らせている。
「アンタ! こんな朝っぱらからドコほっつき歩いてたの!」
アスカの轟く雷鳴も、マイペースなレイには届かない。どこかに避雷針でもあるのだろうか?
「あやなみ〜」
シンジはハンカチの代わりに台拭きを口にくわえ、ホロホロと涙を流していた。言っておくが、台拭きは毎日こまめに洗っていて今朝はまだ未使用だ。例のフカフカの白犬君はというと、のどが乾いていたらしくすごい勢いでペチャペチャと水を飲んでいた。こちらもレイに負けず劣らずのマイペースだ。
走ってきたのだろう、まだゼエゼエと言っていたレイは呼吸を整えながら一言。
「ウンチ」
朝早くに顔をなめられておこされたレイは、きっとのどが乾いているのだろうと水を用意してみたが、少し飲んだところで玄関の扉をカリカリと引っかき出したので散歩に連れていったらしい。それで心配するといけないだろうと書き置きをしたそうだ。そして散歩の途中で糞をしたのであわてて帰ってきたというワケだった。後始末をしたのは誰だったかは言うまでもない。
アスカの怒りは臨界点を突破した。
「まぎらわしいのよ! いったいどういう発想してんのよアンタは!」
しかしレイはこたえた様子もなく2度目の雷もさらりとかわし、水を飲み終えたフカフカにドッグフードを与えていた。これではアスカの怒りもおさまらない。
「アンタも、いつまで待たせんのよ!」
ドッグフードを美味しそうに食べる様子に空腹感を刺激された雷は、碇シンジという名の避雷針に落ちてそのエネルギーを解放した。
そして、あわただしく騒がしかった朝は過ぎ、学校も半日で終え急ぎ帰ると、みんなでフカフカを飼い主の元へ届けにいった。
「ありがとうございました。さあシンジ、あなたもお礼しなさい」
お別れするのをわかっているのだろう、淋しそうにクウーンと鼻を鳴らしレイにすり寄るシンジ。レイもなごり惜しいのだろう、ずっと頭を撫でていた。
飼い主はすぐに見つかった。となり町に住む二十歳くらいの女性で、5日前に公園の芝生で放して遊ばせていたところ、子犬に吠えられて逃げてしまったので探していたそうだ。
たいていの犬だったら本能で帰れるだろうが、極度の怖がりのせいで車の多い通りなどはリードを引いてもなかなか渡れないそうで、それで帰れなかったのだろう。
そしてこの犬の名は、もうおわかりだろうが"シンジ"
市役所に問い合わせようと首輪の登録番号を確認したアスカが、名前も書いてあったのを発見してまたもや大騒ぎになった。ミサトはこれを知っていてからかっていたのだ。
「シンジってぴったりの名前ね」
クスクスと笑うアスカ。
「何がぴったりなんだよ!」
釈然としないシンジはアスカに喰ってかかるが、いつものようにまるで相手にされなかった。
「バウ」
「キャー!」
むきになるシンジに気をとられていたアスカは、フカフカシンジの突進に気付いていなかった。
あまり聞いた事のないアスカの悲鳴を昨日と今日で2回も聞いたシンジは、何だかんだ言っても女の子なんだよな、と笑いながらその様子を眺めていた。
「こら、やめなさいシンジ!」
飼い主の女性は、突然飛びかかったフカフカシンジを取り押さえて謝る。
「ごめんなさい。この子、気に入った人には飛びついちゃうの。めったにないんだけどね」
本当にそのようで、飼い主にジャレつく彼はいい気なものでプルプルとシッポを振って、とても機嫌が良さそうだ。
「もうこりごりよ、さすがはバカシンジってとこね!」
真っ赤になってはいるが怒っているようではなさそうで、きっと照れくさいのだ。
「なんだよ、もう」
それを知ってか馬鹿にされたはずのシンジは、言葉では怒りながらも笑っていた。
「何よ、誰もアンタの事だなんて言ってないじゃない!」
これも照れかくしだったのは言うまでもない。
「こらっ!」
声のした方を振り向くと、今度はレイに飛びかかっていたフカフカシンジ。無事、飼い主と再会できたので安心して興奮しているのだろう。
嫌な顔もせずペロペロと顔をなめまわされれながらくすぐったそうに笑うレイが、シンジにはとても眩しく見えた。
