2002年9月〜10月の日記
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10月31日

 あっというまに10月ももう終わりである。このままでは知らぬうちに年を越してしまうのではなかろうか。生きるということはかくも難しいことなのである。
 そうこうしているうちに3万ヒットなのだが、私は特に何もしていず、早くも投稿に頼り切ったサイトと化しているのである。今回は狙ったわけではなく、というかアクセスがそこそこあるので狙いにくいのだが、やっぱり自分で踏んだのであった。

 でもって、記念小説をいただいた。なんて仮名で書いたりして。それで思ったのだが、記念小説というのはかくあるべきであろうと。つまり記念小説たるコンセプトが必要であるということである。たまたま出来た小説をタイミングを合わせて記念小説だなんて言ってるようではダメなのである。
 もともと3万と4万で何か書こうという気はなく、5万に向けて連載の合間に少しずつ書いてはいるのだが、こうなるとこれもどうしようかなという気にもなる。どんなのを書いてるかというとエロ小説なのだが(爆)、シンジ君はレイのことをちっとも抱こうとしないのである。彼らしいと言えば彼らしいが、作者としては困惑の限りである。ずいぶん前にもちょっと冗談で書いたのだが、もしこれを5万ヒットとして上げ、かつ記念小説にはコンセプトが必要であるとするならば、自作の記念小説はすべてエロということになり、それは流石に如何な物かという気もするし、そんなにエロを書いていくネタもない。さてどうするか。ご意見をお聞かせ願いたく(爆)。


 で、昨晩風呂の中で、いただいた記念小説を反芻していた。もしかするとレイも子供にかかりっ切りで、シンジもあんまり相手にしてもらえなくなって、トウジあたりに愚痴をこぼすのかもなぁ、などと(バカだな、俺も)。それで不意に、いわゆるゲンレイものでこの手の話が来たらどうしようかと考えてしまった。
 サードインパクトを乗り越え、ゲンドウも真人間(笑)になり、レイと幸せな家庭を作るのである。シンジは普通にアスカが好きで、これまた幸せな家庭を作っている。双方に時を同じくして子供ができたりする。
 まるでMLでアヤナミストの定義について話していた時の某氏の書き込みのようだが、まぁあって不思議のない展開であるし、これもまたレイの幸せである。
 私は、レイが良ければすべてよし、後は野となれ山となれ、ではないが、まぁそれに近いものはあって、そういう綾波ファンダメンタリストでもあやなーでもいいのだが、その手の人間としては、やはり受け入れなければならないのだろうか。
 しかし、あちこちで書いているような気もするが、私はどうにもゲンドウだけは許せないのである。理解不能というか。
 この手の話を考えていて、一時期のような嫌悪感は感じなくなったものの、やはり避けて通りたい部分である。諸悪の根源はゲンドウである(キッパリ)。まぁ彼のこともなんとかしてあげたいと思ったりもするのだが。

 少なくとも現時点で私がこの手の話を書くことはあり得ないのだが、果たして投稿規定にゲンレイものは却下しますと書くべきかどうか、悩み中なのであった。




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人類○○計画 その14
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「シンジ君、人類補間計画の事なんだけど」
「はい」
「引っかかったわね。補完じゃないわ。補間。間を補うのよ」
「人類の間だって、なんですか」
「知らないわよ、そんな事。ミサトにでも聞いてみたら」
「そうします」


人類○○計画、これにておしまいです。長いことすいませんでした(^^;)。
感想求む(爆)。


10月24日

 日々は淡々と流れていくようであって実際は激動しているのであり、こちらとしてもうかうかとはしていられない。世の中の激動とは恐らく全くリンクしていないが、間もなく3万ヒットである。これは明らかに投稿作家様のおかげである。しかしこれに甘んじているわけにはいかない。行かないのだが、世の中そうそう上手くは動いてくれないのである。激動といってもいい方向ばかりとは限らない。示唆的。まぁでも近いうちに何とかなると思うのだが、このサイトにおける「近いうち」というのはどの程度のスパンを指すのかは非常に微妙な所ではあるので、深く突っ込まないで頂きたいのであった。

 〜して頂きたい、と書く場合、頂くなのか戴くなのかはこれまた微妙な感じである。辞書を引いてみると、これはどっちでもいいらしい。しかし、「小説を戴く」は戴くらしい。「小説を送っていただく」はどっちだろうか。そもそもこの場合の「いただく」は「送ってもらう」であって「送ってもらった物をもらう」ではないだろうから、あえて漢字を当てれば「送って頂いて戴く」ということになって、「小説を送って頂く」で正解かもしれない。しかし前述のごとくどっちでもいいなら「戴く」が万能ということになる。それでは「頂く」の立場は(泣)。頂戴するって単語でしか出番はないのか。いや、山頂という使い方での「山の頂き」がある。がんばれ「頂」(意味不明)。