「ふん、デレデレしちゃってバッカじゃない。やっぱりバカシンジはバカシンジよ!」
それって焼きもち? とは聞けないシンジ。
「きーめた。アンタがバカシンジなら、あいつはフカシンジね」
「勝手にしてよ」
「バカシンジ、お手」
からかう振りをして、ちゃっかり手をつなごうとするアスカだった。
そんな彼らの片隅では…。
「ねっ、心配しなくてもちゃんと帰れたでしょ、だって私も帰ってこれたもの。碇くんはそんな世界を望んだはずだから、そう願ってくれたはずだから。そうでしょ…シンジ」
フカシンジを撫でながらレイが見つめた先には、アスカと手をつないで照れているシンジがいた。
「ばか…」
そうつぶやくと、フカシンジがキュウンと鼻を鳴らす。
「ごめんなさい、あなたもシンジだったわね。でも今だけはシンジでいて…」
「バウ」
「うん、私、淋しくなんかない。みんながいて私がいる。そしてあなたも…。ね、そうでしょ」
フカシンジの目をのぞき込み、その額におでこをコツンとつけると自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、がんばるわ」
ぽかぽかとした昼下がりの柔らかな日射しを受けたフカシンジの毛なみは太陽のニオイがして、そう言ってだきしめたレイの心をあたたかく包み込んでいた。
それからは学校の帰りに3人そろって寄り道をする事が多くなった。もちろんフカシンジに会うためだった。
やはり3人の中ではレイがいちばん会いたがっていた。それは飼い主にフカシンジを返した翌日から毎日必ず一回は「シンジに会いたい」とか「シンジ、元気でいるかしら?」と、碇シンジの瞳を真っ向から見つめて話すくらいに。
シンジはその度に、ドギマギしながら「じゃあ、今度"みんなで"会いにいこうよ」などと答えていたのだが。どうしたものか、その後、きまってレイの機嫌が悪くなった。
「シンジ、お手」
今日も学校帰りに"みんなで"フカシンジの元をたずねていた。すっかりレイになついたフカシンジはレイの言う事なら良く聞いた。でも、なついている、と気に入っただけとは違うらしく、アスカが何か命令したとしても、ジャレつかれ顔をペロペロとなめられるだけだった。それでもアスカは楽しいらしく、やめろって言うくせに何度もちょっかいを出しては顔をぬぐうハメになっていた。この違いはきっと主従関係と友達の差だろう、なめられていたのは顔じゃなくアスカ自身だっだ。
フカシンジがあまりにも楽しそうに遊んでいるので、レイはアスカをちょっと羨ましく思う。素直に言う事を聞いてくれるのは嬉しいけれど、どちらかといえばもう1人の主人として見られるよりも、あんな感じでふれあえる友達になりたかった。
先日、フカシンジに淋しくない、かんばる、と言ったばかりなのになんだか急に淋しくなって、そばにいたシンジにそっと近づいてみる。少し手を伸ばせば、あのときのアスカみたいに手をつなぐ事もできる距離。だけど、やっぱりはずかしくてその手を取る事ができない。がんばる、って言ったはずなのに…できない。
もっと強くならなくちゃ、と今後の課題を見つけたレイだったが、そんな自分の葛藤も知らず隣でのんきに微笑んでいるシンジにだんだん腹が立ってきた。
コッチのシンジもあれくらい積極的になってくれないものかしら…
そう思いながら、シンジとフカシンジと交互に見やる。
「ん、どうかしたの?」
あからさまな視線を送っていたのでシンジは気がつきはしたが、やはりその意味なんか分かっちゃいない。
さすがにレイも、どうしてわかってらえないのかと溜息が出て「もう、知らない」と顔をそむける。
「ど、どうしたの綾波! ねえちょっと、こっちを向いてよ!」
レイは、オロオロとするシンジに知らんぷりをしてフカシンジの相手をしだした。
「シンジ、ちんちん」
「バカファースト、何やらしてんのよ!」
「あ、あやなみ…」
第三新東京市は今日も平和だった。
オマケのフカシンジ(電波は大切に!)を読む!
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