 あんまり関連ではないが、「一生懸命」というのは「一所懸命」の誤用である。本当は。しかし時代と共に言葉も移り行くものである。新聞でも小説でも「一生懸命」と表記されることがほとんどで、「一所懸命」は見かけなくなった。こういう部分にあまりこだわりはないのだが、表記の揺れは避けるべきだと思うので、しばらくは「一所懸命」で行く。そのうち一括置換するかもしれん。
 とはいうものの、ニュースとかで「〜をするんですが」とか聞くと、「その撥音便はやめろ。するのですがと言え」とか思う私はやはり古い人間なのだろう。


10月17日

 ガンダムSEEDという番組がはじまって、ついでという感じでビデオに撮った。見ないうちに翌週になって、一回目を撮ったからな、などと思いつつ、これも撮った。うっかりしてると、また見ないうちに三回目に突入すること間違いなしって感じなので、別のことをしながらだらだらと見ていた。内容についてはここでは触れないが、しばらくは見ようと思う。しかし声優って、ほんとすげぇんだなとマジで思った。技術的に。ブルージーな味で売っているギタリストが、急に超絶技巧的な速弾きソロを弾いた瞬間を見たというか。

 それはいいのだが、予告編の最後に「来週もサービスサービスぅ♪」というデジャヴにも似た幻聴に見舞われたのは私だけだろうか。あ、私だけ。それは失礼。


10月14日

 一昔も前の話だが、父親と下らないことで言い争いをしていて、「そんなこたぁ分かってるよ! ガキじゃねぇんだからよ!」「まだガキだ!」みたいな会話があったわけだが、当時少なくとも父親が思っているほどガキではなかったと思う。そんなことも今は昔、すっかり中年のおっさんと化している私ではある(悶絶)。それにしても、果たして私に一人前の青年だった時期はあったのだろうか? それとも中年のガキか?
 ガキかそうでないかが相対的な比較の問題、あるいは漸近的に近づくだけで永遠に交われないとしたら。
 少年の心を忘れずに生きていきたい、などといって誤魔化すことにしよう。


 本日の改行幅は1.5である。色々考えたが、最終的には勢いで決めた。この日記で色々試してみて、少なくとも私にとっては、行間ゼロになるとほっとするのも事実なのである。このあたりで折り合いを。


 「あやなまー」の話だが、語呂が悪いので「あやなー」ではどうかという意見を頂いた。問題は発音だが、既に死語と化したが「アムラー」だの「しのらー」だのと同様に発音「しない」という方向で検討していただきたい。「あ」にアクセントでいいかと。「↑↓↓ー」ですね。あやなまーなら「↓↑↑↑ー」でいいと思うのだが。
 ニュアンスとして、あやなーというのは綾波化した人、という感じがする。あやなんでるとか綾波者とか言うよりも。ま、よくわかんねっす。


 10月12日

 下に書いた「ガンダム者」だが、発音は「がんだむもの」が正解だそうだ。思いっきりルビが振ってあった(苦笑)。

 あやなまーの話だが、検索してみたがヒットしなかった。綾波erでかけてみたら、綾波書店というのが引っ掛かった。ひとつは良くわからないホームページで、もうひとつはどうもエロ本屋らしい(爆)。店長さんが綾波さんなのだろうか。やめて頂きたいものだが、大きなお世話であろう。


 10月10日

 例によって例のごとく深い思索もなしにいい加減な事を書くので糾弾はしないでいただきたいのだが、誰が言い出したのかアヤナミストという言葉がある。日本語にすると綾波主義者になるのだろうか。すると、アヤナミズムとかいうと綾波主義かな。アニミズムみたいでいい(笑)。
 その手の単語として綾波原理主義者とかLRS人とかあるのだが、それらについてあれこれ考えていると、不意に言葉を思いついた。「あやなまー」である(爆)。
 あやなまー。誰でも思いつきそうな言葉である。しかし私は聞いたことがないので、新しい単語として扱わさせていただく。とりあえず今日は。
 これは平仮名で書くのが正しい。カナでアヤナマーとか書くと柔らかなニュアンスが損なわれる。意味としては「あやなんでる人」あるいは「綾波者」でいいと思う。綾波者は「あやなみもの」と発音するのが正しいかと思われる(笑)。もう少し原理主義的というかルナティックというかファナティックな感じにしたければ、つまり正常な範囲を逸脱した感じ(^^;)にしたければ「あやなみしゃ」でもいいかもしれない。「ガンダム者」みたいだけど、あれは「がんだむしゃ」でいいのかな。ま、どうでもいいか(爆)。

 ちなみに本日の改行幅は1.7。これで行こうかなと思ってるのだが。




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人類○○計画 その13
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「シンジ君、待ちなさい!」
「嫌ですよ」
「人類予感計画よ!」
「だからなんですか」
「とりあえず止まりなさい!」
「嫌です」
「話を聞きたくないの?」
「聞きたくないです」
「敵前逃亡は重罪よ」
「誰が敵なんですか」
「使徒に決まってるでしょ」
「どこにもいませんよ」
「……そうね」
「あれ、あきらめ早いですね」
「ひっかかったわね。離さないわよ」
「……分かりました。聞きます」
「人類予感計画よ」
「それは聞きました」
「……」
「中身を考えてなかったんですね」
「帰ってもいいわ。お疲れ様」


 10月6日

 さて、とりあえず通常改行で。つまり行間はゼロ。
 改行幅を設定してみたわけだが、大して変わらんぞという意見をいただいた。推測するに、特に読みにくいと思ってなかった人は言うまでもなく、読みにくいと思ってた人も変わらず読みにくいということであろう。さて、どうしたものであろうか。
 で、私の敬愛するFF作家の方々のページを拝見させていただいた。1.4、1.5、1.8、2、といったところである。言うまでもないが、この数値から1を引いた値が行間隔である。当然ながらスタイルシートなど使わずに行間ゼロあるいは1という方もいらっしゃる。悩ましい。


 さて、ここからは1.4になる。1.5でもいいのだが、それは4日の日記を見ていただきたい。どうせ0.1の差などわからんと思うし(^^;)。

 テレビで「マトリックス」という映画をやっていた。私はSF映画は好きなのだが、SFXを全面に押し出した映画はいかがかと思う。某SWエピソード1も感心しなかった。2は見てない。で、マトリックス。これはかなりヒットしたはずなので見た方も多いと思う。私もテレビでやるとなれば見ようかなと思う。が、2時間半もテレビの前にいる気分ではなかったので、ビデオも回した。最初のシーンで「一生やってろ」って気分になったので(^^;)、適当に他の事をしながら流して見ていた。ラストシーンは見てない。つまり、要するにサイバーパンクねと思った時点で本が読みたくなって、読書に突入したのである。
 まず竹本健治氏の「腐食の惑星」。これは私の中ではベストなSFのひとつである。これはサイバーパンクとは違うと思う。が、仮想世界を題材にしたものではある。解説はなんと新井素子。おすすめ。私は新潮文庫で持っているが、現在はタイトルを「腐食」にして角川ホラー文庫で出ているらしい。
 これを一気に読んで、次に柾悟郎氏の「ヴィーナス・シティ」。ハヤカワSF。かつてハヤカワSFの新刊はほとんど全て買っていた時代があって、それで買った。これはサイバーパンクといっていいと思う。
 なんにせよ、仮想現実物を描く場合、実際の肉体をどうするかという命題は避けられず、これを上手くコントロールしないとジャンルは閉塞していくような気がする。私は最近のサイバーパンクにはさっぱり明るくないのでよく分からないが、一連の神林長平氏の著作は回答のひとつかもしれない(サイバーパンクではないが)。また神林さんかいとか言わないように(^^;)。
 例えばタイムマシン物だと親殺しとかのパラドックスを避けて通るのは難しいが、ジャンルが閉塞しているとは思わない。

 エヴァのFFを真剣に描こうと思ったとき、仮想世界のことを全く考えないわけにはいかないと思う。まぁ描く題材にもよる。私がここに公開しているものでも、短編とかは仮想世界のことなど全く考慮していない。そんなことで、このテーマでこれ以上は日記には書けないのである。あぁ思わせぶり(爆)。


 さて、ここから1.8改行で格闘技の話。
 昨日のテレビは格闘技三昧の日で、プライド、パンクラス、K-1、新日本とあった。さすがに昼間っから見てらんないので、新日本プロレス以外はビデオである。K-1は途中から見た。グッドリッジが負けた。まぁ順当である。そうそう上手くはいかんだろう。しかし、ドクターストップとはいえボブ・サップが勝ったのである。アーネスト・ホーストが負けたと。これは脅威である。サップは確かまだK-1で3戦目のはずである。その男にあのホーストが負けたのである。ホーストは負けたと思ってないかもしれないが、2ダウン取られたことは間違いない。
 ホーストの戦術に間違いはないと思う。やや真っ直ぐ下がり気味のきらいはあったが、ローで崩すのは正しいと思う。もう少し時間があれば倒れていたかもしれない。しかしその前に、問答無用の連打の前にホーストは沈んだ。どういうタイプならサップに勝てるのだろうか。やはりバンナなのか? ってゆーか、バンナクラスを出さないとサップには勝てないのか? しかし新日本の中西がエキサイトしていたのには笑った。

 とりあえずサップ、総合ルールではノゲイラに負けている。ノゲイラはプライドのチャンピオンなので、もしサップが勝っていたら大変な事であった。しかしノゲイラも楽勝ではなかった。ちなみにサップは総合ルールでも経験豊かではない。かつては「どんなにでかくても転がしてしまえば同じ」という話だったが、やはりそうはいかないのである。あの体重で上に乗られたら技が極まっていなくてもタップアウトである(^^;)。
 そしてサップ、今度は新日本プロレスで中西と戦うのだが、どうするつもりなのだろうか。中西がサップをアルゼンチンバックブリーカーで持ち上げたら拍手喝采なのだが。


 2.0、つまり一行空けにして格闘技の話は続く。結構、無理して書いてます(苦笑)。
 最近の総合格闘技を見ていて思うのだが、テイクダウンを奪うのに、既にタックルは有効ではないのではないのだろうか。ミルコに膝を合わせられた藤田といい、修斗では不用意にタックルに来ればすぐにフロントチョークが待っている。片足タックルで膝を合わせられなかったとしても、切られた時のリスクは大きいと思える。まぁ胴タックルなら両者とも(タックルされた方もした方も)投げ捨てるという手もあるが。こうなるとプロレスに近い。
 タックルがだめならどうするか。解答はある。ガードを固めてひたすら前に出る。ロープまで詰めて反動を利用して反転しつつ外掛けでテイクダウン。これならタックルのようにガードを取られることもない。いきなりマウントである。これは、現在は魔界倶楽部(笑)で活躍中の安田忠夫がバンナ戦で取った戦法である(たぶん)。総合をちゃんとやってる人には通用しないような気もする(^^;)。



 さ、通常改行に戻りました。いかがなものでございましょうか。
 1.8と2の区別は、ほぼつかない。そもそもタグの書き方が合ってるのかどうかも自信がない(爆)。NNで見ると分かるような気もするが、フォントサイズをブラウザ側で変更すると一部設定が無効になる。謎だ。やはり書き方がまずいのか?
 まぁそれはいいとして(良くない)、1.5で変わらないってなら、なんとなく1.8でいいんじゃないかなぁと思う。根拠はない。主観である。1.7にしようかな。まぁちょっと考えてみるわ。


10月4日

 そのようなわけで、試しにこの日記にだけスタイルシートを使ってみた。0.5行空けである。果たして読みやすくなったのであろうか。過去日記と比べていただきたい。まのびして見えるんじゃゴルァとかいう方がいらっしゃったらメールをいただきたくお願いします。この方が全然いいでしょって方も、よろしければご意見を。
 一応、IEとNNではチェックしたが、マックでは未チェックである。まぁ無視されたとしても行間が元に戻るだけなので大勢に影響はないと思われる。見えるのか知らないけど携帯からとか、ドリキャスではどう見えるのか想像もつかない。ちなみにザウルスでは無視されるようである(^^;)。

 なんかこれは書いとこうという話題があったような気がしたが、すっかり忘れているのでこれでおしまい。

 ☆10月6日追記:この日より前は通常改行に変更しました。


10月3日

 10月である。

 月が変わるたびに「〜月である」とか「〜月になった」とか書いてるような気がする(^^;)。

 書きかけの連載を一本壊してしまった。つまりコンパクトフラッシュ(以下CF)上に書いたファイルをHDに保存しようとして、逆にHDの古いファイルをCFに上書きしてしまったのだ。普通はリネームして保存した上で別ボリュームに一回コピーしてそれからおもむろにコピーするのだが、たまたまボケてて直接やるとこういうことになる。マーフィ。あっと思ったときにはもう遅い。そもそもCFに直接書くなという説もある。
 しかし中身はテキストで、その後の操作は何もしていないとなればデータそのものは残っているはずである。内容もだいたい覚えている。はっきり言って大した量でもなし、覚えているなら書き直せば済むのだが、単なる意地である。復旧してやる。こんな時のためにノートン先生はいるのだ。

 心を落ち着けてノートン起動。が、先生はCF認識せず。CF入れたまま再起動。やはりダメ。ぐおお。

 完全に炎上した私は、速攻でベクターに行ってそれらしいものを片っ端から落とし、全て試した。結果的にはダメであった。同名の上書きしてしまったファイルがあるからだろうか。にしても、未使用領域を文字列検索してくれないのには困る。

 しかしここで諦めるわけにはいかぬ。つまりCF内を全検索かければいいだけのことなのだから、丸ごとイメージファイルにすればいいのである。60Mなんて大したことはない。で、「Read/Write FD」というのを落としてきた。うまいことファイルになった。で、この巨大なファイルをエディタで開いて検索(^^;)。見事発見。ここまでくるのに何時間かかったかは聞くな(爆)。「Read/Write FD」の作者には感謝の限りである。


 もしかすると少数派なのかもしれないが、私は小説を公開するとき、特に行間を空けるようなことはしていない。空けるべき時には空けているつもりである。つまり、普通に紙に印刷あるいはプリントされた状態ではなく、ディスプレイで読む事を想定して、普通よりは空行が多くなっている。
 とある掲示板で、一行ごとに空行が入っていないと読みにくいという意見があった。私はそんなことは全く思わないのだが、これは私が思わないからそれでいいというような問題ではない。ここのようなテキストしか無いといっていいようなサイトで、読みにくいのは致命的である。
 かといって、色々と理由はあるのだが、いちいち空行を入れる気にもならないのである。となれば、適切な行間を確保するためにはスタイルシートを使うしかない。禁断のスタイルシート。初期に使っていてぶん投げたスタイルシート。ということで、これからお勉強である。果たしてそんな時間はとれるのであろうか?

 そんなわけで(どんなわけだ?)、本日以降、この日記はミラーサイトでは更新しません。なんかの間違いでミラー側(isweb)で御覧の方は、ぜひ本家の方(http://tamb.cube-web.net/eva_index.htm)へどうぞ。お待ちしております。
2011年2月追記:上記「本家の方」はcube-web.netそのもののサービス終了につき移転済みです。新本家はhttp://ayasachi.sweet-tone.net/eva_index.htmになります。iswebのミラーサイトも消滅してます。


9月26日

 何だかずいぶん長いこと書いてなかったような気がするが、前回の日記からまだ一週間しか空いてなかった。日記といいつつ一週間空いているというのは如何なものかという指摘は却下いたします(笑)。

 延期になっていた、敬愛する神林長平氏の手によってノヴェライズされたラーゼフォン、買ってきました。ほんとに出るとは思わなかった。
 とりあえず後書き(対談)だけ読んだ。引用します。ごめんなさい。

「時間の棒が何本もあって、時間同士がぶつかるとカランカランと鳴って、そこから物質なりが形成されていくというイメージ」

 これは凄すぎる。本屋で立ち読みしてて、「おぉ」とか言ってしまった。さすがプロ。さすがプロなどと書くのも失礼にあたる。読むのがもったいない。


 ということで私も新作を上げました(^^;)。読んでちょ。
 これは二ヶ月ぶりなのだが、間に短編二本書いてるので許していただきたい。分量も(比較の問題としては)あるし。で、読み取れないと思うので書いてしまうのであるが、シンジ君が壊れはじめています。あからさまでない壊れ方ってのは、ああいう風にしか書けなかった。これからも少しずつ壊れていくと思います。ほんとか? あぁイタイ……。書くのが辛い……。

 で、FF絶ちなんてのは止めていろいろ読んでるわけだが、本当にありとあらゆるアイディアは出尽くしているのではないかと思う。私のものでも小ネタ中ネタ被りまくり。誰にでも思いつく程度のアイディアなのだという説もある。まぁいちいち気にしててもしょうがない。でも連載中の奴のオチとモロに被ってるのがあったらどうしよう。

 「エリスの部屋」更新されてます。


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人類○○計画 その12
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「ねー、シンジぃ」
「なんだよ。明日のお弁当の仕込みで忙しいんだけどな」
「そんなこと言わないで、ちょっと見てよ」
「もう。なん……」
「どお?」
「じ、人類コンコン計画(8/1参照)……」
「そーよ。かわいいでしょ?」
「……」
「お気に召さないの?」
「い、いや、可愛いとは思うけど……」
「まぁいいわ。ファースト、出番よ」
「あ、綾波まで……」
「人類保温計画(7/9参照)よ。ファーストっ、はいっ、どおぞっ!」
「はろー、あたし、キティ!」
「……」
「あたし、もうダメなの……」
「いや、ダメじゃないけど、綾波っていうキャラのイメージがね……」

9月19日

 相変わらず時間のやりくりがあれなので、例によってパソコンで書いたりザウルスで書いたりしているわけだが、パソコンで書いたものをザウルスに送って開こうとしたら、ファイルがでかくて編集できねえよと来たもんだ(笑)。使っているエディタには32Kという限界があるのである。もっとでかいファイルも編集できるエディタもあるが、試した中ではこれが最も使いやすいのである。
 いかにだらだらした連載とはいえ32Kなどはるか昔に超えているので、編集中のファイルからは伍話から前は削除してあったのだが。つまり六話から執筆中の八話で超えたということである。今回、もしかするとそこそこ長いのかもしれない。今までが短いと言うべきか。

 つまり今日の日記は、いちおう書いてまっせという宣言なのであった。見捨てないで(^^;)。

 ちなみに、もう終るすぐ終るとか書いてましたが、まだしばらくかかりそうな気がいたしますです。

 ま、そんなことで。


9月18日

 唐突だが、女子プロレスのことを書こうと思う。

 最近、新人が育たないらしい。有望だと思われていても、急に引退したりいつの間にかいなくなったりする。デビュー前に辞めてしまう娘も多いだろう。
 最近はやや事情が違うようだが、デビュー前や直後くらいの娘がプロレスを辞めたいと思ったときは、逃げるという手段をとるのが普通だった。一部の例外を除けば、中学校を出てすぐに団体入りして寮生活に入る彼女たちにとって、社長や先輩レスラーに「辞めます」などと言えるものではない。説得されてしまうのも怖いだろう。
 もちろんどこか行くあてがあるわけもなく、実家に戻ることになる(中には本当に行方不明になって、雑誌上で情報提供を求めていたこともあったが)。
 大抵は先輩レスラーが電話をかけてきて、辞めちゃうの? という話になる。無理に連れ戻すことはまずない。本人にやる気がなければどうしようもないのである。

 辛いから逃げる。辛いことに耐えたとして、その先に何も見えないのならば、耐えることに意味はない。ならば逃げて正解である。

 実家に戻った彼女たちの何人かは、もう一度団体に戻ったりする。会社の人や先輩に、すいませんでしたと頭を下げて。プロレス団体の上下関係は厳しく、出戻りは新人からやり直しである。かつての後輩や同期が先輩になり、その人たちの身の回りの世話をしなければならない。それでも彼女たちは帰ってきた。プロレスが辛くて逃げたけれど、プロレスをしないでいることはもっと辛かったと言って。

 だから逃げてはいけない、などと言うつもりはさらさらない。先に何があるか分からないから逃げないというのであれば、それは単なる現状維持であり、保守的に過ぎる。そこにいることで自滅すると思うなら、ためらいなく逃げるべきだと思う。逃げると言うと現実逃避のように聞こえるならば、戦略的撤退と言い直すことも出来る。バンザイアタックに意味はない。
 新しい可能性に向かって進むことも、そこに留まる人からは逃げているようにしか見えないかもしれないが、それは挑戦でもある。そこに留まることも、可能性を追うために今は敢えて一歩下がることも、同じくらい勇気がいると思う。
 どうすればいいかは熟慮して自分で決めるしかないが、人生はそのものがボーナスだと思えば失うものは何もない。駄目だったら戻ってきて最初からやり直せばそれでいい。

 女子プロの選手は、伝統なのだろうか声を出しまくる選手がほとんどである。ちくしょーとか、このやろうとか。全日本女子プロレスにNという選手とIという選手がいる。この二人がやるプロレスは「思った事を全部言うプロレス」とか言われているらしい。痛いよおばさん! とか言いながら技を掛けるのである。
 ザウルス購入以来、私は語り過ぎであろうか。


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人類○○計画 その11
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「人類果敢計画よ」
「人生に対して果敢にあれこれするんですね」
「そうよ」
「いいんじゃないですか?」
「なんか冷たいわね」
「人類と人生の違いについて説明して欲しいんですけど」
「嫌よ」


9月16日

 シンジもレイも考え込んでばかりでさっぱり動いてくれない。どうしたものか。

 私は自分の事をヒューマニストだと思っている。ヒューマニストというのは人間中心主義の事で、これは自然保護とかそういう運動とは理論的に相容れないのだそうだ。自然を保護するということは人間に対して一定の不自由を強いるからである。
 そもそも人間という存在に対して不自然あるいは非自然という捉え方をしてはいないので、そもそも自然保護という概念は成立せず、仮に成立したとしても、人間が自然に対して相応の力を以って介入し、「保護」するという行為が自然保護とはちゃんちゃらおかしい、という先鋭的な考え方もできるが、そこまでは言わない。使途がやって来たとして、都市だの森林だのを破壊しまくるのを放置するのが自然保護か?(意味不明)

 空気は綺麗な方がいいし、森とか動物とか絶滅するのは嫌だと思う。この「嫌だ」という思考が私の全ての出発点である。トイレは水洗の方がいいし、美味しいものも食べたい。電気はあったほうがいい。農業はするべきである(農業というのはある意味では自然破壊である)。つまり、いいあんばいで折り合いをつけろという事ね。だからある程度は我慢するべきなのよ。その方が楽しいから。


9月9日

 思考は続く。前回の続きだが、最終的に「楽しいから」という結論に達するのであれば、読めない作品を読もうとしてあがくよりも、今読める作品を読むほうが健全である、ということにはならない。楽しみに健全もくそもあるか(笑)。読む作品によって受ける感銘は異なってしかるべきであるから、同じ読むなら今読めるものを、などとFFをひとくくりにして捉えるのは間違いなのである。
 同様に、「苦労して消えてしまった作品を追い求めるよりも、ばんばん書いた方が生産性がある」などということもいえない。生産性なんざ関係ないのである。別に新作が書けない言い訳をしているわけではない(ちょっとはある)。書く事と読む事の楽しさは別物なので、両方やれって話なのである。が、繰り返しになるのだが、時間は有限なのでバランスとって上手いことやれって話になる。

 納得が出来ないから納得したくて書いたり読んだりする。まぁなかなか書けなくて苦しんだり、読んでいて泣いたり何故だと絶叫したり、なんでこんな結末にと虚空に向かって吼えつつ崩壊したりもするが、総じて楽しいとくくっていいと思う。乱暴かもしれないが。

 仮に。本当に仮にだが、こういう作業を経て納得したとして、それは楽しいだろうか。それは分からないが、なんとなく納得してしまうと楽しくなくなるような気がする。前にもこんなこと書いたな。

 恋愛みたいです。片想いで辛かった頃が幸せだったと、後になって分かるものです。
 考え方が後ろ向きです(爆)。


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人類○○計画 その十
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「人類ほかす計画」
「何するんですか?」
「美少女が人類をほかすの。下着をちらちらさせながら」
「売れ線狙いですね」
「分かる?」
「分かりますよ。で、何の意味があるんですか」
「殿方のリピドーを満たすためと、お金儲け」
「やって下さい。でもアスカも綾波も使えませんよ」
「あら、どうして」
「誰が説得するんですか」
「あなたよ」
「僕を殺す気ですか」


9月7日

 そもそも、エヴァにこだわるとか綾波に萌えるということと、FFを読みたいとか書きたいとかいう欲求とは直結していない。じゃあなんでそういうことをするのかといえば、最終的にはやっぱり楽しいからなんですよね。以上、再確認。

 すごーく前にも同じようなことを書いたが、私は喫煙者である。それもかなりヘヴィな。
 喫煙者が嫌いなら私に近寄るべきではない。喫煙者に近寄りたくない非喫煙者がいたとして、私がその人に近寄りたいと思った場合、私はその人の前では喫煙しない。近寄っただけで匂いがするからダメだとなった場合は、私がその人にどのくらい近寄りたいかにもよると思うが、恐らく諦めるであろう。基本的に煙草をやめる気はない。周囲の人に対する害がどうこうという話になると思うが、そういう人たちとは別の場所で別の人生を歩みたいと思う。
 麻薬の定義にもよるが、煙草は麻薬であると思う。ただし、健康は害すると思うが一般的にいう麻薬常習者のような形では廃人にならない(と思う)。トリップも出来ない。その意味ではアルコール類のほうが麻薬に近いような気がする。
 私は麻薬中毒者=人間のクズとは思わない。たとえ廃人でも。ただかかわりたくないと思うだけである。誰かをクズと言い切る勇気がないだけともいえる。
 喫煙者はモノの味がわからない。たぶんそうであろう。しかし、だからといって美味いものを喰っちゃいかんということにはならないと思うが。全く味が分からないということはなく、ある程度は分かるので、やはり美味いものは美味い。レベルが違うだけ。もったいないという意見には同意するが、そんなのはこっちの勝手だと言っておく。俺の作った料理は喫煙者には食わせられないというなら、最初からそう言っていただければ、それには従う。


9月6日

 2万ヒット達成です。ありがとうございます。今後ともよろしくです。

 今回は踏めませんでした(^^;)。

 では記念にこれを(爆)。


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人類○○計画 その九
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「人類ほかほか計画っていうのはどうかしら」
「どうかしらって言われても。あったかそうですよね」
「でしょ」
「……」
「……」
「それだけですか」
「そうよ。ダメかしら」
「仕事しなくていいんですか」
「ダメかも」


9月3日

 閉鎖されて行くサイトについてぶつぶつ文句を言うのはいい加減やめようかと思う。読みたいと思うのは自分の欲求に過ぎないのだし、別に読まなくていいと思うのは作者の自由である。どうあがいても読めないならやむを得ない。我慢するしかない。しかし、読めないとなると余計に読みたくなるのがサガというもの(^^;)。ちょっとあがいたりすると読めたりなんかすると、とりあえずあがきまくって落とすだけは落とすのである。
 はっきり言ってキリが無いので、コメントを読んで面白そうなものだけに対してあがこうとする。たいていはダメである。日を置いてあがいたりなんかすると出てきたりするが、ダメなものはダメである。フレームだけ残ってたりしてね。
 でもって、苦労して落としてきた作品も、半分以上はディスクのこやしである。一日に読める量は限られていて、供給がそれを上回っていれば読めるはずはない。我ながらバカかと思う。

 いかに優れた作品であろうとも、縁がなければ読めない。そういう作品に対してはもうあがいたりせず、今ある作品に対峙してゆくのが健全なのではないかと思う。消えていった作品が今ある作品に対して優位に立っているとは限らない。単純な比率の問題であろうかと思う。才能のある書き手が自分の作品に対して熱意を持ち、かつそれを維持して行くだけの財力その他の情勢が許す事を祈るしかない。そう、最終的には祈るしかない。出てくる結論は常に同じである。

 私はあちこちで色々書いたり言ったりしていて、それは角度が違うだけで意味は同じなのだが、こんな事をしているのは要するにエヴァンゲリオンという作品に対してある意味で納得が出来なかったからであって、何らかの意味で納得したいと願っているのである。納得すれば補完されるのかとか言う議論は置いておくが、その意味では書くということと読むということは等価である。
 であるならば、苦労して消えてしまった作品を追い求めるよりも、ばんばん書いた方が生産性があるのではないだろうか。時間には限りがある。私とて生きてゆかねばならぬ。理屈としては全く正しい。しかし世の中ってやつは理屈どおりには行かないものなのよ。

 何が言いたいのかって、特に言いたい事はないのだけれど(爆)、つまり事実上失われた作品をサルベージすると言う作業に時間を取られているのが非常に虚しくなったのですよ。そんだけ。読める作品を読んでいこうじゃないかと。……どっかに品揃えの完璧な古本屋さん、ないですかね?


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人類○○計画 その八
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「シンジ君、黙って聞きなさい。人類保険計画よ」
「……」
「反応しなさい」
「黙って聞けってリツコさんが」
「適宜反応しながら聞きなさい」
「はい」
「人類はいつか滅びる。長いスパンで見れば、それは間違いないわ。その時のために保険をかけておくのよ」
「はい」
「保険会社は乗ってくると思う?」
「って言うより、受取人は誰にするんですか」
「……考えてなかったわ」
「あ、綾波、待ってよ。一緒に帰ろう」


9月2日

 9月になって、ここらあたりでは暑いんだか寒いんだか良く分からない気候になってますが、皆様はいかがお過ごしですか? しかし暑いんだか寒いんだか良く分からないってのが即ち丁度いいってことにならない所がとても謎ですな。

 そんなこんなで、8/13に書いた「読んでる連載物」っていうのは「新世紀エヴァンゲリオンIS」だったわけだが、これ、ほんとに面白いっすよ。リンクの解説にも書いたけど、ホームページを開いてなければ恐らく読む事はなかっただろうと思うと、何と言うかとても感慨深いです。小説の設定で通り過ぎてる方、まず読んで損はしませんよ。ちなみに『エリスの部屋』です。ただし、どうしてもシンジ君とレイちゃんがラブラブしてないとダメって方にはお勧めできません。だって、シンジ君は出てきませんから。そのかわりシンリくんが出てきます。可愛いっすよ。萌えます(爆)。ほんと健気で。
 私は出来のいい小説を読むとやる気をなくしてしまい、ただでさえ遅い執筆ペースが致命的に落ちるという癖があるですが、「新世紀エヴァンゲリオンIS」の場合はそんな事はなく、元気に書いてます。これは決して出来が悪いという意味ではなく、作品のベクトルが全く違うからなんですな。例えば谷甲州氏や神林長平氏の作品を読んでも別にやる気をなくしたりしないように、完全にファンとして読めるというか。

 今にはじまった事ではないが、漢字の使い方が良く分からない(^^;)。完全に感覚的な話でしかないが、例えば「できる」という言葉がある。これは漢字で書けば「出来る」でいいと思う。

ビルが出来る。
自然に話が出来る。

 これに同じ漢字をあてるのがどうも気に入らないのである。しかし、

ビルを作る。
笑顔を作る。

 には何ら抵抗がないので、我ながら首尾一貫していない。だから感覚的な話なのですよ。
 こんな例はいくらでもある。「言い訳」と「出来る訳がない」で、同じ「訳」を使っていいのか? 多分いいのでしょう(^^;)。私は気に入らないので「出来る分けがない」と書くか、ひらがなにしている。
他にも「自分のこと」の「こと」は「事」をあてずに、ほとんどひらがなにしている(はず)。「そう言う事は出来ない」とは書かないとか(ケースバイケースだけど、「言」は使わないと思う)。使い分けは感覚であって、理屈はない(私の中では)。よくわからなければひらがなにする。私の小説にひらがなが多いのはそのためであって、決して漢字を知らないわけではない(ちょっと嘘)。ま、パソコンで書くと何でも手軽に変換できるので、気をつけているのは確かだけど。日記にはあんま気を使ってないけどね。

 まだ掲載はしていないが、小説を投稿していただいた。率直に言って非常に嬉しいのである。もろもろ作業中なので、もう少し待っていただきたいのである。